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2006年6月

2006/06/30

6月30日(金)

 今日は停職最後の日。立川二中に行った。プラカードには、「今日で停職が終わります/励ましをありがとうございました/大勢の人が言うから正しいとは限りません/鵜呑みにせず、異なった意見に耳を傾け、自分の頭で考え、判断していきましょう/お元気で」と書いた。
 不当な停職処分に抗議し闘い続けることができるのも、授業でかかわった生徒たちの励ましがあったからのこと、一人ひとりにお礼を言いたいとの思いで朝も帰りも挨拶を交わした。
 「ぼくたちの卒業までいてほしかった」「応援しているよ」「がんばって」「停職が終わって、おめでとうございます。町田の学校でもがんばって」「今までお世話になりました。ありがとうございました」等々言ってくれた。

 

こんな会話もあった。

生徒:「また、二中に来るでしょ」
根津:「卒業のお祝いのメッセージは贈るよ。でも、来るのは今日が最後よ。まさか、来年の停職中にここに来るわけには行かないでしょう」
生徒:「来年も停職か! でも、その時来て」
根津:「あなたたち、卒業しちゃうじゃない」
生徒:「そうしたら、ぼくたちが門の前に来るから。A高校に行けば、すぐ来れるもん」

 

二中の生徒たちからすごい元気と励ましをもらった。もう、これだけで十分うれしいのに、まだまだうれしい、力の与えられることがあった。
 一つは、3ヶ月前に卒業したEさんが来てくれたこと。3年生のFさんが帰り際、「E先輩が一昨日も根津先生に会いたいって、ここに来たよ」と告げてくれたが、いかんともし難い。そうこうしているところに「間に合った」と駆けつけてくれたこと。もう一つは、八王子時代の教え子Gさんが来てくれたこと。国際関係学を学ぶ学生で、昨年の10月、ホームページを見て励ましのメールをくれたのが始まりだった。
 私と直接接した生徒・かつての生徒からの励ましは、何にも勝るエネルギーになる。私の仕事をほんとうに知っているのは授業や活動をともにした生徒たちだけだから。だから、その生徒たちからの励ましは、どんなにひどい攻撃にも耐えられる力となる。それは、体験済みだ。多摩中に異動して1年目に起こされた校長・教委・地域・PTAが一体となった攻撃に、ぼろぼろになりながらも耐えられたのは、八王子で同僚たちと築いた教育活動への確信と、何よりも当時の生徒たちが、その後も私たちの実践を評価してくれ、窮地に立つ私を励ましてくれたからであった。もしもあの時、元生徒からの励ましがなかったら、私の今はなかった。私はこうして困難を乗り越えさせてもらい、強くもしてもらってきた。
幸せいっぱいの気分で帰宅すると、Eさんからメールが届いていた。またまた、力を与えられた。Gさんに、お礼のメールを入れた。そしたら、その返信に、またまた力を与えられた。本当にありがとう! これで、来週から鶴川二中に胸を張り元気に行くことができる。
お二人のメールを、本人の承諾を得て、掲載します。

Eさん:「今日、根津先生に会えてとてもうれしかったです。いつもなら、部活終わりが17時を越えてしまい、二中正門に行っても会う機会がなかなかありませんでした。今週は、試験1週間前の部活停止期間。今週中には会えるだろう。そして、先生の出勤も最終週だと思っていました。やっとのことで会えたわけです。
 先生自身はこの3ヶ月は長かったのか、短かったのか、どう思っていますか。
 3ヶ月間も門に立ち、看板を立てて、抗議。自分なら3ヶ月もやれないと思う。先生は自分の意志を曲げずに貫き通したのだから、すごい!
前回・今回と処分は厳しくおかしな処分だけど、もっと職員に対する考慮というものはないのかと思う。
 厳しい停職や減給。学校の異動人事。とことん苦しめないといけないというのは、あまりにも理不尽だと思う。
 『踊る大捜査線』ではないけれど、職員が現場でちゃんとやっているのに、生徒たちに教えない会議室で話す偉い方なんかに分かるはずが無い。根津先生は、二中のみんなが応援してくれていたし、分かっていたはず。今日だって『がんばって』と励ましてくれていたし。中学校は先生主導だけど、先生を判断するのは生徒自身。生徒の意見が尊重されるべきだと思う。
 長々と書いてしまいましたが・・・。すいません。では、3日から鶴川二中で教員として頑張ってください。そして、鶴川二中の生徒に根津先生の授業が出来ることを。」

