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2010年6月

2010/06/30

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第2号)

被告 都教委(答弁書)に反論する
~第2回口頭弁論に向けて~

  皆さま、6月も月末、梅雨のさなか、元気にお過ごしでしょうか。第2回口頭弁論が迫ってきました。今回は、都教委がどんな主張をしているか、その「答弁 書」からまとめました。考えてみてください。

1:逃げる都教委

  「答弁書」では、都教委「10.23通達」は「八王子市立学校の校長を拘束するものではなく、その効力は本件と全く関連がない。」と断じている。また、通 達や職務命令は校長・教職員に発せられたもので、「子どもの権利条約」にかかる「子どもに対する強制を全く含まず」としている。毎回「卒業式実施要項案」 審議の折りには、都教委通達・市教委通達が提示され、教職員に処分を構えて強制することは子どもへの強制と関係ないのでしょうか。

2:系統的に強制を追求してきた都教委

 短い「答弁書」ではあ るが、都教委は巧妙にもこの20年間の強制追求を述べている。「平成元年から取り組んでおり」「平成11年8月13日・・・国旗・国歌法公布・施行」「平 成15年10月23日付の通達」と、天皇死去大キャンペーン、学校現場への義務づけ、そして強制・処分へとエスカレートさせた。

3:地教委の権限を振りかざす都教委

 「答弁書」は「教育委員 会は国の場合と異なり、大綱的基準にとどめなければならないものではない」として「教育の内容及び方法」にも「関与」できるとする。ここでも、旭川学テ判 決と地方分権を曲解している。

4:「不起立・不斉唱」を敵視する都 教委

 都教委通達は「常識的なもの」「創意工夫や裁量の余地は十分に残されている」という。一律起立・斉唱に凝り固まった 論。私が「児童、生徒、保護者、来賓等が多数出席するなかでの非違行為」を行ったとしている。「不起立・不斉唱」で、生徒に多様な考え、行動の可能性を示 していくしかなかった。

第2回口頭弁論 7/12(月)10:30~ 527号
今回も、多くの方の傍聴をお願いします。自由に傍聴できます。
東京地裁(地下鉄 霞ヶ関駅A1)

ニュー スへのリンク



法廷カレンダー

法廷カレンダー、2010年6~8月を更新しました。

法廷カレンダー
「法廷カレンダー」のダウンロード



2010/06/29

「8・28(土)都教委包囲行動」へ(3)

渡部です。 

本日(6月27日)の「朝日」に<知事支持率本社調査>というものが載っていた。
それによると、 
(支持率)1位:宮崎の東国原知事(89%)、 2位:鳥取の平井知事、3位:高知の尾崎知事、 4位:大阪の橋下知事(73%)。
(不支持率)1位:長野の村井知事(40%)、 2位:東京の石原知事(39%)。

この調査は、おごり高ぶった石原が、いかに都民から見放されるようになってきたかを典型的に物語るものである。すでに3月25日の「都庁前アクション」で、ジョニーHさんが<さらば慎太と言おう>という替え歌を披露してくれたが、まさにその通り。落日の石原、死に体の石原、水に落ちた石原となってきた。

そのジョニーHさんの「音楽ライブイベント」が今週土曜日行われます。

<イベント名> 不当判決抗議ワンマンライブ
<サブタイトル>「都教委特選不適格教員その名はジョニーH」
<日    時> 7月3日(土)午後6時~8時 
<場    所> 駒込「どぅたっち」1800円( 1ドリンク付)
 琉球センター・どぅたっち(山手線駒込駅東口を左へ1分、
 「駒露地」左折・南北線駒込4番出口から右へ、坂を下り4分)    
  豊島区駒込2-14-7 電話fax03‐5974‐1333
  e-mail ・ dotouch2009@ybb.ne.jp
<終  了  後> 8時~交流会 1000円 ( 飲み物・ご馳走がありますよ)

次期都知事選には出ないと言っていた石原が、自らの政治生命延命のため(?)、あるいは汚名挽回のため(?)、来年4月の知事選への出馬を目指しているという話がある。ジョニーHさんに、水に落ちた石原に打撃を与えてもらいたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は、6月24日「再雇用拒否撤回第2次訴訟」第3回口頭弁論の続きです。

(Tさんの口頭弁論から)

・・・・私は、地歴担当の社会科教員として、生徒たちが事象を知識として理解するだけでなく、その上に「自分で考え判断する」思考を育てることを重視して授業を行ってきました。・・・

私が雪谷高校に勤務していた1999年、国旗国家法が成立し、雪谷高校でも、卒業式・入学式において、日の丸を壇上に三脚で掲げることになりました。式の実施にあたっては、校長や教頭を交えた協議の結果、「内心の自由は誰にでも認められる」ことを確認した上、私も文案作成に加わって式当日の配布文書を作成しました。・・・

この文書から2年後に10・23通達が発出されました。社会科教員である私は、日の丸・君が代が依然としてアジア諸国の多くの人々にとって侵略の象徴であることを熟知していましたし、私自身にとっても、過去の誤まった戦争で果たした役割からして肯定的な取り扱いはできませんでした。

私はこれまで、生徒間でトラブルが起きるたびに、「集団に付和雷同しないこと」「違いを認め合うこと」を強調してきました。沖縄修学旅行で、講演者の話に身じろぎもせず聴き入る生徒の眼差しを、何度も見てきました。

その私が、処分を受けるからといって、10・23通達にもとづく職務命令に従って歌うことは、どうしてもできませんでした。

なぜなら、それは、歴史を学び教える者として過去に取り組んできた実践を自ら投げ捨てることですし、何より教育の営みは生徒と教師の共同作業ですから、言行不一致の故に生徒の信頼を失っては、何一つ前に進めなくなってしまうからです。・・

その後私は、伊豆の大島高校を希望して赴任し、そこで定年を迎えました。・・その間、郷土の人物を教材化することに力を注ぎました。「老中の駕籠の前に身を投げ出して大飢饉の窮状を訴えた島の百姓」「波浮の港の開掘に苦闘した一家」「激しい宗教的迫害に屈せず次々に流刑された日蓮宗の僧侶達」等々を授業で取り上げました。生徒と一緒に碑や墓を回ったことから、付けられたあだ名が「お墓先生」でした。・・

私は授業で郷土の人々の生き様から、「人は時として信仰のために命をかけたり、強い信念が事態を打開すること」を生徒達に語りかけました。その私が「授業と自分の身の処し方とは別だ」などと説明できるわけがありません。

また37年間はずかしくない教員生活を送ってきたという自負もあります。それなのに定年を目前にして、「違いを認め合う」ことと対極にある10・23通達や職務命令に処分を避けたいがために従い、起立して歌うことはどうしてもできませんでした。

・・・毎年、島嶼への異動希望が少なく、強いて転勤希望を募る「肩たたき」が行われる実態の中で、私は進んで赴任を希望していることもあり、また、37年間、都の教育に貢献してきた自負もありましたので、面接でのありきたりの質問とあわせれば、当然採用されるものと考えていました。

ところが、私は突然、校長から不合格を告げられました。校長に理由を尋ねても、「わからない」「問い合わせても無駄だ」というばかりで、後に開示された選考資料も大半が黒塗りされていて判読不能でした。後日、不合格者は、10・23通達関連の懲戒処分を受けた者だけであると知りました。

私は、本件採用拒否によって、まだまだ生徒達と関わって仕事を続けたいという思いを断たれました。この絶望感に加え、経済的な不利益も大きく生活不安に脅かされています。定年後の未来を奪われ、私の心の空洞は大きくなるばかりです。

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<当面の「日・君」関係裁判などの予定>

6月30日(水) 第一回最高裁要請行動
12:40~14:10 最高裁南門 集合
(地下鉄・永田町下車、5分)

7月1日(木) 義務制・安部さん 控訴審
16:00~ 東京高裁 825号

7月7日(水) 東京「君が代」裁判・三次訴訟(第一回口頭弁論)
11:00~(傍聴抽選有り 10:30には裁判所前に到着を)

7月12日(月) 近藤順一さん口頭弁論(東京地裁)
10:30~  527号

7月15日(木) 義務制「日の丸・君が代」処分取り消し訴訟(原告10名)
13:10~ 東京地裁 606号

7月16日(金) 藤田裁判(上告) 最高裁判所要請行動
15:30~ 最高裁東門 集合

7月21日(火) 再発防止研修抗議・該当者(4名)支援行動
8:30 都教職員研修センター前
(JR水道橋駅・都立工芸高校隣)

7月26日(月) 義務制・米山さん 第7回裁判
15:30~  631号 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は<上告審対策チーム>の取り組みです。

<各界共同アピール> 6月2日までに62名から応諾の回答
<最高裁あて署名活動> 10万筆目標
<全国集会> 8月20日 全国原告団学習交流会
 10月23日18:15~ 全国集会 (星陵会館)
<100万円カンパ活動> 

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『8・28都教委包囲行動』
(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク)

<8月28日(土)> 
・14:00~新宿駅周辺での街頭宣伝と署名活動
・15:00~新宿繁華街デモ
・16:00~都庁第二庁舎前抗議行動(都庁は休みですがやります)

<8月30日(月)>
・15:00~都教委への要請行動(8月28日にも集約します)

(スローガン)
・10・23通達撤回!
・「君が代」処分撤回
・裁判闘争に勝利しよう!
・分限免職を許すな!
・業績評価・成果主義反対!
・主幹・主任教諭制反対!
・石原は即刻辞任しろ!



