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2008年5月

2008/05/29

「6.15のつどい」にご参加下さい!

今春の「君が代」解雇は阻止できましたが、来春の卒業式にも解雇の危機は迫っているという状況は変わったわけではなく、今も続いています。

今年、解雇阻止をできたのはなぜだったか、それを来年につなげるにはどうしたらいいかをみんなで語り、アイディアを出し合い、今から動き出したいと下記のように「6.15のつどい」を計画しました。

いろいろな立場からのさまざまな考えを出し合える場にしたいと思ってます。
ぜひ、ご参加下さるようお願いします。

6.15のつどいー「君が代」解雇は止めた!みんなで話そうこれからをー

日時 6月15日(日)1:15~4:30

場所 新宿農協会館(新宿駅南口から徒歩3分)

内容
1:15~ させない会総会(1年間の活動・会計報告)
1:30~ 映像 ー解雇阻止の闘いー
1:40~ さまざまな形で解雇阻止を闘った方々からの報告
2:50~ ディスカッションーこれからの闘いー
4:20~ まとめ

*会場の一角に託児コーナーを設けます。どうぞお子さん連れでお出で下さい。
*会員の方もそうでない方も多様な考えをお聞かせ下さい。

河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会

リンク:
http://kaikosasenaikai.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/index.html#entry-52104191


2008/05/24

5月24日(土)

 あきる野学園スポーツフェスティバルが行われたので、見学させてもらった。昨夜の予報では「1日雨」だったが、朝起きると太陽がうっすら顔を出していた。新聞の予報を見ると、「午後から雨」。ところが午後も降らずに、陽はささず、最高の「あきスポ」日和だった。

 みんな和気あいあいとした雰囲気の中、それぞれにがんばっている姿を見せていただいた。

ハンドサッカーというスポーツをはじめて知った。障碍の状態に配慮し、誰もが参加できるように上手くルールが決められていて、感心することしきり。それから、その試合で生徒たちが、みんなにボールが行くようお互いに気遣いながらプレイしていたことが印象的だった。温かい気持ちにさせてもらった。

10月を想像しながらの、自主研修でもあった。

5月22日(木)

 都庁第一庁舎前で情宣、チラシ配り。私と河原井さんのほかに14人が参加してくださった。

チラシの内容は、前回第二庁舎前で配ったものと同じ。片面が2、3月の都教委の対応について私たちが質問したことに対する都教委の当事者責任をまったく感じない「回答」についてであり、もう片面が職員会議での採決を禁じた通知(2006.4)の撤回を求めて立ち上がった現職の三鷹高校校長を報じた毎日新聞の紹介である。

昨日の朝日新聞夕刊も三鷹高校の校長の撤回要求をA4サイズで取り上げた。都教委が学校・教育を壊していることを広く情宣し、石原銀行の問題と絡めて、退陣に追い込みたい。都民のかなりがそう思っているはずだ。朝日新聞には校長のことばが次のように紹介されていた。「都教委は校長主導と言いながら、校長を自らのロボットにしている。民主主義を教える教育の世界で言論の自由がないのは許されない」。

チラシ配りの後、本人開示請求をするために都教委30階に行った。ところがどうだろう。30階は今日も、通路に職員が立ちはだかり、通常の受付の場所まで行けないようにしている。「教育委員会が開催されるから」というのを理由にしていたらしいが、私が訪ねる目的は「傍聴ではない」と言っても部屋の中には入れてくれない。目的を私に言わせてようやく文書係りの職員に話を通した。

都教委職員はあまりに頻繁にこうした対応をしてきたので、失礼な対応であることの意識が薄らいでしまってはいないか。

5月21日(水)

 南大沢学園等別支援学校へ。やや風は強いが、湿度の低いさわやかな青空、気持ちのよい1日だった。

今日は、越前谷さんにSさん、そして調布のNさんが初参加され、計4人で生徒たちを迎えた。今日の越前谷さんのプラカードのことばは、「先生を管理しない/これが教育の本質/学校の在り方」だった。教員だけでなく生徒も何人か、いつもプラカードを読んでいく。生徒も教員も多くが気持ちよく挨拶を交わしてくれる。「今日はお買い物に行くの」と教えてくれたり、「どんぐり(喫茶室)に来てください」と言う生徒、「中に入れないって、変だよね!」と気持ちを共有してくれる生徒もいる。

 校外授業で昨年担当した生徒たちが門から出てきた。「根津先生!」とCさんは叫ぶ。握手するDさん、からだをくっつけるEさん、Fさんは私の帽子をほしがる、などなど。2ヶ月前に重なるこの時間は瞬時と言えども、大切な時間。「行ってらっしゃーい」とみんなを送った。

 用事で来校され、門の外にいる私を怪訝そうに見て挨拶をされる保護者に、また停職にされたことと、おまけに異動もさせられたことを話すと、「それはひどいですね」。やっぱり、そう思われる人のほうがずっと多い。

私たちの方に顔を向けている副校長の姿が、職員室の窓越しに頻繁に見られたのはどうしたことか?

5月20日(火)

 激しい雨の降る中、あきる野学園に。何人もの教職員が私を気遣い、心配して声をかけてくれた。

車でお子さんを送ってこられる保護者の多くが挨拶をしてくださる。PTA広報に校長が私の紹介を寄稿してくれたからかな? それを読んでいらっしゃらなかったという保護者が、プラカードを見てどういうことかと、聞いてこられた。説明をすると、「それはひどい!応援しますよ、がんばってください」と言ってくださった。

 この雨の中を近藤さんは、いつもの時間に「同行出勤」して来た。近藤さん作成のプラカードを持参して。近藤さんが家を出たころは、雨だけでなく風も相当激しかっただろうに、何と律儀な人なのだろう!

