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2012/02/01

2012年「2・5総決起集会」へ(14)

渡部です。

(全国教研の続報です)
「平和教育分科会」2日目。滋賀県甲賀市立甲南中学校での<平和行進>が報告されました。これは体育祭の全校プログラムで58年間にもわたり行わて来たものです。

<流れ>は以下の通りです。

 ①平和の鐘を鳴らした後、全校生徒が制服でグランドを1周行進する。
 ②生徒会による平和の灯火点灯。
 ③「ヘイワ」の人文字、移動中に、各学年の作文発表。 
   全員で「平和!」のかけ声。
 ④生徒会発案の模様の人文字(2010年度:クローバー、2011年度:虹)
 ⑤生徒会長による「平和宣言」

この行進の由来については、昨年度(2010年度)「平和行進」時のナレーションで次のように述べられていました。

「平和行進、私たちはどこからどこに向かって行進をしているのでしょうか。私たちもわかりませんでしたが、この夏にある先輩からその意味を教わりました。このトラックはいのちの流れであり、私たちは過去から未来に向かって行進していたのです。
・・・・・・・
私たちが歩き始めた地点、それは昭和20年、第二次世界大戦が終わった年です。
・・・・・・
しかし歩き始めてわずか6メートルのところ、1947年にはアメリカとソビエトの激しい対立、冷たい戦争がはじまっていました。その中の1954年、アメリカの水爆実験によって日本人が亡くなるという第五福竜丸事件が起こりました。そしてその年、再び戦争にならないことを訴えるために、この甲南中学校で平和行進が始まったのです。それがスタート地点から27メートルの地点です。

さらに1961年にはベルリンの壁が作られ、1965年にはベトナム戦争が始まり、世界の平和に危機が訪れます。一方日本は、第二次大戦後の焼け野原から立ち上がり、次第に豊かになっていきました。私たちが修学旅行で訪れる沖縄は1972年、スタートから81メートルのところで返還されました。

そして1989年、132メートルの地点でベルリンの壁が壊れ、世界は平和に大きく近づきました。しかし日本では1995年に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、世界では2001年、アメリカ同時多発テロが起きました。平和は再びピンチを迎えることになりました。私たちの歩みでは168メートルの地点になります。

そして200メートルの地点の2010年9月11日、私たちはいまだ不安定なままの「現在」に立っています。

しかし、ここから先は私たちが作る未来です。だからこそ今日、私たちの手で「ヘイワ」の文字と幸せを願うクローバーを作ります。私たちの未来は私たちで作る。そしてその未来は、誰もが笑顔でいられる、誰もが穏やかに過ごせる時代にする。そういう決意を示すため、今年も私たちは平和行進をするのです。

私たちは延々と続くいのちの流れにいます。おじいちゃんおばあちゃん、おとうさんおかあさん、そして私たち。さらに私たちからは多くのこども、そして孫がつながっています。私たちが歩いているこのトラックは、そのままいのちの轍(わだち)の象徴でもあります。何気なく歩いているこの一歩は、世界に、そして次の時代に続いています。歩いているのは私たちだけではない。そう思いながら一歩一歩、私たちは歩いています。」 

2011年度の「平和宣言」には次のようなことが述べてありました。

「今年の三月に起きた東日本大震災。多くの方が被災され、半年たった今も不安な気持ちで生活されています。震災のことだけでなく、過去最大規模の原子力発電所の事故も深刻な問題となっています。そんな状況でも、決して生きる希望を忘れず、未来を見つめて毎日を過ごしている被災地の方の姿からは、人間の本当の強さを感じることができます。

あたりまえに明日が来て、帰る家があって、家族がいて、ごはんが食べられて、お風呂に入れて、ぐっすり眠れる私たちに今、できること。それは当たり前のようでかけがえのない日々を精一杯に生き、幸せを感じることだと思います。

その中から小さな平和が生まれ、明日を照らしてくれるでしょう。やがてそれは大きな平和になり、世界を包んで、誰もが笑顔になれる日々が訪れます。夢のような話ではありません。決して近くはないけれど、私たちが平和を願い続ける限り、いつかきっと、現実になる日が来るでしょう。どのくらい先になるのか分りませんが、その日が来るまで、私たちは歩き続けます。10年後の、100年後の、世界中の未来の空に、虹がかかることを信じて。」

もはや何も付け加えることはありません。私たち大人の方が励まされます。このような「平和行進」が58年間も続けられてきたのは、これまで甲南中に関わってこられた生徒・教職員・保護者、また卒業生をはじめとする地域の人々の力によるものだと思いました。

レポートの最後には次のようなことが書かれていました。

「再来年、平和行進は60回を迎えます。それに向けて、多くのアイデアをいただきたいと思っています。みなさんのアイデアを聞かせて下さい!」

石原や橋下の求めるような「教育改革」や「民間人校長」では、決してこのような広い視野を持った実践は生まれないでしょう。



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