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2011/01/29

渡部です

すでに報じられていますが、本日(1月28日)、東京高裁で「予防訴訟」の判決がありました。

東京高裁は、「原判決を取り消す」とし、「10・23通達」と処分は違憲・違法とした東京地裁判決(2006年9月21日)を全面的に否定、極めて不当な逆転判決を出しました。

判決では第一に、「予防訴訟」そのものを、「本件通達の発出によって重大な損害が生じるおそれがあるとはいえないし、その損害を避ける他に適当な方法がないとはいえない」として、「訴訟要件を欠く不適法なものとして却下する」としました。

では、地裁も含めて2004年から7年も裁判をしてきたのは一体何だったのか、ということです。原告を馬鹿にするのも甚だしいと言わざるを得ません。

第二に、「10・23通達」について、「通達の発出によって、その思想・信条・良心等の侵害を受け精神的・人格的な苦痛を被ったとはいえない」とし、「公的義務不存在」の「確認の利益が認められない」としました。

多くの教職員が悩み苦しみ悲鳴を上げているというのに、裁判所は勝手にこのように解釈しているのです。本人が「苦しい痛い」と言っているにもかかわらず、裁判所は勝手に、「苦しい痛いとはいえない」と言っているのです。

全く原告たちを馬鹿にした判決です。

判決後に開かれた報告会では、次のような声が上がりました。

  • 裁判所に対するあらゆる幻想が剥ぎ取られた。裁判所自体がまさに「暴力装置」だ。この国の今の現状に見合っていると言える。(原告)
  • 今朝は負けるとは思っていなかった。しかし完敗だ。なんのいいところもない判決だ。下級審の裁判官には最高裁ピアノ判決をを批判する判決が書けないことが分かった。最悪の判決だった。一面サバサバした。これは通過点だ。裁かれたのは裁判官だ。負けたのは憲法だ。私たちこそ法と正義の体現者だ。引き下がることはできない。闘うのは責務だ。今日から新しいスタートだ。そうでなければ、憲法・教育・子ども・未来が泣く。(弁護士)
  • 「国旗・国歌」について、判決では、<慣習法>として認められていた、とした。しかし実際は、処分により力づくで<慣習法>にした。学校の実状を何も知らない許しがたい判断だ。今や学校の中はファシズム状態だ。やがて、これは学校の門を出て、社会全体に広がるだろう。(原告)
  • 思考停止、何も考えていない手抜き判決だ。(弁護士)
  • このような判決を許しては、この国の民主主義はどうなるか。(弁護士)
  • 勝ちたい、勝たなければ困ると思っていた。それほどまでに学校現場が厳しい、つらいから。どうしてこれから仕事を続けていったらいいのだろう。こんなにヒドイ判決。しかも卒業式を前にしたこんな時期に。これまでは「9・21地裁判決」が支えだった。今日はツライ一日になった。しかし、こんなヒドイことが続いていくはずがない。夜明けが来るまで闘い続けて行きたい。(原告)
  • 本当に悔しい。しかし、ここから始まる、負けないよ、という静かな闘志が湧いてきた。この判決が現場に下りる月曜日に校長が何を言うか。文句を言う人が一人でもいればいいが。それでも負けない。すがすがしく闘っていこう。(原告)
  • 怒りだ。信じられない。判決文に「他に損害をさける方法がある」と書いてあるが何があるというのだ。民主主義が壊されていくことを黙って見ているわけにはいかない。(原告)
  • (高裁で)5年もかけてやってきて、「訴訟資格がない」と何で言うか。「10・23通達」を争えばよかったのではとも言うが、「通達」を受けた校長が争うなら分かるが、教員が争うことは考えられない。裁判の入口にも入らせない。争う権利までも否定するものだ。(学者)
  • とんでもない判決だ。三権分立はどこへ行ったのか。行政追随の判決だ。(学者)

最後に<原告団・弁護団・予防訴訟を進める会一同>の「声明」が読み上げられましたが、その際、読み上げた原告は次のように述べました。

  • 「9・21判決」の時、都教委は「高裁で争うから決着がついていない」として、その後も処分を繰り返してきた。我々も、同様に、「まだ最高裁があるから決着がついていない。係争中である」という姿勢で望もう。

以上のように、今回の逆転判決は、「日の丸・君が代」を<慣習法>として、戦前と戦後の区別も全く無くし、民主主義の息の根をも止めようとする判決でした。

これに対抗するには、裁判闘争だけでは闘えません。具体的な職場での闘い、大衆闘争などを起こし、世論を大きく作っていく必要があります。

そのためには、単に「思想良心の自由」という受身的な闘いだけではなく、「君が代」は<天皇制賛美の歌>であり、それを「国民主権」「民主主義」の日本社会で、教職員への強制を通して、未来の「主権者」である子どもたちに強制している、(多くの子どもたちは意味を知らないまま歌っています)ということを、声を大にして訴えていくことが重要かと思います。

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