Gさん:「(前略)先生と直に話せたし、先生の周りにはいろんな方のサポートがあるということが生でわかって、すごく嬉しかったです。様々なことを勉強させてもいただきました。大学で平和学を少しかじって、先生のやっていることは本当に「平和学習」なんだなって実感しました。先生の生徒さんとの触れ合いや、昨日お会いした社会人の方々をみて、平和的方法の過程で得られるものってこれなんだ、って。ガンディーも個々では小さくても、でもたくさんのサポートに囲まれてました。(後略)」

 朝、出勤途上のHさん(保護者)と挨拶を交わすことができ、最後の日にお礼が言えてよかったと思っていたら、何とHさん、帰宅時には冷茶を差し入れてくださった。強い日差しではなかったが、それでも一日中コンクリートの路面にいると体が熱っぽくなる。ほてった体に、冷茶のおいしかったこと! 何よりも、お心遣いがとってもうれしかった。Hさん、ありがとうございました。
 3日から、がんばろう。

2006/06/29

6月29日(木)

 午後から都教委教育情報課長及び担当者と、9回目の質問への回答、話し合いを持った。記者から撮影したいと申し出があり、私たちは密室でのこのやり取りが公開されるのは願ってもないことで、承諾した。ところが課長は入ってくるなり、「カメラマンには頭撮りを許可したのであって、これ以上の撮影はやめてほしい。これはお願いです」と言う。いつもは、「情報課の判断での回答は控える」と言うのにこのときばかりは、「教育情報課の判断」であり、回答を控える「条文や理由はない」と言う。「都庁内の全ての撮影を禁止してはいない。石原都知事は積極的にカメラに出ている」(趣旨)と、開き直りとも思われることも言った。「私たちは撮ってもらいたいので、肖像権の侵害には当たらない。そちらは公務で行っていることなのだから、撮影して何の問題があるというのか。都教委の流したいものだけを映像にする『大本営発表』・情報の独占はおかしいではないか」と追及したが、撮影は認められなかった。
しかたなく、本題に入った。
 (1)「停職3ヶ月――セクハラや体罰が何度も起これば、重大な影響があるが、不起立でどのような重大な影響があったと言うのか」(2)「停職3ヶ月処分を決定するに当たって、都民の世論をどう考慮したのか」 について課長は、教職員課の回答だとして次のように答えた。「人事委員会、裁判係争中なので、回答を控える」。説明責任は、本人はもとより、都民に対してもあるだろうが・・・。
 「私は処分発令の3月31日にも、抗議と質問をしようとした。しかし人事部長は、私の声をかき消し、処分書を読み上げると、私を部屋から追い出した。今は、人事委員会に審査請求をしているから『回答を控える』と言う。では一体いつなら答えてくれるのか、くれたのか。このまま来年、さらに加重処分を迎えるのではたまらない。答えてほしい」と私は訴えた。参加者それぞれが思いを訴えた。その最中、課長は、「職務命令には従うもの」と言うと、立ち上がり、「終わります」と言って、部屋を出て行ってしまった。事態を呑み込むのに、1、2秒を要した。これが職務に責任ある対応と言えるだろうか?課長は職責を果たしたとお思いだろうか?と思った。
 ヒラのDさんは課長について一度部屋を出て行ったが、引き返してきたので、来週の予約を申し入れた。私たちは都教委に、どこまでも対話を求める。
 終了後、庁舎前を通る人にチラシを手渡した。

2006/06/27

6月27日(火)

