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2007年6月

2007/06/30

6月29日(金)

 都庁第二庁舎前でチラシ撒きとマイクでの情宣をした。今日は映画「君が代不起立」をご覧になって、また、集まりで私の話しを聴かれて、応援しようと参加してくださった方がお二人。TiさんとYさん。

 大阪からは、チラシまきのために夜行バスで上京してくださった方がいらした。初対面のFさん。事故による渋滞に2度も巻き込まれ、チラシまきには間に合わず、とっても残念。交通費だけがかさんでしまわれたが、お気持ちがうれしく、励まされた。

 停職3ヶ月が過ぎようとしている。河原井さんは、今日も「全国行脚」をしているが、来週から学校に復帰だ。9ヵ月後、都教委に私を解雇させはしない。

6月28日(木)

 鶴川二中へ。

 学校の少し手前で毎朝お会いする女性といつものように挨拶を交わした。いつもそれだけのことだったが、今朝はその女性が、「何かの調査ですか」と訊かれた。私が座っているところもプラカードも見てはいらっしゃらないので、1年間不思議に感じていられたようだ。わけを話すと、「抗議していらっしゃるんですね。立派ですね。がんばってください」と言ってくださった。

 今朝は登校するTさん親子とも会うことができた。Tさんはここで知り合ったかわいいお友だちである。4月にTさんがプレゼントしてくれた桜とたんぽぽがきれいにドライフラワーになっていることを手紙かメールで知らせようと思っていた矢先の対面。そのことを告げると彼女もにっこり。素敵な1日の始まりとなった。

 校門の前に立ち挨拶の声をかけていると今朝もかなり遠くから、「おー」と声をあげながら登校してくる数人の一団。立ち止まって、「強制は反対だよね。おれも強制されるのはいやだ」「おれたち、ねずみの仲間。がんばれ!」と言って行く。3ヶ月前との違い。何をきっかけに彼らは、このように思い始めたのであろうか…と思いつつ、とにかく、彼らに考えるきっかけを提供できたのだと思った。

 9時少し前、牛乳運搬車が止まった。いつものように挨拶を交わす。とっても感じのよい、健康的な初老の男性で、荷降ろしの前後に毎日挨拶を交わしていた。いつもはそれだけだったが、今日は互いのことを少しおしゃべりした。

 おじさんは朝3時半には仕事を開始、夜7時まで15時間こうして配送、荷降ろしをされているのだという。働けるうちは働くんだと、とっても前向きの方。やっぱり印象どおりの、人間性豊かな方だった。

 Bさんから私のことを聞かれたTさん、Mさんが訪ねてくださった。3人は、学区に住まわれる若いお母さんだ。「Bさんから聞くまでは、『日の丸・君が代』のこと、考えたこともなかった」とおっしゃる。そういう方が、考えたこともなかった分野の扉を開けてくださるのはとってもうれしい。

 10時からは鶴川の、若い人たち主催の集まりに。そして午後は聴講に。

6月27日(水)

 A大学の授業に招かれた。

6月25日(月)

 立川二中へ。

 梅雨空。今日は定期テスト、子どもたちの声さえ聞こえてこない。

 午前中は、土曜参観の代休というのでSさんが訪ねてくれた。

 昼過ぎ、本を読んでいると、「先生、またかね」と声がする。私もすぐにわかった。「まあ、おじさん、お久しぶりです。お元気のようですね」。昨年も一昨年も通院のためにここを通られ、いつも長い時間私のところで道草を食っていかれた80歳に近いOさんだった。今年は初めての出会い。今日も長い時間あれこれ会話をし、「先生、(話をして)少しは元気になったかね?応援しているから、がんばるんだよ」と言って、病院に向かわれた。Oさん流の癒しをあり難く受けた。

 そうこうしているとすぐに下校時刻になった。「雨降っているのに大変ですね。がんばってください」と3年生の一団が下校する。1年生の集団に「テストお疲れ様でした。がんばれましたか」と声をかけると、「はい、できました」という声が返ってきたり、にっこりしたり・・・。

