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2006年4月

2006/04/28

4月28日(金)立川二中

「離任式に来るでしょ?」。登校時何人もの生徒が訊いてきた。今日は離任式。校長は停職中の私も呼んでくれた。これを都・市教委が黙っているはずはないと思う。呼んでくれたことに感謝。
 招待されて入る校舎は、まぶしく感じた。11人もの転任者だったので、生徒に話す時間は1分。私は、「私が生きる上で大事にしていることで、皆さんにもしてほしいと思うことを話します。皆がするから、言われたからするのではなく、正しいことか、間違ってはいないか、皆の幸せ、平等に繋がることか、自分の頭でよく考えて行動していってください。大勢がやるから正しいとは限りません。そうすることで、時には辛いこともあるかもしれませんが、ほんの少しの勇気を持って、たとえ一人になっても正しいと思うことをしていってくださいね」と話した。
 離任式とは別に、用意してきた手紙を手渡してくれた生徒が3人。「とっても優しくて、自分の意思は曲げない。私はそんな先生に憧れみたいな気持ちを抱いていました。私はそんなふうにはなれなくて、周りに左右されながら生きているんで~」「たぶん先生は教育委員会からいろいろ言われてると思うけど、Aは先生の考え方いいと思うよ!~応援しているんだから」「家庭科、大好きになりました」と。
 「先生、サインしてーえ!」と駆け寄ってくる男子たちに応えたり、卒業生ともおしゃべりしたり、楽しいひとときを過ごした。
 今日は晴天、日差しが強かった。離任式が始まる2時過ぎまで校門前にいたときに、卒業生が冷たいお茶を差し入れてくれた。優しい気持ちがプラスされて、本当においしかった。しみじみと味わった。

2006/04/27

4月27日(木)

 4月26日(は八王子時代の仲間たちと石和の温泉でゆっくり。今年初めての休日を満喫した。
 27日は都庁前で出勤する職員にチラシまき。その後、定例の都教育委員会を傍聴した。議題は、
(1)日本の伝統文化に関する教育推進会議報告書について――この会議は、中高一貫校である都立白鴎高校付属中の校長への提言機関。「日本文化概論」とい う授業を始めるに当たり、はじめに「将棋」の学習内容とその展開例を作ったという。この学校だけでなく、行く行くは全学校に伝統文化に関する教育を普及さ せていくと言う。 
(2)懲戒処分の見直し(案)について――翌28日の新聞報道のとおり、体罰、性的行為、公金横領などの厳罰化、免職。私たちに関係する「勤務態度不良・ 職務命令違反」が加重処分でどこまでやるかについては、明らかにしなかった。高坂委員の発言では、この定例会に議題として出る前に、27日付け産経新聞に 掲載されているという。これについての答弁はなかった。 
(3)第1回東京都教科用図書選定審議会の答申について 
(4)部活動振興専門委員会報告書について。――「部活動指導は職務であることを周知徹底する」「顧問は教諭から学校職員に拡大する」など。
 これらの議題が、結論先にありきで、論議せずに通過して行く。提案部署の職員はそれぞれ10数人が担当の議題の時だけ会場にいて、それが終わると退室す る。議題ごとに入れ替わるのだ。どのような流れの中に自分たちの提案があり、それによって学校が、子どもたちがどのような影響を受けることになるのか、こ の人たちの頭にはないのではないか、とふっと思った。
 私たちの処分もベルトコンベアーに流されるように、質問さえ出ずに決まってきたんだろう。

2006/04/25

4月25日(火)鶴川二中

 8時頃校門前に立つ。8時10分、パトカーがこちらを覗き込むようにしながらゆっくりと通り過ぎた。8時15分には副校長と校長が登校指導にやってきた。私の「出勤」日だけ校門前に立つ副校長と校長は、生徒たちの目には何と映るんだろう。副校長は「プラカードの文字が新しくなりましたね」と気づき、登校指導の後、カメラを持ち出し、私に断って写真を撮った。「毎回都教委に送るの?」と訊くと副校長は今日も否定したが、でなければ何に使うのか?
 休み時間に「ねづきみこ!」と叫ぶ女の子たちの声が聞こえてきた。試してみたのかな?手を振ってそれに答えた。
 今日はひょうと雷に見舞われた。雨の中でのお弁当。

