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2015年1月

2015/01/24

解雇させない会ニュースNo.53

Newsno53

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解雇させない会ニュース一覧表

解雇させない会ニュース一覧表を作成してあります。
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2015/01/22

都庁前通信 2015年1月22日号

F20150122

「君が代」不起立処分取り消し訴訟で
新たに31件の処分が取り消される

 16日、2007 年から9年に「君が代」不起立等処分をされた50人57件(1 人で複数の処分を受けたケースがある)に対する地裁判決(佐々木宗啓裁判長)が出されました。今回の判決も 2012 年最高裁判決を踏襲したもので、1回目不起立の戒告25件は処分取り消しとはなりませんでしたが、2回目不起立の減給1ヶ月・3回目不起立の減給6ヶ月の29件、4回目不起立の停職1ヶ月・5回目不起立の停職3ヶ月の2件を取り消しました。「君が代」起立斉唱等の職務命令は適法としつつ、その処分の「重さ」に問題があるとし、「戒告を超える重い処分(減給・停職)」は裁量権を逸脱していて違法だとしたものです。
 私たちはその職務命令自体が違憲違法と考えますが、判決は、都教委がしてきた減給以上の処分については違法としたのです。都教委は累積加重処分を濫発してきた非に真摯に向き合い、反省し、謝罪すべきです。また、2012 年最高裁判決以後も、不起立を続ける、あるいは都教委に意見した不起立教員に科してきた減給処分を直ちに撤回し、再び累積加重処分をしてはなりません。
  「日の丸・君が代」「国旗・国歌」に対する考えは人々の間で意見が分かれており、一般社会では「思想及び良心の自由」(憲法 19 条)の問題と広く認識されています。しかし都教委は、子どもたちには学校教育を通して「尊重する態度を養う」と称して、一方的に国家の価値観の刷り込みを行い、その目的達成のために「君が代」起立の職務命令を教職員に発し、職務命令に従わない教職員を処分し続けています。そして、裁判所は、論点をずらして、「社会の〈秩序〉を維持するためには職務命令は必要」と、それを追認しています。言論・表現の自由などの基本的人権よりも〈秩序〉を上位に置くのが安倍政権の「民主主義をやめよう」という憲法改正草案であり、都教委の「君が代」強制を認める最高裁の考えはこれに同調する危険なものです。

 今「戦争をする国」に向かう安倍政権下にあって、戦争に子どもや孫がとられる不安を感じている人は多いのではないでしょうか。子どもたちが「お国のために」と進んで兵士になるような学校教育にしてはなりません。大人には国家の価値観を刷り込む、戦前さながらの教育を繰り返させない責任があると思います。「日の丸・君が代」、「愛国心」教育をやめよ!  と声をあげていきましょう。


 2015 年度から使われる小学校社会科教科書には、これまでと違って「領土」が登場します。地図帳の日本地図は、「北方領土」から「尖閣」「竹島」まですべてを入れ、領海線を濃い線で引いています。小学校学習指導要領には「領土」は入ってないにもかかわらず、教科書検定の際、政府見解が書かれているか等を調べることにしたためです。
 安倍内閣の日本軍「慰安婦」否定言説を受けてか、2015 年度高校教科書の記述から「慰安婦」・「強制連行」の削除が始まりました。数研出版の高校教科書「現代社会」2点と「政治・経済」1点です。文科省は2014年11月20日に教科書会社「数研出版」の訂正申請を受け付け、12月11日に承認したといいます。「慰安婦」記述ともに、戦時中の日本への「強制連行」も削除されたということです。世界の動きに背を向けたような「戦争する国」用教科書への書き換えが急ピッチで進んでいます。


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1月8日都教委定例会傍聴報告

■質問への回答がなくても議案に賛成するのはなぜ?

