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停職「出勤」日記2006

2006/07/22

番外編

 7月3日、鶴川二中への出勤第1日目。「おはようございます」。不安を払いのけるように声を出して、職員室に入る。挨拶を返してくれる人が何人もいる。案内をされて着いた私の席には、「ようこそ鶴川二中へ」と書かれた紙の上に、花びんに差したつつじの花が置かれていた。うれしかった。張り詰めた気持ちが少し、楽になった。4月3日、新年度の仕事始めの日に入った時も感じたが、職員室には一昔前の温かさがまだわずかに残っている雰囲気がある。前夜、私の思いをつづった「鶴川二中の職員の皆様」への手紙を職員一人ひとりの机上に配り、朝の職員打ち合わせに臨んだ。そして、一言挨拶をさせてもらった。この時の皆の表情も和やかで、安堵した。
 その後は、生徒の朝会へ。そこで校長が私を紹介してくれたので、私も一言話させてもらった。「『君が代』で起立をせずに停職になったことも、停職中、学校の前に立っていたことも、何でするの?へんなやつ!と思った人は多いでしょうね。今まで皆さんは目にしなかった風景ですものね。でも、変なやつ!で終わらせずに、なぜ?って訊いてきてください。意見があったら、言ってきてください。100人いたら100人考えは違うものです。人間はお互いに話を交わし、考えを深めることができます。それは自分を成長させると思います。いつでも言ってきてくださいね。1年間どうぞよろしくお願いします」と。
 授業は、昨年までと同様、T1・T2の2人体制。うち、1年生を私がT1で担当するよう言い渡された。出勤1日目はその授業の打ち合わせやら準備で瞬く間に終わった。
 2日目、初めての授業。3年生の授業はT2として、教室に身を置く。T1では、1年生の1クラスで、年間計画に予定されている「食品の選択」について授業をした。やっぱり落ち着く。こうして1週間が瞬く間に終わった。
 これから先、何があるかはわからないけれど、温かさのある職員室で「やっていけそう!」と思える。

3日に鶴川2中の教員たちに配った手紙

鶴川二中の職員の皆さま

 停職3ヶ月が終わり、今日から出勤となりました。2時間通勤に加え、「過員配置」を濫用し、1年で異動させる計画で私の異動がなされましたから、短い時間ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
 職場の一員となるに当たり、「君が代」で不起立する私の思いを知っていただきたいと思います。どうぞ、最後までお読みください。
          ◇◇◇    ◇◇◇     ◇◇◇ 
私は「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないと考えます。しかし、だから起立しないのではありません。「君が代」に限らず、強制に反対なのです。
強制の行き着く先は、自由と民主主義が奪われた社会、ファシズムです。70年前に日本の歩んだ道を想起すれば、これを良しとする人はいないでしょう。大きく前提として、このことがあります。
加えて、強制は教育ではないということです。通達により学校は、子どもたちに起立斉唱だけを求め、「君が代」についての歴史的事実や歌詞の意味、そしてそこには多様な意見があることは知らせず、考える機会を与えません。知識をもとに考え合い、自己の意思を形成していく営みが教育であるはずなのに、それを否定する行為をしています。マインドコントロールと呼ぶべきでしょう。私は教員ですから、教育に反する行為に加担することはできません。
子どもたちが意味も知らされずに、起立・斉唱をさせられることが、どんな結果をもたらすのかは、想像に難くありません。子どもは、「君が代」を肯定し、国家の価値観を無批判に受け入れるでしょう。上から(=国家)の命令には、これまた無批判に従うものだと考えるでしょう。ちょうど70年前、「お国のために」命をささげた子どもたちのように。
私は、子どもたちがどんな問題についても、そこにはいろいろな意見があることを知り、それに耳を傾け語り合い、その中から自己の考えを確立してほしいと願い、教育活動に当たってきました。「君が代」についても例外にしてはいけないと思うのです。
蛇足ですが、今日の社会で見てみましょう。組織の中でその構成員が人命よりも上意を優先し、服従してきたことが、組織の不祥事を温存拡大してきたとも言えるのではないでしょうか。そうした事実は、枚挙に暇がありません。と同時にそれらが、三菱自動車や雪印食品に見られるように、勇気を持って立ち上がった人の内部告発によって明るみにされ、ただされてもきました。不正に対して、服従を拒否し組織をただす人の行為が、安全を担保し、組織を生き返らせます。
「合理化」のなか、線路の点検・補修が国鉄時代の何分の一、何十分の一となったJRで、大事故に繋がりかねないレール破断が頻発しているのをご存じですか。先日その実態を雑誌のインタビューに答えた職員を、JRは処分しました。この職員の行為が、安全へと繋がるはずです。
私はこうした人たちを支持し、私もそうした生き方をしようと思っています。
このような考えから、私は「君が代」で起立をしないのです。どんなに命令されても、間違っていることには従えません。不起立・不服従は教員である私の職責だと考えています。幸い、私には扶養すべき家族への責任はありません。定年まであと、5年を切りました。ひどい処分を受けても、深刻な不都合や不安はありません。ですから、都教委の教育破壊を少しでも遅らせるために、闘い続けます。                             
2006年7月3日

