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2010年5月

2010/05/25

「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 五七 2010.5.25
累積加重処分取消訴訟 原告  近藤順一

第一回口頭弁論(5/17 原告本人陳述)への感想・意見

前号でも傍聴していただいた方のご意見を掲載しましたが、引き続き重要な指摘がありましたので続報します。ありがとうございます。

*・・・闘いの原点がよくわかります。裁判官がこれを理解できなければ、三権分立の一翼を担う司法の責任者の資格はないと、実感します。及ばずながら、共に闘いましょう。
*    一人ひとりの生徒の思いに目を向けた真の教育者の姿を判事は司法の立場から正しい判断をしてもらいたいと強く思うものです。
*タイでは軍隊が反対勢力(といっても国民です)に対して、あたりまえのように武力で対しているニュースが報道されています・・・そういう時代が再び来ないようがんばりたいです。
* 先生の「意見陳述」では・・・教員に対する強制による全面的統制が目指しているものが何かが指摘されていないように思います。私見を申しますと、東京都教育委員会は、強制による全面的統制によってロボット下した教員を通じて「愛国心」つまり日本ウルトラナショナリズムを児童・生徒に注入しようとしているのだと思います。

不起立・不斉唱の意義 
~裁判官にも、そして現場の教職員にも訴える~

1,都教委の言い分、判決文の論理
最近の口頭弁論での都教委側の尋問には、"不起立・不斉唱は保護者に不快感を与える""児童・生徒に動揺を与える""そのことに配慮したのか"、というもの。また、判決文では"児童・生徒に範を示すべき教員が""生徒・保護者・来賓の面前で公然と不起立・不斉唱を行い職の信用を傷つけた"という。
不起立・不斉唱者が「日の丸・君が代」を受け入れがたいとする思想、良心を認めつつも、公務員としては耐えて受忍せよ、起立・斉唱はその思想、良心を表明するものではない、儀礼の場での作法を教えるものだという。そして、一貫して処分を構えた強制、特に教育内容への介入、不当な支配を隠蔽している。
「10.23通達」から7年になるが、その本質について未だに都民への理解が進まず、現場が強制を受け入れているかのごとき状況を呈していることから、対抗軸が曖昧にされている。これを打破していくことが当面の課題であろう。

2,不起立・不斉唱の多様な理由
これまでの陳述などで表明された不起立・不斉唱の理由はいくつかある。

A:強制は、これまでの教授理念、自主、自立の指導に反するので立てない。
B:「日の丸・君が代」が歴史的に果たしてきた役割を考えるとその強制に加担できない。
C:強制に対する抗議の表明。
D:思想、良心の自由に対する侵害を回避する。
E:宗教的信仰による。

 このほかにも理由があろうが、その形態は、式場での不起立・不斉唱、式場での他の公務、場外退出、休暇などがみられる。この問題での憲法19条関連においては、不起立・不斉唱は受動的、防衛的であり、各個人の問題である。もちろん個別の思想、良心の自由は守られなければならない。ただ、都教委及び最近の裁判所の判断は、「苦痛」だろうが受忍して公務、即ち児童・生徒への「指導」に当たれ、と述べている。処分を構えた強制という「反教育」をあたかも正常なもののように転倒して描いている。
 ここから、我々の行動と論理はどのように展開すべきかを考えたい。 

3,3つの拒否と3つの提示
教員の教授の自由は限定されたものであり、都教委の強制下ではさらに抑圧される。その中でも、児童・生徒の前から逃げずに、直接の人格的接触をはかる、つまり公務を遂行するならば、公務としての不起立・不斉唱にはどんな意義があるか。

<教員としての3つの拒否>
1,教育課程への強制を拒否する。
都教委―(市区町村教委)-校長ルートの違憲、違法性を明確にする。「10.23通達」は教育内容への規制であり、教職員の一挙手一投足を縛るもの。教員の教授の自由、学校の自主性を踏みにじるやり方。現在進められている「道徳教育」「愛国心教育」の強制に道を開く。
2,国家忠誠の表明を拒否する。
いかなる法、学習指導要領、文科省解説にも"起立"は示されていない。国旗国歌法成立時の政府見解では"君"は天皇、"君が代"は我が国、その歌詞は我が国の末永い繁栄と平和を祈念、とされている。起立か不起立かは、「日の丸・君が代」への賛意か不賛意かを示すのではなく、国家忠誠表明の強制を受忍しているかどうかを示すことになる。
3,プロトコール(国際儀礼)の強要を拒否する。
強制と尊重、強制と一般的敬意、学校教育での強制とオリンピック等での慣習とは異なる。儀礼の強要は国際的信用を失う。

