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2010/03/18

2010年春の闘い(18)

渡部です。 

昨日(3月16日)の卒業式ビラまきの続報です。

<K高校>
二人で8時過ぎくらいから撒き始めて150枚くらい。はじめに「敷地内には入らないでください」とは言われましたが、以降目立った注意や妨害は受けませんでした。
門前の歩道は狭く、二人並び歩くのがやっとという感じなので、大変撒きづらく思いました。生徒や保護者の、こちらへの関心は薄いようで、受け取りはさして良くありませんでしたが、挨拶をすると会釈をしてくれる人も多く、気分は良かったです。

<MT高校>(被処分者のFさんから)
私一人だけでの配布。 陸上部の長距離と思われる生徒達が20名くらい学校の周り、校門から玄関までの100m弱を 走っている。さすがに全国大会に行くクラブと 感心する。
さて、教頭から型どおりの注意があるが 一回だけで、友好的?である。おそらく主幹と思われる年配者も友好的で彼と雑談をしながらビラをまく。
生徒の受け取りはそれほど良くない。保護者も他校に比べると今ひとつというところ。
小声で「頑張ってください」と声をかけてくださった保護者一名。
居丈高に「ふざけんな」と言い捨てていく保護者がいたので「まじめに配ってます」と応える。一度は中に入ったが、1分後くらいに門まできて「そんなところでこそこそ配ってないで、なかで堂々と撒いてみろ。さび付いた歴史観などをいつまでも・・」などというので「何のことだか分かりません」というと舌打ちをして入っていった。
主幹と覚しき人と「なかでまけるならしてますよねえ」と顔を見合わせる。

店じまいをしていると組合という人が(本部員か分会長でしょう)「ビラを下さい」というので 「サービスします」とビラ、個人ビラ(3月23日の人事委員会審理)個人の裁判所に提出した陳述書、「よみすて新聞」を渡す。約200枚の配布でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注記:渡部)「3月23日の人事委員会審理」というのは、「授業をしてたのに処分?」という本末転倒した処分事件に対するものです。

Fさんは2005年3月の卒業式で、2回目の不起立をし7月21日再発防止研修(一般研修)を受けました。その翌日、(専門研修)の日程(9月13日)を知らされました。しかし、本人は当日5時間もの授業があるため、日程の変更を要求しました。校長もFさんの授業の無い9月9日への変更を要請するとしました。しかし都教委は、8月1日(まだ一ヶ月も猶予がある)に、日程の変更は出来ないと回答してきました。
その後もFさんは、都教委に9月9、20、21、22、30日の代替日をしましたが、都教委はそれさえも聞き入れませんでした。
9月13日当日、Fさんは授業を優先し、学校で授業を行いました。
しかし、研修センターより戻った校長はFさんを激しく叱責しました。それに対しFさんは、「教諭の職務は生徒の教育であること。授業は学校教育の根幹であること。生徒に還元できない『研修』なるものに授業を行わずに行くことは、職務専念義務違反に問われかねないこと。学校で授業を行うことが保護者・都民の期待にも添うこと。」を述べたましたが、校長は、「都教委に従うことが大事」との趣旨の発言をしたということです。
その後10月14日、Fさんはこの件で事情聴取を受け、12月1日、<減給10分の1 6ヶ月>という重い処分を受けたというものです。
いかに都教委が異常であるかはこの件を見ても明らかです。都教委は、生徒や授業よりも、教職員が自分達の命令を聞くことの方が大切なのです。
「本末転倒!都教委は気は確かか!」と言わざるを得ません。都教委は石原の影におびえて正常な判断が出来なくなっているのです。まるで戦争中の日本軍兵士の振る舞いのようです。 

Fさんの人事委員会(第1回公開口頭)審理は、以下の通りです。
3月23日(火)
13時30分傍聴券配布開始(都庁第1庁舎北棟38F)
14時開始(都庁第1庁舎39F・人事委審理室)
  証人尋問:宮島福生高校校長(当時)、
        種村統括指導主事(当時)



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