2006/06/30

6月30日(金)

 今日は停職最後の日。立川二中に行った。プラカードには、「今日で停職が終わります/励ましをありがとうございました/大勢の人が言うから正しいとは限りません/鵜呑みにせず、異なった意見に耳を傾け、自分の頭で考え、判断していきましょう/お元気で」と書いた。
 不当な停職処分に抗議し闘い続けることができるのも、授業でかかわった生徒たちの励ましがあったからのこと、一人ひとりにお礼を言いたいとの思いで朝も帰りも挨拶を交わした。
 「ぼくたちの卒業までいてほしかった」「応援しているよ」「がんばって」「停職が終わって、おめでとうございます。町田の学校でもがんばって」「今までお世話になりました。ありがとうございました」等々言ってくれた。

 

こんな会話もあった。

生徒:「また、二中に来るでしょ」
根津:「卒業のお祝いのメッセージは贈るよ。でも、来るのは今日が最後よ。まさか、来年の停職中にここに来るわけには行かないでしょう」
生徒:「来年も停職か! でも、その時来て」
根津:「あなたたち、卒業しちゃうじゃない」
生徒:「そうしたら、ぼくたちが門の前に来るから。A高校に行けば、すぐ来れるもん」

 

二中の生徒たちからすごい元気と励ましをもらった。もう、これだけで十分うれしいのに、まだまだうれしい、力の与えられることがあった。
 一つは、3ヶ月前に卒業したEさんが来てくれたこと。3年生のFさんが帰り際、「E先輩が一昨日も根津先生に会いたいって、ここに来たよ」と告げてくれたが、いかんともし難い。そうこうしているところに「間に合った」と駆けつけてくれたこと。もう一つは、八王子時代の教え子Gさんが来てくれたこと。国際関係学を学ぶ学生で、昨年の10月、ホームページを見て励ましのメールをくれたのが始まりだった。
 私と直接接した生徒・かつての生徒からの励ましは、何にも勝るエネルギーになる。私の仕事をほんとうに知っているのは授業や活動をともにした生徒たちだけだから。だから、その生徒たちからの励ましは、どんなにひどい攻撃にも耐えられる力となる。それは、体験済みだ。多摩中に異動して1年目に起こされた校長・教委・地域・PTAが一体となった攻撃に、ぼろぼろになりながらも耐えられたのは、八王子で同僚たちと築いた教育活動への確信と、何よりも当時の生徒たちが、その後も私たちの実践を評価してくれ、窮地に立つ私を励ましてくれたからであった。もしもあの時、元生徒からの励ましがなかったら、私の今はなかった。私はこうして困難を乗り越えさせてもらい、強くもしてもらってきた。
幸せいっぱいの気分で帰宅すると、Eさんからメールが届いていた。またまた、力を与えられた。Gさんに、お礼のメールを入れた。そしたら、その返信に、またまた力を与えられた。本当にありがとう! これで、来週から鶴川二中に胸を張り元気に行くことができる。
お二人のメールを、本人の承諾を得て、掲載します。

Eさん:「今日、根津先生に会えてとてもうれしかったです。いつもなら、部活終わりが17時を越えてしまい、二中正門に行っても会う機会がなかなかありませんでした。今週は、試験1週間前の部活停止期間。今週中には会えるだろう。そして、先生の出勤も最終週だと思っていました。やっとのことで会えたわけです。
 先生自身はこの3ヶ月は長かったのか、短かったのか、どう思っていますか。
 3ヶ月間も門に立ち、看板を立てて、抗議。自分なら3ヶ月もやれないと思う。先生は自分の意志を曲げずに貫き通したのだから、すごい!
前回・今回と処分は厳しくおかしな処分だけど、もっと職員に対する考慮というものはないのかと思う。
 厳しい停職や減給。学校の異動人事。とことん苦しめないといけないというのは、あまりにも理不尽だと思う。
 『踊る大捜査線』ではないけれど、職員が現場でちゃんとやっているのに、生徒たちに教えない会議室で話す偉い方なんかに分かるはずが無い。根津先生は、二中のみんなが応援してくれていたし、分かっていたはず。今日だって『がんばって』と励ましてくれていたし。中学校は先生主導だけど、先生を判断するのは生徒自身。生徒の意見が尊重されるべきだと思う。
 長々と書いてしまいましたが・・・。すいません。では、3日から鶴川二中で教員として頑張ってください。そして、鶴川二中の生徒に根津先生の授業が出来ることを。」