2010/06/28

近況報告

近 況 報 告

根津公子

 5月半ばころから、私の気持ちに少し余裕ができてきました。でも、まだ、自身の裁判関係のこと以外ではほとんど外出することはなく、学校と家だけの生活をしています。娘の次の検査までもう少しの間、そうしていようと思っています。ですから、今は1日がゆっくり流れています。攻撃への闘いの連続で突っ走ってきたこれまでの10年間とは、まったく違う生活をしています。
 前回ご紹介した「“私”を生きる」(土井敏邦さん監督・撮影・編集)のDVD が完成し、販売が始まりました。ぜひ、お買い求めいただき、大小の観る会を計画していただきたいと思います。チラシを同封します。

「業績評価裁判」勝利判決に思う

 5月13日、世田谷区小学校教員大嶽さん(東京新聞は実名報道でしたので、大嶽さんの行動を称えて実名とします。当時は小学校併設の健康学園勤務)の業績評価裁判に勝訴判決が出た。大嶽さんは2004年度の人事評価で5段階(Sを最高にA~D。現在はA~Dの4段階)の「C」を受け、定期昇給が3ヶ月延伸され、都人事委員会にその取消を求めたが、都人事委員会は08年に退ける判定をしたため、提訴していた。
 判決は、業績評価・人事考課制度自体の違憲違法性については認定しなかったものの、項目別評価(学習指導、生活・進路指導、学校運営、特別活動その他)と総合評価のC評価をことごとく「事実に基づかない又は誤認した事実に基づくもの」と指摘。そして、校長や区教委が「公平に評価すべき義務に違反している」と認定した。さらに、都人事委員会の判定についても、原告が求めた聞き取り調査(審問)を実施しないなど、判断の前提となる事実の把握が不十分で、違法だとし、判定の取消しを命じた。
 都教委は、04年からC評価を受けた教員については昇給延伸とし、06年からは本格的な業績評価に基づく査定昇給制度を始めた。その「昇給に関する基準」を見ると、「『最上位』『上位』は全体の30%以内」、うち、「最上位は一般職層5%以内、監督層職10%以内」と明記されている。したがって、「標準」も「下位」も一定数求められる。一定数を人身御供として都教委に差し出さなければならない制度である。
 大嶽さんの勝利判決報告集会で土肥元三鷹高校長が、「自分の業績評価はオールC だった。自分は卒業生から卒業証書をもらい、全クラスから色紙をもらった。にもかかわらず、全部C だ。上に賛成しているか、していないか、だけでつけている。自分も管理職だったが、とても全部の先生の授業や部活を見ることはできない。だから『適当』になるのは当たり前。そこから、C,Dは校長に反対する者ということになる。他県の校長たちはやりたくないと思っている。『苦情』をどんどん出せば、この制度はパンクする。」と発言されたそうだ(インターネットより)。

 06年から私も業績評価の開示請求をしてきた。南大沢学園養護学校に勤務していた07年度は総合評価Dであった。他の年度はB。07年度だけ、仕事に手抜きをした覚えはない。自己申告書や週案(=1週間の指導予定と事後の反省を記したもの)を提出しないのは、百害あって一利なし(管理強化による教育の質の変容や教員間の分断)と思うからで、この年度ばかりではなく、毎年のこと。なのになぜ、評価が大きく異なるのか? 校長によって評価基準のものさし自体に違いがあるか、あるいは見ているところが異なるのか、感情に左右されるのか。はたまた、都教委に慮るのか。私一人の評価を見ても、公平公正性が担保されないことは証明される。
 業績評価の開示請求ができると言えば、“開かれた公平公正な評価”の印象を与えがちだが、制度自体が誤りなのだ。上と下を作り、競争させること、そして何よりも上の指示に先回りして従わせることが目的なのだ。「成果主義」は、民間ではとうに破綻している。競争ではいい仕事はできない、協働こそがそれを可能にすると民間でも言われ始めている。「3人寄れば文殊の知恵」は普遍的な真理だ。

 業績評価は2000年に自己申告書(=校長の学校経営方針に沿って、自己の達成目標やそのための手立て等を書き、校長に提出することを教員の職務とした)を提出させられることに始まった。「給料には反映させない」との約束は反故にされ、上述のように査定昇給になった。他方、職能給は、03年導入の主幹に加え、08年からは「ヒラでいる限り45歳で昇給ストップ、生涯賃金で1千万円以上の差が出る」と該当者全員を浮き足立たせるようにして主任教諭制度を導入し、更に賃金格差を広げた。これによって、都教委が言うように、「教員の資質向上」「学校組織の活性化」が図られ、それが子どもに還元されただろうか?

 5月学校では、自己申告書の提出とそれに伴う面接が行われた。私は今回も自己申告書は出していない。「出すことによって私の教員としての力量が向上する、子どもたちの『学力』が向上する、成長にプラスになると言うなら、それを私に説明してください」「私は無責任な仕事はすべきではないと思うから出さないのです。説明に納得行けば出します。提出を求める副校長は、私に説明する責任があります」と提出を催促してきた副校長に要請したが、今年も一片の説明もなかったから。
 これまでに私の「上司」となった人で、自己申告書や週案提出の意義を私に説明してくれた人は一人もいない。提出に応じている教員たちも、提出する意味を見出している人は、私の知る限り、いない。子どもに還元されるなどと、誰も思っていないのだ。ほとんどの教員がいいとは思っていないこと、管理職も説明に窮することなのに、「職務」とされれば、多くは波風立てずにこなしていく。差別賃金に反対してきた人たちが、主任教諭を受験していく。

 この現状をそのままにしてしまっては、大嶽さんの勝利判決を意味のないものにしてしまう。現状を変えるために、判決を使っていきたい。みんなで業績評価を開示請求し、みんなで開示した業績評価を公開展示・閲覧するのはどうだろう。「公平公正」のでたらめさがみんなの目にはっきりする。それを外に向かって発信していったら、制度の維持は難しいだろう。組織率は低くても、組合がそんな方針を立ててくれたら、おもしろい運動になるのではないだろうか。
 2002年まで私たち教員が査定賃金にならなかったのは、公務員だからではない。1950年代終わりに勤務評定の攻撃が仕掛けられたとき、「勤評(勤務評定)は戦争への一里塚」をスローガンにストライキ闘争に突入し、弾圧・処分にひるまず団結してたたかった先輩たちのおかげであった。その財産を奪われてもなお私たちは、反撃せずにやられるまま。業績評価の公開で、そこにかすかな光を見つけたい。

 大嶽さんの判決を出した裁判長は、東京地裁民事19部の青野洋士裁判長。私(たち)が係っている「君が代」裁判の裁判長である。7月には04年、05年不起立の私を含む小・中教員10人の判決を出すことになっている。

裁判の進行状況と私たちの主張

 現在、河原井・根津の裁判は、06~09年事件で、時間差で並行して進行しています。なお、04、05年事件については、それぞれ別の原告団で進行しています。
 06年事件は高裁・控訴審の第4回法廷を終え、次回6月30日は進行協議(公開の法廷ではありません)では、今後私たちが提出する予定の意見書などの立証について裁判所が採用するよう、求めていきます。
 07年事件から09年事件については、いずれも地裁民事第19部に係っています。「教職員には、起立する、斉唱する、伴奏する義務は存在しない」と憲法判断を下した06年9.21予防訴訟判決から初めての卒業式だった07年事件は主張をほぼ終え、これから証人申請・尋問に移っていきます。根津は懲戒免職か!と危機迫った08年事件は主張を始めたところです。そして、09年事件は来る7月5日に第1回法廷が予定されています。1回目は原告2人の陳述を行ないます。ご都合がつかれましたら、ぜひ傍聴くださいますよう、お願いします。

