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2009年7月

2009/07/30

「8・28都教委包囲アクション」へ(11)

渡部です。 

今回は22日(卒業式(19)グループ)の
<Gさん(大崎高校定時制勤務時に減給処分)>と
<Kyさん(深澤高校勤務時に戒告処分)>
<Tさん(東大和高校勤務時に減給処分)>
の陳述です。(少し長くなりますが、
今回で22日の陳述紹介は終わりです。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<Gさん(大崎高校定時制勤務時に減給処分)>

(Gさんはこれまで3回の処分を受け、今年3月末
定年まで1年を残し早期退職されました)

・・・私は、2006年3月の卒業式で2回目の処分を受ける前の
2005年5月に教育庁に呼び出され、
指導部長から直々に「厳重注意」を受けました。
「厳重注意」の理由は、
2005年3月に実施されたH高校定時制卒業式の直前において、
私が授業で、卒業式で「君が代」斉唱時に「起立しない、
歌わない自由がある」と生徒に説明したことが、
学習指導要領に反した不適切な指導になるからだ、
とのことでした。

その卒業式で、
私が担任をしていた3年生のクラスのなかで、
出席していた生徒全員が「君が代」斉唱の際に
着席しました。・・・・
当時のH高校N.M校長は、卒業式前の職員会議で、
内心の自由について卒業式の予行などで生徒に説明することも、
また、この時期に授業で説明することも許されないと説明しました。
普段の授業で内心の自由について生徒に説明するのは構わない、
と付け加えましたが。
なぜ、普段の授業でよくて、「この時期」にはいけないのか、
何の説明もありませんでした。
むろん説明できるはずもありませんが。
校長がこのような話をするようになったのは、
2004年度の卒業式から、生徒に対して
「学習指導要領に基づいて適切な指導を行う」ようにという項目が、
新たな職務命令として追加されたことに基づくものでした。

さて、私は卒業式当日病気で休んでしまったのですが、
その翌日、校長に呼び出され、
事前に生徒にどんな話をしたのかと詰問されました。
この件については逃げも隠れもする必要はないと考え、
授業で説明したことを答えました。
しかし、そのあと都教委による聞き取りの調査があり、
ついには教育庁への呼び出し、
「厳重注意」ということになりました。・・・

でも、この卒業式ではもっと重大な問題が起こりました。
・・ひとつは、卒業式の「君が代」斉唱の際に、
生徒たちが座った時、H教頭は、
自分の席を立って生徒たちのところまで行って、
彼らの体を揺すりながら起立するように促したということです。
・・・・・
さらに、H教頭は、主幹教諭と2人で、校長の指示に基づいて、
卒業式の翌日、不起立をした生徒たちに対して、
保護者の了解すらも取らずに、事情聴取を行いました。
・・・・・そして、この事情聴取については、
都教委と協議しながら行ったことを校長が認めましたので、
都教委の指示に基づいて行われたことは間違いありません。
東京都教育委員会が生徒の人権を侵害する
行為をしたことは明白です。
・・・・・・・・

<Kyさん(深澤高校勤務時に戒告処分)>(国語の先生です)

・・・・履歴に載る処分である「戒告」と勤勉手当の6万円もの減額、
そして、退職後の嘱託不採用と物心両面にわたる不利益を
被ることを知りながら、何故、起立しなかったか?
・・・・教師の使命は、単に文法や文学史に関する知識を
切り売りすることではなく、
生徒諸君がこれから長い人生を送る上で、
生きる指針を授けることにこそあると私は確信しています。

生きる指針とは、何か?
それは、「長いものには巻かれろ」や
「寄らば大樹の陰」式の処世訓ではなく、
「権力に盲従することなく、権威に盲信することなく、
自らの信念に基づいて生きよ」という表現のうちに
凝縮されてあるものだと思います。
中国の古典『孟子』の一節にある
「自ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、
千万人と雖(いえど)も、吾(われ)往(ゆ)かん」の気概だと思います。

私は、起立しなかったことについて、
自らの良心に疚(やま)しさは全くありません。
寧(むし)ろ、時の権力の不当な命令に対して、
蟷螂(とうろう:カマキリのこと)の斧をかざして、
精一杯の抵抗を試みたと自負しています。
・・・・・・・

<Tさん(東大和高校勤務時に減給処分)>
・・・・・
私が今回入学式「国歌斉唱」時に不起立をせざるを
得なかった理由は主に2つ。

1点目は私の「日の丸・君が代」強制に関わる内面ー
思想・良心・表現の自由に関わる問題。
この点はこの場では述べません。

2点目は、この「日の丸・君が代」強制は、
「思想・良心の自由」の問題に止まらず、
東京都の公教育の変質に繋がると考えたからです。
・・・それはまず、都教委幹部が「日の丸・君が代」問題を
都立高校戦後教育の総決算と位置づけ処分乱発に奔走する。
さらにこの間の都教委が現場に押し付けた政策を見れば
一層明白です。

一つ目の事例が、職員会議における教職員による
「挙手・採決」行為を禁止したこと。
一体どんな権限があって各学校の学校運営まで
口を挟んでくるのでしょうか?
あなた方が現場の生徒・教員の実態をどれだけ
知っているというのでしょうか?・・・
・・・・・・・「民主主義」を生徒に教えるのが教員の仕事で
その当該者に民主主義そしてその合意手段としての
「挙手・採決」の権利を認めない。
これが矛盾でなくて何なのでしょうか?

事例の二つ目、教員賃金体系に民間の成果主義手法を
取り入れた業績評価制度の件。・・・現行の業績評価制度は
制度の趣旨である教員のスキルアップや職場の活性化には
ならない、むしろ弊害が多い。
まずおかしい点。
都教から校長へそして教員へという一方通行の
評価しかない点。・・・・
目標設定もおかしい。・・・何でも「教育目標の数値化」。
・・教育は、一年という短期間で「成果」のようなものが
現れる分野もありますが、中・長期的なスパンで
生徒が成長する分野の仕事もあります。・・・
数値を上げる前に生徒の変化や地域社会や課程の変容を
深く理解することも必要な時代になってきています。
数値をひたすら上げること、
それが本当に都民の期待なのでしょうか?

この制度のおかしい点は、まだまだあります。
評価する側が、2割か3割は「悪い」評価の教員がいる
と決め付け、それに見合う人数を
校長の一次評価で要求している傾向が見られます。
これが客観的な評価制度と言えるのでしょうか?
さらにおかしな点がある。
この制度導入当初は、評価段階はABCDEの5段階でした。
それが最近ABCDの4段階に制度改悪されました。
(普通)がなくなり、ABの「良い」かCDの「悪い」の
「白か黒」しかない評価方法に変更。
私も校長面談で「C」評価され、
「普通と評価されていましたが、普通ではなC(悪い)評価に
なるんですか?」と追及。
しかしまともな解答をもらえませんでした。・・・

都教委の学校支配の突破口が、
現場の教員の意見を押しつぶし、
「ものを言う教員」を黙らせる手段=「日の丸・君が代」の
強制・処分だったのです。

この処分の撤回をお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・

以上、8人の陳述を紹介しましたが、
いずれも重いものがありました。

東京ではこれまで、
延べ420人もの教員が都教委に処分されています。
(元校長も都教委を相手に裁判を始めました。)

都教委はどうしてこれを根絶やしになど
できるでしょうか!?

------------------------------------------

2009年 『8・28都教委包囲アクション』

<メインスローガン>
○改悪教育基本法の実働化と闘おう!
○10・23通達を撤回せよ!通達に基づく処分を撤回せよ!
○石原都知事は即刻退陣せよ!
(スローガン)
・教職員の差別・分断を図る主任教諭制撤回!
・職員会議での挙手・採決禁止の通知を撤回!
・業績評価制度(人事考課制度)廃止!
・「君が代」不起立分限処分を許さない!
・教員免許更新制度撤廃!

