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2008年4月

2008/04/28

6.15のつどい

6月15日13:30から、【「君が代」解雇は止めた!みんなで話そう これからを 6.15のつどい】を開催します。会場は、新宿農協会館です。

F20080615

【クリックすると拡大します】


6.15のつどい

「f20080615.pdf」をダウンロード

「都教委包囲首都圏ネットワーク」から

本日(4月27日)『4・27総括集会』が開かれ、私達の予想を超える150人の方が結集してくれました。
会場は文字どおり満員となり、用意した資料120部もあっという間になくなり、3時間30分にも及ぶ、熱気と内容のある集会になりました。

集会では、
・根津さん、河原井さんをはじめ不起立で闘った方、
・ビラまきに参加された方、
・監視弁護に来てくれた弁護士さん、
・都教委への連日の抗議行動に取り組まれた方、など
この春の闘いに様々な形で参加された方々から多くの発言をして頂きました。

この春の闘いの最大の課題は根津さんの解雇を阻止することでしたが、根津さんは、そのことに対し、次のように話しました。

「自分が孤立させられていたら、解雇させられていただろう。
解雇させなかったのはものすごく大きい勝利だったと思う。

去年の3月31日、6ヶ月停職となり、あと一年でクビになるどうしょう、と考えていた。
クビにするな!ということで10月から動き始めたが、最初はなかなか盛り上がらなかった。
しかし、都教委はトレーナー問題で闘いを用意してくれた。
2月1日(事情聴取の日)以降、大勢の人たちがどんどん都教委へ押しかけてくれるようになった。

これまでの経験から攻撃を受けたら、それをより多くの人に知らせることが大事だと思っていた。
インターネットはその役割を果たしてくれた。

3月に入っても処分は出なかった。
その間、市民の方々はもちろん、職場でも町田教組も、また東京教組も、全国の人々も支援してくれた。
マスコミも都政新報も書いてくれた。
新聞意見広告にも多くの人に協力してもらった。
こんなに多くの人々が動いたことが、解雇をさせないことにつながったのだと思う。

私はいい出会いを沢山もらった。
いずれにしても都教委が言うように「不起立ゼロ」にはならなかった。ここ1~2年の闘いが極めて重要だと思う。」

また、都教委への抗議・要請行動にすべて参加した<解雇させない会>のSさんは、次のように語りました。

「激動の2ヶ月間だった。凄かった。計1500人の方が都庁に押しかけた。自分自身もこの闘いの中で変わった。学んで行った。都教委の前で人間バリケードを張っている警備の人たちを、同じ労働者、仲間と思うようになっていった。末端の彼らが我々の側にくることを都教委は一番恐れている。団結とは、いろいろな人たちがやることだ。河原井さんと根津さんはキャラが全く違うにかかわら団結している。これが運動の幅広さを作り出した。」

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また、不起立者で高校のSさん(男性)は、37年前の初任の時、先輩の教員が「日の丸・君が代」を職員会議で問題にし、それを止めさせた事などを紹介、「その火を受け継ぎリレーするのが自分の使命だと思った」と述べました。

また、入学式で不起立をした高校のYさん(女性)は、「自分達が勝ち取った9・21判決を自ら捨てることはできないと考え、自分が作ったプリントを職員に配布して、不起立した」と述べました。

その他にも素晴らしい発言が続きましたが、長くなりますので割愛します。

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集会ではまた、この間攻撃がかけられている北海道や大阪からのメッセージも読み上げられ、彼らに連帯する決議も上げられました。

さらに、6ヶ月停職の根津さんと河原井さんに対する会場カンパも取り組まれ、包囲ネットからのカンパとともに、二人に渡されました。

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2008年「春の闘い」は、一つの<首都決戦>でした。
そして、
・根津さんの解雇を止めたこと、
・引き続き不起立者が出たこと、
・闘いの中で連帯の輪がさらに広がったこと
などは大きな成果であったと思います。
しかし、まだ決着はついていません。

したがって、引き続き闘いを堅持していくことが重要かと考えます。
すでに根津さんは新しい出勤闘争に踏み出しています。
また、河原井さんも「若い人たちとつながりたい」と言って、若い人たちの中に積極的に入り、連帯の輪を広げています。
神奈川、大阪、北海道での闘いも進められつつあります。

全国の仲間の皆さん!これからも連帯して運動を発展させて行きましょう。

(なお、包囲ネットでは、6月に学習講演会、8月に都教委包囲アクションを予定しています。)

2008/04/27

4月23日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。

 越前谷さんは、私より30分も前にいらしていた。ご近所にお住まいのSさんもいらした。4月になっても体調が回復しないのかなと気になっていたところに現れて、再会を喜び合い、ほっとした。

 8時20分頃だろうか、校長と副校長が連れ立って出てきた。私の前で目も合わせずに、校長は「迷惑ですので、立たないでください。生徒に関わらないでください」と先週と同じことを言い、すぐさま、180度向きを変えて校舎方向に向かった。

 「それはどの法令のどこを根拠におっしゃっていますか」と追いかけ、聞いたが、副校長は私の声を掻き消す大きな声で、「触るな」「出て行きなさい」と怒鳴り、門扉を閉めた。私はその門扉に挟まれた。

 質問に答えるくらいの度量は持っていてほしいものだ。私のいることが生徒へのマイナス、と思うならば、私を真面目に説得すればいいのだ。そこからしか、始まらない。しかし、尾崎校長及び鈴木副校長の対応には、威圧しかない。威圧で人の心を変えることなどできはしない。それがわからない人に、教育を語る資格はない。私はそう思う。

 高等部のCさんから、「先生、離任式にどうして来なかったんですか?」と聞かれた。「ぼくの周りの人も、『根津先生どうして来ないのかな』って、言ってる人がいたよ」とも。

 「参加したかったんだけれど、校長先生が呼んでくれなかったの」と答えると彼は、「校長先生は、『根津公子先生は今日は都合で来られません』って、言ってたよ」と。

 「ううん、私は都合悪くなかったよ。すっごく、離任式に出たかったのに、出してもらえなかったんだよ」と私。彼は、「校長先生、いつもは優しいのに、どうしてかな」と首をかしげる。「どうしてなのかな?校長先生に、聞いてみるといいかもね」と答えた。

 生徒たちに、嘘をついたことを謝り、「誰の都合か」をきちんと説明しなさい。そう、尾崎校長に言いたい。

 朝の活動で公園に行く生徒たちを見送り、あるいは迎える時間はうれしい時間。自然と笑顔になる。その時、門の中では、副校長が今日も私の見張りをしていた。

 SRさんは海老名から、Nさんはバイクで台東区から訪問された。

4月22日(火)

 あきる野学園に。

 近藤さんは今朝も早くから一緒に校門前「出勤」をされた。近藤さんも南大沢に来られる越前谷さんも、根津支援の範ちゅうを超え、ご自分の問題として「出勤」をされている。私としては、とっても心強い。

 職員や生徒たちを挨拶で迎えると、皆さん、気持ちよく挨拶を返してくださる。「ご苦労様です」などと、ねぎらいのことばを返してくださる人もかなりいらっしゃる。

 日中は校外学習に出かける子どもたちに声をかけ、一人ひとりの表情を見て、にっこりして過ごした。

 夜は、南大沢の学年の歓送迎会。指折り数えて楽しみにしていた。校長・副校長が私に対してすさまじく非人間的な対応をした中で、学年の同僚たちは皆快く、私を受け入れてくれ、気持ちよく仕事をさせていただいたことにお礼を言いたいと思っていた。

 楽しい語らいは瞬く間に過ぎた。生徒たちに囲まれた、幸せいっぱいの写真、同僚たちと撮った写真、それらを貼り、生徒や同僚たちのことばを添えたアルバムをつくり、プレゼントしてくださった。生徒たちのことばも同僚たちのことばも、とってもうれしい。

 未経験で戸惑うことが多くてごめんね、と思いながら、うれしくいただいた。最高のプレゼント!最高に幸せ!!帰りの車中は、ずっと、私の宝物となったアルバムに目をやり、余韻に浸った。

 教員生活、最後の何年かを養護学校に回してくれて、都教委よ、ありがとう、です。在職6ヶ月の後半は、そんな気持ちだった。だって、生徒とも同僚ともいい出会いができて、貴重な体験をたくさんさせてもらったから。