 先行する06年事件控訴審で主張してきたことを簡単に記します。

地裁判決 ― ①原告らの思想・良心の自由に抵触する余地があっても、起立を求める職務命令には合理性、必要性が認められるから、また、公務員は全体の奉仕者であるから、憲法19条「思想・良心の自由」に反しない。
 ②教育委員会が教育の内容や方法に関して行なう介入については、教育の地方自治の原則に反することはありえない。また、教職員が生徒に対し、日の丸・君が代に関する歴史的な事実を教えることを禁止するものではないし、教職員に対し、国旗国歌について、一方的に一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものではないから、教育の自由の侵害に当たらない。
 ③停職を科するについては、慎重に臨まなければならないが、原告らは意図的に職務命令を拒否していて、裁量権の濫用とはいえない。 ― に対して
 控訴審で裁判所が考慮すべきこととして、私たちが主張してきたことは、
以下の通りです。
 上記①について。判決は「合理性や必要性がなければ、憲法19条違反の問題が生じる余地がある」と違憲性審査基準を判示したにもかかわらず、その審査を全くせずに、合理性や必要性を認め、合憲の結論を導いたのは、審理不尽であることを指摘した。また、思想・良心の自由の侵害について、控訴人個人のだけでなく、それ以上に教育を仕事とする教員としての思想・良心を全く検討していない点についても指摘し主張した。
 ②について。軍国主義教育を進めるためにつかわれた儀式は、敗戦直後の学校教育では否定されたこと。しかし、時代の経過と共に、文部省は儀式・日の丸・君が代を復活させ、教育内容を統制してきている。その日の丸・君が代の問題を、「教育の自由」の観点から指摘した。また、戦後の教育法制下における教育公務員の法的地位については、教育公務員は教育の自由を有する。だからこそ旭川学テ判決は、「「子どもの教育」は「教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行なわれなければならない」とし、そのために「教授の具体的内容及び方法につき、ある程度自由な裁量が認められなければならない」と判じた点をさらに主張した。
 ①、②両方にかかわることとして。「一般的には」とか「儀式におけるマナーの問題」として、日の丸・君が代を学校に持ち込むことの是非を審議せずに出された判決の、決定的誤りを指摘するために、日の丸・君が代が学校現場に持ち込まれてきた歴史的な節目である1989年(学習指導要領に「・・・指導するものとする」と義務づけた)、1999年(国旗国歌法成立)、2003年(10・23通達)の各時期における新聞各紙社説や世論調査を細かく示し、国民の意識は“強制や処分に反対”が「一般的」なであることを立証した。
 ③について。都教委における体罰や未履修問題、職務命令違反や他県の君が代処分の事例を示し、それらと比較して君が代での処分量定が異常に突出していることを指摘したが、判決は一切それを取り上げなかったこと、及び、処分量定は「日常の勤務態度」を総合考慮すべきと判じているにもかかわらず、意図的にそれをしていないことを指摘した。

【解雇させない会ニュースNo.31より】



2010/06/27

おかわりありませんか

おかわりありませんか
2010.6.いい日に
新緑 人と人と雑木林

河原井純子

● 人・人・人と集い 確かめあって

 4 月、5 月、私は「退職を祝う会」の申し出を素直に受け入れる心境ではなかったので、丁寧にお断りしてきたのですが・・・親しい友人や同志たちと私の関わっているいくつかの市民運動の方たちと「不起立を貫いた」「体を張り続けた」などの意義について総括する集いが続きました。 「教育の営みとは何か」「教室とは?」「学校とは?」「社会とは?」などなどの根源的な問い返しがありました。 いい仲間たちです。
 「教員の不起立」の横には 絶えず子どもたちや青年たちいることを、再び確認しあいました。あたり前のことですが。
 最近結審した裁判の判決文で際立っていることに 児童・生徒に「範を示せ」「不起立は範を示していない行為」と明示されています。 「入学式」「卒業式」「周年行事」は学校生活のなかで、そこだけ切り取られているものでは決してなく、日常の連綿と連なる教育の営みのなかで、授業のなかで子どもたちや青年たちと常に大切にしてきた「憲法」や「子どもの権利条約」と照らし合わせてみても、私の「不起立」は教育活動であり、教育実践そのものです。 そんな事などをいろいろな人たちと自分の言葉で、自分のやり方でとことん語り合うのびやかな集いでした。全国からも退職に関するお電話やお手紙 FAXなど届きました。うれしうれしです。心からありがとうございます。

● このところ地域の行脚にでかけています。 まずは隣人から
「やっぱり、つながっているんだ」を実感しています。

 遠方に行脚に出掛けていない時は時間をみつけては地域巡り行脚をしています。
 これが実に楽しいのです。 大きなリュックに「学校は雑木林」の本と、短冊「決してあきらめず雑木林の決意」をぎっちりと詰めて行脚しています。
 短冊で共闘 深谷さんいつもいつもありがとうございます。全国のどれだけの人たちに届いたのでしょうか。ひとりひとり向き合って「日の丸・君が代」の話だけではなく、さまざまな対話ができてさわやかです。 「人間っていいな」と満たされる時ですね。
 例えば・・

  • 1985 年から10 年間 八王子養護学校で勤務していました。「どの子も地域で」を目ざして、私の住まいの近くの小さなお寺で地域交流会「ふれあい広場」をしました。私は率先して係になりすすめました。私30 代でした。その時の「障がい」のある人たちとの付き合いから、現在「障害者施設」で働いている人に出会いました。 25 年ぶりの事実に驚きました。「そうだったんですか・・・」
  • ケアマネージャーになって地域の高齢者と共にいる人もいました。「学校」の話「社会」の話は尽きません。 私に関わる「八王子保育教育を考える会」の会報「共に育つ」の熱心な読者であり実践者でした。 保護者として「君が代不起立」を続けていることも知りました。「林の中の孤独」と喩えていました。「でも決してひとりぼっちではありませんよ」と固い握手です。
  • 「日の丸・君が代強制反対」の署名をお願いしにいった時「うちは日の丸・君が代賛成です。署名しません」と断言された方を行脚した時。「多数者のなかの少数者の息苦しさ」「どこもここも非正規労働者であふれている」話になりました。ここで共感・共有できたことは「日の丸・君が代」を累積処分までして強制するのはおかしい、人間ひとりひとり、大切のされなければならない、でした。「学校は雑木林」の本と「決してあきらめず雑木林の決意」の短冊読んでくれています。後日、感想と意見届く予定です。

などなど話は尽きません。決してあきらめずに行脚は続きます。

● 今ゆっくりと全国行脚を創っています
山田真著 「障害児保育」からのメッセージを心に刻みながら

 「共に全国行脚を創って大きなうねりを」という内容で100 通の手づくり通信を全国に発信しました。調整打ち合わせをしながら具体化していきたいとすすめているところです。3 月の「都庁前アンサンブルアクション」で山田真さんに発言をお願いしますと、快諾、休暇をとってとんできて力強い発言をしてくださいました。 その時「最近出した本」と言って「障害児保育」を手渡されました。 私は七生養護学校に勤務していた2004年12月に眼底出血を発症して以来本離れを余儀なくされる身です。久しぶりに長い長い時間をかけながらゆっくりゆっくりと読んでいます。内容は「障害児保育」の本ですが私には「人間関係の創造・雑木林論」としても響いてきます。
 ちょっと引用してみます。

自分は健常で子どもは障害があるという見方を固定しないで自分と子どもと、それぞれに個性があるのだと考えて見ることです。
そしてたまたま自分は多数派に属する個性をもっており子どもの方は 少数派に属する個性をもっているのだととらえてみましょう。
そして社会のなかでは少数派はときに多数派から「異常」という ラベルをはられるものだということにも気づいておきたいものです。

  は私がしました。
 それぞれ違うということ、対等平等であるということを忘れたくないですね。

 私の関わる「八王子保育教育を考える会(保教の会)」の6月例会[27日(日)]は、原点にたち返って「障害児保育」から学ぶ という内容でします。 ひとりの母親の想いから30年前町田で「障害児保育」がスタートした時の息吹き 再び起こしたいという想いでいっぱいです。
 3月31日「卒業式処分発令抗議集会」の前に週刊金曜日・樫田さんより取材を受けました。限られた時間でしたが闘争に関するたくさんの事を語り合うことができ とても意義深い充実した時間でした。
 最後に樫田さんは「三里塚闘争」のなかで機動隊と、とことん「対話する」ある闘士の姿に多くの事を学び「いまも生きていく礎になっている」と結びました。