 昨日立川二中の前に来られたNさんが今日はここに来られた。 

5月19日(月)

3週間ぶりの立川二中。

 登校時、今日も近寄ってくる生徒や、立ち止まってじっとプラカードを読む生徒が何人もいた。

一人の男子は「君が代?」と私に答えを求めた。「そうよ、君が代で立たなくて、停職6ヶ月、6ヶ月間学校に来るな、給料もやらない、って教育委員会から言われたの」と答えると、「えーっ!」。「ひどいでしょ?」に、「ひどい、ひどい!」。

 別の男子は、近寄って、じっと読んでいた。顔を見ると、なんだか見覚えのある顔だった。「お兄ちゃん、いる?」と聞くと、案の定。

 「ネットで見ました。がんばってください」と言う女子。数人で登校してきた女子が、「がんばってくださ-い」と言ってくれた。聞き覚えのある声だった。そうだ、前回も元気な声でそう言ってくれたっけ。

 他にも何人か立ち止まって読んでいく生徒もいて、地域の挨拶隊の女性は、それに感心されていた。

 今日は、明日台風が来るというほとんどどんよりした空模様であったが、下校時間帯だけは太陽が照りつけ、暑かった。一人の男子が、「暑いですよ。大丈夫ですか?お茶、飲みますか?」と、かばんから水筒を出しながら声をかけてくれた。「ありがとう、気遣ってくれて。私も水筒を持ってきているから、あなたの優しい気持ちだけいただくわ。お気持ち、うれしいわ。ありがとう」と答えた。「暑いから気をつけてください」と言い、ぴょこんと頭を下げて、彼は帰っていった。

 昼過ぎ、北多摩高校に進んだ二中の卒業生Aさん・Bさんが、定期試験中だからと、立ち寄ってくれた。明日の試験勉強があるだろうに、優しい心遣いがとってもうれしい。

 近くにお住まいのという方で、今日初めて出会った方が3人。お一人は日本在住のアメリカ人。かわいいお子さんを連れていらした。「今どき『君が代』を強制するとは時代錯誤もはなはだしい」とおっしゃる。

 72歳とおっしゃる男性は、お兄さんを特攻で亡くされ、戦争は絶対反対。でも、戦後、日本がおかしくなったのは、教育基本法のせい。人権、自由を言い、放任の教育をしてきたから子どもが悪くなった。だから、愛国心も必要なのか。気持ちが揺れるのだとおっしゃる。

「子どもが悪くなった、とマスコミは言うけれど、子どもの犯罪は、昔の方が多かったですよ」と言い、私の教育観を少しだけ聞いていただいた。私がプラカードに書いた「命令で人は育たない」を指して、「その通り!」と語気を強められた。

それで思い出したように、おっしゃった。ある学校を訪ねた時、校長室に「しゃべるな。それが命取り」と書いた紙が張ってあったのだという。「校長先生にその意味を聞くと、保護者にも会議でも意見を言うな。言ったら身が危ないと職員に言っているのだと言われた。今学校は、意見を言ってはいけないのかね?」と。

私は、「その校長がどういう意味で言われたかはわからないけれど、今の学校が意見を言ってはいけない。黙って、指示に従えっていうところに成り下がっているのは本当です」と答えた。彼は「意見を言わないところはダメだ。根津さんが言うように、命令で人は育たないよ」「応援しているよ」とおっしゃって帰っていかれた。

また、やはり70代はじめと思しき男性が話していかれた。プラカードをじっと見ていられるので、「これは私のことです」と告げると、「君が代で停職?今どき、あってはならんことだ」とおっしゃる。戦争の悲惨さがわかったら、「日の丸・君が代」など、持ち込むことにはならない。石原都知事は、戦争の悲惨さを知っている世代のはずが、ひどいものだ、としばらく話していかれた。「署名があればしたい」とも。

車から、あるいは自転車から挨拶をしてくださった方が、ここで知り合いになった方を含め、今日は4人。

Nさんとおっしゃる方が、訪ねてくださった。多摩市であった映画会に参加されて、そこで私のことを知られたとのこと。それからインターネットで見ていらして、南大沢学園養護学校の卒業式の朝、学校前の行動に参加してくださったのだとおっしゃった。私がキャッチできていない、いろんなところに、力を貸してくださっている方がいらっしゃる。

2008/05/22

自信がなくなってきた石原都政

渡部です。

この間、連載されていた「朝日新聞」の<掘る 「石原銀行」の危機>は5月17日の14回で終了しました。14回の記事には次のような記述がありました。

「金融庁は16日、新銀行への検査を始めた。ずさんさが指摘された経営が第三者の目にさらされる。目標である11年度での黒字転換は果たせるのか。その結果が分かる12年春、今期での引退を表明している石原知事は、知事の座にいない。」