4月21日(月)

 立川二中、初回の「出勤」。
 もう私の知っている生徒は誰もいないと思いながら、校門前に立った。ところが、かなりの生徒が見覚えのある顔だ、という表情をする。私も「ああ」と自然に口をついてくる。2、3年生は昨年の記憶がよみがえったようだ。

 北多摩高校に進んだ、立川二中の卒業生が「がんばってください、先生」と元気な声をかけてくれたり、立ち話をしていってくれた。 

 登校の波が過ぎたところで、書きものを始めたところに、「奥さんよお、(東京)新聞見たよ」と頭の上で声がした。80歳になられる“おじさん”だった。半年ぶりの対面に、おじさんはお医者さんの予約時刻があるというのに、長時間おしゃべりをされていった。

 再び書きものを始めたら「先生!」と、青年の声。二中の卒業生だった。この時刻に?と聞くと、選択教科の関係で登校時刻がずれるのだという。

 信号待ちの車の女性がプラカードを読まれ、私ににっこりとおじぎをされた。また、自転車の中年男性は、プラカードを読まれて、「ああ、がんばってくださいね!」と言いながら、走り去って行かれた。

 下校時、部活動がない何組もの1年生がプラカードと私をちらちら見ていく。「何してるんですか」と聞く生徒もいる。「君が代、歌わないんですか」と聞いてきた生徒に、「そうよ、私はね」と答えた上で、「あなたはなぜ歌うの?」と聞き返すと、「国歌だから」と、1+1=2であることと同じような答えを返してくる。今度は私が、「国歌だから歌いたいんだ、君は」と返すと、「ううん」との返事。この生徒たちは次回、私に何を聞いてくるだろう。

 1年生とおしゃべりをしていてふっと、この生徒見たことある、と思った。

 「あなたは、お兄ちゃんが高校○年生でしょ?高校を卒業したお兄ちゃんもいるでしょ。名前は、・・・」と私。「Aです」「やっぱり」

 別の生徒が、「ぼくは誰だか、わかる?」と聞く。その生徒の兄弟関係も、私は正解。1年生にとっては私は見ず知らずのおばさんなのだけれど、その垣根を急に低くし、しばしおしゃべりをしていった。

 都心で会議があるので、早めに帰り仕度をしていると、携帯電話が鳴った。北多摩高校に進んだ卒業生のBさんだった。部活動が始まるまでのわずかな時間をやりくりして、わざわざ私に会ってくれた。心遣いがとってもうれしく、心に沁みる。

 卒業生からの応援を立川の初日からたくさんもらって、最高に幸せ! 

 Sさんが訪ねてくれた。

2008/04/24

〔フランス24動画〕ナショナリズムを招きそうな 日本の愛国心教育

ひとネットから大地実さんのメールを転載します。
フランスのインターネットテレビ局で、「君が代」強制問題が取り上げられました。

転載ここからーーーーーー

大地実です。

転送です。(重複の場合乞許)

転送・転載歓迎

1億2千万人いれば:いろいろな人が知らせてくれます。

 日本の「黒い朝」がすでにはじまって数十年経った状況を報じています。

 しかし、日本人のほとんどの人々がまだ気づかない……

 (中略)

 根津公子さんも出ています。

 英語が得ての方、概略の翻訳と解説をつけて、返信願えれば幸いです。どなたかお願いします。

追伸: 
 「日本の黒い朝」シリーズ 忘れないうちに記しておこう。

          

●腹黒さ 隠す黒服 似合う人 社会の危機を示すシグナル

 腹黒さ 隠す黒服 黒い街 黒い人たち 蠢いている

                   by 大地実

 追伸
 ※「黒い朝」または「日本の黒い朝」を題材にした短歌、せんりゅう、俳句、詩、キャンペーン標語などを募集しますので、みなさん、つくったら返信くださるか、別途送信ください。私が金持ちなら3億円ぐらいの懸賞金を出して募集するのだが、金がないので、この件は無償ボランティアとしてお願いします。

 (中略)

 「日本の黒い霧」という映画があったような…検索したら松本清張の本の題名などなど出てくる、出てくる。

 だれか「日本の黒い朝」を撮らないですかね。



            記

〔フランス24動画〕ナショナリズムを招きそうな 日本の愛国心教(2分34秒)

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Patriotism in Japanese schools breeds controversy

http://www.youtube.com/watch?v=pmCAnyt4aaA

Singing the pre-World War II national anthem in schools is compulsory since a few years, but some parents and teachers worry about patriotism becoming nationalism.

-------------- Original Message Ends ------------

佐々木有美

2008/04/21

ダウンロードNo.15

 解雇させない会ニュースNo.15のダウンロードです。

解雇させない会ニュースNo.15

「newsno15.pdf」をダウンロード

 


解雇させない会ニュース一覧表

解雇させない会ニュース一覧表を作成してあります。
左側の赤いピンアイコンのリンク先を「お気に入り」に登録することをお薦めします。

 

4月19日(金)

 日中はこの2ヶ月の間に溜まりにたまった仕事に宛てた。夜はあきる野学園の職員親睦会の歓送迎会に参加した。同じ時間に、南大沢のそれが行われているのだから、ここは笑うしかない。南大沢では、1年前に私が書類の身分上は着任となった時にも、尾崎校長は、「呼ぶな」と職員に告げたと言う。

 それはさておき、同僚となる人たちと気持ちよく交流ができ、「10月よ、早く来い」と思う。


4月17日(木)

 都庁前で8時からでチラシ撒き。9人の参加。定年で再雇用になったWさんは、何と、木曜日が休みだというので、それに感謝した。
 今日のチラシは、表面に、署名や要請書が処分を決定する教育委員に届けられなかったこと、そして、金井任用係長が私たちへの対応を指して「からかって来るか」と発言したことに対し、5点からなる質問状を出したことを、裏面には改訂が決まった学習指導要領についての解説を載せた。
 10時半からは07年度「君が代」裁判、16時からは05年の「君が代」裁判。裁判所の前では、国労闘争団が座り込み行動をしていたので、少しだけ参加した。


4月16日(水)

 南大沢学園(特別支援学校)に。今日も私より先にEさんと近藤さんがいらしていた。近藤さんは、校長や職員に渡す手紙を用意されていた。
 私は、「わたしはどんなにおどされても、まちがっていると思うことにはしたがいません」と書いたプラカードを立てて、生徒や元同僚を迎えた。立ち止まってプラカードを読む一人の生徒は、「間違ったことはしてはいけない。うん。根津先生がんばってください」と言って、門の中に入っていった。また、一人の生徒は、私のことをテレビで見たと言う。「がんばってください」「(「日の丸・君が代」は)戦争に使ったんでしょう。○○先生も反対だって、言っていたよ」としばらく話をしていった。
 8時15分、校長と小中学部の副校長が連れ立って現れた。「迷惑なので、お帰りください。本校の教育活動には関わらないでください」と目を合わせずに言うと、私の返事は聞かずに、門の中に引き上げた。私と会話になることは避ける。対応の仕方は、法令上私とは、何の関係もなくなった今も相変わらずだ。もしもこの発言を校長の職務、生徒のため、と本気で思うなら、校長は私を説得しようとするだろうに、その気配は微塵もない。
 副校長は、と言えば、職務時間中に職員室の自席から真後ろを向き、私の方をまるで監視しているような様子。到底、机に向かって仕事をしているとは思えない。
 今週末に離任式が予定されているのだけれど、それに根津を呼ばないことを職員に告げたと言う。その理由を校長は、「転出先のあきる野学園の校長から出張命令が出ないから」と言ったそうだ。停職中に出張命令が出せるはずはない。そんなことは誰も承知のこと。それを承知で、生徒との関係を考えて、立川でも鶴川でも、出席させてくれた。それが、人として当たり前の行為であり、校長の裁量というものだ。こんな差別的なこと、いじめをすればするほど、職員の気持ちが校長から離れていくことが、この人にはわからないのだろうか。
 隣の公園に行く生徒たちに「言ってらっしゃい」「お帰りなさい」と声をかけ、その反応に温かい気持ちをもらった。
 午後は、都教委の今日の暴走を予期させることになった、多摩中事件の結審。最終の意見陳述をした。


