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停職「出勤」日記2009

2009/10/05

10月2日(金)

 待ちに待った初出勤の1日、学校の玄関をくぐると、見慣れない背広姿が目に入った。「都教委の方ですか。お名前は」と聞くと、「金子です」。西部学校経営支援センター西支所の指導主事だという。何のためにここにいるかを聞くと、「副校長と話があって」と言う。「話をするのに普通は、玄関ではしないでしょう」と私は言ったが、金子氏は無言であった。
 私は職員室に急ぎ、職員のレターボックスに用意してきた挨拶文を入れた。手伝ってくれる人がいたので、始業前に完了した。朝の職員打ち合わせが始まり、前方を見ると、副校長の隣近くに、今しがた見たばかりの金子サンがいる。これをここで問題にすべきか、考え、今日のところは黙っておいた。
 1日は「都民の日」で学校は休業日、生徒は休み、教員も少ししか出勤していない、寂しい初出勤の日だったけれど、多くの人が労いのことばをかけてくれた。
 2日はいつもの学校、「復帰してよかったですね」「がんばってください」という高等部の生徒、「家庭科の授業ができてうれしい」「授業がとっても楽しみ」と言ってくれたのは、中学部の生徒。高等部や中学部の生徒たちが復帰を喜んでくれたことが何よりうれしい。

 以下は、挨拶文




同僚の皆さまへ

停職が明け、復帰しました。
今日からまた、一緒に仕事をさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
03年以降ほとんど毎年都教委の指示で異動をさせられてきた身としては、再びあきる野学園で働けるのは、この上なくうれしいことです。新学年を迎えた子どものような心境で今日を迎えました。

処分された6ヶ月前と現在とでは、政治情勢が大きく変わりました。政権交替があったからと言って、それでいい政治がされるとはまったく思いません。しかし、有権者がきちんと声を挙げることで政治は変わり得るということを、今回の都議選、衆院選の結果は示しています。
都教委はおかしい! 現場に下ろしてくることは子どもたちのためにならないことばかり!! 「君が代」不起立で処分を受け続ける私だけでなく、教員の多くがそう感じています。三鷹高校をこの春退職された土肥元校長は、それを公表され、裁判に訴えられました。
復帰に当たり、とりわけ新採の方々に向け、都教委の教育行政について一言述べたいと思います。どうぞ、お付き合いください。

1999年石原氏が都知事に就任するや、それまで他県と比べ比較的民主主義が活きていた東京の教育は、破壊の一途を辿らされました。指示命令に考えずに従う、さらには、上の意を汲み取り率先して動く従順な子どもをつくるという明確な目的を持って石原都教委は、憲法も教育基本法も子どもの権利条約も、東京の教育目標から削除し、まずは、教員の管理統制に走りました。従順な子どもをつくるために、教員に従順さを求めていきました。

自己申告書の提出と業績評価・賃金差別、主幹や主任教諭の導入、週案の提出強要、「君が代」不起立・不伴奏での処分、学力テスト・・・・・・。これらを導入したときの表向きの理由を都教委は、「円滑な学校運営」とか、「児童・生徒の学力向上」などとしましたが、本当の狙いが“従順な教員、従順な子ども”づくりにあったことは、明白です。10・23通達についての次の発言・主張は、それを示しています。
「まずは形から入り、形に心を入れればよい。形式的であっても、(教員や生徒が国歌斉唱時に)立てば一歩前進である」(03.11.11指導部長)
「(不起立が)一人の人、あるいは二人の人だからいいじゃないのと言うかもしれませんけれども、・・・何しろ半世紀の間につくられたがん細胞みたいなものですから、・・・少しでも残すと、またすぐ増殖してくるということは目に見えているわけです。徹底的にやる。曖昧さを残さない。」(04・4・9元丸紅会長の鳥海教育委員)
「起立する教職員と、それを拒否する教職員とがいた場合、その指導を受ける児童・生徒としては、国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまうのであ」る(07.2.2都教委準備書面)。

