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2011/07/31

反撃(②「8・12~13「日・君」裁判全国学習交流会」)へ(14)

渡部です。

(東京地裁判決批判5回目です)

<争点>の批判に入る前に一つ付け加えておきます。

今回の東京「君が代」裁判二次訴訟の原告は、2005~2006年の事件に関わります。したがって、これまで見てきた<事実関係>も平成18年(2006年)3月の卒業式までとなっています。

しかし、2006年9月21日には、「予防訴訟」の東京地裁判決が出され、「10・23通達」「職務命令」「処分」はいずれも違憲違法とされました。

にもかかわらず、2006年12月15日には、<愛国心>を盛り込んだ「改悪教育基本法」が強行採決されました。これにより、「戦後民主教育」は否定され、「国家主義教育」に変質されることになりました。「公・私」を問わず「幼児から生涯教育まで」<揺りかごから墓場まで>

そして、それに見合った

  1. 教員統制としての「業績評価」の導入、
  2. 教育内容統制としての「学習指導要領」改悪、

が行われました。

この間起きている<最高裁不当判決>、<大阪府条例>、<「つくる会」系教科書の採択>、などはその延長線上にあります。

したがって、今後の裁判闘争は、さらに反動判決が予想されることになります。

しかし、『窮すれば通ず』(*)という言葉もあります。

(*)「易経」より:行き詰まって絶体絶命の立場になると、かえって活路が開かれる、という意味。

「希望」を捨てず、「あきらめずに」前進しましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ではこれから<争点>の批判に入ります。

<ア、通達・職務命令は、憲法19条違反か>

これについてはかなり長くいろいろな事を述べています。しかし結局のところ、憲法19条に関しては、最高裁判決と同じ判断になっています。 

「本件通達及び本件各職務命令については、前記のように外部的行動の制限を介して原告らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、本件通達及び本件各職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様を総合的に衡量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるというべきである」

むしろ、いろいろなことを言っている分、最高裁判決をさらに補足するような判断になっています。

例えば、次のような下りがあります。

「国旗国歌法は、我が国の過去の歴史における日の丸・君が代の扱い等にかかわらず、日本国憲法の下において、国民が形成していくべき我が国の国旗を「日の丸」(日章旗)とし、国歌を君が代とするものと定め、一般的にも、日の丸・君が代は、現に存在し、今後も我が国の国旗・国歌であると意識されているものであり、国家又は天皇を賛美するものであると一般的に認識されているものであると解することはできない。」

これも、「扱い等にかかわらず」などというのは詭弁ですが、以下のことも同様です。

「国家又は天皇を賛美するものであると一般的に認識されているものであると解することはできない。」とありますが、問題は、「君が代」は「国家又は天皇」を賛美する歌ではなく「天皇制」を賛美する歌であるということであり、「一般的に認識されているものであると解することはできない。」などというのは、何の根拠にもならないということです。(多くの生徒たちは意味もわからずに歌っています)

また、「バーネット判決」に関する部分もあり、次のように結論づけています。

「原告に求めた行為は、卒業式等において国旗に向かって起立して国歌を斉唱するというものであって、一般的、客観的に見て儀式的行事における慣例上の儀礼的所作であると認識されている行為をすることを求めるにとどまるものであるから、バーネット判決とは事案を異にするものであり、バーネット事件判決の判例は直ちに参考となるものではない。」

なお、繰り返し出てくる「必要性及び合理性」という言葉は、実は都教委の言い分の中で繰り返し出てきたものです。

<イ、信教の自由(憲法20条)を侵害しているか>

これについては、1回目のところで紹介しましたので略しますが、先ほどの<憲法19条>と同様、この<憲法20条>も、「間接的な制約はあるが」、「必要性及び合理性」があるから合憲であるとなっています。

この<ア、イ、>に対する裁判所の判断を読んでいると、「大日本帝国憲法(明治憲法)」の以下の部分を想起せざるを得ません。

<第28条>日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

<第29条>日本臣民ハ法律ノ範囲ニ於テ言論著作印行(出版のこと)集会及結社ノ自由ヲ有ス

ちなみに、<ア、通達・職務命令は、憲法19条違反か>のところには、以下のような下りもあります。

「思想・良心の本質又は核心部分を直接否定する外部行為であるかどうかは、各人が自己の思想・良心の本質又は核心部分に反すると独自に考え、主張することによって外部的行為を強制されない自由が一般的に認められるならば、社会生活が成り立たないことは明らかであり、これを承認することはできないことからすると、ある外部的行為を強制することが思想・良心の本質又は核心部分を直接否定し、ひいては思想・良心の自由を侵害することになるかどうかは、その外部的行為自体を客観的な見地から判断して行うのが相当である」

これはまさしく、「社会生活が成り立たない」という言葉で、「大日本帝国憲法」と同じことを言っています。

また「大日本帝国憲法」で述べている「安寧秩序」、「義務」、「法律の範囲」という言葉は、判決文の中では、「社会生活・厳粛・秩序」、「慣例上の儀礼的所作」、「学習指導要領」(法的拘束力)というような言葉で表現されています。

本日はここまでです。お疲れ様でした。

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