 下校する生徒たちを見送ったところで、私も「退勤」し、会議のために都心に向かった。

2007/06/29

河原井さん北陸行脚

text by I@富山さん

 6月20日~25日まで、君が代不起立で3ヶ月の停職処分中の都立養護学校教員の河原井純子さんをお迎えしての上映会・交流会が北陸各地で盛況のうちに終了しました。河原井さんは、連日の各地の「君が代不起立」上映会・交流会をとてもパワフルにこなされました。

 20日(水)福井市内での懇談会に10人、21日(木)石川県加賀市での交流会に40人参加されました。
 22日(金)に富山県内入りして25日まで県内各地で上映会と交流会をもちました。

 富山県内では、22日(金)富山市大沢野の「はぐれ雲」(ニートなどの社会復帰を支援している共同生活寮)の交流会では7人、23日(土)富山市・サンフォルテには40人、夜の富山市・自治労会館には30人、24日(日)黒部市・コラーレでの講演会では100名ほどの参加者に15分間ほど河原井さんのアピールがあり、夕方からの魚津市・おらだん会館の上映会・交流会には、14名が参加されました。25日(月)午後のNPO法人・文福(富山市)では「障害者」の方々と交流されました。参加者は15人でした。夜の氷見市内の上映会・交流会には、60名ほど参加され、こちらもとても盛況でした。

 教育労働者はじめとした労働者、宗教者、「障害者」、在日の人たち、たくさんの方が上映会・交流会に参加されました。

 上映会・交流会参加者からは、「6月末で退職を申し込むと、退職金が割り増しになる、ということで退職も考えていたが、もういちど教員として頑張ってみよう、という気になった」(50代教員)、「すごい人がたたかいをやっている、ではなくて、 普通にすごいことをやっている、そこのすごさを学びたい」(60代男性)「かつて解雇撤回闘争や門前就労闘争もやったが、その記憶がよみがえった」(50代男性)などの感想が寄せられました。また、河原井さんからは、「北陸での交流会はとても味わい深いものでした」との感想が寄せられました。

<23日サンフォルテでの河原井さんのアピールの抜粋>
「(停職処分受けている)河原井、根津の特定の問題ではない、私たち一人ひとりに関わっている問題である、ということをこの間確認できている。このことがとてもうれしい。」
「私が教員生活で大切にしてきたことは、(1)イエス・ノーをはっきり言おう、いやなことは、いや、このことを大切にしてきた、(2)「女らしく」とか「男らしく」ということが大切なことではなく、「自分らしく生きてゆくこと」が大切ということ。この二つのメッセージをもって、10・23通達に全身でノーでした。けっして特別なことではなくて、素朴、普段着の不起立です。君が代解雇を阻止していきたい。」
「(1)処分ではなく対話を。アリがアリを呼んで、アリの隊列が都教委を動かす。(2)不起立・不服従は教員の職責です。」
「2003年には、七生養護学校にいた。都教委は、そこで、実践されていた性教育を一方的に過激だ、不適切だということで、攻撃してきた」
「『茶色の朝』という絵本の中の状況は、今の東京の状況と似ている」

【※註:『茶色の朝』(大月書店)という絵本は、黙っているといつのまにか、「茶色」の色だけが許される世の中、つまりファシズム、全体主義、戦争への道に転落してしまう、 という恐ろしさを描いた現代の寓話。】

<23日自治労とやま会館での河原井さんの発言の紹介>
「私たち一人ひとりが職場や地域で何かできることを始めよう」
「がんばらない、あきらめない、たのしみたい、つながりたい」
「戦争は教室から始まる。歴史的にも現実的にもそうだった。でも平和思想も変革も教室からはじまる」
「(「日の丸・君が代」強制の狙いは)言うとおりになる教員がほしい、国家の言う通りの教員、子どもをつくる、国家の思う方向に邁進するため、自治労や日教組つぶしにある」

■河原井さんの全国行脚の同行者■
●のぼり:「処分ではなく対話を」「不起立・不服従は教員の職責」と書かれている。
●バンフレット: 「茶色の朝」を迎えないために(発行:ピースネット)
●DVD「君が代不起立」
●チラシ:河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会の会員募集

2007/06/23

6月22日(金)

