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2007/10/16

10月1日(月)

 南大沢学園養護学校に初出勤。前夜はいつもより早くに布団に入ったのに、やっぱりほとんど一睡もできずに朝を迎えた。7時半校門前に着くと、もう何人か、校門前「出勤」に同行してくれた人の姿があった。いつも7時50分過ぎに校門を通過する校長がこの日は、私が着いて間もなく出勤してきた。「あら、今朝は早いんですね」と声をかけたが、校長は黙って頭を下げ、中に入っていった。Mさんが作ってきてくれた「根津さんを解雇しないでください」「校長先生、職務命令を出さないでください」などと書いた何枚ものプラカードを読んでもらう間もなく。そこでみんなは、校舎内にいる校長に向かって、プラカードのことばを唱和した。辺りは静かなので、声は校長にしっかり届いただろう。都教委にも報告が上げられているはずだ。

 私を激励しに集まってくれた15人の人たちと出勤式をした。私は、「今日は仕事に復帰の日であり、同時に解雇に向かうカウントダウンの日でもあります。でも今は、いよいよ仕事だ、とうれしくて、よっしゃ!がんばるぞ!という気持ちです」と挨拶した。近藤順一さんから黄色のバラの花束をプレゼントされ、とっても感激。たくさんの力を得て、8時過ぎ、校舎に入った。

 今日は都民の日で生徒はお休み、教職員もちらほらしか出勤して来なかった。出勤している人と挨拶を交わしながら、皆さんの机上に用意してきたあいさつ文(※)を置いた。朝の職員打ち合わせで校長から紹介され、自己紹介をさせてもらった。

 午前中校長から学校の説明があったのだが、冒頭、「発令書を渡します」と言われた。案の定、卒業式での不起立に対する再発防止研修を受講せよという発令書だった。「10月4日」ということで、Iさんと同日であった。何はさておき、最初に発令書を渡す校長に、私はもっと優先してかけることばは持たないのかしら、と思った。

 この学校は、開校11年目なそうだが、2年後(?)には小・中学部はなくなり、開校当時の母体校だった多摩養護学校に移転、高等部と職業科の学校に変わるのだと言う。正確には覚えていないが、おおよそこのようなことを聞かされた。この話はいつから出ていたのか尋ねると、11年前の開校から数年(5,6年)後のことだそうだ。

「開校数年で廃校とは、余りに見通しのない計画だったのではないか。卒業した子どもたちの母校がなくなるというのは大ごとだと思いますが、校長はどうお考えですか」と聞いたが、「都教委のやることを実行するのが校長の仕事ですから」と、考えは聞かせてもらえなかった。私は、「現場の声を都教委に伝え、橋渡しをするのが校長の仕事だと私は思いますよ」と言ったが、返事はなかった。この校長ばかりではなく、知る限りどの校長も、校長は教育委員会から派遣された伝達・執行及び監視役と、思い込んでいる。学校教育法上は、教育委員会から独立しているのに。

 事務手続きやらで、1日目は終了。


(※)南大沢学園養護学校教職員の皆さま

 今日から出勤しました。停職中は、たくさんの方から声をかけていただき、元気を与えられました。子どもたちの顔もずいぶん覚えましたし、送迎される保護者とも多少とも知り合い、私の気持ちは意欲に満ちています。しかし何分にも養護学校は初めてのこと、戸惑いの連続かと思います。
皆さま、どうぞご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

さて、今東京の学校は、子どもたちの声を救いあげ、知恵を出し合い話し合い、教職員の総意で学校が動いていた、民主的で自由闊達なかつての学校とは大きく変わってしまいました。都教委の通達や通知が幅を利かせ、理不尽なことや子どもたちの幸せに背反することが進行しています。パワーハラスメントによって新採用の小学校教員が2年連続して自死に追い込まれもしました。私は一人の教員として、今を看過することができずにいます。若い方には、その比較が難しいでしょうが、長く学校に身をおいてきた私には、現在の学校現場に非常な危機感を持ちます。

 足立区での学力テストで、不正や障がいを持った子どもの答案抜き取りがありました。私はこれについて、一人校長の問題ではなく、上意下達の組織の中で、起こるべくして起きたことだと考えています。都教委が地区毎の成績順位を発表する中で、足立区教委は「最下位」を脱却すべく、順位によって学校予算に差をつけようとしたり、練習問題を配布しようとしました。その区教委の指示を果たそうとする余り、校長は判断力を失いました。そして、その校長の誤りを教職員は指摘できませんでした。誰もが、上意下達のピラミッド体制に組み込まれ、「おかしい!」と言える人がいなくなったために起きたことです。職員会議がかつてのように最高議決機関として位置づけられていたら、起こらなかったことでしょう。この事件は、都教委の進める上意下達体制下で組織の構成員が判断力を失い、その結果教育破壊を招いたという一例です。

 ところで私は「君が代」で不起立を続けています。子どもたちに一遍の説明もせずに「日の丸・君が代」を強制するのは、教育を否定し、子どもたちを調教することだと思うからですが、同時にこの問題は、上述した学力テストの問題と同じく、上意下達の組織体制の問題であると思います。「君が代」処分は職場を命令と服従が支配する上意下達の組織にするための「最良」の手段です。事実、10・23通達以降職場は、命令が闊歩するところとなってしまいました。

 私は、現場にいる私たちがおかしいことにはおかしいと、当たり前に発言することが何よりも大事だと思います。それを取り戻したいです。私たち教職員が、それぞれの教育的信念を持ち寄り、論議を深めることで、責任の持てる教育活動が実現するはずです。また、子どもの成長や幸せを願う気持ちは、教員皆同じですから、話し合いを重ねることによって一致点が見出せ、子どもたちにとっても教職員にとっても楽しい学校をつくれるはずです。私は体験を通してそれを確信します。私だけでなく、年配の人たちは、そうした体験をされてきただろうと思います。
私はそのような学校を取り戻したいです。こんなことを念頭に置き、皆さんに教えていただきながら、ご一緒に仕事をしたいと願っています。

 末尾になりましたが、皆さまにご理解していただきたいことがあります。都教委は、「停職は6ヶ月まで」と言います。とすると、来春の卒業式で不起立したら、私は免職にされるでしょう。私はそれには納得できませんし、またそのことは、私一人の問題ではなく、東京の教育全体に及ぶ問題になると思います。ますます東京の教育破壊が進みます。ですから、私は都教委に処分を断念させるべく、闘いをしていかねばなりません。同じ問題として、裁判闘争もあります。そのような事情から、年休を取ることがしばしばありますが、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

 皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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