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2010/06/26

教育は「両刃の剣」

教育は「両刃の剣」
~「日の丸・君が代」強制と自由な学びの保障~

累積加重処分取消訴訟原告 近藤順一

はじめに~運動の再構築を~

 石原都政下の「日の丸・君が代」強制は、その画期となった2003年「10.23通達」から7年が経過しようとしている。7回の卒業式、入学式、その他の周年行事等における強制と処分が進行してきた。そして、一自治体を超えて、この間の教育基本法改定、教育関係法の改定及び実施とも呼応して、学校の教職員への職階統制・支配、教育内容への国家主義的介入の核心となっている。東京都では、戦後教育史上初の延べ400名以上の処分者を出し、裁判も最高裁に移っているものもある。予防訴訟一審を除く各裁判の一審、二審での被処分者=原告の敗訴が続いているが、その中で明らかになってきたのは。問題の本質が都民、国民に十分理解されず、従って裁判官にまで届いていないことである。
 戦後教育史にはその時代を背景として突出した争点が刻まれてきた。墨塗り教科書、教育委員任命制、学テ、勤評、教科書問題、最近では「沖縄集団自決」への軍命令問題など。今日の「日の丸・君が代」強制、処分は、教育内容への権力的介入、教職員への過酷な処分から見ても特異である。しかし、それに対する反撃は十分ではない。教育裁判の側面から見ても、学テ裁判をはじめ多くの裁判では敗訴しても、基本的な権利や責任に関わる本質を明らかにしてきた。だが「日の丸・君が代」処分関連裁判の判決では、これまで被処分者(教職員)の思想・良心の自由の侵害問題に留まってきたようだ。
 私は、「日の丸・君が代」強制・処分は自由な教育に対する大弾圧事件であり、学習者(一般的には児童・生徒であるが夜間中学、高校定時制には成人もいる)の自由な学習を妨げ、教職員への統制・支配、さらには教育内容への介入の突破口となっている、と考えている。つまり、この問題の核心は教育の自由が危機に遭遇していることであり、歴史的、国民的規模の問題である。この小論は、強制、処分の本質と裁判を含む運動を発展させる課題を考えようとするものである。攻撃に見合った質と量の反撃が必要である。

(一)    2003「10.23通達」前史

(1)80年代 ~天皇制・軍国主義ナショナリズムの攻勢~
 1990年12月に出版された『あなたは君が代を歌いますか』(教育科学研究会)の中で、渡辺治は「なぜ今、『日の丸・君が代』か」のタイトルで戦後の国家主義ナショナリズムを総覧している。
 それによると、50年代は「逆コース」、破防法、再軍備の中で天皇制による復古的ナショナリズムが推奨され、1958年の学習指導要領で「日の丸・君が代」も登場した。ところが、60年代、70年代は、経済成長のもとにこの傾向は影を潜めた、という。60年安保闘争、60年代末の明治100年記念の挫折、学テ反対、教科書裁判、革新知事の誕生の前に1976年の昭和天皇在位50年式典には、主な知事、野党は出席しなかった。
 そして80年代、日本企業の成長、海外進出と相まって、政府・財界が全体として天皇制・軍国主義ナショナリズムを追求し、国民の側もある程度大国主義的ナショナリズムを受け入れる動きが起こったという。首相の靖国参拝、学習指導要領の改定、そして、天皇の死去に伴い大キャンペーンが張られた。
 上記の『あなたは君が代を歌いますか』の中で、「1988年3月の福岡市長尾小学校の卒業式での出来事」が報告されている。一人の卒業生の女の子は「私は『ゲルニカ』をステージに貼ってくれなかったことについて深く怒りそして侮辱を感じています。校長先生は私たちに対して、私たちを大切に思っていなかったようです。」と述べている。「歌いません。」と叫び着席した彼女に続いて「170名の卒業生のうち40名ほどの子どもたちが着席をし、大半の子どもたちも同調するかのようにそれぞれが拒否の意思表示をしていた。」(「子どもたちの表現を踏みにじった大人たちに怒る」西村栄造<子どもたちの「ゲルニカ」を考える福岡市民の会>)
 今では、日常的となった卒業制作の排除は、80年代すでに表面化していたのである。

