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2009/06/14

6月13日(土)

解雇をさせない会の2009総会と講演「抵抗の灯は消せない! 新たな『皇民化教育』にどう立ち向かうか?」を開催。講演は、山田昭次さんの「関東大震災時の朝鮮人虐殺と秋田雨雀」。自警団に参加し、朝鮮人虐殺に加わっていった当時の人たちの、進んで国家のために身を捧げるように手なづけられた国民意識について指摘した秋田について。


「お前のやったすべてのことはおまえの身になって帰ってくるのを知らないのか?/お前の敵はお前の迷信の中に巣くっているのを知らないのか? 

市民よ!/制服と屈従と野蛮と無反省を美徳として教えたのは誰だ

市民よ!/お前の敵は果たして誰かよく見よ!/お前は何を血迷っているのだ?」


自身の中に巣くう迷信あるいは世間と向き合うこと、これは今日的問題、今の私たちの問題だ。


 続いて、昨年、今年の「君が代」不起立教員であるDさん、Eさん、近藤順一さんが思いを語られた。Dさんは生徒との関係性の中で、「生徒に嘘はつけない」とおっしゃる。Eさんは、不起立は団塊の世代がいなくなってからと先延ばしにしてきたが、今年「主任教諭」が導入され、学校がいよいよめちゃめちゃにされる中、処分を受ける不起立を選択されたとおっしゃる。お二人の話を伺うのは、初めて。とっても共感した。


 名古屋の小野政美さんから、当地で集会をするので「気持ちで参加。気持ちは参加」と電話があり、メッセージをいただいた。私(たち)を支えてくれる。

以下、一部割愛して掲載する。


ひるまず、あきらめず、しなやかに

~「河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会」2009総会へのアピール~


2009.6.13 小野 政美(愛知・小学校・「再任用」教員)


思想・信条・良心の自由を蹂躙する「日の丸・君が代」強制に反対する人々がいる

「日の丸・君が代」で処分された全国の人々がいる

そして、日本社会で自由と平等の抑圧に抵抗する人々がいる

それらの人々をつなぎ、さまざまな場で、

あきらめず、ひるまず、しなやかに、多彩に闘い続ける人々がいる

それらの多くの人々に、闘う勇気と確信を送るかけがえのない闘いがある。

それが、根津さん河原井さんを解雇させないという闘い。

合い言葉は、二人の著書。

河原井純子『学校は雑木林』

根津公子『希望は生徒』




2008年3月31日の雨の朝、

東京・八王子・南大沢学園養護学校前の光景を僕は忘れない

「やったぞ~!」「勝ったぞ~!」「この雨は天のうれし涙だあ!」

予想に反しての都教委の処分内容に、思わず泣き叫んでいた僕たち。

誰彼と言わず泣きじゃくり、抱き合って喜び合ったあの雨の朝の南大沢学園養護学校校門前。


そして、1年後、

2009年3月31日、水道橋、東京都研修センター前での処分発令の日のこと。


2008年3月31日の雨の朝、

僕は、マイクで叫んでいた。

「全国の人々に伝えます。

都教委は、根津さんを免職にすることが出来ませんでした。

根津さんは、都教委に勝ちました。

『君が代』不服従・不起立の闘いは、今日から新しい段階に入りました。

『勝って兜の緒を締めよ』の言葉通り、

気を許さず、粘り強く闘い続けていきましょう」


「君が代」斉唱時の不起立での6か月停職は、決して喜ぶべきことではない。

都教委が宣言予告していたように、誰もがそう思いこんでいたように、

根津さんへの停職6か月処分の次に来るのは免職しかない、

僕もまた、そう思いこんでいた。

だが、根津さんだけを他の処分者と分離し、

勤務先養護学校に出向いて処分発令するという姑息な手段を弄した都教委をしてもなお、根津さんを「みせしめ免職」にできなかった。


なぜ都教委は根津さんを免職に出来なかったのか。

それは、何よりも、「君が代」不起立で、

子どもたちの人権と教員の教育の自由・思想良心の自由を守り抜くために、

「不起立」という表現手段で抵抗する教員を免職する根拠がどこにもないことである。

同時に、全国各地で、そして、幾つかの外国から、

根津さんへの「君が代」免職を許すな!と、

電話・FAX・メール・署名という方法で、

あるいは、僕も何回か同行した、都教委への出向いての連日の要請で、

あるいは、集会や学習会で、

あるいは、裁判の傍聴で、

あるいは、「『君が代』不起立」や「あきらめない」の映画会で、

新聞への意見広告で・・・、

根津さん河原井さんの不服従・抵抗・闘いに連帯・支援する、

文字通り草の根からの多くの良心的な人びとによる、

多様で多彩な活動があったからに違いない。


もしも、

根津さんが、河原井さんが、

子どもたちとともに生きる現場で、

自分の生きている存在のすべてを賭けた不屈の抵抗・闘いを続けなかったとしたら・・・、根津さん河原井さんの抵抗・闘いに、誰も連帯・支援の行動を起こさなかったとしたら・・・、もしも、連帯・支援の行動が、大きなうねりのように広がらなかったら・・・、