<児童・生徒への3つの提示>
1,教員としての存立の精神的・肉体的危機即ち急迫不正の圧迫に対する正当防衛行為は認められるべき。不起立・不斉唱によって児童・生徒に非暴力・不服従の意味を教えることは重要な政治的教養の獲得として尊重されるべきである。(教育基本法14条)
2,学習の自由、教授の自由を保持すること、異なる考え異なる行動の存在を承認することによって学習は始まる。そして、自由権(思想良心の自由・宗教の自由)、社会権(教育の自由)などの基本的人権を尊重することの意義を示す。
3,「愛国心」「国家・国旗・国歌」「国際儀礼」等を学ぶきっかけとなり、個性の尊重、多文化共生への学習を進める。なぜ、処分を構えた強制下でも不起立・不斉唱を実行するのかを問いかける。

 都教委の進める「日の丸・君が代」強制は、教職員の思想良心の自由を侵害しそれを通して児童生徒、国民への国家主義注入をねらっている。それは、「国益」と「国際貢献」の名の下に軍事力行使を含む抑圧、侵略にのり出す思想動員である。
同時に教育内容への不当な支配による教育の自由の侵害である。その中でも公務として直接の人格的接触を通じて児童生徒の学習権を保障しようとする不起立・不斉唱者への懲戒処分は、自由な教育実践に対する弾圧である。その影響は極めて甚大であり、職階制による教員統制、「愛国心」「道徳」等教育内容への介入に道を開いている。
戦後教育史にはその時代を背景として突出した争点が刻まれてきた。墨塗り教科書、教育委員任命制、学テ、勤評、戦争責任・戦後責任に関わる教科書問題、最近では「沖縄集団自決」への軍命令問題などなど。今日の「日の丸・君が代」強制、処分は、教育内容への権力的介入、教職員への過酷な処分から見てもたぐいまれである。有無を言わせぬ直接強制という点では、"墨塗り教科書"にも匹敵するのではないか。
「先生は『進駐軍の命令ですから、言われたとおりしっかり塗りなさい。』命令口調です。墨を塗る箇所がどういう箇所か、その箇所がどうしていけないのか、先生の説明はありませんでした。色々質問すると先生はますます不機嫌になって、『言われたとおり黙ってやりなさい。』と大声で怒鳴るように言うのです。今にして思えば、先生はずるいと思いました。」(坪内廣清『国民学校の子どもたち』<昭和20年当時、初等科6年生、男子>)
65年前の子どもたちと教員の姿を、我々自身を映す鏡とせざるを得ない。

入学したばかりの小学1年生から高校生まで、日本人、外国人を問わず一律に起立・斉唱させる、というわけだ。私が不起立・不斉唱の意味を考えるようになったのは、処分を受けても果敢に行動する方々を見たからである。「10.23通達」直後すぐに闘いを開始した都立学校の先生方、停職処分を執行されても"停職出勤"や"全国行脚"を継続する方、分限免職により身分を剥奪されても"自主講座"を推進している方もいる。
裁判官の皆さま、東京都公立学校の教職員の皆さま、そして都民の皆さま、この問題を深く考え、それぞれの持ち場で、1日も早く強制を止める取り組みを開始しましょう。私の提起が、そのためのささやかな材料となれば幸いです。



2010/05/20

「君が代」不起立裁判、本人尋問

渡部です。

本日(5月20日)、東京地裁にて上記本人尋問がありました。尋問されたのは3人、いずれも養護学校関係者でした。

尋問は、原告(被処分者)側の弁護士と被告(都)側の弁護士によってなされました。

被告側の弁護士による尋問は主に、不起立による子どもや保護者への影響についてでした。

これに対し3人は真っ向から、「日の丸・君が代」強制の不当性、違憲性を主張自分達の不起立の正当性を主張しました。
以下、都の弁護士の尋問に対する3人の答弁を紹介します。

<三輪さん>
(「10・23通達」後、11月7日に行われた50周年行事で一人不起立し、最初に処分された方です)