つまり、追加融資400億円は、他でもない石原の延命資金だったとも言える。まさに都政の私物化ここに極まれりである。

昨日(5月21日)の「朝日」夕刊には、都教委の「挙手・採決禁止」通知に撤回要求を出した三鷹高校の土肥校長が写真入で載っていた。

土肥校長は、「都教委は校長主導といいながら校長を自らのロボットにしている。民主主義を教える教育の世界で言論の自由がないのは許されない」と語っている。

まさに「名ばかり管理職」であり、その実は、「ロボット」だったのである。

本日(5月22日)、「解雇させない会」の都庁ビラまきがあった。16人が参加した。警備の人たちは友好的だった。

第一庁舎の横でビラを撒いていたのだが、道路わきにオリンピック誘致の宣伝文句が書いてあった。それをみて、笑った。そこには、「オリンピックを東京に」ではなく、「オリンピックを日本に」と書いてあった。

そういえば、石原は03年の都知事選では「新銀行」を公約にして当選し、07年の都知事選では「オリンピック誘致」を公約にして当選した。しかし、その「新銀行」は現在泥沼状態である。こうなると、さすがに、「オリンピック誘致」も恥ずかしくて声高には言えなくなったようだ。

「オリンピックを日本に」というスローガンには、自信がなくなってきた石原都政の内面がよく表れていると思った。

それに対し、警備員の人たちの笑顔には、石原のトップダウンで押さえつけられてきた人たちの安堵のようなものを感じた。(心に石を抱きながら)

この間の様々な闘いが、石原・都教委を追い詰めてきたのである。

2008/05/18

5月15日(木)

 次は、3月に校長が私に出した業績評価である。

業績開示についての面接記録  3月19日(木) 14:10~ 鈴木副校長同席 
校長に業績評価の開示を求めようと話を切り出したら、「そのことでこちらから話がある」と呼び出された。本人から開示請求がなくとも校長が開示をしなければならない対象はD評価の時と定められている。もしや、と思ったら、案の定であった。

「本人開示通知書」を渡され、以下の1~4を読み上げられた。文書を見て読み上げているので、コピーを要求したが渡してもらえず、一言一句間違えのないように記録した。

 「本人開示通知書」には、「学習指導」が「D」、「生活指導・進路指導」が「C」、「学校運営」が「D」、「特別活動・その他」が「C」で「総合評価」は「D」と記されていた。末尾に校長と副校長の押印があった。

1. 業績評価がDの教職員は 開示と同時に面接をします。

根津先生は業績評価が総合でDです。Dの理由を言います。

評価項目「学習指導」にかかわる内容として、一つ目が週案の提出について繰り返し指導したにもかかわらず、提出しなかったことです。
二つ目が、学習活動中に、不適切なトレーナー・Tシャツを着用しました。再三の注意、及び指導をしたにもかかわらず従わなかったことです。さらに(3点目)、学習指導中に、不適切なトレーナーTシャツを着用しないように職務命令を受けたにもかかわらず、着用を続けたことです。

評価項目「学校運営」についてです。一番目、職員朝会で不規則発言をする、不適切なビラを配布するなど学校運営に支障を来たす行為をしたことです。
二番目、学校経営計画に沿った個人の具体的な目標を設定する自己申告書の提出を拒むとともに、具体的目標設定もしなかったことです。
三番目、目標達成状況を確認あるいは指導する機会である自己申告書に伴う校長面接に応じなかったことです。

2. 昇給が3号級(通常は4号級)になります。

3. 苦情相談制度についてです。

 苦情相談については、評価結果と開示面接の校長の対応について苦情相談ができます。申し出期間は、4/14~4/25です。相談したことの結果通知は7月の下旬です。苦情相談制度では、プライバシーに配慮します。苦情を出したことで不利益にはなりません。
申し出期間前に退職したら対象になりません。

聞き終わったところで、質問をした。
根津:普段の学習指導を見たことがありますか?
校長:本日はDの理由について説明をしました。
根津:週案や服装など、学習指導に属するものではないでしょう。学習指導の実際について、いつだったら説明して貰えますか?私の学習指導を見ているんですか?(そう私が言うと、「それを書いておいてください」と副校長に促す)。
根津:校長が見ているのに私が見ていないと認識したらまずいので聞いているのです。

 学習指導とは本来私がどう子どもにかかわっているか、なのではないですか。立川の校長も町田の校長も、学習指導について、例えば、「Aに限りなく近いB、若い人を指導してほしい」などと評価しました。同じ教員が、そんなに変わるはずはないでしょう。週案・トレーナーしか尾崎校長は言わない。なぜ学習指導について説明しないのですか?
校長はまったく答えなかった。

「学校運営」が「D」の理由に挙げた「職員朝会で不規則発言をする」も「不適切なビラを配布する」も言いがかりもいいところ。前者は、朝会の司会者に事前に発言を申し出、了解されていたところ、管理職が司会者にやめさせたものであり、後者は勤務時間外にしたことで、言われる筋合いのないものであった。

5月14日(水)

南大沢学園特別支援学校へ。寒く、かなり激しい雨。

越前谷さんの今日のプラカードのことばは、「『知事』でなく『私事』で都教委を支配する石原慎太郎こそ即刻『クビ』だ!」。大雨だと言うのに、Sさんも早朝からいらして、みんなで生徒や職員を迎えた。雨の音で声が聞こえにくい。あとは、笑顔で気持ちを伝え合った。

雨で生徒たちもほとんど出てこない中3人、車で来校する方に門扉の開閉をしてあげたり、おしゃべりをして過ごした。Nさんが台東区から、Sさんが海老名市(神奈川)からいらして、高等部の生徒が実習する喫茶室に行った。
ここで越前谷さんは、今春卒業し、パンを売りに来た高等部のBさんに再会した。渡部さんは越前谷さんを見るなり、走りよって、大喜び。越前谷さんの喜ぶ顔がとっても素敵だった。

 下校のバスを見送る時に、バスの中のCさんが私に気づき、赤系の表紙の冊子を見せようと窓越しに盛んに訴えてくれた。私は大きく頷き、両手で○のポーズをし、返事を返した。修学旅行のしおりなのかな?