 鶴川二中へ。ここに立つのも今日が最後、近所のいつも挨拶を交わす人たちにそのことを告げ、お礼を言った。Aさんはご自宅に案内してくださり、「通勤4時間はきついから、いつでも泊まって」と言ってくださった。有難いことです。
 昼過ぎ、毎日のようにここを通られる女性が、いつもはいぶかしそうにプラカードを見ていくのに、今日は、「聞きたいことがある」と言ってこられた。4月の初めには、プラカードを見ていられたので、話しかけたら、「ふん!」と言っていかれた方だった。
 「君が代は天皇をたたえる歌ではあるけれど、国歌なのだから、また、先生なのだから、反対でも起立すべき。起立して、歌わなければいいではないか。」とおっしゃる。しかし、話しを進める中で、「私は君が代を歌うべきではない、歌うな、と言っているのではないですよ」と告げると、まず、非常に驚かれた。「強制することに反対しているんです。自由を奪われ、民主主義が破壊された社会は恐ろしい。自由も民主主義もない、北朝鮮のような国にしたくないんです」「君が代について生徒には歌詞の意味も何にも教えないで、起立斉唱をさせるのは間違っていると思います。親が子どもに、『いただきます』をしつける時だって、なぜかを話して子どもを納得させるでしょう。それをしないのは、教育ではないですよ」と私が答えたことに、彼女は共感された。「君が代」で免職もありうることを告げると、すごく驚かれ、「ひどい。がんばってくださいね」と最後は、私を激励してくださった。とってもうれしい出来事だった。
 この女性はご自分から聞いてくださったので、誤解が解けたのだが、ステレオタイプに決め付け、対話を拒絶する人がいかに多いことか。人が100人いれば、100通りの意見があることを前提にして、意見を交流し、深め合いたいものだとつくづく思う。
 下校時間帯の終わり頃、Bさんとオーストラリアの映像作家Cさん夫妻、それに新聞記者が到着。Bさんが歌を歌ったこととCさんがビデオ映写機を回したこと(私を撮っていたのだが)で「気味悪い」との訴えがあったからと、副校長が「やめるよう」言ってきた。「不審者」ではないことは明白なのに、私を撮影しているだけなのに、生徒が映ってしまったところは使うはずがないのに、このような騒ぎ方をされるのは、何なのだろう。4月初め校長は私に「ここに立つのはやめてくれ」と2回、言った。このとき私は、精神的には私は抹殺された、と思った。そのことと重ねて推察するに、今日ここにBさんCさんがいること自体が気に食わないのではないかと思った。
 生徒の成長を真に考えたなら、一方的な情報を流し、他の情報には触れさせないというやり方は、やめるべき。異なった情報に接することから、思考は始まるのだ。もっと、子どもを信じたらいいではないか、と思う。「かわいい子どもには旅をさせよ」と言うではないか。世界の教育を知れば、日本のこれが、非常識であることは容易にわかることでもある。

2006/06/23

6月23日(金)

 都庁でチラシまきと情宣。チラシには、私が起立できない理由を主に書いた。今日も13人の方が参加してくださった。

2006/06/22

6月22日(木)

 鶴川二中へ。報道関係の仕事をされているFさんの取材を受けた。そのあと、初めての方Gさんの訪問を受けた。近所にお住まいで、2週間ほど前に通りかかられ知り合いになったHさんのご友人とおっしゃる。Gさんのお住まいもここから徒歩圏とのこと。Gさんご自身は「『君が代』を、日本人皆の幸せを願う自然なものとして歌う」とおっしゃる。「でも、強制はよくない」とも思われる。私について、なぜ立たないのだろうと不思議に思われ、直接会ってみたいと、訪ねてくださったのだった。好奇心旺盛、ご自分の目で見、頭で考えるスタンスの、魅力的な女性。話しはやがて、操作された情報や事実の見極めについてに及び、何事も自分の目で見、頭で考えることが大切であること、自分の考えと違う人を排除するのではなく、違いを論じ合うことに意味があるということで大いに一致した。
 午後はHさん母子が、帰りがけに立ち寄ってくださった。お子さんは私にお菓子を二つ、差し入れてくれた。自分のおやつを分けてくれたのかな?
 ところで、ここのかなりの生徒は、私の行動を見て、「へんなやつ」と思っているのかもしれない。でも、そこでピリオドを打たずに、なぜ、どうして?の疑問を大きくし、社会を覗いてほしい。せっかく出あった事実にしっかり目を向け、考えるきっかけにしてほしい、と思う。