 以下は、近藤さんの手紙。


私達は、教える機械じゃありません

被処分者 近藤順一

都立南大沢学園養護学校、学校長及び都教委の皆さん、

 新年度を迎えお忙しい毎日かと察します。この3月の卒業式でも「日の丸・君が代」強制、処分が強行されました。とりわけ3月まで貴校に在職していた根津公子氏には停職6ヶ月という重い処分が課されました。私は、自分に課せられた処分と共に、これに強く抗議します。根津氏は「教育に反することには加担しない。理不尽なことには服従しない。それが教員としての職務と思うから私は着席します。」(『希望は生徒』)と述べています。
私も3回目の不起立、2回目の処分を受ける中で、自らの思想・良心の自由を保持すると共に、生徒に対し、多様な考え、行動があることを示す必要を感じます。学校現場での職務遂行としての不起立の意義を考えています。今回、現職解雇という遮断ではなく、対話の道を選択した皆さんが、これ以上の強制、処分を停止することを強く要求します。

教職員の皆さま、生徒・保護者の皆さま、地域の市民の皆さま

 私達は、現職解雇を危惧していました。停職6ヶ月という重い処分ではありましたが、解雇を免れました。その背景には、皆さまの力強い声と行動があったと確信しています。この間の皆さまの取り組みに敬意と感謝の意を表します。

私達は引き続き訴え行動します

 不服従を貫く教員を「ガン細胞」と称し、「不適格者」として嘱託解雇・不採用にする、ましてや「現職解雇」さえ危惧され、強制異動(配置転換)によって物か機械のようにあつかわれる。これは、新教育基本法、新学習指導要領、教員免許更新制による近い将来に「一般化」される「排除の事態」ではないでしょうか。そして、現在、労働現場で先行、普遍化している日雇い派遣、ポイント派遣、臨時雇用など、人を人とも考えない事態と重なるのではないでしょうか。それが、私達の先輩教員が手を染めた「教え子を戦場に送った」道に通じることを21世紀の今、現実問題と考えています。
 昨日、根津氏の新たな職場である都立あきる野学園を訪れました。都教委の皆さんにただ一つ感謝すべきは、すばらしき自然に囲まれ「山笑う」季節に、正に奥多摩の山々に迎えられたことです。
 私達は、今後とも苦難の境遇に呻吟する若者をはじめ各界各層の皆さまと共鳴し、自らの信じる道を歩みたいと思います。  (2008.4.16)


2008/04/20

4月15日(火)

 あきる野学園に初の停職「出勤」。7時半、車で自宅を出て12分後には学校着。車は、学校の斜向かいに1日200円で駐車できる。停職が明けたら、1時間に1本のバスと、1時間に3本の電車で不便になるが、停職中は、らくらく「出勤」だ。
 7日に校長から紹介はしてもらっていたが、なぜ停職?といぶかしく思っている同僚となる人もいらっしゃるだろう。そう思って、自己紹介がてら、私が起立しない気持ちを綴った手紙を出勤する同僚たちに手渡した。それを始めたところに、近藤順一さんが現れ、手紙渡しを手伝ってくださった。川崎のご自宅から2時間はかかるであろうに。昨年の停職出勤の時には、南大沢学園養護学校に毎週来てくれて、登校・出勤時の挨拶に加わってくださったのだった。
 同僚となる人たちの対応の多くに、温かさを感じた。一人の生徒が、プラカードを読んで尋ねてくれたので、説明をすると、彼女は「自殺をした校長先生もいますよね」と言った。そして、手を差し出し、「それをください」と言う。「これは、大人向けの手紙なのよ」と答えると、「お母さんに渡しますから」と。彼女は、帰宅してどんな報告をしたのだろう。考えるきっかけになったなら、うれしい。
 あきる野学園はずっと門扉が開け放されている。通りがかりの人も私も中を眺めることができる。中の人が私に声をかけてもくれる。学校に出入りする業者や道行く人何人とも、初日から話をした。やはり、ニュースを見ていられる人が多かった。
 池田小事件をきっかけに学校の門扉が閉められた。その門扉は、学校が人を固く閉ざすような雰囲気を与える。しかし、ここあきる野学園は、終日閉められていない。とっても開放的な、温かい印象を受けた。


 次は、手渡した手紙。


あきる野学園の教職員の皆さま

 おはようございます。

 私は7日の職員朝会で校長から紹介いただきました根津公子と申します。心が温かくなる始業式に参加させていただき、10月の到来を首を長くして待っています。
 紹介の折に「10月から出勤」と聞かれて、どういうこと?と思われたでしょうし、また、今朝は何?と思われるでしょうから、自己紹介をさせていただきます。
 都教委がいわゆる10・23通達を出して以来、全都で延べ404人の教職員が処分を受け、今年も20人が処分を受けたのは、ご存じのことでしょう。私もその一人です。3週間前の南大沢学園養護学校の卒業式での「君が代」斉唱の際起立をしなかったことで、3月31日に処分が発令され、4月1日から6ヶ月間、停職とされました。
 停職期間中は、抗議・要請や都庁職員へのアピールのために都庁に行くほかは、10・23通達による処分を受けた学校と、着任したここ、あきる野学園の門前に来ます。私は教員として間違ったことはしていないし、仕事をする意思は十分あります。だから出勤したいのですが、中には入れてもらえないので、校門前にいるのです。道行く人がここは少ないのかもしれませんが、その人たちにも、都教委のしていることを知ってもらいたいと思っています。皆さまも、お忙しいでしょうが、休憩時間にどうぞお立ち寄りください。
 さて、私の経歴です。71年、家庭科担当として江東区立大島中学校に着任。子どもの喘息で八王子市に転居したのに伴って、市内の小学校に4年、中学校2校に20年、そして多摩市の中学校に3年いましたが、03年以降、「校長の人事構想にない教員は1年で異動させることができる」とした、米長元教育委員が絶賛した異動要綱を使って、ほぼ毎年、1年で異動をさせられています。特に昨年は、中学校から養護学校に校種替えをされました。
 異動攻撃を受ける理由は明らかです。「君が代」不起立処分に象徴されるように、私が「職務命令だから従う」とはしない教員だからです。
 私は「君が代」不起立で、04年(=04年は、産経新聞によると、私がいた「調布市では明確な職務命令が出ていなかった」ということで処分なし)以外、毎年処分を受けています。
 「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないことだと、私は考えます。しかし、だから、起立の職務命令に従わないのではありません。
 起立をしないのは、都教委が進める「日の丸・君が代」が教育行為に反し、教育を破壊することだと考えるからです。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できるような資料も機会も提供せず、いや奪い、起立・斉唱を指示し従わせるのは、調教に他なりません。1947年制定の教育基本法が否定した、戦前戦中の教育と同じです。
 都教委は、「君が代」不起立・不伴奏処分について、教員の「内心は問わない」と言い、また、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童・生徒は起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまう」からと言います。私たちも子どもたちも何と見くびられたことでしょう。
 教員が黙することによって、子どもたちを被害者にしてしまう関係に私たち教員は置かれています。70年前だけでなく、今。子どもたちに「上からの命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教え、子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されません。
 子どもたちが何の疑問も持たずに起立斉唱するように、教職員は内心に反してでも起立せよ、という職務命令が正当な職務命令ではないことは、発出している校長たちの多くが承知しているはずです。子どもが人として成長するその助けをするはずの学校で私たちが大事にしなければいけないことは、道理や徹底した話し合いによる民主主義、そして違いを認め合う思想とそれに基づく教育活動だと思います。
 私は常々生徒たちに、「みんながやるから、ではなく、自分の頭で考え、判断して行動しよう。おかしいと思う時には、たとえ一人であっても、おかしい、と言おう」と言ってきました。今までに私と出会った生徒たちへの責任から、また、これからも教員であり続けたいとの思いから、理不尽な職務命令や「校長としてのお願い」は拒否します。
 これを読まれる皆さんのかなりの方が、都教委は間違っている、と感じていらっしゃると思います。いや、そうはお感じにならない方とも、ご一緒に考え合っていけたらうれしいです。

2008年4月15日
根津公子

4月14日(月)

