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2007年4月

2007/04/30

4月27日(金)

都庁での情宣、チラシ撒き。今日は9人で。河原井さんは10人以上の方に、「がんばってください」「応援しています」と声をかけられ、あるいは、チラシに自分から手を出されたと言う。

今回のチラシは、片面が、「集団自決」から「軍強制」を削除した教科書検定について、そして今国会で先に成立ありきの教育関連3法案について。もう片面は、1972年の新聞記事から。この記事は、大阪の高校で「日の丸掲揚」に抗議した組合役員の行為が「違法、不当とはいえない」とした判決について。判決は、「校長は教職員が納得するまで話し合うべきだ」とも言っていると言う。職務命令と処分で脅す現在と、何と違うことか。この頃の感覚を皆が取り戻し、流されないようにしなくてはいけない。

 11時半、都教委教育情報室の課長、係長に面会し、署名の扱われ方や他にいくつかのことについて質問を伝え、メモを渡してきた。

 夜下高井戸シネマで行なわれた「君が代不起立」上映会に駆けつけた。昨日のDさんも参加されていた。

4月26日(木)

 鶴川二中へ。久しぶりの晴天。

先週満開だった八重桜は、このところの低温でまだかなりその状態を保っていて、目を楽しませてくれる。生徒たちの登校が終わり、その景色を楽しんでいるところに、いつものおじいさんが、私を見つけてやってこられた。「あんたはまじめだなあ」とおっしゃる。「まじめが取り柄なの」と私。

学区に住まわれる小学生のお子さんを持つAさん、次には、学校から5分の距離に引っ越していらしたBさんが訪ねてくださった。Bさんは、今までに何度か訪ねてくださって、今日初めて会えたのだとおっしゃる。私のことを気にかけてくださっていたことに感謝する。

 自転車で通りかかった女性がしばらくプラカードを見ていて、声を出された。

「またですね」。どう受け取ったらいいのか分からず、「どういう意味ですか?」と尋ねると否定的なことばを一言言われ、「でも受賞もされているんですよね」とおっしゃる。「新聞を見た」のだと。そして、「受賞といういいこともして、著名な人なのだから、こんなところに立っていないで、力をいいことに注いたらいいじゃないですか」とおっしゃり、私の返事は待たずに自転車のペダルをこぎ去ってしまわれた(注:受賞とは、多田謡子反権力人権賞のこと)。

処分と受賞との対比を、その中身で判断するのではなく、帯で判断するこのような人は、案外多いのかもしれない。13年前の被処分時にも八王子のある中学校で、私についてこれに類似した話がされたという。

 10時半過ぎ、昨日連絡を受けた横浜の学生たち3人がいらした。社会のこと、自分の生き方をまじめに考えていることが、話をしていてびんびん伝わってくる。彼女らとは1時間ほどの約束で、午後は聴講を予定していたが、彼女らの熱意に動かされて予定を変更。そのままじっくり語り合うことにした。Bさんのご厚意を受け皆で、Bさん宅で昼食をいただいた。

校門前に戻ると、置いていったいすの上に、たんぽぽと八重桜で作った花束が置かれていた。束ね方を見て、すぐにわかった。Cさん(小学3年生)だ! とっても幸せな気持ちに包まれた。帰宅して「ありがとう!」のメールを送ると、案の定Cさんだった。1時間もお母さんと私の帰りを待ってもらって、ごめんね、Cさん。

 下校時間帯に1年生の一人がプラカードをじっと見て、「うちのお母さんも、立たないって言っているよ」と話してきた。「君が代」の歌詞の解釈について、話しになった。

 夕方からは、映画学校の学生3人の訪問を受けた。この学生たちもとてもまじめな、自分を持っている人たちだった。とりわけ韓国からの留学生Dさんは、私の書いたものをほとんど全て読まれたのではないかと言うほどに準備をされていた。

4月25日(水)

南大沢学園に。雨。今朝も出勤してきた校長は私に、「O校長です。できれば、これをやめていただきたいのですが」と言う。「その法的根拠を示してからおっしゃってくださいと、前から申し上げていますでしょう」と返事をするが、校長は何も言わずに中に入っていってしまった。今朝は3人の副校長のいずれも、私の横に立たなかった。

登校してくる生徒たちに挨拶をしていると、何と懐かしい顔がある。立川二中の卒業生。お互いにすぐにわかって、再会を喜んだ。保護者の一人が「入学式の時は、その場では分からなくて」と声をかけてこられた。私が配った自己紹介の手紙を読まれて、声をかけてくださったのだ。「6ヵ月後にいらっしゃるのを楽しみにしています。がんばってください。応援しています」と。じっくりプラカードを読んで会釈をされる保護者もいらしたりする。同僚となるはずの人たちからも友好的な感触を受ける。

先週、経営企画室の担当者に尋ねたことへの返事を聞きに行った。ところが返事は、「上司の命令」により校地外ですると言う。驚いて聞き返したが、埒が明かないので仕方なく言われるままに門の外に出た。すると何と、担当者は校長同伴で出てきて、メモを私に渡した。私は、経営企画室の職務範囲のことなのに、校舎内で対応はしないというのはどういうことかと校長に質した。校長曰く、「私の判断です」「停職中だからです」「ここにいられるのは迷惑だ。やめてほしい、と言いましたよね」。会話にならなかった。