Gさん:「(前略)先生と直に話せたし、先生の周りにはいろんな方のサポートがあるということが生でわかって、すごく嬉しかったです。様々なことを勉強させてもいただきました。大学で平和学を少しかじって、先生のやっていることは本当に「平和学習」なんだなって実感しました。先生の生徒さんとの触れ合いや、昨日お会いした社会人の方々をみて、平和的方法の過程で得られるものってこれなんだ、って。ガンディーも個々では小さくても、でもたくさんのサポートに囲まれてました。(後略)」

 朝、出勤途上のHさん(保護者)と挨拶を交わすことができ、最後の日にお礼が言えてよかったと思っていたら、何とHさん、帰宅時には冷茶を差し入れてくださった。強い日差しではなかったが、それでも一日中コンクリートの路面にいると体が熱っぽくなる。ほてった体に、冷茶のおいしかったこと! 何よりも、お心遣いがとってもうれしかった。Hさん、ありがとうございました。
 3日から、がんばろう。

2006/06/29

6月29日(木)

 午後から都教委教育情報課長及び担当者と、9回目の質問への回答、話し合いを持った。記者から撮影したいと申し出があり、私たちは密室でのこのやり取りが公開されるのは願ってもないことで、承諾した。ところが課長は入ってくるなり、「カメラマンには頭撮りを許可したのであって、これ以上の撮影はやめてほしい。これはお願いです」と言う。いつもは、「情報課の判断での回答は控える」と言うのにこのときばかりは、「教育情報課の判断」であり、回答を控える「条文や理由はない」と言う。「都庁内の全ての撮影を禁止してはいない。石原都知事は積極的にカメラに出ている」(趣旨)と、開き直りとも思われることも言った。「私たちは撮ってもらいたいので、肖像権の侵害には当たらない。そちらは公務で行っていることなのだから、撮影して何の問題があるというのか。都教委の流したいものだけを映像にする『大本営発表』・情報の独占はおかしいではないか」と追及したが、撮影は認められなかった。
しかたなく、本題に入った。
 (1)「停職3ヶ月――セクハラや体罰が何度も起これば、重大な影響があるが、不起立でどのような重大な影響があったと言うのか」(2)「停職3ヶ月処分を決定するに当たって、都民の世論をどう考慮したのか」 について課長は、教職員課の回答だとして次のように答えた。「人事委員会、裁判係争中なので、回答を控える」。説明責任は、本人はもとより、都民に対してもあるだろうが・・・。
 「私は処分発令の3月31日にも、抗議と質問をしようとした。しかし人事部長は、私の声をかき消し、処分書を読み上げると、私を部屋から追い出した。今は、人事委員会に審査請求をしているから『回答を控える』と言う。では一体いつなら答えてくれるのか、くれたのか。このまま来年、さらに加重処分を迎えるのではたまらない。答えてほしい」と私は訴えた。参加者それぞれが思いを訴えた。その最中、課長は、「職務命令には従うもの」と言うと、立ち上がり、「終わります」と言って、部屋を出て行ってしまった。事態を呑み込むのに、1、2秒を要した。これが職務に責任ある対応と言えるだろうか?課長は職責を果たしたとお思いだろうか?と思った。
 ヒラのDさんは課長について一度部屋を出て行ったが、引き返してきたので、来週の予約を申し入れた。私たちは都教委に、どこまでも対話を求める。
 終了後、庁舎前を通る人にチラシを手渡した。

2006/06/27

6月27日(火)