 鶴川二中に今年度初めての停職「出勤」。鶴川に予定した日は、一昨年も昨年も雨の日が極端に多かった。台風直撃や雷雨で退散することもあったのだが、何と初日の今日も雨。
 登校してくる生徒一人ひとりに「おはようございます」と声をかけた。授業を担当した生徒は3年生だけになった。「何で来るんですか。来ないで」という生徒もいれば、やっと顔がわかるくらいの距離から歓迎の声をあげてくれる生徒もいる。反応はさまざまだ。2年生と思しき生徒は、昨年のことを思い出し、ああ、といった感じだ。休み時間には、「根津先生がんばってー」と数人の男子生徒が何度も叫び、手を振ってくれた。私も手を振って応えた。また、別の休み時間には、別の場所から「君が代」を歌う声が聞こえてきた。「根津帰れ」とも。
 下校時には、「ユーチューブで動画を見た」「テレビでも見たよ」「根津先生、カッコいい!」「明日は、記者を連れてきて」などと言っていく生徒もいた。
 生徒たちには、私の抵抗する姿を見て大いに揺れ、考えてほしいと願う。
 半年ぶりにお会いするご近所の方々が、「新聞で見ましたよ」「テレビで笑顔を見ましたよ」「クビにならなくて本当によかったですね」と声をかけてくださった。
 プラカードをちらちら見ながら通る人には、「これは、私です」と近寄って行って自己紹介を始めると、多くの方が思い出したように「ああ」と合点をされた。そして、ねぎらいや応援のことばをかけてくださった。昨年に比べ、圧倒的に好意的の感じがする。「君が代を知らない人が多い。教えてくださいよ」と捨て台詞を吐いていったのは、たったの一人。3月31日の、私たちに好意的な報道の効果だろうか。それは世論操作と紙一重であって、怖いことでもあるのだけれど。
 昨年ここで知り合った、我が子ほどの若いお母さんたちが、お子さん連れで訪ねてくださったり、「考え方は私とは違うけど、あんたは筋が通っていて立派だよ」と評価する年配のおじさんが来られたりして、1日の短かったこと!

2008/04/19

私達は、教える機械じゃありません

被処分者 近藤順一

都立南大沢学園養護学校、学校長及び都教委の皆さん

 新年度を迎えお忙しい毎日かと察します。この3月の卒業式でも「日の丸・君が代」強制、処分が強行されました。とりわけ3月まで貴校に在職していた根津公子氏には停職6ヶ月という重い処分が課されました。私は、自分に課せられた処分と共に、これに強く抗議します。根津氏は「教育に反することには加担しない。理不尽なことには服従しない。それが教員としての職務と思うから私は着席します。」(『希望は生徒』)と述べています。
 私も3回目の不起立、2回目の処分を受ける中で、自らの思想・良心の自由を保持すると共に、生徒に対し、多様な考え、行動があることを示す必要を感じます。学校現場での職務遂行としての不起立の意義を考えています。今回、現職解雇という遮断ではなく、対話の道を選択した皆さんが、これ以上の強制、処分を停止することを強く要求します。

教職員の皆さま、生徒・保護者の皆さま、地域の市民の皆さま

 私達は、現職解雇を危惧していました。停職6ヶ月という重い処分ではありましたが、解雇を免れました。その背景には、皆さまの力強い声と行動があったと確信しています。この間の皆さまの取り組みに敬意と感謝の意を表します。

私達は引き続き訴え行動します

 不服従を貫く教員を「ガン細胞」と称し、「不適格者」として嘱託解雇・不採用にする、ましてや「現職解雇」さえ危惧され、強制異動(配置転換)によって物か機械のようにあつかわれる。これは、新教育基本法、新学習指導要領、教員免許更新制による近い将来に「一般化」される「排除の事態」ではないでしょうか。そして、現在、労働現場で先行、普遍化している日雇い派遣、ポイント派遣、臨時雇用など、人を人とも考えない事態と重なるのではないでしょうか。それが、私達の先輩教員が手を染めた「教え子を戦場に送った」道に通じることを21世紀の今、現実問題と考えています。

 昨日、根津氏の新たな職場である都立あきる野学園養護学校を訪れました。都教委の皆さんにただ一つ感謝すべきは、すばらしき自然に囲まれ「山笑う」季節に、正に奥多摩の山々に迎えられたことです。
 私達は、今後とも苦難の境遇に呻吟する若者をはじめ各界各層の皆さまと共鳴し、自らの信じる道を歩みたいと思います。  (2008.4.16)


2008/04/18

連帯メッセージ

解雇させない会 御中
永井 晶

解雇阻止ほんとうによかったですね。

私は28日と31日はどうしても時間がとれずに支援行動に参加できませんでした。
31日もでかけていて状況がわかりませんでしたで、午後4時半に都庁にいってみましたが、第二庁舎前はがらんとして、誰も来ていなかったので、多分解雇処分は出されなかったのだろうと思いました。
31日朝はみんなが手を取り合って泣いたとのことですが、私も涙腺がゆるい方ですからそうなっていたでしょう。
根津さんを見ていて、一人の人間が行動することの重み、大切さということを本当に知りました。
3月31日は教育行政の暴政とたたかう多くの人たちのこれからの戦いを勇気付ける大きな転換点となったのではないでしょうか。
書きたいことはたくさんありますが、、わたくしの叔父さんは軍国少年で少年航空兵に志願し、最後はインパール作戦に参加し、かろうじて生還してきました。その叔父さんが常にいっていたのは「軍隊というところは人間を人間でなくしてしまうところだ」ということでした。都教育委員会の対応を見ていて強く感じたことは「石原都政下の都庁は都庁職員を人間でなくしてしまうところだ」ということです。教育という人間性が最も重要な仕事に関連した行政にたずさわる人達のこのような姿を見ていると、東京都の教育行政の最大の被害者は子供たちだというおもいが強くします。

こどもたちのため、民主主義を守っていくためこれからも「君が代・日の丸強制」反対のたたかいに微力ですが参加していきたいと思います。

【事務局注】本メッセージは4月1日にいただいたものです。


2008/04/17

2008年「春の闘い」

渡部です。

本日(4月16日)、「河原井さん・根津さんらの解雇をさせない会」の都庁前での早朝ビラまきがあり、参加しました。(11名参加でした)

ビラでは、4月8日に都教委(職員課)に提出された「質問書」の内容が紹介されていました。(回答はまだ)以下に、若干要約して紹介します。

(1)この間多くの個人・団体から出された署名や請願書はどのような検討の結果、教育委員に届けないと決定したのか。

(2)署名や請願書は、懲戒分限審査会のメンバーには届けたのでしょうか。

(3)当会が3月14日に提出した請願書は、28日の定例会までに教育委員に届けられたのでしょうか。

(4)都教委は、阻止線を貼り、警備員や職員を配置して、要請する人たちに常軌を逸する対応をしましたが、都教委はなぜ、批判を聞こうとしないのですか。

(5)金井任用係長は、要請団と会う前に、「これから30階に行って、からかってくるか」と言い、同僚などからもその言葉を聞きかれていますが、直ちに事実を明らかにし、謝罪することを求めます。

特に(5)は、公務員として全く許せない言動です。このような言辞をはいた金井氏こそ「懲戒処分」されて当然です。そして、こういう連中がいつの時代も「道徳心」・「愛国心」・「奉仕活動」・「日の丸・君が代」などを恥知らずにも強制するのです。

その後、河原井さんと根津さんの併合裁判が東京地裁でありました。傍聴に行くと、どこかで見慣れた顔の弁護士(都教委側の)が被告席に座りました。

その弁護士は、千葉高教組関連の幾つかの裁判闘争の際によく見かけた石津弁護士でした。千葉高教組の仲間達からは、「本質的でないつまらないことばかり言う」として、非常に評判の悪い弁護士でした。

彼は、都教委からも金をもらって仕事をしていたのですね。

裁判は、都教委からの準備書面提出を確認しただけですぐ終わりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

包囲ネットでは、この春の闘いの成果・教訓を打ち固め、
今後の闘争方向を明らかにしていくために、
『卒・入学式闘争4・27総括集会』
を開くことになりました。(入学式でも不起立者が出ました)