<日時> 2009年8月28日(金)
       15時~18時30分
<場所>都庁第二庁舎二階玄関前歩道
<予定>13時30分~14時30分 都庁前ビラまき行動
         (「石原都知事は即刻退陣しろ!」というビラ)
      15時~     包囲行動・発言
      16時~     要請行動(参加団体・個人)
      17時30分~ 要請の報告・発言
<主催> 都教委包囲首都圏ネットワーク

参加する団体・個人は<抗議文><要請書><質問書>などをご用意してください。プラカード、ゼッケン、横断幕なども。私たちも「新趣向」を考えています。よいアイデアがありましたらお寄せください。みんなで人権無視、憲法違反の石原と都教委に押しかけましょう。



2009/07/29

「8・28都教委包囲アクション」へ(10)

渡部です。 

今回は、22日(卒業式(19)グループ)の<Iさん(日本橋高校)>と<Oさん(工芸高校勤務時に減給処分)>の陳述です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<Iさん(日本橋高校)>(Iさんは沖縄出身です)

・・・(前略)・・・・・・
私は、「日の丸」「君が代」に対する不服従で2度の処分を受けた後、日本橋高校に異動することになりました。異動直前の連絡で、着任後すぐに1学年の担任に入ることが知らされたときに、「私は2度処分を受けていますが、担任でよいのですか?」と質問しました。当時の副校長は「ちょっと相談します」と答えました。

(その後、校長と副校長は異動になり、結局4月2日には、新しい校長から、「式中は、所定の場所(つまり放送室)で職務を遂行すること」という<職務命令書>を受けることになります。)

その2日後(4月4日)、私は校長室に呼ばれました。校長は渋い顔をして、「Iさんちょっと困ったことになったよ」と切り出しました。校長の話はこうでした。

都教委から、「処分を受けているIという教員がそちらに異動になったはずだが、入学式の役割分担はどうなっているか?」「提出された『入学式教職員座席表』で放送係になっているIというのは、以前からそちらにいるIか、それとも今度異動したIかどちらだ?」という形でチェックが入ったというのです。チェックが入った以上、1年生の担任が放送係という形で、座席にいないという形は取れないから、役割分担を変える。というのが話の内容でした。

私はすぐに質問しました。「しかし私が一昨日受け取った職務命令書には、はっきりと『所定の場所(つまり放送室)で職務を遂行すること』とありますし、その職務命令書は校長先生の責任と権限で出されたものでしょう?校長名も入っている正式なものですからね。当然その職務命令が有効なんじゃないですか?」これに対し校長は、「いやっ、そういう訳にはいかないんだ」と言っていました。

翌日の4月5日、私は再び校長室に呼ばれ、前日の話の続きになりました。校長は「改めて職務命令を出すことにした。以前渡した方を回収したい」と言いました。
私は、「大事な書類なので、どちらも持っていたい。」「前の職務命令をたてに、新しい日付の職務命令を無効だと主張する気はない」と答えたのですが、校長は、「朱印を押して内容の違うものが2枚Iさんの手元に有るのは、その書類の性質上まずい。」「大切なものだという認識はこちらも持っているから、私が責任を持って保管しておく。Iさんが必要になったらいつでも言えばいい」と言いました。

私はそれを受け入れ、新たな職務命令書を受け取りました。そこには『指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること』と書かれていました。同時に渡された入学式座席表には私の名前が2番の座席に入っており、放送係には別の教員の名前が入っていました。

入学式では「国歌斉唱」の際、起立できずに3度目の処分を受けることになりました。
・・・(後略)・・・

<Oさん(工芸高校勤務時に減給処分)>
・・・(前略)・・・
ところで、今春私は異動によって新しい学校で入学式を迎えました。ただ、当時私の父親の容態があまり良くなく、実家で様子を見たかったので、入学式の前日に式当日の年休申請をしました。
学校長は理解をしてくれましたが、定時制課程の時程に合わせて、事前の申請は前半4時間の年休にしておき、当日様子をみてなるべく夕方6時からの式では職務に当たって欲しいとのことで、当日の夕方にもう一度私の方から電話で様子を伝えることになりました。

式当日、父の容態が芳しくなかったので、午後3時頃に、後半4時間つまり入学式の時間帯の年休を副校長に電話で申請しました。
数分後、私の携帯電話に副校長から承認する旨の連絡がありましたが、その際、「都教委からその実家の住所を知らせなさいと言われたので教えて欲しい」と言われました。

私は恐ろしく思いました。家族も含めて、見張られているのしょうか。しばらく拒みましたが、副校長も一向に折れないし、第一もし実家を見に来るようなことでもあれば、別件で訴えようと覚悟し、住所を教えました。あまり警戒をする余裕はありませんでしたが、実際に見張りに来たかどうかは定かではありません。しかし、家族を含めて精神的に相当な苦痛を与えられたのは事実で、その苦痛は現在も続いています。
起立して斉唱させるために、家族まで圧力をかける都教委の姿勢は、明らかに行き過ぎた行動と言えます。徴兵の復活を垣間見た気がします。本当に恐ろしい出来事でした。
・・・(後略)・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前者では、<都教委が「校長の責任と権限」などは簡単に無視していること>、後者では、<都教委が「君が代」起立斉唱強制のためには教員の家族をも含めて監視しようとしていること>、が分かります。(親の命よりも「君が代」斉唱を大事にしろと言わんばかりです)このようなことは決して許されることではありません。
彼らは目先の「君が代」強制のために自己を見失い、<違憲・違法行為>を繰り返しているのです。どんどん暴露し、彼らの証拠をしっかり押さえ、彼らを厳しく罰しましょう。



2009/07/28

「8・28都教委包囲アクション」へ(9)

渡部です。 

本日(7月24日)、都庁にて<07年処分撤回請求・人事委員会審理(卒業式(18)グループ)>の第一回口頭審理があり、9人の請求人の意見陳述がありました。本日の陳述も22日同様、大変感動的なものでした。この内容については、改めて紹介します。

以下は、22日(卒業式(19)グループ)の<Wさん(北特別支援学校)>の陳述です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・(前略)・・・・ 
2004年3月大泉養護学校卒業式予行において私が担当していたAさんがトイレに行きたいとのサインだしました。ちょうど「君が代」が始まったばかりでした。私は、一瞬ためらいましたが、すぐにAさんの手を引き、体育館外のトイレへと急ぎました。「どこにいくんですかぁ」、教頭が大声でわめき、血相変えて追いかけてきました。
目の前がトイレで、そこに急いでいるという判断が充分できる事態なのに、いったい何事だ、と私は大変驚きましたが、それにもまして仰天したのは、卒業式本番には連れてでないよう、(その教頭から)おむつをつけろと言われたことでした。教員を起立させる為には、子どもの人権など構っちゃいられない、起立こそが一番、という恐ろしい倒錯が「大義名分」をもってもたらされるようになってしまったのです。