 都庁第一庁舎前で8時から1時間、チラシ配り。

 今日も14人の人が集まってくださった。大勢で配ると活気づき、チラシの受け取りもいい。都庁の中からも声をあげてほしい!と思いながら、訴えた。

 ちょうど終わろうとするところに、富山に「全国行脚」に行っている河原井さんから電話が入り、河原井さんからの「ありがとう」をみんなに伝えた。

6月21日(木)

 鶴川二中へ。

 「根津先生おはようございます」と大きくさわやかな声をかけてくれる何人かの集団。「オーイッ」とはるか前方から声をかけてくれる集団。「がんばってください」といつもの何人かに元気をもらい、今日も始まる。

 まったく私を知らない1年生の中に、私の挨拶に返事を返さない生徒が現れてきた。流言飛語を信じてしまう社会現象は、そのまま子どもの社会にも起きるわけで、この1年生たちも、信じ込まされ始めたのだろうか。

 この連鎖を断ち切るのに必要なのは、自分の頭で考えることを大事にする教育。

 しかし、自分の頭で考える教育と対極にある、国の考えを刷り込み、国に従順な人間をつくるための教育関連3(4)法が昨日成立してしまった。

 こんな社会状況だからなおさらのこと、私は私の受けた処分を、身体ごと晒し、発信していく。

 通りかかった2人の方が会釈をしてくださった。どちらも初老の方だった。

 せっかくの休日を使ってSAさんが訪ねてくださった。こんなにゆっくり話しをしたのは初めてのこと。75年生まれの彼女と感じ方考え方がびっくりするほど似ている。話せば話すほど、そのことがわかった。いいひとときを過ごさせていただいた。

 少し遅れて聴講へ。

6月20日(水)

 南大沢学園に。

 Kさんは校長に、根津を支援する気持ちを書いた手紙を手渡そうと思って早朝からやってこられた。校長が出勤し、私と挨拶を交わしている2メートル後ろにKさんの姿があった。門の中に入っていく校長に私は、「この人は私と最近知り合った人です。校長に話をしたいとのことですから、聴いてください」と言い、Kさんも言い始めたが、校長は頭を下げると背中を向け、中に入ってしまった。その後Kさんは先週のボール紙ゼッケンを胸にかけ、私の隣で子どもたちを迎えた。

 ここに出勤する人たちを降ろしたタクシーがUターンしてきて、私の隣で止まり、後ろの扉が開いた。と思うや、運転手さんが「がんばってくださーい」と身を乗り出して大きな声で言ってくださった。うれしかった。

 出勤時に今朝も何人もの教員が労いのことばをかけてくださった。「Cと言います。ご苦労様です。何かできることがあったら、言ってください」と新たに声をかけてくださった方も。

 ほとんど人通りのない道だけれど、ここで人と待ち合わせていると言う女性が、「新聞で見ています。応援しています」と言ってくださった。

 また、来校された男性は、車を停めて出てこられ、「どこまでもがんばってくださいね」と言って行かれた。

 午前中のお茶タイムは、いつもの喫茶室へ。今朝初めてことばを交わしたCさんおすすめのアイスココアを注文した。なんたって、100円なのが、魅力。

 Uさん、SUさんが訪ねてくださった。

6月19日(火)

 95年3月に嘱託採用拒否をされた田畑さんの裁判を傍聴した。当時の豊島区教委N室長への尋問、そして田畑さん本人への尋問と長時間にわたった。

 不採用の理由は、「田畑さんが仕事の意欲に欠け、社会性に欠けると判断した」というもの。「仕事の意欲に欠ける」としてあげた「事実」に、「補教をしない、拒否した」がある。

 原告代理人がN室長に、1年間に43回補教に当たったことを記録した出席簿のコピーを示し、「都教委に面接結果を具申する際に、43回の補教を知っていましたか」と訊くと、成田室長は「知りませんでした」。事実を知らずに、「意欲に欠ける」と判断し、都教委に採用しないよう具申したのだ。

 公簿に記録が残るものについてこの通りなのだから、記録が残らないものについては、やりたい放題の創作をしたことは、言うまでもない。

 また、室長が「社会性に欠けると判断した」のは、「採用に当たっての面接時に、田畑さんが許可も得ずにメモを用意し、時折メモをしていたから」と言う。

 よほどの偏見がなければ導き出せない結論だ。おかしいことをおかしいと主張する彼女への報復であり、はじめに結論ありきであったことが、傍聴していてよくわかる。

 再雇用採用を拒否されてから12年、田畑さんは闘い続ける。

6月18日(月)

