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2006年5月

2006/05/31

5月31日(水)

 鶴川二中へ。今日はとってもうれしいことがあった。下を向いて書きものをしていたら声をかけられた。見上げてとっさにどなたかわからない私に、「この間の」と名乗ってくださった。先週「ここに立つのは迷惑」と怒りをぶつけた一人の保護者だった。あの時とは180度違う表情に、わかるはずがない。「今日はお一人ですね」とおっしゃるので、「私を訪ねる人が時々いますが、これは私の思いからの私一人の行動なんですよ」と言い、私が起立できない、教員としての理由を話した。きちんと聴いてくださった。きっと真面目な方なんだろうと思った。ぜひお互いに意見を交わしたいと思い、「時間のあるときにぜひお立ち寄りください」とお願いした。人の考えは千差万別ではあるが、人の誠意は考えの違いを超えて通じるもの。違いを擦り合わせ、互いの固定観念を緩め、そうしたらきっと何かが生まれる、と思う。気持ちを込めてお礼を言い、すがすがしい気分で後姿を眺めた。
 昼下がり、お子さんの下校を出迎えたかと思われる若いお母さんが私のプラカードを見ていることに気づき、私は近寄って自己紹介をし、プラカードに書いた「学校は一つの考え(=国家の考え)を押しつけるところではありません。知り考え、意見を形成するところです」を指して、起立しない理由を話した。「私は君が代は歴史的に見ても憲法との関係からも問題だと思います、でも、嫌いだから着席したのではありません。強制する、一つの価値観を押しつけることに反対だから着席したんです。私は自分が好きなことでも全員がそれを強制されるなら、拒否します。自由であることが大事ですから。一般には『個性の尊重』と言いながら、『君が代』では個性や個人の意思を認めないのはおかしいと思います」と言うと、彼女は「全くおかしいですよね。これ(処分)はいじめですね」と怒っていた。そして私のささやかな行動に「ありがとう」と言ってくださった。小学2年生と言うお子さんが、話しに興味を示し、「自分がやられていやなことは人にしちゃあいけない」とずばり。
 今日も、近所のおじいさんや日課で散歩される方と、長いこと話をした。

2006/05/30

5月30日(火)

 午前中立川二中の運動会を見学させてもらい、子どもたちの弾けるようなエネルギーをいっぱいに浴びて、午後は私たち東京教組(=義務制)の「君が代」処分撤回の人事委員会審理に出席した。八王子市立N小校長(=04年3月当時)に対する尋問が行われた。
 都教委代理人は校長に、「国旗に向かって起立し斉唱すること」との職務命令を発したかを確認するのみ。それさえ立証すれば、職務命令違反→非違行為→懲戒処分の正当性が担保されると言うもの。悪法や命令を以って侵略戦争に突き進んだ過ちを踏まえてなおかつ、この職務命令が教育理念に照らして正当であることを展開すべきが、そんなことなど一顧だにしない破廉恥な輩。校長や都教委には「君が代」を子どもたちに、考え判断させずに強制することが教育行為かどうか、その説明責任を果たしてほしいものだ。
 私たち請求人側の尋問に校長は、「困った時には職務命令を出せと市教委から言われた」と言い、また、子どもの卒業を祝うことよりも儀式をきちんとやることの方が大事なのか、と問われ、「そうです。儀式が大事」と言ってのけた。何と言うことか!
 また、不起立したAさんについて校長が書いた事故報告書にも唖然とした。「八王子市、東京、日本の教育にとってマイナスである」と書いたと言う。17日の人事委員会審理で「都教委は事故報告書をどう書いたらいいかわからない校長のために、事故報告書の書き方見本を参考として配っている」(=趣旨)と証言していたが、その見本をはるかに超えたこの「校長所見」。子どもを祝うことよりも儀式をきちんと執り行うことに価値を置く校長に、子どもたちの日々の息遣いが届くはずがない。若くして校長に上り詰めたこの校長は、今は区教委指導室長っだと言う。
 今日は板橋高校の藤田さんになんとも不当な判決が下りた。教頭の証言を100%採用し、藤田さんや生徒たちの証言を「虚偽」とした上に成り立つ判決。