2006/04/24

4月24日(月)立川二中

 今日は穏やかな天候だった。何人もの訪問者あり。
 まだ一人でいる時、自転車で通り過ぎた青年が戻ってきてプラカードを読む。二中の卒業生で弟さんが在籍していると言う。簡単に処分の事情を話すと、彼は言う。「何のことでもだけれど、自分を守るために、従ってしまう大人ばかり。それがいやだ。その人が、それが正しいと本心から思ってやっているならいいけれど」と。「まったくそう思うよ、私も」と意気投合する。彼は「はだしのゲン」を読んだのがきっかけで戦争中のことを知りたくなって本を読んだのだそうだ。学校の勉強は大嫌いだったというが、戦争中の歴史の知識が豊富でよく物事の本質を見ている。しっかり考えている。毎日通った学校がではなく、一シリーズの漫画本が彼に知識欲を呼び起こし、物事の見方を示した。時代は違うが、私も物事の見方を知ったのは学校ではなく、一冊の本からだった。彼のような人に接すると、学校を変えなくちゃ、と強く思う。
 話し込んでいるところへ車を止めて中年の男性がやってきた。プラカードを読んで、「そうだ、ちゃんと君が代の意味を教えなきゃいけない」「君が代とは、国民皆のことだよ」と言って去ろうとする。「いつから君が代とは国民皆のことになったのですか」と訊いたが、言いたいことだけ言って車に乗り込んで去ってしまった。
 プラカードには今日は次のように書いた。「抗議します。「君が代」不起立で停職3ヶ月処分/生徒に「君が代」の意味は知らせずに起立斉唱だけを求める。/こうしたやり方は教育がしてはいけないことだと思います。だから私は起立しなかったのです。/なぜ、「君が代」の意味も歴史も、議論があることも生徒に知らせないのでしょう?」。
 今日も下校時間帯は3年生の生徒たちと色々話し、戯れた。それを傍で見ていた友人は、「子どもとの語らいが根津さんのエネルギーになっているのね」。そのとおりです。

2006/04/23

第4週

 4週間が過ぎた。4月も終わり。

2006/04/21

4月21日(金)

 8時から都庁でチラシまき。その後、署名提出と質問に教育委員会に行った。

 3週間が過ぎました。1日屋外で過ごすと、何をしたのでもないのに、夜は睡魔とのたたかいですが、愉しみながら「出勤」しています。

2006/04/20

4月20日(木)

 今朝は副校長も校長も、パトカーも来なかった。私はただ立って、登校する生徒たちに挨拶の声をかけているだけなのだから、これでいいはずだ。職員打ち合わせが終わっただろう頃、「出勤」していることを告げに行くべきかと思っているところに出張に出かけようとする副校長と出会った。下校時間帯にはやっぱり、副校長が下校指導に出てきた。本当にご苦労様なことだ、と思う。
 今日は日中、突風と雨。穀雨。この天候の中、約束していた訪問者と語り合う。昨年の停職期間にプレゼントされたゴアテックスの合羽とズボンに包まれ、濡れも蒸れもしない。快適だ。でも、突風で傘は骨が折れてしまった。今日藤沢市では、電柱や屋根が飛んだ事故があったそうだ。
 放課後は、雨が上がり、台風一過のような空になる。部活動で校地の周りの道を走る生徒たちの姿をまぶしく眺めた。

2006/04/19

4月19日(水)

 調布中への見せしめ的報復的人事異動裁判の控訴審2回目。調布中、立川二中に続き、鶴川二中も同様の人事異動であることが明確となった今、あらためて証人採用を要求したが、書面で十分として結審とされた。

2006/04/18

4月18日(火)

