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2007/04/01

3月30日(金)

停職6ヶ月校門前「出勤」日記

 29日の都教育委員会定例会で承認されたことを受け、午後から処分発令。中学校2、養護学校5、高校28、計35名。今回初めて処分を受けた人が20人。停職では、私が停職6ヶ月、河原井さんが停職3ヶ月、渡辺さんが停職1ヶ月。10・23通達以降の被処分は381名に上る。
 私に告げられた処分発令は3時。「収容所へとつながる」とふっと連想する待合室で待機し、3時、処分発令3箇所のうちの一室に通された。校長、市教委指導課長が同行。室内には都教委菊池管理主事をトップに3~4人の関係者が待ち構えていた。「処分書発令・伝達式」とでも言うのだろうか?「一同礼」(だったか?)から始まった。2番手らしき人物が、「地方公務員法29条第1項第1号、第2号及び第3号により6月間停職を命ずる」(=29条は、懲戒処分に関する規定)と処分発令書を、続いて処分理由書を読み上げた。次にその2枚の紙を菊池管理主事が私に渡そうとするので、「受け取る前に質問があります」「職務命令はなぜ私にだけ出されたのですか」「抗議文を読み上げるので、それくらい聞きなさい」と言うが、管理主事はどでかい声で、「ここはそういう場所ではない。受け取りを拒否するんですね。拒否ですね」とわめき、さえぎる。仕方なく抗議文を菊池管理主事の前に置き、「不当処分に抗議します。こんなことを続けて、あなたたちには天罰が下りますよ」と告げて、退室した。
 この部屋でこの人たちの顔をまじまじと見ながら、この人たちの本心はどこにあるのか、良心の呵責は微塵も感じないのだろうか、人間だから恐ろしいことができる、といつものことながら思った。
 ここからは、年次休暇に入った。皆が待つ建物の前の路上に出た。駆けつけてくださった皆に温かく迎えられ、ほっとする。この後、集会と記者会見。
 八王子に戻り、友人と呑み、バス停に向かう道で「根津先生!」と声をかけられた。美しい若い女性。11年ぶりの対面、石川中の卒業生だった。処分のことを告げると、彼女は都教委への憤りをあらわにし、中学校時代のことを次のように言ってくれた。「中学校の先生たちは本当に私たちのことを考えてくれた。先生たちみんなとっても仲がよかったよね。押し付けでなく、どう思う?こんな考え方もあるんじゃない?という風に、いつも私たちに考えるきっかけをつくってくれた。731部隊のことでも、事実をしっかり知り、考えた。だから今も、社会のこと政治のこと選挙のこと、考えようとできるんだと思う。とっても感謝している。中学時代の友達と会うと、みんなそう言っているよ」と。処分発令の嫌な日に、とってもうれしい、最高のプレゼントだった。都・市教委にどんなにひどい攻撃・弾圧を受けても、おかしいことはおかしいと言い続けようと思える、私の活力の源は、私と出会った生徒たちのこうした言葉。ありがとう。今日の疲れがいっぺんに吹き飛び、さわやかな風が私の体を包んだ。
 ところで私たちは、起立しなかったことが学習指導要に違反であるから処分されるのではない。校長が発した「起立すること」との職務命令に違反したことで処分を受ける。都教委は「『学習指導要領どおりに』『国歌斉唱』を実施している」と言うが、東京だけが突出した処分をすることを正当化するには、学習指導要領違反での処分が難しいということ。職務命令違反にしかその根拠を求められないのだ。こんな存立基盤脆弱な理由をもって、私には停職6ヶ月。「停職は6ヶ月まで」と言った、昨年5月の都教育委員会定例会での都教委発言によれば、私は、来年の卒業式で免職ということだろう。一方に職務命令が出されないで処分とならない全国の教職員がいて、東京でさえそうした教職員がいて、しかも4年前までは問題にされなかったことで、しかしいま私にはこの処分。どこに処分の正当性、公平性があるというのか! 処分の不公平性は、都教委トップの極度の異常さをあらわす。このような暴走がいつまでも続くはずはない。

 話しは変わって4月からの身分の問題。29日の午後、異動の内示を受けた。異動要綱は2003年にまったく都教育委員会のしたいように、1年での異動を可能とさせるものに作り変えられた。不服であったが、ここに時間を使うのはやめた。1年ごとの異動は二重処分であることは歴然としているが。異動先は、都立南大沢学園養護学校だと言う。
 異動先について校長に尋ねたところ、校長は市教委梅原教職員課長から言われたことを書き取ったというメモを示し、「都教委が照会した全ての教育委員会から根津の受け入れを拒否されたので、都教委は任命権者として、根津の能力を特別支援教育の場において活用するため、都立南大沢学園養護学校への異動を決定したとのことです」と告げた。
 2003年に調布中に異動になったときには、当時の校長は、都教委から言われたから受けたと言い、しかしその裁判の中では一変してその話を否定し、「家庭科を充実させて新3年生の問題行動を解決したいと考え、家庭科の過員配置を希望した」と証言したのだが、真相は初対面の時に校長が言ったことばであることは疑うべくもない。立川二中、鶴川二中の校長および立川市教委指導課長から聞いた言葉も同様に、「都教委から言われたから」であった。しかし今回は、都教委の照会に、どの区市町村教委も独自性をもって受け入れを拒否した、そうだが、そんなことはあろうはずがない。区市町村教委に独自性が残っているなら、披露してほしいものだ。
 30日午前中、処分発令の前に、校長面接(3人の副校長が同席)と荷物の搬入にこの学校を訪ねた。そして午後、処分発令を待っている部屋にこの副校長の一人が息せき切って入って来られた。「お渡しするのを忘れたから」と、着任先を証明する、4月1日付け「発令通知書」を持って来られたのだった。こんなもの、送れば済むものなのに。大事にすべき仕事の優先順位が違うんだよ。

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