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2010/11/11

渡部です。

本日(10月4日)、東京地裁にて、東京「君が代」裁判(二次訴訟)の第8回口頭弁論が行われました。(青野裁判長です。)

本日は、<3人の原告への本人尋問>と<憲法学者・土屋英雄さんへの尋問>でした。
以下概略を紹介します。

<Tさん(多摩工業高校)>は、まず、原告弁護士の尋問に答え、「君が代」斉唱時に立てない理由として、
 ①戦前の軍国主義の過ちを繰り返してはならない
 ②人権教育をやってきたものとして従えない
を上げました。
そして、彼の父から聞いた軍隊での悲惨なまでの体験、(そのため彼の父は戦後、軍を歌わず「日の丸」も掲げなかった)人権教育で同和教育に携わってきたこと、在日朝鮮人の問題などを扱ってきたこと、(そのため生徒から「君が代」斉唱の時に立てないという悩みを打ち明けられ、保護者からは「先生たちが人権教育の防波堤になっていて感謝している」と言われた)などを語り、『10・23通達』については、「大変大きなものを失いかねない事態に学校が直面している」と訴え、「命令で起立を強いられることが、どれほど生徒たちを追い込み、彼らを受け入れられる教員がどれほどいなくさせられるか痛感の思いだ」と述べました。

都側の尋問は、まず不起立に至った経過の確認、事情聴取や再発防止研修での行動の確認などをやり、ついで、次のようなことを聞いてきました。
 ①軍国主義というが、今現在どうして軍国主義につながる、となるのか。
  これに対しTさんは、「尋問で話したことを繰り返すことになる」、「06年の難波判決でもそのことは述べられている」と答えました。
 ②人権でと言うが現在は身分差別はないので、不起立の理由にはならないのではないか。
  これに対しTさんは、「そうは思わない。歴史を引きずっている」と述べました。
 ③「日・君」でなくてそれ以外のシンボルなら認めることか。
  これに対しTさんは、「懲罰的に強制することには反対である」と述べました。

<Iwさん(拝島高校)>は、まず、原告弁護士の尋問に答え、不起立の理由は、歴史認識と教師としての責任・良心からだと述べました。
 そして、「君が代」起立斉唱は、それに敬意や共感・感動の気持ちを表現しろと強制するもので、耐え難い苦痛だ」と述べました。
 また、「命令に従うことは、生徒に対する圧力に加担するものだ」、「起立していたら、自己不信、自己分裂、人格の破壊に立ち至った、教師としても続けることもできなかった」と述べました。
 歴史認識については略しますが、<過去に目を閉ざすものは現在に盲目となる>というヴァツゼッカー元独大統領の言葉で結びました。 

 また、二人目の原告弁護士の尋問に答え、最後に、「強制されることは人格の根源にかかわる。裁判所には、<一般的><社会的事例><儀礼的所作><外的行為>などで処理してもらいたくない」と述べました。

 都側の弁護士は、次のようなことを聞いてきました。
 ①評価の微妙な問題がある場合、先生の教え方の在りようとして、客観的なものに徹するのか、先生の考えを述べるのか。これに対してIさんが、「高校生は自分の考えで受け止める。だから事実を紹介する」と述べると、今回は自分の考えを話したのか、と聞いてきた。
  それに対しIさんは、「質問があれば、自分の考えを言った」と述べました。
 ②生徒も一方的に従うようにと受け止めているのか。
  これに対しIさんは、「都は、実際に不起立の生徒がいた場合、起立を促す、起立するまで式を始めないなどの強制をしている」と述べました。

<Isさん(多摩養護学校)>は、
 原告弁護士の尋問に対し、養護学校での「10・23通達」以前の生徒達を主人公にした卒業式の状況(フロア・対面形式など)を話し、通達後の卒業式がいかに生徒の実態を無視したものになったかを述べました。

 都側の弁護士は、次のようなことを聞いてきました。
 ①通達以前は、「日の丸・君が代」の扱いがいかに軽視されていたものであったかを浮き彫りにさせるような質問。
 ②以前から、「普通学校のように壇上にするのが同じ扱いなので、晴れがましい」と言う声はなかったか。
  これに対しIsさんは、「普通学校でもフロア式はあった。要は、卒業生・生徒のために考えつ作り上げてきたものだ」と答えました。
 ③先生が不起立すれば、生徒たちがまねしたりするのではないか。
  これに対しIsさんは、「私は私の気持ちでやっている。保護者、来賓にも『君が代』が強制されるのでは会場に入れないという人もいた」と述べました。

<憲法学者・土屋英雄さん>、
原告弁護士による尋問で、土屋さんはまず、アメリカでは憲法修正第1条で表現の自由が保障されており、1943年のバーネット判決は、<表現しない自由><強制されることを拒否する自由>に基づいて出された判決で、最も傑出したものとして評価されていることを紹介しました。

ついで、それ以来半世紀以上も、一貫して、それに沿った判決が出されていることを紹介しました。(具体的に4つほどの判決を紹介されましたが私の記録が曖昧なところがありここには紹介できません)いずれも教員の事件ですが、バーネット判決を手本にし、「強制は許されない」という判決とのことでした。

さらに、これはアメリカ特有のものではなく、
・国際的スタンダードであること、
・国際人権規約18条にも述べられていること、
・ヨーロッパでは、卒・入学式が行われず、イギリス、イタリア、フランス、ドイツでは強制はないこと、
・強制しているのは中国くらいで、1994年作成された「愛国主義教育」によって、強制されることになったこと、
・その中国を政府は引き合いに出しているが、日本は国際人権規約を批准しているが、中国はしていないので、中国の例をもちだすことはできないこと、
などを紹介しました。

そして、儀式の<尊重>と<強制>は全く別次元の物で、裁判所は、<法的立場から判断すべき>で、<儀礼の観点から判断すべきではない>、アメリカでさえも一貫して強制に反対している、10・23通達は憲法19条、人権規約18条に違反している、と結論づけました。

これに対し、都側は
ラッソー事件判決(1972年)やニューダウ事件判決(2010年3月)パーマー判決(?)などを持ち出し、アメリカの<忠誠の誓い>や、<神の下で>という文言などについて盛んに土屋弁護士を攻めましたが、土屋弁護士は、そのことは想定しており、彼らが持ち出してきた論点を一つ一つ整理し、先ほどの結論を強調しました。

都教委がいかに国際スタンダードからもかけ離れているかが浮き彫りにされた尋問でした。



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