 鶴川二中へ。8時過ぎ、パトカーが速度をすごく落とし、明らかに私を覗き込むような視線を向けて通り過ぎて行った。8時5分には副校長が、やや遅れて校長がやってきて、登校する生徒に挨拶の声をかける。挨拶自体はいいことだけれど、今日も朝の職員打ち合わせには2人とも出ない。変だよな、と思う。
 11時、車を止め、自販機で飲み物を買った人が私の方に来られる。頭を上げると、60代らしき男性。「信念を貫くって大変なことですね。最後までがんばってください」とおっしゃり、今買われたお茶を差し出された。ご近所にお住まいの方だとのこと。原稿を書きながら、眠くてボーッとしていた頭の霧は一瞬にして消え、私はうれしさでいっぱいになる。感激がプラスされたお茶はとってもおいしかった。昨年立川でも、炎天下にいる見ず知らずの私に、飲み物や氷を差し入れてくださる方が何人もいらした。こうした方々にどんなに励まされ、支えられていることか。人間っていいな・・・。じわーっと、ひとの温かさに浸りながら想う。朝は、園児を連れた、おしゃれを愉しむお母さんが立ち止まり、プラカードを読まれて、「ひどいですよね」と声をかけてくださった。毎日挨拶を交わす方もできてきた。
 夕方の予定があって、3時半、「退勤」。

2006/04/17

4月17日(月)

 新聞の天気予報では「予想最高気温19℃」。久しぶりに春らしい天気、と思って多少薄手のセーターとコートに替えて今日は立川二中に。ところが、午前中は強風に叩かれっ放し。まだまだ防寒対策が必要だった。
 登校時刻が過ぎ読書タイムに入った頃、出勤途上の男性が自転車を止めて私のところに来られ、激励してくださった。初めての方。上のお子さんは二中の卒業生だとおっしゃる。見ず知らずの方から声をかけていただくことがどんなに、私を励ましてくれることか。
 昼食はAさんが私のために作ってきてくれた稲荷ずし、近くの公園に行っておいしくいただいた。
 下校時は今日も3年生の生徒たち何グループか、何人かが入れ替わり立ち代わりして、おしゃべりを楽しませてもらった。
「先生、給料もったいないから立っちゃえば」。「クビにされても、間違っていることには服従しないよ」と答えると、「君が代歌っても、戦争になるわけではないでしょ?」と言う。「大きく見れば、戦争に突き進ませないために闘っているのでもあるのよ、私は。でも、(鵜呑みにしないで)自分で考えてね」と答えると、「戦争にならないよう、先生がんばって」と。戦時になれば直接狩り出される対象である若い世代の声だ、と思った。
 別のグループは、「君が代のことよく知らないから、(学校は)きちんと知らせてほしい」「知らないのに、立てって言われるのいやだ」「反対する人の意見も賛成する人の意見も聞きたい」。まったく生徒たちの言うとおりだ。
 私は何をしたいのか?すべきなのか?答えを見つけたいBさんとしばし話をする。「周りの人の意見にはしっかり耳を傾ける。でも最後は自分の意思で行動を決めたいね」と確認しあった。「先生がんばって!応援しているよ!」――「私もBさんを応援しているよ」。行き始めた体を再度私に向け、「先生、努力は人を裏切らない、って」――「そうだね、努力は私を裏切らないよね。ありがとう。お互い、がんばろうね」。

