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2011/02/25

2011年春の闘い(5)

渡部です。 

2月21日の東京地裁での<「君が代」不起立再雇用拒否第二次裁判>原告陳述の続きです。(残り二人の方)

<Sさん>
・・私は中学校入学と同時に剣道を習いはじめ、今日に至っております。
そのため試合で掲げる「日の丸」や奏でる「君が代」には、その歴史的経緯を知りつつも、あまり抵抗なく受け入れてきました。
しかし、「10・23通達」による強制的掲揚・斉唱にはどうしても、従うことができませんでした。
というのも、それまでの自己の在り方を考えたおり、この通達に「異議申し立て」することが、教員としての私の責務であると感じたからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遠藤周作の『沈黙』ではありませんが、権力に弾圧されたときに、神は「棄教」や「転向」を許すかもしれません。
同様に、生徒は「内心の自由」をないがしろにする、私の愚かな行為を許してくれたかもしれません。
しかし、生徒は、私の行為を許したとしても、私が授業で教えてきた知識は、疑い、否定するでしょう。
「知識なんて、そんなものだ」。私は、それを一番怖れました。
「知の力」を信じなくなる、それこそ、学問や教育の否定につながりかねません。
そうなれば学校教育はなりたたないでしょう。
・・・・
学問や知識は、人間を救い、世の中をよりよくするものだと思います。
そのためにこそ、学問や知識があるはずです。
そして時には、人間を勇気づけます。
私はその学問の力、「学問救世」を信じたいと思います。
「学問救世」とは、私が教員になるとともに今日まで勉強し続けてきた柳田国男のことばです。
日本の伝統文化を重視した民俗学者です。
その柳田は、学問こそが、自分を高め、世の中をよくする原動力だというのです。

学問を伝達する場が学校です。
私は、司法が重視する「正義」の実現のためにも学問が基礎だと思っております。
学問や教育をなおざりにしないために、私は卒業式で「10・23通達」に反して「不起立」を貫いた、
いまはそう思います。

<Iさん>
・・・・
歌の「力」は、詩に詠み込まれた内容を、情感に直接訴えることにその特徴があると考えられます。
一緒に歌を唱うことによって、人それぞれの異なった日常は背景に隠され、一体感を生み出すことが可能になるのではないでしょうか。・・

しかし、この大きな力には、その裏に、「個性の抑圧」という危険性が伴われていることにも気づかされます。
理性を超えた地点での連帯を強要するのです。・・・私は小さいけれどたった一つの「自分」を失うことを恐れています。
そのために、「自分」の判断を含まない行為は避けるべきであると考えています。
「国歌斉唱」を強制されることは「自己」を「無」にするべきだといわれているように思えるのです。

始業式などで行う校歌斉唱においてさえも「強制」にならぬよう、生徒一人ひとりの事情に気を遣ってきました。
宗教的な教義によって校旗に向かって起立し、校歌を斉唱することに抵抗を覚える生徒には「無理をしなくていいんですよ」と事前に伝えたりしていました。
まして、卒業式などで「強制的」に、「君が代」という「国歌」を一斉に唱わせることは、「個人の尊厳」を言い、「個性をのばす」という「教育の本質」にそぐわないことは言うまでもありません。
「個人」である前に「日本人」であれと、有無を言わせず強制的に国家に従わせようとする意図が見て取れます。

さらに、学校に勤めている私たちが、生徒を強制的に国家に従わせていく行為に荷担せざるを得ない=道理のとおらない職務命令に従わざるを得ない=とすれば、それは私自身が生徒の「自由」と「個性」を奪う行為をすることに他なりません。
私は信念を貫く自由を奪われると同時に、生徒の自由をも奪うという二重の矛盾を抱えることになります。
許せない、と同時に許されないことではないでしょうか。

(2003年度)
卒業式当日、意に反して国歌斉唱時に起立しました。
自らの「思い(信念)」と「行為」との矛盾を冒さなければならない、という心の「葛藤」は思いもよらない結果を私の身体にあたえました。
2月の中旬から不整脈が生じ始め、3月中旬から下旬にかけてはなはだしくなり、その後もしばらく不安・不快な状態が続きました。
自らの信念と異なる行為を選択することが、このような形で身体を蝕むということをはじめて経験しました。

翌年、2004年度の卒業式の職務命令には、前年には書かれていなかった、生徒への「国歌斉唱」の指導が明瞭に書かれていました。
このようにして、少しづつ都教委による学校の支配という事態が拡大していくのだ、と改めて気づかされました。
私には前年のような迷いはもう生じませんでした。
「国歌斉唱」の「強制」には従えない、拒否するべきだという信念に従い、卒業式当日は『君が代』斉唱時に着席したまま下を向いていました。
そのために教員生活で初めての戒告処分を受け、さらに2007年度、退職後の嘱託員にも採用されないことになりました。
私は職場から排除されてしまったのです。

<次回>は、4月25日(月)15:00~ 103号
また、原告の陳述があります。



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