6.20埼玉集会のお知らせ
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会・埼玉』は、6月20日(金)に「解雇は阻止した!根津公子さんの闘い 6.20集会」を開催します。そのビラが投稿されましたので、ご紹介します。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会・埼玉』は、6月20日(金)に「解雇は阻止した!根津公子さんの闘い 6.20集会」を開催します。そのビラが投稿されましたので、ご紹介します。
渡部です。
東京都は改悪教育基本法の先取りを推進していました。その中には「副校長」とか「主幹」などの管理職の設置もありました。しかし、それはすでに行き詰まっているようです。
5月7日に都教育庁総務部<教育情報課>が発行した『教育庁報』(No.539)に、そのことがよく述べられています。
4月10日に区市町村教育委員を対象に都庁大会議室で開かれた「教育施策連絡会」で、中村教育庁は次のようなことを述べました。
「教育管理職については、管理職選考の受験者が減少し、副校長の欠員が生じかねない状況です。『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』を設置し、管理職選考のB選考の受験年齢の引き下げやA選考における推薦制導入など、あらゆる対策を検討し、実施することにしています。7月を目途とする最終報告に向け、さらに検討を続けていきます。」
そして、『教育庁報』には、4月に出された『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』の第二次報告概要が紹介されています。その中の<職務をめぐる現状の問題点>の冒頭には次のような記述があります。
「Ⅰ 副校長・主幹の職務
1、副校長職の魅力と現状
○職務内容の不明確さ、多忙さによる職の魅力の減退
○現行の職務権限を適切に行使できない現状
2、主幹の職責遂行の現状
○主幹への業務偏重
○分掌の教員に仕事を割り振れない現状 」
(以下は興味のある方のために、下の方に紹介しておきます)
「名ばかり店長」という言葉がありますが、副校長・主幹もそれに近いようです。すでに東京で行き詰まっているこのような制度がこれから全国化して行くわけです。
誰がまともにこのような制度と付き合い、旗振りをするでしょうか。誰が進んで「名ばかり店長」もどきになりたがるでしょうか。それでも無理をして強行すれば、ひずみが出てくることは明らかです。
この先取りを進めたのは他でもない石原都知事ですが、「朝日新聞」の連載<掘る 「石原銀行」の危機>は本日(5月15日)で12回を数えました。
いかに「石原銀行」が泥沼に落ち込んでいるかがよく分かります。しかも、もがけばもがくほど彼は泥沼に落ち込んでいきます。もはや石原の威光は消えました。落日の石原と言っても過言ではないでしょう。
改悪教育基本法を強行成立させた安倍前首相は無責任にも政権を放り出し、改悪教育基本法の先取りをトップダウンでやってきた石原都知事もこの体たらくです。
行き詰まりが明らかな改悪教育基本法と改悪教育三法を全国の仲間の連帯で、廃案に追い込んで行きましょう!!
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(『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』の第二次報告概要の続きです)
Ⅱ 副校長・主幹の職務実態
1、副校長・主幹の勤務状況
(1)残業の常態化、週休日等の出勤
○調査・報告事務、会議・打合わせ
○地域行事への対応(週休日)
○授業の準備(小)、部活動指導(中高)
(2)職務に対する多忙化と負担
○大部分の副校長・主幹が多忙化感
○最も負担に感じているのは「仕事量」
2、校務偏重の要因
(1)副校長・主幹に集中する校務
○各分掌に分担できない業務
○ICT化の遅れによる非効率な事務処理
○授業の代替(特に小学校副校長)
○困難な講師の確保、事務手続きの煩雑さ
○主幹:授業時間の多さ(小)、会議の多さ(高)
(2)保護者や地域とのかかわり
○地域との連携にかかわる事務
○週休日等の対応
○学校で対応できない理不尽な要望等
(3)校務分掌組織の問題
○教員の校務に対する認識不足
○主幹の職務に対する教員の理解不足
○委員会の乱立、不効率な業務分担
○分掌業務の細分化による組織の硬直化
Ⅲ 副校長・主幹育成の現状
1、校内における育成の状況
○OJT体制の未整備
○一部校長・副校長の育成に対する認識不足
2、副校長昇任時の育成
○特に実務面で大きな負担
(以下、「職務に関する課題と課題解決の具体的方策」がありますが、項目だけ列挙しておきます)
Ⅰ 副校長・主幹教諭の職務や権限の見直し
Ⅱ 校務の縮減と効率化
Ⅲ 学校組織や運営体制の見直し
Ⅳ 学校を支える仕組みの構築(PTAは入っていない)
私は、なぜ、あきる野に行くのか。それは、そこが、不当処分の執行現場だから。今は、まだ、都教委の諸君も、官憲も、裁判官も、いません。ただ、緑滴る若葉とアヤメがあるばかり。そして、校長も副校長も、多くの教職員も、親しく語りかける。校門も開けられている。
だが、彼我の一線が厳然としてあることを、片時も忘れない。見るべきものは見るべし。
以下の文書を校門で渡しました。
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「日の丸・君が代」、東京の教育、そして生徒のこと
~考えてみませんか~
被処分者 近藤順一
あきる野学園の教職員の皆さま
4月の半ばから、こちらにお伺いしております。私は、この3月卒業式において「日の丸・君が代」不起立、不斉唱により2回目の処分(減給10分の1)を受けました。東京都教育委員会の2003年「10.23通達」以来、都立高校ばかりでなく市区町村の小中学校でも「日の丸・君が代」が強制され、延べ400人以上の処分が強行されました。
私は、自分の不起立・不斉唱を、一人の教員としての職務遂行であると考えています。なぜなら、教育は異なる考え、異なる表現が認められることを前提とするからです。ましてや夜間中学には多くの外国籍生徒も学んでいます。その多くはアジアの諸地域から来た者です。都教委、市教委の「日の丸・君が代」強制は多文化共生に逆行し、一律の形式からはずれる者を処分、排除しています。そして、今進められている学習指導要領の改定、教育振興基本計画の作成、教員免許更新制などによって、一層統制が進行することを危惧しています。
私は、自らの思想・良心の自由を保持し、教育の本来のあり方を取り戻すため、昨年の処分に対しても東京都人事委員会に不服審査請求を行い、今回も同様の措置を執るつもりです。都教委は、被処分者を「服務事故発生者」として「再発防止研修」を課すでしょう。これは事実上の「転向強要」です。
あきる野学園の管理職の皆さま
日ごろの皆さまの教育実践に感服しています。貴校の根津教諭は現在停職6ヶ月の処分を受け、復帰は10月になるでしょうが、それまでにも公式、非公式に話し合いの機会をもっていただけたらと思います。都教委は、私たちを「校長の職務命令違反」で処分しました。このように学校に分断を持ち込むやり方に強く抗議します。それぞれ考えは異なっても粘り強く話し合い、不一致点は留保していく必要があります。
私は、根津氏を支援するというよりも、一人の教員として、また、被処分者として、共に考え行動していくつもりです。共に考えていきましょう。
カリフォルニア教員連盟(CFT) http://cft.org/home_news/cftconv08.html の大会が、4月11日~13日に開催されました。
