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全国行脚

2007/09/26

支援ではなく共闘を

停職明けの前日(7/1)の福島までの全国行脚については、前回の会報で少しお知らせできましたが、その後、広島、福岡から長崎へそして、再び北海道、突然湯河原と、全国行脚は、穏やかにさらに熱く続いています。
◯9・8~9・9 湯河原 自由民権21・学習会にて
日本新聞協会「湯河原荘」でありました。孫文や幸田文も投宿したこともあるという宿で、木造で純和風、秘めたる闘志を感じて素敵な宿でし た。「自由民権21」については、ピースネット企画の「茶色の朝を迎えないために」の中でも紹介されていますので、すでに、ご存知の方も多いと思いますが、「自由と民権」を切り口に民主主義を再構築のために、多様な考え方と経験を持ち寄り、自由に交流し、議論し、問題点を明らかにして、解決の糸口を見つけ出していくことを目指している、根源的な会です。この思想こそ、変革の原則だと思います。学習会は三部構成で、とても充実した内容でした。
第一部……「反対を訴え、全国行脚をして見てきたもの」河原井純子 
第二部…「テロ対策特措法の延長反対運動への取り組み」小森陽一さん 
第三部……「私たちの望む社会は、どのようなものであったらよいか」……コーディネーター佐藤文明さん
<第一部から>
5月に「改悪教育基本法の具体化を許さない全国集会・京都」で
東京で起こっている「河原井・根津の不当処分・解雇」は、「河原井・根津」の特有の問題ではなく、「明日の私のこと」。各地で、それぞれの職場でひとりひとりの手で、来年3月の根津さんの「君が代」解雇を絶対に阻止しましょう、再来年3月の河原井の「君が代」解雇を阻止しましょうということが確認できたことは、画期的な事でした。なぜなら私の丸ごと全国行脚そのものでしたから。そうです、「支援」ではなく「共闘」の呼びかけです。再び、北村小夜さんの警告をかみ締めます。「不起立をしている教員がいる。そしてそれを『支援』している教員がいる。何か変ですね。どうしてともに不起立(共闘)しないの?」

先日、大阪の「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパースンから、会報「良心と抵抗」が、届きました。それは、まさに、共闘声明でした。現実に、大阪からは、早朝・都庁前ビラまきにも駆けつけてくださり共に闘っています。力強いです。今、必要なことは、まさに「自由民権」の思想と闘いだと思っています。ひとりひとりの手で動き出す、蠢きだす。そして、つながってつながっていくことだと実感しています。
保護者の立場で発言した人の言葉が、胸に迫っています。「20年以上前から、日の丸・君が代強制問題で、先生とつながりたくてアクションを起こし続けたけれど、なぜか先生たちは鈍く、つながらないんだよね」「戦前も、20年前も、今も同じだね」「信用できないんだよね」教員に「自由民権」は無関係なのでしょうか?一番敏感でなければならないはずなのに……、なぜ。
<第二部から第三部へ>
第二部は、小森さんが9時過ぎに駆けつけ、それからなんと、明け方の4時近くまで熱く語り合いました。やはり主題は人間性の回復に凝縮されます。第一部、第二部を受けて、第三部は「私たちの望む社会は、どのようなものであったらよいか」という問題提起がありました。

平和な社会、戦争のない社会、安全に暮らせる社会、生活保障される社会、労働の保障、老後の保障、地球環境を守る社会、地球温暖化阻止、豊かに生活できる社会、自然環境破壊阻止などなど。

この時、突然、1970年代に岡林信康が絶唱した「私たちが望むものは」が浮かんできました。
♪♪♪♪わたしたちの望むものは、わたしたちのための社会ではなく、わたしたちひとりひとりのための社会なのだ。いまあるふしあわせにとどまってはいけない……(略)明日に向かって飛びたつのだ。♪♪♪♪