 2015年第1回定例会。竹花、山口教育委員は欠席だったが、その理由は今日も明らかにされなかった。
  公開議案は  ①「東京都立学校の管理運営に関する規則の一部を改正する規則の制定について」、報告は ②「第三次東京都子供読書活動推進計画中間まとめについて」。非公開議案は今日も教員の懲戒処分が4件、報告にも教員の懲戒処分(件数不明)が上がっていた。  ①について報告する。

  教育委員会が行う教科書採択の対象は、現行では文科省検定済教科書・文科省著作教科書であるが、新たにその対象に、教科書が発行されていない各教科・科目の主たる教材(教科用図書=現行では準教科書)を加える。そのために、「東京都立学校の管理運営に関する規則」第19条を「改正」するというもの。 
  変更の理由は、ア.来年度から教育委員会制度が変わる(=首長が指名する新「教育長」に権限が集中する)ことにより、「これまで以上に教育委員による教育行政に対するチェック機能の強化が求められる」  イ.「教育委員会の権限の中でも、とりわけ教科書の採択は重要な権限の一つであるとされている」からだとの
こと。
  来年度使用の教科用図書=準教科書について、来る2月(!)に採択を実施する、という。年度末の学校の忙しさに配慮をしない事務方の提案は、どうしても今年度中にと、ゴリ押しを決めているかのようであった。
  準教科書とされる書籍は、第二外国語のテキスト、専門教科(工業科)用の専門書、絵本(特別支援学校)等で2014年度は1700点。うち、高校用が700点で、語学では英語が63点、フランス語が38点にのぼるという(遠藤委員の質問に答えての説明から)。
  この提案に、遠藤教育委員は「今までで不都合があったのか」ときいたが、事務方からは、あったともなかったとも回答はなかった。乙武教育委員は「2月に(採択・)決定し、その後教員の異動がなされる。(そうなると、異動してきた)教員は使いづらいのではないか」と質問したところ、事務方の回答は「使っていただく」と。2 人のこの質問は、傍聴する私たちも疑問に思ったものであり、事務方の回答は、2人の教育委員の質問にまともに答えたものではなかった。
  ところが、司会の木村教育委員長が承認を促すと、2教育委員とも首を縦に振った。回答に納得したというのだろうか。それとも、事務方の提案には反対しないという不文律でもあるのだろうか。

  これまで教科書採択に際し、都教委は文科省検定済教科書のすべてについて、「北朝鮮による拉致問題の扱い」「我が国の領域を巡る問題」「国旗・国歌の扱い」の記述がどうなっているかを克明に調査し、報告書にしてきた。今回の準教科書についても、各都立学校が選定した書籍に対し、この点の調査をし、それを採択の基準にするのだろうか。政府見解に合わないものは教育現場から徹底排除するということか。現行で不都合もないのに「改正」するのは、教育委員会の権限強化・拡大のためであり、文科省の教科書検定基準の変更・実質的な国定教科書化の動きに合わせたとしか考えられない。学校教育の現場から自主性を奪い、さまざまな論点・争点を子どもたちの目から隠し、政府の一方的な見方を注入しても、政府の自己満足になるだけで、子どもたちにプラスになることは見当たらない。   

通信へのリンク



2015/01/08

都庁前通信 2015.1.8

F20150108

 

謹賀新年

 衣食住が満たされる、人として尊重される、自由にものが言える。こんな当たり前のことが保障されない社会を、みんなが声をあげることよって変えていきたいものです。当会では都教委に対し、子どもたちを点数によって差別・選別し、都教委の考えを刷り込む教育を改めさせるために、今年も声をあげていきます。



新採用1年で免職 ⇒ 処分取り消し訴訟で勝訴
都教委は過ちを認め、控訴を取り下げよ!