「障害児保育」が終始発信していること・・樫田さんの三里塚闘争での話・・
全国行脚で学んだ「やさしい言葉と深い思想」などなど心に刻みながら
「必ず大きなうねりは生まれる」と信じて、また全国行脚にでます。
決してあきらめずに。

【解雇させない会ニュースNo.31より】



2010/06/26

教育は「両刃の剣」

教育は「両刃の剣」
~「日の丸・君が代」強制と自由な学びの保障~

累積加重処分取消訴訟原告 近藤順一

はじめに~運動の再構築を~

 石原都政下の「日の丸・君が代」強制は、その画期となった2003年「10.23通達」から7年が経過しようとしている。7回の卒業式、入学式、その他の周年行事等における強制と処分が進行してきた。そして、一自治体を超えて、この間の教育基本法改定、教育関係法の改定及び実施とも呼応して、学校の教職員への職階統制・支配、教育内容への国家主義的介入の核心となっている。東京都では、戦後教育史上初の延べ400名以上の処分者を出し、裁判も最高裁に移っているものもある。予防訴訟一審を除く各裁判の一審、二審での被処分者=原告の敗訴が続いているが、その中で明らかになってきたのは。問題の本質が都民、国民に十分理解されず、従って裁判官にまで届いていないことである。
 戦後教育史にはその時代を背景として突出した争点が刻まれてきた。墨塗り教科書、教育委員任命制、学テ、勤評、教科書問題、最近では「沖縄集団自決」への軍命令問題など。今日の「日の丸・君が代」強制、処分は、教育内容への権力的介入、教職員への過酷な処分から見ても特異である。しかし、それに対する反撃は十分ではない。教育裁判の側面から見ても、学テ裁判をはじめ多くの裁判では敗訴しても、基本的な権利や責任に関わる本質を明らかにしてきた。だが「日の丸・君が代」処分関連裁判の判決では、これまで被処分者(教職員)の思想・良心の自由の侵害問題に留まってきたようだ。
 私は、「日の丸・君が代」強制・処分は自由な教育に対する大弾圧事件であり、学習者(一般的には児童・生徒であるが夜間中学、高校定時制には成人もいる)の自由な学習を妨げ、教職員への統制・支配、さらには教育内容への介入の突破口となっている、と考えている。つまり、この問題の核心は教育の自由が危機に遭遇していることであり、歴史的、国民的規模の問題である。この小論は、強制、処分の本質と裁判を含む運動を発展させる課題を考えようとするものである。攻撃に見合った質と量の反撃が必要である。

(一)    2003「10.23通達」前史

(1)80年代 ~天皇制・軍国主義ナショナリズムの攻勢~
 1990年12月に出版された『あなたは君が代を歌いますか』(教育科学研究会)の中で、渡辺治は「なぜ今、『日の丸・君が代』か」のタイトルで戦後の国家主義ナショナリズムを総覧している。
 それによると、50年代は「逆コース」、破防法、再軍備の中で天皇制による復古的ナショナリズムが推奨され、1958年の学習指導要領で「日の丸・君が代」も登場した。ところが、60年代、70年代は、経済成長のもとにこの傾向は影を潜めた、という。60年安保闘争、60年代末の明治100年記念の挫折、学テ反対、教科書裁判、革新知事の誕生の前に1976年の昭和天皇在位50年式典には、主な知事、野党は出席しなかった。
 そして80年代、日本企業の成長、海外進出と相まって、政府・財界が全体として天皇制・軍国主義ナショナリズムを追求し、国民の側もある程度大国主義的ナショナリズムを受け入れる動きが起こったという。首相の靖国参拝、学習指導要領の改定、そして、天皇の死去に伴い大キャンペーンが張られた。
 上記の『あなたは君が代を歌いますか』の中で、「1988年3月の福岡市長尾小学校の卒業式での出来事」が報告されている。一人の卒業生の女の子は「私は『ゲルニカ』をステージに貼ってくれなかったことについて深く怒りそして侮辱を感じています。校長先生は私たちに対して、私たちを大切に思っていなかったようです。」と述べている。「歌いません。」と叫び着席した彼女に続いて「170名の卒業生のうち40名ほどの子どもたちが着席をし、大半の子どもたちも同調するかのようにそれぞれが拒否の意思表示をしていた。」(「子どもたちの表現を踏みにじった大人たちに怒る」西村栄造<子どもたちの「ゲルニカ」を考える福岡市民の会>)
 今では、日常的となった卒業制作の排除は、80年代すでに表面化していたのである。

(2)90年代、~戦後50年をめぐる攻防と強制・処分~
A:強制に立ち向かわない対応
 1995年の戦後50年は時間経過の意味を持っただけではなく、戦争責任、戦後責任に向き合ってこなかったことを顕在化した。そこから、「新しい歴史教科書を作る会」等の歴史修正主義の台頭があった。「若手議員の会」ともタイアップした。政界、学会が教育現場に介入し、「日の丸・君が代」問題も強制、職務命令による処分を伴う事態となった。そして、1999年にはついに国旗・国歌法の成立をみた。
 この時期注目すべきは、教職員の側には強制、処分に対してその本質を突いた対応、反撃をするのではなく、どのように処分を逃れるのかが主要な課題になっていることである。これが今世紀の今日にまで継続する弱点であろう。そのことを、教育科学研究会編『「日の丸・君が代」の強制から身を守る法』(2000年3月)からみてみよう。
 「文部省や教育委員会が出している文書では、学習指導要領違反ではなくて、職務命令違反という言い方になってきている。そこに無理があるのではないかと感じています。」(牛久保秀樹弁護士)
 「君を天皇という具合に限定すること自体が非常に狭い考え方であり、特に『が』を所有の『が』と言ってしまうと、憲法とも問題が生じるということを、具体的に生徒といっしょに考えていくことなどができるでしょう。」(同上)

 この「職務命令違反」こそ、学校現場が分裂させられた中で行政権力の強制、処分の武器となっていること、また、「君が代」も圧倒的な国民が「象徴天皇制」を受け入れている中で、これも都教委側、不当判決の口実となっている。

 「『職務命令を出させない、職務命令といわせない』やり方が模索されている・・
 この3年ほどは、逆に職務命令という言葉をいかに出させないかという方向に変わってきている。職務命令と学校長に言わせてしまうと、逆にこれまでの議論の積み重ねが無に帰してしまうこと」(石崎摂「教職員たちの取り組み 首都圏の事例から」)

 これも、現在では都教委の強権支配の下では、「職務命令」を出さざるを得ない、中には積極的に出す管理職がほとんどであり、小手先の対応はとっくに無力になっている。さらに重要なことは、議論無き受忍が蔓延していることと「職務命令を出させない」が相互補完となっている現実である。

 「『君が代』を歌うことを式の時に指示されたとき、式を混乱させないという立場で起立はするが、歌う、歌わないというのは本人の意志にまかす・・・
 はじめはピアノを弾くことを講師や組合でない人に『押しつける』ようにしていたため、そういう事態にならないよう正面から論戦を展開し、ピアノを弾く、ピアノを(君が代を)弾いたからといってその人の姿勢を問うということではないのだと、みんなの論議で確かめ合ってきた。」(吉益敏文「【京都】この十年をふりかえって」)
 「いかなる処分も恐れず、自分の意志を曲げないで『日の丸・君が代』に反対するという立場の人から、明確に反対とは意思表明できないけど、今のような状況は何かおかしいと思う立場の人までが一致できる要求で、行動していく、それは子どもが主人公の学校をつくる、そのために何ができるかという点に立つことだろう。」(同上)

 ここでは「日の丸・君が代」強制が、教員を「道具」にして子どもの自由な学習を侵害することの本質が捉えきれず、「正面から」強制に向き合わずに個人の観念的対応に任せられている。教育内容への介入、支配を受忍して「子どもが主人公の学校」などあり得るのか。せいぜい、国家忠誠表明下の「囚われ人の自由」を受容させるにすぎない。「子どもが主人公の学習」とは、子どもの発達段階に応じてその思想・良心の形成過程の自由を尊重することが前提である。何よりも「日の丸・君が代」強制の現実を意識させ、一方的な観念を教化されるのではなく、それを拒否する多様な考え、行動もあることが提示されなければならない。
 現在でも、個々の教員の思想・良心の問題に留まり、この問題が教育の自由、学習者の思想・良心の形成過程の自由に深く関わり、学校教育はもちろん、国民の思想形成、動向にも大きく影響することが十分には共有されていない。それが、学校現場の取り組みを軸とする国民的運動の発展を妨げ、裁判にも悪影響をもたらしている。