2006/05/29

5月29日(月)

 都庁「出勤」。私のほかに12人が参加。年休を取って来てくださった人も。感謝です。出勤する都庁職員にチラシを手渡し、「君が代」強制と処分について訴え、「皆さんのお仕事の中にも、都民のためにならないと思うことがあるのではないでしょうか?都民のための行政となるよう、声を挙げ、行動していきましょう」と語りかけた。今日で6回目、ご自分から手を出してくれる人が増えたような気がする。
 10時半からは私たちが提出してきた署名(=私や河原井さんにこれ以上の処分をするな。解雇をするな)の行方と扱いについて、都教委教育情報課から回答をもらうことになっていた。今日は通算7回目。会場の階でエレベーターを降りると、制服の警備担当者3人の姿が目に飛び込んだ。部屋番号を知らなくても、警備の人で部屋の方向が分かる。前回は私たち10数人と同じくらいの人数の、物々しい警備だったので、苦言を呈したからか、今日は私たちから見える人数は少ない。でも、物陰でスタンバイしていることは聞かずとも分かる。1時間後終わって部屋を出たところで、ここ第1庁舎にはいるはずのない第2庁舎都教委の、いつもにわか警備となる若い職員とばったり出会ったりもした。私たちは大きな声など出さない。丁寧にことばでやりとりするだけなのに、声を荒げるのは決まって都教委の課長だというのに、なぜ、警備なのか? それも超過剰警備。こんなことに都民の税金を使うのは止めてもらいたいものだ。
 部屋に入ると当然いるはずの教職員課長の姿がない。私たちが第1に求めていた「担当所管との対話の場を設定してほしい」との要求に、「教職員課長と折衝中」と聞かされていたので、人事部教職員課長が同席し、所管部署として責任ある回答をくれるのならと、私たちは都教委の意向どおりに回答を3週間も待ったのにだ。3週間は時間稼ぎだったのか?回答の前にまずそこを質した。教育情報課長は、「要請、苦情は情報課が対応するシステム(したがって教職員課長は出席しない)」と、初回だった3ヶ月前からまったく進展のない回答を読み上げる。「私たちの思いを伝えてくれたか。どう伝えたか」と聞けば、「伝えた」と言う。「どういうことばで伝え、それに対してどういうことばで返事があったのか、ことばどおり再現してほしい」と言ったら、ことばでは一言も言っていないことがようやく判明。書面だけでのやりとりだと言う。書面を補うことばをなぜ使わないのか。担当所管に要請者の思いが伝わっていないのに、なぜ、さらにやりとりをしなかったのか。まったく納得できない。教育情報課長は、教職員課とやりとりに使った書面を私たちに郵送することは約束をした。
 あと2つ、署名の扱いについては「内部手続きなので回答を差し控える」。累積加重処分については、「反省と再発防止(研修)を促しているにもかかわらず同様の非違行為をしているときに…(累積加重処分は)裁量である」。
 これについてはほとんどやりとりができなかった。職員課の書面回答を見た上で、次回聞き質そう。私たちは都教委にどこまでも対話を求める。

2006/05/27

5月27日(金)

 今日は入学式での不起立者5名(すべて高校)に対しての処分発令日。都教委への抗議と不起立者への激励に参加した。70名以上の人が駆けつけていた。今回初めての不起立者が2人(=戒告)。考えながらの2回目の人が3人(=減給1ヶ月)。都教委が凄まじい攻撃をしていることを承知で新たに決意し、不起立不服従行動に出る人が続くことは、希望であり、強固な連帯だ。今回処分を受けた人が言っていた。「定年までの年数を考えたら、ここらでやらなくちゃと思って」「当然のことをしただけです」。