(2)90年代、~戦後50年をめぐる攻防と強制・処分~
A:強制に立ち向かわない対応
 1995年の戦後50年は時間経過の意味を持っただけではなく、戦争責任、戦後責任に向き合ってこなかったことを顕在化した。そこから、「新しい歴史教科書を作る会」等の歴史修正主義の台頭があった。「若手議員の会」ともタイアップした。政界、学会が教育現場に介入し、「日の丸・君が代」問題も強制、職務命令による処分を伴う事態となった。そして、1999年にはついに国旗・国歌法の成立をみた。
 この時期注目すべきは、教職員の側には強制、処分に対してその本質を突いた対応、反撃をするのではなく、どのように処分を逃れるのかが主要な課題になっていることである。これが今世紀の今日にまで継続する弱点であろう。そのことを、教育科学研究会編『「日の丸・君が代」の強制から身を守る法』(2000年3月)からみてみよう。
 「文部省や教育委員会が出している文書では、学習指導要領違反ではなくて、職務命令違反という言い方になってきている。そこに無理があるのではないかと感じています。」(牛久保秀樹弁護士)
 「君を天皇という具合に限定すること自体が非常に狭い考え方であり、特に『が』を所有の『が』と言ってしまうと、憲法とも問題が生じるということを、具体的に生徒といっしょに考えていくことなどができるでしょう。」(同上)

 この「職務命令違反」こそ、学校現場が分裂させられた中で行政権力の強制、処分の武器となっていること、また、「君が代」も圧倒的な国民が「象徴天皇制」を受け入れている中で、これも都教委側、不当判決の口実となっている。

 「『職務命令を出させない、職務命令といわせない』やり方が模索されている・・
 この3年ほどは、逆に職務命令という言葉をいかに出させないかという方向に変わってきている。職務命令と学校長に言わせてしまうと、逆にこれまでの議論の積み重ねが無に帰してしまうこと」(石崎摂「教職員たちの取り組み 首都圏の事例から」)

 これも、現在では都教委の強権支配の下では、「職務命令」を出さざるを得ない、中には積極的に出す管理職がほとんどであり、小手先の対応はとっくに無力になっている。さらに重要なことは、議論無き受忍が蔓延していることと「職務命令を出させない」が相互補完となっている現実である。

 「『君が代』を歌うことを式の時に指示されたとき、式を混乱させないという立場で起立はするが、歌う、歌わないというのは本人の意志にまかす・・・
 はじめはピアノを弾くことを講師や組合でない人に『押しつける』ようにしていたため、そういう事態にならないよう正面から論戦を展開し、ピアノを弾く、ピアノを(君が代を)弾いたからといってその人の姿勢を問うということではないのだと、みんなの論議で確かめ合ってきた。」(吉益敏文「【京都】この十年をふりかえって」)
 「いかなる処分も恐れず、自分の意志を曲げないで『日の丸・君が代』に反対するという立場の人から、明確に反対とは意思表明できないけど、今のような状況は何かおかしいと思う立場の人までが一致できる要求で、行動していく、それは子どもが主人公の学校をつくる、そのために何ができるかという点に立つことだろう。」(同上)

 ここでは「日の丸・君が代」強制が、教員を「道具」にして子どもの自由な学習を侵害することの本質が捉えきれず、「正面から」強制に向き合わずに個人の観念的対応に任せられている。教育内容への介入、支配を受忍して「子どもが主人公の学校」などあり得るのか。せいぜい、国家忠誠表明下の「囚われ人の自由」を受容させるにすぎない。「子どもが主人公の学習」とは、子どもの発達段階に応じてその思想・良心の形成過程の自由を尊重することが前提である。何よりも「日の丸・君が代」強制の現実を意識させ、一方的な観念を教化されるのではなく、それを拒否する多様な考え、行動もあることが提示されなければならない。
 現在でも、個々の教員の思想・良心の問題に留まり、この問題が教育の自由、学習者の思想・良心の形成過程の自由に深く関わり、学校教育はもちろん、国民の思想形成、動向にも大きく影響することが十分には共有されていない。それが、学校現場の取り組みを軸とする国民的運動の発展を妨げ、裁判にも悪影響をもたらしている。