B:国旗・国歌法の成立
 1999年には国旗・国歌法が成立した(8/13公布)。その過程の国会論戦では、学校教育に強制はしないとの見解と共に一方では、従来通り実施する、「命ぜられたときには職務上の責任が問われる」と提示された。
 成立直後、9/17付で文部省は「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」を発し「一部の都道府県及び指定都市において依然として実施率が低い状況・・各学校の卒業式及び入学式における国旗及び国歌に関する指導が一層適切に行われるよう引き続きご指導をお願いします。」とした。
 都教委も10/19付で「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」を発し「職務命令を発した場合において、教職員が式典の準備業務を拒否した場合、または式典に参加せず式典中の生徒指導を行わない場合は、服務上の責任を問われることがあることを、教職員に周知すること。」とはっきり処分を構えている。都教委は前年の1998年にはすでに「国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を出しており、後の2003年「10.23通達」及び「実施指針」の原型となった。ただこの段階では処分の要件である「教職員は国旗に向かって起立し国歌を斉唱」とまでは明示されなかった。

 総じて、80年代、90年代に表れた強制へ向けての態勢作りに対する不正確な把握と対応が、今世紀になって本格的な処分攻撃の中でも、引きずられてきている。

(二)2003年「10.23通達」以後の強制、処分

(1)教育課程そのものへの直接介入
 まず、この強制はほとんど全ての学校が行っている教育過程そのものの中で進行していることである。例えば、教員に何らかの研修を命じたり、レポートや自己申告書を出させたり、宣誓をさせて、その内容を査定して処分を科すというものではない。入学式・卒業式など全校的でもあり、また外に向かって開かれた儀式的行事において、児童・生徒に対する「直接の人格的接触」、指導場面で、予め懲戒処分(さらには分限処分も)を構えられた教職員の一挙手一投足が監視されている。何らかの教材を媒介してではなく、または国旗や国歌そのものを教材としてではなく、ひたすら国旗・国歌に対する一方的は態度・行動が課せられる。身体で示せということである。
 強制の内容は、日本国に対する忠誠を表明するもので、特に「君が代」は象徴天皇制とリンクされている。さらに、国際儀礼なるものを口実にしている。この背景には前述したように、80年代以来の国家主義イデオロギーの強化により、公的、公共の場では「日の丸・君が代」という国家象徴を顕在化させることが通常となっている傾向があり、また、地方自治、地方分権の名の下に自治体の行政権力による学校教育への統制、支配が進んでいる状況がある。

(2)強制の対象と仕組み
 直接には職務命令による教職員への強制であることはいうまでもない。教職員への強制は憲法19条の思想・良心の自由への侵害であること、自らの思想・良心また信仰から「日の丸・君が代」が果たしてきた歴史的役割や国家イデオロギーの押しつけ等を受け入れられないとするものである。
 同時に、教職員としての教育的良心から、「創造的かつ弾力的な教育の余地」がなく「一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制するような点」(旭川学テ最高裁判決)に対して、これを拒否する意味がある。
 子どもは「職務命令、その違反に対する懲戒処分を背景として『日の丸』『君が代』に込められた『政府言論 goverment sperch』を伝えるよう強いられた教育公務員という名の『道具』=教師によって、参加・起立・敬礼・斉唱するように『指導』される。」(新岡昌幸「学校における『日の丸』『君が代』問題の憲法・教育法学的検討~『囚われた』子どもの人権保障のために~」)
 つまり、教職員を通じて児童・生徒への強制が進行するという。そこで、西原博史は「反対している児童・生徒に対して参加が強制されないような制度的仕組みを用意しなければならず、着席、退席、不参加などの『拒否権』が子どもに保障されなければない」(「『君が代』斉唱と憲法19条」)とする。
 上記の新岡昌幸は「『・・・世の中にはいろいろな態度決定があり得るのだ』ということを教える方法の一つとして卒入学式で『教師』が職務権限ないし裁量権の範囲内で着席や退席、不参加をするということは成り立ちうる職務行為である、と考えられる。」(『愛国心と教育』「『教師』への職務命令に関する憲法・教育学的検討」)と提起する。
 ここには強制の意味とそれに対する教員の対応、不服従のあり方について興味深い展開がある。私は、西原が言うように児童・生徒には自らの拒否行動と共に強制下で進められる儀式そのものを停止させる言動も保障される必要があると考える。しかし、教師には「退席」「不参加」の「職務権限」はないと思う。(休暇は別として)なぜなら儀式は勤務時間中であり「職務専念義務」があり、また、「直接の人格的接触を通して」学習者と関わる現場から退場する意味はないであろう。むしろ学習者に事態の本質を率直に提示する必要がある、と考える。「不起立・不斉唱・不伴奏」の積極的な理由である。

(3)何を訴えなければならないのか
~3つの拒否と3つの提示~
 教員の教授の自由は限定されたものであり、都教委の強制下ではさらに抑圧される。その中でも、児童・生徒の前から逃げずに、直接の人格的接触をはかる、つまり公務を遂行するならば、公務としての不起立・不斉唱にはどんな意義があるか。

<教員としての3つの拒否>

  1. 教育課程への強制を拒否する。 都教委―(市区町村教委)-校長ルートの違憲、違法性を明確にする。「10.23通達」は教育内容への規制であり、教職員の一挙手一投足を縛るもの。教員の教授の自由、学校の自主性を踏みにじるやり方。現在進められている「道徳教育」「愛国心教育」の強制に道を開く。
  2. 国家忠誠の表明を拒否する。> いかなる法、学習指導要領、文科省解説にも"起立"は示されていない。国旗・国歌法成立時の政府見解では"君"は天皇、"君が代"は我が国、その歌詞は我が国の末永い繁栄と平和を祈念、とされている。起立か不起立かは「日の丸・君が代」への賛意か不賛意かを示すのではなく、国家忠誠表明の強制を受忍しているかどうかを示すことになる。
  3. プロトコル(国際儀礼)の強要を拒否する。 強制と尊重、強制と一般的敬意、学校教育での強制とオリンピック等での慣習とは異なる。儀礼の強要は国際的信用を失う。

<児童・生徒への3つの提示>

  1. 教員としての存立の精神的・肉体的危機即ち急迫不正の圧迫に対する正当防衛行為は認められるべき。不起立・不斉唱によって児童・生徒に非暴力・不服従の意味を教えることは重要な政治的教養の獲得として尊重されるべきである。(教育基本法14条)
  2. 学習の自由、教授の自由を保持すること、異なる考え異なる行動の存在を承認することによって学習は始まる。そして、自由権(思想良心の自由・宗教の自由)、社会権(教育の自由)などの基本的人権を尊重することの意義を示す。
  3. 「愛国心」「天皇制」「国家・国旗・国歌」「国際儀礼」等を学ぶきっかけとなり、個性の尊重、多文化共生への学習を進める。国家や行政権力の意向を無条件に受け入れるのではなく、それを相対化し多面的に検討する方向を示す。なぜ、処分を構えた強制下でも不起立・不斉唱を実行するのかを問いかける。

(三)厳しい評価

 教育の自由を擁護しその歴史的責任を果たそうとする立場からの批判を受け止めなければならない。教員は学習者の人権を守る者(守護神)であると同時に身近な「人権侵害者」にもなる。まさしく教育は「両刃の剣」である。下記の諸氏の批判が、主に教員と児童・生徒との関わりにおいて、強制を受忍した教員に対するものになっていることに注目したい。国民の厳しい目は教育の自由、成長過程にある子どもの自由な学びが保障されるかどうかにあることをしっかりと受け止めなければならない。

渡辺治「強制されて歌わされるとか、立ち上がらせられる、そういうことをやらされる教師というのは実は子どもたちにとっては有害な役割を果たすんです。そういうことをやらされている先生たちは子どもが成長するために必要な能力を付与することなんか出来っこないわけですよ。」(リベルテ 2010.1.1)

市川須美子「私は私の教育法研究の出発点となっているドイツ教育法の一研究者の『自由のない教師に自由を教えることはできない』という一文を想起せざるをえない。教師は、教育の場で、人権侵害を犯す危険性を持ちながらも、第一義的に子どもの人権保障主体である。」「教師人権は、子どもの人権・学習権保障のために認められた人権であり、教師が権力者でもなく、国家学説メッセンジャーでもなく、人間(生身の人格)として子どもと向かい合うための人間的主体性を保障する。」(『学校教育裁判と教育法』)

