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2011/03/05

2011年春の闘い(10)

渡部です。

本日(3月3日)、東京では、4つの全日制高校と2つの定時制高校の卒業式があり、包囲ネットでは、4つの全日制高校でビラまきをしました。今日のキーワードは「常識ハズレ」でした。

<A東高校>
風が強く、寒い朝だった。8時30分頃、卒業証書授与式の看板と「日の丸」と校旗をだした。学校側はなにも言ってこなかった。生徒は自転車通学者が多く、手渡しづらかった。全体で200枚撒けた。

副校長が9時前にやってきて、何時まで撒くのかと聞いた。「10時から開式ですからその前までやります」と答えた。副校長は「ビラはセンターに送ったから」と言ったので、「送らなくても、包囲ネットのブログに載りますよ」とこちらは言った。送るように言われたているようだ。

門の内側に立っている教職員は、「警備」とともに、登校している生徒たちの服装、化粧をチェックしていた。化粧をしている女生徒に対して、化粧を落とさせたりしていた。

警備の教職員の話では、「日の丸・君が代」を職員会議で話すこともなくなったとのこと。

<西高>(校長が様子をテレビにとられても構わないと言っていたので校名を公表します)
天気は良かったが、風が強く寒い朝だった。行く途中、氷が張っていた。

2人でビラまきを始めると副校長が来て、しきりに通用門から離れてくれという。「言うことを聞かないと警察に言う」とも言う。しかし、通用門は広く、生徒・保護者の出入りに邪魔になるようなことはしていない。しばらくして校舎に帰ろうとするので、呼び止めて「よく読んでください」と言ってビラを渡す。

しばらくして、警備の教員が2人来る。副校長と同じようなことを言うが、それほど強くは言わない。

生徒・保護者たちは比較的受け取りが良かった。

しばらくしてもう一人の支援者が来て3人でまく。

すると今度は、正装した校長が出てきて、最初から「エキセントリック」(同じくビラをまいていた人の表現)に、
「ここでは蒔かないでくれ」と言う。
「何故ですか」と聞くと、
「常識ハズレだ」と言う。
「どこが常識ハズレなんですか。ビラを読んだのですか」と聞くと、
「読んだ、常識ハズレだ」と大きな声で繰り返す。
そうやっている最中、横を通り過ぎる生徒たちは次々にビラを受け取って行く。近くにいた2人の教員もただ見ているだけである。

間もなくすると、校長は帰っていった。私は、2人の教員たちに、「あんなに興奮して、式辞がちゃんとできるのかね。そちらの方が心配だね。校長には相応しくない人物じゃない」と言った。

一緒にビラをまいていた人も、「校長先生がしゃべっている隣で、生徒たちは次々にビラを受け取って言った」とおかしそうに笑っていた。

ビラは結局3人で計309枚まけた。

帰り道考えた。

あの校長は「常識」という「浅はかな見識」しかもたない人間なのだろう。きっとあの校長は生徒からあまり高く評価されていないのだろう。でなければ、生徒は「校長先生どうしたの」と言ってきてもいいはずだ。生徒も教員も知らん顔だった。

ところで、あの「常識ハズレ」という言葉はどこからきたのだろう。そうか、裁判所の判決からかもしれない。この間の判決は、憲法や法律に基づくものではなく、「慣習法」「学習指導要領」「通達」などに基づく、まさに、低レベルの「常識」をもとにしたものだ。裁判所といい、校長といい、低レベルの「常識」で人々を押さえつけようとしている。結局彼らには、「常識」(しかも上のものに従うという低レベルの)はあるかも知れないが、「見識」はないのだ。

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以下に、校長が読み「常識ハズレ」と言った私たちのビラ原文を紹介します。
 なお、このビラの裏面には、

  1. 2月4日の「朝日」<声>欄に載った「戦前の国旗国歌でいいのか」という投書と、
  2. 2月1日「朝日」夕刊に載った池澤夏樹氏の「少数者の居場所を残せ」という論文の抜粋、
  3. 壱花花さんの漫画「考えちゃダメ」を紹介しました。

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卒業生のみなさん、保護者のみなさんご卒業おめでとうございます。
高校を卒業される皆さんに、心から「おめでとう」の言葉をおくります。また、様々な「夢・希望」を持って旅立たれる皆さんに、「幸多かれ」の言葉をおくります。

皆さんが門出する日本社会と世界は、いま大きな転換期にあるようです。日本社会では、貧富の差の拡大と若者の失業が大きな問題になりつつあります。世界でも同じような問題があり、最近ではチェニジアやエジプトで若者たちが声をあげ独裁政権を倒しました。だから、私たちは皆さんに、自らの「夢・希望」をかなえると共に、<たくましい主権者>となり、多くの人々と手をつなぎ、よりよい日本社会と世界を切り開くことを期待しています。

 さて、卒業生の多くの皆さんは、小学校時代から「君が代」を歌わされてきたと思います。しかし、その歌詞の意味を知っている人は少ないのではないでしょうか。意味も知らないまま、言われるままに歌わされてきたのではないでしょうか。「君が代」は、明治初期に「天皇制」を賛美する歌として作られました。歌詞の意味は、「天皇の世の中がいつまでもいつまでも続きますように」ということです。この歌は、戦前・戦中には「日の丸」とともにアジア諸国に対する侵略戦争にも使われました。

 戦後、憲法で「国民主権」が定められ(1947年)、この歌はあまり歌われなくなりました。それでも次第にスポーツや学校教育を通して復活し、1999年国会の強行採決で「国歌」とされてしまいました。国民の代表たちは何を考えていたのでしょうか。でも当時、政府は「この法律自体から生ずる効果としては、国民が掲揚の義務を課されたり、斉唱の義務を課されたりするということは一切ない」と言っていました。にもかかわらず、東京都教育委員会は2003年に「10・23通達」というものを出し、「起立・斉唱」しない教職員は処分するとしました。その後、生徒にも「起立・斉唱」が強制されるようになりました。また、都教委は職員会議での挙手・採決も禁止し、学校から民主主義はなくなりました。

しかし、「このままでは再び戦前の社会に戻る」という危機感を抱いた教職員たちは、「不起立」「不伴奏」という形で抵抗しました。すると処分が繰り返され、これまで延べ430人の教職員が処分されています。さらに この1月には、東京高等裁判所が「君が代」強制・処分は問題ないという判決を出しました。「天皇制賛美の歌」を強制してもよいというのです。国民は「主権者」から「臣民」に戻ってしまったのでしょうか。

将来日本社会の「主権者」となる卒業生のみなさん、「主権者」たる保護者のみなさんに訴えます。
「君が代」=天皇制賛美の歌が、処分を伴って強制されるような日本社会でいいのでしょうか。



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