2006/06/21

6月21日(水)

 調布中(2003年度)への異動控訴審判決が出された。異動要綱は「法律、規則でも条例でもなく、・・・内部的指針に過ぎない」のだから「その行使は都教委の合理的な裁量に委ねられており」、通勤時間が異動要綱の定める90分を10分や15分超えても構わないという、不当判決。不当判決ではあったが、「異動要綱に合致しない転任処分については、特段の事情がない限り、裁量権の逸脱があると推認され」ると原則は一応押さえた、Eさんの控訴審判決および私の地裁判決(いずれも05年)から大きく後退している。今回の控訴審判決に沿えば、都教委が、異動要綱に通勤時間を明記する必要も、いや、異動要綱それ自体を作る必然性もなくなってしまう。都教委の裁量、すなわち、都教委の意のままに行うと言うのだから。
 実際、2003年7月都教委はさらに異動要綱を改悪し、「通勤時間120分」「1年ごとの異動可」とした。「校長に楯突く教員は・・・1年ごとにどんどんぐるぐる回」せ、と米長教育委員が発言したそのままがいま進行している。私が鶴川二中へ異動させられたのは、このサンプルみたいなもの。1日4時間を超える通勤時間は当事者にとっては、日常的懲罰そのもの。それはさておいても、1日の交通費は2000円。税金の使途として、大いに問題だ。

2006/06/19

6月19日(月)

 立川二中へ。午前中一時雷雨。あとは、真夏を思わせる日差しだった。
 生徒たちに「おはよう」の声をかけ、出勤途上のいつもの人との挨拶を終え、JRのレール破断についての本(安田浩一著)を読んでいた。人影に気づき顔を上げると、プラカードを見て青年が立っている。青年はプラカードを指差し、「僕も全くこのとおりだと思います」と。左利きのことを教員にとがめられた体験があり、そこからわかったことが、「先生だから正しい、偉いのではない。先生も一人の人間に過ぎない」ということ。だから、「指示だから従うものとは思わなくなった」と言う。彼は八王子のA中、B高校出身ということで、一層親近感を持った。今日読もうと思って持ってきた、私の停職「出勤」日記が掲載された「戦争と性」25号(谷口和憲編著)をプレゼントした。
 今日のプラカードには、「君が代」不起立停職3ヶ月処分は不当です/憲法19条 「思想および良心の自由はこれを侵してはならない」に違反すると思います」「『君が代』について説明さえせずに起立させる。『指示には考えずに従え』というに等しいことです」と書いていた。
 午後はCさん(教員)の訪問を受けた。偶然にも彼女が小学校で担任したDさん姉妹が二中に転校してきていて、彼女はDさんたちとの再会も果たした。今日は5時間授業で、明日は定期テスト。だから、下校時刻が早い。「今日は早く帰って試験勉強をしよう。来週、ゆっくりおしゃべりしようね」と言いながら、やっぱり、1時間も入れ替わり立ちかわりでおしゃべりを楽しませてもらった。「二中に来て皆に会うと元気が出るよ」とふと漏らすと、「えっ、そんなふうに言われるとうれしい!」と。JRのレール破断についての本を見つけ、「読みたい!」と、一人の生徒が借りて帰った。
 生徒たちが皆下校して5分も経たないところへ、今度は卒業生の訪問。学校にも私にも用事があってのことだった。彼女とは、歯医者さんの予約時間ぎりぎりまでおしゃべりをした。相手(友だち、家族)を想う優しさに触れ、私の心もあったかくなった。彼女からもらった私宛の手紙を、家まで待ちきれず、信号待ちの車中で読み、幸せに浸った。元気200%の帰路だった。