B:国旗・国歌法の成立
 1999年には国旗・国歌法が成立した(8/13公布)。その過程の国会論戦では、学校教育に強制はしないとの見解と共に一方では、従来通り実施する、「命ぜられたときには職務上の責任が問われる」と提示された。
 成立直後、9/17付で文部省は「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」を発し「一部の都道府県及び指定都市において依然として実施率が低い状況・・各学校の卒業式及び入学式における国旗及び国歌に関する指導が一層適切に行われるよう引き続きご指導をお願いします。」とした。
 都教委も10/19付で「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」を発し「職務命令を発した場合において、教職員が式典の準備業務を拒否した場合、または式典に参加せず式典中の生徒指導を行わない場合は、服務上の責任を問われることがあることを、教職員に周知すること。」とはっきり処分を構えている。都教委は前年の1998年にはすでに「国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を出しており、後の2003年「10.23通達」及び「実施指針」の原型となった。ただこの段階では処分の要件である「教職員は国旗に向かって起立し国歌を斉唱」とまでは明示されなかった。

 総じて、80年代、90年代に表れた強制へ向けての態勢作りに対する不正確な把握と対応が、今世紀になって本格的な処分攻撃の中でも、引きずられてきている。

(二)2003年「10.23通達」以後の強制、処分

(1)教育課程そのものへの直接介入
 まず、この強制はほとんど全ての学校が行っている教育過程そのものの中で進行していることである。例えば、教員に何らかの研修を命じたり、レポートや自己申告書を出させたり、宣誓をさせて、その内容を査定して処分を科すというものではない。入学式・卒業式など全校的でもあり、また外に向かって開かれた儀式的行事において、児童・生徒に対する「直接の人格的接触」、指導場面で、予め懲戒処分(さらには分限処分も)を構えられた教職員の一挙手一投足が監視されている。何らかの教材を媒介してではなく、または国旗や国歌そのものを教材としてではなく、ひたすら国旗・国歌に対する一方的は態度・行動が課せられる。身体で示せということである。
 強制の内容は、日本国に対する忠誠を表明するもので、特に「君が代」は象徴天皇制とリンクされている。さらに、国際儀礼なるものを口実にしている。この背景には前述したように、80年代以来の国家主義イデオロギーの強化により、公的、公共の場では「日の丸・君が代」という国家象徴を顕在化させることが通常となっている傾向があり、また、地方自治、地方分権の名の下に自治体の行政権力による学校教育への統制、支配が進んでいる状況がある。