大会では1号から33号までの議案 http://cft.org/home_news/conv08adoptedres.pdf が審議され、UTLA・AFTローカル1021によって提出された第24号議案「Support Sister Nezu and other Japanese teachers」が可決されました。
2008年CTF大会決議No.24
根津さんなど日本の教師への支援決議
<社会政治部会に、UTLA・AFT Local 1021が提出>
日本の教育組合員たちは、良心のため立ち上がり、そして厳しい攻撃にさらされている。天皇へのへつらいを表現した軍国主義的な国歌の斉唱を拒否する闘いを組織したために、賃金カット、見せしめ停職処分、更にはクビにもされる、という極めて深刻な脅迫を受けているがゆえに、そして;
日本のような現代の民主主義国家で、そのような事は少し奇妙に聞こえるかも知れない。しかしながら事実、日本国憲法第19条で保障されているはずの良心の自由は奪われており、教員が強制を拒否し、当局の報復も恐れずにランク・アンド・ファイルの組合員の闘いを組織しようとすると処分され、学問の自由も奪われているがゆえに、そして;
これは単に、激化する軍国主義化の問題、あるいは時代遅れの天皇制への忠誠を強制するという問題に止まらず、団結権や労働基本権の問題でもある。そして、2008年3月中旬から下旬にかけて処分が強行されようとしているがゆえに、そして;
保守的な教育委員会、政治家どもと教師たちの間で決着をつけるべく活発な努力が行われているが、それは軽視され、無視され、今や「教師としてふさわしくない行為」をでっち上げられて教師たちが攻撃されているがゆえに、そして;
これらの教師たちは日本のみならず外国からの支援(ILWU 10、ILWU 34、AMFA 33、韓国の全教など)を受けている。UTLA(ロスアンジェルス教員組合)も2007年12月に決議を行い、日教組に支援の書簡を送付したがゆえに、そして;
(詳細は、http://www.militaryfreeschools.org/Intl.htmを参照)
日本国憲法第9条は戦争放棄を、そして、第19条は思想と良心の自由を保証している。
この2年間に極右グループは憲法の破棄を誓い、天皇崇拝の軍国主義国歌である「君が代」斉唱を学校現場に押し付けてきた。日教組の教師たちはこの戦争への煽動に抵抗し、停職処分を受け、今や根津さんや他の教師たちをクビにしようとする動きがある。抵抗している教師たちには「教え子を再び戦場に送るな」という共通の誓いがあり、このスローガンは日教組のスローガンでもあるがゆえに、そして;
我々自身の憲法修正第1条のように、日本国憲法第19条は、思想と良心の自由を保証している。根津さんや良心を表明する他の教師たちへの極右の攻撃は、教師に特定の独善的教義を教えるよう強制するという国家のあり方を示す国際的一例でもある。学問の自由と知的自由は、自由な思想の核心をなしており、いつ如何なる時に攻撃されても守られなければならない。カリフォルニア教員連盟(CFT)からの支持書簡は、ランク・アンド・ファイルの活動家の闘いを支えるよう、日教組を激励することになるだろう。またこの支持書簡は、学問の自由を守り教師たちの組織化を推し進める、これら教師たちへの支援運動も活性化させることになるがゆえに、
以下決議する。CFTは、戦争放棄の日本国憲法の第9条を堅持し、「日の丸・君が代」の起立・斉唱への参加を拒否する日本の教育労働者を支持する、そして;
最後に以下を決議する。CFTは、日本の右派政治家が唱導する日本の再軍国主義化に反対し、処分を受けた根津公子さんなど388人の教師たちを支持するために、日教組に支持書簡を送付する。
法廷カレンダーを、2008年5月~6月に更新しました。
http://kaikosasenaikai.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/index.html#entry-20142262
8時から都庁前でチラシ撒き。私と河原井さんのほかに15人が参加してくださった。
今日のチラシは、片面が4月8日に提出した質問書への都教委の回答ならぬ「回答」を、もう片面は、三鷹高校の土肥校長が都教委に「職員会議での裁決禁止」の通知撤回を求めたことを報じた毎日新聞記事を載せた。
土肥校長は記事の中で、「教職員が『何を言っても意味がない」と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」「教育現場で言論の自由が失われている」と言う。校長も教職員も誰もが感じてきたことである。
やっと、本当のことを言う校長が現れた。良心を持ち続け、立ち上がった校長がいらしたのだ!とっても心強い。土肥校長の行動に触発され、自己の良心を呼び覚ます校長がもっと出てきてほしい。まだ、いらっしゃるでしょう?そういう校長たちと私たち一緒になって、子どもたちの教育を取り戻したい。今が実現の時。そう思いながら、教育庁や都庁で働く職員の方々にマイクで訴えた。
南大沢学園特別支援学校に。
今朝も越前谷さん、学校近くにお住まいのSさんが来てくださった。今日の越前谷さんのプラカードのことばは、「10・23通達の / 撤回なくして / 真の教育の場は/ あり得ない」。日替わりの越前谷さんのプラカードのことばに、何人もの教員が、「今日は?」と期待を寄せている。今朝も私が到着する前に、そう声をかけてきた人がいたそうだ。
私のプラカードは、「わたしは、どんなにおどされても、まちがっていると思うことには、したがいません」。
「迷惑なので、お帰りください。本校の教育活動には関わらないでください」と、校長が小中学部の副校長を伴い告げに来るのは、今朝はいつ?と待っていたのに、とうとう来なかった。
先週は、校門前に10人近くいたので来なかったのかと思っていたけれど、今日も来なかったのを見ると、理由は別にあったのか?「迷惑」が解決したのか?あきらめたのか? 一方的に言うだけ言うと帰ってしまい、私の質問(=私に指示する法的根拠は?)には答えない校長に、今度は言いに来なくなった理由を聞きたい。そうしてくれないと、校長の行為が一貫性のないものに私には思えてしまうのだけれど・・・。
「ご苦労様です」「お疲れ様です」「熱いから気をつけて」等々、声をかけてくれる元同僚たち、そして元気な声で挨拶をしてくれたり、おしゃべりをしていく、あるいは、駆け寄ってきて全身で受け入れてくれる生徒たちからたっぷり優しさと元気をもらう。3月最後の授業から1ヵ月半が過ぎたのに、生徒たちは私のことを忘れないでいてくれる。今朝も一人の生徒は、「先生、ちゃんと仕事しているのに、(教育委員会は)ひどいよね」と、一緒に怒ってくれた。
午後遅くなって、来客。カナダに移住された日本人で、「9条世界会議」参加のために帰国されたKさん。短い時間だったけれど、ちょうど下校時だったので、校門前の雰囲気は感じ取ってもらえたと思う。
日差しの強い1日だった。
5.8都庁情宣のちらしです。
南大沢学園へ。
4月の最終日、ということは、あの3月31日から1月が経ったのだ。なんだか、やっぱり感慨深い。あの日は、真冬に逆戻りしたような寒さとおまけに雨だった。1ヵ月後の今日は、日差しが強く、汗ばむほどの陽気。こんな風にひと月を感じることって、滅多にないだろう。
越前谷さんは、今日も私よりも早くにいらしていた。登校する生徒たちを挨拶で迎えているところに、土井さんが学生さん4人といらした。Sさん、Tさんもいらして、総勢9人となった。
登校時や校外学習の行き来に子どもたちとことばや表情で挨拶を交わすのが、私にはとってもうれしい時間だ。
時間になっても今朝は、校長が副校長同伴で「ここに立つのは迷惑です。生徒に関わらないでください」と言いに来なかった。今日は大勢だから来ないのか。それとも、もう言わないことにしたのか?う、うん??
