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2011/06/09

最高裁判決と大阪府条例について(5)

渡部です。

「君が代」起立強制に関する反論の第三です。「秩序の確保」と「名前公表」の危険性について書きます。

その前にもう一度整理しますと、

最高裁判決で【職務命令】は、

  1. 「慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするもの」であって、、
  2. 「高等学校教育の目的や卒業式等の儀式的行為の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿」っており、
  3. 「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」を踏まえ、
  4. 「生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図る」ためだから、

「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの・・・・・制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである」ので、

【思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえない】と述べられています。

そのうち特に④に出てくる「秩序の確保」は大きな問題です。

まず、この「秩序」とは前回明らかにしたように、決して「自然の秩序」というようなものではなく、戦後一貫して政府・文部省が上から強制して作り上げてきた「国民主権に反する秩序」であるということです。また、「思想良心の自由を奪う秩序」でもあり、「かつての侵略戦争への反省のない秩序」でもあります。

このような「秩序」が「確保」されてはたまりません。

だから、そうした「秩序」づくりの危険を感知した教員は、そうした「秩序」が「確保」されないよう批判・反対をします。中には不起立をする教員も出てきます。なぜなら、そうしなければ、日本社会は、かつての「天皇主権」の社会にもどり、「思想・良心の自由」は制限され、(「間接的な制約」も制限に違いありません)教員は「国策」に従い「侵略戦争に教え子を戦場に送る」ようなことになっていくからです。

教員がそうした行為をすることは「国民主権」を守るためにも、「思想・良心の自由」を守るためにも、「教え子を再び戦場に送らない」ためにも、当然の権利であり、「国民」に対する義務でもあります。

しかし、最高裁判決はそうした教員の正当な行為を認めず、「職務命令」(と処分)は「秩序の確保」のために当然としたのです。

このような「秩序の確保」については、大阪の橋下知事に至っては、さらにその先を行っています。

彼は数をたよりに何でもできると言わんばかりに

  •  不起立は「府民への挑戦」、
  •  「公務員に(不起立の)自由なんてない」、
  •  「3アウト制くらいにして、3回違反すれば  免職とするルールにすれば良い」などと言って、

その教員の<名前も公表する>とまで言っています。

しかし、もし名前が公表されるようなことになれば、どういうことが起きて来るか。それは少し考えれば誰でも分ることです。その教員は教育現場から追放されるだけにとどまらず、一気に「非国民」扱いにされることになるでしょう。「白色テロ」ということさえも考えられます。

これはまさいに戦前にあったことです。ファシズム社会の再来です。「茶色の朝」ならぬ「暗黒の昼」の到来、と言っても過言ではないでしょう。

こうした動きに対してどうするかについては、昨日私の意見を書きましたが、一つ付け加えておきます。それは特に<若者たちに知らせることの重要性>です。

いろんな手段があると思いますが、その一つとして、ツイッターで若者向けに、<「ジョニーH」をインターネット上で探せ>というのを、どなたか発信して頂けないでしょうか。
(意味がわからない方はインターネットで「ジョニーH」を検索してみて下さい)

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