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2011年6月

2011/06/27

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第43号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 14) 
再び最高裁「慣例・所作」論を評す

 前号(第42号「慣例・所作」ではなく「命令・追従」)でもとりあげたが、この論が「日の丸・君が代」問題を超えて影響を及ぼしているので再論する。最高裁判決の「慣例・所作」論には3つの特徴がある。列挙して述べる。
  まず、学校教育における象徴天皇制国家思想の総動員を容認したことである。2007年のピアノ判決を打破して全教職員に対して忠誠誓約行為を強制した 「10・23通達」「職務命令」を19条合憲とした。国旗国歌法の成立に伴う「君が代」の政府見解、2006教育基本法の「教育の目標 第二条 五」で示 された<象徴天皇制―伝統・文化の尊重、我が国・郷土を愛する―国際貢献>が、これから全面展開されるだろう。
 第二に、行政の意向に反する者に 対する排除の論理である。「敬意の表明」を受け入れられない者にとっては「間接の制約」となるが、「秩序の確保」や「円滑な進行」のためには職務命令は容 認されるとした。そこで懲戒処分や再雇用拒否は当然とされた。権力に“棹をささない”教職員は排除されるだろう。
 第三に、「慣例・所作」論は教 育の自由への展開を遮断したことである。裁判官の間では“公的機関が一定の価値観を強制することは許されない”という「信条」への制約も提起されたようだ がこれも「思想及び良心の自由の外縁」とされた。また、個々の「反対意見」「補足意見」では、学校現場への影響を憂慮しているものもあるが、憲法23・ 26条、教育基本法(不当な支配)への展開は示していない。逆に「受付を担当させる等、会場の外における役割」(宮川「反対意見」)を提案している。上記 で述べた通りこの問題は、教育内容への全面的な強制であり何人かの教職員が場外に退場して済むものではない。教育の自由侵害を無視する思考である。

当面する教科書採択への影響

  最高裁判決が大阪をはじめとする「日の丸・君が代」問題に直接影響を及ぼすことは言うまでもない。同時に「つくる会」系教科書の採択の動きがある。東近江 市議会では「教育基本法・学習指導要領の目標を達成するため、最も適した教科書の採択を求める決議」が行われた。その根拠として、「公共の精神を貴び、国 家・社会の形成に参画する国民」「我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人」「豊かな情操と道徳心、伝統文化の尊重や我が国を愛する」が挙 げられている。象徴天皇制国家思想が儀式だけではなく、教科学習にも取り入れられようとしている。これはもちろん個々の教員の思想・良心の問題ではなく、 教育の内容をめぐる教育の自由の問題である。

報  道

●南葛飾高校(定)木川さん再任用採用拒否事件・最高裁判決
 7月4日(月)
  14時 最高裁南門集合
  15時 判決言い渡し(第2小法廷)

●板橋高校藤田裁判・最高裁判決
 7月7日(木)
  14時 最高裁南門集合
  15時 判決言い渡し(第1小法廷)

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述 傍聴よろしく

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2011/06/26

6.25総会

6月25日、八王子労政会館で河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会総会を開催しました。以下、当日の写真3葉です。

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2011/06/24

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第42号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 13) 

卒・入学式は、不当な支配・教育の自由破壊の対決点
~「慣例・所作」ではなく「命令・教化」~

  6/21,最高裁第三小法廷は広島・君が代処分取消訴訟で4回目の不当判決を下した。またしても職務命令は「慣例上の儀礼的な所作」のため思想良心の自由 を直接に侵害しない、「敬意の表明」を強制することによる「間接の制約」も「秩序の確保」「円滑な進行」のためには容認される、という。これは一体何を意 味しているか。
 かつてピアノ判決以来、都教委と下級裁判所は、一律起立・斉唱は「国際儀礼」であり「一般的・客観的」に見て侵害にあたらない、 内心と分離してこの外部行為を行うのは当然とした。判決によっては不起立・不斉唱を「学習権の侵害」とした。「国際儀礼」の強制はまさに国際的実態からも 破綻した。内心と外部行為の分離は人間の思想と行動の不可分性からも非現実的であることが明らかとなった。そして行き着いたのは日本的「正攻法」である。 国旗国歌法は「慣習を成文化」したもの、2006教育基本法の「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度、そして象徴天皇制 国家が被されば完成する。日本国政府の公式見解(1999年以来)は“「君が代」の君は天皇であり、「君が代」は我が国、歌詞は我が国の末永い繁栄と平和 を祈念したもの”としている。“日本人なら、公務員教職員なら「慣例上の儀礼的な所作」をしろ!”不起立・不斉唱・不伴奏者は「秩序」を破壊し「円滑な進 行」を妨げる者とされる。それを予防した職務命令は合憲というわけである。
 卒業式、入学式等は不当な支配・介入、教育の自由をめぐる激しい衝突 の場である。「10・23通達」「職務命令」が果たしている役割は「慣例・所作」ではなく「命令・教化」であり、「敬意の表明」にとどまらず「象徴天皇制 国家への忠誠誓約」である。これが私たちの教授の自由を抑圧し、児童・生徒の学習の自由を侵害していることは明らかである。最高裁小法廷がいかに19条で 枠をはめようとも、学校現場の実態を反映した23条・26条・教育基本法での闘いはこれからだ。着実に主張を展開していきたい。開けない梅雨はないだろ う。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述 傍聴よろしく

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2011/06/22

21日のチラシまき、定例会傍聴の報告

河原井・根津らの「君が代」解雇をさせない会の根津です。

6月21日(火)は都教委定例会。それに合わせて今朝も都庁前でチラシ(「都庁前通信」)まきをしました。その報告です。

チラシの内容は、「『原子力村』ならぬ『都教委村』を思わせる定例会」のタイトルで、6月9日の都教委定例会の内容を記事にしました。

・傍聴者を歓迎しない物々しい警備のこと
・傍聴者の質問には答えない職員のこと。

定刻になっても傍聴者は委員会会場に案内されず、担当者から「交通事情により、もうしばらくお待ちください」と告げられた。突然の一言で、何のことかよく理解できなかったので説明を求めたが、一切の回答はなかった。説明がされぬまま傍聴して、私たち傍聴者は、3人の教育委員のうち出席が内館委員のみで、瀬古委員と竹花委員は欠席であることを目にした。公開の委員会が終わった(傍聴が終わった)段階でも、2人の姿はなかったので、2人の欠席と「交通事情」の関係を再度質問したが、とうとう説明は拒否された。そこで、そのことについて(①)と、②欠席の場合報酬は支給されるか否か、について文書回答を求めてきたこと

