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2010/02/25

2010年春の闘い(3)

渡部です。 

本日(2月24日)も東京で、「君が代」処分に関する二つの裁判がありました。

一つは、根津さん・河原井さんの控訴審(二審)です。
これは昨年3月に極めて不当な一審判決を受けた裁判です。
今回は、主に弁護士が、

  1. 世論が分かれている問題に対し、一方的に強制し処分するのは問題であること。
  2. 「日の丸・君が代」は戦前皇国史観、軍国主義を広める役割を担ったもので、そういうものを強制するのは憲法19条違反であること。
  3. 裁量権の濫用にあたること。
  4. 教育公務員の地位は、戦前の反省を踏まえ法的にも守られていること。

などについて意見陳述しました。

これに対し、裁判長は幾つか質問をし、珍しく、「問題は重層的であり、難しい」というような感想を述べました。

しかし、「難しい」ことなど何もないのです。憲法で「国民主権」と定められた社会で、<天皇の世の中がいつまでも続くように>というような歌を「国歌」として法制化し、強制し、それを拒否すれば処分するなどということは、誰が考えても許されることではないのです。

このような本末転倒したことは決して長くは続きません。だから、天皇も心配になり、「強制はよくない」と述べざるを得なかったのです。

もう一つは、東京小中学校「君が代」裁判の一審でした。
この裁判は原告が10人で、本日はその結審にあたり、後半5人分の意見陳述が行われました。以下はその陳述からです。

<Aさん>

10・23通達が出た後、卒入学式は全く変わってしまいました。・・・・学校現場も変わりました。先日の職員会議では、卒業式の提案に意見を言おうと思いましたら、「ここは意見を言う場ではありません。司会の人やめさせてください。提案を確認する場です。」と管理職に言われ、意見すら言わせてもらえませんでした。こんな会議がまかり通っているのです。
・・・・自分の意見は封じられた一方、子どもには自分の意見を言える子を育てよとの研究をしています。多くの教職員は、自分の考えと乖離した仕事をさせられる毎日です。病休者も増えるはずです。
・・・公務員も、自分の仕事がおかしな方向になりそうなとき、抵抗しなくてはならないのは当然だと思います。

<Tさん>

・・町田では「君が代」について指導したか、1月から3月まで毎月、各学校は市教委に報告をさせられています。かけ算は教えたか等と他のことで報告させられることはないのに、「君が代」指導だけ突出しています。
先日、私は卒業式の式次第にある「国歌斉唱」に対し、職員会議で反対意見を述べました。意見を補充するための資料を配布しようとしたところ、校長が「起案されていない」と怒鳴りました。事案決定規定により、校長が了承したものでないと職員会議に提案できなくなりました。「提案事項ではなく、意見を述べるだけです」と答えたのですが、資料は没収されました。反対意見を言ってはならないという圧力を感じました。その後、気を取り直して意見は言いましたが、この様に意見を言うのにも勇気を振り絞らなければなりません。
・・・今や卒業式は、子どもたちを主人公としたものではなく、国家への忠誠を誓わせる場となっています。
・・民主主義とは多様な価値観を認めあうことだと思いますが、今の学校現場には民主主義はありません。
・・・教員にものを言う自由がないということは、とりまなおさず、子どもたちにも意見表明の自由がないということです。

<Fさん>

・・処分された2004年以降の卒業式と入学式は、毎年苦痛で胃が痛くなるほどつらいものになりました。不起立で処分されるか、子どもたちと自分自身にうそをついて起立するのか、・・処分されない方法に逃げるか、選択を迫られています。これは、憲法によって私の人権が守られている姿でしょうか。都教委通達以降、教員のほとんどは、自分の心の内を語れず、自分の思想を語れず、言葉を飲み込むようになりました。苦渋の末起立した人はもちろん、会場外見回り係、受付係、放送係、ビデオ係等でとりあえず不起立処分を免れても、この苦しさは変わりません。これは、憲法の基本的人権が守られている姿でしょうか。
・・・10・23都教委通達は、民主主義教育の完全な否定です。

<Mさん>

・・・今、教職にあるもので、一緒に暮らしていた兄弟たちから生々しい戦争体験談を聞いて育った世代は、私が最後の年代に入るかもしれません。
(自身の家族の戦中・戦後の苦労、そして長兄が15歳の若さで勤労動員の作業中に亡くなった話を紹介)
そんな私の一家の思いは、少し前の日本の家族にはどこにもありました。裁判官におかれては、どうかご理解いただきたい。日本のあちこちに、「平和を希求する」たくさんの人々がいること、今の日本の「豊かさ」を受け止めながらも、「日の丸君が代」の強制に「戦争」への足音を感じ取っている者がたくさんいるということを。「平和を求める」私が処分されるという事態は、「平和を求める心」を行政が許さないということです。

<根津さん>(本日欠席のため意見書から抜粋)

・・・東京の教育行政の実態はまさに独裁によるものです。10・23通達も職員会議での採決禁止も、まさに独裁の結果です。
・・・校長を含め教員の多くが、学校を私物化した都教委に怒りあるいは諦めを持っています。ご自己の不利益を恐れ、校長は自己の教育的良心に反する職務命令を発し、そして、ほとんどの教員もまた、良心・本心を隠してその職務命令に従っているのです。その結果、子どもたちの前で嘘がまことしやかに、子どもたちに一番身近な教員によって演じられているのです。「厳粛な」儀式の場面で湧く感情に働きかけることにより、子どもたちが戦前と同じように、「起立・斉唱」を正義と、起立を拒否する教員を「非国民」と認識していくのは必然です。元凶は都教委ですが、教員たちは起立することによって、「子どもたちに国家的価値=国家忠誠意識を刷り込む役割を果たしているのです。そのことに教員は自覚的であらねばならないと思います。だから私は起立を拒否するのです。
・・・私にとってこの職務命令は、人として生き続けることができないほどに「思想・良心の自由」を侵害するものです。

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なお、ジョン・ロックは、『市民政府論』(1689年)という本の中で次のようなことを言っています。

「他の者を自己の絶対権力の下におこうと試みる者は、これによって自分自身をその者との戦争状態におくのである。」



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