 果たして学力テストや週案の提出は“従順な教員”づくりとは関係のないことでしょうか。
学力テストについては、教育の自由を奪い、教員を管理統制するもの、ということで、過去に大きな反対闘争がありました。私は、今も教育行政の狙うところに変わりはないと思います。学力テストが、学力向上に効果がないことは、この間、フィンランドの教育と比較し論じられてきたところです。

教育課程審議会の会長であった三浦朱門氏の次の発言は、文科省が学力など、何も考えていないことだけでなく、国の教育に対する考え方を如実に示していると思います。都教委もしかりです。

「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力をできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でもいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」(斉藤貴男著「機会不平等」)。

 週案も、教育の自由を奪い、教員を管理統制するものです。1969年に東京都教職員組合(都教組)と都教委との間で、「一、『週案』『日案』は、強制的に提出する義務はない。 二、行きすぎの校長については、注意し、指導する」(1969年7月7日付都教組新聞「週案に関する都教組-都教委の確認」)ことが確認されました。これは現在も撤回されていませんが、都教委は事実上それを反故にして、提出しない教員に対して校長が圧力をかけてきます。私が2007年度の業績評価において「学習指導」を「D」とされた理由が、週案を提出しなかったこと(他に服装のこと)でした。
 私も当然毎回、授業案を作って授業に臨みます。週案提出を求められるようになった2001年以来、私は「週案を提出することによって、指導助言がされ、私の力量が上がり、生徒の学力が上がるのならば提出しますが、その保証はありますか。その説明をしてください」と校長・副校長(教頭)に言ってきましたが、その説明は未だに得られていません。そんなあやふやな事に応じてしまったら、私の「説明責任」が問われます。責任を持って仕事をしたいので、提出を見合わせているのです。

私が「君が代」斉唱の際起立の職務命令に従わないのは、「日の丸・君が代」の歴史や意味も知らせず、考えさせずに指示に従わせることが、教育ではなく調教であり洗脳だと考えるからですが、それはまた、石原教育行政が次々に出してきた、上にあげた施策と一体の教育破壊であると考え、沈黙してはいけないと思うからです。

免職にされなければ、私はあと1年半で退職を迎えます。その時期が迫るにつれて、口はばったい言い方を承知で言えば、おかしいことにおかしいと言い続け行動することが、若い人たちに対して私が残せることだと思うようになってきました。本当のことが言えない社会は戦争の時代。このことは、日本の先の戦争を見ても、現在の他国を見ても明らかです。日本はまだ、ものが言える社会です。人々がものを言い続けることが、ものを言えない社会を招かない一番の道です。みんなで声を出していきませんか?

 私の今後について触れます。
 例年通りですと、今月中に再発防止研修なるものに出席させられます。“自己の意に反しても起立すべき”という気持ちに改心させる、思想改造を目的とした「研修」です。これを拒否すると、また処分されるので、拒否できません。この再発防止研修を経て来春の卒業式で起立をしないと、停職6ヶ月にとどまらず、懲戒免職や「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」(08年7月15日策定)を使って分限免職にされる危険性があります。
指針には、「研修を受講しない、又は研修を受講したものの研修の成果が上がらない」「職務命令に違反する、職務命令を拒否する」「過去に非違行為を行い、懲戒処分を受けたにもかかわらず、再び非違行為を行」う場合は、分限免職にできると明記されているのです。
 どうぞ皆さま、「『君が代』で処分するな。免職にするな」と声を挙げていただけませんか?