「根津を校地に入れるな」と、校長は都教委にきつく言われているのだろうけれど、良質の判断というものがあってもいいんじゃないか。対面した人とのやり取りで、臨機応変、その場の判断が必要となることはないのだろうか?これは、停職である私に対してだけのことではなく、職員に対しても、生徒たちに対してもだ。この一件も、上意下達で縛られた今の東京の学校が、思考停止の人間を生み出している一例だ。

先週ほどではないけれど、たくさん着こんでもやっぱり寒い。隣の喫茶室で、友人の持ってきてくれた昼食を食べ、体を温めた。

下校する生徒たちを見送り終わるともう4時。

2007/04/23

4月20日(金)

 8時、都庁に。出勤する人たちにチラシを配り、マイクで訴えた。チラシ配りは初めてという若い人の参加もあって、総勢14人。マイクの訴えも2箇所で行なって、楽しいチラシ配りになった。

 その後都教委教育情報課に「処分をしないでください」の署名の追加分を、処分は発令されてしまったけれど、署名してくださった全国の人たちの気持ちを届けに行った。

教育情報課のある30階は、恒例の、私たちだけにする差別的な警備体制が敷かれている。入り口を閉め、「東京都教育委員会」の腕章をつけた2人の職員が立って、私たちの入室・面会を妨害する。「集団で来るから」妨害するのだと言う。警備員も数人配置されている。

面会を求めても私たちは中に入れてはもらえず、しばらくして係長を名乗る人が出てきて、室外で対応した。教育情報課の係長は、入れ替えがあったとのこと。後任の係長だった。前任者は1年で異動。1年じゃ、仕事を覚えるだけで精一杯で、発展的継続的な、都民の利益に資する仕事などできるはずがない。都教委、都庁での部署の異動も、石原都政になってから、特にこの数年は短期間過ぎて、職員の間でも批判が多いと聞く。都政及び都教育行政を都知事の嗜好で弄ばないでもらいたい。

来週面会する約束をし、その時間と場所をファックス連絡することを確認して終えた。

午後は、鶴川二中の離任式に参加した。それぞれの離任者一人ひとりに、代表の生徒が「ことば」を述べてくれ、花束の贈呈。私は授業を受けての、身に余る「ことば」をもらい、うれしくありがたかった。

私からの挨拶は、何日かあれこれ考えたうえで、生徒たちが私に対し、ずっと疑問に思ってきた、なぜ起立しないのか?ルールを守らないのか?について、その疑問に答えようと少しだけ話しをした。「人と違うことを言うのは、60に近い私にとっても、勇気の要ることです。だから今、どきどきしています」と前置きして。

「私は『君が代』が嫌いだから立たないのではありません。知り考えることをさせずに、ただ立ちなさい、歌いなさいというのは、学校がしてはいけないと私は思うから、立てないのです。皆さんは、『君が代』の歌詞の意味や歴史を知っていますか?教育委員会がなぜ皆に歌ってもらいたいと思っているのか、知っていますか?考えたことありますか?

『斉唱』の前に、『君が代』について学び、考え合う。それが学校のすべきことだと私は、思うのです。行動する前に考えるのは、『君が代』に限りません。

私は30数年間教員として生徒たちに、『考えて行動しよう。みんながやるから、誰かから言われたからやるのではなく、自分で考えて行動しよう』と言って来ました。私自身もそう生きようとしてきました。人間は考える葦である、と言うでしょう。人間は考えるから人間なのです。皆さんには何事も、自分の頭でよく考えて行動していってほしいと願います。

常識、と言われることについても、です。『それは常識』、で済ませるのではなく、疑問を持ち、考えていってほしいと思います。時代や社会によって、常識も変わります。一例を挙げます。今『戦争反対』と言うと、誰もそうだ、と思うでしょう。でも、60数年前は、牢につながれたという歴史があります。

どんなことについても流されずに、自分の頭で考え、行動していって下さい。そして、思いっきり自分を生きてください。1年間ありがとうございました。お元気で」。

4月19日(木)

鶴川二中へ。家を出る時には降っていた雨が、学校に着いた時には上がっていたけれど、今日も寒かった。登校してきた一人の生徒が、「石けんありがとうございました」と言ってくれた。3学期の授業で廃油を使って作り、寝かせておいた石けんが配られたのだった。この生徒の気持ちがうれしかった。

午後は、「日の丸・君が代」裁判の傍聴と集会のはしごをした。

4月18日(水)

 今日も雨が降ったり止んだりの寒い1日。南大沢学園養護学校へ。7時45分頃到着すると5分経つか経たないかで、副校長の一人が私の見張り役で出てきた。

出勤する職員や生徒たちに挨拶をしていると、一人の男性が私の前に立って言った。「校長のOです。ここに立たれると迷惑なんですが」。入学式の朝、苦情を言いにやってきた時が初対面、今日は2回目で顔を覚えるまで行っていなかったので、「校長でいらっしゃいますか」なんてとぼけたことを言い、何が迷惑なのかを訊いたが、それには答えずに、中に入ってしまった。隣にいた副校長に同じことを訊くと、「近所から何か言われるかもしれない」とのこと。「そういう場合は、直接本人に言ってください、とおっしゃってくださいね」と伝えた。でも、ここは全く人通りがないから、近所から苦情が来るなどということがあるだろうか?