2006/04/12

4月12日(水)都庁に

 6時に自宅を出発し、都庁に行った。8時から1時間、総勢15人で情宣とチラシまきをした。2回目の処分を受けた7年前、毎月八王子市役所の前でチラシまきをした時はほぼ全員が受け取ってくれた。声をかけてきてくれる職員もかなりいた。しかし今日の都職員の反応は、その頃とまったく違う。この7年で都教委が変容したのと同じ速度でここに働く職員の反応も変容したようだ。背広あるいはスーツ姿のこの人たちの表情は硬く、外界は何も見えないかのように庁舎の中に入っていく。
 庁舎前の通路にはホームレスの人たちが大勢、寝ていた。あまりの多さに、打ちのめされた。これが「先進国」日本の格差社会の現実。「日本の象徴だね」と一人が言った。まったくだ。雨が降っていたから起きても仕方がないからだろう、寝ているその人たちを都庁の警備の職員が「起きろ」と命じていた。
 チラシまきをした後、その足で皆で「停職にするな!解雇するな!」の署名を持って教育委員会に行った。ほうせんか37号に掲載した報告のように、今回も署名の行方を確かめようとしたが、はっきりしない。署名(=これまでで15497筆)を提出して、次回来る日を告げ、そのときには明快な回答ができるようにと要請してきた。
 皆さん、署名は続けますので、さらにご協力くださいますよう、お願いします。毎週、都教委には行く予定です。
 その後は、多摩中裁判の進行協議が地裁であった。夜は、国労を解雇され鉄建公団訴訟をされている稚内の斉藤さんという方から、励ましの電話をいただいた。機関紙「ほうせんか」をご覧になって電話を下さったと、おっしゃる。闘っている人を見て、私も闘おう!と自然に思うようになったこと。それぞれの闘いが互いに励ましになっていること。そんな話を交わした。うれしかった!

2006/04/11

4月11日(火)鶴川二中

 自宅から鶴川二中までの交通費が2000円。無収入でこの出費は辛い。「どなたか無料で駐車場を提供してください」とお願いの呼びかけをしたところ、友人を介して貸してくださる方が現れた。おまけに、ラッシュ前なので公的交通手段よりも30分も時間短縮になる(6時25分自宅を出発し、7時50分学校前に到着)。本当にほんとうに有り難い。
 私が校門前に立って10分もすると、校長と副校長がやってきた。「保護者や近所の方から『立つのを止めさせろ』と苦情が来ている。学校の前は止めてくれないか」「弁当を地べたで食べさせるな。生徒がコンビニの前で食べるのも止めさせているのだから、と言われた」と私に言う。「すべては都教委の処分がさせること。都教委に処分を止めるように言えばいいことです」と答えて、話は終わった。二人はそのことを告げに来たのかと思っていたら、そうではなかった。校門前で登校する生徒たちに挨拶の声かけを始めた。立川二中では私の停職2週目から地域の方が挨拶運動を始めたが、ここでは校長と副校長が、である。職員の朝の打ち合わせの時刻になっても、中に入って行かない。こんなことをしていて、学校の「運営」に支障は出ないのだろうか?私が何かをするわけでもない。ただ、出勤途上の校門前でシャットアウトされているだけのことなのに。そう伝えたが、二人は生徒たちの登校時刻を過ぎるまで立ち去らなかった。
 10時50分、町田警察の若い警察官がバイクでやってきて、「110番が入ったから来た。名前は何と言うか」と高圧的に訊いてきた。「ここにいることが道交法違反などの法令違反になりますか?なるのなら、名前をいいますが」と答えると、「道交法違反でも、他の法令違反でもない」と言う。「それなら答えません」と私。
 次に警察官が言ってきたことは、「大体何で停職3ヶ月なんだ!」と、あざけるような、かつ威圧的な物言いをした。「その質問は職務を越権する行為ではないですか」と2回言うと、ようやく謝り、撤回した。私を心配して来ていた友人にも「あなたもここの職員か」と訊く。権力の末端で、権力を笠に着てものを言うから、質問することに慎重さがない。だから私たちに論破されて終わる。
 警察官は、無線で上司と思しき人に報告を始めた。プラカードの文字を読み伝え、「チャリンコに貼っている。隅っこに座っているだけ」と言った。上司の指示があったようで、交信を切ると警察官は、「妨害していないし、隅っこに座っているだけですから、帰ります。また110番があったら、そちらも気分が悪いだろうが、来なければならない」と言って、帰っていった。どこもかしこも、上司の指示でしか動かない日本社会をここでも見せ付けられた。
 下校時間になるとまた、副校長が出てきた。仕事があるだろうに…と同情したくなる。
 立ち止まってじっくり読み、「がんばってください」と声をかけてくれた生徒が3人、この生徒たちはどういう問題かを知っている、あるいは知っているようだった。
 見えない苦情には脅えない。直接言ってきてくれる、見える励ましに私は希望を重ねる。そう、思った。