斉藤貴男「僕は学校の先生というのはすばらしい職業だと思っています。でも、こんな流れを受け入れてしまったら、最低、最悪の、最も軽蔑すべき職業に成り下がる。他人の子どもを戦場に行かせて、国家の思い通りに死なせるために、その手先にするということですから。」(『愛国心と教育』 対談「なぜ今『愛国心』なのか」)

永野恒雄「・・・組合がどういう抵抗をしているかというと、ほとんど抵抗してないです。『職務命令が出たら引け』という指示です。」(同上)

柿沼昌芳「戦後民主主義教育を担った現場教師に対する最終的な殲滅作戦ではないかと思うんです。それで個々の教師はともかく、組合が手も足も出なくなってしまったという状況をどう切り開いていくか」(同上)

 私たちは「意図の真剣さ」や「初動決起の正しさ」に安住しているわけにはいかない。自分自身の思想・良心に反する強制に対して「不起立・不斉唱・不伴奏」を決行した教員は、その意味をさらに深化させ、制限、抑圧された中でも教授の自由に基づき学習者の自由な学びを保障する行動として提示する必要がある。つまり、ごく単純に、勤務時間中に必須の教育実践を遂行したことになり、その公務の内容によって懲戒処分が下されたことになる。この点を都民、国民に訴える必要がある。また、このことによって現場の教職員がこの問題を考える共通の基盤ができる。そこからボトムアップしてこそ思想・良心の自由の侵害が広く教育全般の問題として捉えられ、強制を拒否する意味が浮き彫りになる。

(四)    教授の自由・自由な学び ~それぞれの試行~

 いくつかの裁判は最高裁に上告されている。学者・ジャーナリスト等の文化人の理解も必要である。そして、より広範な都民・国民への運動の広まりが期待されている。だが、この運動の軸は現場の教職員であり、そこに、児童・生徒(学習者)への「日の丸・君が代」強制の帰趨がかかっている。
 裁判でも、運動でも、やはりキーポイントは強制に反対した教職員の「不起立・不斉唱・不伴奏」に対する評価である。「社会秩序を乱す者」「公務員としてあるまじき行為」「信用失墜行為」、時として「指導力不足教員」「不適格教員」「非愛国者」「日本人失格者」とも言われる。
 ここでは、教育の本質に根ざし「不起立・不斉唱・不伴奏」を自由な学びの保障とする者の言動をみる。

河原井純子
 特別支援学校での不起立・不斉唱により2度の停職6ヶ月処分を受けた。その視点は明快である。
 「対話は命です。子どもたちと青年たちと大切にしてきました。だからこそ、私は真底『10.23通達』はおかしい!と思っています。違憲違法以外のなにものでもありません。私の『君が代』不起立は私の教育実践、教育活動の一つであり、教員として、あたり前のことです。」(『学校は雑木林』)
 「私は決してあきらめずに、教育実践。教育活動の一つとしての『君が代』不起立を子どもたちの、青年たちの人権侵害に絶対に荷担しない『君が代』不起立を続けていくだけです。人間として、教員として。」(同上)
 「子どもたち・青年たち」とこの問題を考え、「対話」していく出発として「不起立」があるという。その教育実践に対する過酷な処分=弾圧にも屈しない証しは「全国行脚」に示されている。
 「『茶色の朝』を迎えないために、今私たちは何を考えなすべきかを全国の多くの人と共有したいという思いと、『君が代解雇』を絶対に許してはいけないという一念で、全国行脚をし続けました。」(同上)という。おそらく、心の『雑木林』を抱いて、「不起立」に連続する教育活動の全国展開であろう。

根津公子
 3回の停職6ヶ月処分を受け、その度に校門のところで生徒たちを迎え挨拶をし、時には話し込む。自身が名付けた「停職『出勤』」という究極の形容矛盾も何のその、児童・生徒との「直接の人格的接触」を求める姿は自然だ。その意義を次のように述べている。
 「今の東京で都・市教委の主張を正しいと信じ込まされてきた生徒たちにこそ、異なる主張があることをそして人には思想信条の自由があり、百人いれば百人の考え方生き方があり、それは人が人として生きる上で譲ることのできない権利であることを身近に位置するはずの私の行動から、考えてほしいと思ったのです。」(『希望は生徒』)
 懲戒処分の執行現場となった校門は市民との接点でもある。時には「ここを退いてほしい」という「抗議」の声にも対応する。 
 「私は、『都教委のやっていることが必ずしも教育というわけではない、間違っていると思うから、起立しないのです。教員の職責として起立しなかったことに対しての処分です。学校で起きたことですから、そして、私は間違ったことはしていませんから、ここから離れることはできません。』」(同上)
 市民への対応が特に重要であることを根津はよく知っている。行政権力はいかなる対立・矛盾をも悪用してさらなる処分を科してくる。その体験を語る。
 「多摩中に異動して1年目に起こされた校長・教委・地域・PTAが一体となった攻撃に、ぼろぼろになりながらも耐えられたのは、八王子で同僚たちと築いた教育活動への確信と、何よりも当時の生徒たちが、その後も私たちの実践を評価してくれ、窮地に立つ私を励ましてくれたからであった。」(同上)
 「日の丸・君が代」強制に反対する方法も目的も結局のところ児童・生徒との自由な教授・自由な学びに帰着することを身を以て示していると言える。

池田幹子
 「おめでとうございます。色々な強制がある中であっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていってください」
 前任校の卒業式に来賓として出席し紹介されたときの祝辞が都教委により「不適切」とされ「指導」が決定された。都教委は「・・『10.23通達』をめぐる対立状況については、まさに控訴人(=池田)は当事者である・・」とし、高裁判決では「・・卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったことが認められる」とされ、上告も棄却となった。
 ここには2つの問題がある。まず、都教委は「色々な強制」を独断し、学校現場でのいかなる「批判」も許さない措置を執ったことである。特に「日の丸・君が代」強制に反対する者にはあらゆる口実を設けて容赦しないのである。私も2006年の「不起立・不斉唱」では職務命令・現認がなかったにもかかわらず、校長・副校長と共に八王子市教育長の「指導」措置となった。
 もう一つの問題は、生徒への言葉が問題とされたことである。
 「大人が本気で生きている姿、語りかける言葉を若い人たちは必要としていると思います。内容の是非は若い人たちがそれぞれ自分で判断するし、何かをこちらが言ったからといって、それでその通りになるというものでもありません。ただ、大人が本音を隠して、適当にごまかして生きる姿は、目に見えない、言葉にできないあきらめ、絶望のようなものを蔓延させてゆく、若い人たちの希望を失わせてゆくと思います。」(「もの言える自由」裁判交流会『教師の思想・良心の自由と表現の自由~「もの言える自由」裁判報告集』)
 都教委見解及び「日の丸・君が代」関係の不当判決では「不起立・不斉唱・不伴奏」を決行した者に対して「内心と外部行為を分離せよ」「児童・生徒、来賓の面前での信用失墜行為」と断じた。つまり、教員による学習者への主体的な働きかけこそが「指導」「処分」の対象となる。教員は言葉のプロである。この冤罪事件とも言える言葉への弾圧に、敢然としなやかに立ち向かった姿は胸を打つ。むろん、池田の言葉も音楽も生徒の胸に響いたことだろう。

増田都子 
 「日の丸・君が代」強制の問題とは直接の関係ではないが、まさしく教育実践、社会科の授業をめぐって2006年、都教委から分限免職された。一部の都議会議員の先導、執拗な強制「研修」、分限処分適用など、「日の丸・君が代」強制と軌を一にしたものである。これもまた生徒への直接指導場面で思想・良心の自由に基づく教育実践を行った者への過酷な処分であった。
 「私は、子ども達に正しい歴史認識をはぐくみ、侵略戦争の惨禍を再び繰り返さない証として作られた日本国憲法の理念に忠実な、社会科教師であることに誇りを持っている。」(『たたかう!社会科教師』)
 「私は平凡な一社会科教員にすぎなかったが、その歴史の動きに沿って河野洋平談話が言う『歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない』教育に真摯に取り組んだ。」(同上)
 社会科は、社会の矛盾、対立を学習の対象とするのである。「保護者の苦情」などが処分の理由とされたが、実際には生徒への教育活動を捉えて教員の身分を剥奪する処分を行ったのである。免職処分を受けた後、実践している「自主講座」は裁判闘争と共に教育実践への持続する追求を示してあまりある。

