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2009年4月

2009/04/27

4月24日(金)

 あきる野学園に。近藤順一さんが来てくれた。Bさんは、「先生、今日も?」。「そうよ。ここまでしなくたって、って思っている?」と聞くと、「うん」。「だろうよね。こんな人もいるのよ。さ、行ってらっしゃい」と見送った。

Cさんは今朝も、「がんばってください」と笑顔で声をかけてくれた。同僚たちには、昨日都庁で配ったチラシを手渡した。出勤、登校が終わり、近藤さんが今度は本当の出勤をすると、じっとしているものだから冬のジャンパーを着てもまだ寒かった。



4月23日(木)

 朝は都庁前での情宣・チラシまき。14人で撒いたが、3月のような受け取りではない。いつもここを通られる人たちだから、私たちの存在はご存じの方たち。受け取りがよくないのは、チラシを手渡し、マイクを持つ私たちに3月のような切迫感がないからで、それが受け手に伝わるのだろうか。来てくださった方、ありがとう。



4月22日(水)

 南大沢学園特別支援学校に。

7時半少し過ぎ、校長が出勤してきて私の前を通り過ぎた。初日の7日には「迷惑です」とわざわざ外に出てきて言ったのに、今朝は何も言わず、私には目を合わさず。今日は迷惑ではないのだろうか?本気で仕事に当たってもらいたいものだ。窓越しに副校長がこちらを見ているのに、2度気づいた。

両人とも、監視することよりも、「君が代」起立斉唱の教育的意義について説得してほしい。南大沢に在職中、一度たりともしてもらったことはない。今でいいからしてほしいものだ。この二人に限らずこれまで、生徒に対しても教員に対しても、自分のことばで「日の丸・君が代」の教育的意義を説明した管理職は一人もいなかったが。

 登校、そして校外授業で行き来する生徒たちと挨拶を交わしているときは、心が和む。登校時に、Dさんは、遠くから私に気づき、笑顔をいっぱいにしてやってきた。今日も夏を思わせる陽気、体が熱を持ってしまい、まるで、運動会の練習期間のよう。午後は07,08年の裁判。汗をかきながら、陳述に臨んだ。



4月21日(火)

 あきる野学園に。肌寒く、雨がぱらつく。校門前に到着すると、修学旅行に出発する高等部3年生がバスに乗り込んでいた。その出発を見送り、そして、みんなの登校・出勤を出迎えた。Aさんは、今日も遠くから手をあげ、笑顔を送りながら登校してきた。

 今日も早くに引き上げたのだが、引き上げる私に、Bさんは、「根津先生、帰っちゃうの?」。Cさんは、「がんばってください」と言ってくれた。昨年も校門前で励ましてくれた生徒だ。



4月20日(月)

 2004年2月に都教委から分限免職にされた疋田哲也さんの「ジョニーカムバック決起集会」に参加した。

疋田さんについて保護者として、生徒として語られるお二人の話を聞き、彼がユニークな授業や本心での生徒との係わりで彼らの心をつかんだことがわかる。理科の教材教具が段ボール箱100箱、何と熱心な先生、と思うのが普通だ。しかし、これを学校に置いたことが、「私物」を学校に保管したとして、分限事由の一つとされた。彼を永久に学校から排除するために分限免職を使ったのだ。

体罰も分限事由の一つにされているが、体罰で処分を受けない人は多数いるし、体罰をして処分されても管理職になっている人はいくらもいる。体罰はあってはならないこと、しかし、疋田さんを分限免職するためにそれを使うとなれば、話は違う。

疋田さんへの攻撃を聞いていて私は、私が多摩中に転任した年の2001年2月から13ヶ月間受けた攻撃と、何と似ていることか、と思った。石原都政になっての数年、小・中学校のもの言う教員へのピンポイント攻撃・弾圧は、今行われている「君が代」処分よりも陰湿さにおいて厳しいものがあった。

疋田さん、そして増田さんの分限免職撤回のたたかいと交流していきたい。



4月19日(日)

夕方立川駅でチラシまき。昨年12月から毎週立川駅で情宣をしてきたので、遅まきながら、処分の報告とお礼を兼ねてのもの。初夏の陽気だったせいか、すごい人混み。北口ではマイクを通した声も人の群れに吸い取られそうなので、やや混雑の少ない南口で開始。私を含め5人だけだったのに、250枚のチラシは40分ほどでなくなった。今日も2人の立川二中卒業生が声をかけてくれた。