・この日の報告事項。「思考力・判断力・表現力の育成」のために「言語力推進事業」を65の推進校で始めるということについて。「日の丸・君が代」の強制に象徴される、自分の頭で考えさせない教育を一方で進めている都教委が、何を言うか!と批判。

それがチラシの内容でした。

21日は都合のつく人が少なくて、5人でチラシまきをし、その後2人で定例会を傍聴しました。

21日は、チラシまきの人数が少なかったからでしょう、定例会会場となる30階に行くと、警備の人数は数人でした。本当は警備の必要など、ありません。。

K教育政策課長が、前回の質問に回答をすると言って私のところに来ました。

上記についての回答は
①「瀬古委員は委員会前に委員長に欠席連絡を入れている。竹花委員は遅れてきた。非公開会には出席していた」「担当職員は『遅れるかもしれない』と言った」
②「委員長は月額528000円、委員は月額432000円が支給される。欠席しても支給される」

① の回答については矛盾点をただそうとし、また、文書回答を再度要求したのですが、K課長は立ち去ってしまいました。

全く、都民を閉ざした教育委員会です。

それから、21日の定例会の報告は、③東京の子どもたちの規範意識がよくないことを、アンケート調査から導き出し、それを踏まえて今後の取り組み予定を報告。保護者の問題もあるので、保護者向け教材解説書の作成・配布もするのだと言います。子どもたちが学校にいる時間帯に教員が子どもと触れ合う時間を奪いに奪っている都教委が、何を言うか。また、生活費捻出のために子どもを放置せざるを得ない家庭がたくさんあることの解決を図らずに、精神論の押しつけをするなよ、と腹が煮えくり返る思いで聞きました。

もう一つの報告は④、中学校教科書選定の答申内容についてでした。資料として配られ、説明のあったのは、例えば社会(地理敵分野)、社会(歴史敵分野)については双方とも、「北方領土」「竹島」に関する記述についてのみ。都教委の意図するところがあまりに露骨に出ていました。

次回の定例会は7月12日。また、火曜日だそうです(本来は第2、第4木曜日)。


今朝23日は、昨日都庁前で撒いたと同じチラシを持って、あきる野学園の校門前に行きました。

今年度支援センター(都教委)から異動してきたK副校長は、ほとんど毎回私に言いがかりのようなことを言っていきます。

今朝も、私の前にぬっと立ち、「敷地内に入らないでくださいね」と言いました。

根津が「入ってないですよね。入りましたか?」と確認を求めると、K副校長、頷くようにかすかに頭を動かし、再び、「敷地内に入らないでください」と言って、校舎に向かっていきました。

人柄があらわれるものだと思います。



2011/06/21

6.21都庁情宣

6.21都庁情宣のちらしです。
2ページ目の新聞記事が欠落していることをご容赦願います。

f20110621へのリンク


都教委定例会は「原子力村」ならぬ「都教委村」

前号に引き続き、都教育委員会定例会の様子をお知らせします。

■傍聴を歓迎しない都教委の対応
 6月9日の教育委員会定例会を傍聴するために、第二庁舎30階でエレベーターを降りると、そこには名札を外した教育庁職員と警備員十数名(以上)が威嚇するように立ち並んでいました。傍聴者に対して何を警戒しているのか、職員の本来の仕事はどうなっているのか、一体、どの部署がこれを決め指揮しているのか、それに対し、意見する職員はいないのか、税金の無駄遣いではないか、非常に疑問でした。この日の傍聴者は、全部で3人でした。
 定刻になっても会場には案内されず、女性職員が「交通事情により、もうしばらくお待ちください」と小さな声で告げました。突然の一言でしたし、説明不足でもあったので、説明を求めたところ、それには一切返事をしません。
数分して会場に入るように指示され、見渡しましたが、瀬古委員と竹花委員の姿はありません。到頭、最後まで2人の姿はありませんでした。5人中3人の出席で進行させてしまうのもいかがなものかとも思いましたが、月に2回だけの定例会に「交通事情」で出席しないのは、あまりに公務を軽んじていると思ったので、開始前に「交通事情」と言った女性職員に質問をしたところ、その職員は、返事はしない、訊いている者に目を合わせないという態度を取り続けたので、傍聴者は2人の委員が欠席したこと、及び、そのことと「交通事情」との関係について知ることができませんでした。そこで、都民からの質問や要請に対応することが仕事の一つになっている教育情報課の課長に質問メモを添えて回答を求めてきました(回答は次号でご報告します)。

  1. 「交通事情により」到着が遅れているとの説明があったはずだが、事実は何か。
  2. 欠席した時の報酬は支給されるか否か。

議題以前のところで、これが“都民に開かれた教育委員会”の実態です。国民、都民を顧みない「原子力村」ならぬ「都教委村」か、と思わされました。

■この日の報告事項は
 1点目は、子どもたちの「言語力の低下」を防ぎ、「思考力・判断力・表現力等を育成し、生きる力を育むため」に、「言語力推進事業」を始めるとの報告でした。このことばはきれいです。しかし、現実に都教委がしていることは、これと全く逆なこと。「日の丸・君が代」の強制を通して、子どもたちが思考力・判断力・表現力を身につけない=考えずに指示に従う教育を推進しているのですから。なんという矛盾でしょう!
 都教委が真に思考力・判断力・表現力の育成を目指すというならば、子どもたちが実際の場面で思考、判断・表現できるようにすべきです。「日の丸・君が代」をその例外にしてはなりません。子どもたちに考え判断する資料を提供しようと、教員が「日の丸・君が代」の歴史や意味を教え、「内心の自由」について説明することを事実上禁止し、また、注意処分をすることを、まず止めるべきです。
 推進校に全都で65校を指定した(3年間)とのことですが、その学校の教員たちは、ただでさえ忙しいのに、どれほどの超過勤務を強いられるのか。また、余裕のなくなった学校での被害は、教員だけでなく、子どもたちに及ぶでしょう。
 報告の2点目、3点目は、「インターネット・携帯電話利用に関する実態調査報告書について」「インターネット等の適正な利用に関する指導事例集及び・・・活用の手引きについて」。たわいもない内容、もっとやるべきことがあるでしょうに。

 

この40年、数々の原発訴訟において、原告らの差し止め等の請求を棄却し、原発推進を容認してきた最高裁判所が、「君が代」訴訟でも原告敗訴の判決を出している。しかし、全裁判官の一致した判断ではない。2裁判官(うち1人は裁判長)は、「内心の核心部分を侵害しうる」ことを指摘。教員がそうであるならば、子どもにもその可能性があるはずだ。