 長々とお読みくださり、ありがとうございました。
人権が保障され、誰もが希望を持ち安心して暮らせる社会の実現と、そのための教育を目指して、皆さんとご一緒に仕事をさせていただきます。

2009年10月1日 
根津公子



9月30日(水)

 停職「出勤」最終日は、南大沢学園に「出勤」した。久しぶりにまとまった雨が降ったのではあるが、最終日は晴天であってほしかった。杉本さん、永井さん、高木さんの4人で元同僚たちや生徒たちを迎えた。

「いよいよ復帰ですね。応援しています。先生がんばってくださいね」と車を止めて言って下さる保護者や、「半年間、お疲れ様でした」「引き続きあきる野で働けることになって、よかったね」と言ってくれる元同僚たちのことばに力を得た最終日であった。

末木さん、清水さん、それに中宮さんも来てくれて、雨の中を行き来する子どもたちと触れ合った。皆さん、忙しい合間を縫ってきてくださり、こうした支援に支えられての停職「出勤」であることを、しみじみ、ありがたく思う。

 「どんぐりに来てください」と今朝も言ってくれた生徒の誘いに乗って、みんなで公園のどんぐり喫茶に行った。ここでも保護者に会って、その方から「先生、がんばってくださいね。いつも応援していますから」と励ましをいただいた。

 「下校」をみんなで見送って、最終日の「出勤」を終えた。



2009/10/01

10月1日挨拶文

以下、10月1日に根津さんが配布した挨拶文です。


 

挨拶文
「挨拶文」のダウンロード



2009/09/24

9月18日(金)

 あきる野学園に。私より先に長谷川さんがいらしていた。近藤さんからは、欠席の連絡が入っていた。
 今朝は、長袖でも肌寒いほど。いよいよ停職も明けると感慨にふけりながら同僚や生徒を迎えた。同僚たちの中にも、「もうすぐですね。待っています」と言ってくれる人が何人もいた。
 午前中、Dさんが取材に来られた。3時近くに、北海道のYさんが立ち寄ってくださった。明日明後日、都心で行われる集まりに参加するために上京されたのだった。貴重な時間を割いて訪問してくださったこと、ありがたい。



9月17日(木)

鶴川二中へ。Nさんは「社会科の授業・続き(5)」を生徒に手渡した。立川二中でも鶴川二中でも、渡されたから受け取るのではなく、チラシをほしくて、前の人がもらうのを待ち、「ください」「ありがとうございます」と言っていく生徒が少数、存在する。受け取りを拒否する生徒がかなりいる中で、この生徒たちは私たちの存在をどんな風に感じ、考えるのだろうか。受け取るも受け取らないも、生徒たちは自分で決める機会を持つ。同じ教室に受け取った人受け取らなかった人がいる現実から、生徒たちは、人の考えが一つではないことを学ぶだろうか。
今日プラカードを見ていかれた通行人は、3人。そのうち、一人(女性)が、にっこりされ、頭を下げられた。別の女性は、「みんながやることをどうしてできないのか。そんな先生には教えてほしくない」と言い、言いたいことを告げると、「あなたの話を聞いてもしようがない」と言い残して去っていった。

以下に、「社会科の授業・続き(5)」を掲載。




「自分で考える」というのはどういうことだろう

 2007年にユニセフ(国連児童基金)が世界の先進国24カ国の15歳の子供たちを調査したなかに「孤独を感じますか」という質問があります。国別にみると「孤独を感じる」と答えた割合が最も多いのは日本で29.8%です。3人に1人が孤独だと感じていることになります。二番目に多いのはアイスランドで10.3%です。それ以外の国はすべて10%以下です。一番少なかったのはオランダで2.9%でした。こういう数字の解釈は難しい点がありますが、日本だけが突出しているのは何かがあると考えざるをえないのではないでしょうか。

 オランダをみるとほかにも見えてくることがあります。WHO(世界保健機構)が41カ国の13歳の子供についておこなった2005、2006年の調査ではオランダは「親になんでも相談する」という子供の割合が上位3位、「生活に満足している」とこたえた子供の割合が1位、「学校が好き」という割合が4位、逆に「学校の勉強がプレッシャーになっている」は40位と下から2番目です。

 孤独感とは何かということも難しい面がありますが、このようなオランダとの比較から「信頼して話し合える相手がいない、世の中で自分の居場所がないような気がする、自分というものに自信がもてず不安な気がする」といったことが考えられます。

 オランダと北欧諸国とよばれている北ヨーロッパの国々(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)(どこにあるか地図で確かめてみてください)は日本に比べて貧富の差がはるかに少ないのが特徴です。