 立川二中へ。

 生徒たちの登校が終わって、仕事を始めようとしたところに、Sさんの訪問。語り合った。

 今日出会った人たちは――。

 信号待ちで私の前に止まった車の窓が開き、40歳前後の男性が身を乗り出し、笑顔で手を振ってくださった。私も立って、手を振り、「ありがとうございまーす」と大きな声で答えた。

 2人目は、私より10歳ほど年長と見られる女性。プラカードを見て、私に話してこられた。「なぜ国歌を歌わないの?」「国歌なんだから歌えばいいじゃない」と。話してみて、そこはかみ合わなかったが、その女性、「でもこんな処分はひどいよね」とおっしゃった。

 「国旗国歌は尊重するもの」とおっしゃる方の中にも、「処分はやりすぎ」と感じていられる方は結構多い。

 3人目は、70歳前後と見られる女性。「随分長いねえ」とおっしゃる。初めての方かと思って尋ねると、「いつも見ているよ」と。「いったい国は何を考えているんだろうね」と言われたことに対し、私が「戦争したいんじゃないんでしょうか」と言うと、この女性、「えっ、戦争はいやだよ」と条件反射的に言われた。戦争体験がそう言わせるのだろう。

 4人目は、今春卒業したAさんのお母さん。今年はこの道を通られないなあと思っていたところでの出会いだった。お子さんの近況を伺ったりして、楽しいひとときであった。

 今日は定期テスト直前で、原則一斉下校。何人何組かが立ち寄って話していった。

 3年生のBさんは、「先生、治安維持法で捕まっちゃうよ」と言う。「治安維持法の時代と同じ、と私も思うよ」と私。彼はこうも言った。「卒業式の日の朝配っていた紙(チラシ)の歌の意味を見て、ホントにむかついた」と。彼は、チラシ回収隊のおじさんに渡さずに、今もこのチラシを大切に保存しているのだそうだ。

 校門の前で撒かれたチラシを、校門に入ったところでそれを回収する回収隊。無理に回収すれば、彼のように、そこから「なぜ?」と考える生徒が出現するのは当然のことだ。別れ際彼は、「がんばってください」と言ってくれた。

 二人連れの1年生。じっとプラカードを見ていて、「おかしいですよね」「がんばってください」と言う。「どういうことかわかるの?」と訊くと、「はい、わかります」。もう一人は、「軍国主義です。お姉ちゃんが言ってます」と。

 じっとプラカードを見る生徒に学年を尋ねると、どの生徒も「1年生です」。「何のことか知っているの?」と訊くと、大半が「知っています」。

 登校時に元気な声で挨拶をしてくれるのも、私のことを一応知っていてのことなのだと、わかった。

 他にも何人かが、「がんばってください」と言ってくれた。

 曇りの予想が外れ、晴天。アスファルトの照り返しがきつかった。

2007/06/16

「君が代」解雇をさせない6.10集会

120名の結集で大成功!

6.10集会(1)

 編集局です。

 当日の写真と録音をDVDに記録しましたが、大失敗の連続でした。
 そもそも、会場マイクの録音装置が設置されている調整室からシャットアウト。希望すれば有料で使用できたのでしょうが、懐不如意な小生は断念。予備に持ってきたICレコーダーで急遽録音開始。しかしこの設定が間違っていました。色々な場面で活躍してきた愛用のICレコーダーですが、これまで90分を超える録音をしたことがなかったため気づきませんでした。
 後でマニュアルを読むと(←マニュアルを読まないことが自慢)、「音質重視」設定であることが判明。連続録音時間は1トラックあたり90分間でありました。結局、正味180分の録音しかできませんでした。参加者の皆様、関係者の皆様、申し訳ありません。

 この次からはもう大丈夫ですとも! 勝利報告集会で使いましょうかね!!
 6.10集会(2)

6月15日(金)

都庁第二庁舎前でチラシまき。17名もの方が参加してくださった。

今日は「教育改悪をみんなでとめよう!全関西の集い実行委員会」のメンバー、KさんとTさんが幟を持って参加してくださった。「東京の『君が代』処分は、異常です。大阪では大勢が座っていますが、処分なんてされていません」「兵庫でも東京のような処分はありません」とマイクで訴えてくださった。

都教委の「君が代」強制・処分、教育破壊に怒っている人は全国にたくさんいるのだということが、都教委の役人たちに伝わっただろうか・・・?

