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2011年5月

2011/05/31

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2011年5月~7月を更新しました。

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「君が代」不起立最高裁判決

渡部です。

本日(5月30日)午後、最高裁第二小法廷(裁判官4人:裁判長は須藤正彦)で、南葛飾定時制卒業式不起立裁判(原告:申谷さん)の判決があり、上告「棄却」でした。

<理由>の中心的な部分は以下のとおりです。少し長いですが、ゆっくり読んでみて下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「職務命令は、公立学校の教諭である上告人に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって、高等学校教育の目的や卒業式等の儀式的行為の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると、本件職務命令については、前記(*)のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 以上の諸点に鑑みると、本件職務命令は、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。」

(*)
本件職務命令は、一般的、客観的な見地からは、式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるもの。それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観、ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることになるという点で、その限りで上告人の思想及び良心の自由について間接的な制約となる面があるものということができる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

要するに、<職務命令>は、「間接的な制約となる面がある」かもしれないが、

「関係法令等の諸規定の趣旨」
「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」

を踏まえた上で、

「生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものである」

から、「思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえない」と言っているのである。

さらにこの判決は四人の裁判官が一致したと述べながら、3人の裁判官の「補足意見」がついている。しかし、それらのほとんどはいずれもこの判決を補足するような内容である。

例えば、竹内行史裁判官の意見には次のような部分がある。

  1. 国旗及び国歌に対する敬意に関すること一般に、卒業式、国際スポーツ競技の開会式などの種々の行事や式典において国旗が掲揚されたり、国歌が演奏されたりするが、そのような際に、一般の人々の対応としては、通常、慣例上の儀礼的な所作としてごく自然に国旗や国歌に対する敬意の表明を示しているものと考えられる。そして、国際社会においては、他国の国旗、国歌に対する敬意の表明は国際常識、国際マナーとされ、これに反するような行動は国際礼譲の上で好ましくないこととされている。
  2. 上告人は教員であり、学校行事を含めて生徒を指導する義務を負う立場にあるという点が重要である。国旗、国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機会として種々あるであろうが、卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会である。そのような学校行事において、教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとることは、国旗、国歌に対する敬意や儀礼について指導し、生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触するものと言わざるを得ないであろう。本件職務命令による上告人に係る制約の必要性、合理性を較量するに当たっては、このような観点も一つの事情として考慮される必要がある。

つまり、国旗、国歌に対し不起立するような人間は国際社会からもつまはじきされると言い、まして教員については、「国旗、国歌に対する敬意や儀礼について指導し、生徒の模範となるべき教員は職務に抵触するものと言わざるを得ない」(つまり教員としての資格がない)とまで言っているのである。

これは大阪の橋下知事が言っていることと同じである。

しかし、このような考え方は、この間「原発事故」で明らかになった、原発に賛成しないものは<村八分になった>と同じであり、戦前の例で言えば、国策に反対するものは<非国民になった>と同じである。批判も抗議も許さない。それどころか、「諸法令等」と言って裁判所まで一緒になってそういう人間を弾圧する。

これは実質的なファシズム社会の到来である。

しかし、「天皇主権の歌」「天皇制賛美の歌」を憲法で「国民主権」が規定されている現在の日本社会で国民に儀礼的に強制し、処分するなどというこれほど<本末転倒>、<非常識>なことがあっていいのだろうか。いくら「諸法令」を並べようと、こんな道理は小学生でもわかる。

もし現在の日本社会で「常識」というなら、それは、「国民主権」であり、「思想・良心の自由」であろう。



2011/05/29

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第36号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 7)

橋下「国旗・国歌条例(案)」の強権と巧妙

 ついに出された「条例(案)」を読むと、教育基本法の理念を貫徹すること、都教委「10・23通達」の「足らざるところ」を補強することを目指しているようだ。
  前者については分かりやすい。「条例(案)」の第1条(目的)と教育基本法第二条(教育の目標 五)は、字句までほとんど同一。「伝統と文化を尊重」「我 が国と郷土を愛する」「国際社会の平和と発展」橋下知事にとってはこれほど明確な理念を公的場面で実現するのは当然ということだろう。その道具が「国旗・ 国歌」である。「愛国心」も「国際貢献」も多様な意見が存在する問題ではなく、突き進むべき課題とする。その主体は「府民、とりわけ次代を担う子ども」。
  後者については、一挙に大阪府内の公立学校(小・中・高・特別支援学校)全てに直接強制を図っている。「服務規律の厳格化を図る」ことが目的だから「教職 員」が直接のターゲットである。すでに出されている反論において「国旗・国歌法」成立時の国会で「強制はしない」「立っても立たなくてもよい」という野中 官房長官等の言が持ち出されているが、同時に有馬文部大臣や矢野政府委員は「職務上の責務」「懲戒処分を行うことができる」と述べている。橋下知事は、東 京のような単純な累積加重処分や停職6か月の頭打ちではなく免職までもっていこうとしている。
 こう見てくると、強権と巧妙な策略によって教育の 自由を圧殺しようとしているといえる。「思想・良心・信教の自由」一般ではなく、矛先はまっすぐに学校と教職員に向かっている。私のような“無党派浮遊 層”を含めて学校現場での正確な反撃、そして府民、国民との共同した取り組みが必要である。

