フォト

掲示板

停職「出勤」日記2009

停職「出勤」日記2008

停職「出勤」日記2007

停職「出勤」日記2006

停職「出勤」日記2005

投稿欄

ちらし置場

リンク集

« 君が代・日の丸で教員処分するな | トップページ | 2.21都教委交渉 »

2008/02/23

根津さんの解雇を許すことが、「雪玉が雪崩になることを許すこと」

 2月21日(木)早朝、津田沼駅で天玉そばを食べてから新宿に向かう。この日に行なわれる東京都教育委員会で、都立南大沢学園養護学校の根津公子さんに対する解雇が決められる恐れがあったからだ。
 都庁前に着いたのは8時ちょっと過ぎ。根津さんをはじめ、支援者たちが既にビラを配り始めていた。
 「ビラ配りを手伝ってくれますか?」と問われたので、「そのために来たのだ!」と答え、若い女性支援者たちの列に加わる。
 実は前日の20日(水)の夜、柏駅頭での柏憲法連のビラまきにも参加した。柏駅というのは、常にビラの受け取りが超ワルイ。それに対し都庁に向かう労働者だろう人たちはけっこうビラを受け取ってくれるので、ビラ配りもそんなに苦痛にはならない。
 8時45分、教育委員会会議の傍聴抽選に参加するため、控え室に行く。もらったくじの番号は8番。ラッキー7をはずし嫌な予感がするも、みごと当選する。万馬券ほどではないが、「当たる」のは嬉しいものである。
 「時間が来たら引率するので待機していて」と言われ、素直な(T_T)はその通りにするも、根津さんと支援者の一部(渡部さん含む)は教育委員会に向かう。
 時間になり会議が行なわれる部屋(教育委員会の中にある)まで、小学生の遠足のように引率される。モノモノしい雰囲気である。その後、会議は淡々と進み、人事案件に議題が変わるところで追い出される。根津さんの件が取り上げられるかどうかも、教えてくれない。
 部屋を1度出ると、都庁30階は一方通行になる。都教委がピケ線を張り、部屋に・・・というか廊下にすら入れてくれない。エレベーターの前の空間に足止めされて、都教委の責任者・クルクル黒ちゃん(言うことがクルクル変わるのでぼくが名付けた)たちとやり取りをする。「提出する署名簿の受け取りを書いてね」というお願いを納得させるのに、1時間もかかった。
 その後、新宿という大都会(昔、こういうタイトルの石原軍団のTVドラマがあった)の小田急デパート前で、東京での演説デビューをしてしまった。そばにいたオジサンがうなずきながら聞いてくれてたので、その人に話す気持ちでアピールした。
 19時少し前、都庁前の総括集会で、根津さんから「根津案件は会議で取り上げられなかったらしい」というウワサを聞く。この日、都教委は根津さんを解雇できなかったのだ。ぼくたちの力は微力かもしれないが、みんなで集まって声を上げたことが、都教委にストップをかけたのだろう。
 心の自由を踏みにじらせてはならない! 次回の教育委員会会議は3月4日(火)らしい。解雇を止めるため、自分ができることを、これからもやり続けようと思った「1日行動」であった。

==============================================================

朝日:08/02/22夕刊
新聞と戦争/ナチス・ドイツで(7)(抄)
植村隆

(略)ナチスに執筆を禁じられた作家のエーリヒ・ケストナーは一時、同紙(ノイエ・ツァイトゥング)の文芸欄の編集責任者を務めた。伝記『ケストナー』(クラウス・コードン)によれば、ハインリヒ・マンやベルトルト・ブレヒトなど、ナチスに弾圧された作家たちにも寄稿してもらった。
 ケストナーは焚書で自分の本が燃やされるのを目撃した。焚書から25年後の58年に「焚書について」という講演を行った。
 『大きなケストナーの本』(ケストナー著)によれば、彼は「転がる雪玉を砕かなければなりません。雪崩になってしまえばもはや誰にも止められはしないのです」と、ファシズムを雪玉にたとえた。そしてこう述べた。
 「独裁政治が差し迫ってくるとき、戦いが可能なのはそれが権力を握るまえだけです。」
 この言葉は、ナチス・ドイツと共に歩んだ日本にも向けられているように読める。(敬称略)

« 君が代・日の丸で教員処分するな | トップページ | 2.21都教委交渉 »

投稿欄」カテゴリの記事