弁護士:子どもがまねをする、びっくりする、という影響を考えなかったのか。
三 輪:だから事前に子どもたちに話をしており、子どもたちは知っている。
弁護士:それは問題ないのか
三 輪:ハイ、一人の人間がそう考えているということです。
弁護士:学ばせたいという保護者は不快に感じると思うが。
三 輪:この問題に関しては、保護者にもいろんな人がいる。社会にもいろんな人がいる。だから、不起立という権利はあると思った。私としては立てないということです。保護者との信頼関係は築けています。

<丸子さん>(最後に裁判官も質問)
弁護士:不起立行為は子どもたちに意思表示と受け取られると思うが。
丸 子:そう受け取ってもらっても構わない。
弁護士:先生が座ると、子どもたちに「座るもの」と誤解を与えるのでは。
丸 子:全くそうは考えていない。考えることが大事だとずーと言ってきた。社会にはいろんな人がいる。子どもがまねするというなら、都教委が「教員はみんな立て」というのもおかしいのでは。  
弁護士:保護者の中には不快に思う人もいるのでは。
丸 子:それはあくまで仮定だ。もしクレームが来たならそれに対応すればよい。そういう言い方の質問には答えれらない。強制しているほうがおかしい。
裁判官:原告弁護士尋問の中で、「10・23通達」による強制は特定の価値観の押し付けである、と述べられたが、特定の価値観とはどういうことか。
丸 子:「日の丸・君が代」を崇拝、敬えということだ。

<河原井さん>(すでに原告弁護士尋問の中で、次のように答弁していました)「<不起立が子どもに悪影響を及ぼす>
<保護者に不快感を与える>と言うが、それは反対だと思う。卒・入学式だけを切り取って問題を立てるのはおかしい。一年間の教育活動の一つだ。いつも、
<お互いはっきりイエス、ノーを言い合おうね>
<自分らしく生きようね>と言ってきた私が、もし立ったら子ども達にかなりの悪影響を与えることになる。」

弁護士:HRで話したということだが。
河原井:「日・君」強制には多くの人が反対しているということ。
弁護士:理由も説明したのか。
河原井:説明した。1999年法制化されたが、その決まり方が民主的でない。「日・君」は世論を二分していた。歴史的事実も伝えた。本当に国旗・国歌が必要なら、みんなで話し合って、論議して決める、というようなことを。
弁護士:「日の丸・君が代」尊重ということについては。
河原井:そんなことは話していない。
弁護士:起立しなかった理由は。
河原井:憲法で思想・良心の自由が保障されている中で強制されることはノーだ。ふさわしくない。
弁護士:指導の一環として立っている先生がいる。立つことがモデルになるとは考えなかったのか。
河原井:考えなかった。むしろ、子どもの将来のために悪影響と思っていた。
(最後に裁判官の質問もありましたが、子どもには、「日・君」に賛成の人にも語ってもらったかというもので、それに対しては語ってもらったということでした。)

以上ですが、3人の原告は真正面から都教委の不当性を暴き、自らの正当性を確信をもって主張しました。

次回は9月6日 16:00より、527号法廷です。(結審になるかもしれません)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<入学式不起立者処分発令抗議・支援行動>

5月28日(金) 13:30~ 

都教職員研修センター前にて(JR水道橋駅すぐ)

該当者は3名(うち1名は初めて)。弾圧に抗して、闘いの火は確かに受け継がれています。

都教委は抗議行動を嫌がっています。多数抗議行動に駆けつけて下さい。



2010/05/18

河原井さんから

みなさんお元気ですか  河原井です。

ご多用のなかとは思いますが都障労組(三輪・丸子・河原井)の3人組の裁判傍聴のお願いです。

13日(木)に3人の校長尋問が終わりました。
たくさんの方に傍聴していただき感謝いたします。

20日(木) P.M1:15~ 606号法廷  3人の本人尋問があります。

傍聴よろしくお願いします!