 オランダと北欧の国々は高校から大学まで教育費はほぼ無料でフィンランドの大学以外には入学試験はありません。1人ひとりの違いをみとめて、自分で考える力をそだて、個人が持っている能力や才能を社会で生かしていくことを大切にするので入試で人をふるい落としていくことはしないといわれています。

 そして、これらの国々の教育の特徴のひとつは、小学校や中学校のころから社会的な事柄についてよく話し合うことです。オランダでは小学校の授業で社会で起きていることを取り上げて話し合います。デンマークでは今日本で話題になっている「高速道路の無料化」のようなことが環境教育のテーマとして中学生の授業でとりあげられます。スウェーデンの中学校では選挙になると各政党の政策について生徒たちが討論をします。社会で起きることについて子供のころから友だちや家庭で話しあい自分で考え意見を言う習慣が身についていきます。

 一昨年日本では教育基本法が改正されました。一番影響を受けるのはみなさんなので、デンマークであれば、子供たちの討論がおこなわれ、反対となると大規模なデモが行われます。小学生もデモに参加する光景が見られます。子供のころから社会について考え、社会とつながっていると感じている人たちは社会をつくっていくのは自分たちで、社会を自分たちが暮らしやすいように変えていこうという気持ちになります。
このように自分たちは社会とつながっていて自分たちの前に社会が開かれているという感じを持つと、将来に希望も持てず世の中で孤立し、居場所もないという孤独感におちいることは少ないのではないでしょうか。昨年起きた秋葉原の無差別殺人事件の犯人の青年は「誰でもいいからかまってほしかつた」「どうしておれだけ1人なのだろう」と言っています。

 卒業式も日本のように国旗をかざって君が代を歌うことはしません。たとえばスウェーデンのある公立中学の卒業式の光景です。「中学2年生の代表のあいさつ、みんなで考えた歌、楽器の演奏、女子生徒のダンス、校長先生の卒業生を送るあいさつ、最後はスウェーデンの学校で必ず歌われる讃美歌『今、花の季節がやってくる』を全員で歌う」。(先進国で国旗をかざって国家を歌う国はほとんどありません)。

 これらの国々も教育はその国が持つ価値観を生徒に尊重することを求めていますがそれは抽象的な愛国心ではなく1人ひとりの人間を大切にするという価値観であり、国境をこえた多様な文化の中で生活できる能力を身につけること、そのためにも自分で考え、行動する人格を育てていくことを大切にしています。これらの国々もバラ色の社会ではありません。多くの問題をかかえています。しかし、すくなくとも「自分で考えるというのはどういうことか」をみなさんが考えるヒントをあたえてくれるのではないでしょうか。
 それでは「自分で考えるというのはどういうことか」考えてみてください。



9月15日(火)

 あきる野学園に。7時30分、駐車場に着くと私を呼ぶ声がする。「加藤さん!」。群馬の人がこの時間にどうやってここに?私は、狐につままれたよう。今朝思い立って出てきたのだとおっしゃる。加藤さん、そしていつもの近藤さんと3人で同僚や生徒を出迎えた。
 今日は、校外学習で出入りする学年・クラスが多かったので、子どもたちの笑顔や元気な声をもらい続けた。



9月14日(月)

 2時から河原井・根津の06年「君が代」処分取消訴訟控訴審第1回、4時半からは東京教組10人の04、05年「君が代」処分取消訴訟進行協議。



2009/09/13

9月11、12日

 北海道教組帯広支部の教研集会に参加した。



9月10日(木)

 立川二中へ。私が校門前に立つと間なしにNさんが見えた。Nさんが「社会科の授業・続き(4)」を生徒に手渡し始めたところに、地域の挨拶隊(=2005年、私が停職1ヶ月にされて校門前に立つようになった数日後から始まった)の一人がやってきて、私たちのところに立った。第二木曜日の担当と言う60代後半に見える女性だ。私たちが挨拶のことばをかけても、今日も無視するような感じ。女性が立ち始めて2~3分、ふと見ると、女性の手には、Nさんが生徒に手渡したチラシがある。どういうこと?と思って見ていると、女性の横を、チラシを受け取った一人の生徒が通ろうとしたその時、女性は生徒の前に、手を広げて出した。ことばはなくても生徒は、その手にチラシを置いた。