累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第41号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 12) 
自由は見えないけれど・・・

  自由は見えないけれど、“不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組”は見えるものです。私たち不起立・不斉唱・不伴奏者は、ならわし・しきたり(慣例)を 解さないヤボな人間でしょうか。いいえ、強制に抗して一人でも何とか決起し自由の歌声をあげる者です。私たち不起立・不斉唱・不伴奏者は、たちい・ふるま い(所作)ができないダサイ人間でしょうか。いいえ、権力の意向に“棹をささない”ささやかな誇りをもつ者です。
 私たちは、強制(一律起立・斉 唱)、抵抗、処分、弾圧(再防研修・強制異動・差別)の実態を児童・生徒・世間に分かるように示さなければなりません。自由とその置かれている情況を語ら なければなりません。21世紀現代東京公立学校の教職員・児童・生徒はいかなる思想良心、信仰をもっているかにかかわらず、直接に侵害されたのは教授の自 由であり、間接に制約されたのは学習の自由です。原発事故によって、今日、空気や水や土さえもタダではないことを知らされました。そう、自由もタダではな く、代償が必要です。
 都教委は“強制などしていない”と白を切り、最高裁は私たちを思いこみの激しい“ドンキホーテ型”に仕立て上げたのです。かくして、草の根の呻吟は、今や巨大な流れの中で闇から闇に葬られようとしています。
 流れといえば、梅雨に菖蒲、菖蒲の花の流れは霧雨にも輝いてどこまでも続いていました。一つ一つの菖蒲は花も葉もそれこそ世界に一つだけでした。そして、真っ白い菖蒲の花は、優雅に肩の力を抜いていました。

報道
* 入学式や卒業式で君が代斉唱の際に起立しなかったとして、広島県教育委員会から戒告処分を受けた県内の高校教諭ら42人が、学校側の起立斉唱命令は憲法違 反として県教委に処分の取り消しを 求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は、 判決を21日に言い渡すことを決めた。
*板橋高校卒業式裁判で、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は、口頭弁論を開かないまま、判決期日を7月7日(水)午後3時に指定してきました。

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2011/06/19

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第40号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 11) 
場外、校外、国外への追放に反対する

 橋下大阪府知事はジャカルタで言う。「日本には国歌を起立して歌わない先生がいる。クビにしようと考えているが、日本で大変な問題になっている。」
 上田埼玉県知事は記者会見で言う。「自分たちの国歌や国旗を愛せないような教師だったら、日本国の教師にならずに中国かどこかの教師になればいい。」
 いよいよ始まった「日の丸・君が代」強制のドミノ。二人の知事の排除の論理は、抵抗する教職員を児童・生徒から引き離すことをねらっている。そして、教授の自由も学習の自由も根こそぎ否定し、最終的には教職員の身分を奪うものである。

場外退避は思想・良心の自由を守れるか

  儀式が行われている間、場外に出て「不起立不斉唱行為を回避させる」(第一小法廷・宮川「反対意見」)という。これは有効か。これも結局、児童・生徒から 教職員を引き離し「直接の人格的接触」をさせないことである。何のメッセージも送れないことになってしまう。仮に処分を免れたとしてもそれで思想・良心の 自由が保持されるのか。学校教育の儀式における強制に対しては、教育の自由を追求することを通してしか思想・良心の自由も保持できないと思う。
  また、宮川「反対意見」は、「不起立不斉唱行為が上告人の思想及び良心の核心と少なくとも直接に関連する真摯なものであるかについて・・審査が行われる必 要がある。」(判決文P15)としている。「不起立不斉唱行為」を決意実行した「思想及び良心の核心」はそれぞれの行為者によって異なる。「反戦思想」で あったり、「国民主権」であったり。共通するのは職務との関係であり、宮川裁判官が言う「真摯性に関する審査」をするならば、職務遂行=教育実践の視点か ら行われなければならない。
 教職員を学校現場から排除し場外、校外、国外へ追いやることは究極の排外主義である。その出発が、教育の自由への乱暴な破壊である。学校現場からの逃亡にも、排除にも反対する。
 (報道によると、板橋高校卒業式藤田事件の最高裁判決が7/7に予定されている。)

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2011/06/16

最高裁判決と大阪府条例について(6、最終)

渡部です。

昨日(6月14日)最高裁で、「君が代」不起立裁判3例目の棄却判決がでた。判決の内容はこれまでの2例とほぼ同じ。

5人中1人(田原睦夫裁判官)が反対意見を述べた。それは、「起立行為」と「斉唱行為」を分けるべき、というものだが、それでも「起立行為」は「儀礼的な所作としての性質があり、その命令が直ちに教諭らの歴史観、世界観を否定するものではない」としている。

また、「式典の秩序が完全に保持されなくても、大きく乱されない限り、通常は校務運営に支障を来たすとは言えない」とのべ、やはり「秩序の保持」が優先されているのである。

今回の判決により、最高裁の15人いる裁判官のうち小法廷の審理に原則として加わらない竹崎博允長官を除く14人の意件が出そろった。2人が反対意見を述べたが、共通した判決内容は、「職務命令」は、「思想良心の自由の間接的な制約」となるが、それは教育上の行事にふさわしい秩序を確保する目的を踏まえれば「制約には必要性、合理性がある」というものである。

結局最高裁は、「職務命令」は思想良心の自由の侵害に当たらないどころか、「必要性、合理性」があるとしたのである。

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ところで、今回の最高裁判決と大阪府条例について、まとめるならば、次のように言えるだろう。

  1. 国民主権に真っ向から反する天皇制賛美の「君が代」を、その意味も問わないまま、単に「国歌」=シンボルとし、他国の国歌と同列に扱い、
  2. 度重なる「学習指導要領」の改悪により学校現場に強制してきた「日の丸・君が代」を、あたかも自然に「慣例上の儀礼的所作」になったかのように扱い、
  3. いずれも強行採決で決められた「国旗・国歌」法、「改悪教育基本法」、それらに基づく「学習指導要領」をテコに、
  4. 最高裁では、「職務命令」は、「思想良心の自由の間接的制約」はあるが、「秩序の確保」のためには「必要性、合理性」があるとし、
  5. 大阪府条例に至っては、「起立斉唱」を「条例」で義務付けるまでに至ったのである。

したがって、この一連の動きは、その中身から言えば、明らかに「国民主権」の否定であり、「天皇制」の復活につながるものであるといえるだろう。最高裁長官が天皇から任命されている写真が新しい検定教科書に載っていたり、大阪府条例案を出したのが「維新の会」であったのは決して偶然ではない。

