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2007年5月

2007/05/30

from the editorial department

There is the responsibility for the contents of an article that translated this diary into English in the editorial department.

2007/05/27

5月25日(金)

 都庁第二庁舎前で情宣活動。チラシの片面は、教職員の不起立は、『生徒の学習権への侵害』と言い、教職員が皆起立するのが、『無形の教育』と主張する都教委を批判。もう片面は、教育3法の批判。都教育庁に働く皆さん、仕事の中で吟味し、内部告発をしてください、ともに考え行動しましょう、と呼びかける。

 「がんばってください」と声をかけてくれる方が結構いらっしゃる。

 今日の参加は13人。Lさんも駆けつけてくださった。

 その後午前中は国交省前での座り込みに参加。

午後は、入学式での不起立・不服従者に対する処分発令に抗議し、不服従者を激励する行動に参加した。雨が降る中、80人もの方が駆けつけた。

今年の不服従・被処分者は、7人。若いのに不起立3回目で減給6ヶ月の方に、思いを馳せる。高校の人が6人、養護学校が1人(都教委発表では、養護学校を「特別支援学校」と呼称を変更していた)。

5月24日(木)

 鶴川二中へ。今日も朝から照りつける。今日は中間テストだと言う。私の挨拶に無視をする生徒がかなり多いが、「がんばってください」「応援しています」と一言付け加えてくれる生徒もいる。そのどちらにも、私の今を、社会を考えるその題材にしてほしい。そんなことを思いながら、生徒を迎える。

 朝早くから前の家のおじいさんが出てこられた。今朝は白のワイシャツ姿でパリッとされている。「木曜日」を待っていてくれたのだそうだ。私がいる午前中の時間のほとんどを、私とともに過ごされた。

 午後は、聴講、そして裁判の打ち合わせ。

5月23日(水)

 南大沢学園に。家を出てから40分後、鶴川への道を走っていることに気づいた。苦笑。大きく迂回してしまったから学校前に着いたのは、7時50分。でも校長の出勤よりも早かった。

 出勤してきた校長は作り笑顔の様子で、私のところで立ち止まった。「おはようございます」――「おはようございます」。挨拶だけで無言である。

「今日は何かおっしゃることはないのですか」(私)――「できれば・・・」(校長)

「できれば、ここにいてください、ですか」――「いえ、できれば、いないでいただきたい・・・」

「ここにいてはいけないことの根拠となる法令を示してください、と前から申し上げているでしょう」と答えた私のことばには返さずに、校長は私に一礼をして校門をくぐって行った。

この「指導」=管理が、校長にとっての「職務」なんだろうが、彼の自尊心は傷つかないのだろうか、と思う。自尊心を麻痺させ、「内心」と切り離してする「職務」行為が、社会を腐敗させることに考えを及ばせてほしい。

 今朝は朝から暑い。湿度が低い分、しのぎやすいが、予報では7月下旬の暑さと報じていた。ブレザーを着て、汗ばんだ顔の生徒もいる。「暑いですね。大丈夫ですか」と声をかけてくれる高等部の生徒。「暑いですから、(お茶に)来てください」と言ってくれる。

高等部の実習が終わらないうちにと思い、お昼少し前、喫茶室に行った。アイスコーヒーを注文し休ませてもらった。訪ねてくれた友人のIさん、Jさんも一緒。

異動を通告された3月30日に、教材教具類をこの学校の運び込んでおいた、その中から必要なものが出たので、副校長に校舎への立ち入りをお願いした。

それに対しては許可が出され、今日のところは無事済んだが、別の副校長がやってきて、「9月30日までは、校舎への立ち入りは禁止です。これからはこういうことは止めてください。トイレも緊急の時だけです」と言う。「みだりに入ってくるわけではないでしょう。必要があれば、私物を見ることなど、これからもあります」と答えると、「止めてください」。「いいえ、止めるとは言えません」と私。そのままに玄関で別れた。

副校長と言い、校長と言い、都教委の指示による言辞の多いこと!

今日は部活がなくて下校の早かった立川二中の卒業生であるKさんが、話し込んでいった。彼は私が二中に転任した時に学年集会で話しをしたことを鮮明に覚えていて、それを告げてくれた。「強烈な印象でした」と言う。

ここ数年、私が生徒たち全体の場で話をする機会など、自己紹介を除けば皆無である。その1回の話を覚えていてくれたなんて・・・。3年も前のことを。感激!、です!!