2006/05/24

5月23、24日

 2日続けて鶴川二中へ。二日続けて文句を受けた。
 23日1件目。「あんた、日本人か!」。顔を上げると60代後半位の男性。答える間もなく続けて、「ふん、君が代…国歌だ!」と吐き捨てるように言い、去ってしまった。
 2件目。近くにお住まいのBさんが私を訪ねてくださっておしゃべりをしているところに一人の女性が歩を止め、突然大きな声で感情を荒げて、「Bさん、ここで何してんのよっ。こんなことにかかわるのやめなさいよ」「ホームページを見ると右翼がやってきたというからここにも右翼がやってくるかもしれないでしょ」と言う。どうも私のことを非難し、その非難の矛先を顔見知りのBさんにぶつけているようなので、私は自己紹介をし、話を引き継いだ。右翼が直接学校を訪ねたり、私と会ったりはしていないことを言い、私がここに立っているのが迷惑なのは、右翼が来るかもしれないからなのか、立っていること自体がなのか、と訊いた。その人は「立っていることが」と言う。さらに、「静かな住宅地に似合わない」「保護者としては、怖い。気分が悪い」と。「保護者、ではなくて、保護者の一人であるあなたは、ですね?昨年の新聞調査では、都民の70%は処分付き強制に反対でしたから」「気分が悪い、似合わない、ではなく、きちんとお話をしましょう」と伝えた。
 24日には、近所の老人や訪ねてくれた友人たちとおしゃべりしているところに、気づくと3人の女性(=保護者OB2人と保護者1人だとのこと)が険しい表情で私のプラカードを見ている。近寄って自己紹介をし、「何かおっしゃりたいことがあるのですか」と尋ねると、「ここに立たないでほしい」と続けざまに言う。訳を尋ねると、「教員なのだから子どものことを考えなさい」「国歌なのだから起立すべきだ。歌うまではしなくてもいいが」と。「私は教員だからこそ、こうしているんです。社会で起きている事実を子どもたちが知ることはいけないことでしょうか」「国歌だから起立と、なぜ自明の理のように結論づけるんでしょう」と一言聞き返したところで、少し前から暗くなっていた空から雨が落ち始め、3人は去ってしまった。私は背後から、「またいらしてください」と声をかけた。この人たちが「子どものために」と言うことと、私の言うそれとはどこがなぜ違うのか、どういう人に育ってほしいと望んでいるのか、両者の意見を出し合い、語り合いたい。相手の意見を聞き、考え合う作業が必要、と思うから。
 人通りの少ない鶴川二中の前ではあるが、今日も初めての方二人を知った。お一人とはじっくり立ち話をした。もうお一人は立ち止まって、「ご苦労様です」と丁寧に頭を下げられた。

2006/05/22

5月22日(月)

 立川二中へ。久しぶりのお日様。今日また初めて声をかけてくださった方が二人。自転車から降りて「(処分が)ひどいもんだね。軍国主義と同じだよ」と、おじいさん。もうお一人は、車の窓を開け、大きな声で「がんばってくださーい」。
 卒業生のAさんが立ち寄ってくれた。自分の体験から一人ひとり違っていい、同一性を求めなくていいと思うのだと言う。いつも優しさとさわやかさを漂わせているAさんの、これまでを聞きながら、乗り越え獲得してきたことの大きさとともに、それまでの辛さ(=常識が幼い心に載せた重石)を思わずにはいられなかった。子どもは幼くても人格を持った一人の人間であることを、Aさんは語らずとも、知らしめる。マイナスの体験をプラスに転化させたAさんのことばに心から納得した。私が「君が代」の強制に体を張って反対するのは、個性や人権を否定し、同一性を強要する社会にさせてはならないと思うからなのだが、Aさんの感じ方と共鳴するところが多少でもあったのかな。Aさん、いい時間をありがとう。
 午後はほかに訪問者2組4人。学校は、運動会まであと5日。1日中運動場がにぎやかだ。放課後練習時は、門の中と外とでおしゃべりを交わし、放課後はいつものように。1週間の始まりに今日も元気をもらった。

2006/05/19

5月19日(金)

 都庁での情宣活動。今日も14人が参加してくださった。その後教育情報課に行き署名を836筆提出してきた。締めて、17136筆。17日の臼井人事部長の証言からすると、これだけ大勢の人の声も「斟酌したが、量定にいれなかった」と言うのか?29日の回答の場では、まともに答え、また、担当部署の回答できる人を同席させてほしいと念を押してきた。
 その後、国会前の座り込みに、夕方からは多摩教組の総会に参加した。