 ここに取り上げた方のほかにも、教育実践としての「不起立・不斉唱・不伴奏」を実行している方がいる。元々、裁判に取り組み、そのことを公開し児童・生徒や保護者に提示すること自体が広く教育的意味を持つと思う。

おわりに ~率直な提起を~

 現在、学校現場の強制を止める闘いでも裁判闘争でも厚い壁にぶつかっている本文中でも述べたが、被処分者の果たすべき役割は「不起立・不斉唱・不伴奏」の意味を自らの思想・良心の自由のレベルから、思想・良心の形成過程にある子どもの自由な学習を保障する意義にまで深化させることである。裁判官にも教職員と児童・生徒両者の人権を守るためにこそ行動したことを理解させる必要がある。
 そして、現場の教職員に対して率直に「不起立・不斉唱・不伴奏」を含む強制反対の行動を呼びかけることである。これは、3・4月の卒入学式の時期だけの課題ではない。今や、強制は体制の問題となっている。
 私の場合、5回の「不起立・不斉唱」を行ったが初期のうちは「日の丸・君が代」を受け入れられない感情のみが強かった。特にアジアの生徒への矜持でもあった。後には、自らを教材として提示することを考えるようになった。
 今年は安保50年である。
 「この抗議行動がなかったとしたら、1941年12月8日に、負けるとわかった戦争にこの国家をまきこんだ戦時閣僚の一人を、敗戦後に首相として、アメリカとの軍事協力に送りこむのを、日本人は黙認したことになり、あの戦争がなかったことになるのではないかというつよい感情をもった。あの戦争がなかったということはない、あの戦争をおこした政治指導者の責任は忘れない、そういう抗議行動が、1931年の満州事変以来はじめて、1945年以後に日本で表現されたことに感動した。この先頭に立った東大生樺美智子に対する感謝をこのときも今も私は忘れない。」(鶴見俊輔『教育再定義の試み』)
 私たちも個人個人がどのように振る舞うか、広範な運動のうねりをつくり出すことができるのか、そして、この運動をいかに歴史に刻印するかが問われている。

2010年6月23日


2010/06/25

解雇させない会ニュースNo.31

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解雇させない会ニュースNo.31

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解雇させない会ニュース一覧表

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2010/06/24

「8・28(土)都教委包囲行動」へ(2)

渡部です。 

本日(6月24日)、東京地裁で「再雇用拒否撤回第2次訴訟」の第3回口頭弁論(2人)がありました。原告は25名です。

前回(第2回、3月15日)の口頭弁論について私は次のようなことを書きました。

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「渡辺裁判長の訴訟指揮と、原告3人の意見陳述の際の態度に、傍聴席から抗議の声が一斉に上がりました。

『ヤジと怒号にあふれた裁判』となりました。

特にひどかったのは、3人の意見陳述の際の態度で、その間、まともに意見陳述者の方に顔を向けず、絶えず書類をめくっており、余りのひどさに傍聴席から、『書類をめくるのをやめろ!しっかり口頭弁論を聞け!』という声が何度も上がりました。

そうすると、『私はちゃんと聞いています』と言っては、また、書類をめくりはじる。その音がまたうるさい。

ついには、陳述者が『裁判長!』と呼びかけると、『はい!』と返事しましたが、また書類をめくり始めるという具合。」

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しかし、今回は前回のヤジと怒号による抗議が効いたせいか、渡辺裁判長はおとなしくしていました。新しく代わった女性の書記官は前回のことを聞いていたらしく、真剣に原告2名の口頭弁論を聞いていました。

やはり、おかしなことに対しては、裁判官であろうと、誰であろうと、私たちは断固声を上げるべきだと思いました。そうでなければ何も変わらないでしょう。(裁判官によく思われるために、黙っている静かにしている、などというのは間違っています)

口頭弁論に立った原告のGさんは、1976年以来2007年3月の退職までの31年間、都立高校定時制だけに勤務してきました。その間勤務した4校は、すべて統廃合されたそうです。

Gさんは定時制高校での教育実践とこの間の生徒達の就職難にみられる社会の変化を紹介し、次のように述べました。

「ワーキングプアなど新しい貧困層が増大し、若者たちが生きづらい社会をつくりだした国家に、若者たちが自然に『愛国心』を持てるはずがありません。一方では若者が愛着を感じられる社会を壊し、他方では『愛国心』を強制的に注入する。この10年余りの『日の丸・君が代』の学校への強制はまさにこうした目的に沿ったものだと思います。」

また、2006年9月21日の難波判決後、最初の卒業式に臨んだ時のことを次のように述べました。

「教員生活最後の年、私は定年後の生活のためにも再雇用されることを希望しておりました。嘱託採用の面接を受け合格通知を頂き、赴任する学校も希望通り定時制に決まって学校との面接の日取りも決まっていました。

卒業式を前に、私は起立できないという思いも強くありました。・・クラスの生徒二人と隣のクラスの一人から電話で明日の式を欠席すると連絡がありました。三人とも中学時代に不登校を経験したまじめでおとなしい生徒達で、いずれも直接理由は言いませんでしたが、普段の彼らの言動から、卒業式でみんな起立している時に起立しないのも嫌だし、担任にも迷惑をかけたくないという思いなのは明らかでした。

このように『10・23通達』は定時制では、少数の生徒を排除するという結果をもたらしました。私は彼らを排除する側に立つことはできないと思いました。

更に、難波判決後の最初の卒業式で、都教委がどうであれ一裁判官が勇気をもって下した判決を、原告が尊重しないことはやはり道義的にも許されないという思いがつのったのです。

3月29日の教育委員会で私の戒告処分が決定し、その後発令通知と処分説明書・『再雇用職員選考の合格取り消』の書類を都教委の役人によって校長室で渡されました。そこには『全体nお奉仕者たるにふさわしくない』とありましたが、私は生徒や学校のあり方を考えたからこそ、個人の不利益を『覚悟』しながら起立しないという選択をしたのです。」

長くなりましたので、もう一人(Tさん)の口頭弁論は次回に紹介します。

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以下は、当面の「日・君」関係の裁判などの予定です。

6月30日(水) 第一回最高裁要請行動
12:40~14:10 最高裁南門 集合
(地下鉄・永田町下車、5分)

7月1日(木) 義務制・安部さん 控訴審
16:00~ 東京高裁 825号

7月7日(水) 東京「君が代」裁判・三次訴訟(第一回口頭弁論)
11:00~(傍聴抽選有り 10:30には裁判所前に到着を)

7月12日(月) 近藤順一さん口頭弁論(東京地裁)
10:30~  527号

7月15日(木) 義務制「日の丸・君が代」処分取り消し訴訟(原告10名)
13:10~ 東京地裁 606号

7月16日(金) 藤田裁判(上告) 最高裁判所要請行動
15:30~ 最高裁東門 集合

7月21日(火) 再発防止研修抗議・該当者(4名)支援行動
8:30 都教職員研修センター前
(JR水道橋駅・都立工芸高校隣)

7月26日(月) 義務制・米山さん 第7回裁判
15:30~  631号 

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以下は<上告審対策チーム>の取り組みです。

<各界共同アピール> 6月2日までに62名から応諾の回答
<最高裁あて署名活動> 10万筆目標
<全国集会> 8月20日 全国原告団学習交流会
  10月23日18:15~ 全国集会 (星陵会館)
<100万円カンパ活動> 

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『8・28都教委包囲行動』
(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク)

<8月28日(土)> 
・14:00~新宿駅周辺での街頭宣伝と署名活動
・15:00~新宿繁華街デモ
・16:00~都庁第二庁舎前抗議行動(都庁は休みですがやります)

<8月30日(月)>
・15:00~都教委への要請行動(8月28日にも集約します)

(スローガン)
・10・23通達撤回!
・「君が代」処分撤回
・裁判闘争に勝利しよう!
・分限免職を許すな!
・業績評価・成果主義反対!
・主幹・主任教諭制反対!
・石原は即刻辞任しろ!