(2)強制の対象と仕組み
 直接には職務命令による教職員への強制であることはいうまでもない。教職員への強制は憲法19条の思想・良心の自由への侵害であること、自らの思想・良心また信仰から「日の丸・君が代」が果たしてきた歴史的役割や国家イデオロギーの押しつけ等を受け入れられないとするものである。
 同時に、教職員としての教育的良心から、「創造的かつ弾力的な教育の余地」がなく「一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制するような点」(旭川学テ最高裁判決)に対して、これを拒否する意味がある。
 子どもは「職務命令、その違反に対する懲戒処分を背景として『日の丸』『君が代』に込められた『政府言論 goverment sperch』を伝えるよう強いられた教育公務員という名の『道具』=教師によって、参加・起立・敬礼・斉唱するように『指導』される。」(新岡昌幸「学校における『日の丸』『君が代』問題の憲法・教育法学的検討~『囚われた』子どもの人権保障のために~」)
 つまり、教職員を通じて児童・生徒への強制が進行するという。そこで、西原博史は「反対している児童・生徒に対して参加が強制されないような制度的仕組みを用意しなければならず、着席、退席、不参加などの『拒否権』が子どもに保障されなければない」(「『君が代』斉唱と憲法19条」)とする。
 上記の新岡昌幸は「『・・・世の中にはいろいろな態度決定があり得るのだ』ということを教える方法の一つとして卒入学式で『教師』が職務権限ないし裁量権の範囲内で着席や退席、不参加をするということは成り立ちうる職務行為である、と考えられる。」(『愛国心と教育』「『教師』への職務命令に関する憲法・教育学的検討」)と提起する。
 ここには強制の意味とそれに対する教員の対応、不服従のあり方について興味深い展開がある。私は、西原が言うように児童・生徒には自らの拒否行動と共に強制下で進められる儀式そのものを停止させる言動も保障される必要があると考える。しかし、教師には「退席」「不参加」の「職務権限」はないと思う。(休暇は別として)なぜなら儀式は勤務時間中であり「職務専念義務」があり、また、「直接の人格的接触を通して」学習者と関わる現場から退場する意味はないであろう。むしろ学習者に事態の本質を率直に提示する必要がある、と考える。「不起立・不斉唱・不伴奏」の積極的な理由である。

(3)何を訴えなければならないのか
~3つの拒否と3つの提示~
 教員の教授の自由は限定されたものであり、都教委の強制下ではさらに抑圧される。その中でも、児童・生徒の前から逃げずに、直接の人格的接触をはかる、つまり公務を遂行するならば、公務としての不起立・不斉唱にはどんな意義があるか。

<教員としての3つの拒否>

  1. 教育課程への強制を拒否する。 都教委―(市区町村教委)-校長ルートの違憲、違法性を明確にする。「10.23通達」は教育内容への規制であり、教職員の一挙手一投足を縛るもの。教員の教授の自由、学校の自主性を踏みにじるやり方。現在進められている「道徳教育」「愛国心教育」の強制に道を開く。
  2. 国家忠誠の表明を拒否する。> いかなる法、学習指導要領、文科省解説にも"起立"は示されていない。国旗・国歌法成立時の政府見解では"君"は天皇、"君が代"は我が国、その歌詞は我が国の末永い繁栄と平和を祈念、とされている。起立か不起立かは「日の丸・君が代」への賛意か不賛意かを示すのではなく、国家忠誠表明の強制を受忍しているかどうかを示すことになる。
  3. プロトコル(国際儀礼)の強要を拒否する。 強制と尊重、強制と一般的敬意、学校教育での強制とオリンピック等での慣習とは異なる。儀礼の強要は国際的信用を失う。

<児童・生徒への3つの提示>

  1. 教員としての存立の精神的・肉体的危機即ち急迫不正の圧迫に対する正当防衛行為は認められるべき。不起立・不斉唱によって児童・生徒に非暴力・不服従の意味を教えることは重要な政治的教養の獲得として尊重されるべきである。(教育基本法14条)
  2. 学習の自由、教授の自由を保持すること、異なる考え異なる行動の存在を承認することによって学習は始まる。そして、自由権(思想良心の自由・宗教の自由)、社会権(教育の自由)などの基本的人権を尊重することの意義を示す。
  3. 「愛国心」「天皇制」「国家・国旗・国歌」「国際儀礼」等を学ぶきっかけとなり、個性の尊重、多文化共生への学習を進める。国家や行政権力の意向を無条件に受け入れるのではなく、それを相対化し多面的に検討する方向を示す。なぜ、処分を構えた強制下でも不起立・不斉唱を実行するのかを問いかける。