以上です。



新たな「君が代」不起立裁判

渡部です。

東京でまた一つ、新たな「君が代」不起立裁判が始まりました。(後方に、入学式不起立者処分発令への抗議・支援行動(5月28日)も紹介しておきました)

提訴したのは、この3月まで八王子第五中の夜間中学で働いていた(定年で退職)近藤順一さん。

近藤さんはこれまで4回の処分を受けています。

  • 2007年 卒業式不起立・不斉唱により戒告処分
  • 2008年     同上           減給10分の1(1ヶ月)
  • 2009年     同上           減給10分の1(6ヶ月)
  • 2010年     同上           停職1月

うち、上の3回の処分に対し東京地裁に一括提訴。下の1回(停職1月)は現在都人事委員会に不服審査請求中(3ヵ月後に裁判に合流予定)。

本日(5月17日)は、その第一回公判で、近藤さんの<意見陳述>が行われました。
以下はその抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「都教委は、私の行為を信用失墜行為としていますが、これは全く転倒した考えであり、『日の丸・君が代』を学校現場に強制する都教委にこそ非があり、私は一教員としてその職責を全うするため、不起立・不斉唱にいたりました。」

「私は政治思想的立場としては、浮き草のように揺れ動く無党派浮遊層の一人ですが、『武器無き民』として、内外のいかなる方面からの抑圧や強制に対しても非暴力不服従の抵抗を採りたいと考えています。これが私の思想的核心であり、『日の丸・君が代』強制を受忍できない一つの理由です。」

「33年間、東京の教育に携わり、後半の17年間、夜間中学で働いてきました。夜間中学では、戦災孤児、在日朝鮮人、中国からの引揚者等アジア太平洋戦争の影響を強く受けてきた方が学んできました。現在では、約9割が来日外国人です。・・外国人生徒は日本の学校とその教員が歴史的問題、現実の問題にどう対処しているのかをしっかりと見ていることを強く感じました。」

「国旗・国歌について、プロトコール(国際儀礼)の名で強制を合理化する視点がありますが、日々生徒と接して感じることは、お互いの国家、文化を尊重する自由で寛容ある対応こそ国際的信用を回復する道であり、『日の丸・君が代』を強制すること、儀礼を強制することは、国際的信用失墜行為であります。」

「都教委の強制は、教育課程において、生徒への直接指導の場面で教員がその態度、行動で示すことを強制しています。・・・そのような情況に立たされた教員に可能な公務とは、生徒に異なる考え、異なる行動があること、不起立・不斉唱によって多様な道があることを身体で示すことしかありません。」

「それが生徒の学習権を保障すること、教員として範を示すことであり、一定の制限はあっても教員の教授の自由は認められるべきだと思います。」

「校内では生活指導の責任者でした。生徒間で起こる暴力事件やいじめについて、加害者側を厳しく指導すると同時に、被害者にも暴力的報復にでないこと、決して泣き寝入りしないことを指導してきました。私の不起立・不斉唱はこの指導理念と同一線上にあります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

終了後の報告集会で、近藤さんは次のようなことを述べました。

「通達から7年、強制が普遍化しつつある。しかし、それが当たり前になってはならない。強制は思想・良心の自由を直撃するものだ。学校現場で教員の心が折れる、教員に恥をかかせる、強制だ。曖昧な姿勢ではいられない。妥協なき闘いをする必要があると考えて裁判を起した。この裁判を通じて、現場の人たちに『不起立・不斉唱』の意義を伝えていきたい。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<入学式不起立者処分発令抗議・支援行動>

5月28日(金) 13:30~ 

都教職員研修センター前にて(JR水道橋駅すぐ)

該当者は3名(うち1名は初めて)。弾圧に抗して、闘いの火は確かに受け継がれています。

都教委は抗議行動を嫌がっています。多数抗議行動に駆けつけて下さい。



2010/05/17

「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 五六 2010.5.17
累積加重処分取消訴訟 原告  近藤順一

本日(5/17)、第一回口頭弁論(原告本人陳述)開かれる
* 傍聴の皆さま、署名に協力してくださった方々ありがとうございました。
* 署名740筆を、東京地裁民事19部に届けました。

意見陳述(累積加重処分取消訴訟)

1,はじめに
~「日の丸・君が代」強制下、私の不起立・不斉唱は必然~
私はこの間5回の不起立・不斉唱を行い、被告都教委によって4回の累積加重懲戒処分を受けた者です。都教委は、私の行為を信用失墜行為としていますが、これは全く転倒した考えであり、「日の丸・君が代」を学校現場に強制する都教委にこそ非があり、私は一教員としてその職責を全うするため、不起立・不斉唱に至りました。以下その経過を述べます。