その話とは、こうだ。ボールか何かを見せて何に見えるかを問い、では、皆から見えないところはどうなっているのだろうと問い、物事は見やすい1つのところから見るだけでは見えないことがある。裏側から見ると違って見えることがある。いろんな角度から見て、考えよう。見えないところには想像力を働かせよう。という主旨の話しをしたのだった。

 感激いっぱいで帰路に着いた。

5月22日(火)

 今日は「出勤」せずに事務作業日に充てている日なのだけれど、国労の1047名解雇20年の闘い・国土交通省を話し合いのテーブルにつかせる要求を掲げての座り込み行動に参加した。

5月21日(月)

 立川二中へ。朝生徒たちと挨拶を交わすひととき。校門をくぐった生徒が一人戻ってきてプラカードを読む。1年生のようだ。「これは私のことよ。2年前、わたしはここの教員だったの」と言うと彼は、「がんばってください」とぺっこり頭を下げ、にっこりした。「ありがとうございます」。

いつものように北多摩高校に進んだ二中卒業生とも挨拶を交わす。「先生、がんばってください」――「あなたはテストをがんばって!健闘を祈ります」。

 今朝も市議会議員のAさんが、通りながら車のクラクションを軽く押してくださり、挨拶を交わす。今朝もいつもと同じようにスタートした。今日はB社のCさんの取材があった。

 読書タイムなのに集中できずに行きかう車を眺めたり、校庭に運動会の練習をフェンス越しに見たりしていると、4月以来ずっと気になっていた方の姿が見えた。待っていれば私の前を通られるのだけれど、それが待てずに私は駆け寄って「お久しぶりです。お元気でしたか」と言い、続けて停職6ヶ月にされたことついて報告をした。この方は、昨年も一昨年も10時と12時頃に健康センターの往復にここを通られ、私が気づかない時にも、「先生がんばってください」と声をかけてくださった、70代終わりか80代の男性で、今年はお会いしなかったので気になっていた。だから今日はお会いできて勝手に一安心した。

 70歳前後と思われる男性がプラカードの前で自転車を止め、私が声をかけようかと逡巡している間に走り去り、しかし引き返してこられた。「ここの先生ですか」と切り出された。昨年も一昨年もここを通るたびに見ていられたのだとのこと。

「停職処分はひどいけれど、親のしつけができなくなっているからある程度形をきちんとさせることも必要なのではないか」とおっしゃる。「親の問題もありますが、子どもは社会を見て育ちます。国会議員や要職にある人が自身の不正を正せば、子どもたちのよい教育になるのではないでしょうか」と私。

憲法に話が及び、「9条があるから日本は戦争をしない」とおっしゃる。国民投票法案をめぐって意見交換をした。とても温和な方で、最後は私の失職を心配しておられた。処分はひどすぎる、というのは、都民の大半の感じ方のように思う。

 もう一人、30代後半と思われる男性がプラカードを見ているので、声をかけた。「こんな処分はおかしいですよね」と言われ、「署名でもあればします」と申し出てくださった。

 昼食休憩の時間を割いて、Dさんが訪ねてくださった。

 下校時は今日も卒業生が訪ねてくれた。Eさんは中間テストが終わったからと立ち寄ってくれ、Fさんは5時に立川駅から電話をくれ、駆けつけてくれた。テスト前で部活がないからと訪ねてくれたのだった。昨年以来の対面、随分と大人っぽくなっていた。2人の気遣いがうれしい。

 やはりテスト前で下校が早かったGさんHさんが帰り道、私に気づき、道草をしていった。

卒業生たちから、あったかーい気持ちをプレゼントしてもらった。月曜日、さあ今週もがんばろう!って、自然に元気がみなぎる。

 7時50分に「出勤」して、今日も10時間「勤務」・・・?!

2007/05/20

5月19日(土)

昨日は新横浜で「どがんすっとね?日本ば!パレスチナば!」の集会、今日は「憲法9条を語ろうin八王子」の集会に参加した。

どちらの集会も若い人たちの企画・運営で、彼らの思いが伝わってくる集いだった。若い人たちにつけを残してはいけない!という思いを、また同時に希望を抱く。

八王子の集会では、元市長の波多野氏(=確か2002年くらいまで市長であった)が、不戦の決意を柱とする現憲法を熱く語られた。氏がPKO法にも強く反対してこられたことを私は今日、初めて知った。氏はオールド自民党・・・。

図らずも、この数年間の右傾化の激しさを確認することになった。

この数年間の右傾化の激しさを、大勢の人が確認することが、はじめの一歩と思う。

5月17日(木)