その後は、数か月分のご苦労さん会、8人で美味しく飲んだ。



2009/04/23

4.23都庁情宣

4.23都庁情宣のちらしです。

 

 

 

4
.23都庁情宣

「f20090423.pdf」をダウンロード



2009年春の闘い(30)

渡部です。

本日(4月22日)、東京地裁で、養護学校関係と河原井・根津さん関係の合同の「君が代」裁判の公判がありました。

去る3月26日にヒドイ判決が出ましたが、これはそれとはまた別の訴訟です。(彼女たちはいくつもの「君が代」訴訟を抱えています)
裁判長は「3・26判決」の中西裁判長ではなく、青野裁判長になりました。

本日の公判では、弁護士の意見陳述と(1)養護学校のMiさん、(2)Maさん(弁護士が代読)、(3)河原井さん、(4)根津さんの意見陳述が行われました。

いずれも素晴らしい内容でしたが、ここではとくに、(2)と(3)の意見陳述を紹介します。

<(2)Maさんの意見陳述から>
2003年の「10・23通達」の翌年3月、私は新小1の担任に指名されました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入学式が始まりました。体育館へ入ることを嫌がる子。
入場したものの席に着くや泣き出す子。
そしてその場から離れようとする子。
間髪を入れずに司会の号令。「起立。国歌斉唱」。
さして暑くもないのに、汗だくで他暴れるわが子を抱きかかえる保護者。
そんな保護者と子どもの姿を目の当たりにした時、私は足元から力が抜けてしまいました。
「ここはもう学校じゃない。こんなことまでして入学式をする意味があるのか。」
私は椅子に座っていました。
私はこの行為により戒告処分を受けました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの「10・23通達」から6年半になります。
私はこのようなやり方が続くことに恐怖を覚えます。
「日の丸」旗と都旗だけがあって誰もいないステージに向かって「一同、礼」をすることや、起立をしない教職員を探し出すための教職員の座席表提出、果ては処分を前提とした職務命令が出る、そうしたことが当たり前であると錯覚するような事態が定着しつつあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憲法を踏みにじり、学校を血の通わない場所にしようとしている東京都教育委員会こそが裁かれるべきだと私は考えます。

<(3)河原井さんの意見陳述から>
「知的障がい」の子どもたちが生活する施設の指導員として3年、教員生活は35年目に入りました。来年・・・定年退職を迎える身です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009年3月12日、「性教育・こころとからだの学習」の東京地裁・矢尾判決は、「性教育・こころとからだの学習」の再開、人権回復の道を拓きました。
判決文の中で「創意工夫を重ねながら教育実践が蓄積されて、教授法が発展していく・・・」と述べています。
「教育の根源的営み」「教育とは何か」「学校とは何か」を明示しています。
まさに判決文その通りと確信します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「10・23通達」の強行後は、入学式、周年行事、卒業式が一変しました。
創意工夫も実践の蓄積も教授法の発展も消えうせてしまいました。
子どもたちや青年たちの存在より、「日の丸・君が代」が大事に大事にされる
教育内容に変貌してしまいました。
人権より「旗」「歌」の方が尊重されるのです。
学校はまるで戦場のようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009年3月26日の東京地裁・中西判決は惨々たるものでした。
ひとりひとりの人権を大切にしていたら社会は成り立たないと述べ、「教育の根源的な営み」については完全無視でした。
「この世は無法国家だ」「この世に裁判所なし」という想いでいっぱいでした。

***************

「10・23通達」により、いかに異常なことが東京都の学校現場で進行しているかがお分かりになったと思います。
なお、河原井さんは、以下の集会でも発言されるようです。