今日特筆すべき、おぞましいこと。
校門前にいた私は、生徒の安全にかかわることで元同僚から伝言を頼まれた。近くに職員がいないのだから、私に頼んだのだ。私はその伝言を引き受け、伝言先の体育館に向かおうと校舎に入った。
しかし、その途中で、職員室から出てきた副校長は、いきなり、「出て行きなさい。出て行きなさい。出て行け!」と怒鳴る。まるで、私を犯罪者扱い。「頼まれたことがあってきました」と言っても、かき消すほどの声で「出て行きなさい」を繰り返す。「生徒のことで伝言を頼まれたんですよ」と言っても、前に立ちはだかる。しかし、やっと理由がわかったよう。相変わらずの命令口調で、「ここで言いなさい」と強要する。何の権限があって私を怒鳴るのだ。この人に告げたら、私に伝言を頼んだ人がいじめられるだろうから、言いたくなかった。けれども副校長は、怒鳴り続ける。生徒に関わることなので、伝言を優先するしかなく、この副校長に伝言内容を告げた。
告げ終わるとまた、「出て行きなさい。出て行きなさい」と連呼した。「ありがとうございます、でしょう。そうは言えないのですか」と言っても、「出て行きなさい」。情けないこと、極まりない。無性に腹は立ったが、怒る気にもならない。
人間性のひとかけらもない、私への対応。この副校長が私に敵意をむき出しにするのは、都教委に報告を求められるからなのか。それとも、都教委にもの申す根津を、徹底して弾圧する対象と思い込んでいるからなのか。
副校長が怒鳴っている時に、1ヶ月前まで私と関わった生徒が通りかかり、私の手を握ってきたのだけれど、それでも副校長は、怒鳴ることをやめなかった。今回に限ったことではないが。
このような管理職の対応を都教委はよしとするのだろうか?聞かせてほしい。
皆で公園の喫茶室に行き、お茶を楽しみ、交流した。
立川二中へ。
登校時、女子のグループが「根津さーん、がんばって下さーい」と飛び切り元気な声をかけてくれた。
「2年生かな?」――「はい、そうです」 「去年も私がこうしていたのを、覚えているのね?」――「はい、覚えていまーす」
昨年先輩から説明を受けたのだろうか?元気に門の中に入っていった。
北多摩高校に進んだ卒業生たちと挨拶を交わす。みんないつも、あったかい気持ちをプレゼントしてくれる。出勤途上の伏見さんが立ち寄ってくれた。
今朝も80歳のOさんが自転車を止めて話して行かれた。そこに、通りかかった60歳代の女性が歩を止められた。二中にお孫さんが通っているとおっしゃる。プラカードを指して説明をすると、「お金もったいないじゃないの」と。でも続けて、「勇気あって偉いね。雨の日もあるから身体壊さないでね」とおっしゃって、仕事に向かわれた。
登校・出勤が済み、座って仕事をしていると、軽くクラクションが鳴った。きっと、と思って音のする方に目をやると、やはりそうだった。市議さんが笑顔で手を振ってくださった。半年振りの出会いだ。
Yさんが訪ねてくださった。今日はこの後裁判の打ち合わせのため、11時半で終了した。
6月15日13:30から、【「君が代」解雇は止めた!みんなで話そう これからを 6.15のつどい】を開催します。会場は、新宿農協会館です。
【クリックすると拡大します】
本日(4月27日)『4・27総括集会』が開かれ、私達の予想を超える150人の方が結集してくれました。
会場は文字どおり満員となり、用意した資料120部もあっという間になくなり、3時間30分にも及ぶ、熱気と内容のある集会になりました。
集会では、
・根津さん、河原井さんをはじめ不起立で闘った方、
・ビラまきに参加された方、
・監視弁護に来てくれた弁護士さん、
・都教委への連日の抗議行動に取り組まれた方、など
この春の闘いに様々な形で参加された方々から多くの発言をして頂きました。
この春の闘いの最大の課題は根津さんの解雇を阻止することでしたが、根津さんは、そのことに対し、次のように話しました。
「自分が孤立させられていたら、解雇させられていただろう。
解雇させなかったのはものすごく大きい勝利だったと思う。
去年の3月31日、6ヶ月停職となり、あと一年でクビになるどうしょう、と考えていた。
クビにするな!ということで10月から動き始めたが、最初はなかなか盛り上がらなかった。
しかし、都教委はトレーナー問題で闘いを用意してくれた。
2月1日(事情聴取の日)以降、大勢の人たちがどんどん都教委へ押しかけてくれるようになった。
これまでの経験から攻撃を受けたら、それをより多くの人に知らせることが大事だと思っていた。
インターネットはその役割を果たしてくれた。
3月に入っても処分は出なかった。
その間、市民の方々はもちろん、職場でも町田教組も、また東京教組も、全国の人々も支援してくれた。
マスコミも都政新報も書いてくれた。
新聞意見広告にも多くの人に協力してもらった。
こんなに多くの人々が動いたことが、解雇をさせないことにつながったのだと思う。
私はいい出会いを沢山もらった。
いずれにしても都教委が言うように「不起立ゼロ」にはならなかった。ここ1~2年の闘いが極めて重要だと思う。」
また、都教委への抗議・要請行動にすべて参加した<解雇させない会>のSさんは、次のように語りました。
「激動の2ヶ月間だった。凄かった。計1500人の方が都庁に押しかけた。自分自身もこの闘いの中で変わった。学んで行った。都教委の前で人間バリケードを張っている警備の人たちを、同じ労働者、仲間と思うようになっていった。末端の彼らが我々の側にくることを都教委は一番恐れている。団結とは、いろいろな人たちがやることだ。河原井さんと根津さんはキャラが全く違うにかかわら団結している。これが運動の幅広さを作り出した。」
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また、不起立者で高校のSさん(男性)は、37年前の初任の時、先輩の教員が「日の丸・君が代」を職員会議で問題にし、それを止めさせた事などを紹介、「その火を受け継ぎリレーするのが自分の使命だと思った」と述べました。
また、入学式で不起立をした高校のYさん(女性)は、「自分達が勝ち取った9・21判決を自ら捨てることはできないと考え、自分が作ったプリントを職員に配布して、不起立した」と述べました。
その他にも素晴らしい発言が続きましたが、長くなりますので割愛します。
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集会ではまた、この間攻撃がかけられている北海道や大阪からのメッセージも読み上げられ、彼らに連帯する決議も上げられました。
さらに、6ヶ月停職の根津さんと河原井さんに対する会場カンパも取り組まれ、包囲ネットからのカンパとともに、二人に渡されました。
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2008年「春の闘い」は、一つの<首都決戦>でした。
そして、
・根津さんの解雇を止めたこと、
・引き続き不起立者が出たこと、
・闘いの中で連帯の輪がさらに広がったこと
などは大きな成果であったと思います。
しかし、まだ決着はついていません。
したがって、引き続き闘いを堅持していくことが重要かと考えます。
すでに根津さんは新しい出勤闘争に踏み出しています。
また、河原井さんも「若い人たちとつながりたい」と言って、若い人たちの中に積極的に入り、連帯の輪を広げています。
神奈川、大阪、北海道での闘いも進められつつあります。
全国の仲間の皆さん!これからも連帯して運動を発展させて行きましょう。
(なお、包囲ネットでは、6月に学習講演会、8月に都教委包囲アクションを予定しています。)
南大沢学園特別支援学校へ。
越前谷さんは、私より30分も前にいらしていた。ご近所にお住まいのSさんもいらした。4月になっても体調が回復しないのかなと気になっていたところに現れて、再会を喜び合い、ほっとした。