2つの最高裁判決 予告

最高裁の二つの小法廷は、口頭弁論を開かず、判決期日を指定してきた。次の2件である。

南葛飾(定時制)元教員嘱託採用拒否事件 5/30 第2小法廷
嘱託不採用撤回裁判 6/6 第1小法廷 

 *憲法、教育基本法の判断に踏み込むかどうか、注目される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011/05/27

都教委、入学式での「君が代」不起立処分発令に抗議を

2011年5月26日

東京都教育委員会
教育長 大原正行様
教育委員長 木村 孟様
教育委員 内館牧子様 
瀬古利彦様 
竹花 豊様 

河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
国立市北1-1-6 多摩教組気付

入学式での「君が代」不起立処分に対する抗議文

東京都教育委員会は本日の定例会において、あきる野学園教諭Tさんの、入学式での「君が代」不起立に対し、戒告処分を決定し、直ちにあきる野学園において、Tさんに処分発令をした。

私たちはこの処分に対し、強く抗議するものである。

今年の入学式での不起立被処分者は全都で1名であるが、自身が行動には至らなくとも、現場の教員たちの大半が、不起立処分を不当な弾圧と考え、都教委に対し強い怒りを持っている。

ところで、これまで原子力発電について、都教委は文科省の方針通り、子どもたちに国策にのっとり「安全神話」を垂れ流してきた。一方には、原発の危険性について警告し、発電所の建設に反対してきた人たちが当初から存在していた。しかし、これまで国やマスコミはその存在を隠し、また、学校教育も同様に、子どもたちにそれを知らせない姿勢を取り続けてきた。

それにより、子どもたちは原発の危険性について知らされず、疑問さえ持たないまま大人になり、そのことが日本の原発推進政策を容易にし、今回の原発事故を招いたともいえる。

そのことを都教委は反省すべきである。反省し、事故から学ぶならば、国策とは異なる考えを子どもたちに知らせないなどという犯罪的な教育行政は止めるはずである。「日の丸・君が代」についても、子どもたちに考える機会を与えず、意味も分からずに「尊重」させるために、それに不都合となる「君が代」不起立・不伴奏教員を処分するなどということは止めるはずである。

 ところが、またしても本日、不起立教員を処分した。組織が思考停止に陥っている証拠だ。

都教委は、Tさんへの処分を直ちに撤回せよ。10・23通達を撤回せよ。

以上


抗議先を記します。

東京都教育庁(=東京都教育委員会)〒163-8001東京都新宿区西新宿2-8-1

総務部教育情報課(都民の声を聞く担当) :電話 03-5320-6733 FAX 03-5388-1726

人事部職員課服務係(処分を発令する担当) :電話 03-5320-6792


早朝ビラまきと都教委定例会傍聴

渡部です。

本日(5月26日)早朝、「君が代」解雇させない会の都庁前ビラまきがおこなわれました。(18人参加)

ビラのタイトルは≪入学式での不起立に対する処分を止めよう!≫でしたが、大阪の「君が代」起立の条例案のことも述べられ、次のように結ばれていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・・・・・・・・・・
「君が代」不起立累積加重処分をしているのは全国で東京だけであり、「3回不起立で免職」は、2004年に都教委が狙い、発言したことでした(当時、そのことを河原井・根津とも当時の校長から告げられた)が、都教委は3回以上不起立を続けた河原井さん、根津さん、近藤さん、渡辺さんに対して、免職を発動することはできませんでした。東京でできなかったことを、橋下府知事はするというのです。石原知事に劣らぬ、独裁ぶりです。
・・・・・・
大阪を、第2の東京にしてはなりません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後、都教委定例会の傍聴に向かいました(15名)。

30階での待ち時間の間、私は27階の人事部に行き、不起立者(1人、根津さんのいたあきるの学園のTさん)を処分するな!という申し入れに行きました。

すると、「ここではどうしても受け取れない。情報課に行ってくれ」と言う。何度かの押し問答の末、係りの人が「私が案内しますから」というので30階の警戒ものものしい総務部の入口まで行くと、情報課の女性が出てきました。