大方の予想通り、都教委の処分は、

根津さん免職しかなかったであろう。


「(03年)10.23通達」以来、

423名の処分(2009.5.29現在)を発令し続けてきた都教委をして、

根津さん河原井さんを免職解雇することは出来なかった。


小学校現場勤務31年間、

ささやかに、「君が代・日の丸」不服従の抵抗を続けて来た。

根津さん河原井さんの不服従・不起立に連帯することはもちろんとして、

僕の出来る、僕が当然しなければならない、

支援というより、根津さんとの連帯のささやかな行動。


根津さんの笑顔を見ながら記憶の底から甦ってきたことがある。

数年前から、僕が、幾度となく語ったり、アピールしてきたことでもあるが、

根津さんの不服従の戦いの中で、

旧日本軍性奴隷(旧日本軍「慰安婦」)にされた韓国のハルモニたちの戦いが

想起されるということである。

1990年、日本政府の「『慰安婦』はいなかった」という発言に対して、

韓国の金学順(キムハクスン)ハルモニが、韓国挺対協の呼び掛けに応えて、

「私は、旧日本軍の『慰安婦』だった」と勇気ある名乗りを挙げた。

そして、1991年、いまは亡き姜徳景(カンドッキョン)ハルモニ、金順徳(キムスンドク)ハルモニ、いまも戦い続ける李ヨンスハルモニ・・・と続いた。

日本政府の公式謝罪と個人賠償を命を賭けて戦い続けたそのハルモニたち被害女性の多くが既に亡くなり、

韓国では生存者は93名、台湾では18名しか残っていない。

91年以来、ささやかな支援の運動の中で、

韓国で、日本で、『ナヌムの家』で、

姜徳景ハルモニや金順徳ハルモニたちに息子のように、僕は、優しくしてもらった。

もしも、彼女たちの辛く厳しい戦いが無かったとしたら、

女性への暴力を許さない戦いは、これほどの高揚を迎えることは無かったに違いない。

しかし、ハルモニたちは、韓国でも、日本でも、運動の中でさえ、

孤立した厳しい戦いをするしかなかった時が幾度となくあった。

彼女たちと長年にわたって同行する機会があった僕には、ただ、

一緒に涙し、辛い時間を過ごすしかなかったときが何度もあったことだけは確かである。



根津公子さん河原井純子さんの戦いは、

まさに、日本における、「良心の自由」の戦いのなかで、

女性への性暴力との戦いにおけるハルモニたちの戦いを想起させるものである

と言っても過言ではないだろう。

少なくとも僕はそう思って、

長い間、根津さん河原井さんと戦いの戦列をともにしてきたつもりである。


そして、もうひとつ、2008年3月31日の朝、

予期せぬ、根津さんの、2度目ながらも、

6か月停職という「勝利」への満面の笑顔を見ながら、

私は、10か月前、2007年5月27日に京都で開催された全国集会のことを思い出していた。

実行委員会・事務局として、集会アピールの準備が出来ていなかったので、

前日、根津さん河原井さんとも相談し、

集会当日の実行委員会会議で、集会アピールを行うことを提案し、

その会議で、実行委員会と呼びかけ人の名において、

急遽、僕が原稿なし、文案なしで、「5.27全国集会アピール」を行うことになった。

  (中略:「5.27全国集会アピール」について)


根津さん、河原井さんたちに繋がる連帯・支援の戦いの列に加わる

多くの仲間たちとともに、

僕の好きな二人の不服従の思想家、

魯迅とベンヤミンの言葉を噛みしめたい。


「思うに希望とは、もともとあるともいえぬし、ないともいえない。

それは地上の道のようなものである。

もともと地上に道はない。

歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」     

魯迅『故郷』(1921.5)<竹内好訳>  


「夜の闇のなかを歩みとおすとき、

助けになるのは、

橋でも、翼でもなく、友の足音だ」

ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミンの生涯』(野村修訳・平凡社)



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