2007年3月、城北養護学校で起きた人工呼吸器のアラーム音への対応を許さず、保健室スタッフに起立を命じた事態もしかりです。

2008年3月北養護学校予行後、校長は、マット席に座っている教員に、卒業式の後、座っているのは不起立の意志か介助の為か、事情聴取をする、と発言しました。そしてマット席にいる場合は、「君が代」の時正座をし、「日の丸」に相対するように、と重ねたのです。マット席に座っているのは、身体を横たえている必要のある子どもの介助のためです。ですから様々な姿勢です。教職員から驚きの声があがりました。
当時私は、気道軟化の為、呼吸介助をしないと時々息が止まってしまうというBさんを担当していました。
いつもマットに降ろし、横向き姿勢にし、右手であごを介助しながら、左手や時には足も使って姿勢を整えるといった介助が必要でした。
不起立や起立の意思いかんにかかわらず、子どもが必要としていることをただちに行う、というのは、教員として当然のことではないでしょうか。
必要な介助であることが明々白々なのに、事情聴取をするとは、関わりを萎縮させたり、ネグレクトさせる結果をもたらします。

類例は、知的障がい校にも多々あります。突発的な飛び出しや不意の動きに対応しようとした教員が、呼びつけられ管理職から叱責されているのです。
「君が代」の時だけは、関わるな、見て見ぬふりをして起立斉唱せよ、と私たちに教育活動を放棄させるのです。

校長や副校長は、「10・23通達」までは、少なくとも介助をネグレクトしてでも起立をしろ、などとは言いませんでした。
通達後、自らの判断を停止し、ひたすら”従う”ことが、唯一、無二の道になってしまい「あり得ない!」人権侵害が現出しているのです。

・・・(後略)・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まるで、戦前の日本かナチス支配下のドイツのようです。まさに、「君が代」が人間を「殺す」歌になりつつあります。しかも弱い立場の人間を。東京都の「君が代」不起立の教員たちは、こうした動きに身をもって抵抗し反対しているのです。

(次回に続く)



2009/07/27

「8・28都教委包囲アクション」へ(8)

渡部です。 

本日(7月23日)、東京地裁で、土肥元三鷹高校長の第一回口頭弁論が行われました。彼はその中で、次のように述べました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

34年間の教師生活の中で、私と関わった生徒はみな幸せになって欲しいと思うのは教師として当たり前のことだと思います。そのためには生徒一人一人の人権が尊重される社会こそが生徒の幸せを保障する社会だと思います。
人権が保障されるということはその前提として平和でなければならないのです。だからこそ私の信条は基本的人権の尊重と平和主義なのです。

その基本的人権の中でも最も重要なのが言論の自由だと思っています。
特に多くの意見を反映できる制度としての民主主義政治にとって言論の自由が絶対不可欠な要素であり、言論の自由のない政治は民主主義政治とはいえないのです。
言論の自由がない組織は歴史を見れば明らかなように必ず腐敗し崩壊しています。
戦前の日本も、ソビエト連邦も、そして船場吉兆やミートホープも崩壊しました。民主主義を教える学校で、民主的運営が行われなければ、民主主義は教えられません。
教師の言論の自由がなくなれば必ずや生徒の言論の自由も奪われ、日本が再び崩壊の道を歩むと思います。

教育は誰のためのものですか。当然、生徒のためだと思います。だからこそ私は生徒のために全力を尽くしてきました。その証が、私の退職に当たり、生徒達が私にくれた卒業証書と卒業生全クラスの色紙です。
私は何も悪いことをしていません。私の信条は法令遵守であり、法的に決まったことはきちっと守っています。
私が今問題にしている教職員の意向を聞く挙手採決も三鷹高校ではやっていません。
でもこの通知は言論統制に繋がり、最終的には生徒のためにならないと思うからこそ通知の撤回を要求しただけなのです。
生徒、保護者に高く評価され、法令を守っている私が、何故非常勤教員不合格になったのか、どうしても納得がいかないのです。

教育現場で私は生徒に「自分が思ったことははっきりと言いなさい。」と指導してきました。それは生徒の主体性、自主性を育てるからです。ほとんどの学校の教育目標に「自主性、主体性」という言葉が出てきます。
私はそれを生徒に教えた責任からも、自分の思ったことを言わず、不当な権力にへつらうことは出来ません。
もし不当な権力の言いなりの社会なら、全国の学校の教育目標に掲げてある「自主性、主体性」の言葉をはずしていただきたいと思います。

今回提訴した一番の理由は「生徒のために」です。私の教えた生徒達が、自分の思ったことを自由に発言できる社会にしたいからこそ提訴したのです。
教育委員会も校長も教員もそれぞれの役割を果たして生徒のための教育活動が可能になるべく全力を尽くしているはずです。
教育委員会は施設、人事等の条件整備で、校長は教員のやる気を起し、学校の活性化を図るリーダーシップを発揮し、そして教員は生徒と直接向き合って生徒のために汗を流すのです。国民が私の考えが「生徒のためにならない」とはんだんしたのなら、私は素直に国民の意見に従います。
私は、何回も都教委に「公開討論」を要求してきました。しかし、一回もその要求に都教委は応じられませんでした。この裁判を通して、私の見解と都教委の見解を十分に吟味・比較して公平な判断を下されるようにお願い致します。



2009/07/25

「8・28都教委包囲アクション」へ(7)

渡部です。 

本日(7月22日)、都庁にて<07年処分撤回請求・人事委員会審理(卒業式(19)グループ)>の第一回口頭審理があり、8人の請求人の意見陳述がありました。

今回の人事委員会審理の大きな特徴は、06年9月21日、東京地裁で、「10・23通達」・「職務命令」・「処分」は<違憲・違法>、という判決が出た後の、07年3月の卒業式での「君が代」不起立処分に関する審理だということです。(07年春は延べ35名が処分されました)

8人の陳述はいずれも、「10・23通達」によっていかに理不尽なことが教育現場でまかり通っているか、ということを告発するものでした。以下、それらの陳述からです。

<Kさん(M特別支援学校)>
・・・・・・・・
「10・23通達」以前の学校では、ひとつ卒業式をとってみても、子どもたちの心に残る感動的な場とするためにはどうしたらよいかの真剣な議論が交わされていました。そして議論を通して培われた内容や熱意は、創意工夫を生んでいったのです。
しかし「10・23通達」以降の学校では、儀式・行事はマニュアル化され創造性が見出せなくなってしまいました。そのことは卒業式・入学式以外の教育活動にも広がっていると思います。教育の危機であると、私は感じています。

障害児学校の生徒にとって、校外学習は大切な行事です。ハンディの中で外に出かける機会がどうしても少なくなるからです。そんな楽しみにしていた社会見学に参加できない生徒が出ました。担任も主治医もOKを出しているのに、配慮をした計画を立てているのに。医療的ケアを理由にした管理職の独断・決定でした。学校という場で、子どもの人権を守ることの難しさも噛みしめました。その生徒の、歯を噛みしめている姿と「ドクターはOKといっているのにね」という言葉は忘れられません。

大人の世界でも様々なことが起きました。勤務時間外の労働組合活動として、組合のチラシを配布したところ、管理職がそれを回収し私の机に置くということがありました。その上、この勤務時間外の組合活動を業績評価のD評価の理由として示したのです。

処分の説明書に、地方公務員法33条(信用失墜行為の禁止)に違反すると書いてありましたが、それは間違いです。
・・・管理職や都教委の面子は、あるいは、傷つけたかも知れませんが、職の信用を傷つけた事実はありません。私は40秒の静かな着席の前も後も、変わりなく、生徒たちと共に、生徒たちの現在と未来を考える営みを続けています。

東京では歴史と子どもたちを見つめた静かな着席をしたことで、たくさんの教師たちが学校から、そして子どもたちから引き剥がされています。生徒たちの人生に寄り添い、共に生きる実践を続けてきた先生たち。教育の誠を象徴するような人たちを都教委は再任用・再雇用を拒み、停職処分にし続けています。これほど大きな損失はありません。これは、明確に間違いです。