それから、つながることの難しさと、つながることの大切さがいろんなひとから提起されました。
私は、「社会」や「学校」は多種多様な雑木が共生しあえる「雑木林」が望ましいと思っています。今の、競争ばかり強いる画一的な「人工林」からは、何も創造することができません。そんな中で生き残ったほんの一部の人たちも、決して心身ともに充実されているとは思えません。
おかしいことには「おかしい」と言い合える学校や社会を、自由民権の思想で創っていくことこそ、私たちひとり人ひとりが望んでいる学校や社会ではないでしょうか。
5月の「改悪教育基本法の具体化を許さない全国集会・京都」で、スタッフの蒔田さんが、最後のまとめの言葉として力説した。

がんばらない あきらめない 楽しみたい つながりたい
この精神で、3月に「君が代」」解雇を絶対に阻止しましょう。
私は、この変革の精神、共闘を熱くよびかけながら全国行脚を続けていきます。
すべては「ひとりから始まる」をかみしめながら……。

2007/07/23

これから

 来年の3月に根津さんの「君が代」解雇を絶対許してはいけない。
 これを許してしまうことは、改悪教育基本法の具体化であり、教育関連3法の実態化である。そしてさらに憲法改悪への道に直結してしまう…何とかしたい、この想いひとすじで全国行脚にでかけました。

 訪れたどこの地でも、今東京で起こっている河原井・根津の君が代問題は河原井・根津固有のことではなく、私たちひとりひとりに課せられた問題であるという確認ができたことは、これからの具体的な闘いをつくっていく上で大きな力になること間違いなしです。2003.10.23通達にはどうしても従うことができないという異論・異見を40秒の「不起立」で態度表明しているだけです。
 「君が代解雇」をもし許してしまったなら、それは、戦後民主主義、法治国家の全否定につながり、まさに、日本最大の危機を迎えてしまいます。全国の仲間のひとりひとりの手で「君が代」解雇を絶対に阻止したい。その具体的な闘いを今、創っています。いまこそ人権を核にした真なる連帯を!!

7月1日 不当停職(3ヶ月)全国行脚終了

 7月2日 出勤しました
 7月1日、福島の全国行脚から、11時近くに帰宅しました。全国行脚で訪れた各地で出会った人たちの顔があの人この人と浮かんだ。交わした言葉が次々と思い出されて寝付かれずに、すぐ3時半を迎えてしまいました。いつものように6時半に家を出ました。
 7月2日、高等部の打ち合わせで、「これからも『おかしいことには、おかしい』と言い続け態度表明をしていきたいと思います」ということと、その結果として、「現在4つの裁判を抱えています。裁判で学校不在の時は、宜しくお願いします」と話しました。スクールバスが到着したことを告げる合図が鳴り響いて、何事もなかったかのように、再開しました。不思議な程自然にです。
 職場の人たちは、それぞれに
「待っていました」「ご苦労様!!」「河原井さんがいなくて淋しかった。会いたかった」「河原井さんのようにゆっくりがいい」「河原井さんの顔をみて、ほっとした」などなどと、言葉をかけてくれました。
 生徒たちからも、「君が代」停職を知っている人は、「やっときてくれた」「先生、自分らしく生きたんですよね」「藍染の先生、しばらく」等等歓迎の言葉。学年の保護者の方たちとは、保護者会で少し、お話ができました。うれしいひとときです。
 全員の方から「先生、待っていました!」あたたかい笑顔、笑顔に囲まれました。しかし、学年外の保護者のひとりは、「待っていました。でも、保護者は複雑です。子どもの側に立ってくださる先生が、学校からいなくなってしまう。これは避けたい。どうしても避けたいです。君が代不起立、そして停職については、保護者の心は揺れ動きます」と伝えてくれました。そこから、話が始まっていくなと感じ、うれしく想いました。やはり向き合って、目と目を合わせて、対話すること、そのことが大切なのです。当たり前のことですが。

全国行脚「やっぱりいってよかった」

 まず、私の親愛なる全国行脚の同志たちを紹介します。ずっと同行しました。

(1)のぼり(「河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会」の仲間がつくったお気に入 りの手作りのものです。次のように記されています。)    
 「都教委に対話を求めます」(河原井の言葉)    
 「不起立・不服従は教員の職責です」(根津さんの言葉)
(2)「君が代」不起立DVD (ビデオプレス)
(3)茶色の朝 大月書店
(4)茶色の朝を迎えないために(ピースネット企画)
(5)詩 「現在を問い未来を孕みたい」    藍染の刺し子の表紙で包んでいます
(6)会員募集申込用紙