そして、「君が代」(天皇主権の歌)起立斉唱の前では「思想良心の自由」の制約は、「秩序の確保」(治安維持?)のためには「必要性、合理性」があるというのである。

最高裁自らこのような判決を出したことは、『日本国憲法』で定められた「国民主権」「基本的人権の尊重」の明白な空文化であり、「戦争の放棄」の空文化とあわせるならば、戦後66年を経ての『日本国憲法』の空文化と言うこともできる。

このような動きを許しておけば、次には憲法改悪がやってくるだろう。

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【原発学習会】
(都教委包囲首都圏ネットワーク主催)

<日 時>2011年6月16日(木) 18:30~21:00
<場 所> あんさんぶる荻窪 4F環境学習室
 電話 03-3398-3191
 JR/地下鉄丸の内線: <荻窪駅>下車徒歩3分
<テーマ> 原発事故と教育(教科書)
<講 演> 講師:たんぽぽ舎講師団 
      原田裕史さん(原発の理論家、会社員)
<質疑・討論>(約1時間の講演後)
<参加費> 無料



累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第39号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 10) 
最高裁 三度不当判決(第三小法廷、職務命令は合憲)

  本日(6/14)、戒告処分取消を求めて上告していた都教組八王子支部関係3人に対して、最高裁第三小法廷は、職務命令が憲法19条思想良心の自由の侵害 にはあたらない、「間接的な制約」についても「秩序確保」「円滑進行」のためには許容されるとした。26条などの教育の自由の点については一顧だにしな かった。
 これで、3つの小法廷全てが、「10・23通達」下の職務命令は19条に違反しないという判決を出したことになる。しかも「間接的な制約も許容される」として、ピアノ判決(2007)とは異なり全教職員対象(一律起立・斉唱)を意識した判決を確定した。
  教育の自由(23・26条)、不当な支配の禁止の鍵をこじ開けなければならない。そのキーポイントは“不起立・不斉唱・不伴奏の教育的意味”である。最高 裁多数は<思想・良心から起立・斉唱できなかった>を退けたが、「間接的な制約」の前提である「敬意の表明の要素」に対する「敬意の表明の拒否」の存在を 認めた。この「拒否」には児童・生徒に対する教育的意味も含まれていると思う。
 また、「学校の卒業式のような式典において一律に行動を強制され るべきではないという信条」(第二小法廷判決)や「公的機関が一定の価値観を強制することは許されないとの信条」(第三小法廷・田原「反対意見」)のよう な「信条との関係における制約」は、本来教育の自由の側面から検討されるべきものである。特別活動の儀式的行事という教育課程の中で強制が行われたのであ る。それによって教授の自由と学習の自由が圧迫、侵害されたことは明らかであろう。追及の余地はある。

一・二審で陣地を獲得することの重要性

  最高裁は、“思想・良心の自由の枠”をがっちり守って「慣例上の儀礼的な所作により直接的な侵害なし」「間接の制約も容認される」とした。教育の自由につ いては「上告申し立て」を受け付けていない。憲法19条・20条について主張を続けることはもちろん重要。しかし、当面特に力点を置かなければならないの は、23条・26条、不当な支配の禁止である。それは一律起立・斉唱の強制下で児童・生徒にどう向きあうかを明確に主張することである。
 3・ 10高裁判決は「10・23通達」による職務命令が思想・良心の自由を侵害しないとしながらも「正しい教育をしたいという思い」「真摯な動機」「やむにや まれぬ行為」をすくい上げ処分を取り消した。注目すべきは、この高裁判決のポイント部分である原告の教育に関わる主張は地裁中西判決が確定していたところ であり、大橋判決でも引用されている。つまりは積み上げである。いかに否定的な要素があろうとも一つ一つ真実を述べていくことである。地裁・高裁での前進 によって最高裁も、最低限教育の自リンク由について取り上げざるをえないところにもっていきたい。その可能性はまだ残されていると思う。当面、地裁での前進のために全力をあげたい。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011/06/10

「都教委村通信」、誕生?

渡部です。

本日(6月9日)早朝、「君が代」解雇を許さない会で、都庁前ビラまきが行われました。

ビラまき終了後、都教委「定例会」の傍聴に行きました。

「定例会」傍聴直前、都教委の職員が、「委員が交通事情で遅れていますので今しばらく待って下さい」と言ってきました。「誰が遅れているのか」、「何時頃始められるのか」と聞いても、何も答えません。

やがて傍聴者3人(私と根津さんと、もう一人いつも来る女性)が委員会が開かれる会議室に通されました。

委員席の前には都教委の関係職員が30人くらい座っていますが、委員席には5人いるはずの委員のうち<木村孟委員長>と<内舘牧子委員>しかいません。<高坂節三委員><竹花豊委員><瀬古利彦委員>はいません。つまり、5人の委員のうち3名が欠席なのです。

それなのに委員会が始められようとしたので、「これで委員会を開いていいのか?」と声を上げると、隣に座った都教委の職員が「静かにして下さい」と言う。

それで、彼に何度か、「本当にこんなんでいいのか」「これで委員会が成立しているのか」と小声で話しかけると、その度に「静かにして下さい」と言うばかりです。

会議では、「報告事項」として

  • 言語能力向上推進事業について
  • インターネット・携帯電話利用に関する実態調査報告
  • インターネット等の適正な利用に関する指導事例集及びインターネット等の適正な利用に関する活用の手引き

が報告され、たわいもない質問が<内舘委員>と<木村委員長>から出されただけでした。(その後秘密会に。そこでは教員の懲戒処分などが議題でした)

傍聴終了後、私たち2人は「委員も2人しかいなくて会議は成立しているのか」「交通事情とは何だったのか」などのことを問いただそうとすると、都教委の職員に会議室から追い出されました。

廊下に出てからも警備していた職員たちに「会議は成立していたのか」と聞いても無表情に、「成立していた」、としか答えません。まるで、「原発村」にでも来たかのようでした。

根津さんが、会議中から教育情報課あての<質問書>を書いていましたので、教育情報課の人を出してもらうように言うと、しばらくしてI課長が出てきました。

根津さんが、他の職員たちもいる中で、

  • 「本日の教育委員会は成立していたのか」
  • 「高坂委員はこの間一度も出席していないではないか」
  • 「休んだ日の報酬は支払われつるのか」
  • 「本日、交通事情で遅れているといって待たされたが、終了後それをもう一度問いただすと答えない。どういうことか。」

と問い質すと、次のような答えが返ってきました。

「本日会議は成立していた。それは3月に高坂委員が辞任し、委員は4人となり、1名は空席となった。だから出席すべき人数は6人から5人となった。うち委員2人と大原教育長が出席したので、5人中3人が出席しているから成立している」、と言うのです。