 生徒が過ぎ去ったところで私は女性に言った。「何の権限、誰の判断でチラシを取り上げるのですか?」。女性は、「勉強に関係ないものだから」「私の判断」「悪気はない。ただのおばさんだから、難しいことはわからない。ボランティアをしているだけ」と逃げの一手。「わからなくて取り上げるわけないでしょ。下手な嘘は止めましょうよ。あなたが読ませたくないと思ったから取り上げたのは明らかじゃないですか」と、生徒がいない時に途切れ途切れに言った。そして、「あなたが取り上げた生徒に返してくるべきでしょう」と迫ると、取り上げた2枚のうちの1枚を、その直後に「登校」してきた別の生徒に渡した。「これでいいでしょ?1枚は、私が読みたいから」と持っている。

 「子どもは、いろんな考えがあることを知ったほうがいいのです。知れば、考え、判断します。それが勉強です。あなたのように、あなたの知らせたくないことは、妨害するなんて、していいことではないでしょう」「あなたの行為は、憲法19条、21条違反ですよ」と話したら、その女性、またまた、「ただのおばさんには難しいことはわからない」と逃げた。

 始業のチャイムがなると、その女性、「さ、終わりでいいかな」と独り言を言い、校舎に向かって歩き出した。玄関の中に姿を消したかと思うと、数秒で出てきた。案の定、入るときには手に持っていたチラシはなかった。数秒でしたことははっきりしている。きっと、女性は、正義の仕事をしたと思っているのだろう。チラシは届けなくたって、インターネット上の「停職『出勤』日記」で読めるのに。

 今朝も、自転車で学校前を通る、お孫さんが二中に通われているSさん、卒業生のAさんと声を掛け合った。他に、子ども用いすを前後につけた自転車で出勤される女性が、笑顔で頭を下げられ、「がんばってください」と明るい声でおっしゃって行かれた。初めての方だ。

Nさんが帰られ、一人本を読んでいると、市議のHさんが、気づかない私に、今朝もクラクションを軽く鳴らして、挨拶をしてくださった。

 しばらくして、車が止まり、若い男性が私を見ながらこちらにやってきた。サングラスを取ったその顔は、卒業生のKさん。すぐにわかった。高校を卒業した後、専門学校に行っていて、今日は試験なのだという。大急ぎで近況を伝え合い、「先生がんばって」「Kさん、試験、がんばってきて」と別れた。

 午後にも卒業生が声をかけてくれた。現在高校3年生、顔はわかったが、名前が出てこない。「ごめん」と言って、名前を聞いた。3年生になると選択授業が多く、今日は午前授業。学校帰りにおばあちゃんの家に寄ってきたからここを通ったのだという。「先生、まだがんばっているんだ」と感心された。

 今日は、暑い中を、谷島さん、それになっちゃん(八王子時代の生徒)が来てくれた。

 思いがけず、懐かしい出会いあり、訪ねてくれる人ありで、とっても濃密な、短い一日だった。



9月9日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。私が着くと間なしに高木さんが来てくれて、二人で生徒や教職員を出迎えた。一人の生徒は、いつもの二人がいないことが気になったようで、「杉本さん、永井さんは?」と聞いてきた。「永井さんはお仕事で、今日は来れないの。杉本さんはわからないなあ」と言うと、「わかりました。行って来ます」と答えて、中に入っていった。

 しばらくして、杉本さんがいらして、3人、校外学習に行き来する子どもたちと挨拶を交わした。「登校」時に今朝もAさんが、「喫茶室やっているので、来てください」と誘ってくれたので、昼近くに行き、Aさんに「来させてもらいました」と言って注文をした。Aさんは、うれしそうに頷いた。

 通学バスを見送って、「退勤」した。



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