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2019年7月

2019/07/25

都庁前通信 2019年7月25日号

F20190725

 

天皇夫妻の「奉迎」に八王子市の3小学校が子どもたちを動員
――学校は「臣民」を育成するのか

 4月23日に天皇夫妻が昭和天皇の墓に退位の報告に来るにあたり、墓のある八王子市では町会自治会連合会(以下、「連合会」)が中心となって「天皇奉迎実行委員会」(以下、「実行委員会」)がつくられた(連合会の会長が実行委員会の代表に就任し、市から報酬が出ている)。その実行委員会が奉迎に子どもたちを動員させた。
 
「市教委は情報を提供しただけ」

 市教委は「実行委員会から『天皇陛下を乗せた車が何時にどこを通過する』という情報が寄せられたから、甲州街道沿いの3校(二小、横山二小、陵南中)にその情報をメールで提供した。立たせろとは言っていない」と言う。学校教育法は、決定の権限を校長としているし、陵南中は立たせなかったのだから、かたちの上では「情報の提供」だったのだろう。
 しかし、校長の一人は筆者の質問に、「メールが来る前に、指導担当部長から『対処してください』と言われた。対処ということは、立たせろと命令はしないが、忖度しろということ」と答えた。市教委はメール文で、「参加の可否」を報告させた。このことからも、忖度を求めていたことが十分にうかがえる。
 墓を訪問した後、夫妻は高尾みころも霊堂を訪問した。その際に沿道となる浅川小は5、6年生に出迎えと見送りをさせた。校長は「連合会から要請を受けたからやったのではない。校長である私が決めたのだ。連合会が教えてくれたから、(『御出迎えと御見送り』が)できた。連合会は子どもたちに旗も準備してくれた」と言った。
 「出迎えと見送りは敬意の意思表示。思想の強制になるとは考えなかったのか」と訊くと、「連合会から話があって、あえてそれをやらないのは、反対の意思表明になる。敬意を持つのは、日本の国のルールであり、文化だ。あなたのように反対する人がいるのは承知だが、多くの国民が天皇に敬意を持っている。共産党も赤旗で代替わりに賛意を表明している。」と校長。少数の意思は踏みつぶしてもいいと考えるようだ。
 2004年の園遊会で、都教委の米長委員が平成天皇に「日本中の学校で日の丸を掲げ君が代を歌わせます」と話し、天皇は「強制にならないように」と答えている。今回、天皇夫妻は子どもたちのエキストラさながらの動員を知ったら喜ぶのだろうか。

「子どもたちが前列でお迎えできるよう御配慮」を

 実行委が出した4月15日付文書は言う、「天皇皇后両陛下 武蔵陵昭和天皇山陵に親謁の儀に伴う八王子奉迎(沿道お迎え)対応について」は、「国旗小旗は、当日沿道にて、町会自治会連合会の方から配布します。沿道では、子どもたちが前列でお迎えできるよう御配慮方お願いします。」。子どもを動員することに力点を置いていることは一目瞭然だ。戦前の天皇制のもとで子どもたちは天皇奉迎に度々動員された。同じことがまた繰り返されている。
 憲法1条は「天皇は日本国民の象徴」と謳うが、同19条で「思想・良心の自由」、20条で「信教の自由」を各人に保障している。敬意の表明を押し付けてはならないのだ。公教育がそれをしてはならないのは当然の理だ。

 



7月11日都教委定例会傍聴報告
教科書採択には、それ以前の問題が

 この日の議題はただ一つ、教科書採択に関する報告。都教委が教科書選定審議会に諮問したことに対する審議会の答申が報告された。前回定例会も公開議題は2件のみで要した時間は30分、今回は 25分。まとめて1回の開催でいいではないかと思うが、そうはいかないものなのか。
 答申は、ア)都教委が作成した「特別支援学校(小学部)用教科書研究資料」(来年度から使用)は適切であり、都教委はこれと「教科書調査研究資料(小学校)」(区市町村教委へ配布済み)等を資料とし、都教委の責任と権限において、適正な採択を行うこと。 イ)都教委は、今回作成した資料も区市町村教委に配布し指導、助言・援助を行うこと。 ウ)都立中学校(特別支援学校中等部を含む)で来年度使用する教科書(2015年採択)は、新たに検定を経て採択の対象となる教科書がないため、前回採択時の教科書が採択対象となること。
 例年通り、7月下旬(本日)の定例会で採択を議題にするという。

