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2010/04/16

河原井純子さんから【ニュースNo.30より】

2010・春 いい日 春光の抵抗の風と雑木林
河原井純子

(1)全国のみなさん 様々な抵抗の風を共にありがとうございます。

 別れと出会いの季節となりました。みなさん、お変わりありませんか?
 私は、3月31日付けで無事(?)定年退職しました。
 これまでのあたたかく心強い数々の共闘と支援に心から感謝いたします。
 そしてまた、引き続きよろしくお願いします。決してあきらめずにいきましょうね。
 この3学期(1月から3月)は公私ともに激動の日々でした。96歳になる連れ合いの母が目の離せない状況が続きました。連れ合いをはじめ周りの人たちと力を合わせてなんとか乗り越えることができました。学校では「TAIMSの導入」により日一日と管理と統制が強まり職場全体が緊張の日々でした。
 時間をみつけては、学校のなかの「おかしさ」や「息苦しさ」を共有しあい「『おかしさ』には、自分のできることで抵抗し、連帯の輪を拡げていこうよ」「『息苦しさ』には、思い切って『NO』と言って、立ち止まってみようよ」と話し合っていました。
 ひとりひとりがパソコンにばかり向き合っていては、解決の糸口を見つけることは困難ですからね。私はいつもいつも声掛け人でした。
 3 月3 1 日、全水道会館での「日の丸・君が代」の不当処分に抗議する集会の後に「学校は雑木林」の本を背負って出掛けました。全水道会館では多くの方から「長いことご苦労様でした。」「抵抗し続ける姿に勇気と元気をもらい続けていましたよ」「1950年はトラ年でしたね。2トラ[河原井と岸田さん(今回停職1ヶ月)]が原野にとびだすのですね」などなど声を掛けていただきました。
 この日の行脚先は小さな集まりでしたが「河原井さん、長いことありがとう!! 明日(4/1)からは少しゆっくりしてください」と送り出してくれました。
 遅く自宅に戻りますと、連絡を取り合って家族たちが集まり「J u n k o さん退職(太字で書いてありました。クビでなかったので)おめでとうございます。長いことお疲れ様でした」という手作りのカードで迎えてくれました。なんの予告もなかったのでうれしい驚きでした。「解雇を覚悟しての数年共によく歩んでくれました。本当に本当にありがとさん」これが私の家族みんなへの言葉でした。

(2)最後の卒業式3月24日 小学部年生の子どもたちと教室で・・・

 前述しましたが、1月から3月は激動・激務の連続でした。自分でもよく倒れずに、たおやかに続けられたなと感慨深いものがあります。
 これはまわりに全国規模で多くの仲間や同志たちが常に共生共存していてくれた「共に」の存在と「がんばらないあきらめないたのしみたいつながりたい」を大切にしながら歩み続けたからだと今振り返っています。
 この間も約束した集会や行脚には体制をつくりながら努力して出掛けました
 集会や行脚先で「最後の卒業式が近付いてきます。子どもたちや青年たちの顔が胸に迫ってきます・・」と、緊張のなかで決意を述べてきました。
 しかし「インフルエンザ対策」ということで3月24日の卒業式当日は小学部低学年(1年~3年)は教室で平常授業となりました。
 最後の学級活動で「3学期のまとめと3年生に向けての決意」をしました。
 体育館では「小中学部の卒業式」が実施され何事もなかったように「日の丸・君が代」が存在しているとかんがえると穏やかではありませんでした。2009年度は「インフルエンザ対策」で厳重状態の学校でした。

  1. ●体育館での全校行事はしない
    *八東祭(文化祭)は舞台で演じるだけ観客席には児童生徒は座らない。
    *学期の始業式・終業式・修了式は分散型でする。
    例えば、2学期の終わりの会(終業式)は全員教室で、全部放送で実施。
  2. ●数々の校外学習の中止

 「卒業式」だけが特化されているのではなく学校行事、学校の全てが「インフルエンザ対策」が優先されるという2009年度でした。
 「君が代不起立」を理由に高等部の持ち上がりから降ろされ、小学部2年生担任になった2009年度。八王子東特別支援学校は「君が代不起立者0」となりました・
 私の最後の卒業式は不本意のなかで「不起立の機会もなく」「処分もなく」幕を閉じました。

