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2007/04/13

4月13日(金)

8時、都庁へ。出勤する人たちにチラシを配りマイクで訴える。昨年の停職から始めたので、2年目になる。河原井さんと私を含め9人。いつもより少し寂しいが、協力してくれる仲間がいて続けられること。声をかけてくださる方、ご自分から手を出してくださる方もいる。

10時からは、東京地裁で多摩中事件(2002年3月の減給処分撤回を求める)の進行協議。

そして午後からは、京都へ。大学の新入生歓迎学習会で話をするためだった。「君が代」不起立の映画を途中まで観て、続けて私の話し、そして質疑。

質疑の終わり近くになってあどけさの残る表情の新入生が発言した。「私は、先生がいた調布中の卒業生です。先生に家庭科を教わりました。・・・」

名前を名乗られ、じっと彼の顔を見ていると、3年前の顔が浮かんだ。私は思わず、甲高い声を発してしまった。小説のような話し。彼は、たまたま手にしたチラシで知って参加したのだと言う。

当時の同級生たち何人かで会うと、根津の話題が出ると言う。当時は気づかなかったけれど、根津から大事なことを教わったと。「他の先生たちとは違っていた。当時はただびっくりだった」家庭科の授業もよく覚えてくれていて、「ウインナーソーセージの食べ比べやだし汁の味比べ。こんな授業は初めてで、驚いた」。障がいを持った人を招いての授業、「忘れません」とも。

新聞報道でその後の私への処分も見て気になっていたとも語ってくれた。

都教委はこの年から、嫌がらせ、みせしめをする目的で異動要綱を改訂し、1年での異動、片道2時間の通勤を可とした。私はそれに漏れずに、調布中は1年で出された。でも、その1年の中で、他の教員とはちょっと違って映った私の言動から、考えるきっかけを少しでもつかんでもらえたのなら、本当にうれしい。調布中に在職した意味があったのだから。こんなに素敵な出会いをつくってくださった、学生の皆さん、ありがとう!

2004年調布中での卒業式は、10・23通達が発出されて初めて迎えた卒業式だった。私は、卒業式が近くなってから授業があった3年生半分のクラス(注:家庭科の授業は2週に1度しかないので)で「君が代」に起立できない私の気持ちを話し、着席した。

起立しなかった「強制に反対する」私の気持ちをその日の夕刊が報じたところ、校長は激怒し、全職員がいる前で私を怒鳴ったが、同僚が校長のそれを制してくれた。保護者や生徒何人もから、根津の言っていることはよく分かる、という声が届けられた。通達を出した初年度の2004年はまだ、「強制」への抵抗感を持った人たちが多くいた。3年後の今と隔世の感がある。

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