そこで、私たちは、「ならば最初からそう説明すればいいじゃないか」「そんなことも言っちゃいけいのか」「ここは都教委村か」などと述べ、根津さんはその場で質問項目を
①休んだ教育委員の報酬は支払われるのか。②交通事情とは何だったのか。の二つに絞り、I課長に手渡しました。

私たち2人は、「今度からビラは、『都庁前通信』ではなく、『都教委村通信』にした方がいいかな」というような話をしながら都庁を後にしました。



2011/06/09

6.9都庁情宣

6.9都庁情宣のちらしです。

f20110609のダウンロード

最高裁判決と大阪府条例について(5)

渡部です。

「君が代」起立強制に関する反論の第三です。「秩序の確保」と「名前公表」の危険性について書きます。

その前にもう一度整理しますと、

最高裁判決で【職務命令】は、

  1. 「慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするもの」であって、、
  2. 「高等学校教育の目的や卒業式等の儀式的行為の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿」っており、
  3. 「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」を踏まえ、
  4. 「生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図る」ためだから、

「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの・・・・・制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである」ので、

【思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえない】と述べられています。

そのうち特に④に出てくる「秩序の確保」は大きな問題です。

まず、この「秩序」とは前回明らかにしたように、決して「自然の秩序」というようなものではなく、戦後一貫して政府・文部省が上から強制して作り上げてきた「国民主権に反する秩序」であるということです。また、「思想良心の自由を奪う秩序」でもあり、「かつての侵略戦争への反省のない秩序」でもあります。

このような「秩序」が「確保」されてはたまりません。

だから、そうした「秩序」づくりの危険を感知した教員は、そうした「秩序」が「確保」されないよう批判・反対をします。中には不起立をする教員も出てきます。なぜなら、そうしなければ、日本社会は、かつての「天皇主権」の社会にもどり、「思想・良心の自由」は制限され、(「間接的な制約」も制限に違いありません)教員は「国策」に従い「侵略戦争に教え子を戦場に送る」ようなことになっていくからです。

教員がそうした行為をすることは「国民主権」を守るためにも、「思想・良心の自由」を守るためにも、「教え子を再び戦場に送らない」ためにも、当然の権利であり、「国民」に対する義務でもあります。

しかし、最高裁判決はそうした教員の正当な行為を認めず、「職務命令」(と処分)は「秩序の確保」のために当然としたのです。

このような「秩序の確保」については、大阪の橋下知事に至っては、さらにその先を行っています。

彼は数をたよりに何でもできると言わんばかりに

  •  不起立は「府民への挑戦」、
  •  「公務員に(不起立の)自由なんてない」、
  •  「3アウト制くらいにして、3回違反すれば  免職とするルールにすれば良い」などと言って、

その教員の<名前も公表する>とまで言っています。

しかし、もし名前が公表されるようなことになれば、どういうことが起きて来るか。それは少し考えれば誰でも分ることです。その教員は教育現場から追放されるだけにとどまらず、一気に「非国民」扱いにされることになるでしょう。「白色テロ」ということさえも考えられます。

これはまさいに戦前にあったことです。ファシズム社会の再来です。「茶色の朝」ならぬ「暗黒の昼」の到来、と言っても過言ではないでしょう。

こうした動きに対してどうするかについては、昨日私の意見を書きましたが、一つ付け加えておきます。それは特に<若者たちに知らせることの重要性>です。

いろんな手段があると思いますが、その一つとして、ツイッターで若者向けに、<「ジョニーH」をインターネット上で探せ>というのを、どなたか発信して頂けないでしょうか。
(意味がわからない方はインターネットで「ジョニーH」を検索してみて下さい)

2011/06/08

最高裁判決と大阪府条例について(4)

渡部です。

「君が代」起立強制に関する反論の第二です。

<「学習指導要領」と「慣例上の儀礼的所作」>という論拠についてです。

少し回り道になりますが、歴史的に見てみたいと思います。

江戸時代、「神君」と言えば家康でした。天皇は、『禁中並公家諸法度』により、「天子御芸能の事。第一御学問也。」とされていました。そして江戸時代の支配的思想は、家康以来儒教であり、とりわけ朱子学(中国宋代に確立した儒教で宋儒とも呼ばれる。「四書五経」を聖典とする)でした。

しかし、明治維新(1868年)により天皇制が復活し、天皇主権確立の動きが進みました。
 ・1880年(明13)、天皇制を賛美する「君が代」が完成。
 ・1889年(明22)、『大日本帝国憲法』が発布。
   第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之を統治ス
   第二条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 ・1890年(明23) 「教育勅語」発布。学校への「御真影」配布開始。
 ・1891年(明24) 文部省、「小学校祝日大祭日儀式規程」定める。

その後、【学校教育】を通して、「君が代」の定着、天皇の神格化が進むことになります。

とくに、日清・日露戦争などを通して「君が代」は国歌のような扱いを受けるようになり、1931年(昭6)の満州事変の頃には、すでに日本国民の多くが、まさに「慣例上の儀礼的所作」として、あるいは「社会常識」「一般的なルール」として、「国歌」斉唱を受け止めていたと言えるでしょう。

「小学校祝日大祭日儀式規程」が定められて以来、それまでわずか40年です。

戦後、1947年(昭22)『日本国憲法』が発布され、「国民主権」が謳われるようになりました。

しかし、文部(科学)省は、「学習指導要領」をテコに、戦後一貫して「君が代」を学校現場に強いる政策を取ってきました。
 ・1950年(昭26)朝鮮戦争開始
    「祝日」に「日の丸」「君が代」をすすめる通達。
 ・1958年、小中学校学習指導要領改定
    「国民の祝日などにおいて・・国旗を掲揚し、
    君が代をせい唱させることが望ましい」と記す。
 ・1977年、「君が代」が「国歌」と記されるようになる。
        (法律で決まってもいないのに)
 ・1989年、「国民の祝日」に代わり「入学式や卒業式」とされ、
     「国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする」に。
       (つまり、卒・入学式での「国旗・国歌」の義務付け)

 (1995年、日教組中央はパートナー路線に転換、
  「日の丸・君が代」「学習指導要領」など五項目の
  反対闘争の旗を下ろす)

 ・1999年、「国旗・国歌法」の強行採決。
 ・2003年、都教委「10・23通達」。
 ・2006年、<愛国心>を盛り込んだ『改悪教育基本法』強行採決。
        翌年「学校教育法」も改悪。
        「学習指導要領」では<愛国心>と結びつけ
        「君が代」指導の強化。
 ・2011年、最高裁「君が代」起立命令合憲判決。
       大阪府「君が代」起立斉唱条例可決。

