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停職「出勤」日記2007

2007/10/16

10月5日(金)

Dscn0097  「処分より対話を!都教委に『君が代』解雇をさせない!都庁前One dayアクション」の日。7時半に都庁前に着くともう、一人いらしていた。チラシまきを始める8時には30人以上の人がいらして、第一庁舎前と第二庁舎前とに別れ、マイクも2箇所で使って情宣、チラシまきをした。次々と参加者が増え、チラシは瞬く間になくなってしまった。

 第一回目のリレートークと出し物を始める9時半には、90人の人になり、1日で総勢400人もの人が駆けつけてくださった。大阪、愛知、三重、宮城、茨城、長野、房総半島の最南端から参加してくださった人たち、仕事にいけば入る賃金を棒に振って参加してくださった人たち、「君が代不起立」をご覧になって遠くから来てくださった今日が初対面の人たち、そして、停職「出勤」で知り合った人たち。皆さん、「処分はおかしい!」と発信したことで関心を持ってくださった人ばかり。石川中の教え子であるNちゃん、Iちゃんも来てくれて発言をしてくれた。Hさんは、仕事で参加できなくて、と丁寧にメールをくれた。とってもうれしかった。

Dscn0099

 北九州で処分をされ闘っているココロ裁判の人たちは、ご自分たちの裁判の後にチラシまきをして東京の現状を地元の人たちに伝えてくださったり、大阪では、13日に集会を企画してくださったり、はたまた、私たちに呼応してアメリカ、フランス、カナダから連帯のメッセージ、決議や都教委への要請文が届けられた。サンフランシスコ、ロサンゼルスの日本領事館に抗議文を届け、行動してくださった人たちもいらっしゃる。

うれしい出会いがたくさんありました。歌や演奏、詩の朗読と気持ちが癒され、あるいは気持ちが高揚する場面もあり、担当してくださった方々に感謝です。

 大勢が都教委の処分に怒っている、ということは都教委に伝わったはずです。

Dscn0115

 One dayアクション第二弾についてもこれから考えます。

10月4日(木)

Dscn0048  再発防止研修の基本研修に水道橋の教職員研修センターに行かされた。9時少し過ぎに着くと、都教委への抗議と私たち2人への激励にすでに何人もの人が来てくださっていた。支援者は続々集まってくださり、私たちが建物の中に入る頃には、50人ほどに膨れ上がっていた。ありがたい。

10時10分前、それぞれ指定された部屋に入った。処分量定が違うから別々の部屋にしたのだそうだが、地方公務員法を説明するだけなのだから、別室にする必要はないだろうに。受講者1人に対し、担当者、講師、記録係、校長と4人を配置し、講義が始まった。担当者はS研修部教育経営課長、講師はI企画部企画課長。

 今までと同じに講義のはじめは、「所属、職、氏名を言ってもらえますか」で始まった。私は、「私が受講を申請したのではなく、あなた方のほうで私を特定して呼び出し、今日受付で受講票まで出しているのに、なぜ、聞かれるのでしょうか」と訊いた。「研修する上でお聞きしたい」「名前を訊くのは、当然のこと。一般的なこと」との講師の返事。「拒否するのか」とさらに聞くので、私は、「拒否をしているのではない。理由のわからないことには答えられないのです」と言うと、講師は校長に回答を求めた。

 講師の2番目の質問は、「教員経験年数は? どんなことに力を注いできたかを話してください」だった。「大勢を一度に呼んでいるのではなく、私を呼び出し、受講させるのに、私についての資料をご覧になっていないのですか? 授業をするにも、生徒たちの状態をつかんでおくのは当たり前のこと。あなたは、当然すべき準備をされていないんですか」と訊くと、「おおよその年数は知っていますが、もっと詳しく知りたいのです。書類の上での情報収集以上に」と言う。名前を訊くことから始めるのは事情聴取の時も同じ。警察の被疑者取調べとも同じなんだろう。