******************************************

『愛国心のおしつけ、「日の丸・君が代」強制、教育の格差、NO! 今こそ声をあげよう!教育を子どもたちのために4・25集会』

<日 時> 2009年4月25日(土) 13:30開場、14:00開会
<場 所> 九段会館(地下鉄東西線・半蔵門線・新宿線の 
 九段下駅A4出口徒歩1分)
 電話03-3261-5521
<内 容> ・オープニング(和太鼓)
      ・学校現場からの発言
      ・特別講演(「教育と自由」・益川敏英さん)
      ・パネルデスカッション
 (コーデネーター・小森陽一さん)
 (パネリスト・木附千晶さん、藤田英典さん、木田由紀さん)
<資料代>800円(高校生以下は無料)  
<主 催>「教育を子どもたちのために4・25実行委員会」
<呼びかけ団体>
 ・学校に自由の風を!ネットワーク
 ・「君が代」不当処分撤回を求める会
 ・教育を壊すな!市民と教職員東京ネットワーク
 ・憲法・教育基本法全国ネットワーク
 ・子どもと教科書全国ネット21
 ・子どもと女性の人権を考える東京の会
 ・「子どもはお国のためにあるんじゃない!」市民連絡会
 ・東京・教育の自由裁判をすすめる会
 ・ピースボート
 ・都教委包囲首都圏ネットワーク



2009/04/22

皆さんお元気ですか、河原井純子です

皆さんお元気ですか、河原井純子です。
日頃の心あたたまる共闘ありがとうございました。いつも心強く思っています。

現在停職6ヶ月の不当処分厳しい状況にいますが、全国行脚を創ったり、対話の集いをしたりと、とても充実した日々です。
このたび(白澤社発行、現代書館発売)で「学校は雑木林」共生共存の教育実践と「君が代不」起立という本が4月18日に誕生しました。
ジャーナリストの斉藤貴男さんが「雑木林の学校を取り戻そう」という解説文を寄せてくださいました。
重たい累積処分を課せられてもなお不服従を続ける、人間としての教員としての河原井純子を浮き彫りにしたいという白澤社の吉田朋子さんの言葉に背中を「グッー」と押されて綴った本です。
是非ご一読ください。そしてご意見ご感想いただけたら幸いです。

お申し込みは下記方法でお願いいたします。
*4.25集会(九段会館)でも販売いたします。

(有)白澤社発行 東京都文京区関口1-29-6-202
 Tel 03-5155-2615
 FAX 03-5155-2616
(株)現代書館発売 東京都千代田区飯田橋3-2-5
 Tel 03-3221-1321
 FAX 03-3262-5906

直接出版社へお申し込みの場合
 白澤社 FAX 03-5155-2616へお名前・ご住所・冊数をご記入のうえお申し込み下さい。(送料1冊160円~)

書店へお申し込みの場合
 注文書にてお申し込みください。「学校は 雑木林」河原井純子・著 斉藤貴男・解説 発行白澤社・発売現代書館
 冊数、お名前・ご住所・Tel を記入してください。

よろしくお願いします。



2009/04/21

4月17日(金)

あきる野学園に。昨日までの夏のような暑さと打って変わって、じっとしていると、肌寒い。今朝も近藤順一さんが来てくださった。電車通学の生徒一人ひとりと、そしてスクールバスで登校する生徒たちとは大きな身振り手振りで、挨拶を交わした。

登校が終わったところで、前の道を走る車の中から、挨拶をくださる人がいらした。プラカードを読む時間はなかっただろうから、昨年のことをご存じの方なのだろうか、と思った。

夜は、あきる野の歓送迎会に参加した。半年間、話をする機会のなかった方何人かから、「根津さんが配った文章を読んで、本当は私も逃げていてはいけないと思いました」「私の問題でもあるのに、根津さんにしてもらっていて申し訳ないと思っています」などと告げられた。



4月16日(水)

 鶴川二中へ。到着したところに1年生の集団が登校してきて、「何しているんですか」と不思議そうに聞く。簡単に説明し、「あなたたちはなぜ起立し斉唱するの?」と聞き返す。「うーん、わかんない」「歌の意味知らない」という生徒たちに、「わからないままはよくないから、調べたり、先生たちに聞いてみたりするといいかもね」と付け加えた。

 しばらくすると、Nさん、学区のKさんが来てくださった。Nさんは、自作の「社会科の授業」を手渡し、また、Kさんは、顔見知りの大勢の生徒に声をかけて生徒たちを出迎えた。

2、3年生は、「ああ、また」といったところかな? 元同僚たちとは、久しぶりの挨拶を交わした。

訪問客があったらと気になりつつ、急用ができて午前中で「退勤」したところ、学区の方2人から電話が入った。私が鶴川二中に「出勤」するのを待っていてくださったのだ。ありがたい。