 教員の試採用期間は1年。新規採用1年後に校長が下した評価をもとに都教委が採用、不採用を決定することになっている。1年後に不採用とされた人がこの7年、毎年3%の割合で推移してきた。3%の多くは、校長から「将来の再就職に傷がつかないように」と指導されて「自己都合の退職」にもって行かれる。それを拒否すると、校長は都教委に「正式採用に反対する評価書」を提出し、分限免職にされる。一定枠を不採用にすることで、初任者は校長の指示に忠実に従うこと、意見してはいけないことを刷り込まれる。
  記事中の男性は分限処分に納得がいかず、免職取り消しを求めて裁判に踏み切った。2011年から3年8カ月、よく耐えたものだと思う。
  都教委は校長による評価書一つで分限免職を決めているが、校長による評価が公平・公正であることの保証はあるのだろうか。新任教員に対する指導体制、職場環境などについて、都教委は検証をおこなっているのだろうか。人の判断に誤謬や見落とし、思い込みはつきものだ。現実にはパワーハラスメントをはたらく校長の数はかなりの数にのぼり、また、わいせつや窃盗などの校長の非行も後を絶たない(今年度7月14日から12月24日までの処分件数 8 件)。ものごとの善悪の基準が狂った校長が下位評価をしても、都教委がそこに気づくこともまた、難しい。
 都教委の分限審査担当者やその議案を審議する教育委員は、この点について、どのように考えているのだろうか。東京地裁の判決に対し、都教委は控訴したという。各教育委員はそれを承認したはずだが、その承認に責任を持てるのか。   
 かつて将棋名人で石原慎太郎知事に請われて教育委員となった米長邦雄氏は、「校長にたてつく教員は徹底的に排除する」と主張した。都教委にはこの体質が色濃く受け継がれている。



12月11日都教委定例会傍聴報告

■教育委員は議題について事前に勉強してこないの?■

  公開議題は、議案が①「東京都立学校設置条例の一部を改正する条例の立案依頼外1件について」、報告が
②「学校教育活動における外部人材等の活用状況について」のみ。所要時間はたったの 30 分。この日も教員
等の懲戒処分案件が 3 件上がっていた。都教委HPに掲載された処分事由を見ると、わいせつや窃盗など、恥
ずかしい限りの行為が並ぶ。

 ①は、南多摩、三鷹中等教育学校(=中高一貫校)が 2010 年度(平成 22 年)に開校したのに伴い、南多摩高校、三鷹高校は 2013 年度から募集を停止していたが、今年度の3年生の卒業を以って閉校となる。そこで、条例からこの2校を外すという内容だった。
  その説明が事務方からなされた後、木村委員長の口から出た質問-「(南多摩、三鷹は)いつから中等教育学校になるのか」-には呆れた。事務方の回答は当然、「平成 22 年度から始まっています」。
  中高一貫校は都教委が強力に進めた「都立高校改革推進計画」の目玉の一つ。2000~02年に1校を、2000~06年に9校を計画。木村委員長は2004年から現職にあり、これを決定する場にいた。うっかり忘れるような問題ではないはずだ。決定したら実施状態を観察、検証していく責任があるのにそれをしていなかったということではないか。決定したら終わりでは無責任ではないか。

 ②は、ア.教員免許を持つ正規教員、イ.正規教員以外の教員(産休代替等の臨時任用、退職後再任用の日勤講師、端数時数の授業を請け負う時間講師)、ウ.教員免許を持たない外部人材(都立学校が設定する「日本の伝統・文化」の教科で琴・三味線や茶道を教える市民講師、英語教員の補助をするネイティブの JET・ALT)の説明及び、「正規教員以外の教員」及び「外部人材」の人数や労働単価、申請・届出についての報告だった。  報告を受けての発言3点を紹介したい。
 「選挙での若者の低投票率に対し、政治教育が必要との声もある。特定の政治思想を植え付けることにはならないよう注意して、子どもが政治を身近に感じるために、議員を授業補助者として招くことはできるか」(乙武教育委員)との質問に、担当の人事部長の回答を遮るようにして比留間教育長が「中立性が損なわれないよう、校長が教育委員会と連絡を取り合って決めるので、それはできる」と応答した。「特定の政治思想」か否かを教育委員会が判断するということだ。
  政府見解を教科書に書けと決めた安倍政権の文科行政や、自衛隊に高校生を体験入隊させる都教委の教育行
政を見れば、都教委が「中立」と考える「政治教育」が子どもたちに「特定の政治思想を植え付けること」になる危険性は十分にある。乙武委員は、こうした現実を踏まえてこれを質問したのだろうか。
  竹花教育委員は、時間講師で働く人がいることを「知らなかった」と言った。1時間当たり1,880円から2,860円(授業準備や採点・評価はただ働き)で働く人たちの雇用の保証がない不安定な生活が、月2回の定例会出席で月額報酬43万円の竹花教育委員にはどう映ったのだろう。
 竹花委員はまた、「(今年度活用した・する)市民講師 548 人について、『小中学校では実績なし』というのはなぜか」と質問した。事務方は「学校設定科目が高校にある(が小中にはない)から」と答えたが、そのことを竹花委員は認識していなかったということだ。都立学校が設定する「日本の伝統・文化」の教科は、2007年度から実施されている。竹花氏が教育委員に就任したのは 2007 年 10 月。この事業は現在進行中である。この質問もまた、都教委が現場に下ろしたことが妥当であったかどうか、その後を検証していない証左だ。木村教育委員長といい、竹花教育委員といい、長いことこの職にあるのに、あまりにも現場を知ろうとしていないのではないか。教育委員は議題について、事前に勉強はしてこないのだろうか。