 講義に当たって私は、講義の後質問の時間をきちんと確保してほしいことを要求し、この場で回答ができなかったことについては、後日回答をもらえるのかを確認しようとしたが、「5分質問の時間をとっている」「とにかく話を進める」と講師は一方的に言い、原稿を読み上げ始めた。読み上げた内容は、これまでの再発防止研修のときと同じに思えたが、今までよりも踏み込んだところがあるように思われた。

質問したいことはいくつもあった。「信用失墜行為は、勤務時間にかかわらず、個人の行為であっても該当する」と読み上げたことについて私は、「刑法に抵触することならばわかるが、ほかにどんなことが該当するのか」を訊いた。講師は、「こうむ(公務と校務のどちらか?)に悪影響を与える場合」であり、その判断は、「任命権者の裁量」だと言う。
具体例を求めたが答えてくれないので、「今日私たちの支援に集まった人たちの中に教員もいるでしょうが、この場合は信用失墜行為に該当しますか」と訊くと、「そうだ」と言う。後から「一般論」と付け加えたが、この講師の意識は「そうだ」にあるのだろう。聞きたいことがたくさんあるというのに、「時間です」と講師は引き上げてしまった。「よく読みたいのでその原稿を私にください」と今回もお願いしたが、くれなかった。

講義では今までと違い、免職についての言及があった。河原井さんにもなされたそうで、質問をしたかったが、できずじまい。

講師が引き上げた後、報告書の作成を命じられた。「応じようにも講義に対し質問がいっぱい、答えてもらわないと報告書は書けない」と申し出たが、担当者は「お書きください」を連呼する。仕方なく、レジュメを写して報告にした。所感は書き始めたら時間だと言われ、途中で提出をさせられた。12時20分退室。5時間休暇に入り、待っていてくれた人たちにお礼を述べ、報告をした。

4時からは、05年春の処分についての裁判があった。

10月3日(水)

 いよいよ生徒と出会った。担当することになった生徒が通学バスから降りてくるのを受けて、一日が始まった。1日も早く気持が通じ合うようにがんばりたい、と思う。下校が済んで、私自身は朝からトイレに行っていなかったことに気づいた。

10月2日(火)

 開校記念日で生徒はお休み。午前中、私が入ることになったクラスの教員2人から説明を受けた。職員室に戻ると、愛知のNさんから祝電が届いていた。うれしく、ありがたい。

10月1日(月)

 南大沢学園養護学校に初出勤。前夜はいつもより早くに布団に入ったのに、やっぱりほとんど一睡もできずに朝を迎えた。7時半校門前に着くと、もう何人か、校門前「出勤」に同行してくれた人の姿があった。いつも7時50分過ぎに校門を通過する校長がこの日は、私が着いて間もなく出勤してきた。「あら、今朝は早いんですね」と声をかけたが、校長は黙って頭を下げ、中に入っていった。Mさんが作ってきてくれた「根津さんを解雇しないでください」「校長先生、職務命令を出さないでください」などと書いた何枚ものプラカードを読んでもらう間もなく。そこでみんなは、校舎内にいる校長に向かって、プラカードのことばを唱和した。辺りは静かなので、声は校長にしっかり届いただろう。都教委にも報告が上げられているはずだ。

 私を激励しに集まってくれた15人の人たちと出勤式をした。私は、「今日は仕事に復帰の日であり、同時に解雇に向かうカウントダウンの日でもあります。でも今は、いよいよ仕事だ、とうれしくて、よっしゃ!がんばるぞ!という気持ちです」と挨拶した。近藤順一さんから黄色のバラの花束をプレゼントされ、とっても感激。たくさんの力を得て、8時過ぎ、校舎に入った。

 今日は都民の日で生徒はお休み、教職員もちらほらしか出勤して来なかった。出勤している人と挨拶を交わしながら、皆さんの机上に用意してきたあいさつ文(※)を置いた。朝の職員打ち合わせで校長から紹介され、自己紹介をさせてもらった。

 午前中校長から学校の説明があったのだが、冒頭、「発令書を渡します」と言われた。案の定、卒業式での不起立に対する再発防止研修を受講せよという発令書だった。「10月4日」ということで、Iさんと同日であった。何はさておき、最初に発令書を渡す校長に、私はもっと優先してかけることばは持たないのかしら、と思った。