◇Nさんが手渡した「社会科の授業・続き(1)」

昨年に続き、今年も皆さんに読んでいただきたく、書いていきます。

日本と朝鮮について考えよう

最近、北朝鮮の発射したミサイルが今にも日本に落ちてくるかのような大騒ぎになったことはみなさんも知っていると思います。「北朝鮮はいやな国だ」と思った人もおおいのではないでしょうか。けれどもただ「いやな国だ」では何も解決しません。これからみなさんが生きていく社会が平和であるためには、わたくしたちは日本と朝鮮の関係について、自分で考えてみることが大切ではないでしょうか。(ところで、海外の報道はロケットといっているのに日本では最初からミサイル(兵器)と報道されつづけています)。

 いまから150年ほど前に日本は欧米の国々からせまられて開国し、1868年、徳川幕府が倒れ鎖国と武士の時代が終わり、あたらしい時代が始まり「明治維新」と呼ばれました。欧米の国々の強さを見せつけられた日本の指導者たちは西洋の技術・文明を取り入れると同時に軍備を増強して国力をつよくしなければならないと考え、当時の欧米の国々がやっていたように領土を拡大すること考えました。日本がまず目をつけたのが、李王朝のもとで鎖国状態だった朝鮮でした。日本は欧米の国々のまねをして朝鮮に開国をせまり、拒否されると武力でおどし、とうとう1910年に朝鮮を日本の領土にしてしまいました。日本による朝鮮半島の植民地化といわれています。

日本の植民地にされた朝鮮の人たちは、土地を取り上げられ、食べていくことができなくなり、日本に働きに来ざるをえなくなりました。1923(大正11)年9月1日に「関東大震災」が起きると、日本の政府・警察関係は「朝鮮人が暴動を起こした。井戸に毒を入れている」といったデマを流し、普通の人たちが自警団(じけいだん)というものを作って朝鮮人を見つけると暴行し、無実の朝鮮人を何千人も虐殺しました。(あとで殺人犯として罰せられた日本人はほんのわずかでした)。太平洋戦争がはげしくなると日本政府は朝鮮人を強制的に連れてきて日本の炭坑や鉱山でひどい労働条件で働かせました。

日本の敗戦と同時に植民地支配から解放された朝鮮は独立するはずでしたが、アメリカとソ連によって南北に分けられて占領され、南と北にそれぞれアメリカとソ連が後押しをする国ができて朝鮮半島は南北に分断されてしまいました。この北側の国が現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)です。その後、北朝鮮が武力で朝鮮半島を統一しようとしたことから朝鮮戦争(1950年6月~53年7月)がおこりアメリカを中心とした国連軍と北朝鮮軍、それを支援して参戦した中国が戦い、朝鮮半島全土が戦場となり、死傷者3百万人以上という現代でもっとも悲惨な内戦となりました。もし、日本による植民地支配がなければ朝鮮は南北に分断されて同じ民族同士が血で血を洗う争いは起きなかったでしょう。いま北朝鮮という国があるのは日本の植民地支配の結果だともいえるのです。それなのに日本は北朝鮮と国交がなく、まったく話し合いをすることができません。

わたくしたちは拉致だとかミサイルだとかを日本が被害者のようにしてだけ眺めるのではなくこうした歴史的背景を知って考えることが大切ではないでしょうか。

昔「朝鮮人が井戸に毒を流した」というデマにひとびとがおどらされたことと、今「北朝鮮のミサイルが落ちてくる」といって大騒ぎとなった状況はどこかにていませんか。



4月15日(水)

南大沢学園特別支援学校へ。2時間前までの豪雨が上がって、青空が広がり、さわやかな風が心地よい。Nさん、Sさんが来てくださった。

登校してきたEさんは、「また石原知事が、学校に来るなって言ったの?ひどいよ」とひとしきり怒ってから中に入っていった。バス登校のFさんは、私に気づいて大きいサインを送ってくれた。

お孫さんを送ってこられた方だろうか、プラカードをしばらく見られた後、「変ですな、こんなこと!」「『日の丸・君が代』は天皇制です。学校で天皇制を賛美することを教えるなんて、とんでもない」「それに対して、日教組が反対できないんだから情けない。自分たちの権利は主張しても、教育のことはほったらかした結果だよ」とおっしゃった。権利のことは少々異議ありで少し私見を述べたが、他のところは同意できた。

1.2時間目は、隣の公園に校外授業にいく子どもたちを見送り、また、出迎えた。先週は芽にさえ気づかなかった街路樹の栃の木が、今日は若い葉を太陽に向けて開き始めている。