(三)厳しい評価

 教育の自由を擁護しその歴史的責任を果たそうとする立場からの批判を受け止めなければならない。教員は学習者の人権を守る者(守護神)であると同時に身近な「人権侵害者」にもなる。まさしく教育は「両刃の剣」である。下記の諸氏の批判が、主に教員と児童・生徒との関わりにおいて、強制を受忍した教員に対するものになっていることに注目したい。国民の厳しい目は教育の自由、成長過程にある子どもの自由な学びが保障されるかどうかにあることをしっかりと受け止めなければならない。

渡辺治「強制されて歌わされるとか、立ち上がらせられる、そういうことをやらされる教師というのは実は子どもたちにとっては有害な役割を果たすんです。そういうことをやらされている先生たちは子どもが成長するために必要な能力を付与することなんか出来っこないわけですよ。」(リベルテ 2010.1.1)

市川須美子「私は私の教育法研究の出発点となっているドイツ教育法の一研究者の『自由のない教師に自由を教えることはできない』という一文を想起せざるをえない。教師は、教育の場で、人権侵害を犯す危険性を持ちながらも、第一義的に子どもの人権保障主体である。」「教師人権は、子どもの人権・学習権保障のために認められた人権であり、教師が権力者でもなく、国家学説メッセンジャーでもなく、人間(生身の人格)として子どもと向かい合うための人間的主体性を保障する。」(『学校教育裁判と教育法』)

斉藤貴男「僕は学校の先生というのはすばらしい職業だと思っています。でも、こんな流れを受け入れてしまったら、最低、最悪の、最も軽蔑すべき職業に成り下がる。他人の子どもを戦場に行かせて、国家の思い通りに死なせるために、その手先にするということですから。」(『愛国心と教育』 対談「なぜ今『愛国心』なのか」)

永野恒雄「・・・組合がどういう抵抗をしているかというと、ほとんど抵抗してないです。『職務命令が出たら引け』という指示です。」(同上)

柿沼昌芳「戦後民主主義教育を担った現場教師に対する最終的な殲滅作戦ではないかと思うんです。それで個々の教師はともかく、組合が手も足も出なくなってしまったという状況をどう切り開いていくか」(同上)

 私たちは「意図の真剣さ」や「初動決起の正しさ」に安住しているわけにはいかない。自分自身の思想・良心に反する強制に対して「不起立・不斉唱・不伴奏」を決行した教員は、その意味をさらに深化させ、制限、抑圧された中でも教授の自由に基づき学習者の自由な学びを保障する行動として提示する必要がある。つまり、ごく単純に、勤務時間中に必須の教育実践を遂行したことになり、その公務の内容によって懲戒処分が下されたことになる。この点を都民、国民に訴える必要がある。また、このことによって現場の教職員がこの問題を考える共通の基盤ができる。そこからボトムアップしてこそ思想・良心の自由の侵害が広く教育全般の問題として捉えられ、強制を拒否する意味が浮き彫りになる。

(四)    教授の自由・自由な学び ~それぞれの試行~

 いくつかの裁判は最高裁に上告されている。学者・ジャーナリスト等の文化人の理解も必要である。そして、より広範な都民・国民への運動の広まりが期待されている。だが、この運動の軸は現場の教職員であり、そこに、児童・生徒(学習者)への「日の丸・君が代」強制の帰趨がかかっている。
 裁判でも、運動でも、やはりキーポイントは強制に反対した教職員の「不起立・不斉唱・不伴奏」に対する評価である。「社会秩序を乱す者」「公務員としてあるまじき行為」「信用失墜行為」、時として「指導力不足教員」「不適格教員」「非愛国者」「日本人失格者」とも言われる。
 ここでは、教育の本質に根ざし「不起立・不斉唱・不伴奏」を自由な学びの保障とする者の言動をみる。