再び校長が出てきて私に、経営企画室から書類が郵送されたかを訊く。昨年から都立学校は「事務室」とは言わず、「経営企画室」といういかめしい名称が使われている。私は校長に、「事務の方にお聞きしたいことがたくさんあるので、後で訪ねます」と言うと、「訊きたいことは電話でお願いします」の一点張り。立て続けに3度「電話でお願いします」と言うと、校長は門の中に入って行った。

ここから見える、門から10メートル先にある経営企画室の人に直接訊くのは禁止とは、停職被処分者に対し何と形式的な、非人間的な対応をするものや!などと思っていると、今度は校長、副校長1人、経営企画室の方2人が「話があるなら外で聞く」とやってきた。いやはや・・・。都立学校では、これが常識なんだろうか?校長の判断ではなく、都教委の判断であることは明々白々。校長はどんな気持ちで私に対面しているんだろうか?

 お子さんを送ってこられたおかあさんが、プラカードの文字をじっと見ていらっしゃる。「これ、私なんです」と自己紹介をし、なぜ立てないか、どんな処分なのかを説明した。「立たなかっただけで、(この処分)ですか?!」と驚かれる。「今まで疑問にも思わず、立って来ました。なぜ、なんて考えてもみませんでした」とおっしゃる。これをきっかけに考えてもらえたらうれしい。

 体の大きい男子生徒もプラカードを見て、どうしたのかを訊く。「卒業式で『国歌斉唱』があるでしょ。私、そのとき立たなかったの。そしたら、9月まで学校に来てはだめって言われたの」と話すと、「かわいそう」と言う。

 この学校の人以外道を通る人はまずいないので、始業と同時に読書を始めたところ、次々に子どもたちが教員たちと何組も出てくる。走るクラス、お散歩に行くクラス。「行ってらっしゃい」と声をかけると、返事が返ってくる。手を握って応えてくれた子もいた。名前を訊かれたり、私も訊いたり。エプロンと三角巾を着けた生徒たちに、何をするのかを訊くと、「喫茶です」という。道を挟んで隣接する公園の一角にある建物で毎週水曜日に喫茶室を営業・実習するのだそうだ。早速行ってココアを注文し、暖まらせてもらった。

今日は訪問者が2人。

夕方は、新宿でフランス人記者の取材に応じた。10・23通達と都教委の攻撃・弾圧についてインタビューに答えると、記者は、「フランスでこのようなことが起きたら、教員たちは黙っていない。皆立ち上がります。日本の教員(組合)はなぜ、おとなしいのですか」とも訊かれた。この差は、やはり教育にある…。

2007/04/22

4月16日(月)

八王子は朝から雨。立川は、2時間くらいは何とかもったが、あとは冷たい雨。3月の気温とか。たっぷり着込んだつもりでも、午後は寒かった。

朝は道が混んでいて、遅刻ぎりぎりの生徒が駆け込む時刻に到着した。「朝ごはん食べてきた?」「目覚めた?がんばろう!」などと声をかけ、校舎内に入っていく生徒たちの後姿を見送った。

通行人はとても少なく、でも2人の方が声をかけてくださった。一人は立川市の職員とおっしゃる男性。「何かしなければ、と思います」と。もう一人は、70歳前後と思われる女性。「世の中、右に向かってますね」と。この門の前に立つこと3年目にして、初めて出合う人がいるものだ。

昼休みには3年生が初めは2人、次に5~6人、「がんばってますね」と言って面会に来た。見ると、その一人は朝駆け込んだ中の一人だった。彼らが1年生の時に3時間ほど授業をした、それだけの関係だったのだけれど…。「おれの名前、おぼえている?」「ぼくは?」――「ゴメン。顔は覚えているよ」。5校時を告げる予鈴がなり、「じゃあね」と走っていった。

下校時は、まだ部活動が始まっていない1年生に「さようなら」の挨拶をかけた。違和感なく、挨拶を返してくれる開放的な生徒がかなりいた。

今日は寒さと雨に耐えながら、原稿を書いて過ごし、3時に「退勤」。

2007/04/19

ダウンロードNo.1~5

編集局です。

 ブログ開設試作、兼、練習用ブログです。なんと、最初の記事を消してしまいました(^^;

東京大上映会 写真の掲載実験です(終了しました)。

← これをクリックすると拡大表示されます(終了しました)。



 機関誌のダウンロード配信実験です(実験を終了し、本稼動中です)。

解雇させない会ニュースNo.1
「newsno1.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.2
「newsno2.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.3
「newsno3.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.4
「newsno4.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.5
「newsno5.pdf」をダウンロード

 

2007/04/13

4月13日(金)

8時、都庁へ。出勤する人たちにチラシを配りマイクで訴える。昨年の停職から始めたので、2年目になる。河原井さんと私を含め9人。いつもより少し寂しいが、協力してくれる仲間がいて続けられること。声をかけてくださる方、ご自分から手を出してくださる方もいる。

10時からは、東京地裁で多摩中事件(2002年3月の減給処分撤回を求める)の進行協議。

そして午後からは、京都へ。大学の新入生歓迎学習会で話をするためだった。「君が代」不起立の映画を途中まで観て、続けて私の話し、そして質疑。

質疑の終わり近くになってあどけさの残る表情の新入生が発言した。「私は、先生がいた調布中の卒業生です。先生に家庭科を教わりました。・・・」

名前を名乗られ、じっと彼の顔を見ていると、3年前の顔が浮かんだ。私は思わず、甲高い声を発してしまった。小説のような話し。彼は、たまたま手にしたチラシで知って参加したのだと言う。

