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2010/09/06

「日の丸・君が代」被処分通信

経過報告 五九 2010.9.4
累積加重処分取消訴訟 原告  近藤順一

降りかかる火の粉は払わなければならない
~都教委のねらうもの~

 最近かなりはっきりしてきたことがある。相手のことである。都教委が我々、原告をどのように裁判官や世間に印象づけようとしているかである。
 まず、反教育者の姿である。
 "原告が不起立・不斉唱・不伴奏したことは児童・生徒に国旗・国歌の意義を教えないことであり、学習権の侵害である"という。
まさしく何をどう教え、学ぶのかが問われている。教育は強制であるとして、挨拶も、国際儀礼も、学ぶ過程は無視して押しつけるべきとする。その背景には、批判者、反対者の存在を許さない原理主義がある。起立・斉唱によって"範を示すべき"という。私は、不起立・不斉唱を続けてきたが、生徒に"日の丸・君が代に反対しなさい""不起立・不斉唱しなさい"などとは教えていない。異なる考え、異なる行動があることを提示しているだけである。そこから学習は出発すると思う。
 次に都教委がいうのは、反議会制民主主義者である。
 "国旗・国歌法が国民の代表である国会で成立してもなおそれに反対しているのは、議会制民主主義を否定することである"という。何重にも飛躍したレッテルはりにつき合わなければならない。反対しているのは、学校への押しつけであること。そして、成立当時の首相も官房長官も学校への強制に否定的だったこと、何よりも法律が成立しても、強制を受忍できない個人の思想・良心・信教が変えられないこと、等はどこへ行ったやら。
 最終的には、儀式破壊者。
 "保護者・来賓が期待している厳粛で清新な卒業式の雰囲気を壊した"という。現実に混乱が起こらなくても不起立・不斉唱・不伴奏は信用失墜行為該当性が左右されるものではないとのピアノ判決を適用している。通達や職務命令で儀礼を強制する者にとっては、一人の不起立者の存在でも一律起立・斉唱を破られたと感じるのだろう。

都教委代理人の反対尋問
~東京「君が代」裁判第2次訴訟・原告尋問~

原告の思想・良心・信教の自由の主張に対して、都教委側は次の3点に集中した。

  1. 原告の不起立は生徒から見えたか。
  2. 保護者の中には、原告の不起立に対して不快感をもつ者がいる可能性を考慮したか。
  3. 「日の丸」が掲揚されている式場にはいること自体は原告の思想・良心の侵害にはならないか。
 

 都教委側は、あくまでも儀式という勤務時間中に原告がどのような行動を取り、それが、生徒や保護者にどのような影響をもったのかを問いつめている。
 また、③については、不服従者に「日の丸」掲揚を受忍させるのか、それとも会場から排除しようとするのか、留意する必要があると思う。
 裁判の争点が思想・良心の自由に傾倒している中では、勤務時間中の原告の不起立・不斉唱・不伴奏は、無防備状態下の攻撃にさらされ、不利なイメージがつくられている。私たちはこの事態から抜け出すことによって活路を開かなければならない。

 「控訴人らによる不起立・不斉唱は、論争的主題をめぐって取られうる応答の実例を子どもに示すことになるので、教育的に有意味であると評価できる。」
 「控訴人らの行為は、論争的主題をめぐる多様な意見の分布を示すにとどまっているのであり、職務命令に対する不服従の公然性をもって支障と見なすことはできない。」(根津・河原井裁判 世取山意見書 2010.8.10)

 9・10月は、口頭弁論が目白押し。どのような論点がたたかわされるか、注目しなければならない。

累積加重処分取消裁判 第3回口頭弁論
 10月7日(木)16:30~
東京地裁 527号
( 地下鉄 霞ヶ関駅1番出口)



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