(3)行脚はつづいています ちいさな行脚からおおきなおおきなうねりを

● 3.7 学校は雑木林「君が代」不起立を貫く河原井純子さんとともに
  現在の教育を考えてみよう学習会 in 板橋グリーンホール
 2008年12月の全国行脚・青森で出会った青年労働者の「わたげの会」の若ものたちと学び合いの場をもちました。
 「なぜ、不起立するのですか?」という素朴な質問に応える会でした。「君が代」の歌を何の疑問もなく当たり前に歌わせられてきた若ものたち。この素朴な疑問や質問はまさに若ものたちが学んできた学校教育の証明です。
 私は交流会で「「みなさん味噌づくりをしてみませんか?」と誘いかけてみました。「日の丸・君が代の学び合いは味噌づくりからと直感したのです。なんと若ものたち「おもしろい!!」「やってみたい!」と乗ってきたのです。
 青年労働者たちとの継続学習会「日の丸・君が代の学び合い」は、味噌づくりから実現していこうと考えています。いまから楽しみです。

● 3.13~3.14「日の丸・君が代」の強制に反対する新潟県住民集会新潟から糸魚川へ
 都庁前で出会った新潟の若い女性が呼びかけてくれて実現した行脚です。
 主催者から「会から高教組(高校の教員組合)と新教組(義務制の教員組合)が組織的に脱けてしまいました。集会に何人くらい集まるか?50 人きたら成功だと思います。」という連絡を受けて出掛けました。しかし、当日用意した机や椅子、資料が足りなくなる位の参加者と共有できました。70名以上いたでしょうか、うれしい悲鳴でした。いろんな方が気楽に「日の丸・君が代」の想いを発言しあい充実した内容になりました。
 上島一高牧師がキリスト者・市民としての『信教の自由』の意味~大日本帝国憲法下の想定との違いにこだわりつつ」というテーマで和やかに話されました。
 「日の丸は大日本帝国憲法下の天皇の象徴性をもって機能しています。君が代はその天皇の賛歌です。大日本帝国憲法下の天皇を呼び覚してはいけません。これは基本的人権を必ず侵害し、有事をもってこれを奪い去ることになります。」と力説されて結びました。
 交流会は充実した集会にみなさんが高揚し美味しい酒になりました。
 私も新潟の名酒と「幻魚」をいただきいい気分で糸魚川に向かいました。

● 糸魚川へ
 東京から糸魚川へ移り住んだ支援者の村上さん宅を訪ねました。2匹の猫たちとゆったりと暮らしていました。大きな大きな家は「たまり場・平牛」構想があり、とってもおもしろそうです。たったひとりの女性市議である鈴木勢子さんと出逢うことができ、有意義なお話をすることができました。今後の行脚につないでいきたいとおもいます。
 美味しい美味しい新鮮なお刺身をごちそう様でした。また訪ねます。
 「学校は雑木林」新潟から糸魚川に拡がっています。村上さんが「河原井さん退職したら今度は『社会は雑木林』の行脚をしていったら、もっともっと拡がると思うよ」と投げかけてくれました。想いはふくらみ足元からエネルギーが湧き上がってきました。

「学校は雑木林」から「社会は雑木林」へ

(4)さいごに 決意をこめて紡いでいきます

 私は停職中(合わせると1年4ヶ月)その期間を老若男女多くの人たちと出会い、点から線、線から面へ連帯・共闘の輪を拡げたいという想いから近場行脚と、北は北海道から南は沖縄までの全国行脚を全国のみなさんと創り歩き続けてきました。
 今も歩き続けています。「学校は雑木林」と共に。
 そしてそれは必ず「変革」の大きな大きなうねりになっていくと確信しています。
 そしてまたそれは、私の人生の大きな大きな財産になっています。
 「河原井さん行脚は有意義だと思います。そして雑木林の思想も気付かされることがいっぱいありました。どうぞ行脚を続けていってください。何かありましたら連絡ください。できる事は共にしたいと思っています。」こんなメッセージが3 月に届きました。
 嬉しい共闘宣言ですね。全国のいろんな方から「慰労する会をしたい」と言う声が届きます。「心からありがとうございます」です。
 施設労働者として3年教育労働者として35年、38年の幕は閉じます。
 もちろん「がんばらないあきらめないたのしみたいつながりたい」を大切にしながらです。これからも行脚を静かに静かに続けながら「学校は雑木林」「社会は雑木林」への変革の糸を紡いでいきたいと決意をあらたにしています。

 全国のみなさん、またさらなる全国行脚を共に創ってくださいね
 「こんなに・・をしたのに」の不満の糸ではなく「ただ・・をするだけ」の充足の糸を紡いでいけたらいいなと想っています。

 全国行脚で学びあった「やさしい言葉と深い思想」を胸に刻みながら・・・行脚に出掛けます



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