<日時>2008年4月27日(日) (13時開場)13時30分~16時30分。
<場所>在日韓国YMCA(JR水道橋下車 徒歩5分)
<資料代>500円
<内容>(予定)
      (卒・入学式の状況の報告)
        ・被処分者から(参加される被処分者の方全員に
                   発言していただこうと考えています)
        ・ビラ配りの状況
        ・弁護士から
      (解雇処分反対の闘いの報告)
        ・取り組みの報告(解雇させない会など)
        ・根津さんの発言
      (今後の闘いの進め方) 
        ・基調提案(包囲ネット)
        ・討論

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全国各地から以下のところへ抗議の声を寄せることが重要です。
石原都知事:03-5321-1111(代表)、FAX 03-5388-1200
中村教育長:03-5320-6701
都教委人事部服務係(処分担当):03-5320-6792 
都教委総務部教育情報課(苦情受付担当) 
   電話 03-5320-6733 FAX 03-5388-1726
南大沢学園養護学校(根津さん前勤務校)
   電話042-675-6075

4.17都庁情宣ちらし

4.17都庁情宣のちらしです。

4.17都庁情宣
「f20080417.pdf」をダウンロード


2008/04/16

意見広告基金は終了いたしました。


「君が代解雇をさせない」意見広告基金は、おかげさまをもちまして成功裏に終了いたしました。

ここに終了のご報告を行うと共に、みなさまの心からのご協力に、改めて御礼申し上げます。

ありがとうございました。


 

2008/04/15

SUD Education からのメッセージ

今回の根津公子さんへの処分に対して、フランスの教員組合 SUD Education からメッセージが届きました。

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フランスの教員組合、スュッド・エデュカシオン連盟 (SUD Education)からの支援メッセージ
「東京都の日本人教員弾圧に反対!」

私たちは、根津公子さんに対する東京都教育委員会の処分決定(定職6か月と別の養護学校への異動)のニュースを知ったところです。

根津さんは、東京都と教育委員会が教育制度の中で強制しようとしている時代錯誤の国家主義的慣例に対して、抵抗しています。 東京都と教育委員会が今回もまた、彼女の抵抗をあくまで厳しく処罰しようとしたのは明白な事実です。また、この決定に表された正義・正当性の概念は、人と場合によって変わることも明らかです。同様に不起立をしても、このような不公平きわまりない処分を受けなかった教員もいるのです(それは喜ばしいことですが)。したがって、根津さんについては、彼女のような勇気ある行動を他の教員がとらないようにするための、みせしめの処罰だといえます。

私たちはまた、パリの日本大使館が私たち組合の連合組織ソリデールの代表と面会するのをまったく拒否したことを、大変遺憾に思っています。私たちはその場で、闘う日本人教員との全面的な連帯を表明するつもりでした。私たちが受けとった唯一の回答は、東京都の当局に直接あたってほしいというものでした。

私たちはここで再び、根津さんをはじめとする日本人教員への固い支援を表明し、彼らのアンガージュマン(自由な個人の選択による世界・社会参加の行動)に対する不当な弾圧に関して、警戒をつづけていきます。
私たちは彼らの側に立ち、フランスや国際的なパートナーに対して、東京都当局の態度を告発しつづけていきます。

サン=ドニにて
SUD Education スュッド・エデュカシオン連盟「国際部」委員会
ステファン・アンジャルラン

*教員組合のスュッド・エデュカシオンは、さまざまな職業分野にできたSUDを中心にして出来た44の組合の連合体、ソリデール(「連帯して」の意)組合連合(Union Syndicale Solidaires)に属している。

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佐々木有美

2008/04/14

解雇させない会ニュース

解雇させない会ニュース一覧表
No. 日  付 ダウンロード
15 2008年4月20日

解雇させない会ニュースNo.15

14 2008年3月15日

解雇させない会ニュースNo.14

13 2008年2月7日

解雇させない会ニュースNo.13

12 2007年11月30日

解雇させない会ニュースNo.12

11 2007年11月2日

解雇させない会ニュースNo.11

10 2007年9月21日

解雇させない会ニュースNo.10

9 2007年7月20日

解雇させない会ニュースNo.9

8 2007年5月11日

解雇させない会ニュースNo.8

7 2007年3月24日

解雇させない会ニュースNo.7

6 2007年2月17日

解雇させない会ニュースNo.6

5 2006年12月20日

解雇させない会ニュースNo.5

4 2006年11月11日

解雇させない会ニュースNo.4

3 2006年9月30日

解雇させない会ニュースNo.3

2 2006年8月20日

解雇させない会ニュースNo.2

1 2006年7月6日

解雇させない会ニュースNo.1


2008/04/13

4月9日(水)

 南大沢学園に停職「出勤」。私が到着する前に、2月途中から3月25日まで毎朝、校門前に立ってくださったEさんがすでに到着しておられた。学校名が「養護学校」から、流行の「特別支援学校」に変わっていたが、ぴんと来ない。31日の処分発令の日に居合わせなかったたくさんの元(になってしまった)同僚が、「おめでとう!免職じゃなくて、本当によかった」「31日にいなくてごめんね」と言ってくれた。8時過ぎ、「フランス21」と言う局が取材に来られ、応じた。

 半月ぶりに見る生徒たち。とっても懐かしい。根津とわかると、歓迎してくれた。

 午後は、裁判の進行協議。

4月8日(火)

 すでに予定を変えることもできず、大雨の中、都庁前でチラシ撒き・情宣をした。こんな大雨にもかかわらず、9人が参加してくださった。

 9時過ぎ、先週金井任用係長に伝えておいた質問への回答を得るため、そして、停職処分に対する抗議分を渡すために職員課を訪ねた。しかし今日も、通常の受付はシャットアウトされ、ロープと人間バリケードの「受付」が用意されていた。このような「非都民」の扱いに、異を唱える職員はいないのだろうか、と思う。

 案の定、金井任用係長には、質問について回答をする意思は見られない。「からかってくるか」発言に及ぶと、激昂する。

 私たちが用意していった抗議文と質問書を読み上げると、読んでいる途中で金井係長は姿を消してしまった。しばらくすると、替わりに、T教育情報課係長が「私が受け付けます」と言って、やってきた。「都民からの要望・要請等の受付窓口は、教育情報課」にしたいとする、つまらない執念を感じる。「教育情報課の関与のもと」、しかし、「原則として担当する課が」受付ると、要綱には書かれているのだから、担当所管の職員課が対応すれば何の問題もないはずなのに。

 質問は、次のとおり。

(1)当会はじめたくさんの個人・団体が提出した署名や請願(書)はどのような検討の下、教育委員に届けないと決定したのか、明らかにしてください。

 ・検討に携わった役職(個人名)
 ・検討の結果、これらを教育委員に届けないとした理由
 ・これらが、現時点でどのような扱いを受けているか 

(2)署名や請願(書)は、懲戒分限審査会のメンバーには届けたのでしょうか。届けないとしたら、その理由をお聞かせください。

(3)請願書を届けないとなると、憲法16条に抵触します。当会が3月14日に提出した請願書は、28日の教育委員会定例会までに、教育委員の方々に届けられたのでしょうか。

(4)2月以来、「君が代」処分をしないよう要請をしようとする私たちに対して、都教育委員会がしたことは、阻止線を張り、警備員や職員を配置して、それを阻止するという、常軌を逸した対応でした。賢い政治家や行政が、批判する民衆の声にこそ耳を傾け、施策に活かすものであることは、説明するまでもないことですが、都教育委員会は、なぜ、批判を聞こうとしないのですか。

(5)27階の人事部職員課に要請に行こうとすると、阻止線に「責任者」として対応したのは、金井任用係長でした。同係長の対応は終始、「組織として」「上司の指示で」「責任と誇りを持って」、「回答しないが回答です」、「所管課の判断で適正に処理します」というものでしたが、しかし、それだけではなく、3月28日に30階で抗議をする私たちのことを指して、「これから30階に行って、からかってくるか」との言辞を吐きました。金井係長は、4月2日に私たちがそのことをただすと、烈火のごとく怒りましたが、「言った」とも「言っていない」とも言いませんでした。

同係長がその言辞を発した時、すぐ近くに、スーツ姿の見覚えのない人がいたはずです。そしてまた、エレベーターホールに居合わせた職員と警備員は、同係長の発言を聞いたはずです。同係長の発言に呼応して一人が、「このエレベーターではまずいのでは」と言っているのも、スーツ姿の彼は、聞いています。