2,私の思想形成
私は、1949年、四国香川県で生まれました。私の家族は現中華人民共和国東北部、大日本帝国が侵略し植民地とした「満州国」からの引揚者です。この侵略と植民地支配には、日の丸・君が代を強制した教育が大きな役割を果たしました。父は南満州鉄道株式会社の職員として国策遂行の一端を担い、帝国の敗戦後1946年に難民として帰国しました。私が子どもの頃父や母から聞かされた「満州」での生活は、植民地支配者としての安楽な生活と中国人蔑視でした。父母の不満は引き揚げと共に、農地解放によって小地主の身分から没落したことです。戦後、父は鉄道員、母は農民となりました。60年代、折からベトナム戦争が激しくなり、中学・高校生の頃、私もまたアメリカの侵略、日本国政府の加担に反発し、父母と口論するようになり、我が家にも長い冷戦が続きました。大学に進む時、日中戦争時の中国側の動向について研究したいと考え専攻しました。学生時代以後、各地で日本と中国の友好、特に日中不再戦、再び戦火を交えない取り組みは重要だと考えてきました。日本も中国も強力な軍事力を擁し、中国は核戦力を持ち、日本にはアメリカの軍事基地が存在しています。日本国憲法で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」戦力不保持を宣言した「武器無き民」の言動は貴重なものだと考えます。それは東アジア不再戦、環太平洋不再戦へと拡大すべきです。私は政治思想的立場としては、浮き草のように揺れ動く無党派浮遊層の一人ですが「武器無き民」として、内外いかなる方面からの抑圧や強制に対しても非暴力不服従の抵抗を採りたいと考えています。これが私の思想的核心であり、「日の丸・君が代」強制を受忍できない一つの理由です。
そして、この強制は学校現場への不当な支配であり、学校現場を直撃し教育の自由を侵害するものです。教員はその道具とされていると思います。以下、その点について述べ不起立・不斉唱が必然であったことを提示します。

3,教育現場での経験
1977年から2010年まで33年間、東京の教育に携わり、後半の17年間、夜間中学で働いてきました。夜間中学では、戦災孤児、在日朝鮮人、中国からの引揚者等アジア太平洋戦争の影響を強く受けてきた方が学んできました。現在では、約9割が来日外国人です。授業中、中国人生徒から「南京事件」について説明を求められたことや、フィリピンの生徒から「自分の親戚が日本軍に殺された」こと、モンテンルパやレイテ島について聞いたこともあります。外国人生徒は日本の学校とその教員が歴史的問題、現実の問題にどう対処しているのかをしっかりと見ていることを強く感じました。

4,2003年「10.23通達」以後
通達が発せられた時は、世田谷区立新星中学に勤務していました。2003年度の卒業式ではこれまでと一変し、正面に「日の丸」が設置され、「君が代」もピアノ伴奏となりました。2004年4月、八王子第五中に赴任し、その年度の卒業式の前にも卒業式要綱案をめぐって式次第から「国歌斉唱」を削除するよう議論しました。このとき、卒業制作は舞台のサイドに追いやられました。
 そして、2006年3月、そのころには教育基本法の改定もスケジュールに上ってきました。その年初めての不起立・不斉唱を実行しました。そして、強制、処分に抗議して不起立・不斉唱の事実を公開しましたが、職務命令が発せられていなかったことから懲戒処分には至らず、八王子市教育長の指導措置にとどまりました。私は、旧教育基本法下での自分の行動は意義があることだと考えています。それは、まさに現教育基本法では消されていまいましたが、「この理想の実現は根本において教育の力にまつべき」と「教育は国民全体に対して直接責任を負って行う」という視点からです。この日本国憲法と国民に固くリンクされてこそ教育の自由は保持されなければならないのであり、強制を受け入れることはできないと考えるからです。
 以後、2007年から2010年まで、毎年の卒業式で不起立・不斉唱を実行し、本訴訟事案に関わる懲戒処分を含め4回の累積加重懲戒処分を受けてきました。

