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2010/11/11

渡部です。

本日(10月1日)、東京地裁にて、東京「君が代」裁判第三次訴訟の第2回口頭弁論がありました

第一次訴訟は2004年の処分事件について(原告173名)、
第二次訴訟は2005・6年の処分について(66名)、
第三次訴訟は2007~9年の処分についてです(原告50名)。
うち、第一次訴訟は今年3月26日に「棄却」判決、控訴中です。

今回の第三次訴訟では、千葉県弁護士会所属の弁護士13名が弁護団(16名)の中心に座っています。

以下、本日の2人の口頭弁論からです。

<原告・渡辺厚子さん>
私は1979年、中学校理科の教員として入都し、養護学校に配属されました。勤め始めは早く中学校に移ろうと思う教員でしたが、眼前で壮絶な闘病の果てに亡くなる子どもたち、ウソ偽りなく直裁にとびこんでくる子どもたちと接するうちに、教育の根源は生命の燃焼のお手伝いだと悟り、なによりもおもしろさにひかれ、30余年、特に肢体不自由学校で働いてきました。
・・・・
07年に出会ったAさんは、気道閉塞のため、呼吸介助、姿勢転換を頻繁に必要とし、鼻腔にチューブを留保し栄養補給していました。私も栄養注入の医療的ケアを行いました。保護者はA君の側から片時も離れず、A君の生活は母親と一体化していました。どんな小さなことでもよい、Aさんが自分で決めて何かをやる、自分独自の時間がもてないか。私は車椅子に幼児用の車を連結し、手元スイッチを押すと前進するというしかけを作りました。偶然に手がスイッチに触れ、車椅子が動いた時、Aさんは何事がおきたのかとボウ然としていました。偶然にスイッチを押す瞬間を気長に待ち、繰り返していく内に、Aさんは自分が推すと進むらしいとわかり、これを境に、自分からスイッチを探して押し、嬉々として前進するようになりました。生まれて初めて自分で移動できたことの喜び、行為の主人公になったことの喜びだったと思います。
・・・・・・・・・
卒業式は以上述べた、毎日の授業の延長であり、ともに過ごした時間を慈しみ、生徒の新たな出発を祝う最後の授業です。自分で車椅子で活動するために、フロア形式にしましたし、安全面・一体感・見やすさから考えた対面方式、証書台の中央設置、鉢植え花での導線誘導など、卒業生の実情に合わせ一番よい流れを、会場図を創りました。各学年、年度ごとに違って当たり前のものでした。

ところが10・23通達は、そうして積み上げてきた卒業式を破壊しました。壇上使用しなければならない、「日の丸」に正対して終わらなければならないなど、教育委員会が細部にわたって決めたとおりの式しかしてはならないことになり、一人一人にそった卒業式はくだかれました。そればかりか、教員を起立させることに躍起となった校長たちは、生徒の人権を侵害してはばかりません。

城北養護学校では、生徒の人工呼吸器の緊急音が鳴り、処置しようとかがみこんだ保健室スタッフにあろうことか、副校長は起立を命じました。また、生徒間のケンカの仲裁に入ったことろ、副校長は教員に動かず起立し続けろと叱責しました。

大泉養護学校では、予行時にトイレサインを出した生徒を教員がトイレへ連れ出したところ、本番では出ないようにオムツをつけろと副校長が命じました。教員への起立強要のかげで、生徒の生命、安全、生理現象等々が侵害されているのです。

南大沢学園養護学校では、すわる可能性のあった生徒の側に主任教諭を配置し、後ろから両手で支えるようにして立たせました。このことは当時の副校長が人事委員会で証言しました。

国旗国歌法制定の際の「尊重義務」がはずされ、「強制するものではない」とくりかえされた政府高官発言が、わずか4年後、東京で捨てられました。思想良心の自由が侵され、生徒たちが安心して自分にあった教育を受ける権利が奪われたのです。
・・・・・・

<千葉県の若い弁護士>(弁護士には若い人が多いです)
(これは都側の答弁書に対する反論の一部でした。ここでは、都がどのような理屈をもって答弁してきたかという部分を紹介したいと思います。反論については略します。皆さんも考えてみて下さい。どうしても知りたい方は、返信して下さい)

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被告(都側)は、旭川学テ判決を引用しつつ、教育の内容及び方法に関して国が基準を設定する場合においては、大綱的基準にとどめることが要請されているのに対して、地方公共団体の教育委員会にはこれがあてはまらないと主張しています。
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被告は、教育委員会は、許容された目的のために必要かつ合理的と認められる範囲であれば教育の内容及び方法について決定することができ、大綱的基準であることをその限界とするものではない、と主張しています。
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本件について、被告は10・23通達の手続き上の適法性の根拠条件として地教行法23条を主張しています・・
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被告は、教育の地方自治の原則を理由として、教育委員会が国旗掲揚・国歌斉唱を指導する具体的な内容・方法を決定できると主張しています。
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被告は、入学式等の式典は、全校的に統一性をもって整然と実施される必要性があること、国旗国歌の指導は社会通念上儀式にふさわしい内容・方法によって行わなければならないことなどを理由として。10・23通達によって入学式・卒業式等の式典における国旗掲揚、国歌斉唱の実施方法に関する学校の裁量が制約されても違法・不当ではないと主張しています。
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被告は、日の丸・君が代を『一方的な一定の理論や観念』とする原告らの主張は、憲法上の大原則たる議会制民主主義の原則を無視するものであり、国旗国歌を尊重する態度を育てるべく児童生徒に指導することは普通教育において当然のことであると主張しています。
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次回は「日の丸・君が代」他についての反論になるそうですしかし、都の言い分を読むかぎり、「地方自治の原則」、「議会制民主主義」、などの言葉を使って答弁していますが、まさにこれこそ詭弁以外の何ものでもありません。

そもそも、今回の問題は、憲法19条違反という以前に、国民主権(民主主義)が規定されている憲法下の国会で、天皇主権の歌を「国歌」と定めたこと自体、また、それを国民(他国民にも)に強制すること自体、根本的に誤まっているのです。これは主権者である国民を敵に回しているということに他なりません。こんなことは、子どもでも分かる道理です。



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