8時20分頃だろうか、校長と副校長が連れ立って出てきた。私の前で目も合わせずに、校長は「迷惑ですので、立たないでください。生徒に関わらないでください」と先週と同じことを言い、すぐさま、180度向きを変えて校舎方向に向かった。
「それはどの法令のどこを根拠におっしゃっていますか」と追いかけ、聞いたが、副校長は私の声を掻き消す大きな声で、「触るな」「出て行きなさい」と怒鳴り、門扉を閉めた。私はその門扉に挟まれた。
質問に答えるくらいの度量は持っていてほしいものだ。私のいることが生徒へのマイナス、と思うならば、私を真面目に説得すればいいのだ。そこからしか、始まらない。しかし、尾崎校長及び鈴木副校長の対応には、威圧しかない。威圧で人の心を変えることなどできはしない。それがわからない人に、教育を語る資格はない。私はそう思う。
高等部のCさんから、「先生、離任式にどうして来なかったんですか?」と聞かれた。「ぼくの周りの人も、『根津先生どうして来ないのかな』って、言ってる人がいたよ」とも。
「参加したかったんだけれど、校長先生が呼んでくれなかったの」と答えると彼は、「校長先生は、『根津公子先生は今日は都合で来られません』って、言ってたよ」と。
「ううん、私は都合悪くなかったよ。すっごく、離任式に出たかったのに、出してもらえなかったんだよ」と私。彼は、「校長先生、いつもは優しいのに、どうしてかな」と首をかしげる。「どうしてなのかな?校長先生に、聞いてみるといいかもね」と答えた。
生徒たちに、嘘をついたことを謝り、「誰の都合か」をきちんと説明しなさい。そう、尾崎校長に言いたい。
朝の活動で公園に行く生徒たちを見送り、あるいは迎える時間はうれしい時間。自然と笑顔になる。その時、門の中では、副校長が今日も私の見張りをしていた。
SRさんは海老名から、Nさんはバイクで台東区から訪問された。
あきる野学園に。
近藤さんは今朝も早くから一緒に校門前「出勤」をされた。近藤さんも南大沢に来られる越前谷さんも、根津支援の範ちゅうを超え、ご自分の問題として「出勤」をされている。私としては、とっても心強い。
職員や生徒たちを挨拶で迎えると、皆さん、気持ちよく挨拶を返してくださる。「ご苦労様です」などと、ねぎらいのことばを返してくださる人もかなりいらっしゃる。
日中は校外学習に出かける子どもたちに声をかけ、一人ひとりの表情を見て、にっこりして過ごした。
夜は、南大沢の学年の歓送迎会。指折り数えて楽しみにしていた。校長・副校長が私に対してすさまじく非人間的な対応をした中で、学年の同僚たちは皆快く、私を受け入れてくれ、気持ちよく仕事をさせていただいたことにお礼を言いたいと思っていた。
楽しい語らいは瞬く間に過ぎた。生徒たちに囲まれた、幸せいっぱいの写真、同僚たちと撮った写真、それらを貼り、生徒や同僚たちのことばを添えたアルバムをつくり、プレゼントしてくださった。生徒たちのことばも同僚たちのことばも、とってもうれしい。
未経験で戸惑うことが多くてごめんね、と思いながら、うれしくいただいた。最高のプレゼント!最高に幸せ!!帰りの車中は、ずっと、私の宝物となったアルバムに目をやり、余韻に浸った。
教員生活、最後の何年かを養護学校に回してくれて、都教委よ、ありがとう、です。在職6ヶ月の後半は、そんな気持ちだった。だって、生徒とも同僚ともいい出会いができて、貴重な体験をたくさんさせてもらったから。
立川二中、初回の「出勤」。
もう私の知っている生徒は誰もいないと思いながら、校門前に立った。ところが、かなりの生徒が見覚えのある顔だ、という表情をする。私も「ああ」と自然に口をついてくる。2、3年生は昨年の記憶がよみがえったようだ。
北多摩高校に進んだ、立川二中の卒業生が「がんばってください、先生」と元気な声をかけてくれたり、立ち話をしていってくれた。
登校の波が過ぎたところで、書きものを始めたところに、「奥さんよお、(東京)新聞見たよ」と頭の上で声がした。80歳になられる“おじさん”だった。半年ぶりの対面に、おじさんはお医者さんの予約時刻があるというのに、長時間おしゃべりをされていった。
再び書きものを始めたら「先生!」と、青年の声。二中の卒業生だった。この時刻に?と聞くと、選択教科の関係で登校時刻がずれるのだという。
信号待ちの車の女性がプラカードを読まれ、私ににっこりとおじぎをされた。また、自転車の中年男性は、プラカードを読まれて、「ああ、がんばってくださいね!」と言いながら、走り去って行かれた。
下校時、部活動がない何組もの1年生がプラカードと私をちらちら見ていく。「何してるんですか」と聞く生徒もいる。「君が代、歌わないんですか」と聞いてきた生徒に、「そうよ、私はね」と答えた上で、「あなたはなぜ歌うの?」と聞き返すと、「国歌だから」と、1+1=2であることと同じような答えを返してくる。今度は私が、「国歌だから歌いたいんだ、君は」と返すと、「ううん」との返事。この生徒たちは次回、私に何を聞いてくるだろう。
1年生とおしゃべりをしていてふっと、この生徒見たことある、と思った。
「あなたは、お兄ちゃんが高校○年生でしょ?高校を卒業したお兄ちゃんもいるでしょ。名前は、・・・」と私。「Aです」「やっぱり」
別の生徒が、「ぼくは誰だか、わかる?」と聞く。その生徒の兄弟関係も、私は正解。1年生にとっては私は見ず知らずのおばさんなのだけれど、その垣根を急に低くし、しばしおしゃべりをしていった。
都心で会議があるので、早めに帰り仕度をしていると、携帯電話が鳴った。北多摩高校に進んだ卒業生のBさんだった。部活動が始まるまでのわずかな時間をやりくりして、わざわざ私に会ってくれた。心遣いがとってもうれしく、心に沁みる。
卒業生からの応援を立川の初日からたくさんもらって、最高に幸せ!
Sさんが訪ねてくれた。
ひとネットから大地実さんのメールを転載します。
フランスのインターネットテレビ局で、「君が代」強制問題が取り上げられました。
転載ここからーーーーーー
大地実です。
転送です。(重複の場合乞許)
転送・転載歓迎
1億2千万人いれば:いろいろな人が知らせてくれます。
日本の「黒い朝」がすでにはじまって数十年経った状況を報じています。
しかし、日本人のほとんどの人々がまだ気づかない……
(中略)
根津公子さんも出ています。
英語が得ての方、概略の翻訳と解説をつけて、返信願えれば幸いです。どなたかお願いします。
追伸:
「日本の黒い朝」シリーズ 忘れないうちに記しておこう。
●腹黒さ 隠す黒服 似合う人 社会の危機を示すシグナル
腹黒さ 隠す黒服 黒い街 黒い人たち 蠢いている
by 大地実
追伸
※「黒い朝」または「日本の黒い朝」を題材にした短歌、せんりゅう、俳句、詩、キャンペーン標語などを募集しますので、みなさん、つくったら返信くださるか、別途送信ください。私が金持ちなら3億円ぐらいの懸賞金を出して募集するのだが、金がないので、この件は無償ボランティアとしてお願いします。
(中略)
「日本の黒い霧」という映画があったような…検索したら松本清張の本の題名などなど出てくる、出てくる。
だれか「日本の黒い朝」を撮らないですかね。
記
〔フランス24動画〕ナショナリズムを招きそうな 日本の愛国心教(2分34秒)
---------------------------------
Patriotism in Japanese schools breeds controversy
http://www.youtube.com/watch?v=pmCAnyt4aaA
Singing the pre-World War II national anthem in schools is compulsory since a few years, but some parents and teachers worry about patriotism becoming nationalism.
