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2012/03/03

2012年春の闘い(10)

渡部です。

都立高校の卒業式が昨日(3月1日)から始まり、私たちのビラまきも昨日から始まりました。ビラまきの状況が入ってきていますので以下に紹介します。(一番最後の<西高>は私のビラまき報告ですが、西高卒業生で府中東高元校長の話があります)

(3月1日)
<A高> ビラまき人数3人  8時~10時まで
8時40分頃校長と副校長が来て「生徒と父兄にはビラは撒かないで下さい。学校指導ですから」と言ってきた。それ以降は何も言ってこない。正門には他の職員が居たが見ているだけでした。。 2年前から毎年青井高校には行っていますが、特に変わった動きはありません。自転車通学が多いが、止まってビラを受け取っていく。200枚くらい撒けた。前日の雪と比べたら暖かく天気が良くてよかったです! 

(3月2日)
<HK高>
Fです。去年同様、教頭と覚しき人が型どおり敷地内に入らないようにとの注意。型どおりというには少ししつこい感じでしたが、、。八時くらいから生徒がぽつぽつ来だして保護者も八時半くらいから、、。九時を過ぎると少なくなり、で、九時20分くらいに校門に立っている若い教員に訊いてみたところ式はもう始まっているとのこと。9時の開始?早すぎないかな。前の街道が狭くて交通量が多く、それでも200枚弱の配布です。

<AH高>
・副校長が「通行人のじゃまにならないようしてください」と言ってきた。
・自転車通学の卒業生が多く、あまり撒けなかった。
・通行人に渡したら話しかけてきた。「私は大阪に住んでるんけど、橋下は嫌いなんです。出張で通りかかってね。東京でも「日の丸・君が代」が問題になってるんですね。どこもいっしょなんやね。周りの人に配りたいから、チラシをもっとくれませんか」
・校門の中にいる、警備?生徒指導?の一人の先生は、早稲田大学法学部入試問題の件を知らなかった。「だってうちは進学重点校なんかじゃないから」と。チラシは210枚。

<T高>
・学校側はなにも言ってこなかった。
・出勤してきた男性の教員は「自分も強制に反対だが、卒業式の日に校門前で撒くのは賛成できない。生徒を巻き込まないで」と言った。こちらは、「生徒を巻き込んで力づくで強制をやっているのは都教委なのです云々」といったら、黙って校門に入っていった。」240枚まいた。

<K高>
神奈川県地域連合労組のKです。8時少し前、校門前には、「日の丸・君が代」強制に反対る大田・市民の会の方が5~6人ほど集まっていました。皆さんは独自のビラを用意されてました。学校はまだ受付の机だし中。グランド工事のため、入り口付近は工事関係者が仕事中でした。門から校舎まで板が敷かれているため、足元が悪く徒歩のみ正面入り口から、自転車は裏側の南門に誘導されてました。8時、ビラまき開始してすぐに学校の職員と思われる人物が、「敷地内には入らないように。生徒にはビラを渡さないように」といってきました。「渡します」というと「だめです」と言い返すも、強制的ではなく、とりあえず言いにきた、という感じでした。まき始めてすぐに小雨が振り出し、9時頃に一時強めになりましたが、霧雨状だったので何とかできました。生徒はバラバラと少人数で来る感じで、集団で通り過ぎるということもなく、比較的受け取りがよかったです。保護者ではビラを握りつぶす方、「君が代賛成です」と言って入っていった方がいましたが、やはり比較的受け取りは良かったと思います。卒業生は約80人程度とのことなので、あまり多くは撒けませんでしたが、100枚近くは撒けたと思います。

<西高>
8時に私と地域の方(Oさん)と2人でビラをまきはじめた。しばらくすると校長が出てきた。「なぜこんな日にまくのか。校門から外れてまいてくれ。」と言うので、「このビラを読んでください。生徒の為にまいているんです。『日の丸君が代』強制は戦前と同じです。」と答えると、「こんなビラをまいていると戦争になる」(!?)等と言い、「校門から外れてまくように」と繰り返し、「言いましたからね」と捨て台詞を言って校舎に戻って行った。

その後、警備の教員が二人出てきた。やはり「門から離れてまいて下さい」と言う。そこでOさんが、「この西高は戦前、東京で唯一『修身』をやっていなかった学校なんですよ。そのように伝統のある学校ですよ」と話し、私も「最高裁でも東京の強制は異常だと言っているではないか」と話すと、二人の教員は黙ってしまった。

ビラの受け取りは生徒・保護者とも比較的よく、全部で255枚まけた。警察の姿は見えなかった。(昨年まではいたが)
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ところで、帰り道Oさんから次のような話を聞き、資料を頂いた。

「この学校を卒業し、東京教育大に入り、家永先生に教わった府中東高の長澤力元校長(故人)は、当時(1989~1990年)の学校誌に『語り残したいこと』として連載文を書いた。それが彼の遺稿集の中に収められた。そのコピーを持ってきたから後で読んで下さい。」

帰ってそのコピーを読むと実にしっかりしたことが書いてあったので、以下にその一部を紹介する。

「新学習指導要領で、『国旗』・『国歌』の扱いが明確化され、それを『指導するものとする』とされた。・・それは、事実上の義務付けの方向に進んだことを意味するといえよう。・・・・(戦前)・・『君が代』の『君』は『神としての天皇』と教え込まれ、その一人の人間のために『喜んで死ぬ』ことが、最高の国民道徳と義務付けられたのである。それが今になって、時の政府の都合によって、『象徴として敬愛される天皇』と勝手に歌意を変えて強制し、処分まで含むとかいうのは、全く理性を欠いた態度である。また、『日の丸』にも『最敬礼』(神格天皇に対して行う最上の敬礼)が強いられ、この旗に送られて多くの兵士が戦場で非業の死をとげたのである。同時に、この旗の進む所、他国への侵略が莫大な多民族の
犠牲の下に行われたのである。どうして『日の丸j』を仰いで、素直に『平和のしるし』などと考えられようか。」

「私が生まれた1929年は、日本が『破滅の戦争への道』を無謀にも歩みはじめた頃であった。28年ー3・15事件(注:共産党弾圧事件)、関東軍の張作霖爆殺、緊急勅令による治安維持法改悪、特別高等警察の設置、29年ー大衆政治家山本宣治の刺殺と続き、行きづまる暗黒の時勢になっていった。私は戦後まで、これらの歴史事実を知らずにきた己の無知に今苛(さいな)まれている。表現の自由を暴力で侵そうとする最も卑劣な行為は、余りにも歴史を知らない所から起きると思う。・・・」として、最後に<決死の山本宣治のことば>が掲げられている。

「明日は死刑法の治安維持法が上程されます。私はその反対のために今夜東上します。反対演説もやるつもりだが、質問打ち切りのためにやれなくなるでしょう。じつに今や階級的立場を守る者は唯一人です。山本ひとり孤塁を守る!しかし背後に多数の同士が・・・」
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山本(1889ー1929)の置かれた状況の厳しさが痛いほど伝わってくる。しかし私たちは、2012年現在、闘いを楽しみながらやっている。「歴史は二度繰り返す、しかし二度目は茶番だ」、「闘えることは幸せなことだ」、「全国にはともに闘っている仲間たちがいる」、「ファシズムは殻は硬いが中味はない(脆い)。中味がないから力づくでやろうとする」、などと笑い飛ばしながら。



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