 

この6点セットを、手作りの大きなリュックに詰めこんで行脚をしてきました。
 縁あって訪ねた行脚の地での様子です。ほんのひとことですが……

大阪では

 2.11ホットライン2007大阪集会でもたっぷりとお話しできたのです。既に用意されていた「日の君」集会への飛び入りで特別報告となりました。大阪の仲間に感謝です。
 翌日のウォチングでは、最後に教育塔の前に行き、教育におけるヤスクニを具体的な方々と合わせて再び震撼しました。
 教員評価の件については、地裁に訴えて本気に闘っていくことが報告されていました。京都の集会でも大きくアピールされ、教育労働者の免許更新制阻止を喚起していました。凜としてさわやかです。

三重では (四日市・松阪)

 市民運動と現職の教員たち 退職された元教員たち。「今の教員の人たちいったい何してんの!」というゲキが跳びました。
 松阪では、8月、子どもたちと広島に行く話、部落問題など白熱しました。秋に再びヒロシマの学習会を共にすることを約束しました。ひとりひとりが思う存分自分らしく生きていました。

「そうだ京都へいこう」の京都では

 改悪教育基本法の具体化を許さない全国集会へ
 全国連絡会が解散した後で心配しましたが、800名近い参加者。熱気、熱気の集会でした。       
 ここの集会アピールで、東京で起こっている根津、河原井の問題は私たちひとりひとりに課せられた問題でありひとりひとりが各職場で地域でできることから始めていこうという確認がされたことは、私の行脚の大きなねらいと合致し、うれしい出来事でした。
 またスタッフのひとりの蒔田さんが、わたしの「がんばらない あきらめない」の心意気をつないで、がんばらない あきらめない たのしみたい つながりたい とまとめてくれ、さらに背中を押されました。

あっつい北海道では(網走 岩見沢 十勝 北広島 札幌 旭川)

 北教組では、まだ「歌わない 立たない」という運動方針をおろしていません。その分現職の教員たちがとてもとてもさわやかで元気です。
 北教組本部、札教組支部、国鉄争議団、札幌自由学校「遊」、女のスペース「おん」など訪ね、会話が弾みました。しかし、北海道もいつ東京のようになるかもしれないという危機感がいっぱいでした。処分付きの命令にどこまで抗しきれるか、私の行脚が、北海道の中の情報交換をもたらし、「ありがとう」ということになりました。
 また、北教組は「特別支援教育」にもきちんと向き合って「おかしい」ことには「おかしい」と主張を貫いていました。
 北海道新聞が健在で、私の行脚の十勝版を記事に大きく掲載し、東京の教育状況を正確に述べていました。
 北海道の自然の恵みを、ある時は居酒屋で、ある時は屋台で満喫し、東京以上にあっついほっかいどうの一週間でした。
 野田正彰さんから手書きの集会メッセージが届き、北海道のどの集会にも同行していました。熱い連帯に感謝です。

北陸では (福井 石川加賀 畠山 黒部 魚津 氷見)

 人と人とがつながって味わい深い行脚となりました。
 医師、在日問題に関わる人、牧師、住職、「障がい」者の共生・共育を運動としてすすめている「文福」の人たち、自立生活を目指す「はぐれ雲」、社会運動、憲法9条の会の人たち、もっともっとたくさんの人たちとの出逢い。
 「「種」を蒔きにきてくれてありがとう。北陸の地でその「種」をしっかりと育てます。」熱い眼差しに感激しました。
 石川県の加賀では、「ヤスクニ」問題を追及し続けている田中伸尚さんの講演を前に、アピールすることができ、「個」を抹殺することへの拒否という点で同次元化できました。

神奈川では(横須賀・淵野辺)

 学習会、労働講座への合流でした。地域で根強く基地問題・労働問題に日常的に関わっている人たち、今学校で起こっている問題は、企業でも社会でも同じように起こっている。今こそ人権を核にした連帯を、と強く共有できました。