  その時間帯に警備に当たっていた職員と警備員の記録はあるはずですし、今なら各人の記憶もはっきりしています。

  直ちに、事実を明らかにし、謝罪することを求めます。

2008/04/11

ルモンドの記事から

フランスの日刊紙ルモンドに載った、4月3日付け「君が代」不起立についての記事の翻訳(抜粋)です。
「日本では祖国を軽々しく扱わない」という皮肉たっぷりのタイトル。筆者は古参のフィリップ・ポンス特派員です。
「君が代」不起立問題のほかに、映画『靖国』の上映自粛、「大江・岩波裁判」判決にもふれた長い記事です。

「君が代」不起立問題部分の翻訳です。


罰せられた教員達(小見出し)

マスメディアの反応が少ないこの他の最近の出来事は、日本における言論の自由にのしかかる多様な圧力を暗示していると言える。
例えば、約20人の中学高校の教師達が処分されたが(10パーセントの減給、6ヶ月の停職、非常勤の場合は契約が更新されない等)、これは2003年に義務付けられた「生徒に国歌を歌わせること」を拒否した為である。
以来、約400人の教師達がこの通達を尊重しなかった為に処分や「再教育」の対象となっている。

リズムがゆっくりした荘厳な日本の国歌は天皇への頌歌である。
日の丸と共に「君が代」は1999年国家の象徴として制度化されたが、この措置は軍国思想に同調するものであるとして、一部の知識人の抗議を引き起こした。
これら国家象徴について、一般大衆間に議論が起きることは事は稀である。
スポーツ大会や勝利に伴う集団的歓喜は青年層にお祭り気分のアイデンティティー意識を生み、戦前の象徴的内容は取り除かれている。

又、国歌の斉唱を強制されているが故に、信条の自由についての議論も巻き起こしている。
2006年、東京地裁は卒業式の際斉唱を拒否した教師の主張を認めた。
判決理由の中で、裁判所は「教師は君が代を斉唱する義務はない」、又「斉唱を強制する事は思想、信条の自由を侵す」と裁定している。
さらに、同裁判所は東京都に対し教師達に1200万円の損害賠償を払うことを指示した。

2003年の通達では、東京都教育委員会は校長達に国旗掲揚に起立することと、生徒に国歌を歌わせる事を教師に強制するようにとの指令を出した。
同指令は従わない者への処分をあらかじめ定めており、この処分に対し400人の教師が東京地裁に訴え出ていたのである。
処分を伴う君が代斉唱の強制は政府が教育に過度に介入することを禁じた教育基本法に反するものであると判事は強調した。

2008/04/10

ダウンロードNo.14

 解雇させない会ニュースNo.14のダウンロードです。
 発行日が3月15日であるにもかかわらず、本日(4月10日)の電子版リリースです。

 電子版読者のみなさんに、事務局の不手際を深くお詫び申し上げます。

解雇させない会ニュースNo.14

「newsno14.pdf」をダウンロード

 

2008/04/07

フランスから

ご無沙汰しております。
昨日は根津さんの解雇阻止の知らせにほっとしました。
これは根津さん、また支援の方々が勝ち取った快挙以外の何のもでもありません。

もうご存知と思いますが、フランスでは組合「SUD」の教育部が無料で製作を引き受けてくれた「君が代不起立」のフランス語版がもうすぐ完成するそうです。
上映会を通して、10.23通達撤回まで私達も微力ながらも支援活動を続けていくつもりです。

皆さんの更なるご健闘を祈ります。

2008/04/06

根津さん解雇阻止~関連情報

ユニオンチューブから映像を見ることが出来て感謝します。
みなさんの報告も、嬉しく読んでいます。

雨の中、寒かったでしょうが、根津さんのお顔やみなさんの様子が伝わり、嬉しいです。

職員室の窓から「首に出来なかったよ~」と第一声が聞こえた時のどよめきは、映像だと100倍以上になって伝わります。
本当によかったです。

もうひとつお願いです。映画「靖国」の上映中止が相次いでいます。
友人でもある、Tさんも「自由への圧迫や弾圧がひどくなってきている」と、憂いていました。

議員の一言がここまでさせてしまう今の日本は、根津さん・河原井さんの闘いとも通じています。
どうぞ一緒に、上映出来るように声をあげてください。
よろしくお願いします。

解雇阻止への声&なぜ勝てたのか

根津さんのことで初めてメールします。
いくつかのMLで、遠方からいらっしゃる方々がいることを知って、東京に住んでいるのに行かないなんて、と思いました。
ほんとうは、毎日でも遠方の方の分をカバーするために行かなくてはと思っていましたが、結局週1回のペースがやっとでした。
一度、エレベーターで山場の途中で一人帰るときがありましたが、1人降りてしまうというのはとても嫌なものでした。

まさに最前線の教育委員会職員との連日の対峙という歴史的な現場にいられたことは、自分でも信じられないぐらいです。
それにしても南大沢の現場にいたかったものです。
本心、勝てるとは思わなかった!無理だと思っていました。あんなに無表情で同じことを平気でくり返せる人間達が最後に引くとは思えなかった。

しかし勝てるんだと言うことを教えていただきました。
勝ってみて根津さんのすごさを知りました。
一人の人間の姿が何倍にも大きく見えました。
と同時に、ここまで闘わなくては40秒の君が代不起立でクビにまでされてしまうような、恐ろしい時代にいることを実感しています。

最後に私も参加した、虹のたねの根津さんの模擬授業のことに少し触れておきたいと思います。
今回広く世間の支援が集まってきた中でも、教員でもなく、退職者でもなく、学校保護者でもなく、教育問題の市民グループでもない新しい若い親たちの参加に、私は注目しています。

彼らはいわゆる闘争スタイルとは少し距離を置くように努めていたと思います。Iさんという聞き手を上手く持ってきた(Iさん失礼!)ことに、彼らなりのイメージ作りを感じました。託児所(といっても敷物が隅っこに敷いてあるだけでしたが)を準備して、子連れが参加できる配慮もありました。
教員が主催したらこうはならないと思います。
厳しい闘いの真っ只中にいる根津さんを、ここに引っ張り出すということに、違和感というか非常識というかそういう感じを持った方もあったかもしれませんが、(なかったかも知れないですが)彼ら若者たちが登場してくれたことは、教委にも、支持者の層の厚さを感じさせたかも知れないと思うと、大きな役割の一端を担ってくれたと思います。

Kさんの抗議文の中に
(2)強制、処分に反対する意味を、都民に解るように説明する。
(3)広範なジャンルの方々と共同する。

とありますが、いろいろな集会の中でも処分者の闘いは支援に集まる方の年齢が高いと感じてきました。参加者も固まっていたと思います。(もちろんそれはそれで意味があると思いますが。)
せっかく今回加わってくれた若い方たちが引いてしまわないような工夫をしていただければと思っています。
対話集会のようなものを持つと言うのはどうでしょうか?
新しい可能性が見えてくるだろうという気がします。

2008/04/05

連帯メッセージ

 東京で買い求めてきた根津さんの喜びを報ずる東京新聞と毎日新聞の東京版を職場でコピーして配りました。「意見広告」カンパにも協力してくれた仲間たちだけに「気になっていたけどよかったですね。」「とりあえずクビにならずによかった。」「それにしても続けて停職6ヶ月はひどいね。」「また異動なの?」など、一様に喜びと共に厳しい処分への怒りも表していました。職場の30数名の組合員は全員、「君が代」不起立を続け、先の1時間ストではみんな不当な「戒告処分」を受けているだけに根津さんの問題と「処分」に対しては敏感になっています。(3月28日、北教組は不当処分取り消しを求めて人事委員会に不服申し立てを行いました。)

 また、知友人たちにもユニオンチューブの映像紹介をつけて解雇阻止と処分糾弾の報告をしましたが、返信がありましたので本人の了解を得て転送します。同じような思いで全国で注視していた仲間たちがいたのだと思います。