5,不起立・不斉唱の意義
(1)教育の自由つまり生徒の学習権、教員の教授の自由への侵害の中で
 先に述べたように夜間中学には多くの外国人生徒が学んでいます。国旗・国歌について、プロトコール(国際儀礼)の名で強制を合理化する視点がありますが、日々外国人生徒と接して感じることは、お互いの国家、文化を尊重する自由で寛容ある対応こそ国際的信用を回復する道であり、「日の丸・君が代」を強制すること、儀礼を強制することは、国際的信用失墜行為であります。
都教委の強制は、教育課程において、生徒への直接指導の場面で教員がその態度、行動で示すことを強制しています。旭川学テ最高裁判決が述べているように「直接の人格的接触を通して個性の伸長をはかる」、まさにその場面で強制が進行します。そのような情況に立たされた教員に可能な公務とは、生徒に異なる考え、異なる行動があること、不起立・不斉唱によって多様な道があることを身体で示すことしかありません。
それが生徒の学習権を保障すること、教員として範を示すことであり、一定の制限はあっても教員の教授の自由は認められるべきだと思います。教育は一過性のものではなく、児童・生徒が自らの成長過程で反芻していくものだと思います。私の不起立・不斉唱も一過性ではなく、一貫した公務遂行です。従って強制が続く限り不起立・不斉唱の行為を示しました。

(2)本件事案が発生した期間、校内では生活指導の責任者でした。生徒間で起こる暴力事件やいじめについて、加害者側を厳しく指導すると同時に、被害者にも暴力的報復にでないこと、決して泣き寝入りしないことを指導してきました。私の不起立・不斉唱はこの指導理念と同一線上にあります。ぜひ都教委通達、市教委通達、職務命令そして私の不起立も含めて憲法判断を要求します。どうか裁判官の皆様が、学校現場の実態を深く把握され、学校現場への「日の丸・君が代」強制、処分の不当性を明確にし、処分の取消しを確定する判決を出されるようお願いします。そのことによって、強制が停止されることが私の本意です。


<傍聴者の声>
*「日の丸・君が代」の問題が様々な教育現場で大きな教育破壊を起こしていることを、夜間中学という現場の実例で示されていること、とても貴重だと思います。裁判の中で是非、夜間中学の実践を具体的に示して、裁判官を説得してください。夜間中学というものを、世間に知らせていくためにも、存続を訴えていく上でも大事だと思います。
*都教委の弁護士がいないのに驚きました。ご説明で了解しました。憲法を正面から問うという形の裁判になった時、どんな判決が出るのか楽しみです。

*世田谷区立小の大嶽昇一教諭は、同区立三浦健康学園の吉村実副園長(当時 現同区立守山小校長)の事実無根、事実誤認の"業績評価"を鵜呑みにした都人事委員会の判定を取り消させる画期的判決を5月13日、東京地裁(近藤順一さんと同じ青野洋士裁判長)で勝ち取りました。近藤さんも青野裁判長から勝訴判決を勝ち取ってください。私も『週刊金曜日』『週刊新社会』に裁判の内容を執筆して支援します。


 次回口頭弁論 7/12((月) 10:30~



2010/05/16

東京・業績裁判勝利、報告集会

渡部です。 (少し長いです)

本日(5月15日)、13日の東京・業績裁判の報告集会が開かれました。
集会では、高橋弁護士が<経過>と<判決内容><今後の課題>について話をしてくれました。

<経過>は略します。

<判決内容>について。
(1)「公正評価義務違反」について
評価者は「人事考課規則」と「業績評価実施要領」に則って「公正かつ正確に業績評価を行う義務があると解される」が、
たとえば、
「吉村副園長は・・第一次評価に対し、・・・あたかも原告に対する数度の授業観察を実施した上での評価をしたかのように記載しているにもかかわらず、実際には、原告に対する授業観察として、図工の授業のほかにはみかん授業だけを見たにすぎないうのであり、・・・」
として、
「そうすると、吉村副園長が行った『学習指導』に係る評価は、・・留意事項に反して行われたものであって、評価の前提となる事実関係の把握において不十分なものというべきであり、当該評価は、事実に基づかない又は誤認した事実に基づいたものであると解するのが相当である」と、明確に「公正評価義務違反」と断じている。

これは、都が「公正評価は民間で議論されているが、公務員の任用関係ではそれは問題となることはない」と言ったことに対し、(都が出している「規則」や「要領」に基づいて)そうではないと述べたものだ。この「公正評価義務」は今後、民間の裁判などでも役立つのではないか。

(2)第二次評価者(校長)の怠慢も厳しく断罪している。

(3)この判決により、管理職の虚偽・怠慢は許されない、ということになった。これは業績評価の濫用に強く歯止めをかけるものだ。そして、長い目で見れば、「そもそも業績評価は無理」という方向にも波及しうる判決だ。