<Nさん(M養護学校勤務時に戒告処分)>
・・・・・・・
さて石原都政10年で東京の教育は大きく変わってしまいました。もちろん悪い方向に変わったのです。民間企業をモデルとした人事考課制度が導入され、主幹制度、異動要項の改悪、三期目の10年を経て主任教諭・OJT(校内で行う職務を通した育成制度)が導入され、横社会だった学校現場にピラミッド型の職制がひかれたことになります。
・・定年まであと3年という男性教員が。校内人事に異議を唱えたところ、その年の面接で、「人事構想に入っていない」と異動を言われ、いまや校長の気に入られない教員は恣意的に異動させられる時代となりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
N校に移動した年、私は中学部3年の担任になりました。異動したばかりでしたが、3年生の学年の皆さんに私が卒業式で立てない事情を話しますと、静かに聴いてくださり了解して下さいました。K副校長との自己申告面接の時、カトリック信者として、神道の象徴としての「日の丸」の前で起立できないので、卒業式に2時間の年休をとりたいと話しました。W校長(故人)にも休暇のお願いに行きましたが、年休簿を出したところ、「受理保留」ということになりました。

(中略:いろんな経過の末、年休を取り消す)

2007年3月15日、当初から予定されていた卒業式予行が行われました。私は立つことができず、座りました。校長室にて、校長・副校長より「不起立の現認」(「日の丸」が掲揚されていない予行なのでこの表現はおかしい)をされました。その後も執拗なK副校長の高圧的な言葉で、胸と胃の痛み・不眠におそわれ、S内科医院に通院しました。

予期しないことに卒業式前の20日の最終練習が2回目の予行になり、「君が代斉唱」が式次第に含まれることになりました。予行と練習の違いは、「君が代」斉唱が含まれるかどうかです。精神不調もあり、私は初めて起立をしてしまい、そのあと激しい後悔の念にかられ、自分を許せない気持ちになりました。一回目の卒業式予行が始まってよりもともと眠れなかったのですが、その後2日間は全く眠れないようになりました。

そして東京地裁の9・21判決に力を得て、22日の卒業式に不起立をしました。私が不起立をした時の卒業式を、校長はりっぱな式だったと職員に翌日言っています。私が「君が代」斉唱時に座ったからといって、何ら卒業式が滞ることはありませんでした。私の「君が代」不起立への処分は不当です。処分の取り消しを要求します。また「10・23通達」を撤廃するように指導して下さい。

(次回はWさんです。卒業式での凄まじい状況が語られました)



2009/07/23

都庁情宣

7.23都庁情宣のちらしです。

 

 

7
.23都庁情宣

「f20090723.pdf」をダウンロード



2009/07/22

7月21日(火)

今春の「君が代」被処分教員6人(退職者と河原井・根津を除く)に対する再発防止研修=転向強要攻撃が強行され、その抗議と受講該当者の支援行動に参加した。

今回の再発防止研修では、「分限」ということばが何度も使われたそうだ。職務命令違反による懲戒処分だけでなく、分限処分(降格、休職、免職)を使いたい、使うぞ!という都教委の意思の表れであろう。

また、「研修」中に受講者が質問をしたことに対し、同伴した一人の校長が「そんなこと(質問)無視して進行しろ」と不規則発言をし、それに対し、主催者は同意したという。この事態は、再発防止研修が研修ではなく、拷問であることを示す。力でねじ伏せようとしてもそれが不可能なことを都教委は悟れないのか。



7月17日(金)

 夜中から大雨。その雨も、あきる野学園に「出勤」したころには小降りになり、しばらくしたら上がり、気温は上がらず過ごしやすい一日だった。今日は1学期最後の日、「お疲れ様でした」という気持ちで朝の挨拶を交わした。同僚の一人が「裁判費用にしてください。ボーナスが出ましたから」と、カンパを差し出してくださった。うれしかった!!跳びあがりたいほどうれしかった。

 今日は、近藤さんの他に、Hさん、高校の教員だったFさんが来てくださった。

 夜は渡辺厚子さんの「停職3ヶ月」報告集会に参加した。



7月16日(木)

 1ヶ月ぶりの鶴川二中。今朝も雲一つなく、暑い。

Nさんが来てくれて、「社会科の授業・続き(4)」を生徒に手渡した。「受け取ってはいけない」と言われたのか、あるいは、そう思わされるような状態にあったのか、差し出すチラシを避けて通る生徒が目立った。「先生がいなかったら、もらったのに」と友だちに言いながら通過する生徒もいた。その教員たちと私がにこやかに一言二言おしゃべりしているのにである。もちろん、「ありがとうございます」「ください」と言って受け取っていく生徒もいて、生徒たちはそれぞれに「社会」を体験し、学んでいる。

 一人佇んでいると、バイクがとまった。その女性はプラカードを読まれ、私のほうを向いて、「同じ気持ちです」とおっしゃった。「お気持ちを伝えてくださって、ありがとうございます」と答えると、女性はにっこりされ、アクセルを踏み、去っていかれた。

 またしばらくして、今度は7人乗りワゴン車が私の前で速度を緩めた。顔を上げると、中の人たちが皆プラカードを見ている。中でどんな会話がされたのだろうか、数秒で走り去っていった。

 今日もアスファルトから照り返す熱に耐えることは止め、お昼で切り上げた。



7月15日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。梅雨が明け、真っ青な空。朝からじりじりと日が照りつける。じっとしていても汗が噴出す。くらくらするような感じだ。Nさんと二人、校門から7~8メートル離れた校舎でできる日影に入り、バスの到着に合わせて校門前に移動し、挨拶を交わした。「暑いですね!」が今日の挨拶。

 「こんにちは。根津さんでしょう?」と声をかけられた。南大沢の駅近くにお住まいで、拙著「希望は生徒」を読んでくださっているとのこと。Tさんを支援されている方だった。今朝のウォーキングはたまたまこちらまで足を伸ばしたのだということだった。

 今朝も私が着いて10数分後には、副校長席の後のカーテンが閉じられた。スクールバスの方が、「先生(根津)が来る日だけ、閉めてるよ。何だかな」とおっしゃっていた。

 午前中、耐震車が来て、学部ごとに体験学習をしている様子。それを校門の外から、興奮した子どもたちの声につられて何度か覗いた。

 「下校」時刻までいようと思っていたが、熱中症になるのを恐れて、午後は早めに切り上げた。やはり、今年一番の暑さだったとか。



7月14日(火)

 あきる野学園に。松山大学教員の大内さんがいらして、出勤する職員に手紙を手渡し、私と一緒に生徒たちを迎えた。大内さんの訪問に応えて10数人の人が集まったので、「登校」が終わったところで隣の公園に移って、交流をした。たまたま福岡から裁判で上京された0さん、0さんが帰りの飛行機までの限られた時間を使ってきてくださり、輪に入っていただいた。交流と昼食で瞬く間に時間は過ぎた。

 みんなが帰った午後は、大内さんと私の二人、校門前に移動し座っていつものように過ごした。



近藤順一さん随筆集

近藤順一さんのこれまでの投稿を、「近藤順一文庫」として収録しています。

  

http://www.geocities.jp/santama_renrakukai/kondoh/index.html

被処分通信No.42以降はこちらです。

  

http://www.geocities.jp/santama_renrakukai/kondoh/volume00/index.html



「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 四九  2009.7.21
八王子市立第五中学校夜間学級
被処分者 近藤順一

不当な「服務事故再発防止研修」に抗議する
 ~さらなる処分を狙う独断の繰り返し~

 本日(7/21)、09年3,4月の被処分者を対象に行われた。「研修」の名の下に一方的に思想改造、良心放棄を迫ったことに強く抗議すると共に、多くの方々が声をあげていただいたことに感謝します。現場に来ていただいた方はもちろん、粘り強く裁判闘争や各方面での取組を進めている方々の直接、間接の支援を感じています。ありがとうございます。
 「研修」は合同の「基本研修」と個別の「専門研修」が行われ、「所感」を書かせるものであった。録音を禁じられたので、メモと記憶に基づいて具体的に報告する。