河原井純子
 特別支援学校での不起立・不斉唱により2度の停職6ヶ月処分を受けた。その視点は明快である。
 「対話は命です。子どもたちと青年たちと大切にしてきました。だからこそ、私は真底『10.23通達』はおかしい!と思っています。違憲違法以外のなにものでもありません。私の『君が代』不起立は私の教育実践、教育活動の一つであり、教員として、あたり前のことです。」(『学校は雑木林』)
 「私は決してあきらめずに、教育実践。教育活動の一つとしての『君が代』不起立を子どもたちの、青年たちの人権侵害に絶対に荷担しない『君が代』不起立を続けていくだけです。人間として、教員として。」(同上)
 「子どもたち・青年たち」とこの問題を考え、「対話」していく出発として「不起立」があるという。その教育実践に対する過酷な処分=弾圧にも屈しない証しは「全国行脚」に示されている。
 「『茶色の朝』を迎えないために、今私たちは何を考えなすべきかを全国の多くの人と共有したいという思いと、『君が代解雇』を絶対に許してはいけないという一念で、全国行脚をし続けました。」(同上)という。おそらく、心の『雑木林』を抱いて、「不起立」に連続する教育活動の全国展開であろう。

根津公子
 3回の停職6ヶ月処分を受け、その度に校門のところで生徒たちを迎え挨拶をし、時には話し込む。自身が名付けた「停職『出勤』」という究極の形容矛盾も何のその、児童・生徒との「直接の人格的接触」を求める姿は自然だ。その意義を次のように述べている。
 「今の東京で都・市教委の主張を正しいと信じ込まされてきた生徒たちにこそ、異なる主張があることをそして人には思想信条の自由があり、百人いれば百人の考え方生き方があり、それは人が人として生きる上で譲ることのできない権利であることを身近に位置するはずの私の行動から、考えてほしいと思ったのです。」(『希望は生徒』)
 懲戒処分の執行現場となった校門は市民との接点でもある。時には「ここを退いてほしい」という「抗議」の声にも対応する。 
 「私は、『都教委のやっていることが必ずしも教育というわけではない、間違っていると思うから、起立しないのです。教員の職責として起立しなかったことに対しての処分です。学校で起きたことですから、そして、私は間違ったことはしていませんから、ここから離れることはできません。』」(同上)
 市民への対応が特に重要であることを根津はよく知っている。行政権力はいかなる対立・矛盾をも悪用してさらなる処分を科してくる。その体験を語る。
 「多摩中に異動して1年目に起こされた校長・教委・地域・PTAが一体となった攻撃に、ぼろぼろになりながらも耐えられたのは、八王子で同僚たちと築いた教育活動への確信と、何よりも当時の生徒たちが、その後も私たちの実践を評価してくれ、窮地に立つ私を励ましてくれたからであった。」(同上)
 「日の丸・君が代」強制に反対する方法も目的も結局のところ児童・生徒との自由な教授・自由な学びに帰着することを身を以て示していると言える。

池田幹子
 「おめでとうございます。色々な強制がある中であっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていってください」
 前任校の卒業式に来賓として出席し紹介されたときの祝辞が都教委により「不適切」とされ「指導」が決定された。都教委は「・・『10.23通達』をめぐる対立状況については、まさに控訴人(=池田)は当事者である・・」とし、高裁判決では「・・卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったことが認められる」とされ、上告も棄却となった。
 ここには2つの問題がある。まず、都教委は「色々な強制」を独断し、学校現場でのいかなる「批判」も許さない措置を執ったことである。特に「日の丸・君が代」強制に反対する者にはあらゆる口実を設けて容赦しないのである。私も2006年の「不起立・不斉唱」では職務命令・現認がなかったにもかかわらず、校長・副校長と共に八王子市教育長の「指導」措置となった。
 もう一つの問題は、生徒への言葉が問題とされたことである。
 「大人が本気で生きている姿、語りかける言葉を若い人たちは必要としていると思います。内容の是非は若い人たちがそれぞれ自分で判断するし、何かをこちらが言ったからといって、それでその通りになるというものでもありません。ただ、大人が本音を隠して、適当にごまかして生きる姿は、目に見えない、言葉にできないあきらめ、絶望のようなものを蔓延させてゆく、若い人たちの希望を失わせてゆくと思います。」(「もの言える自由」裁判交流会『教師の思想・良心の自由と表現の自由~「もの言える自由」裁判報告集』)
 都教委見解及び「日の丸・君が代」関係の不当判決では「不起立・不斉唱・不伴奏」を決行した者に対して「内心と外部行為を分離せよ」「児童・生徒、来賓の面前での信用失墜行為」と断じた。つまり、教員による学習者への主体的な働きかけこそが「指導」「処分」の対象となる。教員は言葉のプロである。この冤罪事件とも言える言葉への弾圧に、敢然としなやかに立ち向かった姿は胸を打つ。むろん、池田の言葉も音楽も生徒の胸に響いたことだろう。