そこにいる人達に聞こえるよう大きな声で、「人事部職員服務係り」(処分案を決める)宛て要求書を読み上げ手渡しました。

その後、都教委定例会を傍聴です。

その中で、まず驚いたのは、「児童・生徒の体力・運動能力、運動習慣等調査の結果」報告でした。

<体力合計点の平均値推移>(47都道府県別)というのが紹介されましたが、
(小学校5年生、男子)を見ると、東京都は、①「平成20年度」=(40位)、②「平成21年度」=(38位)③「平成22年度」=(34位)といずれも下位の方でした。

しかし、③は4月から7月末までの数値だというので、「平成22年度の10月~11月」の東京都独自調査結果を、③に当てはめた表④を並べていました。
(すると表④では、他道府県の順位はそのままで、東京の順位だけがなんと(8位)!にあがっていました)

そして、「都の子どもたちの平均値はこんなにも上がっている」と言うのです。

これが「頭のいい(?)」役人の仕事か?
これが「お上の評価に汲々とする」役人の仕事か?
このようにして誤魔化すところは東電と同じ体質だ!
と思わずにはいられませんでした。

しかも、「体育の授業」以外での運動をする時間も調査しており、(休み時間)、(昼休み)、(早朝)、(土日曜日)までも体力づくりのために子どもたちに運動させよう、という都教委の魂胆が見え見えでした。

次に、<土曜日における授業の実施について>という資料が紹介されました。

それを見ると、例えば(中学校)の場合、昨年度と今年度を比較すると以下のようになるというのです。
【月1回程度】   61校(9.8%)⇒133校(21.4%)
【月1~2回程度】  9校 ⇒ 53校(8.5%) 
【月2回程度】    4校 ⇒ 11校(1.8%)
つまり、<土曜授業>が定着しつつあり、今後さらに増やす方向だというのです。

しかも、「区市町村教育委員会の状況」というものも出されており、『全校が実施する区市町村名』も出されていました。今後は、区市町村の教育委員会にも圧力をかけ、やらせるというのです。

また、これには高校の「実施予定」表も付けられていました。

「週5日制」は実質上骨抜きになりつつあります。

その後、都教委は懲戒処分の議案で非公開になりましたが、退出する際私たちは、都教委の委員とそこにいる役人たちに向かって、
「Tさんを処分するな!」
「君が代は天皇主権の歌!」
「それを強制し処分するなどとんでもない!」
「今は主権在民だ!」 。
「都教委はまた戦前の世の中に戻す気か!」
「そんなことは許さない!」
というようなことを口々に言い抗議しました。

Tさんはこの後、戒告処分になりましたが、私たち15人の抗議は決して無意味ではなかったと思います。私たちの闘いは続きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下は私が都教委に出した要求書です)

東京都教育委員会・人事部職員服務係 様

 あきるの学園・Tさんに、「君が代」不起立処分を出すことのないよう強く要求します。 

 この間、都教委は「君が代」不起立者に処分を繰り返してきました。
 しかし、国民主権の国で、天皇主権・天皇制賛美を歌う「君が代」に不起立したからというので、国民を処分をするというのは全くの憲法違反です。憲法に照らし合わせれば、それは全くの本末転倒・非常識・論外な事です。これは小学生でも分る道理です。
 だから、「国旗・国歌法」制定時、政府は「強制しない」と繰り返しました。

 また、歌われている当の天皇さえも、元都教育委員の米長氏に「強制はよくない」と述べたのです。 
 しかし都教委は、その天皇さえも無視して強制・処分をくりかえしています。
 「国民主権」だから天皇は無視しても構わないというのですか。
 ならばなぜ「天皇主権」の歌を主権者たる国民に強制するのですか。 
 このように論理矛盾したことはありません。

 戦後、多くの国民は「政府にだまされていた」と言いました。現在の「君が代」強制も同じです。
 現在「君が代」の意味も知らず歌わされている多くの子ども・大人たちも、いずれその意味を知るようになるでしょう。
 そして、自分たちが置かれている惨めな状況に気づくことになるでしょう。

 福島の原発事故で「原発安全神話」は吹き飛びました。
 「君が代」強制もひとつの「君が代常識神話」のようなものです。
 いずれ何らかの拍子にその「君が代常識神話」(それはきわめて脆い)も一気に吹き飛ぶでしょう。
 多くの人間を長い間だまし通すことは、決してできないのです。

 Tさんへの「君が代」不起立処分を出さないよう強く要求します。

                        2011年5月25日



2011/05/26

入学式での不起立に対する 処分を止めよ!