2006/05/18

5月18日(木)立川二中

 「停職『出勤』日記」をご覧になったという父子が来てくださった。21歳の息子さんは中学生の時、信仰から起立を拒否された。その時クラスメイトに殴りかかられたという。殴った生徒にとってはは知らされない故の無知、そして、「正義感」からの行為だったのだろう。教員たちが黙っていたら、学校はこうした「少国民」を生み出すことになってしまう。黙っていることは、強者に荷担すること。自覚したい。
 今日は取材を受けた。放課後は生徒たちとわいわいがやがや、愉しませてもらった。

2006/05/17

5月17日(水)

 今日は全日「君が代」の人事委員会審理。被処分者合同で都教委近藤精一指導部長、臼井勇人事部長(いずれも当時)に対する尋問だった。組織や校種を超え、一丸となって取り組むことは都教委にとっては、脅威だろう。団結を見せつけられたのだから。被処分者の会の皆さん、ありがとうございました。近藤精一元指導部長と臼井勇元人事部長に対する尋問が行われた。二人とも、「職務命令は校長に出した。だが、『職員に対し、職務命令を発せよ』とは言っていない」と逃げ切ろうとした。
◆近藤精一元指導部長尋問:氏は10.23通達を出した担当部長。10・23通達をなぜ出すに至ったかを訊かれ、「学習指導要領に沿ってほしいと願った」と言う。学校現場に抵抗が強い、その理由をまじめに考えたことがあるかと問われても、「学習指導要領」。戦前の教育の反省から生まれた教育基本法には触れずに学習指導要領しか言わないが、学習指導要領の全てが正しいと言えるのか、と問われると、「戦前のことはわからない」。
また、「指導・助言」を超えて校長に職務命令を出すことは法に触れないかを検討したかと訊けば、「法のことはわからない。対策本部と各部で検討してきたはず」。横山教育長(当時)らが随所で言ってきた「日本人としてのアイデンティティー」に触れ、一つの考えを学校現場に及ぼすことの妥当性を訊くと、「(それが)特定の考えではないと信じている」。無理矢理立たせることは生徒の内心の自由を侵害することになりますよね、と問えば、「教育の方法としては無理矢理はいけない」とは言うものの、「憲法の問題としてはわからない」。わからないままに通達を出されたのではたまったものではない。
語尾不明瞭、なるべくなら答えたくない、という様子だった。
◆臼井勇元人事部長尋問:氏は懲戒処分を決定する責任者。近藤部長と性格は対照的。ちょっと追及されると居直り、投げやり的な口調になった。氏も「公教育の根幹は学習指導要領」と言った。
 10・23通達は都教委による教育への関与(介入)が考えられるが、検討したか、と訊かれ、「指導部で検討したと思う。こちらでは詳しくは検討していない」。責任逃れの、なすり合い。04年3月の処分は、「分限審査委員会を開かずに書類を持ち回り、押印した」だけ。不起立者の思い等は「斟酌したが量定に入れなかった」。それは斟酌しなかったということ。外形的行為だけで処分を決めたということだ。立つか立たないかの行為のみ、あとは一切関係ない!と聞こえる。「入学式を前に」(見せしめ的に)早くに処分発令をしたかったとも。東京だけの加重処分については、「裁量権者の問題。裁量の範囲」だと言う。触法の危険があると「裁量」にシフトするのは、都教委の常套手段だ。
 何と言うことか!教育的視点の微塵もない官僚たちが付いたハンコ一つで停職3ヶ月。十分想像はしていたが、こうぬけぬけと言われると、改めてはらわたが煮えくりかえる。
 上意で動くこの人たちには、上意が学習指導要領ならば、学習指導要領。そのまま受け入れる。考える、という行為はない。そうやって政治や行政が動いていることを多くの人に知らせよう。
 なお、この傍聴に40人もの都庁職員が動員され、傍聴のくじを引いた。時間とお金を使って傍聴に来た人たちを入れさせないためでしょう。傍聴する権利を奪うことが職務なのかどうか、この職員たちにも、ご自分の頭で考えてもらいたい。

2006/05/16

5月16日(火)

