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2010/11/11

渡部です。

本日(11月10日)、東京高裁でNさん「君が代」裁判の判決がありました。「控訴棄却」の判決でしたが、判決文の中に「国旗及び国歌に関する法律の違憲性について」という部分がありました。

これについては、去る10月25日のメールで、「君が代」の違憲性に触れたNさんの「陳述書」を紹介しました。

また、11月8日の国会論戦では、自民党の平沢勝栄議員が菅首相に、「日の丸・君が代」法制化時に菅首相が反対したことを問い詰め、次のようなことを言いました。

「採決の次の日(1999年7月23日付)の朝日新聞になんと出ているか。菅代表の発言で、『天皇主権時代の国歌が、何らかのけじめがないまま、象徴天皇時代の国歌になるのは、国民主権の立場から明確に反対した方がいい』と書いてある。」

これに対し菅首相は「11年前だから記憶にない」と言い逃れをしています。全く無責任、変節、裏切りの首相です。しかし、11年前に言ったことはまさに正論なのです。

そこで、今回の判決文を興味深く読みました。すると次のようなことが書いてありました。(少し長くなりますが、重要と思われますので引用します)

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「国旗及び国歌に関する法律は、第1条において『国旗は、日章旗とする。日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。』第2条において『国歌は、君が代とする。君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする』と規定している。

すなわち、同法は、①国旗については、日章旗にするとして、その寸法の割合及び日章の位置、彩色について、
②国歌については、君が代の歌詞及び楽曲を規定するのみであって、それ以上に、日章旗とすることの意味内容や君が代の歌詞の意味内容についての特定がされているわけではない。

さらには、国旗及び国歌に関する法律が、国民に対して、国旗及び国歌についての法律的尊重義務を課したり、これに違反した場合に不利益を課するなどといったことは一切規定していない。

したがって、国旗及び国歌に関する法律の存在が、直ちに、思想及び良心の自由の侵害、信教の自由の侵害、表現の自由の侵害と結びつくことはない。

これらのことから明らかなように、国旗及び国歌に関する法律は、ただ単に国旗を「日章旗」とし、国歌を「君が代」と定めただけにすぎず、その法律自体極めて抽象的であって具体性がなく、裁判規範性としての意味を持たないものであるから、同法が憲法に違反するか否かという司法判断にはなじまないものといわざるを得ない。」
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つまり、
①「国旗・国歌法」は、「日の丸・君が代」の意味内容についての特定がなされているわけではない。
②国民に対して法律的尊重義務を課したり、違反したら不利益を課すなどといったことも一切規定していない。
③したがって、法律の存在が基本的人権の侵害と結びつくことはない。
と述べ、そこから「法律自体極めて抽象的であって具体性がなく、裁判規範性としての意味を持たないものであるから、同法が憲法に違反するか否かという司法判断にはなじまないものといわざるを得ない。」と司法判断を避けているのです。

「君が代」の意味内容は明らかであるにもかかわらず、「特定されていない」などとと述べることは、如何に<意味内容>が明らかにされるのを恐れているかを示しています。<意味内容>が明らかにされれば、都教委や裁判所は抗弁のしようが無いのです。

また、「尊重義務」や「不利益」については、原告は、実際にそれが起きているから問題にしているにもかかわらず、裁判所は、法律に規定がないといって必死に目を閉ざし、「法律の存在」が基本的人権の侵害とむずびつくことはない、などと強弁しています。

しかし、原告が争っているのは、現実に「君が代」を「義務」的に強制され、人権を「侵害」され、「不利益」を受けている、ことに対してなのです。また「法律の存在」ではなく、「法律」そのものが違憲だと言っているのです。したがってこれは、「はぐらかし」、「ごまかし」以外の何物でもありません。

そして、繰り返しますが、「その法律自体極めて抽象的であって具体性がなく、裁判規範性としての意味を持たないものであるから、同法が憲法に違反するか否かという司法判断にはなじまないものといわざるを得ない。」などというのは、裁判所の「逃げ口上」、「責任放棄」以外の何物でもありません。

要するに、「君が代」の「意味内容」が知られては困るのです。だから、生徒にも「教えるな」と言うのです。これが「民主主義(国民主権)国家」日本の現実の姿です。



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