 鶴川二中へ。ここに立つのも今日が最後、近所のいつも挨拶を交わす人たちにそのことを告げ、お礼を言った。Aさんはご自宅に案内してくださり、「通勤4時間はきついから、いつでも泊まって」と言ってくださった。有難いことです。
 昼過ぎ、毎日のようにここを通られる女性が、いつもはいぶかしそうにプラカードを見ていくのに、今日は、「聞きたいことがある」と言ってこられた。4月の初めには、プラカードを見ていられたので、話しかけたら、「ふん!」と言っていかれた方だった。
 「君が代は天皇をたたえる歌ではあるけれど、国歌なのだから、また、先生なのだから、反対でも起立すべき。起立して、歌わなければいいではないか。」とおっしゃる。しかし、話しを進める中で、「私は君が代を歌うべきではない、歌うな、と言っているのではないですよ」と告げると、まず、非常に驚かれた。「強制することに反対しているんです。自由を奪われ、民主主義が破壊された社会は恐ろしい。自由も民主主義もない、北朝鮮のような国にしたくないんです」「君が代について生徒には歌詞の意味も何にも教えないで、起立斉唱をさせるのは間違っていると思います。親が子どもに、『いただきます』をしつける時だって、なぜかを話して子どもを納得させるでしょう。それをしないのは、教育ではないですよ」と私が答えたことに、彼女は共感された。「君が代」で免職もありうることを告げると、すごく驚かれ、「ひどい。がんばってくださいね」と最後は、私を激励してくださった。とってもうれしい出来事だった。
 この女性はご自分から聞いてくださったので、誤解が解けたのだが、ステレオタイプに決め付け、対話を拒絶する人がいかに多いことか。人が100人いれば、100通りの意見があることを前提にして、意見を交流し、深め合いたいものだとつくづく思う。
 下校時間帯の終わり頃、Bさんとオーストラリアの映像作家Cさん夫妻、それに新聞記者が到着。Bさんが歌を歌ったこととCさんがビデオ映写機を回したこと(私を撮っていたのだが)で「気味悪い」との訴えがあったからと、副校長が「やめるよう」言ってきた。「不審者」ではないことは明白なのに、私を撮影しているだけなのに、生徒が映ってしまったところは使うはずがないのに、このような騒ぎ方をされるのは、何なのだろう。4月初め校長は私に「ここに立つのはやめてくれ」と2回、言った。このとき私は、精神的には私は抹殺された、と思った。そのことと重ねて推察するに、今日ここにBさんCさんがいること自体が気に食わないのではないかと思った。
 生徒の成長を真に考えたなら、一方的な情報を流し、他の情報には触れさせないというやり方は、やめるべき。異なった情報に接することから、思考は始まるのだ。もっと、子どもを信じたらいいではないか、と思う。「かわいい子どもには旅をさせよ」と言うではないか。世界の教育を知れば、日本のこれが、非常識であることは容易にわかることでもある。

2006/06/23

6月23日(金)

 都庁でチラシまきと情宣。チラシには、私が起立できない理由を主に書いた。今日も13人の方が参加してくださった。

2006/06/22

6月22日(木)

 鶴川二中へ。報道関係の仕事をされているFさんの取材を受けた。そのあと、初めての方Gさんの訪問を受けた。近所にお住まいで、2週間ほど前に通りかかられ知り合いになったHさんのご友人とおっしゃる。Gさんのお住まいもここから徒歩圏とのこと。Gさんご自身は「『君が代』を、日本人皆の幸せを願う自然なものとして歌う」とおっしゃる。「でも、強制はよくない」とも思われる。私について、なぜ立たないのだろうと不思議に思われ、直接会ってみたいと、訪ねてくださったのだった。好奇心旺盛、ご自分の目で見、頭で考えるスタンスの、魅力的な女性。話しはやがて、操作された情報や事実の見極めについてに及び、何事も自分の目で見、頭で考えることが大切であること、自分の考えと違う人を排除するのではなく、違いを論じ合うことに意味があるということで大いに一致した。
 午後はHさん母子が、帰りがけに立ち寄ってくださった。お子さんは私にお菓子を二つ、差し入れてくれた。自分のおやつを分けてくれたのかな?
 ところで、ここのかなりの生徒は、私の行動を見て、「へんなやつ」と思っているのかもしれない。でも、そこでピリオドを打たずに、なぜ、どうして?の疑問を大きくし、社会を覗いてほしい。せっかく出あった事実にしっかり目を向け、考えるきっかけにしてほしい、と思う。

2006/06/21

6月21日(水)

 調布中(2003年度)への異動控訴審判決が出された。異動要綱は「法律、規則でも条例でもなく、・・・内部的指針に過ぎない」のだから「その行使は都教委の合理的な裁量に委ねられており」、通勤時間が異動要綱の定める90分を10分や15分超えても構わないという、不当判決。不当判決ではあったが、「異動要綱に合致しない転任処分については、特段の事情がない限り、裁量権の逸脱があると推認され」ると原則は一応押さえた、Eさんの控訴審判決および私の地裁判決(いずれも05年)から大きく後退している。今回の控訴審判決に沿えば、都教委が、異動要綱に通勤時間を明記する必要も、いや、異動要綱それ自体を作る必然性もなくなってしまう。都教委の裁量、すなわち、都教委の意のままに行うと言うのだから。
 実際、2003年7月都教委はさらに異動要綱を改悪し、「通勤時間120分」「1年ごとの異動可」とした。「校長に楯突く教員は・・・1年ごとにどんどんぐるぐる回」せ、と米長教育委員が発言したそのままがいま進行している。私が鶴川二中へ異動させられたのは、このサンプルみたいなもの。1日4時間を超える通勤時間は当事者にとっては、日常的懲罰そのもの。それはさておいても、1日の交通費は2000円。税金の使途として、大いに問題だ。