先週、日焼け止めクリームで炎症を起こしてしまったことを書いたところ、面識のなかったSさんが、安心して使える日焼け止めクリームを送ってくださった。感激です。



4月14日(火)

 あきる野学園に。早くに登校したAさんBさんは、教室に荷物を置いてから私と一緒に門前でみんなを出迎える。和やかな風景。Cさんは、「先生、がんばりますね!」とにっこり。Dさんは今朝も心を込めて書いてくれた手紙をプレゼントしてくれた。誰もが気持ちよく挨拶してくれ、温かい気持ちをもらった。桜に代わって、つつじが色をつけ始めていた。



2009/04/20

4.19立川駅頭情宣

石川@三多摩です。

 4月19日JR立川駅南口で、昨年度続けた駅頭情宣のしめくくり情宣を行いました。久々にカメラ持参で駆けつけました。

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 連休前の穏やかな日曜日ということもあり、世界大恐慌下でもこのように時が流れていくのだなぁ、と思わせるような日和でした。予定していたチラシを一時間でまききりました。

 いずれにせよ2009年度のたたかいは開始されています。河原井さんの全国行脚、根津さんの停職「出勤」、裁判闘争などなど。なによりも解雇を阻止したとは言え、停職6ヶ月という不当処分を跳ね返す取り組みを強めながら、(瓦解したとはいうものの)凶悪な新自由主義による攻撃に共に立ち向かいたいと考えます。
 4月22日(水)16:00東京地裁606号法廷で、河原井さん04・05年、河原井・根津さん07・08年裁判が行われます。ご支援・ご協力のほど、そしてなによりも、共にたたかっていただくことをお願い申し上げます。



2009/04/14

解雇させない会ニュースNo.23

解雇させない会ニュースNo.23のダウンロードです。


 

解雇させない会ニュースNo.23

「newsno23.pdf」をダウンロード

 


解雇させない会ニュース一覧表

解雇させない会ニュース一覧表を作成してあります。
左側の赤いピンアイコンのリンク先を「お気に入り」に登録することをお薦めします。



2009/04/13

4月10日(金)

あきる野学園に。同僚たちとも生徒とも和やかに挨拶を交わした。高等部の生徒が「何してんの?」と2人(組)聞いてきた。6日に、私よりも早くに登校した生徒だった。簡単に説明をすると、昨年のことを思い出して、「教育委員会むかつくじゃん。がんばって!」「また? 先生、ファイトです。がんばってください」と励ましてくれた。Aさんは、私に手紙を書き、猫のシールを貼ってプレゼントしてくれた。時間をかけ、一生懸命書いてくれたことが伝わってくる。心遣いがたまらなくうれしい。


バスが到着すると、バスの中から、知った顔が思いっきり手を振り、笑顔を向けてくれた。送迎をされる保護者も皆さん、運転席から挨拶をしてくださった。半年間、校門の中から迎えた生徒たちを、この半年は外で迎えるのだと再確認する次第。


この道を通られる人は少ないけれど、プラカードを読まれたお一人の女性は、「がんばって!おかしいわよ」とおっしゃりながら、またお一人は、深々とお辞儀をされて行かれた。

花が咲きほころび、春を満喫した。



4月9日(木)

 立川二中へ。7時40分、校門前に立つと、最初に登校してきた3人連れの生徒の一人が「がんばってください!」と元気な声で言ってくれた。聞き覚えのある声だ。「昨年も応援してくれた人だよね?」と聞くと、「そうです!」。

 私が立って間なしに、挨拶隊の人が2人現れた。これまでは、この人たちは校門を入ったところに立っていたが、今朝は校門前に立って走る車を止め、生徒の横断の世話を焼いている。道のこちらからあちらの生徒に声をかけるので、かえって危ない。ほとんどの生徒は、「渡っていいよ」と言われると、それに従っていたが、一人の男の子は、「車が来ている」とやや抗議っぽく言い、指示には従わず自分の判断で車が行くのを待って渡った。些細なことだけれど、流されるままにしないこの生徒の行動がさわやかに映った。