2006/04/10

4月10日(月)立川二中

 元同僚の友人宅に駐車させてもらって、そこから自転車「出勤」を始めた。生徒の登校が終わり、読書タイムに入っていると、どなたかが道路の反対側から声をかけてくださる。顔を上げると、昨年知り合った近所のおじいさん。近くの市民センターに通っていらして、行きに帰りに挨拶を交わした方であった。駆け寄って、「先生どうしているかと思っていた」とおっしゃるおじいさんに、今年の顛末を伝えた。
 立てかけたプラカードを見て、声をかけてくださる方との一瞬の出会いも楽しい。今日は2人。一人は、バイクに乗った若者が「先生がばれよ!負けるなよ!」と大きな声を残して走り去る。もう一人は、自転車から「がんばってください」と。花冷えがして、おまけに雨まで降り出す中でこうしたことばに心があったかくなる。この方たちが過ぎ去った後も、私の顔はにっこり状態が続く。
 部活動のない生徒たちの下校時刻は楽しい時間だ。雨の中、新クラスのことをおしゃべりしていく生徒、「がんばって!」「ファイト!」と手を振り振り返っていく生徒。ある生徒は、「雨降ってもやるの?」と聞く。「雨だって仕事はするでしょう?」と答えると、「そうかー!」。子どもたちと接していると、私の顔は緩みっぱなし。
 夜はAさんの定時制高校の入学式に参加し、ともにお祝いをさせてもらった。

2006/04/07

4月7日(金)鶴川二中

 鶴川二中校門前に「出勤」。今日は入学式。8時ぴったりに着くと、ご丁寧な「お出迎え」。そのうちに物々しい警備がしかれていることに気づく。戒厳令下の校門前「出勤」1日目だった。
 校門前には副校長のほかに市教委らしき人が2人いる。他にも数人いる。近寄って訊いたら案の定、S統括指導主事とM指導主事だと言う。「校長の要請でいらしたのですか」と訊くと、「違う。市教委の判断で来た」とのこと。理由は、「何かあるといけないから」だと。しばらくすると、市教委の2人は、副校長に「??が来たから」とか言って帰っていった。相手は耳打ちしたのだろうが、八王子にいた頃生徒から「地獄耳」と言われていた私には、聞こえてしまったのだ。気づくと、公安警察か?と思われる男の人が4人いる。私を観察、監視していることは言わずもがなである。彼らは、「品川」「多摩」ナンバーの2台の車で来ていた。品川ナンバーの車は卒業式が終わり、生徒も保護者もすべて帰った1時頃に引き上げたが、多摩ナンバーの車は、5時少し前まで張り込んでいた。
 さて私は、プラカードを持って、ここにいる人たちに混ざって、「おはようございます。おめでとうございます」と生徒や新入生の保護者に声をかけた。本当は中でお祝いして当然だ、と思いながら。すぐに、明らかに私を排除しようと立っている人に気づく。私の前に立ちはだかろうと、私が場所を変えるとその人も変え、私とプラカードの文字が見えないようにするのだ。意見をするのでなく、こうした行為に出るその人が哀れだった。プラカードには次のように書いていた。「ご入学おめでとうございます。希望に燃えた今の気持ちを大切にしてください。/私は4・1付で二中に着任しました。/でも今、停職3ヶ月の処分に。/卒業式の「君が代」斉唱の際起立しなかったことが処分の理由です。/私は間違っていると思うことには、従えないのです。」
 登校してくる生徒の数が少ない。聞くと、2、3年生は係や合唱の生徒だけが登校したのだとのこと。生徒たちの下校時にも、副校長および入学式の外警備に当たった教員とともに私も生徒たちに「さよなら」と声をかけた。面識のない私にきょとんとし、プラカードを見るので、「停職3ヶ月」の文字を指して、「これが私です。校長先生からお話があったでしょ」と言うと、さすが中学生の記憶力!「ああ、根津先生ですか」。校長には前もって、「私をいない者にはしないで。停職3ヶ月であることを理由とともに生徒たちに紹介してほしい」と頼んでいたところ、昨日の着任式で「7月から出てくる根津先生」と紹介があったのだそうだ。「これからどうぞよろしくお願いします」(根津)と挨拶交換の場となった。人懐こくてとてもかわいい生徒たち。
 「停職って何に?」「なぜ停職なの?」「何で起立しないんですか」「何で起立しないと停職なんですか?そんなの自由じゃん!」「君が代って、どういう意味か知らない」。色々言っていた。「『君が代は歌わない人もいます」って、小学校の時、先生に聞いたことがある』という生徒もいた。
2時過ぎ、「入学式」と書いた立て看板を撤去し副校長は中に入ったが、3時、「プラカードを写していいですか」とデジカメを持って出てきて私に訊いた。「さんざん皆が見ているものだから写しても構いません。でも、それは市教委が報告書を出せと言ってきたということ?」と言うと副校長は、苦し紛れな答えを返す。報告書作成・送付以外に写す目的がないのは明白なのに。
 5時、そろそろ片付けようと思っているところに高校の入学式を終えて中学校に来ていた数人の一行の目にプラカードが留まる。「うちの高校でも、やっていたよ」と声をかけてくれた。こういう「中高一貫」はいいなと、私は思わずにっこりした。