 昼頃か、校長が二人の人に同行して校門を通過したので、「この間の質問に返事をください」と言ったが、校長は聞こえないかのように中に入っていった。質問とは、ここに立つな、と校長が主張する法的根拠は何か、である。これで3週続けて、「立つな」と言いに来なくはなったけれど、言った責任は取ってもらわなければ。公人としての発言なのだから。

5月13日(火)

あきる野学園に。登校・出勤の人たちに挨拶を交わし、私は都庁で撒いたチラシを、近藤さんは、ご自分の挨拶の手紙を職員に手渡した。今日も皆さん、気持ちよく挨拶をしてくれる。

 プラカードの前でじっと立ち止まっている生徒に「これは私のことです」と声をかけると、その生徒は、「不当って、どういうことですか」と聞く。私は「君が代」不起立で処分されていること、それは不当だと思うことを話したうえで、プラカードの書いた2つのことを尋ねた。プラカードには、「『君が代』の意味を知っていますか?なぜうたうのか、考えて歌っていますか?」と書いていた。彼は、「意味だけでなく、歌詞もよく知らない。歌詞も意味も習わなかった」「なぜ歌うのかも考えたことなかった」と言い、「みんなに話してみよう」と言っていた。
「よかったら名前を教えて」と言うと、「高○年A」さんと教えてくれた。
 今日は都合で10時に引き上げた。


 近藤さんの手紙は、次のとおり。

「日の丸・君が代」、東京の教育、
   そして生徒のこと ~考えてみませんか~
被処分者 近藤順一

あきる野学園の教職員の皆さま

4月の半ばから、こちらにお伺いしております。私は、この3月卒業式において「日の丸・君が代」不起立、不斉唱により2回目の処分(減給10分の1)を受けました。東京都教育委員会の2003年「10.23通達」以来、都立高校ばかりでなく市区町村の小中学校でも「日の丸・君が代」が強制され、延べ400人以上の処分が強行されました。
私は、自分の不起立・不斉唱を、一人の教員としての職務遂行であると考えています。なぜなら、教育は異なる考え、異なる表現が認められることを前提とするからです。ましてや夜間中学には多くの外国籍生徒も学んでいます。その多くはアジアの諸地域から来た者です。都教委、市教委の「日の丸・君が代」強制は多文化共生に逆行し、一律の形式からはずれる者を処分、排除しています。そして、今進められている学習指導要領の改定、教育振興基本計画の作成、教員免許更新制などによって、一層統制が進行することを危惧しています。
私は、自らの思想・良心の自由を保持し、教育の本来のあり方を取り戻すため、昨年の処分に対しても東京都人事委員会に不服審査請求を行い、今回も同様の措置を執るつもりです。都教委は、被処分者を「服務事故発生者」として「再発防止研修」を課すでしょう。これは事実上の「転向強要」です。

あきる野学園の管理職の皆さま

日ごろの皆さまの教育実践に感服しています。貴校の根津教諭は現在停職6ヶ月の処分を受け、復帰は10月になるでしょうが、それまでにも公式、非公式に話し合いの機会をもっていただけたらと思います。
都教委は、私たちを「校長の職務命令違反」で処分しました。このように学校に分断を持ち込むやり方に強く抗議します。それぞれ考えは異なっても粘り強く話し合い、不一致点は留保していく必要があります。
 私は、根津氏を支援するというよりも、一人の教員として、また、被処分者として、共に考え行動していくつもりです。共に考えていきましょう。

5月12日(月)

まずは先週末の補足から。9日に多摩中時代の教え子のTさんから突然のメールをもらった。「覚えていますか?」に始まり、「先生は世間などよりも自分の意思を一番に持ち人としてすごい憧れ、尊敬します」と書いてくれていた。

数えると今年20歳になる。多摩中で、私が攻撃され弾圧されるのを見聞きしてきた生徒の一人が、6年のちにこうして気持ちを伝えてくれる。筆舌に尽くしがたいほどきつかった多摩中での攻撃と弾圧に、屈せずにいてよかった!と、回想にふけり、喜びに浸った。成長した生徒に認めてもらえることほど、力を与えてくれるものはない。私には最高のプレゼント。教員だから体験できる幸せをかみしめた。

さて、今日は久しぶりの鶴川二中。今日もうれしいことがあった。登校する生徒たちの波が消えた時、門の影から、「根津先生、おめでとうございます」とぴょこんと男子生徒が飛び出てきた。続いて4~5人の生徒が出てきて、口々に「おめでとうございます」と言う。私が授業を担当した3年生たちだった。その一人は、少し前に私と挨拶を交わし、校舎に向かった生徒であった。

「まあ、ありがとうございます!あなたたち、私がクビにならなかったことを知っていたのね」と言うと、「ユーチューブ見ました」。そして、「先生、今の心境はどうですか」と。「クビにさせなかったことはすごいこと!たたかって、勝ち取りました。だから、とってもうれしいです」と答えると、歓声を上げてくれた。

私が立てかけたプラカードの文字を読み、「三鷹高校の校長先生がどうしたの?」と一人が聞くので、簡単に説明し、「都の教育委員会のやっていること、間違っていると、とうとう校長先生が発言したのよ」と話した。そこにまた別のグループが合流し、盛り上がった。

