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2008/06/29

6月25日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。越前谷さんの今日のプラカードのことばは、「石原都教委の『日の丸・君が代』/強制は世界の嘲笑の的」。

登校、出勤の波が過ぎた頃、いつものようにAさんの登校してくる姿が見えたので、私の方から駆け寄って迎えに出た。彼はとっても喜んでくれ、喜びをいっぱいに表現してくれる。私は幸せに包まれる。

 今日中学部は鑓水中との交流会で朝から忙しいようで、歩行はないところが多く、したがって、校門前を行き交う生徒たちは少なかった。鑓水中の2年生が元気な声で『こんにちは』と挨拶し、校舎に入っていった。その後にニコニコ顔の人がやってきた。何と、多摩中時代の同僚だった。石原都教委でなければ、私もこうして交流会を引率する八王子の教員だったかもしれない。ふっと、思った。

 午後は、06年「不起立」裁判で、今回は証人尋問の1回目。河原井さんの調布養護学校校長と半澤都教委指導部主任指導主事(ともに当時)。

校長は、10・23通達後「日の丸」を正面に、「君が代」をCDからピアノ伴奏にした、職務命令も明確にしようと思ったと言い、通達以外のやり方はできるとは「思わなかった」と言った。都教委の指導部長を「上司」だとも言った。命令でやらされたことを言外に認めるとも取れる証言のように私には聞こえた。

また、1996年まで校長が勤務した七生養護学校での「君が代」を聞かれて彼は、「ほぼ全員起立していた」と証言したが、その頃は起立どころか、「君が代」それ自体が実施されていなかったのではなかったか?

 半澤氏は、10・23通達以降も各校の独自の工夫も可能だったと言い、その事例を「電動車いすとか、手を引いてとか、校長が下に降りて行ってとか」と挙げた。「工夫」ということばにこのような意味はないはずなのだが。

 傍聴席は満席。みなさん、ありがとうございました。


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