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2009/06/29

6月22日(月)

 疋田哲也さんの分限免職取消裁判を傍聴した。小平5中当時の校長、教頭、都教委管理主事に対する尋問だった。

疋田さんを小平市教委研修(研修センター)に送ったことについて。校長は、疋田さんが毎日午前午後に送った報告書を「一切見ていない」と言った。その時は、あれっ?いったいどういうこと?と思っていたら、管理主事に裁判長が聞いたことではっきりした。研修成果など、校長たちには関係のないことであったのだ。


裁判長が「研修期間は04年3月までとなっていたのに、分限免職は2月。分限免職を決定するのは、研修結果を見てからでよかったのではないか」「そうしないと研修の意味がなくなってしまうのではないか」「要望書には3月まで教壇に立たせないでほしいとあり、しかし、その要望には反対の保護者もいたのだから、3月で転任という方法もあったのではないか」と聞いたところ、管理主事は、「現場からはずすために研修センターに送ったのだから、成果を見る必要はなかった。分限免職にしてよかった」と言った。

校長・市教委・都教委は、「教壇に立たせないでほしい」という「要望書」を保護者から受け取り、それに沿って疋田さんを研修センターに送ったわけだが、「要望書」を提出した保護者からは事情を一切聞いていないことも明らかになった。



 疋田さんに対し、研修の成果を期待してではなく、分限免職にすることを目的として研修センターに送った。研修センターに送るために、「要望書」が必要だった。保護者の「要望書」は利用の対象でしかなかったのだ。


 疋田さんの分限の理由に体罰もある。疋田さんには、体罰をこれ幸いとばかりに分限の理由とすべく、報告を市教委に挙げたのに、同じ時期、この学校では他にも体罰があり、その生徒は鼓膜損傷したにもかかわらず、その件については報告を挙げていなかった。校長は、「市教委へ報告を挙げるのを忘れた」と見え透いた嘘を言ったが、校長は体罰には鈍感であり、疋田さんの件については、分限の理由にすべく使ったのは明らか。


体罰はあってはならない。「校内暴力」が激しかった頃、「体を張って生徒を抑える」「愛のムチ」ということが中学校では堂々とまかり通っていた。そうした教員と私は激しく対立した記憶がいくつもある。しかし文部省が通知を出し動き出し、体罰が懲戒処分の対象となると、体罰は少なくなっていったが、体罰を使った「指導」について反省を表明した機関や個人はない。疋田さんも体罰を体罰と認識できない環境にあったように思う。研修センターに送られ、研修を受ける中で彼は反省し、現在はDCI「子どもの権利のための国連NGO」の会員だという。


疋田さんが過去のことを消すことのできない事実として、受け止め続けていかなければならない、と私は思う。しかし、だからと言って、分限免職しかたなしとは思わない。体罰を繰り返しておとがめなしに校長や副校長になった人が大勢いる。体罰を指摘した私に口論を吹っかけ、対立したかつての同僚もその例外ではない。そういう人たちがいる一方で、疋田さんにはそれが分限の理由に使われる。恣意的、不公平である。不公平な扱いに黙ってはいけない。それは支援しなければと思うのである。


分限理由とされた体罰を受けたとされる「A君」(処分の理由書に「A君」と記載されているという)が「疋田先生にお世話になった。私が処分の理由にされたと聞いて、今日来た」と傍聴していたことから見ると、「A君」事件は分限の対象から外すべきではないかと思った。


「私物」を理科室・理科準備室に置いたことが分限理由に挙げられていることにも首を傾げるが、その「私物」を何度も写真撮影し、証拠にした教頭(現校長)は、「平成14年15年と変わらず、(今も)疋田さんには反省がない。免職処分は適切だったと思う」と平然と言った。

細かいやり取りについては、事情がわかっていないので、理解できなかったり、聞き逃したりもしているが、3人とも、いくつも嘘を言い、疋田さん代理人から指摘をされ、証拠を突きつけられると、やっと認めるという具合。この人たちには、一人の人間を免職に追い込んだことのためらいは、みじんも持ち合わせないのだろう。「職務」で片付くのだろう。


都教委にとって目障り、消したいと思う人については、どんな手段でも使うことを、私は2001年から1年にわたって受けた多摩中での攻撃で体験済み。「要望書」が使われたのは、私もまったく同じ。やっぱり、と何度も思いながら、3人の悪意に満ち満ちた証言を聞いた。

疋田さんが都教委の計画通り分限免職にされ、私が都教委の読みどおりにならなかったのは、攻撃が始まってすぐさま声を挙げたか挙げなかったかの違いだと思う。声を挙げたことに、大勢の人が応え、動いてくださったから、私は指導力不足等教員にされず、分限免職にされなかったのだと思う。

今からでも大勢の関心が集まることが大事。

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