A:「基本研修」
(1) 昨年と同様の講師、イソザキ氏による地方公務員法の繰り返し解説。
(2) 職務命令をひたすら守ることを繰り返す。
(3) 憲法については、15条「全体の奉仕者」のみ取り上げ、19条「思想、良心の自由」は排斥する。
(4) 「今回の服務事故」「今回の事故」と具体的に述べ、「非違行為」「公務中の義務違反」を繰り返す。
(5) 学習指導要領を「全国的基準」として、校長の職務命令合法の根拠とする。
(6) 「平成20年7月15日、教職員の服務の厳正について」を読み上げ、「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」についても指摘する。
(7) 「処分」により、経済的損失をこうむることを提示する。

B:「専門研修」
(1) オカモト課長による「非行の種類」「勤務態度不良」「職務命令違反」の一方的通告。
(2) 職務命令について「適法性の推定」なるものをもちだし無条件服従を迫る。
(3) 「人事委員会の裁決は、だいたい都教委に有利なものとなる」との見解を述べる。
(4) 横浜地裁の判決を持ち出して、「日の丸・君が代」強制を合理化する。
(5) 「分限事由に該当する可能性がある場合」の「職への適格性に疑念を抱かせる場合」を指摘する。

 今年度は、具体的に「今回の服務事故」に言及し、「教職員の服務の厳正」「分限対応指針」を繰り返し取り上げ、職務命令違反を不適格教員に仕立て上げる条件としている。極めて危険な特徴を示した。

現場の教職員の責任ある言動が求められている

 衆議院が解散され、政権与党の幹事長は、「日の丸・君が代」問題を選挙の争点とする意向を述べた。(7/19,日曜討論)望むところだ。すべての衆議院議員候補者に「日の丸・君が代」強制の是非を問いたい。
神奈川こころの自由裁判で、横浜地裁は、“公務員には起立・斉唱の義務がある”という不当判決を出した。その中で、「一般的には」とか「当然されるべき」とか「通常想定」とか「期待される」などは、「全国の公立高等学校」や「全県立学校」の実態を強く意識した判決文となっている。
私たち学校現場の教職員がはっきりと強制に、“NO”を示すことこそが急務となっている。様々な言動によって、主任教諭制や教員免許更新制と共に、都民の皆さまに事態の深刻さを提起していかなければならないと思う。国民全体に対し直接責任をもち、都民の負託に応える道を共に歩みたい。



2009/07/18

「8・28都教委包囲アクション」へ(6)

渡部です。 

今回は、「君が代」強制解雇裁判の控訴人陳述四人目の<Hさん>です。

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私は、都立高校に36年間勤務し、定年退職後、嘱託員として4年間、全て夜間定時制で教えてきました。

退職後の嘱託教員生活では、受け持ち時間が限られていて、じっくりと教材研究ができるようになり、精神的余裕と落ち着きをもって授業にのぞむことができるようになりました。特に四年目の授業は私の四十年間の都立高校での授業経験の中で、最も印象に残るものでした。この嘱託員としての仕事は、定年後の余生というものではなく、教師としての生き甲斐とやり甲斐を発揮でき、また実感できる大変に貴重な仕事でした。

この生徒達とあと一年、学ぼうと誓った約束は東京都教育委員会の3月30日の合格取り消しによって私が突然いなくなったことは生徒にとっても大変な驚きであり、何人かの生徒は東京都教育委員会の措置に対して怒っていたと聞きました。

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この合格取り消しは当時の小林校長にとっても想定外であったことは、・・・人事委員会審理でも「ちょっと予想外のところがあったかと思います」と小林校長自身が認めています。

この採用取り消し、つまり事実上の解雇は、私たちが退職後に得た「教師としての生きがい」そのものを奪うものでした。また、私たち控訴人10人のうち半分の5人は、通常では5年間、嘱託員として働けたわけですから約1000万円の収入が見込まれていたのですが、それが突然、0になってしまったのですから、生活はたいへん困窮しています。現にアルバイトをしなければ生活できない控訴人もいるのです。

それほどの大きな罪を私たちは犯したというのでしょうか。このことについて、私は5年たった今も深い怒りを禁じ得ません。

不起立によって採用されなかった教職員についての採用拒否事件では、東京地裁の別の部は、採用拒否を違法だとして損害賠償を命じています。合格取り消しを適法とした私たちの地裁判決はどうしても納得がいかないという思いが募るばかりです。

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以上で、4人の陳述の紹介を終わりますが、年配教師たちの教育にかける情熱と、都教委の理不尽な「教育」行政に対する怒りが、皆さんに方にも伝わったのではないかと思います。

なお、判決の日時は、裁判長から示されませんでした。



2009/07/17

「8・28都教委包囲アクション」へ(5)

渡部です。 

今回は、「君が代」強制解雇裁判の控訴人陳述三人目の<Oさん>です。

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5年前の2004年、卒業式も終えた3月末、わたしは特別な思いで4月からの教材準備を進めていました。4月から始まる一年が40年にわたる教員生活最後の年になるはずだったからです。それまでに獲得した知識と経験の全てを駆使して、全力を出しきる決意でした。それは、初めて教壇に立った時の感覚にも似て、緊張と興奮の入り交じった幸せなひとときでした。

それなのに、新学期が始まる2日前、たった2日前の3月30日、突然、思いもかけない「合格取消」の通知が届けられたのです。職を奪われるという働く者にとって最も苛酷な処分が新学期のたった2日前に言い渡され、老後の生活設計を大きく狂わされたのです。

かつて、都立高校の卒業式は、卒業生と教職員が協働して創り上げてきました。なによりも卒業生とその保護者の思いを大切にしていました。卒業生は、高校生活3年間を締めくくる最後の教育活動です。在校生は、卒業生からのメッセージを受け止め、その後の高校生活に活かしてゆく、教職員もまた、卒業生からのメッセージを、教育活動に生かす。そのような卒業式を創り上げてきました。

農産高校での経験を紹介します。

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卒業対策委員会が最も力を入れたのは「卒業生の言葉」いわゆる「答辞」です。3年間の高校生活全てにわたり総括するのです。なぜ農産高校を選んだのかからはじまって、学習のこと、行事のこと、仲間のこと、進路決定まで、各クラスから出された意見をもとに、委員会とクラスのやり取りを重ね纏め上げ、複数の卒業生代表が発表するのです。

入学当時、農産高校の「農」の字が恥ずかしく、自分の学校を「都立高校」としか言えなかった自分を振り返って、「今は、実習着も実習も大好きで、『農産高校の卒業生です』と大きな声で言いたいです。ありがとうございました」と胸を張った卒業生。

また、初めて農業実習で習った自分が作った『ぱん』を食べてもらおうと中学校に走って行った事、中学校の先生に『すごいね』 『おいしいね』と言われて「涙が出るほど嬉しかったです」と懐かしむ卒業生。成長の跡をしっかり見せてくれる彼らの表情は、輝いていました。

・・・・・・・・・・・

卒業式に限らず、学校においては、自由に意見を出し合い、合意に達するまで時間を掛け十分に話し合い、物事を進めることが必要です。処分を背景にした強制では決してうまく進まないのです。

教育は息の長い仕事です。生徒達の成長の仕方も様々です。私たち教職員は全神経を子どもたちに向け、子どもたちのちょっとした変化やサインを見逃すまいと頑張ってきました。