-------------- Original Message Ends ------------
佐々木有美
解雇させない会ニュースNo.15のダウンロードです。
解雇させない会ニュース一覧表を作成してあります。
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日中はこの2ヶ月の間に溜まりにたまった仕事に宛てた。夜はあきる野学園の職員親睦会の歓送迎会に参加した。同じ時間に、南大沢のそれが行われているのだから、ここは笑うしかない。南大沢では、1年前に私が書類の身分上は着任となった時にも、尾崎校長は、「呼ぶな」と職員に告げたと言う。
それはさておき、同僚となる人たちと気持ちよく交流ができ、「10月よ、早く来い」と思う。
都庁前で8時からでチラシ撒き。9人の参加。定年で再雇用になったWさんは、何と、木曜日が休みだというので、それに感謝した。
今日のチラシは、表面に、署名や要請書が処分を決定する教育委員に届けられなかったこと、そして、金井任用係長が私たちへの対応を指して「からかって来るか」と発言したことに対し、5点からなる質問状を出したことを、裏面には改訂が決まった学習指導要領についての解説を載せた。
10時半からは07年度「君が代」裁判、16時からは05年の「君が代」裁判。裁判所の前では、国労闘争団が座り込み行動をしていたので、少しだけ参加した。
南大沢学園(特別支援学校)に。今日も私より先にEさんと近藤さんがいらしていた。近藤さんは、校長や職員に渡す手紙を用意されていた。
私は、「わたしはどんなにおどされても、まちがっていると思うことにはしたがいません」と書いたプラカードを立てて、生徒や元同僚を迎えた。立ち止まってプラカードを読む一人の生徒は、「間違ったことはしてはいけない。うん。根津先生がんばってください」と言って、門の中に入っていった。また、一人の生徒は、私のことをテレビで見たと言う。「がんばってください」「(「日の丸・君が代」は)戦争に使ったんでしょう。○○先生も反対だって、言っていたよ」としばらく話をしていった。
8時15分、校長と小中学部の副校長が連れ立って現れた。「迷惑なので、お帰りください。本校の教育活動には関わらないでください」と目を合わせずに言うと、私の返事は聞かずに、門の中に引き上げた。私と会話になることは避ける。対応の仕方は、法令上私とは、何の関係もなくなった今も相変わらずだ。もしもこの発言を校長の職務、生徒のため、と本気で思うなら、校長は私を説得しようとするだろうに、その気配は微塵もない。
副校長は、と言えば、職務時間中に職員室の自席から真後ろを向き、私の方をまるで監視しているような様子。到底、机に向かって仕事をしているとは思えない。
今週末に離任式が予定されているのだけれど、それに根津を呼ばないことを職員に告げたと言う。その理由を校長は、「転出先のあきる野学園の校長から出張命令が出ないから」と言ったそうだ。停職中に出張命令が出せるはずはない。そんなことは誰も承知のこと。それを承知で、生徒との関係を考えて、立川でも鶴川でも、出席させてくれた。それが、人として当たり前の行為であり、校長の裁量というものだ。こんな差別的なこと、いじめをすればするほど、職員の気持ちが校長から離れていくことが、この人にはわからないのだろうか。
隣の公園に行く生徒たちに「言ってらっしゃい」「お帰りなさい」と声をかけ、その反応に温かい気持ちをもらった。
午後は、都教委の今日の暴走を予期させることになった、多摩中事件の結審。最終の意見陳述をした。
以下は、近藤さんの手紙。
私達は、教える機械じゃありません
被処分者 近藤順一
都立南大沢学園養護学校、学校長及び都教委の皆さん、
新年度を迎えお忙しい毎日かと察します。この3月の卒業式でも「日の丸・君が代」強制、処分が強行されました。とりわけ3月まで貴校に在職していた根津公子氏には停職6ヶ月という重い処分が課されました。私は、自分に課せられた処分と共に、これに強く抗議します。根津氏は「教育に反することには加担しない。理不尽なことには服従しない。それが教員としての職務と思うから私は着席します。」(『希望は生徒』)と述べています。
私も3回目の不起立、2回目の処分を受ける中で、自らの思想・良心の自由を保持すると共に、生徒に対し、多様な考え、行動があることを示す必要を感じます。学校現場での職務遂行としての不起立の意義を考えています。今回、現職解雇という遮断ではなく、対話の道を選択した皆さんが、これ以上の強制、処分を停止することを強く要求します。
教職員の皆さま、生徒・保護者の皆さま、地域の市民の皆さま
私達は、現職解雇を危惧していました。停職6ヶ月という重い処分ではありましたが、解雇を免れました。その背景には、皆さまの力強い声と行動があったと確信しています。この間の皆さまの取り組みに敬意と感謝の意を表します。
私達は引き続き訴え行動します
不服従を貫く教員を「ガン細胞」と称し、「不適格者」として嘱託解雇・不採用にする、ましてや「現職解雇」さえ危惧され、強制異動(配置転換)によって物か機械のようにあつかわれる。これは、新教育基本法、新学習指導要領、教員免許更新制による近い将来に「一般化」される「排除の事態」ではないでしょうか。そして、現在、労働現場で先行、普遍化している日雇い派遣、ポイント派遣、臨時雇用など、人を人とも考えない事態と重なるのではないでしょうか。それが、私達の先輩教員が手を染めた「教え子を戦場に送った」道に通じることを21世紀の今、現実問題と考えています。
昨日、根津氏の新たな職場である都立あきる野学園を訪れました。都教委の皆さんにただ一つ感謝すべきは、すばらしき自然に囲まれ「山笑う」季節に、正に奥多摩の山々に迎えられたことです。
私達は、今後とも苦難の境遇に呻吟する若者をはじめ各界各層の皆さまと共鳴し、自らの信じる道を歩みたいと思います。 (2008.4.16)
あきる野学園に初の停職「出勤」。7時半、車で自宅を出て12分後には学校着。車は、学校の斜向かいに1日200円で駐車できる。停職が明けたら、1時間に1本のバスと、1時間に3本の電車で不便になるが、停職中は、らくらく「出勤」だ。
7日に校長から紹介はしてもらっていたが、なぜ停職?といぶかしく思っている同僚となる人もいらっしゃるだろう。そう思って、自己紹介がてら、私が起立しない気持ちを綴った手紙を出勤する同僚たちに手渡した。それを始めたところに、近藤順一さんが現れ、手紙渡しを手伝ってくださった。川崎のご自宅から2時間はかかるであろうに。昨年の停職出勤の時には、南大沢学園養護学校に毎週来てくれて、登校・出勤時の挨拶に加わってくださったのだった。
同僚となる人たちの対応の多くに、温かさを感じた。一人の生徒が、プラカードを読んで尋ねてくれたので、説明をすると、彼女は「自殺をした校長先生もいますよね」と言った。そして、手を差し出し、「それをください」と言う。「これは、大人向けの手紙なのよ」と答えると、「お母さんに渡しますから」と。彼女は、帰宅してどんな報告をしたのだろう。考えるきっかけになったなら、うれしい。