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2011/05/25

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第35号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 6)

通達・職務命令と不起立・不斉唱、どちらが合憲、合法か

 そして、反対尋問の最後にこう訊かれた。(4/28口頭弁論)

都教委代理人弁護士:あなたの不起立行為と地方公務員法32条・33条違反はどのような関係なのか。              
近藤:違憲、違法な通達や職務命令に従うつもりはない。
  *地方公務員法32条(法令等と職務命令)、33条(信用失墜行為)

  都教委の主張は<不起立者が特定の思想から勝手に法律を無視して非違行為を行った>というもの。なんとしても教育現場で違法行為が行われたことを裁判官に 印象付けようとした。私は、都教委「10・23通達」、八王子市教委「9・22通達」「12・8通達」、校長「職務命令」が教育の自由(憲法23条・26 条)に違反していることを学校現場の教育実践に即して述べてきた。そして、都教委側が最後に処分理由としての地方公務員法違反をもち出すなら、やはり裁判 官に憲法判断を要請しなければならない。
 言うまでもなく憲法98条(最高法規性)、99条(憲法尊重擁護義務)がある。一教育公務員である私も、それなりの権力をもつ都教委の方々も、その権利と義務において、法の下に平等のはず。

橋下大阪知事の「君が代起立条例」の行方

  東京の「日の丸・君が代」強制反対の闘いは、全国の「強制」したがっている方面を牽制してきた。「強制」を強行したら、学校現場でどれほどの抵抗を引き起 こし、どれだけの裁判を抱えなければならないかを示している。首都圏はもちろん北海道や大阪、名古屋での兆候は見られたが、躊躇させてきた。橋下知事は シャニムニ走ろうとしている。私達の堡塁が決壊する危機に当たって、何千、何万の大阪の教職員、何百万の府民と連帯していこう。

嘱託採用拒否事件で、5/30に初の最高裁判決予定

  5/21付『毎日新聞』は「東京君が代訴訟 元教諭敗訴公算」「2審の判断を見直す場合に実施される弁論が開かれておらず、元教諭が敗訴した東京高裁判決 (09年10月)が確定する公算が大きくなった。」と報じた。数ある訴訟の中で「10・23通達」関連では初めての最高裁判決となり今後の裁判に多大の影 響があろう。
 「戒告処分」取消ならば、再雇用拒否は全く不当である。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011/05/24

福島の子どもたちを守れ!行動

渡部です。

本日(5月23日)、すでにニュースでも流れていますが、<子ども20ミリシーベルトを撤回せよ! 福島の子どもたちを守れ!>という、①「文部科学省包囲・要請行動」、②「参議院院内集会」が開かれました。

福島から上京した親たちを始め、全国から650人が参加しました。

①では、文部科学省は、参加者による人間の鎖で包囲されました。多くのプラカードや横断幕が文部科学省の前を埋め尽くしました。

多くの挨拶がありましたが、孫のことが心配でやってきたという元大学教員の方は、次のように述べました。

「この瞬間でも福島の子どもたちは閉じ込められ放射能に晒されている。20ミリシーベルトは即刻撤回されなければならない。特に校庭は校舎の中の10倍もの高い数値になっている。校庭の土は除去すべきだ。郡山市はやった。文部科学省も実験で効果があるとしていながら、<やるのをとどめはしない>などと言っているだけだ。予算も付けず、20ミリシーベルトを守り抜こうとしている。このような政治はいらない。福島の保育園では保護者が独自に土を排除したところ、放射能の値は10分の1になった。」

また、千葉から来たという2人の子どもを持つ主婦の方は次のように述べました。

「文部科学省に電話をし、子どもたちを疎開させるべきだと言うと、その権限は原子力安全委員会にあるという。原子力安全委員会に電話をすると、学校のことは文科省に権限があるという。そこでまた文科省に電話をするとその権限はないという。今の行政はこんなことをやっている。」

元東電社員だった方は次のように述べました。

「現在、原発を推進しているのは経済産業省だ。しかし、そこは東電と深く癒着している。また、多くのマスコミが危険性を報じていなかったが、それは財界が金を出しマスコミを支配しているからだ。自分は内部にいたのでそのことはよく分かった。」

参加者の中に放射能測定器を持っている方がいて、文科省の前の草を調べたところ、0.11マイクロシーベルト/時でした。先程の元大学教員の方は「埼玉では通常0.03マイクロシーベルト/時なので、ここも放射能汚染されている」と述べました。

その後、文科省の中庭での要請行動の方に移動しました。すると、すでに福島のお母さん方を始めとする大勢の方々(数百名)が、文科省の役人を取り囲んで交渉中です。人が多くて前の方がほとんど見えず、交渉内容もよく分かりません。社民党の福島党首などもその席に同席して文科省の役人を問い詰めています。しかし、全くラチが開かないようで、多くの参加者から何度も大きな抗議の声が上がりました。