 午前中は鶴川二中に。今日も副校長はプラカードの文字を写真に収めた。雨で濡れて書き換えただけなのに、一目見て違うと気づくのだから感心する。「3ヶ月が終わったところでその記録写真をくださいね」とお願いした。学校のすぐ近所に住まわれる保護者OBの方が友人から聞いたからと訪ねてくださった。午後から教育基本法の国会審議の傍聴ができることになり、出発しようとしたところに、オートバイが止まった。若いカップルだった。横浜から私を訪ねてくださったのだ。ゆっくり話をする時間がなくて、お二人には申し訳なかったし、残念だった。
 午後は国会を傍聴をした。教育基本法改定の趣旨説明とそれを巡っての各党質問。提案は半世紀経って、社会の変化や教育・子どもをめぐる問題が起きている現状に合わないからというもの。趣旨説明とは言えない趣旨説明を補強する自民党下村博文議員の質問。例の通り、「不登校、学力低下、凶悪な少年犯罪…どれも戦後教育にある。改正は自民党結党以来の悲願だった」と脈絡なく切り出した。他方、共産党石井議員と社民党保坂議員は改定の問題点を指摘し、質問された。
(1)「国を愛する態度とは、戦争することに忠誠を誓えということだ」――答弁:「子どもを戦争に追いやるものではない」と言うが、その裏付けはなし。
(2)「議論を尽くしたというなら、その会議録を出すべき」――「政府は答える立場にない」。都合のいい逃げことば!
(3)「愛国心で評価評定するのは再び非国民を作ること。歯止めがあるというならそれを示せ」――「生徒に強制するものではない。教員は指導する立場にある。内心の自由を侵害するものではない」。7年前に聞いた答弁だ。
(4)「不当な支配とは、誰が誰にするものか。どこで判断するのか」――「この法律…に定めるところにより」と政府案の条文を読むだけ。誰が誰に、どこで、には答えず、これも逃げた。「愛国心」は当然問題だが、この条項が最も問題だ。教育行政が教育内容を決めてもいいことになりそう。報道は、ここの問題点を「愛国心」と並べて報道してもらいたい。
(5)「国家神道を復活させる意図はないか」―― 「一般的な宗教観を教えるもので神道ではない」。戦前神道を宗教と区別し、学校に入れてきた歴史を見たら、「一般的な宗教観」=神道であることは明白であろうに。
(6)「全体の奉仕者、を削除した理由は」――「私立学校も含むから」。ということは、学校の忠誠度に応じて助成金の額に格差をつける、特色のある私立校は切り崩すという、国立学校にしたと同じことをするということか?! 
 理由や証拠を示して答弁してもらいたいものだ。趣旨説明にも答弁にもならない政府の対応をしっかりたたき、広め、緊急に反対する声を大きくして行かねば。これを通してしまったら、全国の教育が東京状態になってしまうから。

2006/05/12

5月12日(金)立川二中

 佇む私を去年も今年も見ていて、声をかけるまでに時間がかかる人は多いのだろう。「前から声をかけようと思っていて」と、一人は出勤途上の方が自転車を止めて、もう一人は年配の方が話していかれた。「こうして社会に明らかにしてもらうと、よくわかります」「やっているうちに、わかってくれる人が多くなっていくんじゃないかな」。それぞれ異なった時間の会話なのに、偶然にも、お二人の言われたことは同じことだった。そう、私の「出勤」行動は、直接的には都教委に対しての意思表示であるけれど、それを通して、社会に、保護者に生徒に事実を提示し、問いかける行為でもある。
 今日も下校時間帯は何人もの生徒が話しこんでいき、楽しい時間をもらった。Dさんは、風邪で部活を休んだと言いながら、久しぶりだからと、Eさんも一緒にながーく話しこんでいった。今日は暖かかったからいいけれど。
 北海道のFさんが、そのために昨晩の便で上京され、校門前に訪ねてくださった。

