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2016/01/14

都庁前通信 2016年1月14日号

F20160114

都教委の教科書採択は自作自演
都教委は子どもや都民を愚弄するな。
自らの行いを省みてものを言え。

 一部委員から「歴史的分野、公民的分野では、社会的見解が分かれている育鵬社の教科書を採択することに懸念があるとの意見を付記すべきである」との意見があり、「どういうかたちで表記するか」を1ヶ月かけて検討したために「各都立中学校教科書採択理由」のHP公表が1か月遅れたことを10月2日付東京新聞は報じた。当会では、そこに至るまでの事実経過等について都教委に質問書を提出したが、意図的にはぐらかしたとしか思えない回答だったので、再質問書を提出。再質問には多少は答えたが、肝心の「検討に1ヶ月かかったということは、意見の調整が難しかったということにほかならない。どのような表記案が出されていたのか、具体的に」については回答を逃げた。
  以下、都立中学校教科書採択について、分かり得た事実と問題点を記す。

①  公開定例会では「意見は述べずに無記名投票をする」との提案に全教育委員が賛成し、歴史、公民ともに、「育鵬社版:他社版  4:2」で育鵬社版を採択した。
②  公開定例会が終了し傍聴者が退場したところで、採択理由について「各委員に意見を聴いて、事務局で取りまとめた」ところ、一部委員から冒頭の意見が出された。意見聴取は非公開の場で行われた上に、議事録もない。都民の知る権利を侵害する行為である。
③  「各都立中学校教科書採択理由」には、「当該教科書は…本校で使用することが適切であると判断した」というように、「本校」ということばが並ぶ。しかし、これを書いたのは校長ではなくて、都教委。本来、これは校長の仕事であるのに、都教委が校長に成り済まして書いたのだ。
④  教育長と5人の教育委員で9教科15科目の教科書を選ぶことは不可能である。全都立中学校の教科担当教員たちが検討した意見を十分に聴取したうえで採択すべきだと当会が述べたことについて、都教委の回答は「教科用図書選定審議会には、教員が参加しています」だった。

 そこで、3回行われた教科用図書選定審議会議事録を読んでみた。そこからわかった驚くべきことは――

ア. 審議会の構成は、学校関係者7人、教育委員会関係者7人、学識経験者(保護者代表2人を含む)6人の計20人(任期途中の1人が急逝、後任を選出)。3回の審議会への出席は、1回目は2名が遅刻、2回目は8名欠席、3回目は1名が欠席、2名が遅刻。この出欠状況は、審議委員の無責任さを示しているのではないか。ほかに、都教委事務局職員16名が提案等で参加。
イ. 事務局職員が提案説明した、調査検討資料を中心に(3グループに分かれて)審議。審議委員の回答は、「いずれも適切であると判断しました」が多い。一例をあげれば、地理で「北方領土、竹島、そして今回尖閣諸島についても含めた内容、そして防災、国旗・国歌、オリンピック・パラリンピック、そういった多面的な視点により分析がされていました」と言う。各社の教科書について、都教委が望む領土、防災、国旗・国歌、オリンピック・パラリンピックについての記述の多少を比較調査すれば調査検討資料として「適切」ということか。審議会の名に値しない、形だけの審議会だ。
ウ. 「教科用図書選定審議会には、教員が参加しています」と都教委は言うが、7人の学校関係者がすべて教員だったとしても、9教科15科目の専門の教員がいるわけではない。他教科の教員が教科書を検討しても、子どもたちの学びにふさわしい教科書を選ぶことは不可能だ。


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12月10日都教委定例会傍聴報告
◆都教委にいじめ対策を論じる資格はない!◆