あきる野学園はずっと門扉が開け放されている。通りがかりの人も私も中を眺めることができる。中の人が私に声をかけてもくれる。学校に出入りする業者や道行く人何人とも、初日から話をした。やはり、ニュースを見ていられる人が多かった。
池田小事件をきっかけに学校の門扉が閉められた。その門扉は、学校が人を固く閉ざすような雰囲気を与える。しかし、ここあきる野学園は、終日閉められていない。とっても開放的な、温かい印象を受けた。
次は、手渡した手紙。
あきる野学園の教職員の皆さま
おはようございます。
私は7日の職員朝会で校長から紹介いただきました根津公子と申します。心が温かくなる始業式に参加させていただき、10月の到来を首を長くして待っています。
紹介の折に「10月から出勤」と聞かれて、どういうこと?と思われたでしょうし、また、今朝は何?と思われるでしょうから、自己紹介をさせていただきます。
都教委がいわゆる10・23通達を出して以来、全都で延べ404人の教職員が処分を受け、今年も20人が処分を受けたのは、ご存じのことでしょう。私もその一人です。3週間前の南大沢学園養護学校の卒業式での「君が代」斉唱の際起立をしなかったことで、3月31日に処分が発令され、4月1日から6ヶ月間、停職とされました。
停職期間中は、抗議・要請や都庁職員へのアピールのために都庁に行くほかは、10・23通達による処分を受けた学校と、着任したここ、あきる野学園の門前に来ます。私は教員として間違ったことはしていないし、仕事をする意思は十分あります。だから出勤したいのですが、中には入れてもらえないので、校門前にいるのです。道行く人がここは少ないのかもしれませんが、その人たちにも、都教委のしていることを知ってもらいたいと思っています。皆さまも、お忙しいでしょうが、休憩時間にどうぞお立ち寄りください。
さて、私の経歴です。71年、家庭科担当として江東区立大島中学校に着任。子どもの喘息で八王子市に転居したのに伴って、市内の小学校に4年、中学校2校に20年、そして多摩市の中学校に3年いましたが、03年以降、「校長の人事構想にない教員は1年で異動させることができる」とした、米長元教育委員が絶賛した異動要綱を使って、ほぼ毎年、1年で異動をさせられています。特に昨年は、中学校から養護学校に校種替えをされました。
異動攻撃を受ける理由は明らかです。「君が代」不起立処分に象徴されるように、私が「職務命令だから従う」とはしない教員だからです。
私は「君が代」不起立で、04年(=04年は、産経新聞によると、私がいた「調布市では明確な職務命令が出ていなかった」ということで処分なし)以外、毎年処分を受けています。
「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないことだと、私は考えます。しかし、だから、起立の職務命令に従わないのではありません。
起立をしないのは、都教委が進める「日の丸・君が代」が教育行為に反し、教育を破壊することだと考えるからです。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できるような資料も機会も提供せず、いや奪い、起立・斉唱を指示し従わせるのは、調教に他なりません。1947年制定の教育基本法が否定した、戦前戦中の教育と同じです。
都教委は、「君が代」不起立・不伴奏処分について、教員の「内心は問わない」と言い、また、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童・生徒は起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまう」からと言います。私たちも子どもたちも何と見くびられたことでしょう。
教員が黙することによって、子どもたちを被害者にしてしまう関係に私たち教員は置かれています。70年前だけでなく、今。子どもたちに「上からの命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教え、子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されません。
子どもたちが何の疑問も持たずに起立斉唱するように、教職員は内心に反してでも起立せよ、という職務命令が正当な職務命令ではないことは、発出している校長たちの多くが承知しているはずです。子どもが人として成長するその助けをするはずの学校で私たちが大事にしなければいけないことは、道理や徹底した話し合いによる民主主義、そして違いを認め合う思想とそれに基づく教育活動だと思います。
私は常々生徒たちに、「みんながやるから、ではなく、自分の頭で考え、判断して行動しよう。おかしいと思う時には、たとえ一人であっても、おかしい、と言おう」と言ってきました。今までに私と出会った生徒たちへの責任から、また、これからも教員であり続けたいとの思いから、理不尽な職務命令や「校長としてのお願い」は拒否します。
これを読まれる皆さんのかなりの方が、都教委は間違っている、と感じていらっしゃると思います。いや、そうはお感じにならない方とも、ご一緒に考え合っていけたらうれしいです。
2008年4月15日
根津公子
鶴川二中に今年度初めての停職「出勤」。鶴川に予定した日は、一昨年も昨年も雨の日が極端に多かった。台風直撃や雷雨で退散することもあったのだが、何と初日の今日も雨。
登校してくる生徒一人ひとりに「おはようございます」と声をかけた。授業を担当した生徒は3年生だけになった。「何で来るんですか。来ないで」という生徒もいれば、やっと顔がわかるくらいの距離から歓迎の声をあげてくれる生徒もいる。反応はさまざまだ。2年生と思しき生徒は、昨年のことを思い出し、ああ、といった感じだ。休み時間には、「根津先生がんばってー」と数人の男子生徒が何度も叫び、手を振ってくれた。私も手を振って応えた。また、別の休み時間には、別の場所から「君が代」を歌う声が聞こえてきた。「根津帰れ」とも。
下校時には、「ユーチューブで動画を見た」「テレビでも見たよ」「根津先生、カッコいい!」「明日は、記者を連れてきて」などと言っていく生徒もいた。
生徒たちには、私の抵抗する姿を見て大いに揺れ、考えてほしいと願う。
半年ぶりにお会いするご近所の方々が、「新聞で見ましたよ」「テレビで笑顔を見ましたよ」「クビにならなくて本当によかったですね」と声をかけてくださった。
プラカードをちらちら見ながら通る人には、「これは、私です」と近寄って行って自己紹介を始めると、多くの方が思い出したように「ああ」と合点をされた。そして、ねぎらいや応援のことばをかけてくださった。昨年に比べ、圧倒的に好意的の感じがする。「君が代を知らない人が多い。教えてくださいよ」と捨て台詞を吐いていったのは、たったの一人。3月31日の、私たちに好意的な報道の効果だろうか。それは世論操作と紙一重であって、怖いことでもあるのだけれど。
昨年ここで知り合った、我が子ほどの若いお母さんたちが、お子さん連れで訪ねてくださったり、「考え方は私とは違うけど、あんたは筋が通っていて立派だよ」と評価する年配のおじさんが来られたりして、1日の短かったこと!