 この学校は、開校11年目なそうだが、2年後(?)には小・中学部はなくなり、開校当時の母体校だった多摩養護学校に移転、高等部と職業科の学校に変わるのだと言う。正確には覚えていないが、おおよそこのようなことを聞かされた。この話はいつから出ていたのか尋ねると、11年前の開校から数年(5,6年)後のことだそうだ。

「開校数年で廃校とは、余りに見通しのない計画だったのではないか。卒業した子どもたちの母校がなくなるというのは大ごとだと思いますが、校長はどうお考えですか」と聞いたが、「都教委のやることを実行するのが校長の仕事ですから」と、考えは聞かせてもらえなかった。私は、「現場の声を都教委に伝え、橋渡しをするのが校長の仕事だと私は思いますよ」と言ったが、返事はなかった。この校長ばかりではなく、知る限りどの校長も、校長は教育委員会から派遣された伝達・執行及び監視役と、思い込んでいる。学校教育法上は、教育委員会から独立しているのに。

 事務手続きやらで、1日目は終了。


(※)南大沢学園養護学校教職員の皆さま

 今日から出勤しました。停職中は、たくさんの方から声をかけていただき、元気を与えられました。子どもたちの顔もずいぶん覚えましたし、送迎される保護者とも多少とも知り合い、私の気持ちは意欲に満ちています。しかし何分にも養護学校は初めてのこと、戸惑いの連続かと思います。
皆さま、どうぞご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

さて、今東京の学校は、子どもたちの声を救いあげ、知恵を出し合い話し合い、教職員の総意で学校が動いていた、民主的で自由闊達なかつての学校とは大きく変わってしまいました。都教委の通達や通知が幅を利かせ、理不尽なことや子どもたちの幸せに背反することが進行しています。パワーハラスメントによって新採用の小学校教員が2年連続して自死に追い込まれもしました。私は一人の教員として、今を看過することができずにいます。若い方には、その比較が難しいでしょうが、長く学校に身をおいてきた私には、現在の学校現場に非常な危機感を持ちます。

 足立区での学力テストで、不正や障がいを持った子どもの答案抜き取りがありました。私はこれについて、一人校長の問題ではなく、上意下達の組織の中で、起こるべくして起きたことだと考えています。都教委が地区毎の成績順位を発表する中で、足立区教委は「最下位」を脱却すべく、順位によって学校予算に差をつけようとしたり、練習問題を配布しようとしました。その区教委の指示を果たそうとする余り、校長は判断力を失いました。そして、その校長の誤りを教職員は指摘できませんでした。誰もが、上意下達のピラミッド体制に組み込まれ、「おかしい!」と言える人がいなくなったために起きたことです。職員会議がかつてのように最高議決機関として位置づけられていたら、起こらなかったことでしょう。この事件は、都教委の進める上意下達体制下で組織の構成員が判断力を失い、その結果教育破壊を招いたという一例です。

 ところで私は「君が代」で不起立を続けています。子どもたちに一遍の説明もせずに「日の丸・君が代」を強制するのは、教育を否定し、子どもたちを調教することだと思うからですが、同時にこの問題は、上述した学力テストの問題と同じく、上意下達の組織体制の問題であると思います。「君が代」処分は職場を命令と服従が支配する上意下達の組織にするための「最良」の手段です。事実、10・23通達以降職場は、命令が闊歩するところとなってしまいました。

 私は、現場にいる私たちがおかしいことにはおかしいと、当たり前に発言することが何よりも大事だと思います。それを取り戻したいです。私たち教職員が、それぞれの教育的信念を持ち寄り、論議を深めることで、責任の持てる教育活動が実現するはずです。また、子どもの成長や幸せを願う気持ちは、教員皆同じですから、話し合いを重ねることによって一致点が見出せ、子どもたちにとっても教職員にとっても楽しい学校をつくれるはずです。私は体験を通してそれを確信します。私だけでなく、年配の人たちは、そうした体験をされてきただろうと思います。
私はそのような学校を取り戻したいです。こんなことを念頭に置き、皆さんに教えていただきながら、ご一緒に仕事をしたいと願っています。