(4)また、人事委員会の審査の在り方を問うた。(判決文では次のように書かれている。)
「審査手続きでは、原告から関係者の審問要求がされたが、都人委はこれを行わなかった。また、本件職務実績記録は同手続きに提出されていなかった。」
「審理の手続きは、その審理対象事項である本件各評価の適否を判断するに必要な事実関係を把握するためのものとしては不十分であるといわざるを得ず、・・判定の前提とされた事実関係の把握においても不十分なものであったと推認される。この点に加えて、本件各評価が・・公正な評価であるとはいえないものであることも考慮すると、・・審理手続きにおいて適正なものではなく、・・事実関係の把握において正確性に欠けているという重大な瑕疵があるものということができ、都人委に認められた裁量の範囲を逸脱した違法があるというのが相当である。したがって、本件判定は、取り消しを免れない。」 
だから、今後は<職務実績簿を出させる闘争>をしていきましょう。また人事委は<審問>をやらないわけにはいかなくなるのではないか。

<今後の課題>について
 「業績評価」に対し、きちんと争って頂きたい。
 とくに(1)校長への開示要求、(2)教育委員会への苦情申し出、(3)人事委員会への措置要求、④裁判闘争も辞さない、という構えで争って頂きたい。
 「業績評価」はそもそも無理な制度だから、突っ込んでいけばかならずボロが出てくる。みんなでやれば、回らなくなる。管理職の評価にも関わってくる。
 やっていけばいくだけ、「業績評価」の仕組み自体がおかしい、ということになる。

この報告集会には、土肥元三鷹高校長も駆けつけてくれ、次のようなことを述べてくれた。
「自分の業績評価はオールCだった。自分は卒業生から卒業証書をもらい、全クラスから色紙をもらった。にもかかわらず、全部Cだ。上に賛成しているか、していないか、だけでつけている。自分も管理職だったが、とても全部の先生の授業や部活を見ることはできない。だから『適当』になるのは当たり前。そこから、C,Dは校長に反対する者ということになる。他県の校長たちはやりたくないと思っている。『苦情』をどんどん出せば、この制度はパンクする。」

また、この報告集会には、
・世田谷でやはりでたらめなC評価をつけられた教員、
・埼玉で「自己評価シート」の提出を拒否して、 戒告(2008年度)、減給(2009年度)された教員の方 (今度裁判に訴える予定)、
・大阪の新勤評裁判を闘っている原告の方、
も参加しました。

大阪の方は、訴訟団が府立高校の教職員の1割から回答を得た<「評価・育成システム」についてのアンケート調査集計報告書>(2010年3月発行)を持ってこられました。
以下は、「はじめに」からの一部抜粋です。

「システムがいかにひどいものであるかが現実の声の形で明らかになりました。システムについても給与反映についても廃止すべしの声が圧倒的多数の声で有り続けていることが明らかになりました。さらに、集計結果は私たちが裁判で主張し、指摘してきた事実がことごとく正しかったことを示しています。
『教職員に広く受け入れられている』『いいシステム』という大阪府の主張が何の根拠もないことは明らかです。
何よりも大切なことは、アンケートの中で多数の教職員がシステムが教職員の協同体制を破壊し、やる気を削ぎ、子どもに目を向けなくさせ、評価される目立つ仕事をするようになっていると声をあげ、資質の向上や活性化どころか、逆の結果をもたらしていることを指摘していることです。
評価・育成システムは教職員と学校に打撃を与えているばかりか、それを通じて子どもたちの学ぶ権利を侵害していることが明らかになったと私たちは考えます。」



2010/05/08

「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 五五 2010.5.4
累積加重処分取消訴訟 原告  近藤順一

第一回口頭弁論(5/17 13:15~東京地裁527号)への陳述書(抜粋)