2006/06/19

6月19日(月)

 立川二中へ。午前中一時雷雨。あとは、真夏を思わせる日差しだった。
 生徒たちに「おはよう」の声をかけ、出勤途上のいつもの人との挨拶を終え、JRのレール破断についての本(安田浩一著)を読んでいた。人影に気づき顔を上げると、プラカードを見て青年が立っている。青年はプラカードを指差し、「僕も全くこのとおりだと思います」と。左利きのことを教員にとがめられた体験があり、そこからわかったことが、「先生だから正しい、偉いのではない。先生も一人の人間に過ぎない」ということ。だから、「指示だから従うものとは思わなくなった」と言う。彼は八王子のA中、B高校出身ということで、一層親近感を持った。今日読もうと思って持ってきた、私の停職「出勤」日記が掲載された「戦争と性」25号(谷口和憲編著)をプレゼントした。
 今日のプラカードには、「君が代」不起立停職3ヶ月処分は不当です/憲法19条 「思想および良心の自由はこれを侵してはならない」に違反すると思います」「『君が代』について説明さえせずに起立させる。『指示には考えずに従え』というに等しいことです」と書いていた。
 午後はCさん(教員)の訪問を受けた。偶然にも彼女が小学校で担任したDさん姉妹が二中に転校してきていて、彼女はDさんたちとの再会も果たした。今日は5時間授業で、明日は定期テスト。だから、下校時刻が早い。「今日は早く帰って試験勉強をしよう。来週、ゆっくりおしゃべりしようね」と言いながら、やっぱり、1時間も入れ替わり立ちかわりでおしゃべりを楽しませてもらった。「二中に来て皆に会うと元気が出るよ」とふと漏らすと、「えっ、そんなふうに言われるとうれしい!」と。JRのレール破断についての本を見つけ、「読みたい!」と、一人の生徒が借りて帰った。
 生徒たちが皆下校して5分も経たないところへ、今度は卒業生の訪問。学校にも私にも用事があってのことだった。彼女とは、歯医者さんの予約時間ぎりぎりまでおしゃべりをした。相手(友だち、家族)を想う優しさに触れ、私の心もあったかくなった。彼女からもらった私宛の手紙を、家まで待ちきれず、信号待ちの車中で読み、幸せに浸った。元気200%の帰路だった。

2006/06/16

6月16日(金)

 恒例となった都庁前でのチラシ配りと訴え。「都庁で働く皆さんのお仕事の中にも、都民の幸せには決して繋がらない、と思われることがあるのではないでしょうか。そうしたことをぜひ、都民に晒してください。内部告発をし、ともに、都民の幸せに繋がる行政、教育行政をつくっていきましょう」と訴えた。
 そしてその後は、私への処分を決める際、提出した署名がどのように扱われたかについて、質問してきたその続きで、都教委教育情報課の担当者と会った。すでに提出していた5つの質問に答えをもらうことから始まった。今回も人事部職員課の回答を、教育情報課の課長が読み上げる。およそ回答とは言えないものなので聞き返すが、教育情報課には、それ以上の権限はない。私たちはさらに、「職務命令が憲法違反でないかどうかはどこでチェックするのか」「職員課は都民の世論をどう考えているのか」などについて答えてほしいと要請してきた。
 今日は雨だったため、昼近くになっても、ホームレスの人たちが動けずに庁舎前に大勢いらした。こうした風景は、常にこれを目にしている都の職員には、どう映るのだろうか、と思った。これでも、「平和な日本・平和な東京」と認識してしまうのであろうか?
 夕刻、20年以上前の教え子にばったり遇い、しばらく立ち話をし、私はその中で停職であることを告げた。彼女は、東京の「君が代」処分について知ってはいなく、びっくりしていたが、「先生、曲がったことは、だいっ嫌いだったものね。今、そういう先生が少ないよ。がんばって」と、妙に納得していた。彼女は私のクラスではなかったのになぜ、そんなふうに感じていたのかと訊くと、「授業を受けたらわかるわよ」。「化学調味料の授業は、今も忘れない。今も周りの若い子に話しているのよ」とも。懐かしさとともに、さわやかな気持ちになった。

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