 2、3年生の中には私に、ああ、という表情で笑顔を返す生徒がかなりいた。1年生は、「何々?」とプラカードを見ながら、人の波には逆らわずに進んでいった。


 登校が終わったところに、隣の高校に登校する卒業生が通りかかり、半年振りの挨拶をした。昨年ここを通られて知り合いになった、二中にお孫さんが通われる女性とも対面した。「また、大変ですね。がんばってください」とおっしゃって、仕事に向かわれた。そうそう、昨年副校長と自己紹介した人が筆記用具を持って現れ、しかし、何もせず言わず、1~2分して戻っていった。こちらも市教委・都教委に報告書をあげるためであろう。

 昨日塗った日焼け止めクリームで炎症を起こしてしまい、今日は9時半、「退勤」した。



4月8日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。7時45分、校門前に到着すると5分後、校長がもう一人と連れ立ってきて、「迷惑です」と言う。「ここは公道です」と返すと、一言も言わず、私の顔も見ずに引き返して行った。都教委の指示通りに、ノルマを果たしたというところ。やる気のひとかけらも見えない。信念を持って本気で私を追い出したらいいのに。「校長が立ち退くよう注意をしたが、根津は聞き入れなかった」とでも報告書をあげるのであろうか?


07年度、一緒に中学部を担当した教員たちだけでなく、お顔しか知らない教員たちも「お元気そうで。クビにならなくてよかったですね」と喜んでくれた。「あきる野はいい校長でよかったですね」という人が何人もいた。狭い特別支援学校のこと、あきる野学園に友人がいる人も少なくなく、南大沢学園にも話が伝わってきているのだった。

 生徒たちも私のことを覚えてくれていて、半年振りの挨拶を交わした。「根津先生戻ってきてよ」と言う一人の生徒は、「立たない先生ほかにもいるよ。どうして根津先生だけ(が処分)なの?」と言う。

お子さんの送り迎えをされている保護者とは顔見知りになっていて、「どうしていらっしゃるだろうと気になっていました。大変ですががんばってください」などと励まされた。


職員や生徒が出勤・登校したところで、高等部の入学式に出席する生徒と保護者の登校・来校。私が半年間担当した生徒たちが高等部へ入学するのだった。生徒一人ひとりに、そして保護者にもお祝いのことばをかけることができて、本当によかった。1年前の生徒との思い出にふけりながら、校門前で入学をお祝いした。

入学式を終えて、一人の保護者は、「私も立ちませんでした。先生たち、びくびくしている。せめて保護者がと思って」と告げてくれた。また別の保護者は、タレントの松村氏が東京マラソンに出場して倒れたことについての都知事のコメントに触れ、「命を軽んじる石原都知事は許せない。私も決して『君が代』は認めない。歌いません」と力を込めて言われた。

教員たちが、自身の教育への思い、しかしそれを阻む都教委の教育行政について保護者に話をしていくことで、風通しがよくなるし、本当の信頼関係が築けるのに、と思いながらことばを交わした。



4月7日(火)

 6日は始業式。7時30分、プラカードを立てて校門前に「出勤」。近藤順一さんが職員に手渡す手紙を携えて、駆けつけてくれた。2人で、それぞれ自分の手紙を手渡した。同僚たちは、「停職6ヶ月は不当だけれど、免職にならなくてよかった」と喜んでくれた。

8時25分、昨年と同じようにあきる野学園の職員打ち合わせと始業式に参加。「職員紹介」では職員の一人として私も紹介してもらった。私のことを心配してくれている生徒には、「6ヶ月経ったら、また戻るから大丈夫」と伝えた。

 7日は入学式。昨年担当した生徒の入学をお祝いしたくて学校に行った。本人も保護者もすごく喜んでくれた。



4月2日(木)

都庁前で報告と支援お礼のチラシまきをした。私を含め、7人で。都庁の職員の方も、「クビにならなくてよかったですね」と言ってくださった。にっこりと、あるいは深々と挨拶をしてくださる方も何人もいらした。



2009/04/07

本日(4/6)早朝に届けた手紙

皆さまへ、この間ありがとうございました。本日(4/6)早朝に届けた手紙です。


都立あきる野学園校長・教職員の皆さま
 これからもご理解、ご支援をお願いします

2009年4月6日   近藤順一

 この間、私たちの取組に心を寄せていただき、また、直接、間接にご支援いただいた方々に感謝申し上げます。
 貴校の根津教諭は3度目の停職六ヶ月、私は3度目の処分で減給10分の1、6ヶ月の処分を受けました。根津教諭の不当処分の執行現場が貴校のゲートであり、私は、直ちに東京都人事委員会に不服審査請求を提出します。