通信へのリンク



2015/01/07

2.21 「君が代」起立強制を考える集い

F20150221

「君が代」起立強制を考える集い
「君が代」不起立を選んだ生徒がいた!
聞いてみませんか?

日時 2月21日(土) 13時半〜16時
場所 スペースたんぽぽ
たんぽぽ舎4階(JR水道橋駅より徒歩6分)
千代田区三崎町2-6-2 タイナミックビル4F
たんぽぽ舎 TEL 03-3238-9035
参加費 500円

報告者
◇木村ひびきさん(大阪府立高校昨年度卒業生)
◇梅原聡さん(大阪府立高校教員・「君が代」不起立被処分者)
◇崔善愛さん(ピアニスト・指紋押捺を拒否、「君が代」不起立を応援)
◇田中聡史さん(都立板橋特別支援学校教員・「君が代」不起立者被処分者)

 昨年の春、卒業式の朝の校門前で、自らの思いを書いたチラシを配り、「君が代」不起立した高校生が大阪にいたと聞いたときの驚き、チラシの内容を読んだときの感動は今も忘れられない。「どんな生徒なのだろう、会いたい!」「なぜ、チラシを配ったのか、,聞きたい!」と、思い続けてきた。それが、今回実現する。
 ご本人の木村さんと同じ学校の教員で「君が代」不起立被処分者・梅原さんのお二人が、大阪から来てくださる。更に、木村さんのことを知って、すぐに手紙を出したピアニストの崔善愛さんと東京で「君が代」不起立を続けている田中さんも参加して、話に加わってくださることになった。
 それぞれ少し違う立場から「君が代」不起立についての思いをどのように話してくださるのか聞くことができる貴重な機会になるだろう。
 お忙しい時期だと思いますが、一緒に聞いて頂きたくたくさんの方の参加をお待ちしています。
 裏面は木村さんが卒業式で配ったチラシの全文です。どうぞお読みください。



◇2014年3月、卒業式当日の朝、自校の校門前で配ったチラシ

<卒業生の声も聞いてください>

 こんにちは、私は今年A高を巣立つ三年生です。まず最初にことわっておきますが、私は、親に言われて君が代の不起立を決めたわけではありません。
 私は卒業式での君が代の際、不起立を貫こうと中学生の時から決意しました。そんな私ですが、実は中学生の卒業式の直前まで私は不起立をするかしないか、とても悩んでいました。なぜなら私は、何処にでもいる、自分だけ目立つのが怖い人間だからです。
 いえ、周りにとっての普通以上に私は怖いと感じていると思います。それはイジメを受けた経験があるからです。人と違うことをすればどうなるかわかっていました。人と違うこと、多数の常識や雰囲気から外れたことをすれば、イジメられる、馬鹿にされる、責められる。私がどれほどの思いを持っていたと しても、どんなに正直に話しても、それを無視する程の数によって踏みにじられる。そんな経験を昔味わったことがあるからです。
 こんなことをしたんだ、されたんだと正直に話しても周りが違う嘘つき謝れと何度も何度も大声で私を責めました。
私は何度も言い返しましたが、大人ですら、そのような状況に置かれれば疲弊するのに、こどもの私では耐え切れず何度も自分の意思をねじまげられました。しかし、ねじまげられる度に、私はとても悔しくて、歯を食いしばり、涙を流しました。それから私は、自分の踏みにじられたくない思いを、自分で説明しきれるまで、周りに対することができるようになるまで、表に出すまいと決めました。