鶴川二中へ。昼過ぎまで雨。長靴を履いてくるべきだった。体は、停職1ヶ月の時に田中哲朗さんがプレゼントしてくれたゴアテックスの合羽の上下を着、傘を差しているから快適そのものだったが、靴は生徒を迎える間だけでたちまちぐじょぐじょになってしまった。ビニールで覆ったが、すでに遅し。

私のした挨拶に対して一人の生徒が、「わたし、今年がんばっているよ」と。「知っているよ。今日も1日がんばって!」とこたえる。

 今日はほとんど人が通らない。雨がかかってもよい雑誌を読んで過ごした。

 午後は、大学で聴講をした。知らない事実を知る喜びとともに、どのような教材を選び、どのようにそれを提供するかという点がすごく刺激となる。これが本来の研修だ。

今日教育関連3法案が衆院を通過した。伊吹文科相は地方教育行政法の「改正」で、「生徒の教育を受ける権利が侵害される場合、文科相は教育委員会に是正要求(=命令)ができる」とすることについて、その事例としてつい半月前は、いじめ自殺や履修漏れを挙げていた。

しかし、ここに来て本音で事例2つを出すに至った。たった半月で。一つは、学校が卒業式などで国旗を掲揚せず、国歌も斉唱しなかった時、2つ目は、全国学力調査の実施を教員が妨害したにもかかわらず、教委が放置した時と。

 黙っていることは、悪政に加担していること。

5月16日(水)

 11時から河原井さんと私の停職処分の裁判、4回目の法廷。それまで南大沢学園に「出勤」した。水曜日は2週続けて用事が入ってしまい、「出勤」できなかったので、今日は少しの時間でも南大沢に行きたかった。

 校門前に着くと数分で副校長の一人が出てこられた。「私の監視ですか」と訊くと、今日は、「いいえ、ご挨拶です」ということだった。

しばらくして、校長が出勤してきて私の前で足を止め、「できればやめていただきたいのですが」と控えめにおっしゃる。「できれば、ですか」と私。校長はそれには返事を返さずに、校門をくぐって行った。

4月初めの言い方とは随分違った。どういうことなんだろう? 悪意があるわけではない普通の人が、多少ためらいながらも、指示・命令を「職務」として実行に移してしまうことが、私には怖い。

 出勤する同僚には都庁前で撒いたチラシの残りを手渡した。「お世話様です」「読ませていただきます」「もらえません」「・・・」。反応はさまざまだ。

 生徒たちにはとびきり明るい声で挨拶のことばをかけ、顔見知りになった保護者と挨拶を交わした。ここでは保護者の何人もの方が、労りのことばをかけてくださる。9時半、荷物をまとめて裁判所に向かった。

 11時、開始時刻ぎりぎりで法廷に到着した。傍聴に来てくださった方々が着席されているところを原告席に座った。当事者が最後で申し訳なかった。

今日はこちらから準備書面(2)と(3)を提出し、弁護士さんがその概要を陳述した。

・起立の強制は憲法19条「思想及び良心の自由」を侵害すること ・思想・良心の変更強要を求める累積加重処分の違憲性 ・処分が比例原則・平等原則違反など裁量権を逸脱・濫用し違法であること、したがって、地方公務員法32条違反(職務命令違反)も33条違反(信用失墜行為)も成立しないことについてである。

 傍聴してくださった皆さん、ありがとうございます。裁判長は傍聴者の数や様子で事件の社会的関心度を量るのだろうから、傍聴者がいないことには始まらない。今日の傍聴者の中には、国会への働きかけで上京された福岡の方3人がいらした。本当にありがたい。

 裁判の後は都庁に行き、チラシまきをした。福岡の3人の方も参加してくださった。

5月14日(月)

 立川二中へ。3年生は修学旅行の代休でいないので、登校する生徒は知らない顔ばかり。でも、気持ちよく挨拶をしてくれる。

読書をしていると、私の前で車が止まったような気がして顔を上げた。見覚えのある車だ。「先週の方、ですよね?」――「そうです。こういう者です」と名刺を差し出された。大学の教員をされている方だった。「ノンポリなんですが、これ(=「君が代」強制と処分)は絶対に許すことできませんからね。がんばってください」。そうおっしゃって、再びアクセルを踏まれた。

午後は、友人のAさん、Bさんの訪問を受ける。

 卒業生の訪問者は、CさんとDさん。「私がここにいること、よくわかったわね」と言うと、「お父さんが教えてくれた」のだと。「先生、有名な問題児だから皆先生のことを知っているんだってば」と言われてしまった。