結局、高木文科大臣は出て来ず、他の責任ある文科省の人間も出てきません。そして彼らが今「どこにいるのか分らない」とまで言う始末です。

参加者の怒りは納まりません。「主権在民!」という声も飛び出しました。

最終的に、科学技術学術政策局次長の渡辺とかいう人が、

  1. 20ミリシーベルトは考え直す
  2. 1ミリシーベルトにしていく
  3. 除染を国の責任でやる

という方向でできるだけ早急に検討する、というような<口約束>をしたようでした。

しかし、参加者からは、

「回答の期限はいつだ」
「手ぶらで福島には帰れない」
「前回から前進が見られない」
「文部科学省は3週間何やっていたんだ」
「議員もあてにならない」

と怒りの声が上がり、文科省の新しい建物の入口ではその後も長い間、シュプレヒコールが続けられました。

その後、参議院議員会館の方に移り「院内集会」が開かれましたが、参加者が多く、300人の会場が立ち見も出るほど一杯になったというので、福島の方を優先し、150人位の方は会場に入れませんでした。そのため、議員秘書と思われる方が「別室も用意します。そちらでもう一度報告会をやります」と言って来ました。

私は所要がありそれには参加できませんでした。しかしいずれにせよ本日は、「政府には任せられない」として自ら「主権者」として動き始め、政府・文科省・政治家を追い詰めている多くの人々の姿を見ることができました。



2011/05/23

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2011年5月~7月を更新しました。

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2011/05/17

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第34号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 5)

教育は、即効性だけか? ~続~

口頭弁論(4/28)で、私は以下のように述べました。
「私は本来社会科の教員だが、行政が『日の丸・君が代』のような措置をすれば、社会科は成り立たない。」
「今回の原発事故にも見られるように、現場のプロが危機を感じたら発信しなければならない。」
  社会科で取り上げる課題は「基礎的知識」もあるが、重要なことは「論争的課題」である。例えば「アジア・太平洋戦争」「大東亜戦争」「沖縄戦」「集団自 決」「環境保護と経済発展」「憲法と国際平和」等である。政府見解や法律が成立しているかどうかにかかわらず多様な意見がある。これについて教育の場で一 定の価値観を一定の方法で教えることを強制されたらどうでしょうか。自立した批判的思考を養うことはできません。
 「君が代」起立条例をたくらむ 大阪府の知事は「国歌を歌うには、起立して歌うべし。これが僕の政治感覚です。そしてこれは教育内容の問題ではありません。起立して歌わない教員は、大阪 府民への挑戦と捉えます。」と言っているそうです。知事本人の「僕の政治感覚」は認めますが学校教育の場での強制は許されません。東京都の学校現場で強制 が貫徹し、教員の教授の自由と児童・生徒の学習の自由、多様な考え行動の自由が侵害されていることに危機感を感じます。学校現場でも裁判の場でもはっきり 警鐘を鳴らさなければなりません。それが将来にわたって意味を持つ可能性があります。私は生徒との直接の人格的接触のために式典会場に存在することを求め ましたが、不起立可能者を会場に残すかどうかでは一律起立・斉唱を強制する側にもジレンマがあります。その意味で不起立・不斉唱は教育の自由の圧殺か保持 かの瀬戸際における教授の自由権の一筋の発揮といえるでしょう。
 現職の教職員には、一人でもその会場の一律起立・斉唱を止め「正しい教育を行う」力を秘めていると思います。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~     527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第33号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 4)

教育は、即効性だけか? 
口頭弁論(4/28)の反対尋問で次のようなやり取りがあった。
都教委代理人弁護士:不起立はどのような意味があるのか。
近藤:教育指導によって直ちに正さなくてはならないものはもちろんあるが、そのような即効性だけでなく、10年先に生徒の成長過程で意味をもつものもあると思う。

  都教委「通達」・市教委「通達」・校長「職務命令」は、「日の丸・君が代」一律起立・斉唱によって「国旗、国歌への敬意・儀礼」「国家への忠誠」「国を愛 する心」を教えるという。そこから、それを教えない不起立・不斉唱は「児童・生徒の学習権を侵害するものだ」という。また、学習指導要領の「国旗を掲揚し 国歌を斉唱するよう指導するものとする」が持ち出される。
 私は、教育の本質的営みには、学習の自由と教授の自由が前提とされなければならないと 考える。教授の自由はもとより厳しく制限されているし、「通達」「職務命令」により強烈に圧迫される。残された自由の唯一の発揮は不起立・不斉唱によって 強制を拒否しその姿を見せることであった。後は生徒の現在と将来の判断に任すだけ。