2010/06/21

「8・28(土)都教委包囲行動」へ(1)

渡部です。

菅内閣が誕生しました。しかし、この内閣は一般ピープルにとっては、鳩山内閣以上に危険な内閣であることが日々明らかになっています。それは以下のようなことによく表れています。

  • 沖縄や徳之島の民意を踏みにじった 「日米共同声明」の遵守
  • 「沖縄の負担軽減」を名目にした全国の沖縄化
  • 法人税減税と消費税の引き上げ
  • 「日の丸・君が代」に関する危うい諸言動

結局、自民党と同じような政策であり、親米・経済界重視の路線です。民主党は菅内閣になったことによって露骨にその路線を前面に押し出してきました。これは一般ピープルを敵に回す政策・路線に他なりません。

一般ピープルにとっては、「政権交代」の歴史の歯車が再び逆転させられる時期の到来かもしれません。しかし、普天間移設問題、消費税問題、「日・君」問題は一般ピープルの大きな抵抗により、彼らの思うようには決して進まないでしょう。

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本日(6月20日)、東京で「6・20集会」
(第一部)「君が代」解雇裁判を共に進める会総会」と
(第二部)「最高裁勝利をめざす決起集会」が開かれました。

(第一部)では、昨年9月末他の訴訟団と共同で「上告審対策チーム」が発足し、最高裁勝利に向け動いていることが報告されました。また、『「君が代」強制解雇裁判高裁審理の記録』(1500円)が発行されたことも紹介されました。

(第二部)の中では、川口弁護士が、『二つの東京高裁判決克服のために』というM弁護士の論文を紹介し説明をしてくれました。

また(第二部)では、立正大学の波本勝年教授が『教育裁判の系譜とそこから得た体験的教訓』という講演をしてくれました。

戦後日本では、教育政策の反動化に抵抗するため<勤務評定裁判>、<学力テスト裁判>、<家永教科書裁判>が闘われ、波本さんはそれらにほとんど関わりました。波本さんは、それらの闘いを紹介し、その中から得た教訓として、次のようなことを紹介してくれました。

「法廷内におけるたたかい」では、

  1. 質の高い主張の展開、
  2. 多数の傍聴活動による法廷の監視、

が重要であること、

「法廷外におけるたたかい」では、

  1. 多数の支援者を獲得し、広く世論に訴えること
  2. 訴訟の意義を広めること
  3. 全国的な活動者会議のようなものを開くこと
  4. 同趣旨で訴訟を起して闘っている団体との交流

「世界に向けて国際世論を喚起すること」教科書裁判では、英文のパンフを作り欧米・アジア諸国に訴えた。

また、これから進められる「上告審におけるたたかい」についても、幾つかのアドバイスをしてくれました。

最後に、最高裁に上告している<Sさん><都教組八王子><神奈川こころの自由裁判><嘱託採用拒否><被解雇者の会>からの報告と決意表明がありました。

その中で<神奈川こころの自由裁判>のOさんは、
「2005年4月に提訴した時は原告107名だった。しかし、2009年7月の地裁での不当判決の時には原告170名になっていた。2010年3月に控訴審で不当判決を受けたが、不起立の闘いは続けられている。」と述べました。

また、<被解雇者の会>のKさんは、次のように述べました。
地裁判決も高裁判決も、「くりかえし従えなければクビになってもしょうがない」というようなヒドイ内容のものだった。しかし、6年間の闘争で私たちは大きな力を培ってきた。すべての法廷は大法廷だったし、いつも抽選で入れない人が沢山いた。原告10人はそれまでお互い顔も知らない同士だったが、裁判では一緒に団結して闘い抜いてきた。菅首相や元新左翼の官房長官はこの問題についてヒドイ言動をしている。しかし絶望的だとは思わない。これまでの判決で、私たちの行為を「思想信条にもとづくもの」と認めている。しかし、「儀礼だから侵害しない」などと述べている。こんなバカなことはない。「儀礼」ならなぜ職務命令を出し、処分までするのか。これは「儀礼」の問題ではない。人権の問題だ。

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なお、当面次のような取り組みが予定されています。

6月30日(水) 第一回最高裁要請行動
 12:40~14:10 最高裁南門 集合
             (地下鉄・永田町下車、5分)
7月7日(水) 東京「君が代」裁判・三次訴訟(第一回口頭弁論)
 11:00~(傍聴抽選有り 10:30には裁判所前に到着を) 

7月21日(火) 再発防止研修抗議・該当者(4名)支援行動
 8:30 都教職員研修センター前
     (JR水道橋駅・都立工芸高校隣)

<各界共同アピール> 6月2日までに62名から応諾の回答
<最高裁あて署名活動> 10万筆目標
<全国集会> 8月20日 全国原告団学習交流会
         10月23日18:15~ 全国集会 (星陵会館)
<100万円カンパ活動> 

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最後になりましたが、都教委包囲首都圏ネットワークでは、今年も夏に都教委包囲行動を行うことに決まりました。

今年は、
<8月28日(土)> 
  ・14:00~新宿駅周辺での街頭宣伝と署名活動
  ・15:00~新宿繁華街デモ
  ・16:00~都庁第二庁舎前抗議行動(都庁は休みですがやります)

<8月30日(月)>
  ・15:00~都教委への要請行動(8月28日にも集約します)

(スローガン)
・10・23通達撤回!
・「君が代」処分撤回
・裁判闘争に勝利しよう!
・分限免職を許すな!
・業績評価・成果主義反対!
・主幹・主任教諭制反対!
・石原は即刻辞任しろ!

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都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス、
 http://kenken.cscblog.jp/

「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
 http://homepage3.nifty.com/hinokimi



2010/06/16

河原井さん根津さんらの君が代解雇をさせない会総会のご案内

2010年度総会

〈この10年をふり返って〉
-日の丸・君が代は子供を何処に連れて行くのか?-
北村小夜さんのお話 & ディスカッション
「子どもが戦争にさらわれていく」

7月4日(日)国分寺労政会館1:30~

 「河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会」の活動に、日ごろからご協力、ご支援をいただきありがとうございます。今年度の総会は、道徳が学習指導要領の総則や、各教科に盛り込まれていることに警鐘を鳴らし、「いい先生だから、"君が代処分"がおかしいのではなく、処分がおかしいのだ。不起立を子どもに見せる必要がある。」と言いつづけられている北村小夜さんから、教員の今なすべきこと、今できることなどお話いただき、教育や運動の今後を考えて行きたいと思います。また、この間の闘ってきた以下の方々の問題提起も予定しています。

 多摩中での排除攻撃から10年をふり返って:根津
 七生養護での性教育攻撃と管理強化:河原井
 国立二小以後そして今の管理体制のひどさ:伴
 夜間中で在日外国人に接した視点から:近藤

 日々、苦しい現場で努力されている現職教員の方々の参加を呼びかけるとともに、日ごろから「学校がおかしい」と感じていらっしゃる市民の方々のご参加もよろしくお願い申し上げます。共に考える場にしていきたいと思います。



総会ちらし
「総会ちらし」のダウンロード

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2010年6~8月を更新しました。

法廷カレンダー
「法 廷カレンダー」のダウンロード



2010/06/05

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(創刊号)

 

第1回口頭弁論(5/17) 報告

東京地裁民事19部527号法廷で、 原告本人の意見陳述が行われました。その要旨は次のようです。

A: 私の思想形成

中国東北部「満州」からの引き揚げ家族の中で、反発・反戦から不再戦の考えをもつに至った経過、「日の丸・君 が代」強制が原告の思想・良心の自由を侵害することの根本的批判が示されました。

B:教育現場での経験

 33年間の教員生活最後の1日は停職処分、つまり、都教委から見れば"不適格教員" とされましたが、特に17年間の夜間中学勤務においては、中国やベトナムなどの生徒から戦争責任、戦後責任を追及され、日本の教員の姿勢を糾されたことを 述べました。

C:「10.23通達」以後の不起立・不斉唱と処分の 経過

 7回の卒業式において、当初2回は不起立・不斉唱できなかったこと、その後5回の行動で、本件事案3回 (07.08.09)を含む4回の累積加重処分を受けてきたことが報告されました。

D:不起立・不斉唱の意義

 強制下で、限定され抑圧された教授の自由を発揮して、生徒の学習権を保障する ためには、不起立・不斉唱により多様な考え・行動が可能なことを提示するしかなかったのです。つまり、不起立・不斉唱は公務としての教育の自由に基づく教 育実践であり、都教委の処分はそれに対する弾圧であり決して許すことはできません。
 この裁判が、強制・処分に対する憲法判断の判決を出すことを 強く要求します。

この裁判は、累積加重処分取消と人事委の不当裁決取消の2つの事案が並行して進められます。皆さまのご協力により傍聴席 は満席にもかかわらず、都教委は出席せずその対応は第2回目以後に持ち越されました。
また、多くの方から傍聴しての感想・意見が寄せられました。 民事19部は関連の訴訟が多く進行しています。私たちの裁判がよい影響を及ぼすことが期待されます。

第2回口頭弁論 7/12(月)10:30~ 527号
次回も、多くの方の傍聴をお願いします。

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