2006/06/16

6月16日(金)

 恒例となった都庁前でのチラシ配りと訴え。「都庁で働く皆さんのお仕事の中にも、都民の幸せには決して繋がらない、と思われることがあるのではないでしょうか。そうしたことをぜひ、都民に晒してください。内部告発をし、ともに、都民の幸せに繋がる行政、教育行政をつくっていきましょう」と訴えた。
 そしてその後は、私への処分を決める際、提出した署名がどのように扱われたかについて、質問してきたその続きで、都教委教育情報課の担当者と会った。すでに提出していた5つの質問に答えをもらうことから始まった。今回も人事部職員課の回答を、教育情報課の課長が読み上げる。およそ回答とは言えないものなので聞き返すが、教育情報課には、それ以上の権限はない。私たちはさらに、「職務命令が憲法違反でないかどうかはどこでチェックするのか」「職員課は都民の世論をどう考えているのか」などについて答えてほしいと要請してきた。
 今日は雨だったため、昼近くになっても、ホームレスの人たちが動けずに庁舎前に大勢いらした。こうした風景は、常にこれを目にしている都の職員には、どう映るのだろうか、と思った。これでも、「平和な日本・平和な東京」と認識してしまうのであろうか?
 夕刻、20年以上前の教え子にばったり遇い、しばらく立ち話をし、私はその中で停職であることを告げた。彼女は、東京の「君が代」処分について知ってはいなく、びっくりしていたが、「先生、曲がったことは、だいっ嫌いだったものね。今、そういう先生が少ないよ。がんばって」と、妙に納得していた。彼女は私のクラスではなかったのになぜ、そんなふうに感じていたのかと訊くと、「授業を受けたらわかるわよ」。「化学調味料の授業は、今も忘れない。今も周りの若い子に話しているのよ」とも。懐かしさとともに、さわやかな気持ちになった。

2006/06/15

6月15日(木)

 立川二中へ1週間ぶりの「出勤」。「おはよう、お久しぶり」の挨拶。遠くの方から手を上げて歓迎してくれる生徒。走り寄って、修学旅行のことを報告してくれる生徒。登校時だけでも私は元気をたっぷり分けてもらった。
 2年続けての校門前「出勤」なのに、初めての出会いがいまだにあるものだ。今日声をかけてくださった60代の女性は、犬の散歩で時々ここを通られていたと言うが、今日が初対面。「日本の状況、ひどくなる一方なのに、皆、自分の得にならないことには、黙っていますからね…。」「大人社会を見れば、子どもが親殺しをすることだって、不思議じゃないですよ」とおっしゃる。「大人が道理ある行動をしたら、子どもは見ていると思います」と私。同じ思いをもっている人は、かなりいるものだ。
 都立高教員のIさんの「もの言える自由裁判」を傍聴するため、午後は、「休暇」。そして夜は、私と河原井さんの停職を心配した友人たちが開いてくれた「40秒で停職なんてとんでもない」集会に参加。250人もの人が集まってくださった。

2006/06/14

6月13日(火)、14日(水)

 鶴川二中へ。両日とも、車のスピードを徒歩ほどに落とし、私を観察する車がかなりある。出てきて、疑問をぶつけてくれればいいのに、と思う。
 私はいつものように、知り合いになった人たちと挨拶を交わし、時間に余裕のあるおじいさんとは長い時間を共にし、昔話を聞いたり歓談したり。14日の昼下がり、おじいさんとおしゃべりをしているところに、通りかかられた70代の女性が声をかけてくださった。脇には図書館のラベルのついた本を3冊抱えていらっしゃる。少女だった戦争中のこと、戦後、一人の労働者として闘いに立ち上がられた時のことを伺った。そのご自身の体験から、現在を「戦前」と断言される。「戦争はもう、こりごり」、と心の底から噴出すことばを聞いた。おじいさんも、「そうだ、戦争はだめだ!」。女性は、私にカンパの申し出をしてくださった。ご自分のことのように感じてくださったことに、私も熱いものがこみ上げる。
 同じ自民党国会議員であっても、戦争観、政治観が、戦争体験者と非体験者とで大きな違いがあることに示されるように、道行くお年寄りの多くが、今を「危ない」とおっしゃる。