最も人間的であるべき学校だからこそ、教職員にも個性を認め、多様性を大切にして欲しいのです。教職員が上司の顔色を窺うようになったり、自分の意見を自由に言えなくなったのでは生徒の多様性を認める教育活動は出来なくなってしまうのです。

(次回は4人目の<Hさん>です。)



2009/07/16

「8・28都教委包囲アクション」へ(4)

渡部です。 

今回は、「君が代」強制解雇裁判の控訴人陳述二人目です。

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<Kiさん>

「10・23通達」発令直後の11月1日に、私が勤務していた都立高島高校は創立30周年行事を実施しました。

「通達」が発令された翌24日、校長は臨時職員会議を開き、「通達」を読み上げました。私は、「起立・斉唱職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる」という一節を聞き、従わねば処分するぞと脅迫されたと思いました。この時の怒りと恐怖を今も忘れることができません。

式前々日の10月30日、2回目の臨時職員会議が開かれましたが、朝から2名の指導主事が校長室に居り、会議中も待機していました。校長は「本当は出したくないが、上から命令されているので」と言いながら、個別職務命令書を出しました。

当日11月1日、式場の教職員の椅子の一つ一つに氏名を書いた紙が貼られ、なんと胸につける名札が、一人一人に配られました。生徒、PTA役員、教育庁職員のただ一人にも配られていないにもかかわらず、です。式場には教育庁職員7~8名が監視のために巡回していました。

「国歌斉唱」が始まると、なんと教頭と指導主事1名が教職員一人一人の顔を見ながら、起立斉唱しているかを確認しながら前を通ったのです。私は自分の思想・信条に反して、処分を恐れて起立してしまいましたが、「囚人点呼」されているように感じ、怒りと屈辱感で一杯でした。

2004年4月の入学式で私はこの時も処分を恐れて、自分の思想・信条に反して起立しましたが、一人の保護者が身体を固くして、ジッと着席していたのを目撃しました。その姿を見て、私を含めて教職員全員が起立することが、生徒や保護者に「立て!」と無言の圧力を加えていると改めて気がつき、ハッとしました。

2005年2月、都教委は従来なかった新しい項目、すなわち「学習指導要領に基づき適正に生徒を指導すること」と職務命令書に書き加えました。副校長は「生徒が多数起立しないならば、式を中断して起立を促します。今年は私がやりますが、来年は先生方にやってもらいます。そのように副校長連絡会で都教委に指導されています」と説明しました。

起立しないと決めた生徒に、式典中に近寄って「立ちなさい」と言うことは指導ではなく、強制に他なりません。私はそのような強制に手を貸せないと考え、今回は起立・斉唱命令に従わないと決意しました。

「日の丸」と「君が代」が、2000万アジア民衆と300万日本国民を殺した侵略戦争の、先頭に掲げられ、国民を鼓舞し、国民統合の象徴であったことは歴史的な事実です。故に私は「日の丸・君が代」に対して否定的な思想をもっています。

「日の丸」に正対起立し、「君が代」を斉唱することは、単なる儀礼や常識やマナーではなく、これらに敬意を表する行為です。そのような行為を強制されることは、私の思想を侵害することになります。また教職員が一斉に起立し、生徒に起立斉唱するように指導することは、生徒の思想及び良心を侵害することになります。

現憲法はこのような強制を禁じているはずです。憲法に基づいて判決されるように強く訴えて陳述を終わります。

(次回はOさんの陳述です)

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≪再発防止研修抗議・該当者支援行動≫

2009年3月・4月の卒・入学式での「君が代」不起立者に対する「イジメ研修」「反省・転向強要研修」への抗議と該当者支援行動です。

(日 時) 7月21日(火) 8時15分集合

(場 所) 都教職員研修センター前
      (JR・地下鉄 水道橋・都立工芸高校隣)

      弁護団申し入れ、都高教申し入れあり。

(主 催)・「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
      ・東京「君が代」裁判原告団

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2009年 『8・28都教委包囲アクション』
 (いくつか、若干修正しました)

<メインスローガン>
○改悪教育基本法の実働化と闘おう!
○10・23通達を撤回せよ!通達に基づく処分を撤回せよ!
○石原都知事は即刻退陣せよ!
(スローガン)
・教職員の差別・分断を図る主任教諭制撤回!
・職員会議での挙手・採決禁止の通知を撤回!
・業績評価制度(人事考課制度)廃止!
・「君が代」不起立分限処分を許さない!
・教員免許更新制度撤廃!

<日時> 2009年8月28日(金)
       15時~18時30分
<場所>都庁第二庁舎二階玄関前歩道
<予定>15時~     包囲行動・発言
      16時~     要請行動(参加団体・個人)
      17時30分~ 要請の報告・発言
<主催> 都教委包囲首都圏ネットワーク

参加する団体・個人は<抗議文><要請書><質問書>などをご用意してください。プラカード、ゼッケン、横断幕なども。私たちも「新趣向」を考えています。よいアイデアがありましたらお寄せください。みんなで人権無視、憲法違反の都教委に押しかけましょう。



2009/07/15

「8・28都教委包囲アクション」へ(3)

渡部です。 

本日(7月14日)、東京高裁で、「君が代」強制解雇裁判の控訴審第7回口頭弁論(結審)が行われました。

この裁判は、たった一回の「君が代」不起立で、<合格>していた嘱託員採用を、新年度2日前(2004年3月30日)に取り消されたことを不当として、10人(65歳以上の方々)が原告となり提訴している裁判です。(一審は敗訴でした)

本日、98の傍聴席は全部埋まり、入れない人も約30名いました。

ただ、この結審を前に、これまで裁判を取り仕切ってきた宗宮(そうみや)裁判長が6月30日突然依願退職し、かわって新潟地裁所長から転任の奥田隆文裁判長になり、2週間後の本日結審です。これで満足な裁判が出来るのでしょうか。原告たちは裁判に強い不信感を抱いています。

裁判では、<4人の控訴人陳述>と<2人の弁護士弁論>がなされました。終了後の報告集会で澤藤弁護士が「感動する法廷だった」と言っていましたが、とくに<4人の控訴人陳述>は素晴らしいものでした。

以下、これから4回に渡って、お一人づつその陳述を紹介していきます。(重要と思われる部分を紹介します。)

<Koさん>
終戦間近の昭和20年7月6日、私の生まれ故郷の甲府はB29の焼夷弾爆撃を受けました。当時2歳に満たない赤ん坊だった私はその爆撃によって両足にケロイドが残る火傷を負いました。・・・
この傷痕を見る度に、どれほど戦争を憎んだか・・・
授業やホームルームの時間に、何回か生徒に両足に残っているケロイドを見せたり戦争の話をしたことがあります。戦争のおろかさと悲惨さを体験した者はそれらを語り継いでいく責任があります。

私の担当教科は保健体育でしたが、保健も体育もいずれも「命」を育む教育です。
・・・戦時中の武道は国策として学校で必修化され、国に命を盲目的に捧げる精神・滅私奉公の精神、忠君愛国と兵力としての強靭な肉体とを養成することだけを目的としていました。
昭和14年に時の厚生大臣が提出した「武道振興委員会設置及び審議経過」によると、『・・一般国民ニハ極力武道ヲ修業セシメ、コレヲ行ワザル者ハ、就職・結婚ニ不利ナ条件トナルヨウニ迄、奨励ノ方法ヲ深刻ニ考エウベキナリ。』とまで言っています。

戦前の教育がそうであったように、「戦争は教室から始まります。」つまり、教育が行政権力によって支配され、学校が「命令と強制」、服従の場になった時に悲劇は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。・・