その後は国会前に。今日も北海道教組の人たちが座り込んでいたので、そこに参加した。北海道の人たちは、東京の「君が代」処分についても非常に危機感を持っていられる。「君が代不起立」の映画もたくさんの方が見ていられる。

今日は沖縄から、高校日本史の教科書検定で、「集団自決」をめぐる記述から「日本軍の強制」が削除されたことについて、沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会実行委員会の代表の方々が、国会要請行動にいらしていた。

署名提出(92338筆)、院内集会があると聞いて、参加した。高嶋伸欣さんの報告等をお聞きし、沖縄の新聞報道を見せてもらい、東京ではまったくと言っていいほど報じられていないこの間の動きを知った。

帰宅して今日の朝刊を見ると、沖縄県議会が検定意見の撤回を求める意見書を可決する見通しであることが掲載されていた。しかし、沖縄での連日の報道に比して非常な温度差だ!

6月14日(木)

今日は鶴川二中を休んで、朝から国会に行った。

午前中は、北海道教組の旗のところで座り込んだあと、参院文教科学委員会を傍聴した。子どものことが何も出てこない、茶番としか言いようのない質疑と答弁だった。教育関連法3(4)法を通過させてはいけない。

午後も裁判開始の時刻を逆算して、座り込みをした。北海道教組は、連日、交替で年休を取っての参加ということだ。

「日本政府は日本軍性暴力被害者に謝罪と賠償を!」と集まった大勢の人たちの国会前集会にも少し参加させてもらった。

 4時からは、「君が代」処分を受けた東京教組組合員10人で訴えた地裁の第一回目。たくさんの方が傍聴してくださった。

6月13日(水)

 南大沢学園に。

気温がやや高めだけれど、湿度は低いらしく、日陰に入ると涼しい。さわやかな気候。

私が到着すると間なしに、Sさん・Mさんが取材に来られた。Kさんは先週に続き、今日も子どもたちの登校時から来られた。「根津さんの解雇 『君が代』強制 やめよう」と書いたボール紙を胸につけて私の横に立ち、元気な声で子どもたちに挨拶をかけてくださる。彼は、「根津さんを応援している教員がいることを、校長たちに具体的に示すんだ」とおっしゃる。とってもうれしい。

 今日は朝からSさん、S2さん、S2さんのお友だち、大学生のTさん、そしてMさんと次々にやってきた。

大勢だし、日差しも強いので、学校の隣の小山内裏公園の喫茶室に行った。メニューを見て、飲み物オール100円に皆歓声をあげる。一生懸命に実習に当たる生徒たちとあったかーい雰囲気のスタッフの方々とのやりとりが、私たちをも幸せにしてくれる。

今日は喫茶室の半分で、赤ちゃん・幼児連れの若いママ・パパの触れ合い交流が繰り広げられていた。こんなに大勢の赤ちゃんを近くで見たのはとっても久しぶり。

こういう空間に身を置く心地よさを感じながら、訪ねてくれたみんなで盛り上がった。

 下校の時間はいつものように見送りをした。

 今日は出勤・退勤時に「同僚」となる何人かから、うれしいことばをかけられた。

「給料もボーナスも出ないんですか」(「もちろん出ません」)「ひどいですよね。それでも信念を貫かれて・・・ありがとうございます」

「本当は私も座らなくてはいけないのに・・・。」「私たちにできることはしますから、言ってください」等々。

6月11日(月)

 久しぶりの立川二中。

今日も朝の短い時間しかいられないのだけれど、登校する生徒たちを迎えるだけでもと思い、学校に向かった。家を出るときには晴れていたし、今日は短時間だからと合羽を持たずに出発してしまったところ、立川に入ったところで雨が降ってきた。困ったと思いつつ、幸いにも強い雨にはならず、傘だけで何とかしのげた。