 月曜日まで出かけていて、小倉の松本清張記念館に寄った。最後のインタビュー記事が紹介されていた。「その飽くなき好奇心の根源にあるものは何ですか」と問われ、「『疑い』だね。…体制に対しても疑うし、学界的に偉い人が言ったことでも鵜呑みにせずに疑ってかかる。…もう少し加えて言うと、歴史にしても社会現象にしても、上から見ないで、底辺から見上げること」(1992)と。全くそう思う。

2006/06/09

6月9日(金)

 都庁前での情宣、チラシ配りは今日が7回目。その後教育情報課に行くのは、8回目。3ヶ月前から出してきた署名の扱いについての質問と、その回答を求める中で出てきた新たな質問への回答を求め、今日その時間設定をお願いしていたが、ファックスで「部屋の確保ができなかった」と断ってきた。私たちは、教育情報課長に署名を提出しがてら、私たちの気持ちを伝え、「部屋でなく、廊下の隅ででもかまわない」「今の時点で答えられるものだけでいいから答えてほしい」と直接要求をした。今日回答をもらうことは叶わなかったけれど、夜、次回の設定打診が教育情報課からファックス送信された。継続は力なりか。「これ以上の処分をするな」の署名提出総数は、今日11回目で18063筆。

2006/06/07

6月7日(水)

 鶴川二中。門前に立つ私をビデオ撮影するため、Bさんが来られた。私を撮っているだけなのだから肖像権の問題はないはず。出てきた副校長にはその旨話したので、誤解は解けたと思っていたら、そうではなかった。近くの公園で早お昼を済ませ戻ると、私の自転車とプラカードを硬い表情で見ている人たちがいた。「町田署の者」とおっしゃる紺色のジャケットを着た男性、駐在所のおまわりさん、そして女性が二人。保護者ということだった。女性に声をかけると、「ここを退いてほしい」とおっしゃる。「私は、都教委のやっていることが 教育に反すると思うから、起立できないのです。学校で起きたことでの処分で、私は間違ったことはしていませんから、ここは退けません。なぜ、私がここにいてはいけないのか、その理由をお聞かせください。また、私の気持ちも聞いていただきたいと思います」と私は答えた。しかし、話はされずに帰られた。「子どもたちが、どういう人に育ってほしいのか」「どうすることがすべての人の幸せにつながることなのか」を基軸にして、この問題について意見の異なる人たちと語り合っていきたいと切に願う。
 「君が代」処分は、私個人だけのことではなく、東京で起きている、しかも生徒たちが生活する学校で起きている身近な社会問題なのだ。生徒は、その渦中にある私を見て、社会を知る一助にすることはあっても、動揺などしない。
 法令もまた、子どもを社会問題から隔離せよなどとは言っていない。子どもの権利条約は、子どもの「知る権利」を謳い、学校教育法は「中学校の目標」として、「(生徒に)公正な判断力を養うこと」を掲げている。公正な判断力は、社会問題から遠ざけられていて育つはずはなく、また、選挙権を持つ20歳になって突然身につくものでもない。小さい時からことあるごとに身近な社会問題に触れ、考える材料と意見を交わす機会が保障されることによって可能となる。世界を見渡しても、それをさせない国は、情報操作をする独裁政権国家くらいのもの。「先進国」と言われる国で、子どもには触れさせない、という国は日本以外にどこにあるだろう。
 国際社会でよく日本人は、「自分の考えを持たない」と笑われるが、それも、社会問題を子どもたちから遠ざけ、また、大人社会ですら日常会話にしない、その結果ではないだろうか。
 私の行為を、「排除」に動くのではなく、社会問題の材料の一つにして、意見交流をしたらいいじゃないか、と思う。そうすることによって、子どもたちの思考も深まるはずだ。好き嫌いの感情で判断するのではなく、ことの真理に照らして考え、意見を交わしてほしい。私も異なった意見に耳を傾けたいし、私の考えも聞いてほしい。
 「君が代」で起立しない私の気持ちを知っていただきたいと考え、夕刻鶴川駅前で、個人名を入れて書いたチラシを道行く人に手渡した。ディスカッションを大事にする校風を持つC高校の生徒たちの中には、「ください」と言ってくる生徒が多数目立った。