 かつて、教育実習生「樺美智子先生」も目前と長期で悩んだ。死の前年1959年秋、公立中学校で教育実習を行っている。
  「先生方の評によれば『大分不良がかっている』二人の女生徒がいた。私は注意していて、運動会の練習をサボっている二人を見つけて親しくなり、ついに、い つもサボっている掃除も一緒にするところまでいったが、二週間で離れることを考えると、それ以上内面的につながりを深めることは躊躇せざるを得なかっ た。・・私はやはり、生徒と親しくなり過ぎないようにしたのは正しかったと思う。」(『人しれず微笑まん 樺美智子遺稿集』より)
 また、ある生徒からは厳しい指摘も受ける。「社会科の授業は大変わかりやすく説明して下さるのでよかったです。私達のH・Rをやって下さいましたが、皆がさわいでいる時はすこしおこって下さればよかったと思います。」(同上)
  運動会に参加「指導」している時の写真からうかがえる真剣そのものの姿はきっと生徒に通じたことだろう。そして「歴史を教えるのはきっと、おもしろいだろ うと思って実習に行ったのだが実際は予想していたよりも、もっとおもしろかったということを、はっきり言える。」(同上)と結論付けている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

**会員・読者の声**

君が代斉唱・日の丸掲揚強制と私たちの生き方(2)
 山田昭次

  戦後に早くも1950年10月17日に文部大臣天野貞佑は、祝日の君が代斉唱・日の丸掲揚を復活するように全国の教育委員会や大学に通達した。その狙いは 何か。彼の発言によると、この狙いの対象は大学生や知識人ではなく小学生であり、「この国のために働くんだ、というようなことをだんだん教え込みたいです ね。何も理屈じゃなくて感覚的にそういう気持ちを持たせたいので、それには旗とか歌というものが是非必要」と言った(天野貞佑「君が代・日の丸・修身科― 現代日本人の課題」『読売評論』1951年1月号。下線は山田)
 東京都教育委員会は、校長が卒業証書を同じフロアで渡す形式から高い演台に立っ て渡す形式に変更させ、かつ「入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする」と、2003年 に命じた。これは入学式、卒業式を権威主義的で厳粛なものにすることによって、君が代・日の丸に象徴される日本国家が神聖不可侵のものという印象を児童や 生徒に与える演出効果を狙ったものであろう。「感覚的にそういう気持ちを持たせたい」という天野の発想は継承されている。
 君が代斉唱・日の丸掲揚の強制は、私たちが近・現代日本国家が歩んできた歴史を厳密に検証し、これとどのように対峙して生きていくのかという課題を厳しくつきつけている。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~     527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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傍聴のお願い

河原井です

みなさんお変わりありませんか 急に連絡が入りました

傍聴のお願いですが、都障労組3人組の控訴審1回めが 下記内容であります。

  5月23日(月) 11時~ 824法廷

ご多用のなかとは思いますが傍聴よろしくお願いします。

  以上です



2011/05/10

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第32号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 3)

不起立・不斉唱は「コウム」か? ~続~

 口頭弁論(4/28)の反対尋問で次のようなやり取りがあった。

都教委代理人弁護士:卒業式の時、一番近くの生徒とはどのくらい離れていたか。
近藤:1メートル前後です。
都教委代理人弁護士:生徒からあなたの不起立は見えたか。
近藤:はっきり見えたと思います。

  私の不起立は、生徒に自らの考えに従って行動してよいというメッセージを送るものでした。前号に続きローカルな話になりますが、〈国歌斉唱〉に続いて〈校 歌斉唱〉ですから私は起立して歌います。生徒に正対しての起立―不起立―起立という一連の動作は目立ちます。ところで八王子五中の校歌はなかなか素晴らし いものです。

 高き知性の かがやけば 自由の道の はてもなし
 見ずや個性の おのずから 薫りも色も 新たなり
 友よしたしく 手をとりて 世界の前に 進むべし 
         (土岐善麿 作詞  信時潔 作曲 「学事報告」より)

 私は勝手に、リベラリズム、パーソナリティ、インターナショナリズムを励ますものと解釈しています。土岐・信時のコンビでは、『われらの日本』(新憲法施行記念国民歌)が創作。1947.5.3のこと。

 平和のひかり 天に満ち
正義のちから 地にわくや 
われら自由の 民として
新たなる日を 望みつつ
世界の前に 今ぞ起つ   (古関彰一『新憲法の誕生』より)