いじめに関し≪平成27年度都公立学校における「いじめの認知件数及び対応状況把握のための調査」結果≫≪都教委いじめ問題対策委員会中間答申「いじめ総合対策」の改定の方向性について≫報告がされた。
 調査結果からわかったこととして、ア.いじめの認知件数が2年連続減少(1校1ヶ月あたりの平均認知件数 2013年は0.73→2015年は0.42%)  イ.いじめの主なものは「冷やかしやからかい」で、67.3%  等をあげ、中間答申では、「いじめを見て見ぬふりせず、子供たち同士が主体的に話し合い、解決に向けて行動できるようにするための指導の在り方」をあげた。
 報告に対する教育委員の発言から2つ。
 山口教育委員「小学生は正直だから『冷やかしやからかい』が多いが、それをいじめとして押さえ込むのはいかがなものか。抑え込むと子どもに耐える力がなくなる。」(要旨)
 山口教育委員は我慢強さを身につけることを言いたかったのだろう。しかし、いじめは一過性の『冷やかしやからかい』ではない。外見は単なる「からかい」に見えても、それが執拗に、多くは集団で繰り返される。そこに見られるのは、他人との違いを見つけ出し、それを攻撃の対象にすること。差別と排除だ。人が困難に耐え、乗り越えていく力を培うことは大切だろう、しかし、そのような力は、いじめに耐えることで身につけるものなのか。多くの人の体験談は、困難を乗り越えられたのは、手を差し伸べてくれた人がいたことや、やさしい、励ましの言葉があったことを挙げている。
 それは、「君が代」を踏み絵に使って、歌わない教師を徹底的にいびり、差別・排除する都教委のやることとは正反対のことだ。
 つぎに、木村教育委員「いじめ解消は大人だけではできない。子どもを巻き込んで解決すべき。オーストラ
リアではいじめがないようにと学校では、まず、徹底した民主主義教育をする。(都教委も)それをしていか
なければいけない。」(要旨)
 木村教育委員から「徹底した民主主義教育」のことばが出るとは思いもしなかった。東京の全公立学校の民主主義を奪っておいて、よくもこのことばを言えたものだ。氏の言う「民主主義」って何なのか?!

 さて、いじめ解消に向けて都教委は、「いじめを見て見ぬふりせず、子供たち同士が主体的に話し合い、解決に向けて行動できる」ことをめざすという。これも、よくも言えたものだ。個々のいじめの背景は複雑だが、都教委の政策はその温床になっていないか。例えば、子どもたちは授業中に落ち着いて座っていられない子に向かって「しんしょう」「○○組に行け」と言い、いじめや仲間外れの対象にすることが多々ある。障がいを持った子どもの普通学級からの排除、テスト・競争主義の低年齢化、算数・数学の能力別授業や全国・都学力テスト、高校序列化の推進。これらが自己責任を強調する新自由主義といわれる風潮と結びついて、子どもたちに劣等感と優越感を植え付け、自己肯定感を奪い、心の発達を阻害すること、どの子も一緒に助け合い、共に生きることを否定した結果の一形態がいじめとしてあらわれることの認識が、都教委及び教育委員には極めて乏しい。
 また、都教委は、「日の丸・君が代」強制と「君が代」不起立処分に見られるように、子どもたちと教職員で作ってきた卒業式を禁止し、考えずに指示命令に従うことを子どもたちに教え込んできた。ひたすら指示命令に従うことは、異なる意見に不寛容で、排除を見て見ぬふりする人間をつくりだす。ほかの学校行事も、都教委の介入により上意下達を徹底させたことによって形骸化し、子どもたちにはみんなで作り上げる体験がなくなった。主体的に行動することを禁止してきて、「主体的に」などと、なぜ言えるのか。
 いじめ・差別の拡大再生産の教育をし、その一方で、いじめ解消とは。「都教委は自らの行いを見てからものを言え」と言いたい。教育委員の発言を聞いていて無性に腹が立つとともにむなしくなった。
 2012年9月26日、品川区伊藤中でいじめによる自殺があった。このことが起きた直後の定例会の議案にいじめ問題があったにもかかわらず、この件に関しては一切の報告も質問もなかった。その後も議題になったことはない。

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