 私はいわゆる無党派浮遊層の一教員ですので、何々主義や何々思想をもっているわけではありません。でも、「日の丸・君が代」強制に反対するのは、教育の自由による教員の自主・自律の思想、児童・生徒に特定の考えや方式を押し付けてはならないという教育的良心からであります。教育が人間と人間、教師と学習者の直接的なふれあいによる精神的な活動であるからこそ、その内容や方法は慎重であらねばならないと思います。都教委の「日の丸・君が代」一律実施は極めて乱暴な介入です。先日、「ここから裁判」(七生養護性教育弾圧事件)の地裁判決があり、関係都議・都教委の行為は厳しく批判されました。「日の丸・君が代」強制も貴校のような障がい児・者教育の現場、多くの来日外国人生徒が学ぶ夜間中学でその矛盾は顕在化しています。「日の丸・君が代」については皆さまも様々なご意見をお持ちでしょう。今後とも話し合っていきたいと思います。

 今回は免職処分までは出されませんでしたが、安心できません。都教委は「分限対応指針」で、「研修の効果があがらない」、つまり、あくまで不服従の者には分限免職までの処分を提示しているからです。このように考えますと、私たち被処分者は、期限付き雇用、突然の解雇用員、賃金カット等を押し付けられている非正規労働者のようです。
 どうか、これからもよろしくお願いします。



2009/04/05

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2009年4~5月を更新しました。

法廷カレンダー
法廷カレンダー



2009/04/02

4.2都庁情宣ちらし

4.2都庁情宣のちらしです。

 

 

 

4
.2都庁情宣

「f20090402.pdf」をダウンロード



2009/04/01

ご支援くださった皆様へ

 根津公子です。

 もう、ご存じだと思いますが、先日の卒業式での「君が代」不起立・不伴奏教員に対する処分発令が昨日ありました。12人に処分が発令され、私と河原井さんは停職6月、渡辺厚子さんは停職3月、近藤順一さんは減給6月でした。分限免職は免れました。停職6月は不当ですが、でもでも私たちの勝利です。

26日にあまりにもひどい「君が代」地裁判決が出され、その判決を待って30日に今回の処分を決める教育委員会が開かれたので、26日以降は不安が募るばかり。教育委員会が終わった30日の昼過ぎ、処分発令の場所と時間を聞かされたときには、私へのそれは、他の人への通常の伝えられ方と違っていたので、それからは一縷の望みも絶たれたような心境でした。


 しかし今回都教委は、私たち不起立を続ける教員に対して、分限対応指針を適用することを断念せざるを得ませんでした。昨年7月15日、再発防止研修に間に合うようにして策定し、再発防止研修の場で「これが見えぬか」とばかりに持ち出した分限対応指針を、今回の私たちの処分に使わなければ、この指針を作った意味は半減してしまいます。ですから都教委は、最後までこれを使いたいと考えていたはずです。昨年は大勢の人の反対の声に押され私を懲戒免職にすることもできず、そして今回は目玉であった分限対応指針も使えず、「君が代」処分を踏み絵として東京の教職員すべてを沈黙させようとした都教委の狙いは6年経った今も達成できませんでした。

分限対応指針を使わせなかったことは、単に私個人が免職を免れたということではなく、もの言う教職員に対して弾圧する道具とすることを押しとどめたという点において、私たちの勝利だと思います。大勢の人が都教委に声をあげてくださった、その結果の勝利です。皆さん、お力をお貸しくださって、ありがとうございました。


 昨日処分発令がされた後、発令会場の都教職員研修センターを出たときに私、外は暖かかったんだと認識しました。曇り空から少し太陽が顔を出していただけでしたが、全身を柔らかな外気に包まれたようで、思わず、空を見上げました。それから数時間後、この数日出ていて、薬を塗っても消えなかったアトピーが消えていました。


 でも、喜んでばかりはいられません。こちらの様子を窺いながら、隙あらば使ってくるでしょうから。例えば、再発防止「研修を受講してもその成果が上がらない」などとして。10・23通達や分限対応指針を事実上撤廃させるよう、今後ともお力をお貸しください。また、ともにたたかっていきましょう。

 私は数日残務整理をしてから、停職「出勤」を学校と都庁にするつもりです。

         感謝の気持ちを込めて 4月1日



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