 都教委は教科書採択の際に、教育委員の発言に圧力がかかる危険も心配されるとの理由で教育委員は公開の定例会では発言しない、実質非公開としてきた。文科省の「外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく,静ひつな環境を確保」するという「通知」を悪用している。公開で議論している自治体も多く存在する。市民が議論の具体的経過を知ることは大切なことだ。私たちはこのことを問題にしてきたが、これについて都教委が選定審議会に諮ったことはない。選定審議会は形だけのものといえる。

 また、採択以前の問題がある。そもそも教科書の内容が、「国定教科書」というべきものになってしまったこと、「安倍内閣宣伝誌」でもあることだ。
 社会科の教科書検定基準に「政府見解」を書くことを加え(2014年)、書かなければ検定を通させないようにした。2014年採択の現行教科書でも領土についての記述が大幅に政権寄りの記述になり、地図帳にも領土の境界線が入るなどしたが、今回は検定基準の変更だけでなく学習指導要領の改訂(2017年 社会科では領土問題を入れ、自衛隊についての記述を増やすなどした。)もあって、教科書会社は検定の際に、こと細かに書き換えをさせられた。政権が変わると教科書の記述が変わる。子どもにとってみれば「正解」が変わるのだ。時の政権の意向を子どもたちに注入することになる。あってはならないことではないだろうか。
 教科書の「国定教科書」化も、安倍一次政権での2006年教育基本法の改定が生み出したもの。子どもたちが、人格を持った一人の人間として育つことよりも、国家に命を差し出すイエスマンを育成する安倍内閣・教育行政を終わりにせねばと思う。

 本日の議案には、非公開議題とされる懲戒処分案件がなかった。この案件がないのは記憶の限り、この数年で初めてではないかと思う。
 中井教育長が退任し、藤田裕司氏(元産業労働局長)が新教育長に就任。就任の挨拶は傍聴者が入場する前に行なうとのことで、傍聴者は定例会開始時刻の10時を2分過ぎての入場となった。挨拶を非公開にする理由はないだろうに、と思う。

通信へのリンク

2019/07/11

都庁前通信 2019年7月11日号

F20190711

 

6月20日都教委定例会を傍聴して
学校への情報端末の持ち込み 禁止から可へ
――なぜ? 子どもの教育を受ける権利よりも、企業の利益優先か

 これまで子どもたちが携帯電話やスマホなどの情報端末を学校に持ち込むことを、都教委は通知(2009年)によって、小学校から高校まで禁止し、特別支援学校では生徒の実態に応じて学校が判断するとしてきた。この通知は文科省の同通知とほぼ同時期に出された。
 しかし今後、都教委は2009年通知を廃止し、都立学校(中等教育学校後期課程を含む)では校内への持ち込みや使用許可を校長が判断する、区市町村立学校については、各教委が判断するという方針を示すという。
 文科省が今年5月に「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」を設置し、今後、学校における情報端末の取り扱いについて、改めて方針を出す予定というから、それに合わせてのことのよう。文科省がこれを打ち出したのは、総務省からの強い要請(=教育への介入)があってのことだ。教育は政治からから独立しているという理念も消えてしまった。
 方針の変更について都教委は、児童・生徒のスマートフォン利用率が高校で97,3%、小学生でも63,9%にのぼる中、スマートフォン等の持ち込みを一律に禁止するのではなく、学習指導や安全確保のために適切に活用できるようにするためだという。昨日まで持ち込んで取り上げられたり叱られたりしていたのが、今日からは授業等での活用となる。まず、生徒と保護者に丁寧な説明が必要だろう。
 すでに都教委は 2018 年4月から2年間、白鷗高校及び附属中学校など10校を BYOD(Bring Your Own Device)研究指定校に指定し、「Wi-Fi環境を普通教室に整備し、生徒の所有するICT機器を活用した学習支援等を実施することの有効性を検証し、導入時及び運用における課題の解決の方向性を検討」しているという。
 方針が大きく変ったにもかかわらず、2009年通知についての総括を都教委は出さなかった。教育委員からはいつものように一言ずつではあるが、「ゲームをしてしまうなどのマイナスの側面をどうするか」「このことがさらに教員の負担になるのではないかと心配」との発言もあったが、報告は了承された。
 情報端末を授業で用いるということは、企業がさらに教育に参入し、ハード面・ソフト面ともに莫大な利益をあげるということだ。教育を受ける権利の主体である子どもたちは、生の声での対話の機会を奪われ、また、ますます「教師と生徒との人格的接触」(旭川学テ最高裁判決)の機会が奪われ、孤立させられていくのではないか。集団の中で自己を表現し、行動を選択することを学ぶ場が学校であり、そのかじ取りをするのが教師の役割であるのに、子どもたちからその場を奪うことになるのは必至。教員は、情報端末の操作さえできれば事足りることになり、非正規雇用がますます増えるのではないか、とも危惧する。一方で、学校カウンセラーやソーシャルワーカーを非正規雇用で配置していることとの矛盾。子どもたちに必要なのは、生活する中でじっくりと話を聞いてくれる、主体的・自律的な教員であり、そうした学校体制である。
 子どもの育ちと企業の利益(=政権の利益)を天秤にかけるような愚策・悪策に、腹立たしく悲しくなる。