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 釧路のIです。根津さんの解雇阻止の闘い、見事に第一関門を突破しましたね。累積処分の限界が見えつつある ということでしょう。向こうは、真綿で首を絞める方法で処分をだんだん重くして「死の恐怖」をもって、転向させる手だったのですが、「殺せるなら殺してみろ」という本人の気迫と、周りの支援がそれを支え続けるという構図が、それを阻んだといえます。
 配信されたビデオを見て、私も根津さんと一緒に泣いていました。私も微力ながら連帯の不起立と抗議FAXを送りましたが、Yさんたちのように現地まで行くことができず、悶々としている状況です。詳細はこれから報道機関からもある程度なされるのでしょうが、あの配信された短いビデオだけでいいですよね、余計な解説はいらないのかも知れません。
 お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。そして、また、不当処分撤回の運動を盛り上げましょう。

「都教委包囲首都圏ネットワーク」から

昨日(3月31日)の報告集会の発言から幾つか紹介します。

<河原井さん>(後半部分)
6ヶ月停職の処分を受けたがすがすがしい。
自分を守ることができた。
おかしいことはおかしいと言っていかなければならない。
若者とつながりたい。そうすれば、明日は変わらないかもしれないが、その後は変わるかもしれない。
今回、解雇を阻止できて本当にうれしい。
多くの人とつながると不可能が可能になる。

<加藤弁護士>
10・23通達以降5度目の卒業式。今回も20名が不起立だった。
厳しい中で。大変な勇気と決意が必要だったと思われます。
敬意を表したい。2006年の「9・21判決」にも関わらず、強引にやってきている。不当である。
声を上げて闘わなければならない。
根津さんへの処分6ヶ月、都教委としても分限免職をするのは躊躇があったと思われる。

<女性教員Oさん>
3度目の不起立だった。自分の教育活動の中では必然的に立てない。
自分は「苦しんでいる人がいたら寄り添って考えよう」と教えてきた。
生徒達に言行不一致の姿を見せるわけには行かない。
私が立って歌うわけには行かない。
しかし、じっと一人で座ることがどれほど大変なことか。
しかし、分かり合える生徒を育てることができた。
来賓には警察の少年課もいた。生徒達が気の毒と思った。
教育の現場がこれでいいのか。
保護者も生徒の方を向いて座れない。
「日の丸」の方を向いて座らされる。
生徒たちの作品も式場の外に出された。
3人目の子どもの卒業式に参加された母親はこの変わりように涙を流して悲しんでいた。
卒業式だけではない。
職員会議でもものが言えなくなりつつある。
職場の人がやんわりと起立するよう言ってくれた。
そのことが教育の異常さを示している。
この先どうなるのか。誰もものが言えなくなる。
これが教育現場か。

<女性教員のKさん>
母の介護のために退職勧奨を受け、再雇用を希望していた。
しかし不起立したため合格していた再雇用が取り消された。
本日私は母の着物を着てきた。
それは母の想いも込めてのことである。
母は戦争体験者で、戦後の民主教育に期待した。
「国民は利口になり、再びあのような戦争をやるような社会にはならないだろうと思った。
そして、中学の英語の教員になった。
しかし、自分が生まれる時、育児のためにやむなく退職した。
そしてその後も練馬の教育委員などをやっていた。
しかし、今、その母親の想いを踏みにじるような事態が進行している。
これに対し、母親は怒っていた。
そして自分も嘱託の道を踏みにじられた。
「教え子を再び戦場に送るな!」
これが現在まさに新しいフレーズになっている。

昨日、根津さんの声の一部を紹介しましたが、<根津さん>は次のようなことも話しました。
「今後都教委に二つのことを問いただして行く。
(1)定例会の竹花委員の発言で明らかになったことだが、私達が出した署名が都教委によって握りつぶされているらしいのでそれを明らかにさせる。
(2)定例会の日に金井氏(いつもは27階にいる)が、『これから30階に行ってからかってくるか』と言ったことに対して問いただす。全く許せないことだ」

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包囲ネットでは、この春の闘いの成果・教訓を打ち固め、今後の闘争方向を明らかにしていくために、『卒・入学式闘争4・27総括集会』を開くことになりました。

<日時>2008年4月27日(日) (13時開場)13時30分~16時30分。
<場所>在日韓国YMCA(JR水道橋下車 徒歩5分)
<資料代>500円
<内容>(予定)
 (卒・入学式の状況の報告)
   ・被処分者から(参加される被処分者の方全員に発言していただこうと考えています)
   ・ビラ配りの状況
   ・弁護士から(解雇処分反対の闘いの報告)
   ・取り組みの報告(解雇させない会など)
   ・根津さんの発言(今後の闘いの進め方) 
   ・基調提案(包囲ネット)
   ・討論

*昨日夜、ビラ(裏面に「抗議声明」を印刷)を郵送しましたので、このメールをご覧になっている相当数の方々へもまもなくビラが届くと思います。

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全国各地から以下のところへ抗議の声を寄せることが重要です。
石原都知事:03-5321-1111(代表)、FAX 03-5388-1200
中村教育長:03-5320-6701
都教委人事部服務係(処分担当):03-5320-6792 
都教委総務部教育情報課(苦情受付担当) 
   電話 03-5320-6733 FAX 03-5388-1726
南大沢学園養護学校(根津さんの勤務校。今回校長が事故報告書を上げた)
   電話042-675-6075


2008/04/04

連帯メッセージ

根津さん、河原井さん、支援者のみなさん

 連日の抗議行動おつかれさまです。

 停職6ヶ月は不当な処分ですが、免職が避けられたことを知ったときは僕も驚きましたし、本当にうれしく思いました。

 免職は不可避と言われるなかで、根津さんたちが都庁の27階で教育庁の職員たちとの対話を成立させようと努力していたことを思い返しています。
 都庁の30階で教育委員会の定例会の開催中に参加者全員で処分を出さないように呼びかけたこと、あの場に共にいたことを誇らしく思っています。

 起立しないだけで免職という前例を絶対につくらせてはいけません。このような前例をつくらせてしまえば、教育現場はますます萎縮してしまいます。大変だとは思いますが、定年までどうか教員を続けてください。

 大阪府門真市の市立中学校では、卒業生と3年生の担任・副担任の大半が国歌斉唱の際に起立しませんでした。すでにこれに対する激しいバッシングが行われています。
 不当な処分を撤回させるとともに、不起立をする生徒・教員を支えていかなければなりません。
 君が代を歌わない者は教員を辞めろという意見が散見されますが、この教育の危機に立ち向かわない者こそ教員を辞めるべきではないでしょうか。

 共にがんばりましょう。

ネット署名から

根津先生は、生徒に長いものにはまかれるな、自分で考えて、 自分の意見を言える人間になろう と教育しているようで、 私も同感です。でも周囲の大人たち、教員のなかにもその ような人間がどれくらいいるでしょう。長いものにまかれる 人間が、組織の中では人を支配する立場になり、また同じことが 繰り返されるのです。そういう構造の中での、先生の態度は すばらしい。多くの教員が皆おかしい と思い行動できたら、 東京都も考えるのでしょうね。私は立場が違いますので、 応援しかできません。 


君が代、を歌うことを強制するのはおかしいし、歌わないことを理由に解雇など絶対に認められないと思います。 そうは思っても、なかなか実行するのはできないでいる多くの人たちにこの裁判は大きな影響を持つと思います。 微力ですが応援したいです。 

2008/04/03

4月2日(水)

朝8時から都庁前でチラシ撒き・情宣を行った。都庁で働く人たちに、「ご一緒に考えてください」「都民のための行政、教育行政にさせるよう、ともに声をあげましょう」と連日訴えてきたので、お礼を兼ねて報告をしたいと思ったからだった。

激励やねぎらいのことばや笑顔がたくさんの人から寄せられ、チラシ撒きに参加した人たちでまたも喜び合った。

チラシまきを終えた足で私たちは、28日に生じた質問2つを持って、人事部職員課の金井任用係長を訪ねた。2つとは、

(1)竹花教育委員が教育委員会定例会で発言したこと(注)からすると、私たちや全国の人たちの提出した要請や署名は、処分を決定・承認する教育委員の人たちに届いていない、としか思えないが、どうなのか 