当時の同級生たち何人かで会うと、根津の話題が出ると言う。当時は気づかなかったけれど、根津から大事なことを教わったと。「他の先生たちとは違っていた。当時はただびっくりだった」家庭科の授業もよく覚えてくれていて、「ウインナーソーセージの食べ比べやだし汁の味比べ。こんな授業は初めてで、驚いた」。障がいを持った人を招いての授業、「忘れません」とも。

新聞報道でその後の私への処分も見て気になっていたとも語ってくれた。

都教委はこの年から、嫌がらせ、みせしめをする目的で異動要綱を改訂し、1年での異動、片道2時間の通勤を可とした。私はそれに漏れずに、調布中は1年で出された。でも、その1年の中で、他の教員とはちょっと違って映った私の言動から、考えるきっかけを少しでもつかんでもらえたのなら、本当にうれしい。調布中に在職した意味があったのだから。こんなに素敵な出会いをつくってくださった、学生の皆さん、ありがとう!

2004年調布中での卒業式は、10・23通達が発出されて初めて迎えた卒業式だった。私は、卒業式が近くなってから授業があった3年生半分のクラス(注:家庭科の授業は2週に1度しかないので)で「君が代」に起立できない私の気持ちを話し、着席した。

起立しなかった「強制に反対する」私の気持ちをその日の夕刊が報じたところ、校長は激怒し、全職員がいる前で私を怒鳴ったが、同僚が校長のそれを制してくれた。保護者や生徒何人もから、根津の言っていることはよく分かる、という声が届けられた。通達を出した初年度の2004年はまだ、「強制」への抵抗感を持った人たちが多くいた。3年後の今と隔世の感がある。

4月11日(水)

鶴川二中へ。前回「出勤」した日から5日が経つ。八重桜とつつじがつぼみをつけ、咲き始めている。葉を出し始めたばかりだった柿の葉の緑も数倍に広がっている。そう、昨年もここで木々の成長に命を感じていたことを思い出す。

そんな感慨にふけっているところに、次々に訪問者。20年もの間不当解雇と闘ってこられた国労闘争団の方が7人。学区にお住まいのAさん、Bさん、Cさんも立ち寄ってくださった。

闘争団の方々は、1ヶ月の予定で九州、北海道から上京され、行動されているのだという。ご自身のことでお忙しいのに、と申し訳ない気持ちになる。闘っている人たちがいるから、私も闘えると、いつも思う。 

Aさんは、小学生のお子さんが私宛に書いてくれた手紙と朝摘んだ草花をくださった。今朝お子さんが、登校時に私に会えるかもしれないと用意してくれたのだとのこと。どうも1,22分の差で会えなかったようだ。

手紙を開けると、「先生がんばれ KIMIKO ファイト!」。さらに開くと、3年生になっての近況や私への応援が、とっても丁寧にきれいに書かれている。紙面いっぱいに彼女の気持ちが溢れている。気持ちがうれしい。相手を想う気持ちは年齢や知識だけではないことは、いつも感じてきたことだが、小学校中学年でもこんなふうに感じることができるのだ。しばらくの間もらった手紙や花を眺めていて、気づくと私の顔の筋肉はにっこり状態で固まっていた。この小さいお友だちとは、昨年の停職「出勤」中に知り合いになったのだった。

Bさんは、「ここの1年生にも根津さんを想う生徒がいるよ」とその生徒の話をしてくれた。

下校時には一人の生徒が、プラカードをしばらく見ていて、それから私の方を向き、「先生、がんばってください」と丁寧に言ってくれた。ファシズムの空気が漂うこの地域で、生徒からこう言ってもらえることは、ことのほかうれしい。

3月中に「教職員定期評価本人開示通知書」(業績評価の開示)を受けていたが、急に異動をさせられたので、評価についての説明をしてもらわないままに3月が過ぎてしまっていたところ、今日その説明を受けた。開示通知をみんなで公開したら、業績評価制度はぐらつくのだけれど・・・。

4月9日(月)

午前中は南大沢学園養護学校へ。昨夜、今日が入学式であることを知り、お祝いのことばと私の自己紹介を書いた保護者宛手紙を、校門前で保護者に手渡し、子どもたちには声をかけた。見ず知らずの私に挨拶を返してくれる子どももたくさんいた。

私が校門に立ってほどなく校長が副校長ら3人(うち、1人は都教委の人)とともに私のところに来た。

校長「晴れの日なので、ここでチラシ配りはおやめください」

根津「どういう権限でそれをおっしゃるのですか」

校長「教育公務員ですよね」

根津「職務命令ですか、停職中の私に」

校長「南大沢学園の教職員ですよね」「ご理解ください」

校長はこれだけ通告すると、私の返事など聞かずに校舎内に戻った。他の3人は一言も発せず、校長に続いた。時計は7時42分を指していた。

 またしばらくして、今度は副校長2人が校門に出てきた。訊くと、「いつもこうして子どもたちを迎える」のだということだった。

 午後は立川二中へ。入学式が終わり、下校がほぼ終わるところだった。その中には顔を知る在校生もいて、挨拶を交わした。

「こんにちは。お久しぶりです」と笑顔で応えてくれる生徒。「お久しぶりです。僕のこと覚えていますか?また、君が代ですか」(――「そうよ。おかしいことには、どんなに脅されても服従しないのよ」)「生活できるんですか」(――「何とかします」)と言う生徒。(何で?)という顔つきをする生徒も。