1950年から2011年までは、すでに61年も経っています。特に「国歌斉唱」の強制が強まった1990年前後からでも、およそ20年が経過しています。

この間、戦前同様、【学校教育】を通して、(またその他の様々な場面を利用して)、「君が代」斉唱の「慣例上の儀礼的所作」は、強制的にあるいは巧妙に作り上げられてきたのです。

したがって、「君が代」起立斉唱をあたかも昔から自然にできていた「慣例上の儀礼的所作」かのごとく述べ、国民に「君が代」を強制してくるとは、まさに「○人猛々しい」論理だと言わざるを得ません。これは悪質な「デマゴギー」に他なりません。

このような流れを見れば、「君が代」強制は行き着くところ、改憲論者たちが述べているように、「国民主権」を否定し、「天皇の元首化」=「天皇主権」に道を開いていくでしょう。明治憲法第三条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ・・・」と述べてあります。まさに「<維新>の会」のやりそうなことです。

2006年「改悪教育基本法」が成立し、その下で「学校教育法」や「学習指導要領」が改悪され、それらは今や、お上が人々に対して、「日の丸・君が代」「愛国心」を上から強制するための強力な(反人民的な)法律体系になってしまっているのです。(「学習指導要領」は法律ではありませんが、実質的にそのような扱いをしてきています)

だから、大阪府の条例にも
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第一条 この条例は、国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)、教育基本法(平成18年法律第120号)及び学習指導要領の趣旨を踏まえ、府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと並びに府立学校及び府内の市町村立学校における含む規律の厳格化を図ることを目的とする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と述べられるに至っています。

これは、最高裁判決と同じ法的論理構造です。

これと対決するためには、私たちはやはり、
多くの人々に、「君が代」の歌詞の意味を丁寧に知らせ、

  • 「君が代」は決して単なる「国歌」、シンボルではない歌です、
  • 「君が代」は「国民主権」を否定する歌です、
  • 「君が代」は「天皇主権」の歌です、、
  • だから「君が代」は外国の国歌と同列には置けない歌です、

と言うことを明らかにし、

  • なぜ、私たちが「君が代」を強制させられなければならないのでしょうか、
  • 「君が代」強制は「国民主権」の侵害ではないでしょうか、

というような世論を大きく作っていく必要があるのではないでしょうか。

次回は、「氏名公表」の持つ危険性などについて述べます。



2011/06/07

2011年度させない会総会案内

河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
2011年度総会のご案内

昨春の河原井さんに続き今春根津さんも無事定年退職を迎えることができました。
これも皆さんのご支援のおかげと心から感謝しております。
私たちの会もここで一区切り、新たな闘いをと考えていた矢先、最高裁では「君が代起立命令合憲」の判決が出されるし、大阪では「君が代起立条例」が府議会で可決されるなど事態はとんでもない方向に動いています。
そんな「現実」の渦中のお話を伺い、させない会のこれまでの闘いをふり返り、私たちはこれからどうしていくのか考えていく場にしたいと思っています。
是非ご参加下さい。

日時 6月25日(土)1時半

場所 八王子労政会館第4会議室
   住所 八王子市3-5-1 TEL 042-645-7451
   交通 京王八王子より徒歩5分 JR八王子北口より徒歩10分

資料代 500円

日程
1:30 開会
1:35 特別報告 
・今春の処分を受けて 田中聡史さん(都立学校教員)
・大阪「日の君」の闘いの今 辻谷博子さん(府立学校教員)
2:00 経過報告と今後の会の方向性提案
2:15 裁判の現状報告
2:20 会計報告と予算案提案とカンパのお願い
2:35 討論(これまでの闘いをもとに今後の会のあり方を参加者みんなで考えていきます。)
4:00 まとめ(今後の会の名称・方向性などの確認)



累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第38号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 9) 

思想・良心の自由(憲法19条)の枠を突破しよう
~最高裁5/30第二小法廷・6/6第一小法廷 不当判決批判~

両小法廷、職務命令合憲判断

  どうやら見えてきた。最高裁は、少なくとも各小法廷において「日の丸・君が代」訴訟を思想・良心の自由問題の枠に押し込め「10・23通達」下の職務命令 は憲法19条違反にならないという多数意見判決を出すようだ。上図に示したように、両判決とも職務命令による起立斉唱行為は「一般的、客観的に見て」「慣 例上の儀礼的な所作」であり「直ちに制約する」(直接の侵害)ものではない。「間接的な制約」は認められるが、外部行為(不起立・不斉唱)の制限は「秩序 を確保」し「円滑な進行」ためには間接的な制約を許容し得る程度である。なお、第二小法廷は「信条の制約」も「間接的な制約の有無に包摂される」として許 容されるとする。全く不当な判決である。

教育の自由、判断せず

  ただ根本的な問題は、上図にもあるように中枠の左右を分離し、右枠の「儀式」の場面での思想・良心の自由問題だけを検討対象としていることである。卒業 式・入学式・周年行事などは授業をはじめとする教科指導、生活指導と一体のものである。まして、「日の丸・君が代」という厳しい対立をはらんだ問題、児 童・生徒・教職員の全人格の成長・形成をかけた学習の自由、教授の自由の課題が突出するのが「儀式的行事」である。判決も「儀式的行事」を「生徒等への配 慮を含め、教育上の行事にふさわしい」ものとする必要を述べながら、この場面での「直接の人格的接触を通じて個性ある成長をはかる」ことを忘れ、ひたすら 全体の「秩序」「円滑」を主張するのみ。壮大な誤認が生じている。19条では包摂できないのである。

金築「補足意見」

  第一小法廷判決では金築「補足意見」と宮川「反対意見」が提示された。前者は「本人の主観的判断」とか「教職員であって、・・職務命令に従って学校行事を 含む教育活動に従事する義務を負っている者」として、不当にも、強制を容認し職務命令の合憲性を述べている。一方で「児童・生徒に対し・・起立斉唱行為を 強制」したり「教育環境の悪化を招くなどした場合」への警告を示しているが、事実上それが現実であることの認識はない。

