フォト

掲示板

停職「出勤」日記2009

停職「出勤」日記2008

停職「出勤」日記2007

停職「出勤」日記2006

停職「出勤」日記2005

投稿欄

ちらし置場

リンク集

« 3.15立川情宣 | トップページ | 2010年春の闘い(17) »

2010/03/16

2010年春の闘い(16)

渡部です。 

本日(3月15日)、都立高校の卒業式はありませんでした。

これまで来ている報告を紹介します。今回は山谷日雇労働組合の方々からの報告です。みなさん、ありがとうございました。

(3月9日(火))
<AK(定)>
卒業式でのビラまき情宣には、東京・山谷日雇労働組合の組合員5名が取り組みました。当日は、真冬並みの寒さで、みぞれが途中から雪に変わるという悪天候でした。
午後6時から、卒業式開始の6時50分まで行いました。卒業式に登校した卒業生は約7人くらいで、生徒・保護者など合わせて10枚くらいの人が受け取りました。表立っての警察の監視活動はなかったようです。

(3月13日(土))
<S高校>
東京・山谷日雇労働組合の組合員6名が取り組みました。風が強い日でしたが、天気は温かく、朝8時前には、正門前に到着しました。するとあらかじめ来ていた私服刑事(おそらく向島警察署)の目つきのわるい50代の男がひょこりと現れ、一般の通行人を装ってずうずうしくもビラを受け取ろうと手を出してきました。
仲間が「お前、私服だろう」と一喝しました。この私服は、正門前にずっとたって組合員の動きを監視ししています。
8時前後からはまず在校生の生徒たちが登校してきました。ひとりひとりにビラを手渡し始めると、私服は「ビラを受け取らなくていいから」などと説教をはじめました。仲間たちは「表現活動への妨害をやめろ」と抗議しました。
そのやり取りを見ていた生徒たちは興味や好奇心も手伝って、逆にビラの受け取りがよくなりました。
途中、副校長が正門前に顔を出して、私服と言葉を交わしていましたが、ほどなく校内に引き上げいきました。
9時前後になると卒業生たちが登校し始めてきました。その後、卒業生の保護者が登校して来ました。大体300枚くらいのビラを手渡すことができました。9時45分までビラまきをやりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、本日は東京地裁で、再雇用拒否撤回第2次訴訟」の第2回口頭弁論がありました。原告25名。傍聴席100席弱はほとんど埋まりました)
渡辺裁判長の訴訟指揮と、原告3人の意見陳述の際の態度に、傍聴席から抗議の声が一斉に上がりました。「ヤジと怒号にあふれた裁判」となりました。
特にひどかったのは、3人の意見陳述の際の態度で、その間、まともに意見陳述者の方に顔を向けず、絶えず書類をめくっており、余りのひどさに傍聴席から、「書類をめくるのをやめろ!しっかり口頭弁論を聞け!」という声が何度も上がりました。
そうすると、「私はちゃんと聞いています」と言っては、また、書類をめくりはじる。その音がまたうるさい。
ついには、陳述者が「裁判長!」と呼びかけると、「はい!」と返事しましたが、また書類をめくり始めるという具合。
それでも、3人は立派な意見陳述をしました。3人3様に、いかに今回の処分が不当なものであるかを述べ、かつ現代日本の生きた教育論が展開されました。
できればすべてを紹介したいのですが、ここではその一部だけを紹介します。

<Wさん>
「10・23通達」は100%強制であり、例外は認めないものである。反対するものは一人残らず職場から排除するものだ。これは全体主義そのものだ。これに賛成できず、不起立した。
すると事情聴取に呼びだされたが、録音も記録もだめ、そしてつくられた書類に一方的に印鑑を押させられる。しかもそのコピーさえとらせない。
これでは、何が書かれても、あるいは後でどう変えられても、どうしようもない。
しかも、再発防止研修には、「職務命令」を出した校長まで同席させる。なぜか?
不起立者を過激な職員と思わせているがそうではない。多くの職員も同意して起立しているわけではない。生活のことなどがありそうしているだけだ。
しかも、再雇用不合格の理由を質しても「答えられない」という。校長さえも、「自分が推薦したのだから私が否定されたのと同じだ」と言って都教委に行ったが「担当者がいない」とかなんとかで、回答なしだ。自分の業績評価は総合Aだった。にもかかわらず、不合格理由の公表を避けている。