(2)「これから30階に行って、からかってくるか」と、私たちへの対応について金井さんは言ったが、どういうことなのか。

(注)「日本経済新聞のコラム欄に載っていた『開かれた・・』を、たまたま読んだ。マスメディアの記事で見逃しているものもあると思う。こういう関係のマスメディアの記事を定期的に教育委員会の場に、報告はいいですが、紹介してほしい。おそらく教育行政について教育委員会宛てに、都民の声が寄せられていることがあるんじゃないかと思う。東京の教育行政にとって参考になるもの、それが含まれているものを、耳の痛い話も含めて、教育委員会の我々に紹介していただくことはできないか。参考にもなるし、できるだけ僕らも耳を傾けていきたいので、ご協力をお願いしたい」

27階に着くと、いつもの阻止線にロープを出し、職員数人が部屋から飛び出してきたばかりという様子が取ってわかった。職員が次々に部屋から出てきて、あっという間に私たちの前に3重の職員バリケードができあがった。今日は、警備員の配置ができなかったようだ。

用件を告げても、「責任者」である金井係長は出てこない。20分経ってようやく、出てきた彼は、「お待たせしました」と言うべきところ、「根津さん、今日はどういう服務できたのですか」と言った。「どういう服務って、学校に行け、ということですか」と聞いたけれど、「私の考えはありますが、答えません」と金井係長。私は、「脅しのつもりか知りませんが、私たちは、28日に起きた2つのことで、どうしても聞いておかなければなりません」と告げ、来週には答えを用意してくれるよう要請してきた。

3月31日(月)

28日の教育委員会定例会で処分が決定され、該当者には処分発令の出張命令が出されたというのに、私だけはそれがされなかった。とすれば、免職間違いなし、と思わざるを得ない。いよいよ明日が処分発令の日という30日の夜、私は、免職以外の可能性は全くないと踏んで抗議声明を書いた(打った)。免職にさせないために、この2ヶ月やれることはすべてやった、後悔はない、明日の処分発令を新たな闘いの出発にしよう、そう思いながら書いた。普段より早くに布団に入ったけれど、余り眠ることができずに朝を迎えた。

 31日は7時30分、学校に到着。冷たい雨が降る中を、すでに何人もの友人たちが校門前に来てくれていた。荷物を職員室に置いた後、支援に来てくれた人たちとともに、都教委職員(役人)の登場を待った。

報道関係者も多数見え、取材に応じた。8時25分の始業に合わせて、私は2階の職員室に戻った。窓ガラス越しに、みんなの顔が見え、訴える声が聞こえてくる。出勤している職員は少なかったので、遠慮気味に窓を開けて、みんなの話しに耳を傾け、一人ひとりの顔を追った。

泣き声で途切れ途切れになりながらマイクで訴える友人、知人たち。2006年度在職した鶴川二中学区のお母さんたち、子どもたち。小学生のTさんの笑顔が私の目に飛び込んだ途端、私の中で強力なパワーが駆け巡った。

大分の益永さん、北海道、大阪、愛知、広島、福岡、長野からも、このために来てくださって感激。死刑台に上らされる私を見守り、校長や都教委に抗議しようと、駆けつけてくださったたくさんの方々(90人に近い、と聞かされた)に、支えられていることに感謝した。

部屋の中にいても寒いほど花冷えのする、おまけに雨が降りしきる中で、時間ばかりが経っていく。皆さん、予想もしない寒さに、大丈夫だろうか。都教委はここには来ないのか、どこかに私を呼び出すのだろうか。いろんなことが頭を去来する。

「都教委が来た!」と誰かが叫ぶ声に、下を見ると、一人は見覚えのある顔であった。都教委の役人だ。間違いない!と思った。時計を見ると針は、9時27分を指していた。

10時頃、鈴木副校長が私を呼びに来た。「根津さん、お伝えすることがあるので、校長室に来てください」。校長も来て、「10時30分までに来なければ、受領拒否と見なします」と居丈高に言う。同僚の一人が、「私たちにできること、何かある?」と聞いてくれた。「付き添ってもらえたら、とってもうれしい」と言うと、すぐに声を掛け合い、5(4?)人の同僚が同行してくれた。春季休業中なので、出勤していた人は少なかった。もう、これで十分心強い。うれしかった。

 10時20分、校長室に同僚たちと行き、私が引き戸を開け、一歩中に入ると、即座に副校長がやってきて、「戸を閉めてください」と私に、「手で押さえて、戸を閉めさせません」とあちら側の人に言った。都教委の役人は、個人情報だから戸を閉めるよう、私に告げた。「この場で受け取ります。そこまで行かなくとも、ここは(あなたたちが指定した)校長室です。個人情報が知られて私には困ることはありません。いえ、皆に知ってほしいですから、そちらがここに来てください。」と私は言うが、彼らは、「受領拒否」に仕立て上げればいいだけのこと。

処分書を受け取るために、仕方なく、都教委の役人の近くまで進んだ。補佐役は、三田村管理主事、処分書を読み上げたのは、江藤職員課長。

この2ヶ月間私たちが都教委人事部職員課に要請をした際に、対応を求めても出てこなかった課長がここにいる。課長は、何かを考える暇も与えずに、処分書・処分理由書を立て続けに読んだ。「停職6月」と聞こえた。まさか、間違いじゃないよね?!一刻も早く、廊下で待つ同僚たちに処分書を見てもらいたい、とじりじりする思いで長い処分理由書を読み上げるのを待った。

処分書渡しが終わると、校長は転任校を告げた。「あきる野学園養護学校」と言った。

10月に復帰して南大沢学園での仕事に就き、校長は私の仕事ぶりを見ることなく、11月14日、「来年度の人事構想にあなたは入っていない。」と告げた。それは、尾崎校長の判断ではなく、都教委のシナリオに沿い、都教委の指示通りに、何の躊躇も考えもなく、校長職の尾崎氏がなした行為であることは疑うべくもない。そして、この運び。

都教委は私に対し、要綱等を駆使して可能な限りの嫌がらせを行って来たので、いまさらの感あり。

この話の時には、もう私は出口の前にいたのだが、副校長は私と引き戸との間のわずか数十cmのところに、ついたてを入れた。何のための目隠し?といぶかしく思っていたら、廊下に出て、その理由がわかった。同僚たちは、引き戸1枚を隔ててガラス越しに、そしてついたてのわずかな隙間から中をうかがっていたのだとのこと。喜劇だ。

 処分書を持って廊下に出ると、まずは皆に処分量定の記載を確かめてもらった。「免職じゃないよね?」「うん、違う。停職6月、と書いてある」「やったー」「やったー」みんなで喜び合った。免職ではなかったうれしさと、同僚たちが気持ちを共有してくれたうれしさ。なんという幸せ!

都教委の役人や校長たちは同僚たちの喜ぶ声をどんなふうに聞いたのだろうか?いや、それは、指示された職務外のこと、意に介さず、なのか?

 外の皆に報せなくちゃ、と職員室に駆け上がり、私はまずは年休処理簿に1時間の年休申請をした。その間に同僚が外の皆に、笑顔でサインを送ってくれていた。年休申請を済ませた私は、窓から皆に向かって、叫んだ。「みんな聞いて!都教委は、私をクビにすることはできなかった!!」(と、言ったそうだ)。

そして、転げるように外に走った。歓声と泣き声で迎えてくれた皆と、抱き合い、喜び合った。

処分理由書には、卒業式での不起立のほかに、「OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO」のロゴの入ったトレーナーについての、職務専念義務違反、職務命令違反が加えられていて、なおかつ、停職6ヶ月。とすると、昨年の君が代「不起立」での停職6ヶ月処分よりも薄まったとも言える。一段ごとに死刑台への階段を上らされる累積加重処分に、風穴を開けることになったのだ。

「君が代」処分自体が間違いであり、半年間も仕事を奪い、収入を途絶えさせる停職6ヶ月処分は、許しがたいことではあるけれど、連日集まり行動してくださった人たち、都教委にいろいろな形で声を寄せてくれた全国の、いや、世界各国の人たち、そういう人たちの力によって、勝ち取ることができたものだ。

また、トレーナー処分発動か?!という2月から3月末までにいくつもの新聞社がした報道は、どれも、「都教委よ、余りにひどいじゃないか」といった論調だった。そうしたことすべてが、都教委の判断に影響したことは明白だ。私一人がどんなに動いても、追放は食い止められなかっただろう。大勢の人が見える形で動いたことが、都教委の暴走にブレーキをかけたのだ。私たちみんなの勝利だ!