始業時刻が迫り、中に入っていくその3年生たちを見送りながら、幸せに浸った。ドキュメントの動画の威力はすごい。
生徒たちが校門の裏側から出てくる前のしばらくの間、門の裏側かなり近くに生徒たちの声が聞こえてはいた。でも、まさか、こういう展開になるとは!言い出しっぺがいて、相談した結果の行動だったのだろう。大人には真似のできない柔軟さだ。

今日はプラカードの下半分を三鷹高校の校長の発言を紹介したのだが、この生徒たちの他にも質問してきた生徒がいた。
また、今朝は、「何で停職になったのですか」「停職って何ですか」と聞いてきた1年生が複数いたり、立ち止まってじっくり文字を読んでいく生徒が何人もいた。質問をするという行為を実行に移すのに、先に観察期間が必要だったのだろう。

昼間の間、虹のたねの皆さんと交流し、下校時再び、校門前に立った。帰りにはいつもの3年生男子が6~7人でやってきて、しばらく遊んでいった。「君が代についてはよくわかんないけれど、大勢に嫌がられても、自分を貫き通すのはできることじゃない。何でそこまでできるのか、それを知りたい」と言う。一人は、何度もそれを繰り返す。
「何でそこまでするのかって?―私を観察したり、『君が代』について調べ、考えていったらいいと思うよ。急ぐことはないよ」と言い、「私は間違っていると思えば、やらない。正しいと思えば、一人でも行動する。みんながやるからやる、ということはしないの」と答えると、別の一人が「先生、KYって知っている?空気読めないの?」。私は、「読めないではなくて、私は読まないの」と答えた。生徒たちは「根津先生、屈するな!根津先生、屈するな!」とシュプレヒコールのように小さくこぶしをあげて叫び、帰り、あるいは部活動に行った。

2006年、私がここに異動させられた停職中から、根津は「ルールを守らない教員」「教員を辞めろ」と地域に徹底して宣伝がされ、バッシングが行われ、生徒たちはその動きに乗せられた。私はめげそうになる気持ちを整理して生徒からのバッシングと対峙し、前に進もうとしてきた。それから中1年が経ち、この春には私たち「君が代」被処分者の声を届ける報道やインターネットでの動画配信があり、中学生にも正確な情報を得る機会ができた。そういう中で、こうした生徒たちが出現した。生徒たちに柔らかい頭で考えていってもらえるなら、私への弾圧も意味があったというものだ。

帰るまでのしばらくの間、感慨にふけりながら、学校周りの道でトレーニングする生徒たちを眺めて過ごした。一人の3年生は、「先生、制服のボタン、自分でつけています」と報告してくれた。1年生の授業でやったことを活かしてくれているんだ。

2008/05/17

6.15のつどい

「君が代」解雇は止めた!みんなで話そう これからを 6.15のつどい のお知らせです。

F200800806151

【クリックすると拡大します】


6.15のつどい

「f20080615.pdf」をダウンロード

2008/05/16

6.20埼玉集会のお知らせ

『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会・埼玉』は、6月20日(金)に「解雇は阻止した!根津公子さんの闘い 6.20集会」を開催します。そのビラが投稿されましたので、ご紹介します。

6.20集会

「f20080620.pdf」をダウンロード

2008/05/15

改悪教育基本法先取りの行き詰まり

渡部です。

東京都は改悪教育基本法の先取りを推進していました。その中には「副校長」とか「主幹」などの管理職の設置もありました。しかし、それはすでに行き詰まっているようです。

5月7日に都教育庁総務部<教育情報課>が発行した『教育庁報』(No.539)に、そのことがよく述べられています。

4月10日に区市町村教育委員を対象に都庁大会議室で開かれた「教育施策連絡会」で、中村教育庁は次のようなことを述べました。

「教育管理職については、管理職選考の受験者が減少し、副校長の欠員が生じかねない状況です。『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』を設置し、管理職選考のB選考の受験年齢の引き下げやA選考における推薦制導入など、あらゆる対策を検討し、実施することにしています。7月を目途とする最終報告に向け、さらに検討を続けていきます。」

そして、『教育庁報』には、4月に出された『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』の第二次報告概要が紹介されています。その中の<職務をめぐる現状の問題点>の冒頭には次のような記述があります。

「Ⅰ 副校長・主幹の職務
  1、副校長職の魅力と現状
    ○職務内容の不明確さ、多忙さによる職の魅力の減退
    ○現行の職務権限を適切に行使できない現状
  2、主幹の職責遂行の現状
    ○主幹への業務偏重
    ○分掌の教員に仕事を割り振れない現状 」

(以下は興味のある方のために、下の方に紹介しておきます)

「名ばかり店長」という言葉がありますが、副校長・主幹もそれに近いようです。すでに東京で行き詰まっているこのような制度がこれから全国化して行くわけです。

誰がまともにこのような制度と付き合い、旗振りをするでしょうか。誰が進んで「名ばかり店長」もどきになりたがるでしょうか。それでも無理をして強行すれば、ひずみが出てくることは明らかです。

この先取りを進めたのは他でもない石原都知事ですが、「朝日新聞」の連載<掘る 「石原銀行」の危機>は本日(5月15日)で12回を数えました。

いかに「石原銀行」が泥沼に落ち込んでいるかがよく分かります。しかも、もがけばもがくほど彼は泥沼に落ち込んでいきます。もはや石原の威光は消えました。落日の石原と言っても過言ではないでしょう。