 今週で3ヶ月停職の半分が過ぎます。

2006/05/10

5月10日(木)鶴川二中

 先週は来なかったパトカーだが、今日は再開か、いつもの時刻にゆっくりと通った。副校長はカメラを持って姿を現し、プラカードを写真に撮っていいかと訊く。「いやだ、だめだと言ったら、どうされます?」と遊び心で言うと、副校長は「撮ります」。「それなら、撮っていいですか、ではなく、撮らせてもらいます、でしょ?」。「公開していることだから、撮ってかまいませんが、文言が換わるたびに撮らせて、と言われると一言遊びたくなりますね。都教委に報告するためですか?」と訊くと、前回と同じように副校長は、「報告などしません。撮りたいだけです」。まさかこんなものを撮影する趣味のある人など、いるはずもないだろうに。
 休み時間、一つの教室から「根津公子ファイト!」と声がした。それに反応して別の生徒が、「君が代最高!」と連呼した。私の反応を試したいのかな?茶目っ気たっぷりのこの生徒と、会話をしたいなあ・・・。
 一体、「根津公子」って何者?何で「君が代」に反対するの? 多くの生徒たちにはとっても不思議なのだろう。今まで漠然と「君が代」=国歌と捉え、平穏だったところに、初対面の根津が何かもの申す。それは、生徒にとっては、今まで見たことのない風景なのだろう。生徒たちには、受けたショックを、いつの日か考えるきっかけにしてほしい、と願う。
 近くにお住まいの方2人が訪ねてくださった。

2006/05/09

5月9日(火)立川二中へ

 離任式以来の10日ぶりの「出勤」。妙に懐かしい感。今日はまた、底冷えがする1日、厚手のコートで体温を保った。連休中に冬物をクリーニングに出さなくてよかった。
 寒かったけれど、きょうはまた初めてことばを交わす何人もの人と出会った。ご近所にお住まいだとおっしゃる初老の女性は、私のことを、去年も今年も何かの調査で座っているのだと思われていたそうな。わけを話すと、「今、こんなことがあるんですか。昔のようですね」と。別の方はプラカードを指して、「このこと、テレビで見ました。がんばってください。応援しています」。通行人5人に声をかけられ、何人かとはじっくり話し込んだ。また今日は保護者の出入りが多く、その中には挨拶を交わすだけではなく、この件で今日新たに声をかけてきてくださった方が3人。お一人は、「影ながら応援して来ました。それを伝えたかったのですが、学校の中では気を使ってしまい…。子どもには、先生がこうしていられることの意味がわかる時がきっと来ると思います。こう言ってはなんですが、その機会に恵まれて、感謝をしています」と。私の視点と同じだ。一般的な「応援」とは違う、保護者ご自身を通して捉えてくださったことに感激した。
 そういえば、離任式の日にも保護者何人かから温かい言葉をかけていただいた。こうして見ると、「7割の都民が『君が代』処分に反対」という昨年の新聞社調査と同じなんだ、と合点する。
 下校時間帯は、5時まで途切れることなく次々に立ち寄っていく生徒たちと会話を楽しんだ。Aさんは、朝渡したメッセージ(返信)がすごくうれしかった、と言っていた。Bさん、Cさんはまた長いこと話し込んでいった。「君が代のことも他のことでも学校は、隠さずに事実を教えてほしい。異なった意見があるときはそれらを教えてほしい。一方の意見だけじゃ、私たち、考えたくても考えられない」「根津先生が行動し、自分の意見を言ってくれるから、社会には違う意見があることを私たちは知れたけど、先生がいなかったら、知れなかったよ」「いい学校に行くためだけの勉強はしたくはない。本当のことを知り、それを社会のために生かしたい」という二人と、政治のあり方、生き方いろいろ語り合った。次回「出勤」するときに「社会のことを知れる本を持ってきて」と頼まれた。
 今日も、たくさんのエネルギーをもらった。