 末尾になりましたが、皆さまにご理解していただきたいことがあります。都教委は、「停職は6ヶ月まで」と言います。とすると、来春の卒業式で不起立したら、私は免職にされるでしょう。私はそれには納得できませんし、またそのことは、私一人の問題ではなく、東京の教育全体に及ぶ問題になると思います。ますます東京の教育破壊が進みます。ですから、私は都教委に処分を断念させるべく、闘いをしていかねばなりません。同じ問題として、裁判闘争もあります。そのような事情から、年休を取ることがしばしばありますが、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

 皆さま、どうぞよろしくお願いします。

2007/09/28

9月27日(木)

 鶴川二中最後の停職「出勤」。プラカードには、「来週から南大沢学園養護学校で仕事をします。皆さん、今までお世話になりました。私はこれからも、おかしい命令には従いません。正しいと思えば、命令されなくても、進んでやります」と言うようなことを書いた。プラカードをいつも立ち止まって読んでいく生徒は、私の到着前に登校したようでちょっと残念。

しばらくすると、副校長が校舎から出てきた。今朝も報道人が同行したからだった。「生徒は写さないから大丈夫ですよ」と言ったが、私の監視は仰せつかっている大事な職務なのだろう。私と一緒に登校する生徒に挨拶をかけていた。

いつも元気づけてくれる生徒の一団が登校してきたので、今日は私から手を振った。「今日でここに来るのは最後。来週からは、ここで仕事に戻るよ」とプラカードの「南大沢」の文字を指して告げると、一人が「先生来なくなると寂しい。戻って来て家庭科教えてよ」と言ってくれる。私が隣にいた副校長を指して、「管理職が私を戻してくれると、できるのよね」と言うと、また別の一人が「そこまでしてなら、いいや」。しばしの戯れをして、一団は中に入っていった。背後から私は、「今までありがとう。元気でね!」と声をかけた。この一人は、つい数ヶ月前までは私に罵声を浴びせかけた生徒だった。5月の連休あたりから挨拶を返してくれるようになり、6月頃からは、いつも励ますことばをかけてくれるようになった。何か心に留まるものがあったのだろうが、何だったのだろうか。

来年またここに立つことになるかもしれないけれど、一区切りとして今日が最後。そんなことを思いながら、校舎や校庭をしっかり脳裏に焼き付けた。

最後だからと学区のKさん、Mさんが来てくださった。また。今日はMさんたちが声をかけてくださって、集まりを持ってくださった。幼児や乳児連れで若い人たちが10数人、それにMiさん、Sさんも加わってくださり、教育と今の東京の学校について語り合った。変な損得なしにまっすぐにものを見ている方たちだった。「君が代不起立」や停職「出勤」が取り持った縁である。「日の丸・君が代」に初めから関心を持っていらした方ばかりでないところがとりわけうれしい。こうした「不断の努力」を積み重ねていったら社会や政治は確実によくなることがわかっているから、権力者は、人々を長時間低賃金労働に追い込み、それをさせない。考える機会と力を奪う。

 電車に乗ろうと鶴川駅に着くと、Uさんたち3人が、29日町田教組主催の「根津を解雇させるな」の集会のチラシをまいてくださっていた。

帰宅したら、昨日の南大沢学園養護学校の校長が言った出勤時間を知らせる案内が届いていた。昨日ことばで伝えれば済むことだったのに、税金80円を浪費して。

9月26日(水)

南大沢学園養護学校に。プラカードには「来週から学校の中に入ります。皆さん、どうぞよろしくお願いします」と書いて、常連となったメンバーで立った。私の名前を一度で覚えてくれた生徒のTさんは、今朝は近藤さんに名前を尋ねた。3ヶ月の間通い続けた近藤さんを、身近な人と思ってくれたのかな、と思いうれしかった。同僚になる人たちも、「いよいよ来週からですね。待っています」と声をかけてくださる方が何人もいらした。