 そんな決意を固めた私が何故中学生の卒業式で不起立を行い、意思を表明したいと思ったのか。それは、理路整然と説明しきれるようになったのではなく、数に対抗する勇気が生まれたわけでもなく、とある先生の言葉のおかげでした。
 本当に卒業式の数日前までは、私が自分の考えを、思いを貫く為に不起立を行ったら、私は周りの異物を見る目に耐えられないかもしれない。だけど、思いを曲げるのだって辛い。どうすればいいのだろう、とずっと悩んでいました。だけどそんな卒業式まで一日、二日のある日、私の先生は卒業式の予行のとき、みんなの前で言いました。
 「立つ立たないは個人の自由。だからもし、立たなかった人が居たとしてもそれを責めてはいけない」と。 それを聞いて私は、立たない決意を固めたのです。
 先生が、一人一人の思いを尊重したことを言ってくれた、立つ立たないどちらが悪いとかではなく、少数を切り捨てるのでもなく、多数を抑えるのでもなく、少数多数関係なく、私たちみんなを尊重してくれたその言葉は私のターニングポイントになりました。

 今の日本の民主主義とは多数決であると思います。そして、少数は何時だって多数に「お前らは間違っている」と言われつづけていると感じます。だけどその先生は、多数少数ではなく、一人一人の思いを考えてくれた、私たち生徒を思ってくれていたことを私は忘れられません。
 それでもやっぱり私は、多数が怖いので、高校では卒業式まで、君が代が流れるその時まで、自分の考えは隠しておくことに決めました。それと、先生には話さないだろうとも思いました。なぜなら、誰が多数派で誰が少数派かわからなかったから。もしかしたら先生はみんな多数派かもしれない。そう思うと なかなか打ち明けられませんでした。
 けれどある時、A高の先生の中で昨年お世話になった先生が不起立で処分を受けたと聞き、ようやく自分の不起立に対しての思いを相談できる人が居ることを知り、とても安心できました。

 不起立を取り締まる条例は私のような少数の生徒にとって安心できる先生を奪われることなのです。このままどんどんそういう先生が居なくなってしまったら、私のような少数派を理解してくれる人は居なくなるでしょう。もし、理解してくれても、卒業式のときに起立しているところを見てしまうと、結局身体を張ってくれるほど私達のことを思ってくれるわけではないのだと思ってしまいます。
 そうなれば、心の中で先生がどう思っていても、私にとっては信じていいのかわからない存在になってしまいます。そうなれば何時しか、生徒に強制はされなくとも、実質自粛ムードになり、わざわざ座る人は居なくなるでしょう。それがもし、当たり前になったら。最後にどうなるかはわかりません。ですが このまま、誰も声を上げなくなったら、今まであったことが風化してしまうのではないでしょうか。

 私達は最近失敗をしませんでしたか? 予測では絶対大丈夫。それを信じて、大丈夫じゃない可能性を考えることを放棄し、大丈夫じゃない可能性を考えた少数を事故が起こるまで軽く扱ってきませんでしたか? 何か起こってから、失敗したと言っても後の祭りです。取り返しはつかないのです。
 例えば、私達は三年前より先に反原発と声をあげるべきでした。だけど、人ごとだからとまともに向き合わなかったのだと思います。だからあんな事故が起きてしまったのではないでしょうか。
 少数を切り捨てることは簡単です。でも、お願いします。少数の声を聞いてください。

 有るか無いかもわからないもしもを考えたとき、起こってしまってからでは取り返しがつかないのです。だから私は、今、声をあげます。不起立で意見を表明したいと思います。

卒業生 B

(「グループZAZA ブログ」より)

チラシへのリンク



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