改悪教育基本法を強行成立させた安倍前首相は無責任にも政権を放り出し、改悪教育基本法の先取りをトップダウンでやってきた石原都知事もこの体たらくです。

行き詰まりが明らかな改悪教育基本法と改悪教育三法を全国の仲間の連帯で、廃案に追い込んで行きましょう!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(『教育管理職の任用・育成のあり方検討委員会』の第二次報告概要の続きです)

Ⅱ 副校長・主幹の職務実態
 1、副校長・主幹の勤務状況
  (1)残業の常態化、週休日等の出勤
   ○調査・報告事務、会議・打合わせ
   ○地域行事への対応(週休日)
   ○授業の準備(小)、部活動指導(中高)
  (2)職務に対する多忙化と負担
   ○大部分の副校長・主幹が多忙化感
   ○最も負担に感じているのは「仕事量」
 2、校務偏重の要因
  (1)副校長・主幹に集中する校務
   ○各分掌に分担できない業務
   ○ICT化の遅れによる非効率な事務処理
   ○授業の代替(特に小学校副校長)
   ○困難な講師の確保、事務手続きの煩雑さ
   ○主幹:授業時間の多さ(小)、会議の多さ(高)
  (2)保護者や地域とのかかわり
   ○地域との連携にかかわる事務
   ○週休日等の対応
   ○学校で対応できない理不尽な要望等
  (3)校務分掌組織の問題
   ○教員の校務に対する認識不足
   ○主幹の職務に対する教員の理解不足
   ○委員会の乱立、不効率な業務分担
   ○分掌業務の細分化による組織の硬直化

Ⅲ 副校長・主幹育成の現状
 1、校内における育成の状況
   ○OJT体制の未整備
   ○一部校長・副校長の育成に対する認識不足
 2、副校長昇任時の育成
   ○特に実務面で大きな負担

(以下、「職務に関する課題と課題解決の具体的方策」がありますが、項目だけ列挙しておきます)

Ⅰ 副校長・主幹教諭の職務や権限の見直し

Ⅱ 校務の縮減と効率化

Ⅲ 学校組織や運営体制の見直し

Ⅳ 学校を支える仕組みの構築(PTAは入っていない)

2008/05/14

私は、なぜ、あきる野に行くのか

 私は、なぜ、あきる野に行くのか。それは、そこが、不当処分の執行現場だから。今は、まだ、都教委の諸君も、官憲も、裁判官も、いません。ただ、緑滴る若葉とアヤメがあるばかり。そして、校長も副校長も、多くの教職員も、親しく語りかける。校門も開けられている。
 だが、彼我の一線が厳然としてあることを、片時も忘れない。見るべきものは見るべし。

 以下の文書を校門で渡しました。

--------------------------------------------------------

 「日の丸・君が代」、東京の教育、そして生徒のこと
   ~考えてみませんか~

                         被処分者 近藤順一

 あきる野学園の教職員の皆さま

 4月の半ばから、こちらにお伺いしております。私は、この3月卒業式において「日の丸・君が代」不起立、不斉唱により2回目の処分(減給10分の1)を受けました。東京都教育委員会の2003年「10.23通達」以来、都立高校ばかりでなく市区町村の小中学校でも「日の丸・君が代」が強制され、延べ400人以上の処分が強行されました。
 私は、自分の不起立・不斉唱を、一人の教員としての職務遂行であると考えています。なぜなら、教育は異なる考え、異なる表現が認められることを前提とするからです。ましてや夜間中学には多くの外国籍生徒も学んでいます。その多くはアジアの諸地域から来た者です。都教委、市教委の「日の丸・君が代」強制は多文化共生に逆行し、一律の形式からはずれる者を処分、排除しています。そして、今進められている学習指導要領の改定、教育振興基本計画の作成、教員免許更新制などによって、一層統制が進行することを危惧しています。  
 私は、自らの思想・良心の自由を保持し、教育の本来のあり方を取り戻すため、昨年の処分に対しても東京都人事委員会に不服審査請求を行い、今回も同様の措置を執るつもりです。都教委は、被処分者を「服務事故発生者」として「再発防止研修」を課すでしょう。これは事実上の「転向強要」です。

  あきる野学園の管理職の皆さま

 日ごろの皆さまの教育実践に感服しています。貴校の根津教諭は現在停職6ヶ月の処分を受け、復帰は10月になるでしょうが、それまでにも公式、非公式に話し合いの機会をもっていただけたらと思います。都教委は、私たちを「校長の職務命令違反」で処分しました。このように学校に分断を持ち込むやり方に強く抗議します。それぞれ考えは異なっても粘り強く話し合い、不一致点は留保していく必要があります。
 私は、根津氏を支援するというよりも、一人の教員として、また、被処分者として、共に考え行動していくつもりです。共に考えていきましょう。

2008/05/13

カリフォルニア教員連盟(CFT)大会決議

カリフォルニア教員連盟(CFT) http://cft.org/home_news/cftconv08.html の大会が、4月11日~13日に開催されました。
大会では1号から33号までの議案 http://cft.org/home_news/conv08adoptedres.pdf が審議され、UTLA・AFTローカル1021によって提出された第24号議案「Support Sister Nezu and other Japanese teachers」が可決されました。