新入生親子には、カメラマンを買って出た。

 中学生が帰ると入れ違いに、この3月卒業した生徒が新しい制服に身を包んで何人、何組もやってきた。懐かしい対面。

私立高校に進んだというAさんは、「高校じゃ先生たち、君が代の時立たなかったよ。校長先生もだよ」と告げてくれた。都立高校に進んだBさんは、「入学式で私は『君が代』、歌わなかった。なぜ歌うのか分からずに歌うのは嫌だったから」「他の人がなぜ歌わなかったのかは知らないけれど、歌う人はあまりいなかった。そしたら、都教育委員会の人が、お祝いの言葉の時に『国歌をきちんと歌いなさい』って怒っていた」と憤慨していた。

高校2年生になった生徒も何人かと出会ったり、嬉しいことに、時間をやりくりして私に会いに来てくれた卒業生もいた。石原都知事の3選に怒りまくるCさん。「間に合った」と駆けつけてくれたDさん。

何人もの卒業生が、「新聞見たよ!」と告げてくれた。9ヶ月ぶりの会話で、この年齢の人間の成長のすごさにハッとし、感動することしばしば。

石川中の卒業生Eさん他、二人の訪問も。たっぷりエネルギーをいただいた。

4月6日(金)

 今日は始業式、7時40分、鶴川二中の校門前に「出勤」した。友人が同行。暖かい、いい天気。

「進級おめでとうございます。/『君が代』不起立で不当にも停職6ヶ月処分です。/『君が代』の歌詞の意味を知っていますか。知って歌っていますか?/今は戦前のようです。」(趣旨)と書いたプラカードを立てかけて、登校する生徒や出勤する、数日前まで同僚だった人たちに挨拶をした。元気に挨拶を返してくれると、心が弾む。

生徒の登校中ずっと、忙しいだろうに、副校長が昨年と同じように私の横に立った。「1年間付き合ってきて、私が静かな人間だということも、生徒に何か心配なことをしないということもよくわかったでしょう?ここに立って、監視する必要なんかないですよ」と告げると、

副校長は同意する表情や言葉を出した。個人的にはいい人なのだ(いや、だからこそ怖い社会だと思う)。それでも、始業時刻まで立っていた。彼はこれを、「職務」と思わされているのだろう。

 この鶴川の地域では1年前の着任早々、私について「ルールを守らない教員」「引き取り手がなかったこの教員を校長先生が預かってやったそうだ」等々のことばが流されていたと聞いていた。また、10・23通達以降の、戦争に突き進む世の変化、人々の意識の変化はすさまじい早さだ。そうした影響を受け、私を排斥する声は、「正義」の声となり、生徒たちの間にもたちまちのうちに浸透した。

生徒からのバッシングはとてもきつかった。しかし、70年前を再現させる状況に、めげてはいられず、気持ちを整理し、ことに当たってきた。

3月、この学校では今流行りの、生徒からの「評価」があるのだが、そこにこんな風に書いてくれた生徒もいた。「先生がこの学校に来てくれて、私はいやなことはいやだと言っていいことが分かった」「先生は意志が強いですね。すごいと思う」「新聞で読みました。がんばってください」など。

とりわけ、「いやなことはいやだと言っていいことが分かった」という、たった一人かもしれないけれど、私の行動から学んでくれたその生徒の言葉に、私がこの学校にいた意味があったと思えた。うれしかった。それを支えに、私はまた、先に歩むことができる。そんな風な気持ちで、今日ここに立った。

登校が終わり、ボーッとしていたところに、「またですか」「またですか」と敵意むき出しの表情で私をにらみつけ、吐き出すように言って通り過ぎ、学校に入っていったPTA関係者。

それからしばらくして、表情やしぐさから(公安警察?)と直感させる男性が、プラカードと私に目をやり、通り過ぎて行った。

それに続いて、その数分前から100mほど離れたところに止まっていた濃紺の車が、私の前をゆっくり通り過ぎたところで、その男性を乗せて走り去った。

公安警察間違いなし!と確信するような風景だった。友人はその前に、停車を続けていたこの車から降りたこの人が、学校に入っていったのを目撃していたと言う。ますます、確信した。時計を見ると、8時50分だった。

また一方、忙しい時間をぬって4人の地域の方が訪ねてくださった。お二人は、初対面の方。昨年ここで知り合った○○さんから電話を受けていらしたのだった。

同じ鶴川地区のある小学校では、先日の卒業式で「君が代」の際、卒業生の保護者の2/3が着席されたそうだ。何があったのかは分からないが、すごいことだ。そんな話しに盛り上がった。

学校の前にお住まいの、いつも挨拶を交わす方たちとも、楽しく話しをした。

今日生徒は、午前で下校。始業・着任式で校長から話があったのだろう。「もう、いなくなっちゃうの?」「先生、新しい学校に行っても、僕のこと覚えていてね」と声をかけてくれる生徒もいた。「半年間はまだ、時々ここに来るからよろしく」と変な会話を交わした。

かつての生徒の一人□□さんからのメールが、校門前「出勤」に勇気を与えてくれます。

「去年 先生にお会いしたとき、実際生徒が先生の姿を見て、問題の存在を認知できることはすごく大切なことだと思いました。その時すぐに問題を理解して行動に移すのは、おそらくほとんどの生徒には無理です。私も無理でした。