被処分者 近藤順一
都立南大沢学園養護学校、学校長及び都教委の皆さん
新年度を迎えお忙しい毎日かと察します。この3月の卒業式でも「日の丸・君が代」強制、処分が強行されました。とりわけ3月まで貴校に在職していた根津公子氏には停職6ヶ月という重い処分が課されました。私は、自分に課せられた処分と共に、これに強く抗議します。根津氏は「教育に反することには加担しない。理不尽なことには服従しない。それが教員としての職務と思うから私は着席します。」(『希望は生徒』)と述べています。
私も3回目の不起立、2回目の処分を受ける中で、自らの思想・良心の自由を保持すると共に、生徒に対し、多様な考え、行動があることを示す必要を感じます。学校現場での職務遂行としての不起立の意義を考えています。今回、現職解雇という遮断ではなく、対話の道を選択した皆さんが、これ以上の強制、処分を停止することを強く要求します。
教職員の皆さま、生徒・保護者の皆さま、地域の市民の皆さま
私達は、現職解雇を危惧していました。停職6ヶ月という重い処分ではありましたが、解雇を免れました。その背景には、皆さまの力強い声と行動があったと確信しています。この間の皆さまの取り組みに敬意と感謝の意を表します。
私達は引き続き訴え行動します
不服従を貫く教員を「ガン細胞」と称し、「不適格者」として嘱託解雇・不採用にする、ましてや「現職解雇」さえ危惧され、強制異動(配置転換)によって物か機械のようにあつかわれる。これは、新教育基本法、新学習指導要領、教員免許更新制による近い将来に「一般化」される「排除の事態」ではないでしょうか。そして、現在、労働現場で先行、普遍化している日雇い派遣、ポイント派遣、臨時雇用など、人を人とも考えない事態と重なるのではないでしょうか。それが、私達の先輩教員が手を染めた「教え子を戦場に送った」道に通じることを21世紀の今、現実問題と考えています。
昨日、根津氏の新たな職場である都立あきる野学園養護学校を訪れました。都教委の皆さんにただ一つ感謝すべきは、すばらしき自然に囲まれ「山笑う」季節に、正に奥多摩の山々に迎えられたことです。
私達は、今後とも苦難の境遇に呻吟する若者をはじめ各界各層の皆さまと共鳴し、自らの信じる道を歩みたいと思います。 (2008.4.16)
解雇させない会 御中
永井 晶
解雇阻止ほんとうによかったですね。
私は28日と31日はどうしても時間がとれずに支援行動に参加できませんでした。
31日もでかけていて状況がわかりませんでしたで、午後4時半に都庁にいってみましたが、第二庁舎前はがらんとして、誰も来ていなかったので、多分解雇処分は出されなかったのだろうと思いました。
31日朝はみんなが手を取り合って泣いたとのことですが、私も涙腺がゆるい方ですからそうなっていたでしょう。
根津さんを見ていて、一人の人間が行動することの重み、大切さということを本当に知りました。
3月31日は教育行政の暴政とたたかう多くの人たちのこれからの戦いを勇気付ける大きな転換点となったのではないでしょうか。
書きたいことはたくさんありますが、、わたくしの叔父さんは軍国少年で少年航空兵に志願し、最後はインパール作戦に参加し、かろうじて生還してきました。その叔父さんが常にいっていたのは「軍隊というところは人間を人間でなくしてしまうところだ」ということでした。都教育委員会の対応を見ていて強く感じたことは「石原都政下の都庁は都庁職員を人間でなくしてしまうところだ」ということです。教育という人間性が最も重要な仕事に関連した行政にたずさわる人達のこのような姿を見ていると、東京都の教育行政の最大の被害者は子供たちだというおもいが強くします。
こどもたちのため、民主主義を守っていくためこれからも「君が代・日の丸強制」反対のたたかいに微力ですが参加していきたいと思います。
【事務局注】本メッセージは4月1日にいただいたものです。
渡部です。
本日(4月16日)、「河原井さん・根津さんらの解雇をさせない会」の都庁前での早朝ビラまきがあり、参加しました。(11名参加でした)
ビラでは、4月8日に都教委(職員課)に提出された「質問書」の内容が紹介されていました。(回答はまだ)以下に、若干要約して紹介します。
(1)この間多くの個人・団体から出された署名や請願書はどのような検討の結果、教育委員に届けないと決定したのか。
(2)署名や請願書は、懲戒分限審査会のメンバーには届けたのでしょうか。
(3)当会が3月14日に提出した請願書は、28日の定例会までに教育委員に届けられたのでしょうか。
(4)都教委は、阻止線を貼り、警備員や職員を配置して、要請する人たちに常軌を逸する対応をしましたが、都教委はなぜ、批判を聞こうとしないのですか。
(5)金井任用係長は、要請団と会う前に、「これから30階に行って、からかってくるか」と言い、同僚などからもその言葉を聞きかれていますが、直ちに事実を明らかにし、謝罪することを求めます。
特に(5)は、公務員として全く許せない言動です。このような言辞をはいた金井氏こそ「懲戒処分」されて当然です。そして、こういう連中がいつの時代も「道徳心」・「愛国心」・「奉仕活動」・「日の丸・君が代」などを恥知らずにも強制するのです。
その後、河原井さんと根津さんの併合裁判が東京地裁でありました。傍聴に行くと、どこかで見慣れた顔の弁護士(都教委側の)が被告席に座りました。
その弁護士は、千葉高教組関連の幾つかの裁判闘争の際によく見かけた石津弁護士でした。千葉高教組の仲間達からは、「本質的でないつまらないことばかり言う」として、非常に評判の悪い弁護士でした。
彼は、都教委からも金をもらって仕事をしていたのですね。
裁判は、都教委からの準備書面提出を確認しただけですぐ終わりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
包囲ネットでは、この春の闘いの成果・教訓を打ち固め、
今後の闘争方向を明らかにしていくために、
『卒・入学式闘争4・27総括集会』
を開くことになりました。(入学式でも不起立者が出ました)
<日時>2008年4月27日(日) (13時開場)13時30分~16時30分。
<場所>在日韓国YMCA(JR水道橋下車 徒歩5分)
<資料代>500円
<内容>(予定)
(卒・入学式の状況の報告)
・被処分者から(参加される被処分者の方全員に
発言していただこうと考えています)
・ビラ配りの状況
・弁護士から
(解雇処分反対の闘いの報告)
・取り組みの報告(解雇させない会など)
・根津さんの発言
(今後の闘いの進め方)
・基調提案(包囲ネット)
・討論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全国各地から以下のところへ抗議の声を寄せることが重要です。
石原都知事:03-5321-1111(代表)、FAX 03-5388-1200
中村教育長:03-5320-6701
都教委人事部服務係(処分担当):03-5320-6792
都教委総務部教育情報課(苦情受付担当)
電話 03-5320-6733 FAX 03-5388-1726
南大沢学園養護学校(根津さん前勤務校)
電話042-675-6075
「君が代解雇をさせない」意見広告基金は、おかげさまをもちまして成功裏に終了いたしました。
ここに終了のご報告を行うと共に、みなさまの心からのご協力に、改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
今回の根津公子さんへの処分に対して、フランスの教員組合 SUD Education からメッセージが届きました。
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フランスの教員組合、スュッド・エデュカシオン連盟 (SUD Education)からの支援メッセージ
「東京都の日本人教員弾圧に反対!」
私たちは、根津公子さんに対する東京都教育委員会の処分決定(定職6か月と別の養護学校への異動)のニュースを知ったところです。
根津さんは、東京都と教育委員会が教育制度の中で強制しようとしている時代錯誤の国家主義的慣例に対して、抵抗しています。 東京都と教育委員会が今回もまた、彼女の抵抗をあくまで厳しく処罰しようとしたのは明白な事実です。また、この決定に表された正義・正当性の概念は、人と場合によって変わることも明らかです。同様に不起立をしても、このような不公平きわまりない処分を受けなかった教員もいるのです(それは喜ばしいことですが)。したがって、根津さんについては、彼女のような勇気ある行動を他の教員がとらないようにするための、みせしめの処罰だといえます。