2006/04/06

4月6日(木)立川二中

 8時少し前に正門前到着。地域のあいさつ隊の人は普段よりも多く5~6人。1名はちょっと雰囲気が違う。生徒の登校が終わったところで本人に尋ねると、市教委の職員Aさんだと判明。「市教委の人がなぜここに?」と尋ねると、「二中の校長の要請」で、その理由は「騒動が起きる心配があるから」だと。もっと詳しく聞こうとしたら、遮られてしまった。「君が代」起立斉唱の職務命令だって、形の上では「校長の職務命令」。「石原都教委の」とは言わない。この「要請」もそんなものなんだろう。
 到着して、昨年と同じようにプラカードを組み立てているとすぐに校長が、次に副校長がやってきた。「職務」としてなのだろう。
 プラカードを持って立つとちょうどそこに、自転車を走らせた出勤途上の一人の保護者が、挨拶をされて行き過ぎた。でもすぐに戻ってこられた。「プラカードを読みたいと思って」と。昨年立っていた時に声をかけてきてくださり、それが縁で知り合った方である。行動すれば嫌がらせはたくさんあるが、貴重な出会いも生まれるわけで、その喜びは何にも替えがたい。
 ところで生徒たちは、と言うと、朝は大勢の大人たちの中をどういう表情をして通っていいものやらと、戸惑っていた節もあり、ぎこちない表情が目立ったが、下校時は校門に私一人である。いつもの顔に戻っていた。1人で、あるいは集団であれこれ話しかけてきた。話しこんでいく生徒たちもかなりいた。だから、午後はずっと楽しく過ごした。
 卒業式で私が不起立をしたことを生徒はほとんど皆、その時点で知っていた。さらにひどい処分になるだろうことも知っていた。ところが今日の始業式で「根津は転勤」と紹介があったことから、転勤となったのだから停職はしなくていいと受け取った生徒もいたようだ。「飛ばされたよね」と確信を突く生徒もいた。
「先生って、筋が通っているよな。すげえと思うよ」「(処分が加重されるから)仕方ないから立って、歌わなければいいじゃん」。それぞれに言う。「先生、がんばって」「明日も来る?」と言って帰っていった。
 プラカードには、「進級おめでとう!心新たにスタートを切って下さいね。/私は「君が代」不起立で停職3ヶ月に。/「君が代」ってどういう歌?なぜ歌うの?生徒に知らせないままに、「起立し斉唱しなさい」とは、私には言えない。だから着席しました。/こんな処分は東京都だけ。戦前・戦中のよう。」と書いた。

2006/04/01

停職「出勤」日記2 2006.4~

 私は教育的視点から起立を拒否したのであって、それは教員としての正当な行為。停職は不当、私は仕事をしたい。だから昨年同様、校門前まで「出勤」をします。

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