 



18年度都内公立学校における体罰――都教委は研修による体罰根絶を掲げるが

 2012年度から文科省が始めた体罰実態調査。全公立学校の校長、副校長、教職員、児童・生徒を対象にした調査結果を、都教委が「体罰関連行為のガイドライン」(2013年)に示された体罰分類基準に沿って、「体罰」「不適切な指導、暴言等行き過ぎた指導」「指導の範囲内」に分類した報告である。調査方法は、教職員は校長による聞き取り、児童・生徒は質問紙及び聞き取りによる。
 報告は、
ア.調査に対し、〈体罰があった〉との報告を提出した学校は13,6%。提出しなかった86、4%の学校は体罰がなかった学校とのこと。
イ.「体罰を行った者」は23人。調査を始めた2012年度の182人との比較では、1/8に減少しているが、この3年間と比較すると横ばい。「体罰」とは認定されなかったが、「不適切な指導等」をした者が197人。「指導の範囲内」と認定された者が149人。
ウ.体罰を受けた児童・生徒は、23校31人。2017年度は19校23人であり、増加している。
エ.「体罰」の程度が著しい事案(=体罰を行った件数が5件以上、傷害あり、悪質・危険な行為)と認定されたのが、高校で4件、中学校で2件、小学校で1件の、計7件(SNS投稿がきっかけでその後、新聞報道もされた町田総合高校の件も、ここに分類されている)。

 「体罰がなかった学校が86,4%」というのは本当か。傷害に至らなくても言葉による暴力を「体罰」と認定したか。校長による聞き取り調査の段階で「体罰」から外されたのではないのか。また、集計段階で「指導の範囲内」と認定された149という件数の多さも異常だ。本人や周りが体罰と感じ、心を痛めてこたえたことに対し、一体どのような‟基準"で体罰ではない、「指導の範囲内」としたのだろうか。この報告の信ぴょう性自体に疑念を持った。

 報告を受けて教育委員から、「体罰ではなく、教育の一環ではないかというケースもあるかもしれない。」との発言があった。児童・生徒、教職員から「体罰」と上がった行為のうちの149人が「指導の範囲内」と認定されたのも、この教育委員のような‟基準"が働いた結果なのではないのか。
 この教育委員の発言に対し人事部長は、「教員に主体的に考えてもらうよう、(校長に)研修を計画してもらう」と応答した。
 体罰等の根絶に向けた今後の取り組みとして都教委は、「7・8月を体罰防止月間とし、・・・校内研修等を全公立学校で実施」「全公立学校が体罰根絶の宣言を行い、ホームページ等で公表」などを挙げる。しかし、研修や宣言で体罰根絶が不可能なのは明白だ。調査を始めた2012年度と比べれば体罰は減少しているが、それは至って当然のこと。研修や宣言で根絶に向かわなかったから、その後横ばい状態が続いている現実を都教委は直視すべきである。
 人事部長の「主体的に考えて」の発言に一言。都教委は、日常の仕事の中で教員には指示に従うことばかりを求め、主体的に考え行動する機会を奪い続けている。この件だけに主体性を求めても、求められるものではないだろう。また、教員自身が中学生以降、体罰が横行する部活動を体験した人もかなりの数いるだろうから、暴力の再生産が起き、体罰を教育と勘違いしてしまいがちなのだ。
 戦前の軍国主義日本で教育が体罰と親和的だったことも忘れてはいけない。
 体罰根絶に向けて必要なのは、仕事の中で同僚と論議でき、自由な発言・助言が行き交う自立的な職場環境である。教員たちが話し合いによって職場・学校をつくり、子どもたちとも話し合いをもとに教育活動していったなら、暴力=体罰に向かわなくなるだろう。

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