でも 日本国内には同じような問題がまだまだ沢山あって、先生が異動した分だけ(先生には大変ですが)それらの問題を疑問視できる将来の社会人が増えるのではないかなと思うのです。(中略)

私自身も、最近「愛国心」と「祖国愛」をわけて考えるようになりましたが、それは石川中での平和教育だけでなくて、今の先生の活動を知ってるからだと思います(後略)」。有難いことです。

2007/04/02

4月2日(月)

朝、真っ先に外に出てみた。夜中の雨はほとんど上がり、時折霧雨が降る程度。まずはほっとした。今日は、大沢学園養護学校に「初出勤」。

30日に校長面接に行った折、「2日に行われる職員紹介で私を紹介してほしい。自己紹介もさせてほしい」と校長にお願いしたけれど、「都教委に訊かなければわからない」とのことだった。この日帰宅すると、「参加はできないことを都教委と確認した」との返事がファックスで入っていた。

でも、このままでは6ヶ月間、私は“ユウレイ”にされてしまう。いやだ。あれこれ考えて、出勤する職員に手紙を手渡そう、と決めた。

 7時40分、校門前着。友人2人が同行してくれた。「おはようございます。今日からここの職員になりました根津と申します。『君が代』で停職6ヶ月の・・・」と自己紹介し、一人ひとりに手紙を手渡した。あるいは手渡そうとした。

「新聞で見ました。がんばってください」「私たちの代表でやってくださっていて、と思っています。ありがとうございます」「来られたこと、友人から聞いています」などと言ってくださる方もいて、一人じゃない、とうれしかった。でもやっぱり一方には、手を出してくれない人や、「中に入るようになってからいただきます」という人も。まあ、これが社会だけれど。

手渡し始めてまもなく、2人の副校長が、「止めてほしい」と言いに来た。学校管理者側の「職務」を意識して来たのだろうか。その割には、2人は、あっさりとしたもので、すぐに中に入ってしまった。

今日は、短時間で「退勤」した。

以下は手渡した手紙。


南大沢学園養護学校教職員の皆さま

4月1日付でこの学校に異動になった根津公子と申します。31日付新聞報道でご存じかと思いますが、今年もこの3月の卒業式の際の「君が代」不起立・不伴奏で35名の教職員が懲戒処分を受けました。私は、停職6ヶ月に処され、ここの職員になったにもかかわらず、中に入ることができません。自己紹介だけでもさせてほしいと校長にお願いしたのですが、「都教委との確認」で承諾できないとのご返事でした。

そこで、紙面をもって自己紹介等させていただきたいと思います。どうぞ、最後までお読みくださいますよう、お願い申し上げます。そして、1年間どうぞよろしくお願いいたします。

◇◇◇    ◇◇◇     ◇◇◇ 

 1950年生まれの56歳。担当教科は家庭科です。新任校は江東区立大島中学校でしたが、第一子の喘息で八王子に転居。喘息が軽減するまでの数年間市内の小学校に、その後は同じ市内の中学校2校に10年ずつ在職し、担当教科の授業づくりだけでなく、学年職員集団で平和教育等に情熱を注いできました。とっても楽しい日々でした。

 2000年に八王子から多摩に、2003年以降は、調布、立川、町田の各中学校に1~2年での異動を強行されてきました。

 ですから、養護学校の経験は全くありませんし、知識もありません。皆さんから教えていただくことばかりだと思います。よろしくお願いします。

 ところで、停職6ヶ月の先はもう猶予はなく、次は免職です。ですから、1年後の卒業式で、校長が起立を求める職務命令を出さない決断をしてくれない限り、私は免職にされます。免職覚悟で、おかしいことにはおかしいと言い、行動していくつもりです。

私は「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないと考えます。しかし、だから起立しないのではありません。「君が代」に限らず、強制に反対なのです。

私は生徒たちに、こう話してきました。「ここにいる人におまんじゅうをあげる、と言われたら喜んでもらう。でも、全員が食べることを強制されたら、私は食べたくても絶対に食べない。食べたくない人の権利を侵害することになるから。君が代に反対するのも同じ理由です」と。

強制の行き着く先は、自由と民主主義が奪われた社会、ファシズムです。70年前に日本の歩んだ道を想起すれば、これを良しとする人はいないでしょう。大きく前提として、このことがあります。

加えて、都教委が進める「日の丸・君が代」は教育行為に反し、教育を破壊することだと考えます。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できる資料も機会も提供せずに、起立・斉唱を指示することは、調教に他なりません。子どもたちを戦争に駆り立てた戦前の軍国主義教育と同じです。

また不服従の教員を処分することで徹底させるこの強制の仕方は、生徒たちに「命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教えるようなものです。子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されないことです。

私は生徒たちが自分の頭で考え判断できる人に、「真理と平和を希求する」(改定前の教育基本法)人になってほしいと願い、仕事に当たってきたつもりです。ですから、私はこうした都教委に加担はできません。

さて、養護学校の子どもたちとの接触がなかった私がここで養護学校と「日の丸・君が代」、あるいは「君が代」について申し述べるのはおこがましいことですが、誰を対象としても、教育の条理に違いはないと思います。強制で縛るのではなく、自分の気持ちを出し合い、考え合い、尊重し合ってともに進んでいくことが、大事だと思います。