 <不起立・不斉唱の意義> 
国旗・国歌について、プロトコール(国際儀礼)の名で強制を合理化する視点があるが、日々外国人生徒と接して感じることは、お互いの国家、文化を尊重する自由で寛容ある対応こそ国際的信用を回復する道であり、「日の丸・君が代」を強制すること、儀礼を強制することは、国際的信用失墜行為であります。
 私は、校長から職務命令が発せられるときその場で「これは法的責任が問われ、懲戒処分、分限処分の対象となるのか。」と確認しています。「日の丸・君が代」強制は、処分を構えてなされます。それは、宣誓させたり、文書を出させるというものではありません。教育課程において、生徒への直接指導の場面で教員がその態度、行動で示すことを強制しています。旭川学テ最高裁判決が述べているように「直接の人格的接触を通して個性の伸長をはかる」、まさにその場面で強制が進行します。そのような情況に立たされた教員に可能な公務とは、生徒に異なる考え、異なる行動があることを身体で示すことしかありません。せめてもの不起立・不斉唱によって多様な道があることを示すことです。それが生徒の学習権を保障することであり、一定の制限はあっても教員の教授の自由は認められるべきだと思います。そして、教員は自らが採った行為を公開して説明する必要があります。教育は一過性のものではなく、児童・生徒が自らの成長過程で反芻していくものだと思います。生徒は、私の行動を直ちには理解できなくとも後日新たな視点で考えるときがあるかもしれません。
私の不起立・不斉唱も一過性ではありません。自己弁護のためでもありません。毎回毎回、危機的状況に陥りますが、生徒にはわかりやすい教材を提供するのがプロの教師です。従って強制が続く限り不起立・不斉唱の行為を示しました。聞くところによると、儀式の時に休暇や場外措置をとるケースがあるようです。しかしその場合でも、思想、良心の自由は侵害され、何よりも、式会場では、粛々と強制が進行し生徒の学習権は滞りなく侵害されます。先にも述べましたが、この問題ではそれぞれの教職員が採った行為の公開説明が特に重要です。なぜなら、強制、処分をしてくる被告都教委は、間接的にしろ都民を代表する立場にあります。したがって、裁判で公正な判決を出していただくことも含め、私たち現場のもの、特に被処分者は丁寧に都民の皆様に説明しなければなりません。


「日の丸・君が代」累積加重処分取消裁判を支援する会
(略称 支援する会)への入会の呼びかけ(概略)

 強制の意味するところは「日の丸・君が代」が侵略戦争のシンボルとされ、子どもはもちろん国民全体の思想統制、反戦・厭戦への弾圧につながったことにあります。すでに東京の学校では校長~副校長~主幹~主任~一般教諭という職階制がしかれています。また、職員会議も形骸化しています。
 思想良心の自由は処分を構えた職務命令によって踏みにじられ、教育の自由である学習権、教授の自由は不当な支配によって侵害されています。教職員に対する強制・処分は、それを通して児童・生徒への強制に連動します。学校教育が統制されることは、子どもの個性ある発達を妨げ、上の言いなりになる人間をつくってしまいます。また、国家の象徴を学校現場で強制することは、かえって、国際的信用を失うことになります。
 近藤順一さんは、外国人生徒と日本人生徒が共に学ぶ夜間中学(八王子第五中)で強制に反対したため以下のように累積加重処分(段階的に処分が重くなる)を受けてきました。

2006 卒業式不起立・不斉唱により市教育長指導措置
2007 卒業式不起立・不斉唱により戒告処分
2008 卒業式不起立・不斉唱により減給10分の1,1ヶ月処分
2009 卒業式不起立・不斉唱により減給10分の1,6ヶ月処分
2010 卒業式不起立・不斉唱により停職1月<平成22年(不)第1号事件>

この裁判は、原告を支援する多くの市民の力により、その声を裁判所に届けることが大切です。立場は異なっても、「日の丸・君が代」強制・処分に反対する皆さまのご入会をお願い致します。

  入会のお誘い


 皆さまへ 薫風の候、元気にお過ごしでしょうか。3月末、処分やら、退職やらで、ばたばたしてから、あっという間に1月が過ぎ、日常生活のペースも定まらず、就活もままならず、これからのなすべき段取りも曖昧模糊としております。そうこうするうち、裁判の方は、口頭弁論の日も近付いてきました。第1回は原告本人の陳述ができるとのこと。冒頭の日程、場所ですので、多くの方の傍聴をお願い致します。なお、停職1月処分については都人事委への不服審査請求を行い事件名も確定し、3ヶ月経過すれば裁判に移行できます。
 ご協力いただいている署名も625筆に達しました。(5/3現在)感謝。
 長丁場となりそうですので「支援する会」への入会もよろしくお願いします。

入会のお誘い
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2010/05/04

法廷カレンダー

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