宮川「反対意見」とその限界

  後者「反対意見」は明快だ。起立斉唱の強制が「少数者の思想・良心の核心に対する侵害」「魂というべき教育上の信念を否定することになる」として「10・ 23通達」が「信念を有する教職員を念頭に置き・・不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制する」、職務命令が「信念に対し否定的評価をしてい る」として諸事情の検討も含め原審に差し戻すことを主張している。少数者を狙い撃ちにするようなことは許されないという全く当然の見解である。
  ところが上図にもあるように、宮川裁判官は「式典」を「生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面」としている。そのため、「不起立不斉唱行為が上告 人らの思想及び良心の核心と少なくとも密接に関連する真摯なもの」であることは「おおむね疑問はない」としながら、その教育実践的意味、不起立不斉唱行為 が生徒に与える積極的な意義については思い及ばない。不起立不斉唱を実行した教員に対し、生徒が“やっぱり先生は私達に言ってきたことを貫いたんだね”と 評価したり、保護者から励まされることは教育的社会的意味をなさないだろうか。逆に心ならずも強制に従った時の教育的良心へのダメージは計り知れない。宮 川「反対意見」は具体的に「受付を担当させる等、会場の外における役割を与え、不起立不斉唱行為を回避させること」を提示している。確かに形式的にはその 教員に対する直接の思想・良心の侵害を回避し処分を免れるかもしれないが、会場内では、粛々と強制が貫徹進行するのである。このような措置は、教員を生徒 との「直接の人格的接触」の場から引き離し、排除することにもつながるのである。「式典」「ピアノ伴奏」もまた全体として児童・生徒への直接指導の場面で ある。
 第一小法廷は、教育の自由(23・26条)については取り上げない判断を下したという。しかし、「日の丸・君が代」強制問題を全面的に検 討し、憲法判断を勝ち取るにはこの点は抜かせない。私たちはプライベイトタイムにサッカー場で強制されたのではなく、教育公務員のまま職務専念義務が科さ れている校務遂行中にその校務の内容において強制されたのである。どんなに狭められた教授の自由でも、児童・生徒に正対した時その自由を発揮しなければな らないと思う。私は“不起立・不斉唱を生徒に見せる”意味を裁判官に伝えたい。自由に考え行動すべし。自由はタダではないけれど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

結審、迫る

前回口頭弁論(校長と近藤の証人尋問)の速記録が届いた。いくつか補足すべきところはあるが、基本的には主張を展開できているようだ。結審に向けて最終準備書面の作成に入りたい。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述




最高裁判決と大阪府条例について(3)

渡部です。

本日(6月6日)、最高裁判所で嘱託不採用裁判の判決が出されました。5月30日の判決同様の理由で棄却でした。

ただ、5人の裁判官のうち、宮川光治氏裁判官が「反対意見」を書いています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「少数ではあっても、そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみることができる」、

「本件各職務命令は、直接には、上告人らに対し前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を持つことを禁止したり、これに反対する思想等を持つことを強制したりするものではないので、一見明白に憲法19条に違反するとはいえない。しかしながら、上告人らの不起立不斉唱という外部的行動は上告人たの思想及び良心の核心の表出であるか、少なくともこれと密接に関連している可能性があるので、これを許容せず上告人らに起立斉唱行為を命ずる本件各職務命令は憲法審査の対象となる」

「本件通達は、式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく、前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き、その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に、不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができるを思われる」

「本件各職務命令の合憲性の判断に当たっては、本件通達やこれに基づく本件各職務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠である」

「厳格な基準により、・・・具体的に、目的・手段・目的と手段との関係をそれぞれ審査することとなる」

「その上で、本件各職務命令がそれを避けるために必要不可欠であるか、より制限的でない他の選び得る手段が存在するか(受付を担当させる等、会場の外における役割を与え、不起立斉唱行為を回避させることができないか)を検討することとなろう。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

したがって、「原判決を破棄」し、「原審に差し戻すことを相当とする」と述べています。しかし少数意見でした。

一方、金築誠志裁判官が判決の「補足意見」を次のように書いていました。

「本件各職務命令が、上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有すること、しかし、起立斉唱行為の性質、本件各職務命令の目的、内容、制約の態様等を総合的に較量すれば、その制約を許容し得る程度の必要性、合理性が認められることは、多数意見の判示するとおりである。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本来なら本日ここで、昨日の続き
<「学習指導要領」と「慣例上の儀礼的所作」>
について、を書く予定でしたが、
長くなりますので明日に延期します。
あしからず。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日「都教委包囲首都圏ネットワークでは、『最高裁判決糾弾・大阪府条例反対7・24集会(仮)』を開くことを決定しました。

<日時> 2011年7月24日(日) 13:30~16:30
     集会終了後デモ

<場所> 文京区区民センター

<内容>

  • 最高裁判決の解説
  • 大阪府条例反対闘争の報告
  • 東京における不起立闘争の報告
  • 福島原発事故現地からのアピール
  • その他

<資料代> 500円

改めてビラでもお知らせします。 



2011/06/06

最高裁判決と大阪府条例について(2)

渡部です。

昨日のメールの続きです。「君が代」起立斉唱は当然、何度も反する教員はクビにしても当然、という論理に対する反論です。

まず第一に問題とすべきは、「現在の日本社会では誰が主権者か」という問題です。

「君が代」は明治初期に作られた天皇制を賛美する歌であり、明らかに「天皇主権」の歌です。それは歌詞を見れば一目瞭然です。その歌を「国民主権」の日本社会において人々に強制し、起立し歌わなければ処分するなどということは、たとえ教員に対してであっても、あってはならないことです。

だから、そのことを知っていた当時の政府は繰り返し「強制はしない」と述べ、天皇も「強制は良くない」と述べているのです。また、菅首相も「日の丸・君が代」法制化当時、『天皇主権時代の国歌が、何らかのけじめがないまま、象徴天皇時代の国歌になるのは、国民主権の立場から明確に反対した方がいい』と述べていたのです。

問題は、「君が代」の果たした歴史的役割ではなく、「君が代」が現在果たしつつある役割なのです。

これに対する裁判所の判決は、昨年11月10日に東京高裁で出されたNさんへの判決だけだと思います。

Nさんは「陳述書」で、「君が代」の違憲性を問いました。

それに対して東京高裁は

①「国旗・国歌法」は旗や歌詞の意味内容について特定されているわけではない」
②「国民に対して・・・法律的尊重義務を課してたり、これに違反したりした場合に不利益を課するなどといったことは一切規定していない」

とし、(ここから先がさらに詭弁になりますが)、

③「国旗及び国歌に関する法律の存在が、直ちに、思想及び良心の自由の侵害、信教の自由の侵害、表現の自由の侵害と結びつくことはない」
④「法律自体極めて抽象的であって具体性がなく、裁判規範性としての意味を持たないものであるから、同法が憲法に違反するか否かという司法判断にはなじまないものと言わざるを得ない。」

