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2008/11/18

戦争責任と抵抗

佐々木です。

11月15日「あきらめないー続・君が代不起立」上映会(東京・八王子)で、歴史研究者の山田昭次さんが「戦争責任と抵抗ー歴史から学ぶもの」というテーマで講演を行いました。戦前の天皇制国家の抑圧体制のなかで、国家のお仕着せの強要に抵抗をした三人の人物についてのお話は、あらたな国家主義の台頭に直面するわたしたちに大きな示唆を与えてくれました。山田さんの講演の要旨を当日のレジュメに即してご紹介します。

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民衆の戦争責任とは、戦争に傾斜して行く政治的・思想的抑圧体制に抵抗することだ。
わたしは1945年6月本土決戦が決まったとき、まだ少年だった。「僕の命はこれで終わりだ」と思った。皇民化教育で洗脳されていたので捕虜になるなど想像もできなかった。また同じような子どもが作られたらたまらないというのがわたしの原点である。

1950年、戦後初めて日の丸掲揚、「君が代」斉唱の通達をだした文部大臣天野貞祐はその狙いを次のように述べた。「私がこういうことを唱えたのは別段大学生とかそういう人たち、あるいは知識階級を目当てじゃないのです。小学生なのです。・・・何も理屈じゃなくて、感覚的にそういう気持ち(国のために自分が働く)を持たせたいので・・・」。天野の狙いは小学生のうちに「日の丸・君が代」によって感覚的にいわゆる愛国心を植えつけるということだ。そして天野の念頭には、戦前の小学校の儀式の記憶があったのだろう。

作家の秋田雨雀(1883-1962)は、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件直後にドラマ「骸骨の舞跳」を書いている。大震災時朝鮮人を虐殺したのは軍隊・警察だけではなく、民衆も自警団として虐殺に加担した。秋田は劇中、一日本人青年に甲冑や陣羽織を身にまとった自警団員にむかって言わせている。「諸君は諸君自身の着物が要る筈だ/その甲冑を脱いで見たまえ・・・諸君は命のない操り人形だ・・・骸骨だ」と。かれは、日本の民衆が国家のお仕着せの思想から脱して民衆にふさわしい思想を持てと、訴えたのである。

戦前、立教大学の英文学者富田彬(1897-1971)は、多くの教員が戦争協力をする中、文学の自立性を堅持し、戦争への迎合を拒否した。彼はある青年への手紙で「私は私の職業圏内で今どのような嵐が吹いているか知らない。私は私自身をいき、与えられた私の職域で働いているだけである」。また「文学報告」については「文学は、直接何かの役に起とうとする時、堕落し始める。(中略)文学報告とは筆で食う商売を時局向きに生かすことではない。文学に生き文学に死することによって、結果的に日本を世界に顕揚することである。」と書いている。

関東大震災直後、大逆罪で捕らわれた金子文子は獄中で七回も転向を迫られたが、天皇制へ屈服することはなかった。家父長制の下で性的差別に抵抗して築いた自己の思想だからこそ放棄できなかったからである。

いま、日の丸・「君が代」強制に反対する教員たちは、自分の体験と思索にもとずき、ひとりひとり個性的な思想を堅持して国家のお仕着せに抵抗している。考えを異にしても連帯して闘っている。借り物でない自分の思想で闘っていることはすばらしいことだ。この新しい連帯運動は、日本の未来を開く可能性をもっている。

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