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2008/04/20

4月15日(火)

 あきる野学園に初の停職「出勤」。7時半、車で自宅を出て12分後には学校着。車は、学校の斜向かいに1日200円で駐車できる。停職が明けたら、1時間に1本のバスと、1時間に3本の電車で不便になるが、停職中は、らくらく「出勤」だ。
 7日に校長から紹介はしてもらっていたが、なぜ停職?といぶかしく思っている同僚となる人もいらっしゃるだろう。そう思って、自己紹介がてら、私が起立しない気持ちを綴った手紙を出勤する同僚たちに手渡した。それを始めたところに、近藤順一さんが現れ、手紙渡しを手伝ってくださった。川崎のご自宅から2時間はかかるであろうに。昨年の停職出勤の時には、南大沢学園養護学校に毎週来てくれて、登校・出勤時の挨拶に加わってくださったのだった。
 同僚となる人たちの対応の多くに、温かさを感じた。一人の生徒が、プラカードを読んで尋ねてくれたので、説明をすると、彼女は「自殺をした校長先生もいますよね」と言った。そして、手を差し出し、「それをください」と言う。「これは、大人向けの手紙なのよ」と答えると、「お母さんに渡しますから」と。彼女は、帰宅してどんな報告をしたのだろう。考えるきっかけになったなら、うれしい。
 あきる野学園はずっと門扉が開け放されている。通りがかりの人も私も中を眺めることができる。中の人が私に声をかけてもくれる。学校に出入りする業者や道行く人何人とも、初日から話をした。やはり、ニュースを見ていられる人が多かった。
 池田小事件をきっかけに学校の門扉が閉められた。その門扉は、学校が人を固く閉ざすような雰囲気を与える。しかし、ここあきる野学園は、終日閉められていない。とっても開放的な、温かい印象を受けた。


 次は、手渡した手紙。


あきる野学園の教職員の皆さま

 おはようございます。

 私は7日の職員朝会で校長から紹介いただきました根津公子と申します。心が温かくなる始業式に参加させていただき、10月の到来を首を長くして待っています。
 紹介の折に「10月から出勤」と聞かれて、どういうこと?と思われたでしょうし、また、今朝は何?と思われるでしょうから、自己紹介をさせていただきます。
 都教委がいわゆる10・23通達を出して以来、全都で延べ404人の教職員が処分を受け、今年も20人が処分を受けたのは、ご存じのことでしょう。私もその一人です。3週間前の南大沢学園養護学校の卒業式での「君が代」斉唱の際起立をしなかったことで、3月31日に処分が発令され、4月1日から6ヶ月間、停職とされました。
 停職期間中は、抗議・要請や都庁職員へのアピールのために都庁に行くほかは、10・23通達による処分を受けた学校と、着任したここ、あきる野学園の門前に来ます。私は教員として間違ったことはしていないし、仕事をする意思は十分あります。だから出勤したいのですが、中には入れてもらえないので、校門前にいるのです。道行く人がここは少ないのかもしれませんが、その人たちにも、都教委のしていることを知ってもらいたいと思っています。皆さまも、お忙しいでしょうが、休憩時間にどうぞお立ち寄りください。
 さて、私の経歴です。71年、家庭科担当として江東区立大島中学校に着任。子どもの喘息で八王子市に転居したのに伴って、市内の小学校に4年、中学校2校に20年、そして多摩市の中学校に3年いましたが、03年以降、「校長の人事構想にない教員は1年で異動させることができる」とした、米長元教育委員が絶賛した異動要綱を使って、ほぼ毎年、1年で異動をさせられています。特に昨年は、中学校から養護学校に校種替えをされました。
 異動攻撃を受ける理由は明らかです。「君が代」不起立処分に象徴されるように、私が「職務命令だから従う」とはしない教員だからです。
 私は「君が代」不起立で、04年(=04年は、産経新聞によると、私がいた「調布市では明確な職務命令が出ていなかった」ということで処分なし)以外、毎年処分を受けています。
 「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないことだと、私は考えます。しかし、だから、起立の職務命令に従わないのではありません。
 起立をしないのは、都教委が進める「日の丸・君が代」が教育行為に反し、教育を破壊することだと考えるからです。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できるような資料も機会も提供せず、いや奪い、起立・斉唱を指示し従わせるのは、調教に他なりません。1947年制定の教育基本法が否定した、戦前戦中の教育と同じです。
 都教委は、「君が代」不起立・不伴奏処分について、教員の「内心は問わない」と言い、また、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童・生徒は起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまう」からと言います。私たちも子どもたちも何と見くびられたことでしょう。
 教員が黙することによって、子どもたちを被害者にしてしまう関係に私たち教員は置かれています。70年前だけでなく、今。子どもたちに「上からの命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教え、子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されません。
 子どもたちが何の疑問も持たずに起立斉唱するように、教職員は内心に反してでも起立せよ、という職務命令が正当な職務命令ではないことは、発出している校長たちの多くが承知しているはずです。子どもが人として成長するその助けをするはずの学校で私たちが大事にしなければいけないことは、道理や徹底した話し合いによる民主主義、そして違いを認め合う思想とそれに基づく教育活動だと思います。
 私は常々生徒たちに、「みんながやるから、ではなく、自分の頭で考え、判断して行動しよう。おかしいと思う時には、たとえ一人であっても、おかしい、と言おう」と言ってきました。今までに私と出会った生徒たちへの責任から、また、これからも教員であり続けたいとの思いから、理不尽な職務命令や「校長としてのお願い」は拒否します。
 これを読まれる皆さんのかなりの方が、都教委は間違っている、と感じていらっしゃると思います。いや、そうはお感じにならない方とも、ご一緒に考え合っていけたらうれしいです。

2008年4月15日
根津公子

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