と司法判断を回避しているのです。

しかし、「君が代」の「君」は天皇であると言うことは政府も法律制定時に答えています。にもかかわらず、裁判所は「特定されていない」と誤魔化しているのです。つまり、裁判所は「君が代」の<意味内容>が明らかにされると「まずい!」と考えているのです。

また、実際に「君が代」によって、「尊重義務」や「不利益」が生じているから問題にしているにもかかわらず、「法律の存在が、直ちに・・・自由の侵害と結びつくことはない」などと訳の分らないことを言っています。しかしNさんは、「法律の存在」を問題にしているのではなく、「法律」そのものの違憲性を問題にしているのです。

要するに、「君が代」の意味内容が問題になっては、強制と処分に道理がないことが白日の下に晒されるので、大変困るということです。だから、いろいろな詭弁・強弁を使い、判断を回避しているのです。

それゆえ、最高裁も橋下知事も決して「君が代」を問題にしようとはせず、単なる「国歌」(あるいはシンボル=象徴)としてその本質を覆い隠そうとしているのです。

したがって、「君が代の強制」を問題にするのではなく、「シンボルの強制」を問題にするというのは、問題の本質を見失わせることになります。

問題は「国民主権」の現在の日本社会で「天皇主権」の「君が代」が強制されているということです。これは「強制」より前に「主権」の問題です。

だから、何人かの教員が「強制」されなければよい、何人かの教員の「思想・良心の自由」が守られればよい、という問題ではありません。

ちなみに、現在問題になっている「育鵬社」と「自由社」の教科書では、架空の神武天皇を初代天皇と記述し、明治憲法を賛美し、昭和天皇もコラムで大きく取り上げるという扱いです。「育鵬社」の教科書に至っては、皮肉にも、最高裁長官が皇居で天皇に頭を下げている任命式(!)の写真が掲載されているようです。

本日(6月5日)はここまでとします。明日は、<「学習指導要領」と「慣例上の儀礼的所作」>について、です。



2011/06/05

最高裁判決と大阪府条例について(1)

渡部です。

この間、

①3月25日、「河原井・根津さん君が代不起立」裁不当判決。
②5月30日、最高裁「君が代」起立命令合憲判決。
③6月3日大阪府で「君が代」起立斉唱義務づけ条例可決。

と続き、さらに今後、

④最高裁で6月6日、16日と口頭弁論を開かないままでの判決。
⑤大阪府では9月議会に処分条例案提案(?)。

と続きまます。

この一連の流れは、戦後一貫して復活が画策されてきた「日の丸・君が代」強制が段階を画したことを示しています。

そして、「日の丸・君が代」起立斉唱は、

  1. 法律・学習指導要領に決められたことであり、
  2. 「一般的、客観的な見地からは式典における 慣例上の儀礼的な所作」、「一般常識」、「職務上のルール」であり、
  3. 「思想・良心の自由」を「間接的に制限する面がある」が、
  4. 公務員であり、生徒の模範となるべき教員が不起立するなど、は許されず、そのような教員はクビにして当然。

という考え方が前面に出てきたことを現しています。

5月30日の最高裁判決の竹内行夫判事「補足意見」は、特に④について、次のように明確に述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 国旗、国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機会として種々あるであろうが、卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会である。そのような学校行事において、教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとることは、国旗、国歌に対する敬意や儀礼について指導し、生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触するものと言わざるを得ないであろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今後、この動きはさらに強化され、「生徒の模範」というからには、すべての生徒に「国旗、国歌に対する敬意や儀礼」が強制されることになるでしょう。(すでに現在そうなっていると言える。意味も分らぬままに)

結局、教育を通じてすべての国民に対しても「一般常識」「ルール」として、また「原発安全神話」ならぬ「君が代常識神話」として、疑問・批判・反対を許さず強制されることになるでしょう。

そして、これに反対するものは「常識知らず」として、「村八分」ならぬ「非国民」となるでしょう。これは戦前と同じ道です。

では、先に述べたような一見もっともらしい彼らの論理(実はデマゴギーに満ちている)に対し、私たちはどのような論理で立ち向かうべきでしょうか。

明日(6月5日)、それを書きたいと思います。



2011/06/04

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2011年6月~7月を更新しました。

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2011/06/01

法廷カレンダー

法廷カレンダー、2011年5月~7月を更新しました。

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第37号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 8)

“「10・23通達」下の職務命令は憲法19条違反にあらず”
最高裁第二小法廷 不当判決

  まず留意しなければならないのは、「上告理由書」によると上告人は憲法19・14・22条を争点とし、教育の自由(23・26条)の憲法判断を求めていな いことである。従って判決は、主に職務命令が19条思想・良心の自由に違反するかどうかについて検討し、違反しないと判決した。
 判決文の特徴は全33ページ中、「全員一致の意見」部分は8ページ余りで、その後は3人の裁判官それぞれの「補足意見」が延々と続くことである。その中心的論点は「間接的な制約」である。
  判決はまず「起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て・・慣例上の儀礼的な所作」であり「個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはでき ない」とする。ここまでは「ピアノ判決」の枠内であるが、ここで持ち出したのが「間接的な制約」である。上告人の「起立斉唱を拒否する理由」に理解を示す ポーズをとりながら結局「儀式的行事においては、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図る」ための職務命令 として「間接的な制約」も許容し得るとしている。重要なことは教育の自由を侵害している一律起立・斉唱の職務命令を「教育上の行事にふさわしい」等と決め つけていることである。
 その後の3人の「補足意見」は言いたい放題である。「生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触」(竹内)、「率先垂 範的立場にある教員に日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える行為を行わしめる」(須藤)、「起立斉唱行為の教育現場における意義等は十分 に認められる」(千葉)。特に須藤「補足意見」は国家主義を高唱すると同時に「見るべき代替案あるいは拮抗する対案が提唱されていることもうかがわれな い」とか「起立斉唱の形式、内容、進行方法、所要時間、頻度等を見ても、・・短時間で終了し、日を置かず反復されるようなものでもなく」等、リンク事実に反することが勝手に述べられている。私は、「式次第から『国歌斉唱』を削除すること」を提案してきたし、「日の丸」は式の間中掲揚され、また一律起立・斉唱の強制・累積加重処分は毎年のことであり、そもそもこの強制は教育全体の統制と固くリンクされている。
 「全員一致の意見」は、基本的には“より厳密に検討した結果、職務命令は合憲であること”を打ち出し、「補足意見」は都教委を牽制している面はあるが、「間接的な制約」をも許容し職務命令合憲を補強している。
 今後、まだ憲法判断が出されていない教育の自由(23・26条)への主張を強化したい。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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