<Tさん>(元定時制高校勤務)
・・現在の定時制高校は、短いとはいえそれまでの人生で挫折を経験し、社会からドロップアウトしてしまった若者がほとんどです。
・・・どの生徒をとっても抱える問題は深刻で、文字通り社会の底辺の縮図そのものです。
(以下、

  1. 暴力問題で全日制を実質退学処分になったH君への実践、
  2. 在日韓国人二世のR君への実践、
  3. 中国残留孤児のSさんとの出会い、

などを紹介し、次のようなことを述べました。)

(1. に関して)
 処分をふりかざし職務命令で教員を動かそうとする都教委のやり方は、学校での生活指導に例えれば規範や規則を大義名分にして、退学処分をふりかざす指導と同じです。それは生徒の心の声に耳を傾け、心を開かせ、それまでの自分と向き合わせることで、弱かった自分を乗り越えさせていく指導とは180度異なります。

(2. に関して)
 ・・次第に学校の授業や読書にも熱心に取り組み始め、4年生になる頃には民族的自覚が芽生えたのか、本名を名乗るようになり、同時にハングルを自学し始め、大学進学をも志すようになりました。
 しかし、その彼が、卒業してまもなく、突如自死するという行為に走ってしましました。自身が在日韓国人であることの壁を越えられなかったことの苦悩の結果であることは疑うべくもありません。それ程に、戦争によって生じた在日韓国・朝鮮人の問題は現在も深刻なのです。

(3. に関して)
(Sさんは卒業式に答辞を読みました)
・・彼女は答辞をこう結びました。「自分の境遇は運命と諦め受け入れてきた。しかし定時制高校での学び、沖縄への修学旅行などの平和学習を通じて、自分の人生は決して運命なんかではない!その背景には戦争があったんだ!」こう語ったのです。

私は「戦争は決して過去のものではない!今、目の前の生徒の中で繰り返されている!」と改めて思わずにはいられませんでした。

<Hさん>
(「10・23通達」以前の生徒・保護者・教員で作り上げた卒業式から)
・・最後に、5名の生徒が卒業への思いを語る場面は、30年を超える私の教員生活の中でも、最も感動的なものとなりました。幼い頃両親が離婚し、父親の手で姉妹3人が育てられ、反抗期も手伝って父親とも話もせず、遊び回っていた高校生活を振り返り、最後のこの場で、それまで素直に言えなかった「お父さんありがとう」の感謝の言葉を、対面する保護者席に向かって叫ぶように述べた女子生徒に、会場全体が涙を誘われました。・・
・・10・23通達以後の式の様子が、常識的に考えてもどれだけ異常か想像してみて下さい。準備段階から式内容や各人の行動がカンジガラメに縛られた職務命令が2回も出され、当日は教員イスに番号札が貼られ、CDやテープの演奏ではダメ、演壇正面の国旗に正対するため卒業生の方には体を向けず、管理職が国歌斉唱の最中に起立のチェックに歩き回るなど、大切な教育活動としての式とは程遠い異常な光景です。
・・つまりは、生徒の卒業を祝う生徒のための卒業式ではなく、都教委の学校管理・学校統制のための式典となったのです。
(こうした動きに抵抗し不起立したHさんは、その後、業績評価に<C>を付けられ、遠距離への不当配転を強いられ、処分による大きな経済的不利益に加え、さらには日勤講師も不合格になりました。Hさんは、障害を持つ家族を抱え、医療費や介護費など多額の出費を強いられでいます。Hさんは次のように言っています)
・・あまりにも暴虐無慈悲な処分という他ありません。



« 3.15立川情宣 | トップページ | 2010年春の闘い(17) »

投稿欄」カテゴリの記事