校長は私の前で立ち止まり、一呼吸置いてから、「来週来て下さい」と言った。「私は出勤時間を聞かされていませんよ」と答えると、「時間(について)は郵送します」と校長。「郵送、ですか?!」。私はびっくりして思わず口を突いて出たが、校長は「はい」とだけ言い、頭を下げて中に入っていった。こんなやり取りさえ、校長は都教委から禁じられているんだろう。都教委の言う、校長の「裁量」は一体どこにあるのか?教えてほしいものだ。

 校長の自尊心は傷つかないんだろうか。上意下達の中に組み込まれてしまうと、自分の自尊心が傷つかないだけでなく、他者に対してどんなに人権侵害をしてもまた平気でいられるのだろう。「命令に従うのが、私の職務」と思い込むなんてことがどうしてできるのか、私にはわからない。

 10時を過ぎてしばらくして、「お茶に行きましょうか」と切り出すと、初めて見えたSさん、「日記で読んでいて、ずっと待っていたんです!」。「今日はここへの『出勤』最終日だから」とUさんも後から駆けつけてくれて総勢8人、Mさんが用意してくれたお弁当で昼食会をした。「お祝いの日だから、おかしら付きよ」と言って、Mさん、たい焼きも並べた。なるほど、おかしら付きだ。今日は高等部の生徒たちがいなくて寂しかったけれど、ゆったりとしたひと時を過ごさせていただいた。

 夕刊に、八王子の中学校副校長が痴漢行為をして逮捕されたという記事が載っていた。校長や副校長の破廉恥行為が発覚することがしばしば、昔よりもずっと頻度が高いように思う。個人の問題だけではなく、仕事のなかで人間性を抑圧されるはけ口として、こうした犯罪が起きることは明らかではないか、と思う。

2007/09/25

9月21日(金)

都庁第一庁舎前でチラシまき。22人の方が参加してくださった。今日も初めての方が2人。高齢の方が通勤電車で混雑する中を参加してくださることに、本当に感激する。夏に体調を崩されたIさんがいらっしゃらないのが、気になる。

マイクを持って話をしている私に、笑顔で挨拶をしてくださった方がいらした。私も話しながら、笑顔の会釈を返した。勇気づけられる。

チラシまきに混じって「『君が代』解雇をするな」の署名を呼びかけたSさん、署名に応じてくれたのは、3人だけだったと言う。駅頭でするよりずっと反応が悪い。都庁の前での署名は周囲の目が気になるんだろう。

 この後は、ニュースの発行作業。

9月20日(木)

鶴川二中へ。生徒の登校が終わった頃、ご近所にお住まいのMさん母子、Rさんがいらした。私を記録されているSさんたちもいらしていたので、校門前はにぎやか。「今日は大勢だなあ」と学校前にお住まいのおじいさんIさんも加わって、井戸端会議。しばらく後に、Yさんは市民センターで学習会をするというので立ち寄られ、Mさんのお友だちのTさん母子も寄っていかれた。Mさんは、2月に鶴川で開かれた「君が代不起立」の上映会に参加された方。Tさんは、Mさんにその後映画を見せてもらって、関心を持たれた方。Yさんは、昨年ここ校門前で知り合った方。皆さん、校門前「出勤」と映画で知り合った方々だ。

立川と比べ、私に過剰反応し、組織的なバッシングが起きた鶴川の地では、それにおかしいと思われる方が意思表示され、こうして訪ねてくださることもまた多い。そういう出会いが去年も今年もたくさんあった。異動させられる度に、たくさんの出会いがあるのはうれしい。

9月19日(水)

南大沢学園養護学校に。今朝は、近藤さんとTさんの方が私よりも先にいらしていた。やや遅れてSuさんが見え、みんなで生徒の登校を迎えた。生徒たちの登校が終わった頃、西八王子から10km走ってMさんが、国分寺からは若い3人の女性が、そしていつものSさん、Mさんと、総勢9人がいらした。

今日は暑くもなく、いい天気だったからか、外での授業が多く、子どもたちが次々に外に出て行った。私だけでなく、皆それぞれが子どもたちに声をかけ、にっこりする時間を楽しませてもらった。訪問者の半数はもう、お馴染みの人たちになりつつある。

みんなをいつもの喫茶室に案内し、100円のお茶とMさんが差し入れてくれたお弁当で交流した。こうしているとのどかなものだ。

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