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2011/03/13

2011年春の闘い(20)

渡部です。

昨日(3月11日)、東北地方に大地震と大津波。壊滅状態になった街も。首都圏も鉄道・高速道路が全面ストップ。私の職場でも帰れなくなった生徒70人以上。保護者に迎えに来てもらったが、結局帰れず学校に泊まった生徒8名、職員10名ほど。私も帰れず学校に泊まる。

この地震と津波による社会的影響はきわめて大きいものとなるだろう。メア氏の発言で窮地に立った米政府は、ここぞとばかり「支援」に乗り出した。同じく窮地に立った菅政権も「挙国一致」などと言ってここぞとばかり自衛隊を動員、挽回を図ろうとしている。

しかも、この地震による人々の生活破壊は極めて深刻なものとなろう。まさに、第一次大戦後の戦後不況の中で起きた「大正大震災」(1923年)の再来となる可能性がある。

私たちは被災者を支援すると共に、私たちの闘いを前進させていくことが重要であろう。

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また昨日は、4選不出馬を周囲に伝えていた石原も急遽都知事選に立候補することを正式表明した。

彼は、次のように述べた。「現今の国の政(まつりごと)の混乱、停滞を眺めれば、この日本の命運は恐らく、この数年に決められる。」彼は日本の現体制の危機を敏感に感じているのである。

しかしまた、次のようにも述べた。「心身の限界はあるが身を賭して、最後のご奉公をさせていただく決心をした。」つまり、彼自身「心身の限界」をも感じているのである。

ならば私たちは受けて立とう。これまで以上に私たちの闘いを発展させ、エジプトの民衆がムバラクを追い落としたように、彼を追い落とそう。

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卒業式ビラまきの続報です。

(3月10日)

<F高校>
8時前につくとNさんがいい声で歌を歌いながらいました。私は「教育を考える多摩西部市民の会」の卒業式ビラ、「教育の自由裁判をすすめる会」の緑のリーフレット、包囲ネットの今回のビラ 3枚をセットにしたものを、200用意しました。

それを2人で配っていると多摩西部市民の会の2名も到着し、4人で配りました。

校長と称する人が入るときに通り一遍の注意をしただけで平穏に配ることができました。(昨年まで口うるさかった主幹は異動したとか、でも礼服を着ていたので、来賓なのでしょう。今年は何も言いませんでした。)

生徒の受け取りは良くありません。(年々悪くなる気がします。進学校というほどではないのに)200組を配り終え、その後はネットビラのみを配りました。総数350くらい配れたと思います。

<B京高校>
ジャーナリストのKさんがカメラを持って取材にきた。

8時頃にビラを一人でまき始めると女性の副校長らしき人物が出てきて、「生徒にまかないで下さい」と言う。「なぜですか」と聞くと、「学習指導要領の適正実施のためです」と、都教委と同じことを言う。「生徒に何も知らせないのでいいのか」と言うと、こちらの話を聞こうともせず、校門の中に入っていった。

まもなくすると、校長が出てきた。門の中に入ったわけでもないのに、しきりに「敷地内に入らないで下さい」と言う。「私は都民だが、都民を排除するのか」と言っても、同じことを繰り返す。ついには「警察をよびますよ」などとも言う。しかし、近くにいる二人の警備の職員は知らん顔。

この経過をKさんはカメラで撮る。すると、校長はまもなく校門の中に入っていった。Kさん曰く、「本当に警官を呼べば面白かったのに」。

卒業生は280名。ビラは生徒・保護者とも比較的受け取りがよく、181枚まけた。

(3月11日:判決の翌日)

<板橋高校>
8時から10時まで、Hさんとそのお知り合いの方(習志野から来られたそうです)、「板橋学校と地域を結ぶ会」の方3名と私の計6名で、2種類のビラ(包囲ネットと板橋の会)を撒きました。

板橋高校では校門に「卒業証書授与式」ではなく「卒業式」の看板が出され、校舎正面2階に「卒業おめでとう」という横断幕が貼られていました(後者は昨年まではなかったと思います)。