 記念式典に天皇は出席せず、君が代ではなくこの歌が歌われたそうだ。国歌はもちろん、校歌にしろ国民歌にしろ強制はダメですが、その意味、意義を批判的に検討し深く理解することは重要だと考えています。このことが裁判官に伝わったでしょうか、心配です。

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**会員・読者の声**

君が代斉唱・日の丸掲揚強制と私たちの生き方(1)
 山田昭次

 1923年9月1日に関東大震災が起こると、日本人民衆の多数派は朝鮮人が暴動を起こしたという官憲が流した情報を「お上の言うことに間違いない」と信じリンク、 「お国のために」と自警団に参加し、刀、竹槍、こん棒などを使って無辜の朝鮮人たちを虐殺した。劇作家の秋田雨雀は、こうした民衆の行動は国家が教育して きた「国民道徳」の発露であり、それは「親切、無邪気、相互扶助的な精神さえも、それは全く自己の民族にのみ限られたものであって、一歩利害を異にした民 族に対しては、あらゆる残虐、無残な行為を生んでくる」ものだと批判して、「国民道徳」からの解放を訴えた(「民族解放の道徳」、『読売新聞』1923年 11月26日)。私がこうした秋田の言葉を思い出す所以は、君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を伴う現在の入学式や卒業式の儀式は、民衆の国家との感覚的・情 緒的一体化を通じて、戦後民主主義運動によって後退しかかった「国民道徳」の再強化を目指していると見るからである。(この論考は『ほっととーく100 号』に掲載されたものですが、先生の了解を得て再録します。)

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~
527号 最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述


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2011/05/09

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第31号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 2)

不起立・不斉唱は「コウム」か?

 口頭弁論(4/28)で次のようなやり取りがあった。

青野裁判長:あなたの言うコウムとは、公務か校務か。
近藤:校務です。

  私は以前から“不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組を呼びかける”ことを提起している。その一つ、2003年「10・23通達」以来、一貫して職員会 議で“式次第の〈国歌斉唱〉を削除する”ことを提案してきた。さしたる議論も無く校長がこれを否定し〈国歌斉唱〉は通過した。“またか”とか“今さら”の 声は常に聞こえてきた。しかし、あくまで強制を続けてきたのは都教委である。
 卒業式の〈目的〉には「学校生活の締めくくり」「新しい生活への出 発点」がある。この〈目的〉達成のためには、一律起立・斉唱ではなく、自主自立の判断で行動することではないでしょうか。例えば、外国人生徒にとって日本 語を獲得することは自立への糧を得ること。私の不起立・不斉唱も「自由を示して“なんぼ”の校務」でした。八王子五中の校舎全面改築により、本件事案が発 生した旧校舎音楽室もプレハブ音楽室もこの地上から跡形もなく消え去るでしょう。「根本において教育の力にまつべきもの」は何でしょう。

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       **会員・読者の声**
  「以上はあくまでも私個人の考えです。でも、これが教育の場における問題として考えるならば、この考えも一つの意見にすぎませんし意見は多様だと思います から、私の考えを絶対視するつもりもありません。しかし、戦前の国家強権の教育を受けた者としてせめて個人の考えを尊重する教育であってほしいと思いま す。日本の憲法は主権在民、思想信条の自由、そして何よりも世界に誇ることのできる戦争放棄をうたっているではありませんか。教育とは憲法の精神と真実を 教え良き人間としての成長を助けるものだと信じています。その信念に従って公務員としての業務を果たしている教員が何故問責されるのか、私はどうしても納 得できません。国旗・国歌の教育現場での扱いについては『強制をしない』という国の答弁をはっきり覚えています。自分の愛する国が世界からも認められる平 和な国家であることを切に願っています。」(池田教)

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第30号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 1)

不起立・不斉唱は「教育を受ける権利の侵害」か?

 これまでのやりとりで、何が問われたかを一つ一つ明らかにしていきたい。私への都教委側準備書面でも書かれているが、ここでは<3・25停職妥当判決・加藤裁判長>から引用する。

  「起立してもいいし、しなくてもよい、国歌を斉唱してもいいし、しなくてもよいと受け取ってしまうこととなり、児童、生徒が国旗・国歌について正しい認識 を持ち、国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなる結果を招く。このことは児童、生徒が基礎的知識に属する事項を学ぶ上では、マイナスというほか ないから、その意味では児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである。」(判決文P31)

 一律起立・斉唱だけが「正しい認識」「尊重する態度」であるという固定観念から転倒した結論を導き、多様な考え行動を非違行為、犯罪行為としている。許しがたい見解である。