 登校する生徒たちと挨拶を交わし、また、北多摩高校に進んだ二中卒業生と挨拶を交わし、1週間の始まりを感じた。

 今朝は福岡から上京されているAさんが、時間を割いて校門前を訪ねてくださった。

2007/06/09

6月8日(金)

 都庁第一庁舎前でチラシ配り。今朝は、「都合がつかない」という連絡が数人から入っていたので、心配していたところ、新しい方の参加もあり、いつもより少ないながら、10人の方が参加してくださった。本当にありがたい。

 マイクを持って「来春『君が代』で、私を免職にさせないよう、お力をお貸しください。都教委、都庁の中から反対の声をあげてください」と訴えると、私に視線を向ける方が何人かいらした。聴いてくださっている方に、私の、そして私たちの気持ちが届いただろうか・・・。

 その後、八王子に戻り、10日の「『君が代』解雇をさせない6.10集会」で使う資料の準備を、みんなで行なった。

6月7日(木)

鶴川二中へ。先週「がんばれ」と言ってくれたCさん、今朝は、3人連れでかなり遠くから大きな声で「ねずみー」と呼び、近くに来ると「戻ってきてよ。もう、戻れないの?」と言う。そして、「おれたちだけかもしれないけど、戻ってきてって、言うのは」と付け加えた。思い込まされていた何かが氷解しつつあるのかなと想像しながら、うれしく挨拶を交わした。

「がんばってください」「ご苦労様です」といつもの何人かが、今朝も気持ちを伝えてくれた。

今朝もジョギング帰りのDさんが立ち寄られた。「こんな処分よりももっとやることあるのにねえ。石原都知事は何を考えているんだろうね!」とおっしゃる。しばらくおしゃべりをし、「がんばってください」と言って帰っていかれた。

学区にお住まいのKさん、Yさんが立ち寄ってくださった。とっても気持ちが通じ合うお二人とのおしゃべりは楽しく、勉強にもなる。もう少しおしゃべりを続けたかったが、午後の予定があったので、早くに引き上げた。

午後は大学の講義で話しをした。話をしていて、何度も学生と目が合った。よく聴いてくれたような印象を受けた。

6月6日(水)

 南大沢学園に。登校する生徒たちを挨拶で迎えている中、私が「おはようございます」と言うと、「お名前教えてください」と近寄ってきた生徒がいた。プラカードの名前を指で指して自己紹介し、続けて、「あなたのお名前を私に教えてくれますか」と言うと、「ABです」とにっこりして教えてくれた。認めたよ!ってことかな?と勝手に想像して楽しくなる。

 生徒の登校に混じって、とっても親しみのある笑顔の、どこかでお見かけした覚えのある男性の姿が目に入った。こちらにやって来られる。「はて、どなただったか?」と記憶をたどりながら、私も男性に向かって2、3歩、歩を出した。「Kです」と名乗られて、ああそうだったとわかる。「君が代」処分を受けたKさんだった。彼も、私の横で登校する生徒を、笑顔と元気な挨拶で迎えてくれた。

 車が止まり、スーツ姿の男性が出てこられた。目で追っていると私の前で止まられ、「がんばってください」とおっしゃって、私に握手を求められた。私がここに立っていることを知り、通勤途上に立ち寄ってくださったのだとおっしゃる。お心遣いに感激する。

 今朝も一人の保護者がプラカードの前で立ち止まり、読んでいらっしゃった。近寄って名乗り、説明をすると、「こんなことがあるんですか」と驚かれた。まだまだ、東京の学校で起きていることを知らない方が多い。

 今日は訪問者が多数。早朝からいらしたKさんの他に、Sさん、Mさん、Tさん。校外学習に出かけ、あるいは帰って来る子どもたちに声をかけながら、Kさんとじっくり意見交換ができて、濃密な時間を持てた。下校時は、Tさんが持参したギターでクラッシックを奏で、それをバックミュージックに、子どもたちに「さようなら」と声をかけた。

2007/06/03

5月31日(木)