2008年CTF大会決議No.24

根津さんなど日本の教師への支援決議

<社会政治部会に、UTLA・AFT Local 1021が提出>

日本の教育組合員たちは、良心のため立ち上がり、そして厳しい攻撃にさらされている。天皇へのへつらいを表現した軍国主義的な国歌の斉唱を拒否する闘いを組織したために、賃金カット、見せしめ停職処分、更にはクビにもされる、という極めて深刻な脅迫を受けているがゆえに、そして;

日本のような現代の民主主義国家で、そのような事は少し奇妙に聞こえるかも知れない。しかしながら事実、日本国憲法第19条で保障されているはずの良心の自由は奪われており、教員が強制を拒否し、当局の報復も恐れずにランク・アンド・ファイルの組合員の闘いを組織しようとすると処分され、学問の自由も奪われているがゆえに、そして;

これは単に、激化する軍国主義化の問題、あるいは時代遅れの天皇制への忠誠を強制するという問題に止まらず、団結権や労働基本権の問題でもある。そして、2008年3月中旬から下旬にかけて処分が強行されようとしているがゆえに、そして;

保守的な教育委員会、政治家どもと教師たちの間で決着をつけるべく活発な努力が行われているが、それは軽視され、無視され、今や「教師としてふさわしくない行為」をでっち上げられて教師たちが攻撃されているがゆえに、そして;

これらの教師たちは日本のみならず外国からの支援(ILWU 10、ILWU 34、AMFA 33、韓国の全教など)を受けている。UTLA(ロスアンジェルス教員組合)も2007年12月に決議を行い、日教組に支援の書簡を送付したがゆえに、そして;
(詳細は、http://www.militaryfreeschools.org/Intl.htmを参照)

日本国憲法第9条は戦争放棄を、そして、第19条は思想と良心の自由を保証している。
この2年間に極右グループは憲法の破棄を誓い、天皇崇拝の軍国主義国歌である「君が代」斉唱を学校現場に押し付けてきた。日教組の教師たちはこの戦争への煽動に抵抗し、停職処分を受け、今や根津さんや他の教師たちをクビにしようとする動きがある。抵抗している教師たちには「教え子を再び戦場に送るな」という共通の誓いがあり、このスローガンは日教組のスローガンでもあるがゆえに、そして;

我々自身の憲法修正第1条のように、日本国憲法第19条は、思想と良心の自由を保証している。根津さんや良心を表明する他の教師たちへの極右の攻撃は、教師に特定の独善的教義を教えるよう強制するという国家のあり方を示す国際的一例でもある。学問の自由と知的自由は、自由な思想の核心をなしており、いつ如何なる時に攻撃されても守られなければならない。カリフォルニア教員連盟(CFT)からの支持書簡は、ランク・アンド・ファイルの活動家の闘いを支えるよう、日教組を激励することになるだろう。またこの支持書簡は、学問の自由を守り教師たちの組織化を推し進める、これら教師たちへの支援運動も活性化させることになるがゆえに、

 以下決議する。CFTは、戦争放棄の日本国憲法の第9条を堅持し、「日の丸・君が代」の起立・斉唱への参加を拒否する日本の教育労働者を支持する、そして;

 最後に以下を決議する。CFTは、日本の右派政治家が唱導する日本の再軍国主義化に反対し、処分を受けた根津公子さんなど388人の教師たちを支持するために、日教組に支持書簡を送付する。

2008/05/12

法廷カレンダー

法廷カレンダーを、2008年5月~6月に更新しました。

法廷カレンダー
http://kaikosasenaikai.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/index.html#entry-20142262

2008/05/11

5月8日(木)

 8時から都庁前でチラシ撒き。私と河原井さんのほかに15人が参加してくださった。

 今日のチラシは、片面が4月8日に提出した質問書への都教委の回答ならぬ「回答」を、もう片面は、三鷹高校の土肥校長が都教委に「職員会議での裁決禁止」の通知撤回を求めたことを報じた毎日新聞記事を載せた。

 土肥校長は記事の中で、「教職員が『何を言っても意味がない」と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」「教育現場で言論の自由が失われている」と言う。校長も教職員も誰もが感じてきたことである。

 やっと、本当のことを言う校長が現れた。良心を持ち続け、立ち上がった校長がいらしたのだ!とっても心強い。土肥校長の行動に触発され、自己の良心を呼び覚ます校長がもっと出てきてほしい。まだ、いらっしゃるでしょう?そういう校長たちと私たち一緒になって、子どもたちの教育を取り戻したい。今が実現の時。そう思いながら、教育庁や都庁で働く職員の方々にマイクで訴えた。


5月7日(水)

 南大沢学園特別支援学校に。

 今朝も越前谷さん、学校近くにお住まいのSさんが来てくださった。今日の越前谷さんのプラカードのことばは、「10・23通達の / 撤回なくして / 真の教育の場は/ あり得ない」。日替わりの越前谷さんのプラカードのことばに、何人もの教員が、「今日は?」と期待を寄せている。今朝も私が到着する前に、そう声をかけてきた人がいたそうだ。
 私のプラカードは、「わたしは、どんなにおどされても、まちがっていると思うことには、したがいません」。

 「迷惑なので、お帰りください。本校の教育活動には関わらないでください」と、校長が小中学部の副校長を伴い告げに来るのは、今朝はいつ?と待っていたのに、とうとう来なかった。
先週は、校門前に10人近くいたので来なかったのかと思っていたけれど、今日も来なかったのを見ると、理由は別にあったのか?「迷惑」が解決したのか?あきらめたのか? 一方的に言うだけ言うと帰ってしまい、私の質問(=私に指示する法的根拠は?)には答えない校長に、今度は言いに来なくなった理由を聞きたい。そうしてくれないと、校長の行為が一貫性のないものに私には思えてしまうのだけれど・・・。