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**会員・読者の声(多くの方の意見を紹介します。)**

  「私は日本人だから、国旗も国歌も愛したいと思う。しかしその国旗と国歌が日の丸と君が代である限り、歌うことも頭を垂れることもできない。私にとって君 が代は死者の怨嗟の声であり、日の丸は白地に赤の旭日ではなく、泥と涙と赤い血にまみれたぼろぼろの布切れに見える。戦後も13年中国に残留して各地を回 り、日本軍の犯した残虐の数々の証言を耳にしたが、私自身が体験したことではないから敢えて口にはしない。しかし、その証言を真実だと思う根拠は持ってい る。戦中、学徒動員から敗戦まで、関東軍の司令部に籍を置き軍隊の中の新兵苛めを実際に目撃している。その非人間的な行為から日本軍の体質は心の中に沈ん でいて私がその証言を真実だと思う根拠になっているし、実際にその行為をした旧軍人の証言がある。戦地に駆り出された人々はおぞましい自分の行為はそう簡 単には口にはできないだろうと推測はできるし、これは個人的な行為ではなく、軍隊そのものの行為だからと免罪する気持ちもあると思う。一人の行為は犯罪で も命令で縛られた軍隊の行為としては罪に当たらないと言う集団の心理も働くと思う。でも客観的に見て戦争とはどう考えても惨いものではないだろうか。まし てそれが大義のない他国への侵略であるならばその国の人々にとってはこれほど理不尽なことはないと思う。その象徴が日の丸であり、君が代として認識される のは極自然なことのように思う。(次号につづく)」(池田教)

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 このニュースを皆様の意見交流の場としたいと思います。各方面の有名、無名の方の感想・意見を紹介します。気楽にお寄せください。

お名前(本名、匿名、イニシャルなどすべてOKです。)
  *タイトル、字数制限はありません。写真もいいです。
  *送付先 FAX 044-877-1266
    Eメール jinteng1949@uranus.dti.ne.jp 


次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号  
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011/05/08

5・7原発やめろデモ(東京)

渡部です。

本日(5月7日)、東京の渋谷周辺で行われた『5・7原発やめろデモ』に、包囲ネットの仲間達と参加しました。

集合場所となった代々木公園ケヤキ並木には、様々な姿・形をし、様々なプラカード・旗・鳴り物などをもった乳・幼・小・青・壮・老の男女(外人も含む)が多数<数千名(?)>が集まり、数多くのビラもまかれていました。

デモは渋谷の繁華街を通る約2時間のコースで
通行人からの反応も大変良かったと思います。デモの途中から子ども連れの方も参加してきました。

しかし、恐らく警察がやったのでしょう。隊列(約150人)と隊列の間が100メートル以上も開き、かつ警官(私服・機動隊も含め)も多数動員され、どれだけの人数がいるのかさえ把握できませんでした。これはを隊列を分断し小さく見せかけると同時に、集団の力(大衆の力)をそぐためだと思われました。

我々の隊列についてきた機動隊員(一般警官の服装)は、「連絡ではデモは数千人いる。今日は渋谷署だけでは足りないので、各地の機動隊員が動員されてきた」と言っていました。

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以下は、「’11.5.7 プラカード男」という署名でまかれていたビラからの抜粋です。

<ガンバレば日本 この様だ>

もう十分頑張ってるよ!って話もあったけど、「ガンバレ日本」っていやじゃない?「ガンバレ日本人」と国民が政府に命令されている。

馬車に譬えれば、馬が御者に鞭打たれるようなもの。馬はそのように調教されているのであって、このまま突っ走ったら転覆するかもなんて考えもしないで、御者を信じて鞭打たれれば更に足を速める。

この国の政府は信ずるには足りないし、命令されたくないよねぇ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで、日本人はガンバって幸福になったのか。豊かになったのか。豊かなら選択肢があるのでは?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
原子力発電だってそう。選択肢から原発を選んだ覚えは私にはないのですが、あなたにはありますか?選択もせず、ただガンバってきて、今のこの様ではないですか?

<ガンバんない日本でいいんじゃないの>

原発がないと電気が足りないと言う人がいるけど、足りなきゃ使わなければいいんじゃないの。真夏が暑けりゃだら-っとすればいいんじゃないの。どうしてそういう選択をしないの?出来ないの?それじゃ豊かでないじゃん。

ガンバってガンバって、どうして選択肢が生まれないの?誰かが富をかすめ取っているの?だったら、ガンバんない日本でいいんじゃないの。

浪費はやめるけど、自粛も考えなくていい。そんな話じゃなくて主体性の問題。私たちは馬じゃなくて御者なんだよ。

頑張るんだったら、私は東電本店前に結集して叫ぶ、

<廃炉、ガンバレ東京電力>

<エネルギー政策転換、ガンバレ日本政府>

<!私たちが主権者だ!>



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