ここを黙って通り過ぎる方も、私の行動を無視したり、敵視しているのではないということなんだ、と思った。

登校前のあわただしい中を、Cさん、Dさん、ありがとう。

もう一人の訪問者は、Eさん。明後日から定期テストというのに風邪を引いて辛そう。それなのに立ち寄ってくれて。なんてありがたいこと! 早く治ってね。テスト勉強に支障が少ないようにと祈る。

2007/05/19

ダウンロードNo.6~8

久々の更新です。

解雇させない会ニュースNo.6
「newsno6.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.7
「newsno7.pdf」をダウンロード

解雇させない会ニュースNo.8
「newsno8.pdf」をダウンロード

 

2007/05/13

5月11日(金)

8時、都庁第一庁舎前でチラシを配る。河原井さんと私の他に13人もの人が来てくださった。

昨年熱い思いをつづった手紙をくださり、チラシ撒きは今日が初参加のCさん、先月知り合ってすぐにチラシ撒きに来られ、今日が2回目のDさん、仕事を休んで参加してくださったEさん、ありがとう。

毎週のチラシまき・情宣は、無理を押して来てくださる人たちがいなければ成り立たないこと。皆さんに、ほんとうに感謝です。

チラシ撒きの後は、会報の印刷発送作業をした。

国民投票法案が、参院憲法調査特別委員会で採決され、可決された。またも参院の機能果たさず。憲法9条2項を削除し、「戦争のできる国」に踏み出す。

戦後、「教え子を戦場に送らない」と決意した教職員組合は、今の事態を「教え子を戦場に送」ってしまう事態と、どの程度認識しているのか?「君が代」の強制と処分もまた、これと同一線上にあることだと、どの程度認識しているのか?

連休を境に暖かくなったので、とても楽になった。

5月10日(木)

 鶴川二中へ。登校する生徒たちの何人かが、挨拶だけでなく、「がんばってください」「いつもいつもご苦労様です」と声をかけてくれる。私も、「ありがとう。君も1日勉強がんばってきてください」と返す。

今日の訪問者は、早かった。生徒の登校時にすでに到着していた。この訪問者と話をしているところを何人もの人が通った。60代と思われる男性は、「石原都知事になってしまいましたからねえ」と声をかけてこられた。怪しい空模様ではあったが、昼まで天気がもって、助かった。

午後は、大学で聴講。学ぶことにわくわくした。

5月7日(月)

立川二中へ。今朝はいつもより早くに校門前に到着したので、正門を利用して登校する生徒たちのほとんどを出迎えた。4月に「出勤」した時には会わなかった3年生が「お久しぶりです」と声をかけてくれたり、にやにやして通り過ぎたり。いろいろな反応が面白い。

生徒たちの登校が終わるといつものようにいすに座って、仕事にかかる。

しばらくして、私の前を通る車が速度を落としたかと思うと、窓が開き、男性が身を乗り出すようにして「がんばって!」と言い、再びスピードを上げた。私も立ち上がって、「ありがとうございます」と大きな声で返した。お顔はわからなかったけれど、車や声の感じから、きっと昨年も声をかけてくださった方だと思った。朝早くに元気をもらうと、1日がいい気分で始められる。

今日は、プラカードを見て歩を止められた人が2人。一人は70代の男性。お兄さんが特攻でなくなられたことから、「愛国心」を否定することはお兄さんの死を否定するとイコールになってしまうようで、「愛国心」も「君が代」も大事だとおっしゃる。「でも、こんな処分は変だ」とも言われた。

60代後半と思われる男性は、「(処分は)ひどすぎるよね。滅茶苦茶な世の中だよ。がんばって」「ここにあなたが立つこと、それが意味のあることです」と言って行かれた。私が全身で私を表現し、東京の教育の異常性を訴えようとすることを、「意味がある」とおっしゃってくださり、勇気を得た。

午前中の訪問者は3人。

1時から増田都子さんの分限免職処分取り消し訴訟の法廷があったので、途中抜け出して傍聴をした。再び校門前に戻ると3時半。今日は5時間授業だったから、下校時間には間に合わなかった。

5時、そろそろ帰ろうかと思っているところに電話が入った。隣の高校に進んだAさんからだった。高校に近い南門で待ち合わせ、そこにBさんも加わり、おしゃべりを楽しんだ。南門は高校の門より100m手前に位置するので、駅に向かう高校生はここを通る。AさんBさんの友人たちが、「Aのお母さん?」「何してんの」と声をかけていく。

高校の最終下校時刻の6時を過ぎるまでおしゃべりをしていたので、他の二中卒業生とも会えた。

Aさん、楽しい時間を作ってくれてありがとう。Aさんはインターネットで私の「停職『出勤』日記」を読んで、訪ねてくれるようになった卒業生だ。

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