私は、32年間の教諭時代と6年間の教頭時代を通して、一度も不起立をしたことはなく、却って一番大きな声で堂々と歌ってきました。・・・

そのような私が教員生活最後の卒業式で何故起立せず歌わなかったのでしょうか。それは、「おかしいことはおかしい」と直感的に感じたことから始まりました。一つは、都教委が出した「10・23通達」が、これは「命令と強制」によって時代を逆戻りさせようとしているものだと感じたからです。当時、一部の国会議員と都知事、そして一部都議らは、憲法や1947年制定の教育基本法を破り、「戦争の出来る国をつくる」と堂々と公言し始めていました。これはおかしいと思うのが普通の感覚です。おかしいことをおかしいと言えない社会こそおかしいはずです。

たった一度の不起立で首にするなど、当時の横山教育長を任命したかの石原知事でさえ、予想していなかったと記者会見で述べています。
さらに、教育公務員だからこそ、過去の歴史的事実を認識し憲法に従って二度と戦争を起さないために、直感的にこれは間違っている、おかしいと感じたことを行動に移していかなければなりません。
学習指導要領を盾に、起立して国歌を歌わないと処分するぞという命令による強制は、憲法や教基法を無視し平和や人権を否定するうえで、「戦争のできる国」づくりをすることにつながるのだということに気づく必要があります。

(次回は、Kiさんです)

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≪再発防止研修抗議・該当者支援行動≫

2009年3月・4月の卒・入学式での「君が代」不起立者に対する「イジメ研修」「反省・転向強要研修」への抗議と該当者支援行動です。

(日 時) 7月21日(火) 8時15分集合

(場 所) 都教職員研修センター前
      (JR・地下鉄 水道橋・都立工芸高校隣)

      弁護団申し入れ、都高教申し入れあり。

(主 催)・「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
     ・東京「君が代」裁判原告団



2009/07/14

「8・28都教委包囲アクション」へ(2)

渡部です。 

昨日(7月12日)の都議選では、自民党が大敗しました。解散を先送りにし、延命を図ってきた麻生首相は、与党内をもまとめきれなくなり、ついに追い込まれ、7月21日解散、8月30日総選挙の日程で与党と合意するに至りました。

しかし、都議の公認候補58人中57人の事務所や集会を訪れ、最大の応援をした結果が歴史的な大敗でした。その彼が今度は自ら解散し、民意を問うというのです。また、その彼をどうすることも出来ない自民党です。彼らは必死で「麻生泥舟内閣」にすがり付いている状態と言っていいでしょう。

また、昨日の都議選の結果は、石原都知事にも大きな打撃を与えました。彼は今回、前回の20人を上回る36人の自民党候補を支援して回りました。にもかかわらずの惨敗です。これで、彼の進める<新銀行東京>や<築地市場の移転><オリンピック誘致>はすんなりとは進まなくなりました。

彼は、「総選挙の前相撲にされ、大迷惑な結果になった」と言っています。いかに大きなダメージを受けたかが分かろうというものです。

また、彼は麻生首相を批判し、「自ら醸し出した人心の離反みたいなのを分からない。空気が読めない、KYか。思い責任がある」と批判していますj。そして、麻生首相の下では衆院選は「だめだね」と言っています。相変わらずの責任転嫁ぶりです。

しかし、今回の都議選の結果はこの間の彼の都政に対する大きな批判でもあるのです。彼は小心者なので、「KY」ではなく、自分に批判の矛先を向くのを恐れて必死に責任転嫁をしているのです。

いずれにしても、揺れ動いてきました。いよいよ、一般ピープルの出番です。私たちが、自ら大衆運動を発展させ、大きな波を日本社会に東京都に立てれば、「麻生泥舟内閣」」も「石原小心丸」も耐え切れず、沈没することになるでしょう。

以下は、「8・28都教委包囲アクション」のお知らせです。

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『8・28都教委包囲アクション』

<メインスローガン>
○改悪教育基本法の実働化と闘おう!
○10・23通達を撤回せよ!通達に基づく処分を撤回せよ!
○石原は即刻辞職せよ!
(スローガン)
・教職員の差別・分断を図る主任教諭制撤回!
・職員会議での挙手・採決禁止の通知を撤回!
・業績評価制度(人事考課制度)廃止!
・「君が代」不起立分限処分を許さない!
・教員免許更新制度撤廃!

<日時> 2009年8月28日(金)
       15時~18時30分
<場所>都庁第二庁舎二階玄関前歩道
<予定>15時~ 包囲行動・発言
      16時~ 要請行動(参加団体・個人)
      17時~ 要請の報告・発言

参加する団体・個人は<抗議文><要請書><質問書>などをご用意してください。プラカード、ゼッケンなども。私たちも「新趣向」を考えています。よいアイデアがありましたらお寄せください。そして、みんなで都教委に押しかけましょう。



2009/07/13

7月10日(金)

 朝から蒸し暑い。何人もの同僚たちが挨拶に、「暑いから気をつけて!」とことばを添えてくれた。いつものように、近藤さんと出勤・「登校」する人たちを迎えた。

 近藤さんが帰ってからは、スクールバスの人たちとおしゃべりをしたり、校外学習で出入りする生徒たちを見送り、出迎えていつものように過ごした。

 交流学習で来校した地域の小学校の子どもたちに行きも帰りも声をかけたら、帰りには、「楽しかったです」「ありがとうございました」と言ってくれた。一人の子どもは、「何をしているんですか」と私に聞き、しかし、流れを止めるわけには行かず、歩を進めていく。私は、「先生に聞いてみて」と答えた。

 午後、千葉のNさん、群馬のKさんが来てくださった。

 朝は蒸し暑かったが、日中はさほど気温は上がらず、昨日よりずっと過ごしやすかった。



7月9日(木)

 立川二中に。7時40分、私が着くとすでに挨拶隊の女性が立っていられた。挨拶のことばをかけたが、この方は聞こえなかったかのよう。やや遅れてもう一人年配の女性が来られ、この方にも挨拶をしたが、やはり同じく応答なし。4月に「出勤」した時も、この方々はそうだった。そしてこの方々は今朝も、車を止め横断する生徒たちに、「渡りなさい」と指示を発す。4月にはそれを断る生徒が一人いたが、今日は皆応じていた。

 Nさんが「社会科の授業・続き(3)」(先月鶴川で手渡したもの)を生徒たちに手渡した。「受け取ってはいけないもの」と思わされている生徒たちがかなりいる。でも、友だちと読みながら、また、「この前のと違う」と言いながら校舎に向かう生徒もいる。「ありがとうございます」と言って受け取る生徒もいる。社会の縮図を見る思いだ。


 Nさんが帰られ、読書を始めたが日傘1本では暑さから逃れられない。暑さで頭ももうろうとして来る。本を閉じ、ぼーっつと行き来する車を見るでもなく、眺めていた。そんな時に、お子さんの忘れ物を届けに来られた保護者だろうか、そのようなものを手にした方がプラカードをご覧になり、私に丁寧におじぎをして入って行かれた。あわてて、私も挨拶を返した。

 しばらくして、やや速度を落とし、クラクションを軽快に鳴らして車が私の前を通り過ぎた。うん??ああ、あの方だ。時計を見ると、10時。やっぱり、大学で教えるあの方に間違いない。気づいて手を大きく振った。バックミラーから見えただろうか。

 またしばらくして、「邪魔だ、退け、ばかやろう」と怒鳴って、40面の男が自転車で通り過ぎた。「そういう言い方はないでしょう」と感情を抑えて返すと、その男は「うるせえ、ばか」と言いながら去っていった。

 不快さが消えないところに、Nちゃんが来てくれた。留学から帰って、1年ぶりの対面。留学先で撮った写真を見せてもらい、話を聞いた。昼食に持ってきたパンを、Nちゃんと半分ずつ食べたけれど、かえって空腹の胃袋を刺激してしまった状態になった。それに暑くてたまらない。そこで、Sさんに電話をし、パンと冷たいものを差し入れてくれるよう頼んだ。近くに友人が住んでいて、SOSを発することができるのはありがたい。すぐに持ってきてくれた。熱い体に、シャーベットのおいしかったこと!