 「ご苦労様です」「お疲れ様です」「熱いから気をつけて」等々、声をかけてくれる元同僚たち、そして元気な声で挨拶をしてくれたり、おしゃべりをしていく、あるいは、駆け寄ってきて全身で受け入れてくれる生徒たちからたっぷり優しさと元気をもらう。3月最後の授業から1ヵ月半が過ぎたのに、生徒たちは私のことを忘れないでいてくれる。今朝も一人の生徒は、「先生、ちゃんと仕事しているのに、(教育委員会は)ひどいよね」と、一緒に怒ってくれた。

 午後遅くなって、来客。カナダに移住された日本人で、「9条世界会議」参加のために帰国されたKさん。短い時間だったけれど、ちょうど下校時だったので、校門前の雰囲気は感じ取ってもらえたと思う。

日差しの強い1日だった。


2008/05/08

5.8都庁情宣

5.8都庁情宣のちらしです。

5.8都庁情宣
「f20080508.pdf」をダウンロード

2008/05/05

4月30日(水)

南大沢学園へ。

 4月の最終日、ということは、あの3月31日から1月が経ったのだ。なんだか、やっぱり感慨深い。あの日は、真冬に逆戻りしたような寒さとおまけに雨だった。1ヵ月後の今日は、日差しが強く、汗ばむほどの陽気。こんな風にひと月を感じることって、滅多にないだろう。

 越前谷さんは、今日も私よりも早くにいらしていた。登校する生徒たちを挨拶で迎えているところに、土井さんが学生さん4人といらした。Sさん、Tさんもいらして、総勢9人となった。

 登校時や校外学習の行き来に子どもたちとことばや表情で挨拶を交わすのが、私にはとってもうれしい時間だ。

 時間になっても今朝は、校長が副校長同伴で「ここに立つのは迷惑です。生徒に関わらないでください」と言いに来なかった。今日は大勢だから来ないのか。それとも、もう言わないことにしたのか?う、うん??

 今日特筆すべき、おぞましいこと。
 校門前にいた私は、生徒の安全にかかわることで元同僚から伝言を頼まれた。近くに職員がいないのだから、私に頼んだのだ。私はその伝言を引き受け、伝言先の体育館に向かおうと校舎に入った。

 しかし、その途中で、職員室から出てきた副校長は、いきなり、「出て行きなさい。出て行きなさい。出て行け!」と怒鳴る。まるで、私を犯罪者扱い。「頼まれたことがあってきました」と言っても、かき消すほどの声で「出て行きなさい」を繰り返す。「生徒のことで伝言を頼まれたんですよ」と言っても、前に立ちはだかる。しかし、やっと理由がわかったよう。相変わらずの命令口調で、「ここで言いなさい」と強要する。何の権限があって私を怒鳴るのだ。この人に告げたら、私に伝言を頼んだ人がいじめられるだろうから、言いたくなかった。けれども副校長は、怒鳴り続ける。生徒に関わることなので、伝言を優先するしかなく、この副校長に伝言内容を告げた。
 告げ終わるとまた、「出て行きなさい。出て行きなさい」と連呼した。「ありがとうございます、でしょう。そうは言えないのですか」と言っても、「出て行きなさい」。情けないこと、極まりない。無性に腹は立ったが、怒る気にもならない。

 人間性のひとかけらもない、私への対応。この副校長が私に敵意をむき出しにするのは、都教委に報告を求められるからなのか。それとも、都教委にもの申す根津を、徹底して弾圧する対象と思い込んでいるからなのか。

 副校長が怒鳴っている時に、1ヶ月前まで私と関わった生徒が通りかかり、私の手を握ってきたのだけれど、それでも副校長は、怒鳴ることをやめなかった。今回に限ったことではないが。

 このような管理職の対応を都教委はよしとするのだろうか?聞かせてほしい。
 皆で公園の喫茶室に行き、お茶を楽しみ、交流した。

4月28日(月)

立川二中へ。

 登校時、女子のグループが「根津さーん、がんばって下さーい」と飛び切り元気な声をかけてくれた。
 「2年生かな?」――「はい、そうです」  「去年も私がこうしていたのを、覚えているのね?」――「はい、覚えていまーす」
 昨年先輩から説明を受けたのだろうか?元気に門の中に入っていった。

 北多摩高校に進んだ卒業生たちと挨拶を交わす。みんないつも、あったかい気持ちをプレゼントしてくれる。出勤途上の伏見さんが立ち寄ってくれた。

 今朝も80歳のOさんが自転車を止めて話して行かれた。そこに、通りかかった60歳代の女性が歩を止められた。二中にお孫さんが通っているとおっしゃる。プラカードを指して説明をすると、「お金もったいないじゃないの」と。でも続けて、「勇気あって偉いね。雨の日もあるから身体壊さないでね」とおっしゃって、仕事に向かわれた。

 登校・出勤が済み、座って仕事をしていると、軽くクラクションが鳴った。きっと、と思って音のする方に目をやると、やはりそうだった。市議さんが笑顔で手を振ってくださった。半年振りの出会いだ。
 Yさんが訪ねてくださった。今日はこの後裁判の打ち合わせのため、11時半で終了した。

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