増田都子 
 「日の丸・君が代」強制の問題とは直接の関係ではないが、まさしく教育実践、社会科の授業をめぐって2006年、都教委から分限免職された。一部の都議会議員の先導、執拗な強制「研修」、分限処分適用など、「日の丸・君が代」強制と軌を一にしたものである。これもまた生徒への直接指導場面で思想・良心の自由に基づく教育実践を行った者への過酷な処分であった。
 「私は、子ども達に正しい歴史認識をはぐくみ、侵略戦争の惨禍を再び繰り返さない証として作られた日本国憲法の理念に忠実な、社会科教師であることに誇りを持っている。」(『たたかう!社会科教師』)
 「私は平凡な一社会科教員にすぎなかったが、その歴史の動きに沿って河野洋平談話が言う『歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない』教育に真摯に取り組んだ。」(同上)
 社会科は、社会の矛盾、対立を学習の対象とするのである。「保護者の苦情」などが処分の理由とされたが、実際には生徒への教育活動を捉えて教員の身分を剥奪する処分を行ったのである。免職処分を受けた後、実践している「自主講座」は裁判闘争と共に教育実践への持続する追求を示してあまりある。

 ここに取り上げた方のほかにも、教育実践としての「不起立・不斉唱・不伴奏」を実行している方がいる。元々、裁判に取り組み、そのことを公開し児童・生徒や保護者に提示すること自体が広く教育的意味を持つと思う。

おわりに ~率直な提起を~

 現在、学校現場の強制を止める闘いでも裁判闘争でも厚い壁にぶつかっている本文中でも述べたが、被処分者の果たすべき役割は「不起立・不斉唱・不伴奏」の意味を自らの思想・良心の自由のレベルから、思想・良心の形成過程にある子どもの自由な学習を保障する意義にまで深化させることである。裁判官にも教職員と児童・生徒両者の人権を守るためにこそ行動したことを理解させる必要がある。
 そして、現場の教職員に対して率直に「不起立・不斉唱・不伴奏」を含む強制反対の行動を呼びかけることである。これは、3・4月の卒入学式の時期だけの課題ではない。今や、強制は体制の問題となっている。
 私の場合、5回の「不起立・不斉唱」を行ったが初期のうちは「日の丸・君が代」を受け入れられない感情のみが強かった。特にアジアの生徒への矜持でもあった。後には、自らを教材として提示することを考えるようになった。
 今年は安保50年である。
 「この抗議行動がなかったとしたら、1941年12月8日に、負けるとわかった戦争にこの国家をまきこんだ戦時閣僚の一人を、敗戦後に首相として、アメリカとの軍事協力に送りこむのを、日本人は黙認したことになり、あの戦争がなかったことになるのではないかというつよい感情をもった。あの戦争がなかったということはない、あの戦争をおこした政治指導者の責任は忘れない、そういう抗議行動が、1931年の満州事変以来はじめて、1945年以後に日本で表現されたことに感動した。この先頭に立った東大生樺美智子に対する感謝をこのときも今も私は忘れない。」(鶴見俊輔『教育再定義の試み』)
 私たちも個人個人がどのように振る舞うか、広範な運動のうねりをつくり出すことができるのか、そして、この運動をいかに歴史に刻印するかが問われている。

2010年6月23日


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