2006/06/05

6月5日(月)

 立川二中へ。韓国の新聞社のAさんの訪問を受けた。インタビューに応じている時に下校時刻が来てしまい、インタビューは一時中断。次々に立ち寄り、あるいは挨拶してくれる生徒たちと今日も楽しいひとときを過ごした。積もる話のある生徒。教室で書いたお手紙を、ポケットから差し出してくれた生徒。登校時に会ったから、帰りにプレゼントしようと思ったのだそうだ。またある生徒は、お客さんに遠慮し、気を遣って、「また今度。さようなら!」と帰っていった。「今度いつ来る?」―「木曜日、かな」何度も何度も答えた。今週末からの修学旅行、皆元気で行って来てね。
 記者のAさんに、「韓国の人は自分の考えをしっかり言い、またそれを行動に移しますが、なぜできるんでしょう」と尋ねた。彼女は、きっぱり、「独裁政権を倒し、民主化を進めることができた体験が大きい。希望が見えるからたたかうのです」。たぶん30代半ばであろうAさん。ものすごくすがすがしい表情をされた。当時高校生(?)だったAさんの、感動の体験であり、生きる基本になっているのだろう。そう、私も"希望"を捨てないから、行動しよう、と思うのだ。

2006/06/02

6月2日(金)

 教育基本法改悪の特別委員会を傍聴した。途中席を外したので都合、民主党3人と共産党(よく聞こえなかったので、たぶん)1人の質問を聴いた。民主党議員の一人は、「連合国の関与で作られた屈辱的な教育基本法。全く新しいものを作るべきと思うがどうか」と言い、一人は「生命の大切さは教育上の大きなテーマ。宗教を生命と結びつけたのが民主党の法案の意義。政府案は粗雑だ」と言った。「教育勅語はすばらしいが、しかし…」に続けて、公式見解を言わざるを得ない政府側答弁を超える、民主党の主張。もう一人若い女性は、出生率の低さは個人の問題ではなく雇用や社会保障の問題、と指摘は正しいが、しかし、ここでの質問主張ではないだろう。3人の質問を聴いていて、これじゃあ、与与党。委員会を開いたというアリバイつくりへの加担?!と思った。教育理念をめぐって質の高い論議ができない国会及び委員会の質を高めるために、傍聴や国会前座り込みをしたり、はがき・ファックスを送ろう。
 (たぶん)共産党の議員は、憲法と教育基本法の関係や憲法9条と教育基本法前文から「平和」が削除したこととの関係性等を指摘し、また、来年度から行われようとしている全国一斉学力テストの予想される弊害を、すでに行われている東京都を例に挙げて批判した。今日唯一の指摘だった。
 終始その場で配布された資料に目を通さず、また、だらしのない座り方をし、緊張感のない議員が目についた。この議員たちに、自身の「道徳心」を尋ねたかった。国民を愚弄するが故のこの態度なんだろうと感じたから。
 夜は日比谷野外音楽堂で行われた「教育基本法改悪反対全国集会」に参加した。参加者3000人とのこと。

2006/06/01

6月1日(木)

 鶴川二中へ。昨日に続き快晴。朝から気温は高い。運動会の予行をフェンス越しに、一人で、あるいはご近所のいつもの人たちと見学した。

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