撒き始めると早速副校長が近寄ってきて「お分かりでしょうが…」と言われたので、Hさんが「気をつけてやります」と答えると、それ以上の言葉(「敷地に入るな」「生徒に渡すな」等)はなく、こちらが「お読みください」と差し出したビラも受け取ってくれました。

校門を入ったところで数名の教師が生徒を出迎えていましたが、どうも髪の色をチェックしていたようです(茶髪の生徒は式場ではなく校舎の中に入るように言われていたようで、式の前に黒く染め直されていたのかもしれません)。生徒は皆制服姿でした。

ビラの受け取りは教師も生徒も保護者もとても良く(順に5割、3分の2、8割という感じでした)、包囲ネットのビラは用意した200枚(プラスHさんの持ってこられた数十枚)を2時間でちょうど撒ききりました。

おそらく「板橋の会」のビラも同じくらい捌けたと思います。なお、ビラを受け取った方のうち2人(保護者と通りかかった地域の方)から、「君が代を歌うなと言うのか。生徒に撒くのは良くないなぁ」、「何でも反対するのは良くない。日本の伝統を守れ」と言われ、ビラを突き返されました。

<A高校>
○3月10日の判決の後だったので、手に「処分取り消し」の記事の載った毎日新聞を持ってチラシを撒いた。

○8時頃、出勤してきた副校長が「校門のまん前で撒かないでください」と言った。8時10分頃、事務職員が校門に「卒業証書授与式」の看板を出し、門の脇のポールに日の丸、都旗、校旗をあげた。

○生徒は自転車通学の者も多かった。チラシの受け取りはまあまあだった。保護者はだいたい受け取った。

○校門正面に校舎の出入り口があるからか、いわゆる「警備」の教職員は校門内にはいなかった。

○被処分者の教員が出勤してきて、「昨日は少しいい判決が出たのでよかったですね」と言った。

○近所のおばさんが前を通り、「ああ今日は卒業式なの。この学校は古いんだけど、何回目かって書いてないね」と言った。また、生徒がチラシを受け取らないのを見て、「この頃の子はビラなんかとらないね。駅前でテッシュもとらないよ」と言っていた。

○PTAの役員という女性が「何を撒いてるの? 学校のもの? 許可はとってんの?」と言った。私が「道路で撒いているんですから許可は必要ありません」というと、それ以上はなにも言わなかった。

○9時50分に終えた。約220枚まいた。

<一S高校>
けさは娘とふたりでやりました。妨害なく、受け取り率高く(生徒六割以上が気持ち良く受け取り)、警備の先生と気持ち良い会話もしました。このごろの都教委のやりくちについて批判していました。持って行った250枚を9時45分にまき終わってしまいました。

ところで、今日はまだ職場にいます。電車が動かないのでこのまま泊まる方向です。そのばあい、明日朝電車が動いても、ビラがないので、ここから明日の卒業式には行かれません。

<S高校>
原告のTさんを始め知り合いも多い(校長も昔の同僚です)学校です。

市民ビラとネットビラをセットにしたものを100用意しました。程なく市民の会の1名(小学校の教諭)もきて、その人はその場で市民ビラとネットビラをその場で組み合わせながら配りました。

生徒は着飾り、華やかです。受け取りは悪くないと思うのですが枚数は200+70くらいだったでしょうか。

市民の会の人は 昔の教え子の保護者に出会い、「○○ちゃんの卒業なんですね」などと話が弾んでいました。通りかかりのおじさんにビラを渡すと「ああ、これね。新聞でみたよ。」ということで励ましてくださいました。
もと教員のようです。

帰る途中にT氏より携帯に連絡があり、判決により職場の雰囲気がかなり変った、とのこと。多くの同僚からおめでとうをいわれ、教頭の対応もかなり弱気になった印象とのこと。

立川で献血ルームによってから被処分者の会の作業に向かう。その後地震で、帰宅は午前1:40と相成りました。

(3月12日)

<F森高校>
8時に行ってみると門は閉まり人気が全くない。10分ほどたってきた若い教員に新聞記事のビラとネットビラを渡しながらきいたところ、延期とのこと。ま、往復15分程度の時間ロスでした。

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都教委は3月12日の卒業式を地震の影響のために中止しました。この後、卒業式日程が不明なため、包囲ネットもビラまきを一旦ここで中止します。
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