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2012/07/22

2012年「8・31都教委包囲行動」へ(8)

渡部です。

本日(7月20日(金))、
 ①東京「君が代」裁判・二次訴訟控訴審<第一回口頭弁論>傍聴
 ②脱原発官邸前の金曜夜集会
に参加しました。

①では、控訴人(原告)64人のうちの2人と代理人(弁護士)3人が意見陳述をしました。

(原告のUさん)は、とくに処分後に行われている<再発防止研修>について、「公務員は職務命令を守ることがすべてであり、質問をすることも疑問を持つこと自体も許さなかった。しかしその職務命令が間違っていたらどうするのか。職務命令が唯一無二のものとされる恐ろしさを感じた。」「再発防止研修は明らかに思想転向をせまるものだった」と述べました。

(原告のIさん)は、「10・23通達」以前の都立高校と以後の都立高校の変わりようについて語り、「戦前の教育における日の丸・君が代の果たした役割、その反省から戦後民主主義が生まれた。10・23通達はその原点を踏みにじるものだった。だから私は立つことができなかった。都教委は式の目的を何と心得ているのか。」と述べました。

その後、代理人3人もそれぞれ意見を述べました。

私は、これから何回か裁判が開かれるのだろうと思っていました。

しかし、裁判長は「少し協議をする」と述べ、奥の部屋に引っ込み、出てきて言ったことは、これまでの経過と判決日(10月31日)だけでした。つまり、たった一回で結審としたのです。経過の中で今年1月16日の最高裁判決のことを述べており、「それで決まり」と言わんばかりでした。

②では、先週のことを踏まえ、最初からのぼり旗の上の方に「NO NUKES」のポスターと黄色い吹き流しを付け、旗にもドイツの反原発のマーク(太陽の顔のまわりにATOMKRAFT NEIN DANKE)のシールをいくつかつけて仲間と行きました。

ところが又しても主催者が来て先週と同じことを言います。「先週妥協してこうなったんだろう」と言っても、「認めれらない」というのです。すると又近くにいた人が「なぜ悪いんだ」と言いだし、主催者に強硬に抗議しました。しかし、主催者は譲りません。そうしているうちに右翼の人がこちらに文句を言いだしました。

主催者に先週の「日の丸」のことを問いただすと、「あれは認めている。日の丸はただの旗だから」と言います。仲間の一人は「こんなところにいてもだめだ帰ろう」と言って帰ってしまいました。しかし私は、そのまま旗を持って立っていました。

そんなことをしている時、元首相の鳩山氏がやってきて、スピーカーで、「自分はかつて首相官邸にいて人々の声が聞こえなくなっていた。反省している。これから首相官邸に行き、再稼働を止めるように要請してくる」と言って首相官邸に行きました。大きな拍手が起きました。

しばらくして又主催者の別の人が来て盛んに私を説得します。「『日の丸・君が代』の強制と処分を許すな!などと書いてある旗は原発と関係ないから降ろしてください」と言うのです。

私の方では「だから上にいろいろ付けてきたじゃないか。一方で『日の丸』を公然と認めて、他方でこれを認めないのはおかしいのでは。」と言いますが、ラチがあきません。

しかし、「今日は『日の丸』は主催者の脇のところには上がっていませんよ」「私も日の丸・君が代の強制には反対なんですよ」「でも今回は原発反対でやろうとして多くの人々が集まっているのだから・・・」「こんなことをやっていると嫌われますよ。逆効果ですよ」などとも言ってきました。

すでに長い時間が経っていましたので、私の方で、「じゃ、今日はこれで旗をたたむよ。そして帰るから。」というと、「旗をたたんでも、もうすぐ終わりますから帰らないで下さい。」と引き留める。

結局、旗をたたみ「再稼働反対」のシュプレヒコールをし、主催者の彼と握手をして別れてきた。

私は、脱(反)原発運動がさらに発展するためには、主催者は右翼ではない人々や組織にも大きな度量を発揮した方がよいと思う。なぜなら、その人たちや組織がこれまで困難な中で脱(反)原発運動を担ってきたし、これからも困難な中で担っていくことになるだろうから。



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