とりわけて知的障がいや学歴に対する偏見・差別が根強く残る日本社会において、ここに通う子どもたちが、自己に誇りを持ち、正当に自己を主張し表現して生きていくことを学び取ってほしいと思います。そのとき、「君が代」の強制は子どもたちの学びを妨げるものになるはずです。

東京の教職員で、都教委の「君が代」強制・処分に賛成する人はほとんどいないだろうと思います。校長たちも賛成ばかりではないようです。

私は2年前の卒業式での体験で、もう自分に嘘をつくのはやめよう。おかしいことにはおかしいと言っていこうと決めました。治安維持法下では、生命の危険に晒されましたが、今はまだ生命の危険はないですし、56歳の私には養育義務も家庭責任もありません。懲戒免職になっても何とか生きてはいけます。だから、大して迷うことなく、この決断ができたのだと思います。将来があり、家庭責任がある若い人たちの分も声をあげたいと思っています。

停職期間中、私は不当処分に納得していませんし、仕事をする意思が十分ありますので、「君が代」処分を受けた当時の学校(立川、町田)、そして今日から着任するはずだったここに、順繰りに校門前まで「出勤」します。また、都教委には抗議に行きます。

皆さま、どうぞご理解ください。声をかけてくだるとうれしいです。

                         2007年4月2日


                        根津公子

                   (ここに住所と電話番号を書いた)

2007/04/01

処分発令の時に読み上げられなかった抗議文

                            2007年3月30日

「君が代」処分に抗議する

東京都教育委員会
教育長   中村 正彦様
教育委員長 木村 孟 様
                        町田市立鶴川第二中学校
                              教諭 根津 公子

 本日都教委は、3月19日に行われた町田市立鶴川第二中学校の卒業式での「君が代」斉唱の際、起立を指示した職務命令に違反したとして私を停職6ヶ月の懲戒処分に処した。9・21東京地裁判決を無視し、弁護士会の警告を無視し、不当な処分を、とりわけ累積処分をやめない都教委の暴挙に強く抗議する。
 私はこれまで一貫して、都教委が強行する「日の丸・君が代」は教育の条理に反すること、都教委のイデオロギーを一方的に注入する、調教・洗脳行為であることを指摘・批判し、行動してきた。
都教委は、破廉恥にも言う。「起立を拒否する教員がいると、生徒としては、国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまう」と。子どもたちに、判断力も批判力も育ませない、洗脳すると公言しているに等しい。子どもたちを都教委の好む色に染め上げること、教育を政治利用することばかりに邁進する都教委を、私は決して許さない。
都教委を批判するのは、起立しない私たちだけではない。ほとんどの教職員が同様に批判的であることを、都教委は謙虚に受け止めよ。論議・検証・反省し、健全な組織とすべく必要な機能を回復させよ。

処分を受け続ける中で私は、人が人らしく生きることについて、教員が教員として生きることについて考え続けてきた。そして、今ここに宣言する。
教員である私は、どんなに処分をされようとも、教育を否定し破壊することには加担しない。内心と異なる行為をしない。子どもたちに、「長いものには巻かれよ」「命令には考えずに従え」とは教えない。人はどう生きるかを、私は教員としての職責と、信念に基づく行動で生徒たちに示していく。私は、都教委とどこまでも闘い続ける。           
                                   以上

3月30日(金)

停職6ヶ月校門前「出勤」日記

 29日の都教育委員会定例会で承認されたことを受け、午後から処分発令。中学校2、養護学校5、高校28、計35名。今回初めて処分を受けた人が20人。停職では、私が停職6ヶ月、河原井さんが停職3ヶ月、渡辺さんが停職1ヶ月。10・23通達以降の被処分は381名に上る。
 私に告げられた処分発令は3時。「収容所へとつながる」とふっと連想する待合室で待機し、3時、処分発令3箇所のうちの一室に通された。校長、市教委指導課長が同行。室内には都教委菊池管理主事をトップに3~4人の関係者が待ち構えていた。「処分書発令・伝達式」とでも言うのだろうか?「一同礼」(だったか?)から始まった。2番手らしき人物が、「地方公務員法29条第1項第1号、第2号及び第3号により6月間停職を命ずる」(=29条は、懲戒処分に関する規定)と処分発令書を、続いて処分理由書を読み上げた。次にその2枚の紙を菊池管理主事が私に渡そうとするので、「受け取る前に質問があります」「職務命令はなぜ私にだけ出されたのですか」「抗議文を読み上げるので、それくらい聞きなさい」と言うが、管理主事はどでかい声で、「ここはそういう場所ではない。受け取りを拒否するんですね。拒否ですね」とわめき、さえぎる。仕方なく抗議文を菊池管理主事の前に置き、「不当処分に抗議します。こんなことを続けて、あなたたちには天罰が下りますよ」と告げて、退室した。
 この部屋でこの人たちの顔をまじまじと見ながら、この人たちの本心はどこにあるのか、良心の呵責は微塵も感じないのだろうか、人間だから恐ろしいことができる、といつものことながら思った。
 ここからは、年次休暇に入った。皆が待つ建物の前の路上に出た。駆けつけてくださった皆に温かく迎えられ、ほっとする。この後、集会と記者会見。
 八王子に戻り、友人と呑み、バス停に向かう道で「根津先生!」と声をかけられた。美しい若い女性。11年ぶりの対面、石川中の卒業生だった。処分のことを告げると、彼女は都教委への憤りをあらわにし、中学校時代のことを次のように言ってくれた。「中学校の先生たちは本当に私たちのことを考えてくれた。先生たちみんなとっても仲がよかったよね。押し付けでなく、どう思う?こんな考え方もあるんじゃない?という風に、いつも私たちに考えるきっかけをつくってくれた。731部隊のことでも、事実をしっかり知り、考えた。だから今も、社会のこと政治のこと選挙のこと、考えようとできるんだと思う。とっても感謝している。中学時代の友達と会うと、みんなそう言っているよ」と。処分発令の嫌な日に、とってもうれしい、最高のプレゼントだった。都・市教委にどんなにひどい攻撃・弾圧を受けても、おかしいことはおかしいと言い続けようと思える、私の活力の源は、私と出会った生徒たちのこうした言葉。ありがとう。今日の疲れがいっぺんに吹き飛び、さわやかな風が私の体を包んだ。
 ところで私たちは、起立しなかったことが学習指導要に違反であるから処分されるのではない。校長が発した「起立すること」との職務命令に違反したことで処分を受ける。都教委は「『学習指導要領どおりに』『国歌斉唱』を実施している」と言うが、東京だけが突出した処分をすることを正当化するには、学習指導要領違反での処分が難しいということ。職務命令違反にしかその根拠を求められないのだ。こんな存立基盤脆弱な理由をもって、私には停職6ヶ月。「停職は6ヶ月まで」と言った、昨年5月の都教育委員会定例会での都教委発言によれば、私は、来年の卒業式で免職ということだろう。一方に職務命令が出されないで処分とならない全国の教職員がいて、東京でさえそうした教職員がいて、しかも4年前までは問題にされなかったことで、しかしいま私にはこの処分。どこに処分の正当性、公平性があるというのか! 処分の不公平性は、都教委トップの極度の異常さをあらわす。このような暴走がいつまでも続くはずはない。