鶴川二中へ。私の挨拶にかなりの生徒が無視したり、目を合わさないようにしたりしているが、今日も楽しいことがあった。昨年私に反抗していたBさんが、先週あたりから表情が違うなと思っていたら、今日はにっこりし、「がんばれ!」と声をかけてくれた。「はーい、がんばります!」と軽やかな声で返した。人は刻々変化する。だから楽しい。

生徒たちの登校が終わり、腰を下ろしたところに、一人の保護者らしき人が私に軽く会釈をされて学校の中に入って行かれた。数分で出てこられた彼女は、「根津先生ですか。娘から聞きました。先生の勇気、すごいですね」と話しかけてこられた。Cさんのお母さんだとおっしゃった。「国民投票法の18歳、徴兵制の年齢と関係すると思うんです。息子が取られる。そう思うと怖くて」「どうしてこの国は異なった意見が認められないんでしょう」と。こういう保護者に出会えて、とっても幸せな気持ちに包まれた。

今日はいつものおじいさんの訪問がないなと思っていたら、ジョギング帰りのDさんが、おじいさんは不在だと教えてくれた。Dさん、「日の丸・君が代」に対する評価は私とまったく違うのだけれど、筋を通して生きる、そのためには全力を挙げるということについては、考えが一致する。私に対して偏見は持たれない。非常な努力家でいらっしゃる。しばらくおしゃべりを楽しんだ。

午後は大学の聴講へ。

2ヶ月が過ぎた。

5月30日(水)

南大沢学園養護学校に。校長は挨拶の後、今朝も遠慮気味に、しかし、都教委の指示に忠実に(としか受け取れない)、「できれば、やめていただきたいんですけど・・・」と言って校門をくぐった。

「権力の末端」の哀れさを感じさせる。しかし、その「権力の末端」である校長が、一人の教員のクビを切る。南大沢学園養護学校長が、私のクビを切ることになるのだ。その時、「命令に従っただけ」と済ますことができるかな、この人?そんなことがふっと脳裏をよぎる。

「午前中は曇り、のち雨。4月の気温」という天気予報だったので、その対策をしていったら、午前中は見事に外れ、日差しが強かった。子どもたちの登校時間帯の1時間半はそのまま直射日光を浴びるほかなく、登校が終わってから雨傘を差し、日除けをしたが、すでに首の辺りがヒリヒリした。

でも、いいか。天気で、子どもたちが外に出られたのだから。

外に出る子どもや教員たちを見ながら、あと4ヵ月後は私も、この中にいるんだと想像してみる。

高等部の人たちが実習をする喫茶室に、今日も昼近くに行った。今日は訪ねてくれた友人3人と。後からもう一人の友人が加わった。どの生徒も接客に一生懸命だ。

昼過ぎから雨。Aさんも立ち寄ってくれた。

5月29日(火)

昨日は多摩中・減給3ヶ月処分撤回を争う裁判の進行協議(多摩中での処分:02年、『従軍慰安婦』の授業をしたことをきっかけに、校長・教委は私を「指導力不足等教員」にしようと企む。その過程で校長が乱発した職務命令の一つが、「指導」のための協議会出席であったが、私がそれに応じなかったことから処分となる)。

そして今日は、河原井純子さんの「君が代」不起立減給1ヶ月及び6ヶ月取消の第2回裁判。

東京の教育破壊攻撃は、当時河原井さんがいた七生養護学校の性と生の教育に対する攻撃から始まったこと。10・23通達は、河原井さんが教員として大事にし、子どもたちに伝えてきた、「イエス・ノーを言っていいんだよ。女だから男だからではなく、一人の人間として生きよう」ということを否定することだった。だからその職務命令に従うことはできなかったし、これからも教員である限りできないこと。その気持ちを陳述した。

陳述が終わると傍聴席から拍手が起き、やがて大きな拍手になったけれど、裁判長は制止しなかった。きっと裁判長もよく聴いてくれたのだろう。

帰りは都庁前に立ち寄って、道行く人にマイクで訴え、チラシを配った。チラシの内容は、片面が、起立しない教員がいると子どもは立たなくていいと受け取ってしまうから、それは学習権の侵害である、と言う都教委の主張に対する批判。もう片面は、教育3法の改悪について。

20人もの方がチラシまきに参加してくださった。感謝です。

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