私たちはまた、パリの日本大使館が私たち組合の連合組織ソリデールの代表と面会するのをまったく拒否したことを、大変遺憾に思っています。私たちはその場で、闘う日本人教員との全面的な連帯を表明するつもりでした。私たちが受けとった唯一の回答は、東京都の当局に直接あたってほしいというものでした。
私たちはここで再び、根津さんをはじめとする日本人教員への固い支援を表明し、彼らのアンガージュマン(自由な個人の選択による世界・社会参加の行動)に対する不当な弾圧に関して、警戒をつづけていきます。
私たちは彼らの側に立ち、フランスや国際的なパートナーに対して、東京都当局の態度を告発しつづけていきます。
サン=ドニにて
SUD Education スュッド・エデュカシオン連盟「国際部」委員会
ステファン・アンジャルラン
*教員組合のスュッド・エデュカシオンは、さまざまな職業分野にできたSUDを中心にして出来た44の組合の連合体、ソリデール(「連帯して」の意)組合連合(Union Syndicale Solidaires)に属している。
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佐々木有美
南大沢学園に停職「出勤」。私が到着する前に、2月途中から3月25日まで毎朝、校門前に立ってくださったEさんがすでに到着しておられた。学校名が「養護学校」から、流行の「特別支援学校」に変わっていたが、ぴんと来ない。31日の処分発令の日に居合わせなかったたくさんの元(になってしまった)同僚が、「おめでとう!免職じゃなくて、本当によかった」「31日にいなくてごめんね」と言ってくれた。8時過ぎ、「フランス21」と言う局が取材に来られ、応じた。
半月ぶりに見る生徒たち。とっても懐かしい。根津とわかると、歓迎してくれた。
午後は、裁判の進行協議。
すでに予定を変えることもできず、大雨の中、都庁前でチラシ撒き・情宣をした。こんな大雨にもかかわらず、9人が参加してくださった。
9時過ぎ、先週金井任用係長に伝えておいた質問への回答を得るため、そして、停職処分に対する抗議分を渡すために職員課を訪ねた。しかし今日も、通常の受付はシャットアウトされ、ロープと人間バリケードの「受付」が用意されていた。このような「非都民」の扱いに、異を唱える職員はいないのだろうか、と思う。
案の定、金井任用係長には、質問について回答をする意思は見られない。「からかってくるか」発言に及ぶと、激昂する。
私たちが用意していった抗議文と質問書を読み上げると、読んでいる途中で金井係長は姿を消してしまった。しばらくすると、替わりに、T教育情報課係長が「私が受け付けます」と言って、やってきた。「都民からの要望・要請等の受付窓口は、教育情報課」にしたいとする、つまらない執念を感じる。「教育情報課の関与のもと」、しかし、「原則として担当する課が」受付ると、要綱には書かれているのだから、担当所管の職員課が対応すれば何の問題もないはずなのに。
質問は、次のとおり。
(1)当会はじめたくさんの個人・団体が提出した署名や請願(書)はどのような検討の下、教育委員に届けないと決定したのか、明らかにしてください。
・検討に携わった役職(個人名)
・検討の結果、これらを教育委員に届けないとした理由
・これらが、現時点でどのような扱いを受けているか
(2)署名や請願(書)は、懲戒分限審査会のメンバーには届けたのでしょうか。届けないとしたら、その理由をお聞かせください。
(3)請願書を届けないとなると、憲法16条に抵触します。当会が3月14日に提出した請願書は、28日の教育委員会定例会までに、教育委員の方々に届けられたのでしょうか。
(4)2月以来、「君が代」処分をしないよう要請をしようとする私たちに対して、都教育委員会がしたことは、阻止線を張り、警備員や職員を配置して、それを阻止するという、常軌を逸した対応でした。賢い政治家や行政が、批判する民衆の声にこそ耳を傾け、施策に活かすものであることは、説明するまでもないことですが、都教育委員会は、なぜ、批判を聞こうとしないのですか。
(5)27階の人事部職員課に要請に行こうとすると、阻止線に「責任者」として対応したのは、金井任用係長でした。同係長の対応は終始、「組織として」「上司の指示で」「責任と誇りを持って」、「回答しないが回答です」、「所管課の判断で適正に処理します」というものでしたが、しかし、それだけではなく、3月28日に30階で抗議をする私たちのことを指して、「これから30階に行って、からかってくるか」との言辞を吐きました。金井係長は、4月2日に私たちがそのことをただすと、烈火のごとく怒りましたが、「言った」とも「言っていない」とも言いませんでした。
同係長がその言辞を発した時、すぐ近くに、スーツ姿の見覚えのない人がいたはずです。そしてまた、エレベーターホールに居合わせた職員と警備員は、同係長の発言を聞いたはずです。同係長の発言に呼応して一人が、「このエレベーターではまずいのでは」と言っているのも、スーツ姿の彼は、聞いています。
その時間帯に警備に当たっていた職員と警備員の記録はあるはずですし、今なら各人の記憶もはっきりしています。
直ちに、事実を明らかにし、謝罪することを求めます。
フランスの日刊紙ルモンドに載った、4月3日付け「君が代」不起立についての記事の翻訳(抜粋)です。
「日本では祖国を軽々しく扱わない」という皮肉たっぷりのタイトル。筆者は古参のフィリップ・ポンス特派員です。
「君が代」不起立問題のほかに、映画『靖国』の上映自粛、「大江・岩波裁判」判決にもふれた長い記事です。
「君が代」不起立問題部分の翻訳です。
罰せられた教員達(小見出し)
マスメディアの反応が少ないこの他の最近の出来事は、日本における言論の自由にのしかかる多様な圧力を暗示していると言える。
例えば、約20人の中学高校の教師達が処分されたが(10パーセントの減給、6ヶ月の停職、非常勤の場合は契約が更新されない等)、これは2003年に義務付けられた「生徒に国歌を歌わせること」を拒否した為である。
以来、約400人の教師達がこの通達を尊重しなかった為に処分や「再教育」の対象となっている。
リズムがゆっくりした荘厳な日本の国歌は天皇への頌歌である。
日の丸と共に「君が代」は1999年国家の象徴として制度化されたが、この措置は軍国思想に同調するものであるとして、一部の知識人の抗議を引き起こした。
これら国家象徴について、一般大衆間に議論が起きることは事は稀である。
スポーツ大会や勝利に伴う集団的歓喜は青年層にお祭り気分のアイデンティティー意識を生み、戦前の象徴的内容は取り除かれている。
又、国歌の斉唱を強制されているが故に、信条の自由についての議論も巻き起こしている。
2006年、東京地裁は卒業式の際斉唱を拒否した教師の主張を認めた。
判決理由の中で、裁判所は「教師は君が代を斉唱する義務はない」、又「斉唱を強制する事は思想、信条の自由を侵す」と裁定している。
さらに、同裁判所は東京都に対し教師達に1200万円の損害賠償を払うことを指示した。
2003年の通達では、東京都教育委員会は校長達に国旗掲揚に起立することと、生徒に国歌を歌わせる事を教師に強制するようにとの指令を出した。
同指令は従わない者への処分をあらかじめ定めており、この処分に対し400人の教師が東京地裁に訴え出ていたのである。
処分を伴う君が代斉唱の強制は政府が教育に過度に介入することを禁じた教育基本法に反するものであると判事は強調した。
解雇させない会ニュースNo.14のダウンロードです。
発行日が3月15日であるにもかかわらず、本日(4月10日)の電子版リリースです。
電子版読者のみなさんに、事務局の不手際を深くお詫び申し上げます。
ご無沙汰しております。
昨日は根津さんの解雇阻止の知らせにほっとしました。
これは根津さん、また支援の方々が勝ち取った快挙以外の何のもでもありません。
もうご存知と思いますが、フランスでは組合「SUD」の教育部が無料で製作を引き受けてくれた「君が代不起立」のフランス語版がもうすぐ完成するそうです。
上映会を通して、10.23通達撤回まで私達も微力ながらも支援活動を続けていくつもりです。
皆さんの更なるご健闘を祈ります。