2006/05/08

5月8日(月)都庁へ

 今日で都庁での情宣活動も4回目。8時、何と今日は17人もの人が集まってくださった。マイクで話し呼びかけ、チラシを手渡す。いつもと同じスタイルなのだが、今日は用意したチラシが早くになくなった。こちらが大勢だったからなのか、毎週の行動で道行く人に認知されたからなのか。「これも石原都知事がやっているんですか?私たちもひどい目に遭わされています」と言って、受け取っていく方もいらした。
 10時半からは教育情報課の課長とAさんと面会。(1)2月27日から2ヶ月以上にわたって提出してきた署名がどう扱われてきたのか。処分発令前から提出してきた署名が、処分を決定する際にどのような扱いをされたのか、その経緯は。宛先人の教育長、教育委員長は署名を見ているのか (2)処分が適正とは、どういった経緯と理由からか (3)今まで文書回答を求めたが、「回答は差し控える」というものばかり。回答とは 言えない回答について釈明してほしい。 (4)私たちの質問に、回答のできる担当所管課を同席させてほしい。 ということについて回答をもらうことになっていた。
 しかし今回も、(1)関係する部署に周知している (2)地公法32,33,29号を根拠とした (3)回答をしている (4)教育情報課が窓口。これが回答だという。私たちの訊いたことへの回答ではないから、さらに質問をするが、「やり取りをする場ではない」と、課長は時々声を荒げてシャットアウトしようとする。それでも私たちは、所管課と会わせてほしい。「回答を差し控える」ではなく、回答をしてほしい。回答ができなければその理由をきちんと説明してほしい。なぜ累積加重処分なのか、その説明も次回必ず回答してほしい。教育情報課の仕事としてしっかり回答を引き出してきてくれるよう、要求した。私たちはどこまでも対話を要求しているのだと、念を押し、次回の回答・面会日時の設定を要請して終えた。
 NIPPONという雑誌に例の古賀、土屋都議が「教育正常化を阻む東京都教育庁のサヨク幹部」と題した文章を寄せている。教育への不当介入を自ら告白するようなこの稿は、教育の正常化は前進してきているが、それを阻むのが、「教育長内部に巣食うサヨク分子と、加えて不正を見てみぬ振りを決め込む輩」だと言いたい放題を言う。議員の介入、監視の中で当然、息苦しい思いをしているであろう都教委職員たち。彼らはどんな気持ちで仕事に当たっているのだろうか。少しは声を上げているのだろうか。本音を聞きたい。

2006/05/02

5月2日(火)

 昨日今日と続けて鶴川2中へ。
 1日は文字通りの五月晴れ。気温も朝から高かった。寒いのは堪えるが、多少の暑さは気にならない。陽に照らされた柿の若葉がまばゆい。風にやわらかに揺れ、おいしそう。今を過ぎると食べられなくなっちゃうな…などと思う。鶴川二中の周辺は緑が多く、1ヶ月の間に木々や草花が次々に変化を楽しませてくれた。
 顔なじみになった園児のお母さんとおしゃべりをし、また、何人かの方と挨拶を交わした。次にはお年寄りの男性2人の話の聞き手を長い時間していたら午前中が過ぎてしまった。Aさんの友人のまた友人のBさんがお弁当を差し入れてくださった。持参したお弁当は夕食に回し、炊き込みご飯と季節の野菜をおいしくいただいた。
 犬の散歩をしていた60代後半くらいの女性が足を止め、プラカードに目をやっていらっしゃる。そこにまたもう一人が加わった。急に理解ができないように見えたので、「停職にされたのは、私です」と言うとびっくりされ、「なぜ、そこまで石原都知事はするんでしょうね」「ひどい世の中になっていくのが怖い」とおっしゃる。新聞報道で知ることが、停職処分を受けてここに立つ私を見てはじめて実態として知ることになるのだと、実感する。「不起立で教員を処分」という報道に接しても、顔が想像できない報道では、人々の記憶には留まらないのだろう。
 この1ヶ月で、と言っても数えてみると鶴川二中前に「出勤」したのは7回。それでもかなりの道行く人に、都教委のしている事実の一端を報せることはできたのではないか、と思う。
 放課後は、学校周りをランニングする生徒たちを眺め、時々おしゃべりをし、一日が終わった。
 2日は一転して、雨。時々激しく打ち付け、雷が発生。ちょうどそのとき私を訪ねてくださった近所にお住まいのCさん宅に一時避難させてもらった。午後はDさんが訪ねてくださった。昨日今日訪ねてくださったご近所にお住まいの3人の方は、私がここに異動にならなければ、出会うことのなかった方々だ。この数年、次々に異動と処分を繰り返しされることによってたくさんの方との素敵な出会いがある。

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