 今日は最後までいる予定であったが、5時間目が終わったところで、熱射病になったらいけないからと引き上げることにした。片付け始めたところに、生徒たちが「下校」してきた。数人が連れ添って出てきて、一人が「ぼくも『君が代』歌いたくない」と私に向かって言う。「だりい(だるい)」のだという。「君が代」の意味は「知らない」とも。「どんな意味なのか、調べたり、担任の先生に聞いたりしたらいいと思うよ」と返すと、「うん」と言い、帰っていった。今日は2年生の保護者会で、2年生は5時間授業だったのだそうだ。

 最後にしまうつもりで立てかけておいたプラカードを、通りかかった女性がご覧になって、「まったくひどいですね。がんばってください」とおっしゃり、頭を下げていかれた。



7月8日(水)

 朝だけ南大沢学園特別支援校に3週間ぶりの「出勤」。到着した時には寄せてあった副校長席後のカーテンが、5分後には窓1枚分、閉められた。

 一緒に仕事をした人たちと、「お久しぶり」と挨拶を交わした。今朝もBさん、Cさん、Dさん、担当した生徒たちとことばを交わして、エネルギーをもらった。

 お孫さんの「登校」に同行して来られる方が帰りがけに、「大変ですね。嫌な世の中になりましたよ」と話しかけてこられた。4月初めにも話し込んでいかれた方だ。「日本人は針が右へ行けば、皆、右に行ってしまう。自分で考えようとしない。それが最も困ったこと。そして、だから石原のような独裁者を好むのだ」とおっしゃる。「まったく、そうだと思います」と私。

 7時半に着いた時から「登校」時間まで、私が気づいただけでも5回、パトカーがゆっくり、何かを偵察するようなゆっくりさで通った。

 今朝もSさんが来てくださった。Mさんが迎えに来てくれて、ニュースの発送作業に向かった。



7月7日(火)

 あきる野学園に。

 これまで挨拶は交わしていたが、それ以上の話しになることはなかった一人のスクールバスの方が、「がんばってくださいよ、がんばって!」と言ってくださった。話はそれだけだったけれど、そう見ていてくださったことがはじめてわかった。

 今朝は生徒の中にも、はじめて尋ねてきた生徒がいた。高等部のAさん、挨拶を交わした後、「根津先生、何しているの?」と言う。ずっと不思議だったのだという。処分について説明をすると、「学校へ来てはいけないって、ひどくない?!」と言う。やり取りの中で、「私は天皇だけが偉いのではなく、誰もが大事にされるべきと思っているの。Aさんも私もね。天皇は偉い人と称える歌は歌いたくない。それも立たない理由なの」と話した。Aさん、「そうか」と言い、続けて「困った時には相談して、私、相談に乗るから」と私を気遣ったことばを出して、中に入っていった。3ヶ月かかって彼女の疑問は解決したのかな。


 犬を連れた男性が通りかかりプラカードをご覧になって、「東京都がしてるんですね」と確認された後、「がんばってください」とおっしゃって通られた。

 朝から校外学習に出ていた小学部低学年の子どもたちが昼近くに戻ってきた。口々に「ただいま」「楽しかった」「あつーい」と挨拶してくれる。ちょっとした会話だけれど、気持ちがほんわかしてくる。



2009/07/10

解雇させない会ニュースNo.25

解雇させない会ニュースNo.25のダウンロードです。


 

解雇させない会ニュースNo.25

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2009/07/04

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2009年7~8月を更新しました。

法廷カレンダー
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2009/07/02

「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 四八  2009.7.1
八王子市立第五中学校夜間学級
被処分者 近藤順一

 いよいよ政治の季節ではあるが、順を追って報告する。

07・08処分の東京都人事委員会審理終結目前

 2年連続の処分に対して一括審理が行われてきた。先日5・21の公開口頭審理で、処分時の校長、八王子市教委の指導室長、請求人本人(近藤)の証人尋問が行われた。元校長・指導室長の証言は、都教委の強制を認めず、通達・職務命令が教育の自由をいかに侵害しているかに無自覚であることを示した。私は「処分、処分という、そういうエスカレート、処分をエスカレートされていくというのは、本当に危険だというふうに思っております。」と述べた。(『尋問速記録』を読んでいただける方はご連絡ください。)
 7/3までに双方が最終準備書面を提出し審理は終結する。私はきっぱりと公正な裁決を要求する。人事委員会はすでに都教組八王子支部関係3人の処分事案で裁決を出している。それは「10.23通達」・市教委通達・職務命令を合憲合法とし処分を妥当とするきわめて不当な内容である。従って、甘い期待はできないがそれをも踏まえていくつもりである。
07処分では、まもなく都立学校の皆さんの意見陳述がはじまる。心からエールを送りたい。

09処分の審理開始

今年3月の不起立・不斉唱に対する懲戒処分(減給10分の1,6ヶ月)に対して不服審査請求を提出していた。東京都人事委員会はこれを受理し<平成21年(不)第8号事件>と認定した。先日6/18付で、処分者都教委は「準備書面(1)」を提示してきた。
そのいくつかを列挙すると、
(1) 「児童・生徒に対し、国歌斉唱の際、起立を強要させることはしていない。」
(2)    国旗・国歌法成立時の第145国会における有馬文部大臣・矢野政府委員の答弁を強制、処分の背景としている。
(3)    「生徒が公正・中立な教育を受ける権利」「社会生活において必要となる基礎知識を身につける必要」を「日の丸・君が代」強制の根拠としている。
(4)    教科書裁判の判決、06教育基本法1条を強制の法的根拠としている。

 こうしてみると、「日の丸・君が代」強制によって、教職員への管理統制の強化と共に、児童・生徒に対する教育内容の統制が進行していることがわかる。それは決して3,4月の卒業式、入学式当日だけのことではない。

今年も強行される「服務事故再発防止研修」

 先日、校長から7/21午前中3時間の「研修」発令を受け取った。上述したように、この処分は現在執行中であり、私は毎月給料日には、屈辱的にも、事務室で減給された給料を現金で支給されている。そしてすでに東京都人事委員会に不服審査請求を提出し受理され、都教委も争うことを表明している。このような状況下で職務命令によって強制される「研修」とは何を意味するのか。昨年同様「受講前報告書」「法令問題」「データ問題」のレポート提出を義務付けられている。「服務事故」を捏造し、「思想・良心」の改造・放棄を強要し、新たな「分限処分」を策謀するものと言わなければならない。
 特に昨年7/15に施行し、「研修」の場で再三とりあげられた「分限事由に該当する可能性がある職員に関する対応指針」の適用の恐れがある。この中で「研修の効果があがらない」「職務命令に違反する」「再び非違行為を行い」などにより「降任」「休職」「免職」の「分限処分」ができるとしている。都教委は、これまでも自分の意に従わない教員を「分限免職」にしてきた。
 このような不当な「服務事故再発防止研修」に抗議し、新たな処分、特に「分限処分」の強行を止めなければならない。皆さまのご支援をお願いします。

 まもなく東京都議選挙がある。すべての都議候補者に「日の丸・君が代」強制の是非を問いたい。



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