 話しは変わって4月からの身分の問題。29日の午後、異動の内示を受けた。異動要綱は2003年にまったく都教育委員会のしたいように、1年での異動を可能とさせるものに作り変えられた。不服であったが、ここに時間を使うのはやめた。1年ごとの異動は二重処分であることは歴然としているが。異動先は、都立南大沢学園養護学校だと言う。
 異動先について校長に尋ねたところ、校長は市教委梅原教職員課長から言われたことを書き取ったというメモを示し、「都教委が照会した全ての教育委員会から根津の受け入れを拒否されたので、都教委は任命権者として、根津の能力を特別支援教育の場において活用するため、都立南大沢学園養護学校への異動を決定したとのことです」と告げた。
 2003年に調布中に異動になったときには、当時の校長は、都教委から言われたから受けたと言い、しかしその裁判の中では一変してその話を否定し、「家庭科を充実させて新3年生の問題行動を解決したいと考え、家庭科の過員配置を希望した」と証言したのだが、真相は初対面の時に校長が言ったことばであることは疑うべくもない。立川二中、鶴川二中の校長および立川市教委指導課長から聞いた言葉も同様に、「都教委から言われたから」であった。しかし今回は、都教委の照会に、どの区市町村教委も独自性をもって受け入れを拒否した、そうだが、そんなことはあろうはずがない。区市町村教委に独自性が残っているなら、披露してほしいものだ。
 30日午前中、処分発令の前に、校長面接(3人の副校長が同席)と荷物の搬入にこの学校を訪ねた。そして午後、処分発令を待っている部屋にこの副校長の一人が息せき切って入って来られた。「お渡しするのを忘れたから」と、着任先を証明する、4月1日付け「発令通知書」を持って来られたのだった。こんなもの、送れば済むものなのに。大事にすべき仕事の優先順位が違うんだよ。

ダウンロード方法

 以下に、ファイルのダウンロード方法を説明します。
 なお本説明で例示しているインターネットブラウザは、「インターネット・エクスプローラー
(Microsoft Internet Explorer)です。
1 先ず対象となるダウンロードファイルを、マウスで右クリックします。
Fig1
2 ポップアップメニューから「対象をファイルに保存」を選択します。

Fig2

3 次に、ファイルを記憶するフォルダー(場所)を指定します。

Fig3

 本例の場合、「マイドキュメント」に記憶する例を示しています。

Fig4

4 上記ウィンドウで「保存」ボタンをクリックします。
 すると、ファイルのダウンロードが開始されます。

Fig5

 ファイルのダウンロードが終了したならば、「閉じる」ボタンをクリックします。

Fig6

5 「マイドキュメント」に指定したファイルがダウンロードされました。

Fig7


 上記ファイルを以下からダウンロードすることができます。

ダウンロード方法
「download.pdf」をダウンロード

 

ダウンロードファイルの閲覧方法

ダウンロードファイルは、基本的にPDF(Portable Document Format)ファイルで統一しています。
このPDFファイルを閲覧するためには、Adobe Reader(旧 Acrobat Reader)をインストールしておく必要があります。もし未だインストールされていない方は、下記ペ-ジからインストールしてください。無料ソフトです。

Adobereader  http://www.adobe.com/jp/products/reader/

連絡先

『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会』事務局です。

 「編集局」を称してブログを始めました。会の電子版ニュース配信用という以外に特別編集方針を定めていませんが、情報はたくさんあります。情報過多にならない程度にどしどし掲載していくつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。

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